あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。沢山いい本と出会って、沢山読みたいな。そして、いい仕事をして、正当な評価をして欲しいなあ、と思います。ああ、でも「いい仕事」って。
朝は、すごい音で目が覚めました。「どーん!」
何かと外を見たのだけれど特に目立つものがない。その合間にも爆発音は続き、20回過ぎたところでカウントを止めました。どうやら、落雷の音だった模様。凄すぎます。しかも、九州には珍しい雪が午前中いっぱい止まず。本当は今日、お参りに行くはずだったんだけどなあ。仕方なく、お雑煮とお節(今年は初めて出来合のものを買ったようで、井筒屋のものでした)を食べて雪の止むのを待つ。
午後遅くなってもう断念し、近所の散策をしようと持ちかける。実はこの辺り、車で往き来するだけで、歩いたことがなかったのだ。しかし、路地は結構足場が悪く、しかも大きな施設の敷地に遮られているためあまり歩き回れなかったのは寂しい。とりあえず夫の出身小学校に行ってみた。写真を撮ったけど、思いっきり逆光。夫の実家は土地だけ保持しつつ一度高台に引っ越したため、あまりこの界隈に思い入れはないらしい。
それにしても、この辺りはメジロがよく訪れる。最初、庭の枯れ枝にみかんを半分に切ったものが刺されていて何かと思ったら、小鳥のための餌だったようだ。
夫は昼間、昏々と眠り、義母の相手を一人でする羽目になった。ええ、なかなか大変なんですよ。
緊張して早め(といっても8時頃?)に起きて「私も嫁だのう」と感心。
ここでちょっと嫁具合を見てみることとしよう。義母は、あまり料理の上手な方ではないと思う。しかし、自己評価と世間の評価はかなりかけ離れているのではないか。まあ、何にしても一所懸命。大学の先輩に自分の母親の料理をひどく言う人がいてまさかと思ったのだけれど、何となく、その気持ちが分かる。というか、ここからよくまともな舌の人間が育ったなあ。出汁が、すごい。ぐらぐら煮立っているお湯に昆布を投入するところから間違っている。ガスはいつも全開状態。干し椎茸はそのまま千切って鍋の中へ。なんとかぬるま湯に浸けた貝柱も待ちきれず、浸け汁を捨てて投入してしまった。……あー。出汁の具を多く入れるのは、その時点で間違っているような。昆布が、私が普段入れいているのの5倍くらい? でも、愛情たっぷりなのです。そういう訳なので、私は自分の定規で測らず、必ず義母に「××していいですか?」と聞いてから次の段階に移ることにしている。だって、常識が通じないから(笑)。
雑煮とお節の消費をしつつ、箱根駅伝を見ていたのだが、ここの両親はスポーツ好きだ。箱根駅伝も熱心に見ていたのだが、義母は夫の出身校は全身全霊で応援するくせに、私の出身校が少し調子が良くても「まあ、そのうち抜かれるわね」と、神経逆撫で。いや、私も愛校心なんてこれっぽっちも無いけど、さすがにカチンと来るもんですね。何度も言われたらそりゃ、心の中で煮えたくりですわ。
箱根の山路に差し掛かる前に昨日行くはずだった八坂さんへ向かう。しかし、道路は大渋滞。行く手には井筒屋や最近できたリバーウォークなどの一大ショッピングゾーンがあるためだろう。とりあえず、井筒屋新館の駐車場に入れることに成功。最初、義父を車に置いて八坂さんに向かうようなことを行ってたのでそれは無いだろうと夫に「駐車場も一緒に行けばいいじゃない」と助言したのだが、義父母は「なんて優しい××ちゃん!」と思ってることだろう。まあ、いいけど。
八坂さんはひどい込みよう。しかし、境内から近代的なショッピングモールが見える構図はどうか。かなり気分を削がれる。そう心で言いつつ社務所で夫の厄払いの手続きをし、三分間診療のようなお祓いをして貰い、おみくじを引いた。ここでは凶を引き当てたことがあるので警戒していたところ、珍しく中吉だった。義母は相変わらず引きが強く大吉。
その後、小倉城址で記念写真を撮りつつ井筒屋へ。空港で買えばいいのだけれど駐車場の代金をひねり出すためにここでお土産を購入。その後、義母の買い物の付き合いに後ろをついて回ったのだけれど、うろうろした挙げ句、え、これだけですかい!といった成果(笑)。生鮮コーナーで買った蟹を突き出して「さばいてないやないの! これじゃ食べられんわ」とクレームつけてたおばちゃんが印象的だった。いや、一応頼まないとそう言うことはしないと思うんだが。
早めの夕食はふぐの水炊き。義母は「手伝わんでええから」と言うのだけれど見るに見かねて目立たないよう手伝った。鍋もぐらぐら煮立ってますよぉ(笑)。でも、身がふわっとしてておいしかったなあ。
えーと、来ただけで親孝行というのは楽なもんですな、特に夫は。まあ、私もちょっとお手伝いをして嬉しく思って貰えるのなら、とても良かったと思うし。やっぱり、こうやって喜んでくれる姿を見ると「ああ、帰って来なきゃダメだなあ」とは思うのだけれど、やっぱり要らぬ気を遣う私には、やっぱり毎年は辛い。3年に一遍くらいでぎりぎりなのですよ。過剰な義母の愛情に当てられっぱなし。
その後、お節などを分けて貰いつつ義父の車で空港まで移動。降ろしたところで別れるわけだったのだが、煙草を吸いにいった夫とばらばらにいたときに、ロビーで義父を見かけた。やっぱり、名残惜しかったのかな。声を掛けて、一緒に話しをしつつ、ぎりぎりまでロビーにいた。義父母ともうちの父母よりも一回り上なので、確かに、「後何回会えるか」と思うのだろうなあ。どうも生命力旺盛で「まだまだ大丈夫だろう」と思ってしまうのだけれど。
また、気力を充填してお伺いしますよ。それまでお元気で。
飛行機は、予定よりも20分ほど遅れて離陸。夫が帰郷する年は、天候が荒れるのだよね。とりあえず、発ってくれて良かった。
昼と夜は雑煮。昼は、残っていた薄口醤油を使ったのだけれど、案の定ダメになっていたようで、とても薄口とは思えない状態。味も変になってしまった。反省して夜は新しく買ったのをおろしてみた。
実家から送ってもらったのし餅が切ってない状態と気付き、ひとまず現実を無視するかのように小さな鏡餅を投入。まあ、松の内は明けてないけど、いいんですよ。うちは、昆布でとっただし汁に鶏のもも肉と板かまぼこと切り三つ葉と戻した干し椎茸とそのだし汁、それに塩と薄口醤油(実家は濃い口醤油だと思う)で味付け、最後に細かく刻んだ柚子の皮。餅は、切り餅及び角餅。そんな感じです。母親から教わったものがベース。
夕方に冷凍しておいた餅を解凍し、食べやすく切ってジップロックでパッキングして冷凍庫に戻した。正月に餅があるのはありがたいものです。いや、ホントに。
昼間じゃないと30個の在庫は尽きているだろうと今まで挑戦できなかったのだが、今日初めて、自宅から一番近いこのバーガーを出す店で食してきた。
見た目は非常に美しい。あー、でも、ハンバーグはこんなものかねえ。山葵は、いまいち「すり下ろしたて」に見えないところが何とも。それでも、ぴりっと辛く、鼻にツーンと来た。
トマトと玉葱の刻んだものがとてもジューシーで、第一印象良好。しかし、半分も食べると飽きてきた。なんと言っても、味が濃いのだ。醤油味があまりにも濃くて、食べるのが辛い。凄く頑張ってようやっと食べ終えることができた。量はかなりのもので、これで十分。しかし、冬場は喉が渇いているのと塩辛いのとで、サイドオーダーのアイス烏龍茶は全然量が足りなかった。
昨日は寝たきり状態だったので一日ぶりに外に出たのだが、ぽかぽかと暖かくて気持ちいい。この天候には騙されないぞ、と完全武装してきたのが徒となり、歩いている内に汗ばんでしまったし、喉がとても渇いた。
映画開始の待ち時間に、ちょっとだけABC本店へ。しかし、今年の本はまだ出る前で、いられる時間も少なかったために何も買わずに出てきた。漫画は、ビニールがかかってないものも置いてあるのね。漫画は中身が分からないと結構博打なので、これは嬉しい。
もうこれは、ガエル・ガルシア・ベルナル目当てでしょう。が、思っていた以上にストーリーも良くできていて、得した感じ。主演はセシリア・ロス。彼女が演じるところのスペイン在住のアルゼンチン出身の中年女・カルメンは、氷のような心の持ち主。父親の危篤に際し、20年ぶりに故郷・ブエノスアイレスに帰るのだが、彼女には、何か過去がある。帰るそうそう滞在する2週間いっぱいの期限でアパートを借り、モデルクラブ(高級男娼紹介業でもある)経営の旧友に連絡を取る。そして、その留守番電話の声を吹き込んだ男、グスタボを指名し、女と一緒にこのアパートへ来るよう、指示する。彼女は、ドアから漏れ聞こえる声だけを享受する。彼女の過去が、このような性的嗜好を引き出したらしい。そして、顔を一度も合わさずにグスタボとのドア一枚を隔てた交流が続いていく。グスタボは、命じられて小説のマークした一説を朗読し、カルメンはその声に、性的興奮を覚えるのだ。
これは、アルゼンチンの政治的な事実を知っていた方がより理解できるのだろうが、知らなくても何となく、理解はできる。カルメンは、過去の軍事政権時に政治犯として夫を殺害され、自分自身は政治犯収容所で拷問の日々を送る。そして、その間に亡き夫との子供を出産したが、子供はすぐに命を無くしたらしい。釈放されるやいなや、彼女はマドリードに渡り、事業を起こしたようだ。それは成功しているようで、非常に忙しい日々を送っている。
グスタボは、絶賛売り出し中のモデルで、お金に不自由している。それで男娼稼業は手っ取り早くお金になるので助かっているようだし、肉体交渉もなく一定時間拘束されるだけの割のいいカルメンとの仕事は、気に入っているようだ。そして何より、決して顔を合わせようとしない彼女に興味を持ち始めている。
前半が、とても良かった。頑なな心を崩さないカルメンが、ドア一枚を通してグスタボに愛着を感じる。最初は、どぎついポルノ小説を朗読させていた筈が、いつしか淡い恋愛の描写を読ませるようになる。その変化と、ドアを一枚隔てて背中合わせにたたずむ姿(海外オリジナル版のポスターはこの場面が使用されているようだが、日本のものはガエル人気にあやかってか、彼一人が横たわる絵柄になっている)が、とてもとても印象的だった。そういう意味では、彼らがお互いの気持ちを確かめあい、とうとう混じることになるところからは、それほどの感傷は存在しない。
しかし物語の核心はここからで、彼女と彼の本当の関係が明かされることになるが、煽りほどには衝撃ではない。まあ、それ以前にもそれとなくそれを匂わせる描写があったりするからなのだけれど。そして、圧巻はラストシーン。本来の、彼女らの間柄に、納まるのだ。色々と複雑な思いがあるにせよ。カルメンの妹がこの謎を暴く立場になるのだが、彼女はおなかに子供を宿している。妊娠が発覚した時には「堕ろしたい」と願っていたのに。何というか、もっと救いようがないラストになるかと思いきや、拍子抜けするくらいに生命の力強さを感じる展開に唖然とした。実は、映画を観た直後はこのラストに納得がいかず消化不良だったのだが、この意味について考えている内に段々とこなれてきて、この結末が受け入れられるようになってきた。
トラウマにより何も寄せ付けなかったカルメンが何故グスタボには心を開いたのか、その答えに、彼女らの関係を求めたくはない。ガエルは、捨てられた子犬のような存在で、これはこの作品でも遺憾なく発揮されていた。ぬれねずみで頑なな彼女に愛を告白する姿。一途に追い求める姿。そういうのが、彼には何故かよく似合う。そして、への字口のきりりとした美貌を持つセシリア・ロスの本当に微妙な表情の出し方。思わず、溜息をついてしまった。
当時のアルゼンチンの情勢については、パンフレットで野谷文昭氏が解説をしている。前の席の人が読んでいる時にここだけ見えて、それがきっかけでパンフレットを買ってしまったのだった。
ところで、映写機のトラブルとかで、本編が始まる直前に結構長い間空白の時間ができてしまった。こんなところに立ち会ったことがないので、びっくり。上映開始自体が、少し遅れてたから、実はあんまり驚かなかった。
そういえば、映画館でガエルが出演している「チェ・ゲバラ&カストロ」のDVD&VIDEOリリースの販促アイテム(あぶらとり紙というところがまた、女性向けを狙ってますよねえ)を貰った。これは、買えということですか??? 春に発売予定だそうです。
文教堂書店渋谷店にて。
ああー、やっと『Sink』の二巻が見つかった。この手の漫画は青年向けでも女性向けでもなく、カテゴライズに困る……というか、どの辺にあるか分からなくて困る。ここは、置いてある場所が棚一列単位で出てくるので、検索が有効に働く。『チーズ〜』は、週刊モーニングで連載している猫漫画。捨て子猫チーと、彼を拾った親子との日常を描いている。実はこのチーの子供言葉は大嫌いなのだけれど、何となく憎めないんだよね。本物の猫好きの人がどう受け取るのかは分からないけれど、何故か好きみたいです、これ。
シルエット (講談社文庫)(島本 理生)』とりあえず、表題作のみ読み終えた。ああー、うまいね。これを18歳で書いているのか。少々比喩表現が煩く感じられる部分もあったけれど、その表現は私の感覚にしっくりときて、地味な作品ではあるのだけれど、光っている、と思う。心の微妙な変化とか、「気づき」の過程とか、本当に程よい形にまとまっていると思う。
昨日観た「ブエノスアイレスの夜」と偶然ながら重なってしまうのだけれど、主人公の恋人冠くんは、過去の経験がトラウマとなり、女性に触れることができない。不可能、というだけではなく、嫌悪感を感じると言う。そのことを承知で付き合ってきたが限界があり、暑い夏の日に二人は別れることにする。その後、彼女は深く傷ついて生活は荒れ、その短い期間に処女喪失も経験する。そして今は、せっちゃんという穏やかな恋人と安定した毎日を送っている――。
彼女の作品を読むのは二度目なのだけれど、おそらく、予め崩壊した家庭、というのは、彼女にとって必須アイテムなのかもしれない。そういった環境で育ち、しかしそれにしてはまっすぐに(しかし、幾分大人びて)育ちはするのだが、物事に敏感で、傷つき易い性質を持っている。主人公と冠くんはまさに同じ性質同士だったので、お互いに疲れてしまったのだろう。おそらく、二人だけの関係というのにはバランスというものがあるのだ。それは一時だけ付き合った藤井という男にしても言えることだろう。しかし、そういう理屈抜きに、人は人を好きになってしまう。その苦しさと喜びが、この作品には丁寧に込められていると感じる。
最後の処理も、鮮やかです。こんなの書かれちゃったら、もうお手上げですよ。
各所で話題のWikiスパムが、とうとう私のところにもやってきました(笑)。今まで一度も踏まれたことが無かったのですよ。正月、夫の実家から帰ってきて見てみたら、SandBoxが荒らされてるー。とりあえず、SandBox自体をさくっと削除しました。全部凍結*1かけるのも面倒だし、Wikiはとりあえず、荒らされても元に戻すことができるし。Wiki荒らしは「タイムスタンプを変更しない更新」なんて術は使わないので(そのうちそういうのも出てくるかも知れないけど、たとえばロボットだったらちょっと難しいよね)目視で十分、だと思う。
見たところ、カナダのドメインからのようなのだが、mixiのPukiWikiのコミュでは「踏まれたのでは?」との見解もあり、このIPでdenyするのは危険なような気もするが、踏まれる状態で放置しておくのも罪だろう、ということで拒否リストに加えてみた。
偽リファラでhttp://www.yahoo.comなんて入れてきてるし。1月1日と2日に襲来している模様。
こういうのが多くなってきたら、仕方ないけど編集権限に認証かけちゃうしかないのかなあ。
*1 という機能がPukiWikiにはあるのです
シルエット (講談社文庫)(島本 理生)』「植物たちの呼吸」は、「シルエット」に先立つこと2年ほど前の掌編小説。なかなか帰ってこない恋人を部屋で待つ若い女性の話なのだが、独特の雰囲気を持ってるよなー。植物がいっぱいの部屋にひとりでいると、植物に支配されてしまいそうな気になることは想像がつく。グリーンイグアナを飼っているというのも、植物から目を逸らすことにはならず、むしろ、植物の存在を強めているように思う。そのイグアナが近づく、別途の下のトランク(ここには、主人公が「見てはいけないもの」がまとめて入っているらしい)の存在やなかなか帰ってこない男、物言わぬイグアナ、と、主人公と恋人の距離がとても分かりやすいアイテム描写で構成されているのが心憎い。なかなか好きな一遍です。
「ヨル」は、デビュー作。「鳩よ!」の公募作品らしい。孤独な夜に立ち寄った古本屋で親しくはない男の同級生と鉢合わせする。彼が連れてきたのが「ヨル」という黒い子猫。彼の得体の知れなさ(主人公の呼びかけに答えない、とか、いきなりごっそりと本を万引きしてしまう様とか)と黒い子猫の組み合わせが、しっくりいくような、非常にアンバランスのような。
この人の作品には、頻繁に実在の小説が出てくるのも特徴的かな。先に読んだ『リトル・バイ・リトル』ではどうだったのか覚えてないのだが、「シルエット」で冠くんが持っているのはアーヴィングの『サーカスの息子』の文庫本、「植物たちの呼吸」ではヴォネガットの『チャンピオンたちの朝食』と梶井基次郎の『檸檬』、「ヨル」では、カポーティの『夜の樹』。おそらく、由緒正しい読書家なのだろうな、彼女は。
解説で長嶋有は「シルエット」をして「少女漫画(的)」と表現している。何となく、合点がいく。他の二作もそういう部分があるが、確かにキャラクターの設定などは、漫画的なものかもしれない。「シルエット」のはじめくんのような「彼氏の友達でいいやつ」のキャラクター、漫画ではよくあるもんね。少女漫画に慣れ親しんでいるせいか、あまりにも自然でそういうことに気づかなかった。
おそらく、特に「シルエット」は、書こうと意識して書いたものなのだろうなあ、と感じる。その肩の入り方が、ちょっと鼻につくほどのふんだんな比喩表現に繋がるんじゃないかと思うのだが、最近の作品ではそうも感じなかったところを見ると、段々「加減」が分かってきたのかなあ、なんて思う。この年代では、一番気になる作家かもしれない。
西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)(森 奈津子)』何じゃこれは(笑)。読んでいて、とても楽しいが、アブノーマルだ。
表題作の「西城秀樹のおかげです」は、地球人類滅亡寸前の、新宿が舞台。センチュリー・ハイアットで目覚めた十五歳の穢れ無き娘・千絵の独白で始まる。ある意味、叙述トリック(笑)? おそらくこの人の作品はアブノーマルな性の好みを持つ人たち満載なのだろうが、この作品もまた、それが前提のものなのだった。
やっぱり、人類滅亡って、素晴らしいわ! きっとわたくしは、世界一幸運な女の子にちがいないわ!
などとうるうるしている訳だが、この二つの相反する文意に注目せよ。その辺りがグロテスクで素敵。
千絵も基本的にはボケ役なのだが、ツッコミ役がいないのはポイントかも(ある意味、「花子」がツッコミか?)。ボケとツッコミは、いわゆるノーマルな性質であろう読者側の存在で、異質な存在に「それはおかしい」と言うがための存在なのだろうなあ。その辺りに、うまさは感じる。
「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」は、これこそ典型的なボケとツッコミの形をとっている。事故で両親を亡くした姪の面倒を見るべく屋敷にやってきた時子は、涙に暮れる姪を慰めるためにアンドロイドのメイドに「彼女を慰める」よう、命じるのだが、なんと彼女は、セクサロイドだった! メイドは一種のプレイだったのだ。――ということで、穢れ無き姪を毒牙にかけぬようあの手この手でメイドを説得するのだが、マゾヒストの性質を持った彼女にことごとく受け流されてしまうところが、もうあほらしいほどの繰り返しギャグだ。面白し。
「天国発ゴミ箱行き」は、死んで天国に行った主人公が来世に生まれ変わるために、天使から三つの人生のシミュレーションを見せられる話。その選択肢のひとつに森奈津子自らを投入してしまう自虐ネタもあり、なかなか軽妙な作品。ゴミ箱の意味が最初分からなかったのだが、ああ、そういうことだったのね、と後半納得。来世の希望に「好色な作家になりたい」と言う辺り、既に変だと思うけどね、この主人公も(笑)。
なんというかですね。お話のひとつひとつが、「こうだったらいいなー」っていう、作者が考えた妄想って感じで、とても楽しそうなのがいいですね(笑)。人類滅亡しちゃえば、美の価値観も自分への評価も、自分が基準ですからね、全く!
ブックファースト渋谷店で初買い&バカ買い。
手がもげそうでした。
『血脈』は、サトウハチローら佐藤愛子一族を巡るどろどろを描いた話題作で、期待していたより早く文庫化されて嬉しい。しかし、三分冊とはいえ、分厚い(笑)。こう見ると、やっぱり海外文学作品って高いんだなあ。逆に、すっかり忘れた頃に出てきたのが、宮沢章夫の小説デビュー作で芥川賞候補になった『サーチエンジン・システムクラッシュ』。タイトル見たときは「何じゃこれ」と思ったけど、当時読んだときは、なんともつかみ所が無い内容だったんだよなあ。これを機に再読してみよう。『天使』の文庫化も嬉しい。こちらも再読してからじゃないと、『雲雀』が読めないんじゃないかと思うので。
西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)(森 奈津子)』「悶絶! バナナワニ園!」……すげー。展開は読めるのだけれど、でもぶっ飛び方が半端じゃない。でもって、結構現代社会に対する批判っぽいにおいもあり、結構、貴重な作品かも。少子化問題を解決するために同性愛趣味が国家として犯罪となった二十一世紀末のお話。レズビアンの疑いがかかる実業家女性の正体を暴くために私立探偵を送り込むのだが……。
「地球娘による地球外クッキング」は、少しずつひねってあるお話。オチはちょっと弱いけど、展開は面白かった。
「タタミ・マットとゲイシャ・ガール」は、『蚊 コレクション』に収録されたものなのだろうな。これもオチは散漫だけれど、主人公はあくまでも女性ってところに執念が見えるなあ。蚊の目線で楽しめる一作。そして、勘違い外人による日本紹介が面白いです。
お昼休みは昨日の帰りに駅で買ってそのまま入れっぱなしだった週刊文春を読んでいたので、あまり進んでいない。けど、多分今日中には読み終わるでしょう。
昨日辺りはこれでキーワード検索かけてくる人が多いようで何かあったな、とは思ったのだけれど、ああ、なるほどね。電車男の「その後」を追った記事らしい。新潮社の担当編集者の郡司氏から電車男のメイルアドレスを教えてもらって直接質問をぶつけたという話だけど、ホントかなー? まあ、そういうのも含めて創作でも何でも面白ければいいと思うけど。でも、近況を奇妙に詳しく書きすぎて逆にリアリティが無い。結婚は、現実的ではないみたいだけれど、軽くそういう話もするそうですよ。
しかし、郡司氏のトーンが֤äΤżˡ١ ˥塼êExcite ֥åʸإɡɾܤΥ˥塼とは随分違っているような気がするんだけど、この辺のスタンスは最初にちゃんと決めておかなきゃつまらないよね。
私が作った雑煮なのだけれど、「あ、はてな雑煮出しがあったんだった」と思い出すのは毎度食べてからで、やっと昨日撮れた。
澄まし汁に角餅がスタンダードになっているのだが、これは母が作っていたもののアレンジなので、本当に地方色がこんなのかは分からない。昆布でとった出汁に干ししいたけの戻し汁、酒、味醂、塩と薄口しょうゆを入れている。鶏のもも肉からもだしが出ているはず。具は戻した干ししいたけと細かく切った鶏肉、板かまぼこを切ったものに青物(この場合は切り三つ葉)、最後に柚子の皮を刻んだものを少々。
直木賞候補作は全然読んでないけど、角田光代辺り、取ってもよさそうな気がするなあ。ところで芥川賞。雑誌掲載時に「芥川賞用?」とか確かに囁かれてたけど、ホントに候補になるとは……阿部和重「グランド・フィナーレ」。結構、私は気に入っている作品なのだけれど、感想にも書いている通り、これは神町サーガのHUBとなるような作品で、これで評価されるのも可哀想な気がするんだけどな。
最近、田口賢司や『メロウ1983』で検索に来る人が多いので、何かあったかなー、と思ってはいたのだけれど、ここで候補になっていたのか。文藝賞受賞作がふたつとも挙がってて(「野ブタ。をプロデュース」と「人のセックスを笑うな」)「勢いあるなあ」とは思うけれど、読んでないのでなんともいえない。
夫が以前にも「繰上返済したいんだけど、年金のサイト、どこにあるんだっけ?」と聞いてきたのだが、これがなかなか探せない。いや、明細などを送ってくる封筒が目の前にあればそんなことも無いのだろうけれど。
それにしても、今回はひどく時間がかかった。最近、公的機関の統廃合が相次いでいる上に(でも、ドメインくらい暫く残しておけよ)、SEO対策をしていないのか、検索結果の上位になかなか現れない。散々探し回ってどこかのリンクからやっと見つけたので、今回はちゃんとメモしておくことにしよう。
あー、疲れた。どのサイトも、年金住宅融資のことや繰上返済のことは書いているくせに、公式サイトへのリンクが無いんだ、これが。All About Japanは唯一存在したが、デッドリンクばかりだった。おまけに、今年の1月いっぱいで年金住宅融資の制度はなくなるらしいね。そういうこともあって、より到達しにくくなっているのかな。
読み始めたのは結構最近なのだが、タイトルだけでは判断できないような話の展開が毎度入っており、油断ならない。先日読んだ、高橋源一郎の日本文学講義の話も面白かった(まあ、これはある意味、高橋源一郎が面白かったということなのだが)が、さっき読んだļθ漼 2006: ήɥޤκがまた……。前段の韓国ドラマにはまる訳と公式も面白かったし、後段の仲俣暁生氏の新刊書評本『
極西文学論―West way to the world(仲俣 暁生)』の感想も参考になる。ああ、早めに読まないと。
……ということで、仲俣氏のはてなダイアリーにTrackBack、と思ったのだが、どこに打てばいいだろうなー。とりあえず、本の見本が届いたところに。それと、見てくださるかどうかは分からないけど、内田先生にもTrackBackを。仲俣氏の言うところの「ポスト村上」については、彼の著書『文学:ポストムラカミの日本文学』に詳しいと思います。
アクセスログを見てたら、ちょっと目立つのがあったので、エージェントを見てみたらNTTデータのものだった。へええ、こんなことやってるんですね。お行儀はいいからあまり気にはならないので、ちょっとメモしておくだけにする。
ブックファースト渋谷店にて。
「新潮」には、マグナス・ミルズ(作)・柴田元幸(訳)の掌編小説二本と柴田氏による解説も載ってます。嬉しい。作品名は、「たまには顔を」「善玉の警部」。解説によると、"once in a blue moon"というミニ短編集に収められた四作品のうちのに作品らしい。それと、吉屋信子はこの機会に読んでみようと思って。パラパラ読んだけど、なかなか面白そうなんで。「冬の輪舞」というフジテレビ系の昼ドラマの原作らしい。二人の女の子取り替えもの。『王子と乞食』みたいな感じか? いや、昔は「私は実は、とてもお金持ちの家の子供」とか妄想していたもんだが。
そうそう。ヤングアダルト小説など、小中学生向けの書籍を多数出している理論社が、奇妙な新書(?)を出し始めたね。ҡYA֤ߤѥסですって。今日、平台でみうらじゅんによる「保健体育の本」を見てびっくりしたよ。要するに、子供向けのD.T本だよね。でも、中身はなかなかまっとうそう。性教育に散々文句をつける運動団体の方々、これはどうでしょう? こういうこと、教えて貰ったこと無いから、ちゃんと知りたかったよなあ。
西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)(森 奈津子)』うはー。感想はあとで。「エロチカ79」の後半は、大爆笑。これ自体が「ああ、同じパターンの繰り返しギャグが手を変え品を変え三回か、と思っていたら、不意打ちだ(笑)。だからこんなに変な名前だったんだ。
大森さんとトヨザキ社長の予想。予想は妥当な線なのですよね。選考委員がその斜め上を行くことをしてくださるだけで。ええ。まあ、そこまで含めての予想ではありますが。
昼間に山崎ナオコーラ「人のセックスを笑うな」を読んでました。文章に独特の空気感があって、なかなかいいかも。白岩玄「野ブタ。をプロデュース」は読んでる最中だけれど、主人公がヤなヤツなのが悪いのか、第一印象はさほど良くはない。下手に修飾詞つけりゃいいってもんでもないだろう。その辺がうるさくうつるんだけど。現代の若者スケッチとしてはこんなもんだろうけど、ねえ。レベルとしては、フツーって感じかな。
阿部和重のテーマが、逆作用するタイムリー。これがどう響いてくるか(ホントは関係ないんだけどね)。
人のセックスを笑うな(山崎 ナオコーラ)』タイトルとペンネームの「特異性」に注目させる、嫌な自己プロデュースが鼻についていたのだが、やはり気になったので、「文藝」冬号を購入して読んでみた。選評で田中康夫が「(に文藝賞を受賞した)鈴木清剛に似ている」といったことを書いているが、確かに、物語の「何にも無さ」とか「主人公が少しだけ成長する」ところとか、淡々とした語り口とか、似ているかも知れない、と思った。物語のタイプも、確かに近い。まあ、この後どっち方面に伸びていくのかは分からないけれど。
高校を卒業した後一浪して美術学校に入った主人公・磯野みるめ(男子)と、そこの講師であるユリちゃんとのお話。このユリちゃん、主人公とは倍ほども年齢が違っているのだが、とにかく「意欲」というものがまるで見られない癖に生徒にはなぜか人気があるという変わった存在。特にきれいでも可愛くもないし、無愛想だし、何より結婚している。そんな彼女にモデルを頼まれたのをきっかけに、何とはなしに恋愛は始まってしまうのだ。
特に熱烈に好きとも思っていない、身体の関係から入った彼らだが、お互いを愛しく思っているところの描写が憎い。みるめはユリちゃんの脂肪のついたお腹や顔のしわ、時折見られる白髪など、普通、見たら白けてしまうようなところにこそ、愛情を感じている。「あばたもえくぼ」そのままの状態だが、多分、人を愛するってそういうことだろうなあ、と感じる。とにかく、感性は細やかで、しかし、描写は簡素だ。かなり、書いてから削ったのではないかと思うのだが、最小限の言葉で最大限の表現ができているところが素敵だなあ、と思った。文章にたっぷりとした空気を含んでいる、と感じられる。
この奇妙な関係を、彼女と彼女の夫との三角関係とせずに「一対一の関係」としているところも、ああ、いい感じだなあ、と思った。恋愛を通して、相手の背後にいる配偶者を常に感じるパターンもあるのだろうけれど、この場合はユリちゃんがそういう人ではなかったということだろう。そうでありながらユリちゃんの夫(猪熊氏)には出会ってしまうわけだが、彼の対応もまた、痛々しいながら、でもその人にはその人なりの事情があるんだろうな、と思わせる。
冒頭の、マフラーの描写で引き込まれてつい読み進めてしまった。マフラーに鼻下まで埋め、かさついた唇を左右に振って抵抗感を楽しむ(?)ようなことをするのって自分だけではないことにちょっと驚いた。でもって、そのわずかな文章の中で「あ、この恋愛は終わったんだな」と想像させるところもうまい。
次は、単行本が出たら買ってみようかな。
映画を見に行こうと思っていたのだけれど起きたのが昼だったのですっかり行く気をなくしてしまい、家で本を読んだりしてだらだらと過ごしていたら、電話が鳴った。リビングにいる夫が出るだろうと放っておいたら、彼から「お前の電話が鳴っている」と言われてPHSだと気づき、慌てて出たらおおたさんからのお誘いだった。
渋谷に飲みに行くというのでお店の候補を考えながらシャワーを浴びていると、夫がPHSを持ってきた。一旦外に出て話を聞くと、渋谷飲みは止めて、おおたさんちでワイン持込み飲み会をやると言う。途中、乗換駅の高級スーパーでワインとチーズを買い求め、のこのこと訪問した。都心に出るわけじゃないし、と、すっぴんである(まあ、化粧が下手なので、あんまり変わらないけどね)。
聞けば昼間から飲んでいるということで、皆さん、この長丁場お疲れ様です。鍋はMZTさん作だったが、影の支配者はおおたさんだった。野菜ときのこ(の筈が、肉も…)たっぷりのお鍋をもりもりいただく。なかなか面白かったので、うちでも挑戦してみよう。この鍋、どっかで、聞いたことがあるんだけどね、どっかで……。
本の話題よりもボードゲームの話で盛り上がってた気がする。それにしても皆さん、よく知っていて、感心する。私なぞ、古いことは忘れてるし、あんまり本も読んでなかったからなあ(当社比)。ただひたすら「へ〜」「ほ〜」。
23時過ぎて、申し訳程度にちょっとお皿などを洗ってみたのだが、あの程度では焼け石に水だったかも。いつもいつも済みません。でも、ぎりぎりまで楽しめてよかったなあ。あと、なつタンにも今回はちゃんと会えたし。参加者の皆様、お疲れ様でした。おかげさまで、楽しいひと時を過ごせました。
チェコスロバキアの映画監督、カレル・ゼマンの作品を観てきた。渋谷のシアター・イメージフォーラムにて。今まで周囲で言及する人がいても殆ど興味は無かったのだが、先日「ブエノスアイレスの夜」で予告編を見て、激しく興味を覚えた。
観たのは「悪魔の発明」と「ほら男爵の冒険」。どちらも、リマスター版だそうだ。「悪魔の発明」はジュール・ヴェルヌの原作。自らの能力が悪用されていることを知らずに研究に没頭する博士に何とか事実を伝えようとする弟子が主人公。ストーリーは単純ではあるのだけれど、実写と人形と絵の部分、そして造形でのフィギュアやアニメーション、そのイマジネーションと想像力には舌を巻いた。技術が乏しい時代だからこその最大限の工夫が凝らしてあって、キッチュで古いのに、それが逆に現代ではゴージャスで新しく感じられる。昔の映画(1960年代だ)なので古さを感じずにはおれないだろうと思っていたのに、そんなものは微塵も感じなかった。逆に今だったらCGに逃げてしまうところの趣向と奇想が素晴らしく、もう一度観てみたいと思った。DVDが出たら買うかも。潜水艦の造形とか、水中自転車とか、機械類もとても美しく、見ているだけで楽しい。そして、中欧・東欧の美形の方たちは、やっぱり、本当に、飛びぬけて美形なのだなあ、と、そんなところについ感動してしまった。
「ほら男爵の冒険」は、恥ずかしながら結構な部分を寝て過ごしてしまった。全体的に、美しくはあるのだけれど、ストーリーは平板なところもあるのだと思う。最近、映画を観ても寝ないようになっていたのだが、前日の寝不足が響いていた模様。それでも物語は追うことができたし、場面場面を観ているだけでもとても楽しい。ほら男爵のエピソードがふんだんに使われていて、記憶を掘り起こしながら楽しんだ。しかし彼は結局のところ、シラノ・ド・ベルジュラックの様に恋の道化となってしまったもの悲しい結末ではある。しかし、彼らに月面着陸一番乗りの座を奪われてしまった宇宙飛行士トニークと、囚われのビアンカ姫とのロマンスは身勝手でまた美しく、こういったロマンスを絡めるのは当時のスタンダードな手法だったのかなあ、とも思った。「悪魔の発明」にも若干薄いがロマンスがある。
こちらも造形が素晴らしく、特に向かい合った魚が対称的に近づいて尻尾だけの状態になり、それが蝶となる場面にはうっとりしてしまった。後は、主人公たちを執拗に追ってくる、紅色の煙の美しさとか。
彼は、ジュール・ヴェルヌの作品に子供の頃から親しみ、ジュール・ヴェルヌ作品の映画化では名高いジョルジュ・メリエスに憧れていたそうだ。
ちょっと変わったのが好きな方々なら、どちらも、観て損は無いと思う。今のうちに観ておけ。
野ブタ。をプロデュース(白岩 玄)』クラスでも人気者の高校二年男子が、不恰好で根暗な転入生をプロデュースして、学校の人気者にしてしまおうと画策する約一年を描く。
転入生と言えば美少女だろ!のセオリーをひっくり返して登場したのが、小谷信太(しんた)という、デブでのろまで勘が悪い男。期待はずれでしっかり無視された信太に、クラスの人気者の修二は「弟子にしてください! あなたみたいな人気者になりたいんです」と縋り付かれる。迷惑に思いつつも自信満々なこの男は、信太のプロデュースをするということを思いつく。自ら仕掛けて、信太をクラスの人気者にするのだ。
なかなか面白い発想だと思った。信太を「のぶた→野ブタ」と蔑称するあたりや、彼を嘲笑する場面やら、とにかく修二の陰険さが見え隠れする。彼は、自らも自らをプロデュースしているのだ。取り繕っている自分を称して「ぬいぐるみをかぶっている」と言うが、なるほど、うまい表現だと思う。人との距離を敏感に感じるがゆえに「ほどほどの距離」を求めてしまうことが、かえって相手を傷つけていることになる。まあ、当人はそんなことは知っての上のことなのだが。そのジレンマの心象描写は結構リアルで、まあ、こういう実感を筆者本人も体験したのだろうなあ、とは感じる。この作品自体は、結構面白おかしく読めるものではないかと思う。
ただ、特に前半なのだが、無駄な言葉が多いような気がする。気取った修二の世界だからかも知れないが、やたらと形容詞が多くて苛つく。後半、あまり気にならなくなったのは、実際その癖がなくなっているからなのか、自分が慣れただけなのかは改めて読み返してみないと分からないのだが。そういう意味で、次にどんな作品を出してくるか、だろうなあ、と思う。今の状態だと弾切れになりそうな予感もあって、いい意味では可能性は未知数、となるだろうか。
ただ、文藝賞は「アリ」だろうと思うのだが、芥川賞はどうかなあ。
チーズスイートホーム(1) (モーニングKCDX (1943))(こなみ かなた)』親猫や兄弟との散歩からはぐれてしまった子猫が、とある一家に飼われ、家族の一員として日々を過ごす話。とにかく、丸顔の猫がとても可愛い。猫にはあまり縁が無いし興味も無い方なのだが、昔、近所の友達が子猫を拾ったとかで見せてもらいに行ったら、本当に手のひらに載るくらいの大きさで驚いた。この主人公のチーも、そのくらいの小ささだ。「週刊漫画モーニング」で隔週連載しているのだが、どうして青年漫画誌にこんな漫画が? というような一作。赤ちゃん言葉がちょっと気に障るけれど、そのうちそんなものはなんでもなくなる(それどころか、魅力にも)。
なぜこの漫画が楽しいか、というと、お父さん、お母さん、ヨウスケという現代的な家族の中で、子猫がどういう位置を占めることになるか、という、そういう情景を描いたところにあるかも知れない。ちょっとおしゃれででもあたたかい心を持つお父さんと、明るくやさしいお母さん、そんな両親の愛を一身に受け、すくすく育つヨウスケ(2歳半から3歳くらい?)。そんな中で、チーは二番目の子どもに見えるときもあるし、家族の中の異分子となることもある。何せ、言葉を解さないので、勘違いをしたり、生意気なことをやって人間を傷つけてしまったりする。そんな中で、ヨウスケは一人っ子でありながら、弱いものを助ける気持ちとか、譲歩の必要性などを身に着けていく。まあ、そんな難しいことを描いているわけでもないのだが、ただの猫萌え漫画では、単行本を買ったりすることも、雑誌を開いたら「はるか17」かこちらか、というくらいの位置を占めることも無かったと思うのだ。
後は、やはり設定として「犬猫禁止の貸しマンション」に住んでいるという設定だろう。最初は飼い主を他に探す予定でひとまず拾ってくるのだが、結局は一人も見つからずにとうとう、こっそり飼う決心をする。ここまでで1巻の半分くらいが費やされるのだが、お父さんの逡巡具合はなかなかに愛らしい。最初は重ねられた本やダンボールを伝ってでなければ出窓に上がれなかったチーが、それを禁じられたために自力で出窓に飛びつく練習をする場面(蛙が柳の葉に飛びつく練習をするようなもん?)の前にヨウヘイの服が身体より小さくなったエピソードが軽く添えられており、双方の「成長」について描かれる場面とか、どうやってもトイレ教育ができず、しかしヨウヘイの機転で解決する話(ここもヨウヘイのトイレ教育とセットになっている)とか、エピソードの組み立て方もうまいなあ、と思う。
さらっと読める話で、全編カラーで絵も可愛くきれいなので、興味がある方はぜひ。mixiにコミュニティもあってびっくりしたよ。
書影が別の本のものになっていますが、リンク先は確実にこの本です。その内直るだろうと思って(amazonはよくそういうことがある)放っておいたのだけれどまだこのままとは。連絡してみようかなあ。
ところでこの本のタイトルだが、なんだか散文的で、一体著者はここで何を主張しようというのか、啓蒙しようというのか、分かりにくくないですか? 何となく、ネタとするものは分かるのですが、じゃあ一体、そこからどんな話しに持って行きたいのか、というのが見えない感じ。そういう訳で買ってしまったという物好きです。
今の世の中、監視社会への道を進んでいる、などと言われているのだけれど、人間はもともと、そういうことを行いながら日々を暮らしているわけなんだよ、というような話をしています。でもって、メディアを通じて情報に触れるということは、自分は誰かに見られない安全なところで、厳選・整理された(?)情報を得られるという訳。都市化された群集の中で、人々は絶えず観察を行っているんだ、なんてことを言っております。その中で、「見ているものと見えているもの」とか、「見ると観察の違い」みたいなことを、数多の探偵小説から例を挙げて説明しているという仕組み。結構最近の新本格系の小説も採り上げているので若い人かと思えば、私の両親よりも年配の方でびっくりした。内田康夫の作品のキャラ浅見光彦(私はテレビの二時間ドラマでしか見たことが無い)がよく採用されているのは、もしかしたら筆者が好きなのでしょうかね?
何となく、言わんとすることは見えてきたような気がするのだけれど、全然結論が読めない。群集というのは都市の都市化によって人間が集中することで発生したもので、個々人が集合することで無名化するといったところから、だからこそそこから人々は無意識に情報を得ようとしており、それらを職業的観点で「観察」するのが探偵、したがって彼らは都市の誕生とともに成立する職業であること、などなど、特に最初の方は何度も同じような文章が出てきてまどろっこしく、途中で投げてしまおうかとも思ったのだけれど、段々話が進むようになってきたので一応このまま読み通してみたいと思っとります。
だー、相変わらず飛ばしてます。特に、直木賞候補の本田孝好の作品への評価が! 作品は読んでないのでほほう、そんなものなのですか、と読んでるだけなのだが、後で各サイトでどんな評価がされているか見てみよう(自分で読む気はまるで無し)。それにしても、確かに恩田陸が候補に入ってないのは謎です。
芥川賞候補のところでは何度か「これはエンターテインメント側では?」といった指摘がありますが、一部しか読んでいない私もそうは思っていたので何となく納得。特に、「文藝」と「すばる」の新人賞で出てくる人は、そっち系の人がなぜか多い印象があるんだよなあ。「文藝」は文芸誌がこれしかないから分かるけど、「すばる」は「小説すばる」もあるのに、何でだろう? 「文藝」は、既存の純文学や文学賞に対するアンチテーゼ的な面があるんじゃないかと勝手に思ってるので、いろんな人が出てくるのは分かるんだけど、だからこそ、芥川賞候補に受賞作が出てくると違和感がある。因みに、鈴木清剛が純文学カテゴリなら山崎ナオコーラもそうだろう、と私は思っております。白岩玄は、綿矢りさが出なければ出てこなかったろうし、『蹴りたい背中』が無ければ『野ブタ。をプロデュース』も無かったろう、というのは、何となく思っていたところ(特に、冒頭主人公がクラスで孤立している人たちをバカにするところなんて、明らかに『蹴りたい背中』の冒頭を想定したものだろう)なので、深くうなずく。
しかし、阿部和重は、前回は朱鷺(と皇太子夫妻の嫡子問題)、今回は幼女性愛趣味、とタイミングが恐ろしくいいというか、何というか。『ニッポニアニッポン』のときに確か彼の友達の誰かが「阿部氏の作品テーマはタイミングが良すぎる」とどこかに書いていたような気がするんだけど、青山真治だったかなあ?
MM/本のメモが発展的解消(いや、まだ継続してるけど)をして1470.net上にメディア以外のものもメモできるツールとして公開された。早速使ってみたのだが最初はどうやっていいものやら見当がつかずおろおろ。暫くしてからページ上部にある「Bookmarklet: MMにmemo!」とあるものをOperaのツールバーに追加してみて、該当ページでこれをクリックすればいいことに気がついた。おー、ここまでが長かった。猿から、類人猿くらいまでは進化しただろうか?
私のページはこちら。自分のページを作るにはType Pad認証が必要だが、これは以前にやっておいたので、比較的楽チン。公開されている状態ではあるが、「どこでもメモ」として使えるということだろうか。
なお、何となくこのcssは、tDiaryなんかのと共通になっているような気がしなくも無い。ということは、そのうちスキンの着替えなんかもできるのだろうか。……と書いていたら、ʤ! - MM¸ (16:53) , mylisttDiaryơߴˤƤߤ (18:40) , ĤǤ (19:59) , Ȥ櫓 (20:12)というエントリが。
はぁ〜、
喜びも、中くらいなりおらが春
という感じでしょうか。いや、嬉しいんだけれど、なんかフクザツ。今回とらないと多分永遠に取れないだろうことは分かってるんだけど、とっちゃうと「ええ〜、とっちゃったの〜?」と感じてしまう、贅沢な私であった。
直木賞はまだ決まっていないようだ。こちらこそ鉄板かと思ったのだが。二作目を出すか出さないかで紛糾してるのかな?
追記。直木賞は角田光代の『対岸の彼女』。角田光代は読みたい、読みたいと思っていたのだけれどなかなかその機会がなかった(若手女性作家のアンソロジーだけ読んだことがあって、それで興味を持った)。TimeBookTownで『
まどろむ夜のUFO (講談社文庫)(角田 光代/斎藤 美奈子)』があったので早速ダウンロードしてみた。と言ってもインターフェースがアレだから、文庫を買った方が早かったかも知れないけど。ところで彼女、この作品で野間文芸新人賞をとっていたのだね。海燕新人文芸賞がデビューだし、純文学寄りだったんだな、元々。
ブックファースト渋谷店と旭屋書店渋谷店を見てきたけれど、ディスプレイはようやっと、といったところのよう。ブックファーストは、どうやら、全バージョン用意していたようだ(笑)。新刊コーナーのど真ん中に「文藝」の阿部和重特集と角田光代特集が棚差ししてありましたが、そこに金色のプレートを飾った模様。旭屋書店のポップでは、阿部和重「グランド・フィナーレ」が今月末に単行本化、という情報がありました。これ一本なのかな? 他の、未収録の短編は? もしかして、2004年1月号の「新潮」に掲載された「馬小屋の乙女」が同時併録って、あり得るかな? こちらも神町サーガのひとつ。
「「書店」の大いなる楽しみ方―いま大きく変わりつつある書店の最新情報―」という特集。ܲΤۤ経由で知ったものだが、どんなものか読んでみた。 確かに、最初のお気に入り書店紹介で小倉智昭に聞いてもなあ、という感じ。自分がいるお台場周辺の本屋を挙げているだけだし。他の人はなるほど、の内容だけれど、山本一力が古書店一店のみの紹介になってしまったのはいかがなものか。古書店も新刊書店も書店には変わりないのだけれど、やはり書店といえば通常新刊書店を思い浮かべるし、自分の作品もそこで売れるわけだから、そういう気配りも欲しいなあ、と思った。地元に馴染みの気の利いた書店があるのは羨ましいなあ。まあ、いいです。私は渋谷が地元ってことにしておきます。
東京堂書店ふくろう店は年末に通ったところだが、坪内祐三棚があるとは初耳だった。寄ってみるのだったなあ。新刊以外にも揃えており、そこでは1980年代の街の書店の棚を想定しているのだとか。各記事は、そこそこ面白くて、業界の人には当たり前かも知れないけど、素人には濃すぎない情報が入った特集なのではないかと思いました。そのうち「裏原宿」ならぬ「裏神保町」には行ってみようと思う。
ただ、第一特集が新興IT企業への転職(及び業界研究)特集で、会社で読むのはちょっとまずいかも(笑)?
比較的近い某小料理屋に出没。ここは客接待をほとんど一人で切り盛りする着物姿のママが魅力的で、しかもカウンターの中で働く人は、全て女性! 多分、3か月くらい来ていないのだけれど、結婚当初から来ているので、よく覚えていて、顔を出すたびにパーッと明るい顔を見せてくれるのが嬉しい。
鍋を頼んだら、暫くしてママが済まなそうに私の隣に座る(カウンターが満席で、偶然空いていた唯一の椅子のボックス席に通されたのだ)と、「ごめんねえ、白菜が、もうほとんど無いみたいなの」と告白(?)。別に鍋じゃなくてもいいのだけれど、もののついでに「別に色んなものぶち込んでいいですよ」と返したら、いい物が沢山入ってる鍋が来た。白子が沢山あるよ! ほとんど夫が食べちゃったけど。
その他、日本酒になってからしめ鯖(夫の好物)と、旬の物の天然鰤の刺身を頼んだのだけれど、鰤の、脂がのっていて、しかもあっさりとした味わいで身の締まっていることといったら! 口に入れるたびに「ぽややや〜〜ん」。しかし、ここでノックアウトされてはならぬ。最後に、鍋の残りで雑炊を頼んだのだが、見た目は普通、しかし、ひと口口にしてびっくり。なんだ、この柔らかで濃厚な味は。もう、これで改めて「この店恐るべし」と思いましたですよ。何だろう、まるで、白子を裏ごしして入れたかのような濃厚な風味が。
そういう訳で、今年一年もお世話になります。
Wiki博覧会の参加者募集が始まりました。Wikiに興味のある方は是非。今回は、蒲田のホールで発表を聴講する形式です。その後に懇親会もありますので、ご都合の付く方は是非ご参加下さい。本会後は、希望者のみで懇親会も催される予定です。
私はスタッフ側で出席します。
阿部和重があのテーマの小説で受賞したこともあり、一般的なメディアがどう反応するのだろう、と気になってはいた。NHKのニュースでは、7時台の時は「特殊な性愛趣味」という感じの紹介だったようだけれど、10時台には「ロリコン」という単語が。だって、掲載誌の目次での紹介がそうだったもんなあ。
で、選評は来月号の「文藝春秋」なのでまだ読めないのだが、やはりというか、石原慎太郎は最初から最後まで大反対したらしい。対抗馬が白岩玄の『野ブタ。をプロデュース』だったらしが、もしかしてシンちゃんはこっちを推してたわけ?
ݡ(スポーツ報知)
はあ、薄っぺらい、ねえ。主人公のプロフィール紹介は他のところより真実の姿に近いけど、小説、ちゃんと読んだのかな? さらっと流しただけと違う? というか、彼は普段、小説を読んでいるのだろうか?? 阿部和重が今までどんな小説を書いてきたか、知っているのだろうか?? 今までの、彼の作品へどんなコメントを寄せてきたか、知りたくなってきた(阿部和重は今回を含め過去4回芥川賞にノミネートされています)。
ところで、地元である山形では、彼の実家のすぐ目の前にあるというあすなろ書店の店主・村田さんは、とてもいいこと言ってます。というか、『シンセミア』を、こんなにちゃんと読んでいるなんて。やはり地元では、あんな変な内容の作品(しかも大洪水が起きるしな)の舞台になったことに複雑な気持ちの人もいるようだけれど、これは仕方ないよなあ。しかも、彼の家はこの記事でも出てくるけどパン屋さん。『シンセミア』でも出てきてたけど、こういうタイプのパン屋さんは、修行した店からのれん分けをして貰って開業していたので、店主の名前と屋号が違うことがほとんどなのだよね。私も、古くからお世話になっているおじさんが経営するパン屋さんがこの形式なので、そういう形式は以前から知っていたのだけれど。余談が多くなってしまったが、記事はこちら。
東根市出身阿部和重氏が芥川賞 (asahi.com/MY TOWN山形)
近所のスーパー併設のブックショップにて。このくらいは売ってるもんなんだね。双葉文庫が、結構鬼門なのだけれど。金曜の帰りにちょっと寄った某チェーン系書店にはありませんでした。
『本棚探偵』は、以前単行本の初版を買ったのだけれど、結局全然読まなかったので、反省して次の巻が文庫化するまでこれでも読んでようかなあ、と。それにしてもこの帯すごいですね。
石井女王様が発売当日、開店前に先頭に並んでゲットしたこの文庫を、一週間後よしださんが百円均一台で拾い、十年後に彩古さんが十万円で買うだろうと日下さんが予想する爆笑エッセイ集!
こんなうちわ受けな帯ってありますか(笑)。まあ、そういう方々が商圏なのだろうけれど。多分、巻末の対談のエッセンスを抽出したらこうなったんだろうなあ。しかし、いくらなんでも出て1週間後には100円均一ってことは無いと思うけど……。
※あとで書き直します。 確かに、カメラワークが独特。目線に近い、というか、カメラが生きているような感じ。しかし、北欧の男性は、ハンサムですのう(って、中欧の人にも言ってなかったか?)。イタリア語講座に行っても出会いがあるとは限らないけどね。
新宿テアトルシネマスクエアにて。
面白かった! 演出がさり気なくて、とてもうまいのね。ちょっとしたくすぐりも入れてくれて笑えるし、造形が素敵。あのデフォルメは圧倒された。
シネスイッチ銀座にて。
実在の詩人、シルヴィア・プラスをモデルにしたお話。こちらはただひたすら、辛かった。美しく聡明なシルヴィアが若く才能に溢れる詩人に恋をし、彼のために行きようとするが――。
彼女は、平凡で満たされた幸福というものが、信じられないのだろうね。そうであればあるほど、隠されているに違いない(と信じ込んでしまう)幸福のほころびを必死で見つけようとする。それは、偏執的で妄想にも近いのだろうけれど、彼女がそうやって夫を根も葉もない事実に怯え、彼を執拗に攻撃するのに疲れ果て、二人は別れることになってしまう。
この人は、彼じゃなければ、もっと違ったタイプの、何もかも受け止めてくれる人であればやっていけたのだろうけれど、多分、それでは満足しないのだろう。彼女の母が、そういったことを口にしている。出会うべくして出会い、なるべくしてなった結末なだけに、我がことのように心が痛んだのだ。
作品がところどころ朗読されるのだけれど、確かに、目を惹くフレーズが沢山出てくる。本来であれば溢れるような感性と言葉を持った人だったのだろう。そうして、満たされていないと感じる時の方がその感性が一段と冴え渡るというのが、この上もなく不幸なことのようにも思えた。
しかし、決して哀れではない。彼女は、魂と魂が結び合った人と出会い、愛しあうことが出来たのだ。そんな幸運、なかなか訪れることはないだろう。
ナイトメアー・ビフォア・クリスマス コレクターズ・エディション [DVD]」アイロン掛ける時間はあまり面白いテレビ番組はないのでこの際DVD観るか、と、日本語吹き替え(じゃないと無理)で観てみた。
おおおおー、確かに「シザー・ハンズ」を初めとしたティム・バートンの世界の源泉がここにある! びっくり。あれって、結局はハロウィンの国は子供の国で、そこに拉致されたサンタ・クロースだけが大人で現実を見ている、ってことかなあ、なんて思った。
特典映像の、二本の映画を観るすべを知らず難儀していたのだが、メニューの下の方に右向き矢印があったことに気づいた。ああ、そういう訳か。出荷ミスだと心配ました。このナビって、もう少しうまくできないものかなあ。
「ヴィンセント」は、これはティム・バートンの自伝? と思えるほど。7歳の、怪奇俳優に憧れる子供が彼そっくりでした。妄想逞しいのね。「フランケンウィニー」は、電気ショックで甦らせた飼い犬(交通事故に遭って死亡)をめぐる一騒動。実は、犬が再度甦る方ではなくて、主人公がその対象になるというのを考えていたのだけれど、それは邪悪すぎるだろうか?二本とも、一貫してこういう世界を描いてきたんだなあ、ということが分かる作品でした。オマケ映像も一つ一つ見ちゃった。今度は解説音声付きでもう一度観てみる予定。
観ている最中ツッコミ入れてたら、夫に「何、感情移入してんだよ」と言われたけど、感情移入ではないんだけどなあ。でも、彼にとってはそうなんだって。アイロンは全部かけ終わりました。
amazonで商品が見つからないときは、大抵犬がこちらを見上げている画像がお目見えすることだろう。さっきまでは、それが404エラー時の画像だと思っていた。
掲載した画像(クリックすると大きい画像で見ることができる)を見て欲しい。これは、れっきとしたamazonの画像だ。たまたま、先週終了させたセッションのままでOperaを起動したのだが、amazonのウインドウでこんなのが出てきたので、目を疑った。どうやら、アカウント・サービスで、以前に注文したものの状況がどうなっているか確認したままで終了させてしまっていたらしい。先週とは状況か、ステータスを表示するパラメータが変わったため出てきたものだろう。
な、何なのでしょう、この3歳児が描いたオバQみたいな絵は。可愛いと思う反面、何か、バカにされているような心持も。いや、これはいいネタが見つかった、とも思ったのだけれど、既に世間では有名で「1年も前に話題になっていたぜ」と、私だけが感度が低かっただけなのか。
※風野さんにリンクして貰ってるようで嬉しい(笑)。下の、向井さんへのお返事にも書いてますが、これは「アカウントサービス(出荷はまだか、とか、bk1ではあまり必要じゃないけどamazonでは頻繁に使いたくなるサービスですね)」のところでオプションっぽい数字ひとつくらい抜いてみると出てきます。他のところでは、私もまだ確認したことがありません。
今週のAERAに、「阿部和重の待った10年」という1ページ記事があります(p.67)。比較的違和感の無い内容だなあ(笑)。まあ、朝日新聞は『シンセミア』も出していることだしね。でも、理想の形は、去年『シンセミア』で三島由紀夫賞を受賞して、「やっぱり芥川賞は目の付け所が悪いなあ」という結果に終わることだったかも……。どうしても「今更感」が、ねえ。
文芸評論家の中俣暁生氏のはてなダイアリーでは
と、今回、または最近の芥川賞・直木賞をめぐる言説を俯瞰しての分析や提言、保坂和志と阿部和重という"90年代作家"の10年、など。前々回辺りからのマスコミの一面的な採り上げ方や、芥川賞を「短篇小説に与える賞にしては?」とする理由は納得するなあ。
それと、文中に出てきている古谷氏の「偽日記(1月15日)」で指摘されているが、今回の「グランド・フィナーレ」における「会話」の問題。私は逆に、阿部作品の初期の「語りと騙り」「一人称と現実」といった乖離が好きだったので最近、そういう方向には行ってないなあ、とは思っていたのだけれど、そうだね、逆に「会話」の出現がキーとなるんだな。そういえば、『シンセミア』でさえ、あれだけ沢山の人間が出てきているにもかかわらず、まともな会話は成立していない。前回候補作の『ニッポニアニッポン』に至っては引きこもり青年の話だし。今後の作品も読みつつ、この辺を考えていこう。
あ! そうだ、すっかり忘れてた。文芸評論家(……とご本人は名乗っていないのだが、そう書いてもいいだろうか?)の栗原裕一郎氏が、芥川賞の定義について書いている。
要は、芥川賞候補になる可能性のある作品がそうだという訳だが論理的には正しいのだけれど、説得できないよなあ(笑)。しかし、「文學界」2005年1月号の「新人小説月評」で池田雄一氏の指摘は、言ってることは同じだけれど納得できるなあ。まあ、栗原さんもご指摘の通り、じゃあ何でそこにも採り上げられていない阿部和重が……? ってことになるんだけど(笑)。
ブックファースト渋谷店にて。
池澤夏樹の本は京大での集中講義録。期待していた以上に面白そうなので、早めに読みたい。話しの中に出ている10冊は、Wikiの方に挙げてありますので興味のある方はご参照下さい。それにしても、そう考えると水村美苗と辻邦生の往復書簡集、『手紙、栞を添えて』に出てくる作品群(「手紙、栞を添えて/参考作品一覧」を参照)に似てくるね。まあ、やっぱりそういうものなのでしょう。『ノリー〜』は、エキサイトブックスの記事「ȤˤϲΥĥܤ ȤΤʤʪ줢뤤ϥ줬줬(1/4) ̴ | Excite : ֥å」を読んで、やっぱり読みたくなってつい。『肉体と読書』は、もうずっと以前に出るはずだったのになかなか出てこなかったので、去年までは何度か著者名で検索してたんですよね。で、そういうことも忘れた頃に突然出てました(笑)。
んー、タイトルと同じ印象が、ずーっと本文中も続いている。都市と、都市という性質が生み出した探偵という存在について延々語っている。都市は、各地からの人口の流入で周囲は見知らぬ人ばかりになり、人を不特定多数の存在にしてしまう。そこに潜り込むようにして観察しているのが「フラヌール(徘徊者・遊歩者)」的存在の探偵であり、彼は、事件があるとまずは関連する事実を収集し、整理し、推論し、解を出す。探偵は、事件前には存在していた秩序を取り戻すために呼ばれるよそ者な訳だが、時にはそれを破壊してしまうことも多い。
……ということを延々書き続けているような気がする。しかも、ちょっと退屈だ。確かに、そういう概念を整理してくれるのはありがたいのだけれど、上記のような纏めで十分じゃないかと思えてしまうのだ。色々と例を挙げて説明してくれるのに、ひどい話だとは思うが。
大都市化というものが探偵を生み出した。それが19世紀半ば。エドガー・アラン・ポオの「群集の人」が、その発端ではないかと言う。ここでの主人公は、まさに「フラヌール」である。そこから、「モルグ街の殺人事件」へと続き、ポオは、「群衆の中の観察者」としての、探偵のイメージの基礎を築く。そこから、シャーロック・ホームズへと続くらしい。
我々は、不特定多数の人たちと同じ空間に生きている。雑踏の中で多くの人とすれ違うときに、我々はいちいち彼らに興味を見せない。それは都市を歩くための術であり、逆に自分もその中に埋没しようと、奇異な格好と行動は避けるよう努める。みんな「よそ者」なのだが、みんながそうであれば、「よそ者」ではなくなる。ここでは、全員が埋没を心がける中で目立ってしまう人が「よそ者」的な扱いを受けるのだろう。そして、みんな「興味を見せない」振りをしながらも、絶えず周囲を観察している。観察し続け、奇異に思わないものはそのまま脳をかすって離れていってしまうから、気づかないだけだろう。
と、まあ、こんなことを読んで考えながらそろそろ最後に差し掛かっているのだけれど、やっぱりドラマチックな展開があるようには思えません。まあ、いいんだけど。
たつをさんが永谷園の「おみそ汁の大革命」を紹介されているが、これ、私も好きだったのだ。お昼用にいそいそと買っていたのだけれど、ある日店頭から無くなって悲しんでいた。それから半年くらい経ったのではないかと思う。たつをさんのこの記事で思い出して暫くぶりにお味噌汁コーナーを見たところ、大きな包みではなく、ひとつ1回分で売っているタイプのが陳列されていました。しかも、たつをさんの紹介された「その1(長ねぎ・油あげ・キャベツ・わかめ)」だけではなく、「その2(かぼちゃ・絹さや・キャベツ・わかめ)」まで。
http://www.nagatanien.co.jp/shouhin/product_list.php?MCODE=j
今日は「その2」を食してみたのだけれど、かぼちゃがぼそぼそした感じでいまいちではある。それでも、戻ってきてくれたのはとても嬉しいなあ。
via Watch
DDIݥåȡҤΥݡ졼ȥȯɽを受けて。
DDIPocketからWILLCOMへ社名変更(以外にも色々あるのだが)したのを機に、かねてから話のあった1Mbps超のプランを発表したとのこと。つなぎ放題で1万円超、と、ちょっと高いけれど、ニーズはあると思う。これよりもライトなプランがあるといいんだけどなー。まあ、ネット25でも十分な気がするけど。
あー、でも、カードがType2なのか。そのうち、小さいタイプも出るかなあ?
って、別に私だけがターゲットというわけではない。
が、帰りにすぐ近くのコンビニに寄ってびっくりした。ビールの棚に、 GUINNESS DRAUGHT がたーんとあります。5列くらい占領? 近所のスーパーに置いてあるのはEXTRA STOUTなので「これが DRAUGHT になれば」と思っていたのだが、まさか、こんな形で叶うようになるとは。
調子に乗らないよう、気をつけなければ。
半年くらい前までは「黒ビールなんて」「ギネスなんて」とか言ってたくせにねー。
ただ、この缶ビール、それらしさを出すために、中にピンポン玉みたいなの(「フローティングウィジェット(Floating Widget)」というらしい)が入っているので、捨てる時には一旦缶切りで上を開けて、玉を取り出してから捨てなきゃならないのがちょっとめんどくさい。
うーん、ますます微妙。読んでいて、決してつまらない内容では無かったのだけれど、私は新書には「知っている人が知らない人にわかり易く教える」というイメージを抱いているので、こういった、よく分からないものは評価の対象外だったりします。
群集という概念は、社会心理学の分野では、ずっと調査対象からはずされてきて、やっと光が当たったのは19世紀末のことだったらしい。社会学者のル・ボンが1895年に『群衆心理』という本を出しているようだ。しかし、19世紀中葉から既に小説では、この概念が出てきているのだ。探偵小説の祖は、エドガー・アラン・ポオの『モルグ街の殺人』だと言われているが、彼がその前に書いた『群集の人』という作品で、既に雑踏の中から老人を見出し、彼の後をつける、といった内容のものを書いている。探偵は、群衆の中に身を投じてその中から情報を得る存在と考えれば、この作品で既に成立していたのだろう、という話。因みに、このような「群衆の中を歩き回るもの」を「フラヌール(遊歩者)」と称していて、探偵にはこの素養は不可欠であると語っている。
そういう話から、探偵というのは、群衆の中に溶け込みながら常に第三者の目で彼らを見ることができ、その中から必要な情報を収集し、分析し、答えを出す存在だと言う。また、探偵というのは常に事件が起こったところの第三者的な立場で登場して「事件によって秩序が乱れた現場」を元通りにするために動くわけだが、結果、更に秩序やこれまでの「平穏」が壊され取り返しがつかなくなってしまう状態も簡単に招きうる、という。
事件を調査するということは他人の秘密を引き出すことであり、事件がおきることで、ある隠された秘密が露呈してしまう。通常、人は秘密を暴かれることを避けようとするから探偵は「歓迎されざる存在」となってしまうのだろう。また、探偵が事件の当事者らに疎んじられる訳は、その場の人間関係を全く無視し、全員を「容疑者」としてフラットに見るからだという指摘もあった。事件の事実を探り出し、白日の下に晒す、という役割として同じところから出てきているのがレポーター(記者)だが、記者の場合はそれを報道するという立場から「社会正義の代弁者」という役割が与えられ、市民権を得たのではないかと考察している。
……という感じで、過程はそこそこ面白いのだが、これが果たしてタイトルどおりの内容なのかどうかといわれると、首を傾げたくなる。何となく、それだけの話だったらよほど序章と終章を読んだだけで事足りるし、論旨も分かりやすいのではないかと思うのだ。中では古今東西の探偵と彼らの実際とった行動などが紹介されているが、ある定義を証明するために「これでもか」というくらい提示されていて、正直「もういいよ」という気分になってくる。この著者が探偵小説に明るいことは分かったから、勘弁して、と。だから、探偵小説の系譜、として読んだ方がまだ分かりやすいかも知れない。
都市化が進み、雑踏を歩いてすれ違う人すべてが「知らない誰か」である状態で、我々は絶えず彼らにアンテナを張っている。そういった緊張関係に晒されているため、家の中でテレビや雑誌を見て「もしかしたらすれ違ったかも知れない誰か」もっと突き詰めれば「私であったかも知れないだれか」の情報を、他人の目に晒されない安全な状態で閲覧することもある。そういった欲求が、ゴシップジャーナリズムというものを生み出したのだろう、と、そういうことを語っているのだと思う。見るも見られるもお互い様。ただしそこには、相互監視、社会監視という形で一定の歯止めがかけられている、と。
うーん、よくまとまらないけれど、こういうことをこの本から得ました。
世界文学を読みほどく (新潮選書)(池澤 夏樹)』池澤夏樹が、2003年の夏、京都大学文学部で1週間の集中講義を行った内容をまとめたもの。1日を2回に区切り、最初の日は概要、次の回からは各作品についての話をしていく。採用された10作品は、『世界文学を読みほどく』に挙げたとおり。ピンチョンの『競売ナンバー49の叫び』は偶然、このお正月に手に入れたところなので、これを読み終えたら手に取ってみようと思う。因みに、この講義で言及される作品リストは、講義の前に予め知らされていたようで、「全部予め読んでこいとは言わないしそれは期待してないが、最初の数十ページを読んで、文体(翻訳な訳だが)と作品のあらすじなどを知っておいて欲しい、と言っている――から、この本の読者も、読んでおく必要は特に無いと思う。読んだ後に読みたくなればそれはそれでいいことだと思うし。
講義の内容は、現在の出版状況の話から、小説というものの成立の話にまで及ぶ。今のような小説の形が出来上がったのは19世紀であり、そこから200年が経った訳だが、その間にどのようなことが起こり、どのように変化してきたのか、を、スタンダールからピンチョンまで通して語っていくことで見えてきたら、というもののようだ。恋愛小説の基本は、紀元二世紀ごろのギリシャの物語『ダフニスとクローニエ』で既に出されている。好きあった一組の男女が、途中数々の困難に遭い、試練を経て再会する、という形。これは、冒険小説にもそのまま応用できるものだろう、とも。教養小説にしても、基本的にはこの概念だよなあ、と思った。恋愛が中心ではないだけで。
彼の講義はとてもわかり易く、これを聴講していた人はとても楽しかったんだろうなあ、と思うと羨ましい。
ブックファースト渋谷店にて。
『ヤング・アダム』は、『猟人日記』。『自由という服従』は、あおり文句を見ると、かねがね思っていたことが書かれていて、つい手に取ってしまった。
ところで、レジのところには阿部和重の「グランド・フィナーレ」の単行本は2月7日発売予定という掲示が。あくまでも予定だけれど。(追記:某所では、1月末発売でFIXだという話。こっちは結構確実な情報、だと思う)
あとで、どうしてあの画像になったのか、amazonに確認してみるつもり。
ところで、例の猫もどき画像。本家アメリカのamazon.comはどうなのかとは当然考えた。あの絵は、もしかしたらamazonのCEO、ベゾスの子供が描いたんかなー、この親ばか!なんても思っていたのだが、実際にアカウントを持っているならのさんが試してみてくれたそうだ。で、真相は。
ただの、シンプルな「?」の画像が出てくるそうです。因みに、私もただの商品検索で試しにやってみたけど、商品のASINが見つからない時の画像、も至ってシンプル。犬は出てきません。
ASIN XXXXXXXXXX does not exist in our catalog. Would you like to try your search again?
とメッセージが出てくるだけだった。ということは、あのバケラッタのような猫(?)画像は、日本オリジナルということだろうか! これは是非、確かめてみなければならない。
…と、各国のamazonショップを見てみた。
中国が別システムってのはびっくりでしたよ。ところで、中国の配送サービス状況を見ると、なかなか面白いです。いや、中国語は大学の教養過程でやっただけなのでさっぱりなのですが。どうやら僻地(と言っていいのだろうか?)は、郵便小包かEMSを利用するようで、それってもしかして、「山の郵便配達」みたいに、えっちらおっちら山間部を歩いて 回ったりするのかしら、なんて。
そういう訳でバケラッタ……いや、あの猫が日本オリジナルかどうか怪しくなってきたので、もしも各国のamazonにアカウントを持っていらっしゃる方は、アカウントサービスで何かURIのひと文字を削除して、エラー内容を見てみていただきたい。もし、その結果が判明したら、是非教えてくださいませ。
その前にあの(見ようによれば)愛らしい画像を保存せねば、と、わざわざURIの一文字抜かして出してローカル保存した。さて、こんなアホな質問に、答えは返ってくるでしょうか? 乞うご期待(え、やるの?)。
グランド・フィナーレ(阿部 和重)
先日、第132回芥川賞を受賞した「グランド・フィナーレ」が2月上旬に発売予定だそうです。某所では再度「1月末発売」という情報も得たのですが、もしかしたら早く入荷するところ(神保町とか、ブックファースト渋谷店とか)は1月末くらいで、全国にはその後行き渡る、という感じなのでしょうかね。因みに、ブックファースト渋谷店では、昨日書いたとおり「2月7日発売予定」と書かれていました。amazonの方では、現時点では予約受付をしてない様子です。1月25日の時点で確認したところ、予約受付をしているようです。
昨日書いたことの続きと訂正だが、ならのさんによればamazon.co.ukの方は、犬とともにあのバケラッタ猫(と名づけましょう、もう)が出てくるそうです(因みにこちらでは、ukでもバケラッタ猫である証拠が見られます)。なので、昨日のパターンで照らし合わせれば、カナダもそうである可能性が高いですね。
と結論付けられるかと思ったら、mixiでカザノさんから「amazon.comでも犬画像が出てくる」という情報をいただきました。こちらです。
http://www.amazon.com/exec/obidos/subst/misc/404.html
ホントだ。……ああ、そうか。全部の国のサイトも、ドメインだけ変えてこのページを見ればいいんだね。
ほほう。やっぱり、ドイツ以外は出てくるか。あと、.comだけは画像のみを開くと、ファイル名そのものではないものが出てきます。で、そこから、この犬はおそらくrufusくんであることが判明しました。因みに、同じくファイル名からすると、あのバケラッタ猫はkaileyのようです。
ところで、ここで見える画像はすべてgif画像なのですが、同じくカザノさんからgrenade-small-white.jpgという画像もあると教えていただきましたが、出し方が分からん! 知ってる方、ぜひ教えてくださいませ。
追記。カザノさんから教えて頂きました。
これです。確かに、可愛い犬の画像が。因みに、これは他の国のドメインに置き換えても出ませんでしたので、もしかしたら日本オリジナル? ますます謎が深まります。
世界文学を読みほどく (新潮選書)(池澤 夏樹)』面白いです。今、2日目第3回の講義でスタンダールの『パルムの僧院』の話をしているところ。彼の話を聞くと(読んでるんですが)、思わず読んでみたくなってしまう不思議。スタンダールは、イタリア人になりたくて、憧れていたフランス人だったそうです。ほほう! そうして、『パルムの僧院』もそんなイタリアが舞台。この作品、口述筆記で一気に58日間で仕上げたというのだから、すごいですよねえ。
そして、実作者の人に講義をしてもらうというお題目の通り、池澤氏はスタンダールがどういう姿勢で作品を書いたか、とか、そういうことを推測したり説明したりとサービス満点なのだけれど、彼曰く、スタンダールは自分の物語には絶対の信頼を置いていて、しかも、主人公に惚れているに違いない、というのです。この辺りの解説はお見事。そして、執筆中は、作家というのは作家の部分と批評家の部分が並び立っていて、お互いが戦いあうものなんだ、なんて話をしています。批評家的なバランスが素晴らしいのが、丸谷才一だとも。へえ、そうなんだ。
一日目の「総論」は、話が多岐にわたっていて、一口で説明するのは難しい。ずっと昔、ギリシャ悲劇などの時には、厳然たる「神」という存在があって、物語や人物の運命は神が決めたものであり、帰ることができない運命を持ったまま、物語が最後まで疾走するんだ、ということを言っています。この辺りは、佐藤哲也の『熱帯』でとてもわかり易く描かれていると思うので、ギリシャ悲劇のお供にぜひ。そうして、それがシェイクスピアなどのもっと下った時代になると、神の手によるもの、というより、他の要因が物語を作り、登場人物を動かしていくことが多くなると言っている。この辺りの流れは、なかなか面白いなあ、と思いました。そうして、科学の話にまで及んできて、場の理論とか、「科学の説明が物語的になってしまうのは、結局はそういう形でしか人間は事柄を理解・説明できないからでは無いか。それが人間の限界なんじゃないか」とまで語っていて、なんだか話が大きく(時にはミクロの世界まで小さく)なっていきます。進化とは決して「進歩」ではなく、どちらかといえば「転化」であり、時代が進むにつれて必ずしも良くなるものではないし、一直線に進んできたわけでもない、といった話などなど、物語を受け入れ、噛み砕いていく上で肝要な話をしています。この辺りは、知っていることも多いけれど結構、はっとすることが多いです。
こういう講義を聴くことができただなんて、羨ましいなあ。さぞや濃密な一週間だったことでしょう。因みに、巻末付録として、なぜか『百年の孤独』の読み解き支援キットなるものが付いてます(笑)。後で読むときに参考にしよう。
先週、何気なくテレビをザッピングしてたら、韓国ドラマをやっていた。いきなり、サウナのようなお風呂の場面。というか、お風呂が一人分ずつ仕切ってあったりするので「もしかして刑務所?」と最初は思ったのだが。
で、そのまま興味を惹かれて見続けたら、これは既に8話目に入っている番組だということを知った。主人公らしき女の子(ハ・ジウォン)は、韓国女優にしては普通の女の子っぽい。しぐさが、深津絵里っぽいんだけど、気のせい? 続けてみてるとこの子は大企業の受付嬢だが、周囲からは疎んじられているっぽい。しかも、会社の有力者(チョ・インソン)やエリート社員(ソ・ジソブ)と仲がいい(?)から、嫉妬されてるっぽい。へえー。
そんなこんなするうちに、その会社の有力者(会社のある部署の「チーフ」らしいのだが、この企業オーナーの御曹司)とその婚約者(元フジテレビ女子アナの中村江里子にそっくりだ)は、彼女ともう一人の男を食事に誘うのだが、あー、これは四角関係なのね。エリート社員は婚約者の元恋人で、政略結婚のために男を捨てた。で、どうやら婚約者同士でバリに旅行に行ってるっぽいんだけど、そこで案内役をつとめたのがヒロインだったらしい。しかし、このヒロイン、ひどく貧乏そうなのに、どうやってそんなことできたのだろう? 既にDVDは売ってるらしいので、これは借りてきて見るしかないかなあ。しかも、このヒロインは二人の男の間で板ばさみになってるっぽいのだが、エリート社員の方は、どう見てもシザー・ハンズのエドワードな訳ですよ。しかも、ノーネクタイの変な白ワイシャツ着てるし。変といえば、もう一人の相手役の「チーフ」もかなり変。毛皮のハーフジャケットを着てるのだけれど、これが本当にかっこいいと思ってるのだろうか、この番組のスタイリストは? 色々と疑問が浮かぶ。
今まで数度見たところ、こんな話のようだ。韓国にはいまだ強烈な身分差別があって、しかも貧富の差も激しいため、この四角関係も、金持ち側と貧乏人側に分かれる。で、エリート社員とヒロインは、「隣のお兄さん」的な親しみから愛情へと変わっていくわけだが、チーフはあまり対人スキルを積んでないボンボンなので、ヒロインに対して裏腹(時には曖昧)な態度をとってしまう。なんというか、天然ですな。ヒロインとしては、お金持ちのチーフに惹かれるところがあるものの、目があるのはエリート社員の方なので、こちらに傾きつつあるが、今度はチーフの婚約者が黙っていない。で、お互いがお互いの相手を憎みつつ、しかし素直になれなかったり周囲から邪魔が入ったりして、関係は一進一退の状態が続くわけだ。日本には、こんな強烈な人間関係は設定できないものねえ。しかも、チーフのお母さんが強烈な個性を放っている。いきなりヒロインを平手で殴り飛ばすし。そこに、チーフのお家事情やら何やらが絡んできて、なかなか複雑(いや、単純だけどね)なドラマになっているようなのだ。
このヒロインのどっちつかずの態度はどうなのよ、とも思うけれど、彼女は、感情のほかに、どちらの方が自分が幸せになれるか、という計算が働いているのだろうなあ、と思う。彼女は、どうも貧乏のどん底にいるようだから、そこから何とか這い出したいだろう。まあ、その計算高さが今後どう出てくるか、なのだろうけれど。なかなか素直になってくれないヒロインに、チーフは子どもっぽい態度で接してしまう(でも、時々とても大胆なことをするのだが)ところがなんだか面白い。何かって言うと主題歌(ムード歌謡?)が流れるのは勘弁して欲しいけれど、まあ、面白いからいいか。
これは、以前に見ていた「イブのすべて」とは違って字幕式なので、俳優たちの声がよく分かる。それにしても、「にゃー」という言葉の響きがあちこちに。名古屋人ですか? チョ・インソンは、無駄にかっこいいです。身体がでかくて、形が整っている。酔いつぶれた時の寝顔の綺麗なことといったら。
前に書いた「バリでの出来事」のほか、以下のものを、何となく見ている。
街中でポスターを見るたびに「ジーンってなんじゃい、この人の名前かい」と内容が全然分からなくてそれで録画してみたのだが、変なドラマで結構面白かった。主人公は動物行動学の修士生(って言い方するの?)。人間の恋愛行動も「遺伝子が絡んでるからだ」と言う彼女は、かつて恋人に浮気され、「遺伝子のせいだ!」と奇妙な言い訳をされた経験があるのだった。で、その分かれた恋人が上司として、この大学に乗り込んでくるのだが……というのを、コミカルなタッチで描いている。このノリは月9ではないだろうけどねえ。実は、竹内結子ののドラマは初めて見る。まあ、結婚してからこっち、殆どドラマを見てなかったので、感覚も錆付いているとは思うのだが。
あー、昔、薬師丸ひろ子がやった?……って、それは「Wの悲劇」!
こちらは、謂われ無き(と受け取られる)復讐を受ける男の話。と言ったらひどく重いドラマになるんだろうなあ、と思っていたら、こちらもコミカルタッチなのでびっくりした。コミカルなのにそこはかとなく怖い。でも、これからどんな風にひどい仕打ちを受けることになっていくのだろう、そして、そんな仕打ちを受ける理由は、一体、どこにあるのだろうか、と、そういうところが気になる。多分、失意のうちに死んだというお父さん辺りが関係してるんだろうと思うけれど。長谷川京子はなんだかいまいち作り物くさい顔なのだけれど、無表情な役だから、まあ、いいか。
ゲイの戸川(鶴見辰吾)のところに押しかけてきた女(西田尚美)。そこに、戸川と同棲している若い恋人(三宅健)が絡んで話が進むのだが、どうやら一日の出来事を描きたいらしい。今日は二人の同棲記念日。だけれど、田舎から戸川のお母さんが出てくると言う。さて、どういう風に事態を収拾する??
どうやら、女は、昔ここに住んでいたらしく、また、お向かいの邸宅のご主人の浮気相手だったような状況が見て取れる。シチュエーション・ドラマなのでちょっと現実離れしているところもあるのだが、結構面白く観ることができる。
ただ、この番組は例の韓国ドラマと放映時間が少し重なるので、録画予約して寝るのができないのがつらいところ。
と、こんな調子で見ております。そのうち飽きるかも知れないけどね。チョイスは超テキトー。行き当たりばったり状態でございます。
ブックファースト渋谷店にて。
やった! 竹内真文庫化。これも、分厚いけどとっても面白くて爽やかな話です。それと、『野田秀樹論』。これは、遊眠社解散後、NODA MAPからの記録なんだね。とは言っても、その解散時の本も、彼が監修しているそうだが。……この本、持ってないかも知れない。どうだったかな。
私の大学時代は、野田秀樹の舞台を見るためにあったようなものだ。高校生の時に彼の戯曲に会って、それ以来、文字だけで読み続けてきた。演劇を見るなら東京、しかも彼らが講演をしている下北沢の本多劇場。それに夢見ていたような気がする。それと、古川日出男の舞台ね。しかし、お芝居を観るのって、とってもお金がかかるのだよ。続かないっす。それでも、代々木の体育館で三部作一挙上演をした時は、朝から晩まで原宿に詰めてましたな。当時、まだお元気だった伊丹十三氏を子供付きで見かけたり、萩尾望都に目を惹かれたりしてました。
その後、数年前に帰りの電車を待っている時に、渋谷の駅ホームで見かけたのが最後かなあ。なんか、滅茶苦茶懐かしいなあ。
朝から、システムの仕様決めのためのミーティング。しかし、ぶっ通しはやっぱり辛かったようで、途中で壊れる人が出現。でも、このミーティングも一回一回が長いからか、業者さんも我々も、気心が知れる関係になってきたようにも思える。ものつくりをやっているという意識もあるからだろうが、ヘヴィーな時があっても辛くはない。
その後、オフィス移動だったのだが、思いもかけず駅からタクシーに乗せて貰えてラッキー。
過去のない男 [DVD](アキ・カウリスマキ)」フィンランドの海辺の町に、ひとりの男がやってくる。夜、公園で野宿しているところを暴漢たちに襲われ、瀕死の重傷を負うが、その時の頭の怪我が元で過去の記憶を失ってしまった。身元が分からなければ家を借りることもできず、職にも就けない。そんなとき、救世軍で働くイルマに、救世軍に来るように言われるのだった。
独白は全くなく、ほとんどはゼスチャーと表情で表現される。しかし、ひどく真面目な彼らなのだが、そのくそ真面目さが逆に笑いとなっている。荒れ果てたコンテナ(しかも、前の住人はそこで凍死している)をきれいに片付けて過ごし易い空間を作る。それは、イルマを招待するため。庭(?)にじゃがいもを植えてみたりするところなど、慎ましやかで涙ぐましくもある。しかし、そういう中で周囲の人たちと静かに親交を暖めていく様が、微笑ましい。
登場人物は美男美女ではなく、若くもない。非常に地味な作品なのだが、後を引く。後半の展開はいささか陳腐な感じもしたが、こういうのって、いわゆる「お約束」の枠を使ったテクニックなのかなあ、とも思った。ちょっと、心が温まる映画でした。
……というほどでもないのだが、会場の下見に行くはずだったのが本日が休館日だという連絡が前日に来たため、急遽こういうことに。しかも、異様に人数が膨れあがってるし、飛び入り参加までも。でも、顔を合わせて話をすることの有意義さが、とても分かった一時間あまりだった。
品川の、なるべく静かで打ち合わせに適していそうなスペースを、と求めていたら、あまりにもぴったりのところがあってびっくり。
その後、あまりにもおなかが空いたということで、残ったメンバーであちこち見て回ったのだが、ちょうどしたところがなく、最初に気になった「ダリ」に入ってみた。……うおおお、すげー。なんというか、70年代辺りのインテリアと雰囲気で、ダサい筈なのに何故かかっこよく見える部分がある。アンバランスなバランスというか。しかも、メニューがひどく多い。蟹雑炊なぞを食べてしまった。それに、ケーキセット(ほら、別腹だから)。そうそう、オーダーとっていた紙は、のし紙を小さく切ったものだった。素晴らしいリサイクル精神!
店の雰囲気は悪くない。みんな、淡々と本を読んでいたりでとても落ち着いてるし、食べ物も、まあまあこんなものかな、という感じ。ケーキは案外といけてましたよ。
最後に、店の外に貼ってあったメニュー表を見て、みんなで大爆笑。写真の通りでした。いい味出してるなー。お店の名刺も、味のある文章が載ってました。気に入った。また来るかも。
ブックファースト渋谷店にて。
角田光代の『対岸の彼女』、あっという間に品切れになっていた分が入荷したようだ。ついでに、『電車男』も大量に並んでたけど、こんなに置いて売れるの? ちくまプリマー新書は、店の外にはPR看板が出ていたのだけれど、店頭にはまだ並んでいなかった模様。理論社の「よりみちパン!セ」が案の定、コーナーができて平積みになっていた。みうらじゅんの『正しい保健体育』が一番多く並んでるし(笑)。こちらがひねりまくったラインナップだとしたら、ちくまプリマー新書は、極めてまっとうなジュニア向け啓蒙書ですね。周囲の大人を見て学んでいたことを、こうやって本にして教えるのが今の我々の使命だ、といった自負があるのかなあ、と、ちょっと思いました。ただ、我々大人だって結局はダメなので、これらの本を読んで勉強し直すチャンスだろうなあ、と思います。
その他、「月刊MOE」は、立ち読みしてたら欲しくなってしまった。そうそう、こういうの、読んでいたよねえ。表紙が北島マヤ。そういえば、この雑誌は「花とゆめ」も出している白泉社から出ていたのでしたね。よしながふみの食べ物ネタの記事もあって、なかなか楽しいです。
17日のネタを風野さんに取り上げて貰って以来、結構なアクセスバブルが続いている。いや、有名サイトってのは桁が違うなあ、と感動したのだった。
面白いのはその後、日を追ってその情報が、子、孫、ひ孫と伝播していっているらしい状況だ。段々取り上げるサイトが多くなっていき、既にその波が引いているところや、新たにやってくるところがあったりして。そう考えると、伝わるのは一瞬なのに、広がるまでには案外と時間がかかるんだなあ、と思った。この辺、閲覧サイトのグルーピングや、その間の壁のようなものが想像されるのだが、色々調べてみても面白いかもね。既に、噂メールの回り方でそういう研究をしている人もいるだろうが。
シザーハンズ <特別編> [DVD](ティム・バートン/デニーズ・ディ・ノービ/キャロライン・トンプソン)」観るのは、何度目になるだろう。もしかしたら、私のオールタイムベストに入っているのかも知れない。
エドワードの住む無彩色の屋敷と、色とりどりで陽光溢れる住宅街のコントラスト。ビデオとか防犯ベルとかのアイテムが出てくるところを見ると時代はしっかり1980年代くらいなのだが、ファッションや車を見ると、1960年代くらいを思い起こす。1950年代には、アメリカはレヴィットという人が作った一定規格の建売住宅が流行し、買収した広大な土地を彼の作った家でいっぱいにした「レヴィット・タウン」なるものがあったそうだが、まるであんな雰囲気だ。夫はビジネス街に車で向かい、夜になると帰ってくる。週末はその車でゴルフ。妻は家の中で退屈に満ち、街の噂話に一喜一憂するようになる。相互監視の世間からはみ出しているのは、エイボン化粧品のセールス・レディをつとめるペグと奇妙な宗教に入れ込んでいる隣の女だけ。手が鋏でできているエドワードを、最初奇異な目で遠巻きに見ていた妻たちは、その珍しさ転じて好感を抱くようになるが――。
手が鋏のエドワードは、人とうまく接することができない。この姿を「社会不適応」のアナロジーと見ることができるだろう。それを感じるからこそ、我々はエドワードに共感するのではないか。勘違いでエドワードを持ち上げる周囲の人たちとは違い、第一印象(というか、周囲の人の歓迎ぶりの浅はかさを感じ取ったのかも知れない)の胡散臭さに悪印象を持つペグの娘キムは、とある事件をきっかけに、彼の心の優しさに気付き、急速に好意を持つようになる。ペグやキム、その家族らのような理解者が存在したにもかかわらず街を去らなければならなかった悲しさ、空しさがこの世には間違いなく存在している。同じことをやっても、周囲の捉え方、受け取り方によって180度変わってしまうことの恐ろしさも感じる。これが、現実の世の中なのだ、多分。きれいな色で取り繕っていたとしても。
そんな中でも、その人の本質を見抜いて愛してくれる人たちがいるというのが一種の救いなのだろうか。屋敷に戻ったエドワードが冬になると氷の塊からオブジェを次々と作り出し、それが麓の街に雪として舞い降りてくるのは、彼らの心の温かさを思い出すからではないだろうか。その、ひとときの温かさを胸に長い孤独な時間を生き続けるだなんて悲しいことには違いないが、それでは、そういった思い出を持たない彼の一生は、と想像すると、やはり、これで良かったのでは無いかと思える。
冒頭、20世紀フォックスのロゴに雪が降るのだが、ここから物語に引き込まれていく。ティム・バートンの世界は、一度はまったら抜け出せないなあ、と苦笑した。おそらく、来週末のアイロンの時間は、『ビッグフィッシュ』を観ることになるのではないかと思う。
アクセスログをざっくり見てみたところ、このような結果になりました。16日は、通常のアクセス状況のサンプルということで、参考までに載せてみました。因みに、これは単純にwebサーバのアクセスログから割り出したため、総アクセス数には検索ロボットやSPAMなどが紛れ込んでいる可能性はあります。なお、パーマネントリンクが設定してあるらしいところは、そのURIで記してあります。
| 日にち | 総アクセス数 | 前日との差 | リンク元 | リンク元からのアクセス数 | ネタ元 |
| 16日 | 637 | - | 637 | ||
| リファラなし | 306 | ||||
| 17日 | 1699 | +1062 | サイコドクターぶらり旅 | 25 | *ここ |
| リファラなし | 9(371) | ||||
| 18日 | 3447 | +1748 | サイコドクターぶらり旅 | 1557 | |
| 試行錯誤の日常-trial and error- | 3 | サイコドクターぶらり旅 | |||
| つかれた | 77 | サイコドクターぶらり旅 | |||
| リファラなし | 246(426) | ||||
| 19日 | 4017 | +570 | サイコドクターぶらり旅 | 520 | |
| つかれた | 199 | ||||
| moderato | 30 | つかれた | |||
| masah行伝 | 18 | ? | |||
| リファラなし | 119(1835) | ||||
| 20日 | 3474 | -543 | サイコドクターぶらり旅 | 269 | |
| INCORPOREAL | 1 | つかれた | |||
| cotinus | 10 | つかれた | |||
| masah行伝 | 6 | ||||
| 再び剣を取りて | 10 | *? | |||
| 試行錯誤の日常-trial and error- | 1 | ||||
| 虫のいい日々 | 21 | *ここ | |||
| INCORPOREAL | 1 | ||||
| moderato | 15 | ||||
| つかれた | 36 | ||||
| リファラなし | 53(2153) | ||||
| 21日 | 2931 | -543 | サイコドクターぶらり旅 | 152 | |
| cotinus | 62 | ||||
| masah行伝 | 1 | ||||
| 再び剣を取りて | 2 | ||||
| everything is gone | 391 | cotinus | |||
| 虫のいい日々 | 3 | ||||
| INCORPOREAL | 3 | ||||
| moderato | 6 | ||||
| つかれた | 7 | ||||
| リファラなし | 108(1054) | ||||
| 22日 | 1783 | -1148 | サイコドクターぶらり旅 | 98 | |
| スロとかゲームとか色んな事 | 2 | ||||
| cotinus | 15 | ||||
| 再び剣を取りて | 1 | ||||
| everything is gone | 438 | ||||
| 虫のいい日々 | 3 | ||||
| INCORPOREAL | 3 | ||||
| moderato | 1 | ||||
| リファラなし | 107(650) | ||||
| 23日 | 1470 | -313 | サイコドクターぶらり旅 | 84 | |
| スロとかゲームとか色んな事 | 3 | ||||
| cotinus | 6 | ||||
| everything is gone | 10 | ||||
| 虫のいい日々 | 2 | ||||
| INCORPOREAL | 2 | ||||
| リファラなし | 23(504) |
大雑把に言えば、「サイコドクター」→「つかれた」→「cotinus」の流れになりますでしょうか。「つかれた」がひとつのHUBになっているようですね。普段は全くと言っていいほどニュースサイトは見ないので、最近のその手のサイトがどうなっているか、よく分かってませんでした。これらのサイトは、初めて拝見したものばかりです。因みに、ネタ元欄に"*"を付けているのは、普段から交流のあるサイトです。リファラなしの欄のカッコ内の数字は、このコンテンツのルートディレクトリ(http://bm.que.ne.jp/log/)のアクセス数。はてなダイアリーは、サイドバーにはてなアンテナを埋め込んでいるところが結構あるので、申し訳ないのですが非表示にしています。そのため、なかなかリンクしてもらったのに気付かなかった模様です。済みません。ということで、njinさんからいただいた情報に関しては、別立てで書く予定です。
因みに、この話は昨日のがきっかけになっているのですが、向井さんに2年半前に同じようなことをやった方の例を教えていただきました。いや、こちらの方が激しく精度が低いのですが。
先ほど、既にSPAM受信専用になってしまっている(しかし、旧メインアドレスだったので削除はしづらい)アドレスに、VISAカードからのフィッシング詐欺だろうメイルが舞い込みました。初めて来たよー。VISAカードによるアナウンスと一字一句違わないねえ。
ところで、私がこの手の本名が必要なものに使うアドレスは通常表に出してないので、こんなのが来てもすぐに嘘だと分かってしまう。しかも、VISAのみでどうこうするカードは持ってなくて、必ず何かとセットになってるから、連絡が来るとしたらそちらからだろうしね。
皆様も引っかからないようにお気をつけくださいませ。必ず、その企業から来たかどうかの確認をするために、メイルからではなく、通常の企業サイトのウェブサイトにアクセスして確認するか(そういうアナウンスがある場合は、大抵、目立つところに掲示してあるはず―いや、メイルでこんなの来ること自体がありえないけど―)。この手の詐欺情報もあるので、一石二鳥。そうでなければ、カードの裏面に明記してある問合せ先に電話してみること。
因みに、メイルを送ったホストがVISAとは全く違うところでしたね。おまけに文字コードがどうしたことかiso-8859-1。化け化けで来たのを、わざわざ日本語で表示させる作業(Becky!は簡単だけど)までしましたよ。どうせやるなら、この辺まで上手に騙して欲しいなあ。
そういえば、私は通常HTMLファイルは開かない設定にしているので気付かなかったけど、ドメインのところは、表記しているのはVISAのサイトだけれどそのアドレスとして埋め込んであるのは、別のホストなのね。これって、HTMLファイルを表示する人じゃないと意味が無いのね(笑)。
先々週の週末に、スーパー併設のブックショップに行ったときに「そういえば、来月の文藝春秋は何日発売?」と2月号の目次を覗いたら、こんな記事があって、そのまま立ち読みしてしまった。内容は、知られざる市川塩浜の配送センターの様子が書かれていて、それはまるで「女工哀史」のようだった。浦安に住んでいたことがあるので、その頃あったならば一度くらい潜入してみたかったと思ったものだが、私もすぐに首を言い渡されたことだろう。この記事を書いた横田増生氏が実際にアルバイトとして就業した様子なので、特別扱いをされてのものではないようだ。普段「amazonマンセー」とおっしゃる方にも読んでみて欲しい。いや、注文してから配達までが遅いと文句を言いまくる私ではあるが。因みに、この号は『電車男』の合評などもあって、なかなか面白いので、立ち読みじゃなくて買ってきても良かったかなあ、と、読み終えてから思った。
ところで、文藝春秋2月号のアマゾン潜入記(本屋のほんね)では、それに関連してのちょっと聞き捨てならない話も書かれている。それって、どうなのよ。誰もが知ってて記事にならないものなのか、それとも、記事にするまでの価値が無いのか。
世界文学を読みほどく (新潮選書)(池澤 夏樹)』おお、面白い。実作者が19世紀から20世紀の小説を俯瞰し、その先の形まで見通す、という趣旨の元に1週間の講義を行う。まあ、俯瞰と言っても欧米の小説に限られているのだけれど、まあ、これは入手のし易さとか、小説という形がまず文化の中にあって書かれたものであることから、仕方がないことではあろう。その代わり、それぞれのお題の中で、色々な小説や著作物についても紹介している。
二作目の「アンナ・カレーニナ」(トルストイ)は結構ずたぼろに言っております(笑)。彼は、神の視点で「何でもお見通し」と言ってるような小説は好きじゃないようで、トルストイが好きじゃない理由はここにあるとまで言い切っている。この視点の話は後にも出てくるのだけれど、なかなか興味深かった。この辺の目の付け所はさすが作家だなあ、と。女の趣味もまた、違っていたようではあるのだが。
三作目の「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)は、とても興味深かった。近代小説のすべてがここに詰まっているという解説もなかなか。「アンナ・カレーニナ」はストーリーの説明が続いてちょっと辟易したのだけれど、こちらは、どんな風に読めるか色んなアプローチが紹介されていて楽しい。
四作目の「白鯨」(メルヴィル)は、ポストモダン小説だという指摘にようやっと「ポストモダン」の意味を知った気になった。「モダン」がいわゆる、スタンダードな形とすれば、それが物足りなくてそこからはみ出したものが「ポストモダン」となるんだね。と、今更何を言っているのか。この小説は小説の枠組みを借りつつ、鯨に関するありとあらゆる情報を詰め込んだものだ(「データベース」という言葉を使っている)という話で、19世紀にこれが書かれた凄さを語っている。しかし、これが次に繋がっていくわけだ。
五作目の「ユリシーズ」は、池澤氏ご本人が惚れ込んでいるんだろうなあ。解説が、とても面白い。「白鯨」が全てを書ききろうとする小説だとすれば、「ユリシーズ」は「こんなに書いて書きまくっても、結局はものごとの全てなんて書ききれないんだ」という話だとか。この小説はある一日を書いた話なのだが、20世紀のダブリンとギリシャ神話のオイディプスが話の底辺にあるのだ、という指摘(多分、これは読んだ人なら分かるのだろうなあ)。そして、言葉遊びがすごいという話。これは確か、同じくジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』もそうだった筈。そこから、日本語と言う言語とその限界についても語られている。ここではかなり日本語が不利なのだけれど、まあ、それでも日本語のよさはあるとは思うけどなあ。しかし、大和言葉というのは、途中で輸入されてきた漢字に頼り切ってしまったために、言語として未発達で語彙も少ないという指摘は愕然とした。そういえばそうだよなあ。漢字はもともと、日本語ではないのです。
という訳で、ただいま「魔の山」(マン)に入ったところ。これは「カラマーゾフの兄弟」の講義の中で、「"魔"というよりは"魔法"と訳した方がぴったりくる」というようなことを言っております。モーツァルトの「魔笛」もそうなのだとか。「魔」だけだと、おどろおどろしい感じがするもんね。ここでも、当時(第一次大戦直後)のヨーロッパの中でのドイツのおかれた位置について解説しているけど、こういう物語が書かれた背景となる知識も拝受することができて、この辺りは池澤様様でございます。
こんな感じなので、読んでいない人が読みたくなるようなブツになっております。興味があるのでしたら、ぜひ読まれてみては?
njinさんのところから。
ところで、米・英・仏・独・加のアカウントは、一括管理されているはず(というわけで、英、独、加。なぜに米だけ違うのかねぇ。)。どこかで登録すると、他の全てに適応される。(逆に、他で登録しようとすると、「登録済み」といわれてしまう。っていうか、以前、それで気づいた。)日は別なんだよなー。その方が不思議なのだけど。
へえええー、初めて知った。欧州の結束かと一瞬勘違いしたが、米・加は違うか。何で日本は仲間入りさせてくれないんだろー。ちゃんとamazon.co.jpのロゴも作れるマンパワーがあるから(笑)?
因みにnjinさんのところでは、証拠となる英・仏・独・加の猫画像も展示されておりまする。わざわざありがとうございます!
ブックファースト渋谷店にて。
27日発売の新潮社の単行本は、狙いどおりに今日出ていた。やったー。
ところで創刊したちくまプリマー新書だが、これは今まで新書のターゲットではなかった中高生向けのものらしい。そして勿論、そうであれば大人にもいい本だとパンフレットに書いてある。「こんな先生に教わりたかった!」というのはまさにその通りなのだが。現役中学校教員の友人夫妻にもお勧めします。理論社のよりみちパン!セとともに。第二回配本は来月、3冊(今月は5冊)だそうです。
筑摩書房は、以前に「ちくまプリマーブックス」というシリーズを出してるんだね。プリマーとは「入門書(=primer)」の意味だそうです。
現在出ているku:nelには、長嶋有と、彼の父親で古道具屋ニコニコ堂店主が出てきてます。ざくっと立ち読みしてきたのだが、随分小じゃれた古道具屋なのね。でもって、びっくりしたのが彼とお父さんとの関係。なんと、『ジャージの二人』のような間柄だったらしい。中高生の頃は別々に暮らしていたとか。そういう訳で、彼の描く家族や夫婦というのは、自身の体験や感じた事柄が、思いの外多く盛り込まれていることを知った。『猛スピードで母は』は、地つん母親がモデルかと母親本人が思ってしまい、ひどく落ち込まれたとか。彼の小説にある、崩れかけた家族の形や、幸福の絶頂には無いが、不幸でもないという宙ぶらりん感は、この辺りに根っこがあるのかなあ、とも感じた。三月に、新刊『泣かない女はいない』が出るそうです。出版社がどこかは不明。
また、古川日出男の「小説現代」の執筆者近況の欄には、三月に刊行予定の書き下ろし長篇(なんと三年半ぶり!)が出るため、その佳境にかかっているという話が。こちらは、ということは講談社から出るのかな? 楽しみにしておこう。
世界文学を読みほどく (新潮選書)(池澤 夏樹)』Wikiにまとめページを作ろうとお昼休みに蛍光ペンで線を引っ張ってたんだけど、あまりにも多くてこれでは「抜き書き」にまで達してしまいそうなので、どうしようか悩み中。でも、復習にはなった模様。
最初に感想を書いたときにも言ったことだけれど、これは基本的に「読んでいない」ことが前提になっている講義なので、事前に読んでおかないと理解できない、つまらない本では無いです。もしそうだとしたら、日本中でこの本が売れる確率が、がくんと減ってしまうでしょう。これらの、小説の特徴から十九世紀から二十世紀の小説の「半生」を俯瞰し、今後どうなっていくかに思いを馳せるためのものです。勿論、全く前知識が無ければ面白くないので、この講義の前には、集英社の『世界文学大事典』であらすじは掴んでおき、それぞれの作品の、数十ページくらいは文体をつかむために読んでおくこと、ということであったようだが。ウェブサイトを持っているある程度の読書家の人であれば、何かの弾みでこれらの作品についての言及を読んでしまうことも多かろうし、別の作品でこれらを選考作品として引用・言及するようなものを読んでる場合があるだろう。この本の中でも必要なことは語られているので、あまり気にする必要は無いかと。むしろ、この本を読んで興味を持った作品は手に取ることにした方が、出版をした意図に沿っているのではないかと思います。
という訳で昨日からさほど進んでなくて、とりあえずトーマス・マンの「魔の山」の段が終わり、フォークナーの「アブサロム、アブサロム!」の段を読んでいるところ。「魔の山」では、ヨーロッパの存在について語っています。この作品は、「欧州サミット」みたいなものなのか。時間の流れについての言及も面白かった。慣れないサナトリウムと人間関係といった状況の最初の半年ちょっとは上巻いっぱいを使ってゆっくり描かれているが、その後、七年間は一気に流れるという。確かに、我々の記憶と言うヤツもこういう風になってますわね。
逆にフォークナーは、アメリカ深南部・ミシシッピー州の架空の町を舞台にいくつもの物語を書いてきた作家。南北戦争で負けて深く傷ついた地域社会を描いてきている、と。それと、彼は映画の脚本に携わる時期があったようで、その経験が作品の描写に大きく影響を与えてるのではないかという指摘。例に挙げた文章は、確かにビジュアル的だ。
世界文学を読みほどく (新潮選書)(池澤 夏樹)』という訳で、最初の方の要点チェックをやりつつも、先に進めたくてマーク・トウェイン「ハックルベリ・フィンの冒険」を朝の電車で。その前で採り上げていたフォークナーと同じくアメリカ南部の話なのだが、トウェインは子どもを主人公にすることが多い。この「少年」というのは「無垢」という記号を擁し、アメリカは自身を少年に喩え(歴史の浅さから言っても)ることがある、という指摘はなるほどなあ、と思った。
この中で、アメリカという存在について色々と語られているのだが、この解説が正しいかどうかは別として、アメリカはもともと地域ごとの自治が基本(今でも州法とかあるくらい)だったため、自前の理念と秩序を持たなければならなかった、だから、一般人が銃で武装する、という話があった。アメリカに来る前の秩序はどこ行っちゃったんだよ、とはちと思うが、この辺りは、たとえばオーストラリアに移民したイギリス人は罪人が多かったらしい(『イリワッカー』でそんな話があった)ことを考えると、新たな秩序を作り出す必要があるかも知れないなあ、とは感じる。そこで思うのだが、アメリカではキリスト教(福音派?)が主流で、そこに思想のよりどころを求めてるように見えるのって、この辺りが根っこになってるのかなあ、なんて思った。他の国は過去の長い歴史があり、現在まで脈々と続いているからこそその国固有の概念があるのだが、先住民族がいたにしても一旦彼らを追い出してリセットした状態から始めたアメリカは、そういった「拠りどころ」が無かったのではないか、というのが池澤氏の指摘だ。
そういうアメリカに期待をして裏切られたのが、マーク・トウェインの作風の変化に見られるものなのではないか、とまで踏み込んでいる。『不思議な少年』になっちゃうと、人間不信の域だと。
それと同時に、アメリカ南部という問題もある。ここは南北戦争で負けるまで奴隷制を敷いていたところであり、人種の違う人間をモノとして扱っていた。その現在が、今に至るまで消えないで残っているのではないか、と。この問題は、メルヴィルの『白鯨』の時にも言及していて、白鯨と捕鯨船(と乗組員)の関係を、アメリカ開拓時代の入植した人々と追われるインディアンの逆向きと見ることもできる、と(こういう捉え方があるらしい)。これは、捕鯨船の上級乗組員は確かに白人だが、実際に捕鯨に携わる職人にはそれ以外の人種の人が多かったことからきているようだ。
この辺になっちゃうと、「ほほう、そういう見方もあるのか」と思うのだけれど、どのくらいまで納得していいのか、ちょっと迷う。しかし、この話には引き込まれるなあ。それは、今まで説明の付かなかったことが明快に説かれたから、だとは思うのだけれど。
で、お次が池澤氏のライフワークでもあるガルシア=マルケスの「百年の孤独」。おおー、この講義を聴いて(読んで)いると俄然読みたくなってきたぞ。彼は、「百年の孤独」が出現したときの衝撃を語っている。一旦、西洋文学としては「失われた時を求めて」と「ユリシーズ」を頂点として書くべきことを書ききってしまったと思われた文学が、こんな形で全く新しい可能性が出現した、と。それは、西洋文学の基本が「神話」にあったことにあり、それに対してのラテン・アメリカ文学は、「民話」にあることからきているのだろう、と。神話は、神様を崇め奉る形で描かれているが、民話は全ての人間(語り手も語られる側も読む側も)がフラット。そういう新しさだ、と。それと、キーワードとして「マジック・リアリズム」が出てきている。しかし、これも西洋の側からの見方であって、本人たちに言わせればちっとも魔術的でもない、現実なんだ、という話が面白かった。なんというか、秩序だっていないんだろうな。その例として二つ挙げられているが、それはここでも述べられている通り「地動説をとるか、天動説をとるか」、つまりは客観的見方を優先するか、主観的見方を優先するかということだと言っている。ラテン・アメリカの世界では、もしかしたら普通にこういうことが起こっているのかも知れない、と。まあ、実際のところは分からないけど(笑)。
それと、もうひとつのキーワードが「フラクタル」。この辺のところを読んでおります。これで確実に10冊読むものができてしまうわけだが。まあ、数冊は積読状態のものだから、それを考えれば辛くは無いのだが。いや、読むものが沢山あるのはとても幸せなことだ。でも、そういうものが沢山あって、なかなかそれぞれにたどり着けないことが、辛いことなのだ。だから、この手の良質の作品紹介の本は、身の毒なのだ。
そういう訳で、先々週くらいからTBSで週三回、深夜1時半くらいからやっている韓国ドラマ「バリでの出来事」を観ている。最初こそ、寝ている間に録画したものを別の時間に観ていたのだが、とうとう今週に入ってからは待ちきれなくて眠いのを我慢してリアルタイムで観るようになってしまった。ということは、月曜から水曜までは午前3時ごろの就寝になる。結構辛いけど、何とか持っているのはそう遠くないいつか終わると分かっているからだろう。
段々、名前の区別がつくようになってきた。主人公はスジョンというのだが、韓国人の名前というのは「○○ン」というものが多く、その中には拗音が含まれているものがこれまた多い。だから、誰が誰だかわからなくなってくるのだ。金持ちのボンボンがジェミンだ。うん、分かった。隣のお兄さんがイヌクという名前なのは、結構最初の方に覚えたのだが、ジェミンの婚約者の名前はいつも忘れてしまう。彼女はヨンジュ。あー、また忘れそう。
今週は、スジョンがジェミンの囲われ者になるの巻。母親が経営するギャラリーで働くことになり、まるでシンデレラのように彼女と婚約者にひどい扱いを受けているのがジェミンが発覚し、生活していけないのなら俺がその場を用意してやる、と、マンションに連れて行くのですな。さすが金持ち。そこは家具つきマンションなのか、生活用品も一通りそろっているが、スジョンは「ここには一体誰が暮らしていたの?」と問うところを見ると、以前にも似たようなことしていたのだろうか? ちょっと、ストーリー上ありえない話に思えるのだが。洋服もふんだんに買い与えられ、買い物にはジェミンのカードを使うようにと言われる。それは、ギャラリーの仕事を辞めることが前提。だというのに、スジョンは相変わらずギャラリーでトイレ掃除しているのだ。それを知ってジェミンは怒るのだけれど、何となく分かるような気はするなあ。一種の、セーフティネットなのではないか。いつ、この境遇が壊れるかも知れないというのに、全面的に依存してぬくぬくとは暮らせない、という。しかし、その後ジェミンが「あてつけか?(だったと思う)」と聞くところを見ると、ああ、そうか、わざと彼女ら二人の目の前に存在感を見せ付けているのかな、とも。そんな彼女は、「側にいてくれ、という懇願の見返りは?」と問うのだが、それに「結婚以外なら何でも」とスラリと答えてしまうジェミンのイノセントさというか、それ故の残酷さというか。スジョンが、生まれて初めて(おそらく)の裕福な暮らしに浮かれる反面、自尊心を蔑ろにされ傷つく様子もある(この辺に気付かないからおばかさんなのよねー)。
もうですね、このドラマが気になるってのは、このジェミンのおばかさんさ故なのですよ。恋愛未満のところでみんなくすぶっているドロドロの状況。全員が全員、自分の本当の心を相手に伝えることができないんだよね。だから、関係もちっとも発展しない。いや、囲われ者になった時点で普通は何らかの動きがあるのが普通だろうけれど、ジェミンはそこに彼女がいるだけで満足してるってのが、お前は中坊か!と突っ込みたい気満々にさせる。イヌクはスジョンが囲われ者になってしまったことに腹を立ててるし(多分、自分が不甲斐ないところにも腹を立てているのだと思う)。
そうだな、これは恋愛ドラマでは無いから私は楽しんで観ることができるのかも。ここではよく携帯電話が出現するのだけれど、呼び出し画面にはゲームのキャラクタのような動画が出てくる(ひとりひとり設定できるっぽい)のに笑ってしまった。顔は日本人と変わらないのに言葉が違うってのも新鮮。そういえば、韓国語ってフォーマルな言葉しか殆ど聴いたことが無いから、こういう会話体って新鮮なんだよな。何となく硬い言葉だと思っていたけど、こうやって普段着感覚で話しているのを見ると、案外柔らかい言葉なんだなあ、と感じる。今まで観たことがある「イブの全て」は吹き替えだったし、確か一度だけ見た「冬のソナタ」もそうだった(そういえば去年の紅白にはヨン様の出演叶わず吹き替え俳優のメッセージが流れて一部で失笑を買ってたっけ)からね。
それにしても、これだとDVDで見返したくなってきてしまうなあ。番組の途中でよくDVD販売のお知らせが出てくるから、てっきり既に売ってるのかと思って先週はTSUTAYAに借りに行ってしまったよ。置いてなかったので「やっぱり、あんまりメジャーじゃないのかな」なんて思ったのだが、2月25日発売予定なんだ。じゃあ、気長に待っていることにしよう。
bk1ブリーダー通信が来ていた。
購入ユーザには別途連絡が行くようだが、2月6日に「サイトの我慢できないほどの重さ」解消のためにリニューアルを実施するそうだ。これは立ち上げ時から不評だったから、どのようになるのか、非常に楽しみだ。ただし、作業に伴い、購入ができない時間が発生する。
リニューアル作業に伴い、2/6(日)11時〜24時までメンテナンスを予定しております。メンテナンス作業中は、ページをご覧いただくことはできますが、ご注文いただくことができなくなります。
ということ。また、リニューアル後は商品等にアクセスするURIが変わるそうなので、ツールなどを使っている人は、変更する必要があるだろう(私の場合、Wikiの方はInterWikiNameを変更すればいいだけか)。
このために随分と無理を重ねてたらしいことがbk1専務取締役兼COOの河野氏のウェブログからは見ることができるが、いよいよその成果が出るのですね。期待してますよ! 「お知らせがある」と書いているのは、このことだったのか。
野尻ボードでそのような議論が展開されてるらしいことは、向井さんが書くまで知らなかった。まだ読めてないんだけど、向井さんの考察を拾い読みして、何となく雰囲気を掴む努力はしている。とりあえず、メモを取っておこうと思って。
というか、 val it: α → α = funと val it: α → α = funを見ればいい(もっと言ってしまえば、現在はまだここはhttp://www.jmuk.org/d/を表示すれば読めるんで、それだと1回表示させれば済む)。
wikipediaは便利に使わせて貰っているのだが、誰が編集したのかが分からなく、しかも情報の精度が不明なのが気になる。はてなキーワードみたいに、閲覧者側がランク付け(ボートするような仕組み?)できれば後者についてはある程度解決する? あと、オタクは「得をする」回路が一般人とは違うという指摘(ネタだが)も、実感している。漫画家のキーワードとか、奇妙に発達して細かい情報入ってるのがあるんだよね(笑)。
ブックファースト渋谷店にて。
週刊漫画アクションで連載中。小学生が、妊娠して赤ちゃんを産んでしまう話(になる筈)。この人の子どもの描写って、妙に残酷でリアルなんだよね。
因みに主人公の春菜の妊娠がなかなかばれないのは、食欲がひどく旺盛になって食べ過ぎて太ってしまったためなのです。今連載で読んでいるところでは出産までのカウントダウンに入ってるのだけれど、今まで子どもだけしか事実を知らなかったために「どうしよう」と困っていたのが、同居してるおばあちゃんに気付かれてしまい、みんなで安心して大泣きするのでした。
子どもでも、立派に大人の身体の役割果たしてるんだなあ、とか、そんなところに感心してしまう。
ビッグ・フィッシュ コレクターズ・エディション [DVD](ダニエル・ウォレス)」ストーリーは既に知っているとはいえ、やっぱりお父さんと病院を脱出する辺りから、涙がこみ上げてくる。
大ぼら吹きの父親を持った息子が、自分の結婚式で延々とお得意のスピーチをやられて大激怒。海外に住んでいるのをいいことに、父親と事実上の絶縁関係になるのだが、三年後、その父親の危篤の報に、身重の妻と一緒に帰国する。妻をも魅了し、取り込んでしまう父に苛立ちを隠せないが、彼の書斎を整理していくうちに、段々と「本当の姿」が見えてくる、といった話だ。父親の俄かには信じがたい昔話と、現在の親子の姿を交互に描きつつ、感動の物語に仕上げている。
「ビッグフィッシュ」というタイトルには、「小さな町でちんまり収まるような俺じゃない」といったエドワードの気持ちも込められているようだ。大きな人物になることを夢見つつ、巨人のカールとともに故郷アラバマを旅立つエドワードは、サーカスの会場で一目惚れした女性に求婚すべく、彼女の好きな水仙を前庭いっぱいに飾り立てる。これが、ポスターやDVDのパッケージにも出てくる場面となる。
人里離れた湖沼にゆったりと泳ぐ伝説の怪魚といい、水仙でいっぱいの庭といい、ねじれた感じに賑やかなサーカス広場といい、彼の昔話に登場する場面は、常にカラフルで美しい。それが語りの魅力として表現されているのだろうけれど、こんな場面を想像させられたら、そりゃあ聴く側はうっとりとしてしまうだろう。「本当のことを話してよ!」と懇願する息子に「だって、本当のことをそのまま話しても、つまらないだろう?」と真顔で答える父親の価値観は、真っ向から違っている。この辺りは、こんなユーモアがあった訳ではないが、いつも茶化した答えしか返さなかった父親のことを思い出す(いや、存命ですが)。これもそれも愛情ゆえのものなのだろうけれど、真面目に知りたいこちらとしては、はぐらかされた感じがして、歯がゆい思いをせざるを得ない。
しかし、父親の昔を調べていくうちに彼のほら話との関連性が分かってくると、「全部が嘘だったわけではない」ことに息子は驚く。そして、臨終の場面。息子と差し向かいで、彼に「お父さんの最期」を想像させる場面が圧巻だ。思い出しても涙が出てくる。あの真面目な息子が、一所懸命にほら話を語るのだ。それは、今までに父親の昔話に出てきた人物が大集合した場面であり、彼ら一人一人に挨拶をしながら、湖に帰っていく。息子に抱きかかえられながら。親の死に対面するということはとても悲しいことだと思うのだが、同時にあれほど焦がれた父親の愛がいつも自分に降り注がれていたことを確信した彼は、初めて一体化することができた喜びもかみ締めていることだろう。ここで初めて彼は「父親離れ」ができたと言えるのだろう。
そのクライマックスから、父親の葬儀の場面をエピローグとして持ってくる辺りがとてもうまい。臨終の夜、病院でホームドクター(だよね、多分)から気付かされた父親の愛情が、ここで目の前に現れる。てっきり架空の人物だと思っていた昔話の登場人物たちが次々とやってくることに驚きを隠せず、しかし喜びを覚えている場面は、父親を思いやる場にふさわしいと感じられた。
サーカスやフリークス、そして音楽など、まことにティム・バートンらしい作品といえるが、これは万人に受け入れられるやさしい作品だなあ、と思った。原作があったとしても、その世界観を自分のものと融合できるこの才能は、本当に素晴らしいなあ。
ブックファースト渋谷店にて。
おお、やっぱり出てましたね。旭屋書店でもあったので、都心部の大きめの書店には出ているのかも。『エーガ界に捧ぐ』文庫版は発売延期みたいだね。それと、『ミカドと女官』ってもう文庫化したんだ、と驚いて買ってしまった。単行本の時に悩んだんだよねえ。「ユリイカ」は買うのは見送ろうと思っていたのだけれど、『自虐の詩』についてのコラムがあったので、やっぱり購入。
Before...
_ にじむ [そういう指摘があるんじゃないかと、タブを隠してしまおうかとも思ってました(笑)。これは、たまたまそういう状態でOpe..]
_ ニム [私も見ました>ぐしゃ犬(^-^)/]
_ にじむ [やっぱり、風野ドクターのサイトのアクセス数はすごいなあ。 ニムさん>ぐしゃ犬って(笑)。どちらかといえば猫に見えるん..]
_ kasm [kailey-kitty.gifだからネコですね。]
_ にじむ [ああ、そうか。スクリーンショットをとるのに賢明で、ファイル名には神経が行ってなかったようです(笑)。猫だったか!]