世界文学を読みほどく (新潮選書)(池澤 夏樹)』世界はクラスタ化されていて、既に大きな物語という幻想もなくなってしまっているため、断片的な事実・知識しか所有できないと総論で説く。しかし、イントロダクションで言っていたことだが、人間が理解できるものが「物語」という概念であり、未知の概念もこの形で捉えようとしてしまう習性が本当にあるのだとしたら、そうである限り人間は断片をどうにかしてかき集めて「物語」を作ろうとするのではないか。世界がばらばらになりつつある、というよりは、ばらばらであったことが今頃分かってきた、というのが真相ではないかと思った。
それにしても、池澤夏樹が言う世の中というのは、つくづくWikiに似ている。ディレクトリという概念を取っ払った状態が世界だとすれば、なおさら近づいてくる。なんてことを考えつつ、にやにやしてしまった。
西欧文化(つまり、世界の中心?)に遠いものほど世界文学を求める、というのも、素直にうなずける。
時間がないので一応、メモらしきものを書いておく。
先月のブリーダープログラムの売り上げ集計が来たのだが、相変わらず母数はamazonのはるか下、しかし、自分が買ったり薦めたりしたものが購入される確率が高くなってきているような気もする。ここを経由していただくだけでもありがたいが、こういうのはとても嬉しい。
今回だと、(積読状態でお恥ずかしい話ではあるが)『ペンギンの憂鬱』や『精霊たちの家』『世界文学を読みほどく』、あとは、よりみちパン!セなどなど。
おお! と喜んだのはいいものの。基本的に書込み禁止の設定で(裏で書き込めるようにはする)運用できるかと色々試してみた。おかげさまでちゃんとその設定はできたのだが、その途中、ウェブサイトのドキュメントを読んでいるうちに、ちょっと微妙な気持ちに。
というのも、書込み禁止にしてしまうと、フォーム入力(#commentとかね)のフォーム自体が表示されなくなってしまうのだ。私としては、凍結モードでも#commentは入力できるのでこういった運用方法を考えていたのだけれど。うーん、この機能を使えるかとちょっと期待していただけに、落ち込んだ。
まあ、それ以外にもあれこれあるので、バージョンアップはさせていただきます。
via ޥ˥
すごい! 日本版salon.comを標榜する仕事であろうか。真っ先に読んだのは浅暮三文の項だったのだが、案の定これはスズキトモユさんの手によるものでしたね。素晴らしく彼の作品の魅力が顕されてると思うけれど、「この作家が似てる?...」の項が空欄なのがひどく気になります(笑)。でも、イタリアで出されている短編集に浅暮さんの作品が載っているとは知りませんでした。世界文学作家ですな!
ところで、これはまだ増殖していくものなのでしょうか。まだまだカバーされ切れてはないように思いました。
ܲΤۤでこのようなものが開店していることを知り、ちょっくら行ってきた。昔は蕎麦屋だったスペースだね。駅の構内の店舗ということでどう考えてもスペースは限られている。しかし、改札の内側というアドバンテージは大きい。しかも、Soup Stock Tokyoとのコラボ! スープと本が三度の飯より好きな私にはたまらないシチュエーションです。
入って左手四分の一くらいのスペースは、この店舗のカウンターとイートインのコーナー。それ以外が書店だが、イートインコーナーに会計前の商品を持ってくることは、残念だができない。でも、ここに来るときに小腹が減っているということがとても多いので、私としてはこういうところに出店してくれるのは大変ありがたい。今日は、アホスープを飲んできた。ニンニクが効いてる! 暖まるし、満腹感も結構あるかも。中にパンが入ってるし。
ということで、書店の方。店舗入り口に売上げランキング棚がディスプレイ。その裏もプッシュ棚で、筑摩書房のちくまプリマー新書が5冊、きれいに並べられていました。壁に添って話題本、新刊本と続き、その背後は雑誌コーナーがど真ん中に。駅構内ですからね。そうして、レジ(ここは入口ではなく店の中頃にレジがあるのです)奥に行くに連れて旅行ガイドやら文庫本やらで、奥の壁が文芸書。この手の、客層の間口を広く求める書店としては、ちゃんとやってるなあ、という好印象。奥の左手は資格本など硬めのビジネス系、その手前は、料理や生活ものという感じで、その手前がイートインコーナーなのでうまく繋いであるなあ、と感心しました。店内も、白と濃いグレーとクリーム色とでほとんどが構成されていて、そこにクリアパネルだとか金属の光沢などもうまくアレンジしてると思います。小さい店舗でも狭く感じず、居心地がいい。
在庫はやはり売れ線に偏るけれどこりゃ仕方ないよね。セカンドかサード辺りにキープしておきたいお店で、ちょっと、読む本がないけどどうしよう、というときに便利ではあると思います。
因みに、ブックファーストは元々関西圏では駅併設のブックスタンド型店舗から始まったとどこかで読んだことがあります。渋谷のメガストアは、こことしても初めての試みだったのだとか。だとすれば、関東でもこういう形で展開していく可能性もあるのかなあ、なんて思いました。
ブックファーストといえば偶に併設されているサウンドファースト。CDショップですね。で、先日その検索機を使う機会があったのだけれど、全部終わった後は必ず初期ページに戻しておかないと私は気が済まないのですよ。このときも戻って戻って最後に右下にある「終了」ボタンを押したのですが、そしたら素のWindowsの画面が現れて非常に慌てました。「終了」って検索終了じゃなくて、アプリの終了だったんだ!? それ、要らんだろ。この作りってどうだろうか。慌てて再度アプリを起動してその場を離れたけど、これは改善すべきだと思ったよ。
因みにブックファーストの方の検索ソフトは全く違うので、別ものとして作った(もしくは何かのパッケージを利用した)のだろうね。
経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)(C.ダグラス ラミス/C.Douglas Lummis)』著者は、アメリカの政治学者。1980年から津田塾大学で教え始めているが、現在も日本在住のようだ。この本も、英語からの翻訳ではなく、語りおろし。それもあって、とても読み易くはある。
果たして、私たちが「まあ、現実が目の前にあるんだから仕方ないよね」と苦笑しているその「現実」とは、本当にそうなのだろうか? そして、今「常識」と言っているものは、本当に常識なのだろうか? と問う。「常識」は時代によって変わり、しかしその速度はとてもゆっくりだ。変わる必然性と必要があっても、必ず変化は遅れてやってくる、というわけだ。環境破壊が叫ばれているが、そうしないと生きていけないんだから仕方が無い、世界各国で戦闘が繰り広げられているが、起こった火は消さなければ仕方がない。果たしてそうだろうか、と。
とても簡単なことを述べていると最初に言っている通り、簡単ではある。でも、目先の「現実」に追い回されている我々には、その「簡単なこと」も非現実的、理想論的に感じられることもある。「確かにそうなったらいいんだけどね」と。多分、世界中のみんなが仕切り直しすれば、そうすることもできるのだろう。その中で、抜け駆けなんてするやつがいなければ。そう瑣末なところでぐだぐだ言っている私などは、愚かな存在なのだが。
二十世紀は、社会契約論が常識になった時代でもあり、国家は国民との契約で成り立っている、という形式で一世紀が過ぎた。ということは、国家は国民を守り、国民の総意を受けて動いていくべきだ。しかし、実際にはそうなっていないのではないか。現に、長い歴史の中でこの一世紀の間に殺害された人間は一番多く、その中で大きな割合を占めているのが、国家による国民の殺戮だ。その現実を、どう考えるか、と突きつけられる。そう考えると、日本の憲法第九条は決して理想論ではなく、それを背負った我々は、その目的に向かって行動していかなければならないのに、現実はそうなっていない、とも言う。
この本を買い、読み始めたのは、ここ数年の世界の混乱の中ですっかり今まで「常識」だと思っていたことがどんどん崩れていっているために頭のチェックディスクをしたいと思ってのことだが、その役割は果たしているかも知れない。もうちょっと、地に足をつけて物事を考えていきたいと思う。
ブックファースト渋谷店にて。
クリッピングしていた『
ネットコミュニケーション&ライティングの技術 (アスカビジネス)(藤田 幸江/平野 栄)』を見に行ったのだが、見つからなくて同じような内容の本をぱら見してきた。文章やレイアウトや訴求する要素をきちんと調えるためのレクチャー本なのだが、結構、どこも出してるんだなあ。人のことは言えないけど、最近雨後の竹の子のごとく生えてきているレンタルブログサービス利用者の文章を見ると結構驚くような悪文の人々が目につくので、こういう本が出る意味はあるんだろうなあ、と感じた。まあ、そういう人たちは読まない気もするけど。
フランス、そしてユダヤ人といえば二十世紀半ばのナチス台頭の時期の話かと思っていたのだが、全く違っていて、1960年代のパリの話だった。父親と二人暮らしの少年モモは、歓楽街のすぐ近くに住んでいて、性が気になるお年頃。子供の頃から貯めてきた虎の子を手に意気揚々と街娼を会に出る。ほとんどは少年と見ると相手さえして貰えないのだが、面倒見のいい一人が、性の手ほどきをする。
そういう、微妙な年頃の男の子がある日父親に捨てられ、別れた母親は会いに来ても自分の息子だとも気付かない始末なので、彼は寂しさを覚えながらも愛想を尽かし、道路向かいの食料品店店主のイブラヒムに「養子にしてくれ」と頼み込む。父親が失踪してからここまでの間、モモは一人で暮らしている。生活費は、蔵書家の父親の本を売りさばいていたようだ。冒頭から、廊下にまで本棚がありぎっしりと本が並んでいることに気が付いて一人で喜んでいた私だが、結構筋金入りみたいだ。書斎のカーテンを開けようとする息子に「本が傷む」と止めさせるくらいだ(笑)。そんな彼が大切な本を置いて出奔した気持ちもちょっと分からないのだが、それほど人生に絶望していたということだろうか。
それ以前から折に触れてイブラヒムと交流を持っていたモモは、その都度自分の悩みを打ち明けるが、イブラヒムは「全てコーランに書いてある」とにっこりするのみ。父親が「アラブ人の店」と言っていたからてっきりそうだと思っていたら、トルコとギリシャの間辺りの出身らしい。外国のことやコーランのこと、生きていく知恵などをその都度教えられながら「いつも笑顔でいなさい」と勧められる。
無事イブラヒムの養子になったモモは(ここでも一波乱があるのだが)、二人でおじさんの故郷に旅をする。二人の関係がそれまでに丁寧に描かれているので、その素地の上にこのロードムービーがある訳だが、なんだか、とても幸せそうで、羨ましかった。新品の赤いオープンカーで、ヨーロッパ大陸を横断する二人。その街が豊かか貧しいかは、ゴミ箱の数で分かると断言するおじさんに、訪れる町々について逐一聞いて回る光景は、ただ空と雲の映像と、二人の会話でのみ行われるのが何だかユニークだ。
この辺りまで来るとラストがどうなるか想像できてしまうのだが、この映画は二人の心の通い合いを描くのが主なので、全く問題にならないし、むしろその通りであったことが好ましく思った。愛に恵まれなかった少年が、無条件の愛を一心に受けることで人との接し方や生き方を学んでいく様が、きれい事だけじゃないところも含めてじんわりと心に響くものだったと思う。派手ではないけれど、秀作。
うはー、こちらは一転して、とても楽しいアニメだった。全編、涙を流しながらの笑いが止まらず、たまにはにやり笑いやくすくす笑いまで。実写と見まごうばかりの技術には驚かされるが(上映前にやった子羊のショートアニメはどういう意味?)、「トイ・ストーリーズ」に較べても、その真価ぶりは舌を巻くほどだった。布の質感や髪の毛の感触なども、かなり確かだ。その上によくできたお話が乗っているので、作品世界にすぐに引き込まれ、そのまま離さない魅力を持っていた。
その魅力の大部分は、Mr.インクレディブルの奥さんでもあるイラスティガールという元スーパーウーマンが担っているだろう。彼女はまさにアニメの中にあって必然性がある人で、特技が「変幻自在な身体とどこまでも延びる身体」なのだ。家族が困ったときに、船になったりパラシュートになったり、まさに八面六臂の大活躍。勝ち気なところがうまく生かされていて、物語にメリハリも与えていた。しかも、きれいどころがそんな変な形になるものだから、その意外性みたいなところで笑いが倍増してしまうのだ。
その他、特殊な力を使うなと言われ続けて不満爆発しそうな、韋駄天ジェット、その力が厭わしいとひどく消極的で暗い少女になってしまい、その特技も自分の身体を見えなくしてしまうことと、バリアを張れること。性格と、一致しているのですよ、皆さん。そんな彼らのコスチュームを趣味でデザインするおたくなデザイナー(でも、パリコレでショーなんかもやる、超売れっ子)や、Mr.インクレディブルに憧れるあまりかわいさ余って憎さ百倍な大きな敵・シンドロームやらが味を加えていて、凄まじいスピードで話が進むのに、妙にこってりとした作品に仕上がっている。
コスチュームのデザイナーが出てきたり、ヒーローたちが街の平和のためにぶっ壊した建物や人の賠償を求められたりするところは、私たちが小さな頃から見てきたヒーローものにつきものの「そういえばあの後って一体どうなったんだろう?」「実際のところ、どうなのよ?」といった疑問に応えてくれる形になっているのではないか。そういう意味では、メタヒーローものでもある。
しかし、ヒーロー時代のMr.インクレディブルはイヤな奴だったと思う。そりゃ、シンドロームは散々事件解決の邪魔をしたかも知れないけど、もうちょっとあしらい方をどうにかすればよかったのではないか。大体、ヒーローたちの受難を招いたのは、全て彼の当時の言動だったとさえ言えるのだ。その辺りの反省が無いところはまあ、ヒューマンドラマではないから仕方ないけどね。
そろそろ上映が終わってしまうところも多いようで残念だが、機会があれば是非大画面で、臨場感に包まれながら見てくださいませ。
因みに、絶対生かされるはずだと確信していた「インクレディブル一家のコスチュームにはマントが無い理由」は、オチをちゃんと付けてくれていて大満足。ちょうど今出ている「ビックコミックスペリオール」に掲載されている吉田戦車の映画評が、これだったのにびっくり。やっぱりゴム人間のママに注目していて、「彼らはアメリカの野原一家(クレヨンしんちゃんの、ヒロシ、みさえ、しんちゃん、ひまわりね)」と喝破していたのは脱帽。結局は「家族愛・夫婦愛」にしてしまう辺りちょっとアメリカ的だなあ、と感じるのだが、まあ難しいことは言わないことにしよう、ここではね。
ブックファースト渋谷店にて。
これの発売を知ったときには「うわー、懐かしい」と思ったものだった。当時、学校の遠足に行く代わりに、ここに1泊2日で、学年全員で言ってきたんだよね。泊まったところは、会場内に用意された、簡易宿泊施設だった。多分、今で言うところの仮設住宅みたいなヤツ? 確かカーペットが敷かれた洋間一部屋にユニットバス、トイレが付いているつくりで、ユニットバスだなんて当時珍しすぎて、みんなで大喜びしてたのを思い出す。
建物も凄いのが沢山あったけど、こうやってパラパラ見てるとすっかり忘れてたけど思い出したのが集英社館。そうだ、各地の遺跡を組み合わせた外観だったよなあ。中には多分入ってないけど、ここで待ち合わせ、とかやってたのは覚えてる。覚えているのは、立体映像とレーザー光線とロボットとアグニ事業だったかな。当時、農業の科学的な研究(遺伝子操作なんかもそうだよね)なんかが、結構注目されてたのを覚えてる。入ったパビリオンは結構適当にしか見てなかったのだけれど、まあ、それなりには面白く、しかし、もっとすごいのが見れるんじゃないか、と期待していたほどではなかったのにちょっと落胆した。この当時展示されていたロボットは、今のように両手両足が自在に動くこともなく、どでっとしていたよなあ。
2001年のお正月には、その当時「未来のあなた達へ」とクラス担任の先生が出してくれた葉書が届いたりして、その先生はもう10年以上前に亡くなってしまったのだが、これを書いたときにはまさか自分が生きていないなんて思わなかっただろうなあ、と悲しくなった。片隅には、私が描いた丸っこいサザエさんみたいな先生の似顔絵がアレンジされてたんだよなあ。
だいぶ伸びた髪を、前の状態に戻すべくばっさりやってきた。爽快。珍しくかなり込んでいて、最初に髪を切ったのは、シャンプー台の前でだったよ。映画やドラマや、周辺のお店の話などで盛り上がった。
美容院で担当の人にこの存在を教えられて、早速その足で買ってきた。白い木箱の中に百々登勢の五年もの(300ml)といよかんピールと生チョコの取り合わせ。夫に見つからないようにとりあえず野菜室に忍び込ませてある。えーと、一応バレンタイン用?
このお店「福光屋」は金沢にある酒造のショップなのだけれど、イートインスペースでは、お酒で作ったお菓子やお酒も楽しむことができる店。明るく清潔な店内には、お酒だけではなくお酒を利用した商品や、お酒に合う食品も置いてあり、なかなか気が利いていると思った。ただ、最初に飲んだ吟醸酒は私には吟醸香が強過ぎて、一回買って挫折している。この古酒は、その印象をぬぐえるものか?
因みにここは、昭和63年までフクちゃんをキャラクターにCMの全国展開を図っていたらしい。
ロスト・イン・トランスレーション [DVD](ソフィア・コッポラ)」故郷から遠く離れたニッポンにやってきたのはいいが、腹にいちもつ抱えている二人が出会い、別れる話。日常から離れている場所だからこその冒険ってやつだろう。世間では上映中、いまいち反応が良くなかったように覚えているが、思ったよりもまともで面白いなあ、と思った。
過去の名声で生きながらえている俳優ボブ。契約したCMの撮影のため日本に訪れるのだが、それ自身彼は恥ずかしいと思っている。そして、街中で見かける自分の大看板(勿論、ウイスキーの宣伝)を見るにつけ「これが自分なのだろうか」と目を疑ってしまう。いろいろな面でいろいろな面が乖離している感じかな。一方、映像ディレクター(写真家?)の夫について来日した、大学を卒業したばかりのシャーロット。毎日、アーティストの撮影で飛び回る夫は彼女の寂しさに気付かない。毎日所在無く、東京の盛り場などをうろつく毎日。
ボブの撮影の場面での、撮影監督の指示をかなり意訳して伝える通訳にはちょっとだけ同情した。ああ、分かる分かる。理不尽な指示を出されたときに、それを相手に失礼ではなく、どうやって伝えるかに苦心する。まあ、説明するのが面倒という気持ちもあるのだろうけれど、彼女の意訳にはそういった今までの経験による思いやり(見当違いのものかもしれないが)が含まれているような気がする。言葉は、そのままストレートに伝えても伝わらないことが多々あるからね。
休暇をもてあましているボブを誘い出し、ボブが触れるものとは全く違う「東京」に触れさせるシャーロット。というか、こんな店があるんだー、と、私自身が驚いたよ。私たちだって、自分の近い世界の、一部分しかこの街を知らない。そういう中で、往年の大スターという特別扱いも何も無い心地よさを味わうボブとシャーロットは、いつしか双方とも惹かれあうのは当然のことだったろう。まあ、案の定その均衡関係を破る出来事が挿入されるわけですが。
親子ほども(いや、それ以上かも)年の違う二人が惹かれあう過程が丁寧に描かれていると思う。まあ、双方退屈していたからその退屈がまぎれるちょうどいい相手を見つけたということではあろうが。そして、メインの舞台である西新宿のパークハイアットとその窓から見える新宿や、東京の風景が、タクシーでなめるように撮る視線を追った風景とは対照的(近視眼的?)で面白かった。まあ、「ガイジン」というフィルタを通して見た東京を見せる「視点」の面白さと、映像の美しさ(やっぱりこれは父親のフランシス・F・コッポラ譲りなのだろうか)に較べてストーリーはさほど目新しくは無いが、印象に残る映画ではある。しかし、これを我々日本に生きる日本人以外の人がどう見るのかに興味があるなあ。
この映画を観たのは、阿部和重の『グランド・フィナーレ』に収録された一編「新宿ヨドバシカメラ」は、明らかにこの作品を基にしているだろうと思われたからだ。彼の作品では、新宿の、ヨドバシカメラを中心にした風景や都市論、それと同時進行で絡んでくるのが、パークハイアットで交わる男女の姿。男の方はそう若くないようで、自分と同年代の人間を主人公に配することが多い彼には珍しい設定だな、と感じたのだった。そして、その男性の独白の形で物語が進むのだが、その感じが、先ほど書いたパークハイアットの窓から眺めた、また、タクシーで流すように見つめる風景の印象に酷似している。おそらく、映画ではすっぱり切られている「あったであろう」一夜の描写を彼はしてみたのではないか。その描写は少々下世話ではあるが、視点が遠くに近くにぶれる様は、なんとも心地よい。それに気付いて、これは絶対観なきゃ、と思ったわけだ。後で再度「新宿ヨドバシカメラ」を読んでみようと思っている。
それにしても、ヒロインのスカーレット・ヨハンソンはきれいだなー。彼女のイメージビデオなんじゃないかと思うくらいだ。白い肌にぷっくりした唇には、明るいオレンジ色の口紅がよく似合っている。ファッションが、ちょっくらギャルっぽいところがまたギャップがあっていいかも。
カレンダー・ガールズ 特別版 [DVD](ジュリエット・トゥィデイ/ティム・ファース)」白血病で夫を失った友人を励まし、記念品を病院に置くために、自分たちのヌードをモデルにカレンダーを作ることを思い立った。しかも、彼女らはとうに女の盛りを過ぎた年頃。しかし、亡くなった彼の「ヨークシャーの花は女性に似ている。盛りを過ぎても美しい」といったような言葉がきっかけを作り……。実話をもとにしたストーリー映画。
舞台はヨークシャーの農村地帯。周囲をなだらかな草原に囲まれた開放的な土地だが、反対に人間関係はひどく閉塞し、旧態依然としたままだ。特に旧弊的なのが地元の女性たちが定期的に集まる婦人共済会。何の役にも立たず、毒にも薬にもならない講演や、つまらないし売れもしない毎年のカレンダー作成。いい加減飽き飽きとしている彼女たちのお茶目な姿に笑ってしまった。
配偶者の死とそれに伴うカレンダーの制作というのが前半の山だろう。保守的と思われたご婦人方も、次々に出演を承諾する。しかし、撮影の段になりカメラマンの男性の前で裸にはなれない、と怖気づいてしまう辺り、よく分かるよねー。実際にはカメラマンの役はメンバーのひとりのだんな様が携わったらしいが、ここではよそ者のフリーカメラマンという設定にしている。地縁血縁で繋がった異性では生々しくなりそうなところをうまく演出したなあ、と思う。そして、それぞれのご婦人方の、明るいことといったら! この辺りは、非常に愉快。記者会見会場に人っ子一人いなくてがっくりしている彼女たちに「会場が変更されましたよ」ともっと大きなスペースに恐る恐る入ってみると、満場の人々。カレンダーを置いてもらった書店ではあっという間に売り切れ、しまいにはハリウッドからも声がかかる。一地方の、そのまま地味に一生を送るであろう彼女たちがスポットライトを浴びることになったのだ。
後半は、その影響による反動を描いたと言ってもいいだろう。カレンダーの宣伝に飛び回る妻は、段々と家の中のことをおろそかにし、一方、彼女の息子はそのことに傷ついているが気付いてもらえない。これを機会に夫に三行半を突きつける人もいる。そのほかにも問題は起こるがそれらをほっぽり出してハリウッドに付いてきたクリスをジュリーはなじるが、逆に「人生相談なんかやっちゃって!」と切り替えされて二人の仲は決裂する。しかし、夢のようなハリウッドで結局は色物的な捉えられ方しかされない事実に愕然とする辺りの落とし方もうまいなあ、と思った。どうしても後半部分は前半部分に比べ物語そのものが失速気味になり勝ちで物語も複雑になるので面白さも半減するのだが、それでもいい物語に仕上がっていると思う。何と言っても、退屈な日常に飽いた、それも盛りを過ぎた彼女たちの元気のよさは、見ていて本当に気持ちがいい。
案の定、エンドロールではオリジナルのカレンダーも出てきて「ああ、やっぱり映画の方はビジュアル重視なのね」と思ったのだけれど、それでもあの年齢の人々でやったというのは凄いと思う。しかも、あの後もカレンダーを作り続け、随分と収益を上げているらしい。勿論既に記念品を買うまでの金額には達してはいるが、白血病治療のための投資をしているそうだ。
デアデビル [DVD](マーク・スティーヴン・ジョンソン/ゲイリー・フォスター)」これって、2003年の作品だったのか。作品のテイストが、まるで90年代風だったよ。考えてみれば役者は現代の人だわね。
元プロボクサーの父と二人暮しのマシューは、ある日事故で視力を失ってしまう。その代わり、他の四つの感覚が研ぎ澄まされ、目を持つ以上の感覚を持つ身体になった。そんな彼の姿を見てボクサーへの復帰を果たした父親は、八百長試合を断ったがために、陰で仕切るものに暗殺されてしまう。胸には一輪の薔薇が――。そのときから、父親の敵を探して復讐することと、街の平和を守ることを決意する。長じて盲目の敏腕弁護士となった彼は、運命の人に出会ってしまう。しかし、彼女は……。
人がよく死にますなあ。誰もデアデビルの存在を知らないってことは、彼らは「峰打ち」ではなく、デアデビルに殺されたってことだよね。悪を許せないから、昼間の弁護士の仕事では裁き切れなかった裏の裁きをしてるってことだ。どうやらニューヨークには沢山自警的なヒーローがいるらしいね。ってせりふはここにも出てきたけど。主演のベン・アフレックは、意外とこの「盲目の弁護士」が似合ってる。ヒロインのジェニファー・ガーナーも、緑の瞳が印象的な人だなあ。このジェニファー・ガーナーだが、親を殺したのが本来はヒーローであるデアデビルだと思っているところとか、「スパイダーマン」で主人公の親友を演じるジェームズ・フランコ(ハリー・オズボーン役)を髣髴とさせる。私刑を行うことに対する悩みとか大都会の中の孤独とか、スパイダーマンに重なるところも多いのだけれど、これはコミック自体が同じマーヴェル・コミックスだったということで納得した。いろんなヒーローものの要素が集約されているようにも見えるが、その分「どこかで見たような」場面の継ぎ合わせと見えないことも無い。ところで、マシューとエレクトラのカンフー対決シーンは、そのままマトリックスじゃん!と思ったわけだが、これって双方関係あるのかなあ? 目が見えないがために彼女の姿を雨の反射を通して見る当たりなんかはちょっとロマンチックだなー、と思ったよ。しかし、エレクトラはもうちょっともちつけ、といったところだ。
この映画を観る気になったのは、「イベント/阿部和重+青山真治トークショー「世界映画の今を問う!」(2004年7月1日)」で話題になっていたからなのだけれど、アイロンをかけながらなので日本語吹き替えにしてしまい「Justice!」は聴くことができず残念。しかし、酔狂にもレンタルではなく買ってしまったので、気が向いたら吹き替えなしで観てみることにしよう。
旭屋書店渋谷店にて。
わー、阿部和重バブルだ。ところで「群像」の書評に『グランド・フィナーレ』が出てる(by福永信)のだが、表題作についての言及しかない。ええー、こんなもの? というか、発売されないときに原稿を出さなきゃならなかったんだよね、多分。
村上春樹+佐々木マキの絵本は、最初は買うつもりが無かったのだがみている内に表紙のぷにぷにとした手触りとか、手に馴染みやすい大きさとか、その内容とかすっかり魅了されてしまったですよ。村上春樹は、こういう傾向のものの方が私は好きかも。
「群像」のインタビューの方をパラ見していて、「グランド・フィナーレ」の登場人物の名前のネタばらしがあって愕然としました。何で気付かなかったんだろう……。
ところどころ、つい吹き出してしまうような赤裸々なインタビューだった。とりあえず、阿部和重作品、そして特に『シンセミア』と「グランド・フィナーレ」を読んでない人は読むの禁止! 読んでないひとは、これの面白さにぴんと来ないのではないかと思うのですよ。
ああ、それにしても、最初っから阿部作品を読み直したくなってきた。最初に読んだときは100分の1も読み取れてなかったんだな、と思うと、悔しくてですねえ。とりあえず、春までに『シンセミア』を再読するつもり。
実際にトークショーなどでしゃべりを聞いていても感じるのだけれど、非常にクレバーで勉強熱心な人だなあ、と思います。頭の回転も速い。学歴であれやこれやと言われやすい状況ではあるのだけれど(作家って、高学歴の人多いからねえ)そこまで気持ちよく裏切ってくれる人っていうのかな。そのギャップもミステリアスで楽しい。シンちゃんやリュウちゃんの感想への受け答えでも分かる通り、きちんと自分の作品についてのスタンスを持っているんだよなあ。いや、今更ながら感心した次第。
とりあえず、「安っぽい文学バンザイ!」ってことで。
プリーストリー氏の問題 (晶文社ミステリ)(A.B.コックス/小林 晋)』著者は、アントニー・バークリー名義の方が著名ではないかと思うが、この名義でもユーモア系のミステリ作家としていくつか発表しているらしい。ということで、これも軽い気持ちで読めるミステリ。その割には本は高いけどね(笑)。
うすらぼんやりとした人生を送ってきたプリーストリー氏は、懐には余裕があるようでたぶん、いい家柄の出身なんだろうね。ロンドンで一人暮らし(といっても執事やメイドはいるのだよ)をしている、優雅な独身貴族だ。しかし、友人からはその刺激の無い人生や性格をなじられ「そんなにひどいものだろうか」と自分を見つめなおす。そんな時、見知らぬ女性に人違いで声をかけられ、その勢いで人をしまった! しかも、一旦つかまった警官に不意打ちをかけて逃げ出したので、二人の腕には手錠がかかったままだ。
というシチュエーションから発展していく物語だけれど、これには裏の物語があり、交互に進行が描かれていくことになる。実は、プリーストリー氏ははめられたのだ。しかも、殺人を犯したと思い込んでいるが、実はそれも仕組まれた罠。有閑な面々が「人は犯罪を犯したらどのような態度を取るだろうか?」と愚にもつかない素人犯罪研究を試してみるために、プリーストリー氏をターゲットにしたのだった。なんとまあ、ひどい話だろう。当初はすぐにネタ晴らしをするつもりだったようだが、偽の殺害現場を本物の警官が見てしまったことから話はややこしくなり、予定も狂っていく。しかし彼らは「まあ、ローズ(というのがプリーストリー氏が出会った「見知らぬ女性」だ)が何とかするだろう」と実に暢気に構えている。しかも自分たちはのどかな村に突然起こった凶悪事件の当事者として、更なる実験までしてみる始末。ちょっと調子に乗りすぎじゃないですか?
一方、手錠をはめたままの逃避行ということで当然そこには何らかのロマンスが芽生えることを期待するわけだが、その辺りも思惑通りに展開していく。そう、この物語には、意外性は無い。「多分、この次はこうなるんだろうなあ」という予測が立ち、そしてその通りに物語が展開していくのだ。そういった予定調和的な面白さもまたあるのだと思う。安心して読める(というミステリってあるか、と言われそうだが、確かにそういう魅力はあると思うのだ)。うらなりのようなプリーストリー氏は、しかし危機には強いようで、そこから弱腰になって逃げることは無い。いつもローラを最優先に考え積極的に行動するが、しかし感情の起伏が激しい一面もあり、その辺りでローラがほれ込んだり逆に激しい口論になったりと忙しい。ローラも勝気で頭の回転が早いという人柄のようで、彼女がプリーストリー氏にいい影響を与えてるということなのだろう。
現在、半分を過ぎた辺り。手錠も無事に外れ(最後まで外れないのかと思ってたけど、この時代だとちょっとそれは大変かも)、彼らの悪巧みも暴かれそうな予感。さて、どういう風に騒動を収めていくのやら。
ブックファースト渋谷店にて。
浅暮さんの新刊が出てたの、全然気づかなかったですよ。多分、新刊平台に並んでなかったのだと思う。ミステリの平台でやっと見つけた。「週刊アスキー」に連載していたものに大幅に加筆修正を加えたものだそう。ちくま新書二冊は、なんつーか、かなり怪しい、きわどいヤツ。何でこんなテーマのものを同じ月に同時に出すのか(笑)。「SFが読みたい!」は、国内・海外ランキング(解説がとても丁寧で、どちらも参考になりました!)と、翻訳家(大森望・古沢嘉通・柳下毅一郎・山岸真)による対談のさわりをちょこっと。みんな一様に「いい時期に出しやがって」と山岸さんを責めている(笑)。へえ、『万物理論』って文系SFなんだ。どうもイーガンってハードSFっていう印象があって手を出しにくいんですが。やっぱり読んでみようかなあ。今更だけど。さらに今更なのが、『ファイト・クラブ』。パラニュークの新刊が出ていたので、こちらから読んで合いそうだったら読んでみよう、と思ったのだ。こっちは映画を観てるから、話の展開は分かってるんだけど(原作とは違ってるかも知れないけどね)。
プリーストリー氏の問題 (晶文社ミステリ)(A.B.コックス/小林 晋)』えーと、普通に面白かったです。でも、せっかく出してくれた晶文社には申し訳ないけど、文庫とか、そういったハンディタイプで読みたい内容だね。
この作品は、1920年代に発表されたもののようで、だから話としては結構古い。風俗も古いわけだが、それほど古くは感じない。ひとつには、登場人物たちの年齢にあるだろう。殆どが20代から30代といったところだろうか。女性も進歩的な考えのお転婆さんが多く、男性の方もそれを理解しているようだ。唯一の例外が、ちょっとうるさいお隣さんで、とうとう女房に逃げられてしまう(これは、首謀者たちが悪いんだけどね)のだった。
最初にちょっとしたいたずらを考えて、適当に収拾つけようと考えていたのにあちこちで歯車が狂い始め、あれよあれよと大事件に発展してしまう。そんな話。田舎に住む裕福な素人犯罪研究家は、同好の士に出会い、ある悪巧みをする。ある一介の市民が凶悪犯罪を犯してしまった場合、どのような反応を示すのか実験したい、と。そこで「格好の人物がいますよ」と差し出されたのがプリーストリー氏。彼もまたロンドンで気ままな一人暮らし(といっても執事やメイドはいるのです)をする青年なのだが、あまりの凡庸さに友人でさえ呆れ返っている。彼をちょっと驚かしてやると面白いのでは、という訳だ。で、早速仕掛け人としてローラという勝気な女性を送り込む。
それと同時に、恋物語も進行する。ある程度の期間二人きりで行動すれば自然と仲も良くなるってもんで、ここでは二組のカップルが誕生することになるようだ。それぞれが結構無自覚だったりもするもんだから全てを知っているのは読者と著者のみという形なのだが、ちょっと著者がでしゃばりすぎるところがあるかな。この辺りの「露出度」は、先日池澤夏樹の文学講義をまとめた『世界文学を読みほどく』で気付かされたことなのだけれど、著者があまり露出しすぎると「煩い」印象が生まれてしまう。で、確かにちょっとこの物語でもでしゃばりに見えるのだ。
イギリスのちょっと小じゃれた物語がお好きな人には打ってつけだろう。
全体的に、少々冗長ではあるけれどテンポ良く進むので、軽く楽しみたい人には打ってつけ。ぜひ、数年後には文庫化してもらいたいもんです。
経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか (平凡社ライブラリー)(C.ダグラス ラミス/C.Douglas Lummis)』ええと、ご本人もあとがきで書いてるけど、全般的に「知っている」ことです。ただ、それに対する考え方に示唆を受ける。
なぜ経済は成長し続けなければならないのだろうか? それは、そうしないと企業が成り立たないからなのだが、だからどこかで無理が出る。普通にしていては売れない「不必要なもの」こそCMなどでがんがん宣伝するのだ、というところでまずびっくり。いや、その通りなのだけれど、なぜか「自明の理」であることほど、人間って考えなくなるものだね。
そういうことがいろんな角度から述べられている。語りおろしだからということもあってか、文章も平明で、非常に分かりやすい。なぜ憲法第九条がこれだけ槍玉に挙げられなければならないのか、これこそ、世界に誇れるまっとうな思想ではないか、戦争が前提となっている世界こそが間違っている、というところは、最近ぐらついていた自分の「常識」が間違ってないことを再度確認ができたように思う。自分のこんな根本的な考え方がぐらついているだなんて恥ずかしい話だけれど、ここのところそういう人は結構多いのではないかと思う。どうだろうか?
全体的には、最近あちこちで聞かれる「スロウ・ライフ」と言っていることは同じだと思う。それを、個人の考えからもう少し拡げてみようよ、という呼びかけかな。勿論、ひとりひとりがそういう風に心がけていくことが大切なのであって、現在そういう考え方がメジャーになってきていることはそういう意味では歓迎できることなのだと思う。ただ、こういった考え方をする人って基本的にインテリの人たちなので、そこから一般に広めていくのに時間がかかるのだろうなあ、と思う。著者も「現在はパラダイムシフトの時期だが、それが"常識"に変わるまでには結構な時間がかかる」と繰り返し言っている。たとえば流行などもとんがった人たちの口コミで少しずつ広がり、最後はおじさん雑誌などで「今の流行はこれだ!」なんて特集が組まれた頃にはブームも終わりかけ、なんて揶揄されるのだが、そういうことなのだろうな。
色々と、自分の生き方を見つめてみようという気にさせる本でした。きれいごとだと捨て置いてはいけないんだよね。
文藝春秋 2005年 03月号」芥川賞選評そういえば、店頭に出てたので買ってきたのだが、見るまですっかり忘れていた。えーと、選評を一通り読んだのだけれど、
決選投票で6人が阿部作品を推し、4人が白岩作品を支持。白岩さんはギリギリで賞を逃した(MSN-Mainichi 2005年1月13日)
という6人は、高樹のぶ子、池澤夏樹、黒井千次、宮本輝、村上龍、山田詠美だね。石原慎太郎は言わずもがなだが、古井由吉は一言も触れてない(笑)。「ひとつの作品へ宛てて書くことが多かった」かららしいけれど、今回は石黒達昌「目をとじるまでの短かい間」に宛てている。河野多惠子は「根本的な古めかしさを感じるにとどまった」ということで、白岩、中島、山崎への「次作に関心」のメッセージ。村上龍は、色々不満はあったようだが(笑)、消去法だったんだろうな。推した理由は「小説にしかできないことに作者が挑戦しているように感じたから」だそう。山田詠美もかなり素っ気ない評だけれど「筆力を感じて」ということ。最初、カウントするときは△を付けてみたのだけれど、最後に辻褄合わせると多分○だろう、と。
高樹のぶ子は、どうも目の付け所が違うような気はするのだが(笑)。池澤氏の評はどれも見事だが、今回、黒井千次もなかなか素敵。宮本輝が「阿部氏の作品は過去四作を読んでいる」って多分候補作のことなのだろうけれど、ホントかな(笑)。実は、この評でも内容には全く触れてないところが気になるんだけど。
えーと、とりあえずのインプレッションでございました。
ブックファースト渋谷店にて。
風邪でだるいというのに、やっぱり寄ってくる私であった……。
芥川賞作品「グランド・フィナーレ」のモチーフは加護・辻(犬にかぶらせろ!)で
阿部和重のモーヲタぶりは有名ですけど、モチーフですか。
と書かれてます。念のため書いておきますが、この二人のモデルはむしろ、「ガラスの仮面」だとその前に話しています。名前も、麻弥(北島マヤ)、亜美(姫川亜弓)という形です。しかも主人公が沢見で、こちらも速水と掛けているようです。……というのは、対談中もあまり言いたくないようだったので感想を書いたときには書かなかったのですが。モチーフも演劇だし。確かにハロプロが好きだってのは確かだし、私も読んだ瞬間は「まさか!?」と思ったのだけれど(知っている人は直結しちゃうでしょうね)。まあ、言うことを額面そのままに受け止めることも無いと思いますが。
アルカロイド・ラヴァーズ(星野 智幸)』実は、彼の長編は初めて。雑誌掲載時に読みたかったのだけれどぐずぐずしていたら単行本が出てしまった。
"楽園"から追放された咲子は、「種から生まれた」とも「犬から生まれた」ともいう陽一と結婚する。咲子はその陽一に、劇薬アルカロイドを処方し続けるのだった。自ら課せられた"罰"として……。
陽一に通風の気があるということで、それがアルカロイドということは内緒で家で栽培したイヌサフランを処方し始めるのだが、アルカロイドにはどうやら免疫力を高める作用もあるようだ。ただ、同時に不妊にも効果的となっているので、咲子が敢えて服用させる理由がいまひとつ解明できなかった。彼女が追放された"楽園"とは、半永久的に「子を産む性」としてみなされずに済む、何度でも再生し、その度に仲間たちで欲望のまま愛し合える世界なのだが、彼女が独占欲を持ってしまったがためにこの世界は破壊されるのだ。その罰として、彼女は一回限りの生を、この世で「子を産む性」として生きることになる。多分に妄想を含んだ話でもあり、その世界をどこまですんなり受け入れられるかが勝負になるような気はするが。
話の中では語られていないのだが、何度か陽一の側でも「バチ」という言葉が出てくる。彼もまた、どこかから追放され罪を受けている身だったのだろうか、とも考えられる。口では「子どもを作る」ことに執着しながらも、咲子によって衰弱させられていくのを抵抗もせず受け入れている。最後の最後まで……。
子を生す性としての存在に抵抗を試み、新たに「再生する生」を目指すのが、彼女の目論見だったのか。彼女の過去と陽一に関しては、彼女と知り合った女性の口から語られることになっており、幾重かの物語に包まれている構造は、今までの彼の作品にも見られたことだ。これは、通常では理解しにくい世界を客観視させることで、我々読者に噛み砕き、理解しやすくしてくれている、ということだろうか。彼は以前から「種の継続を想定しない生」というものを目論んでいるようで、『毒身温泉』とは違った形でそれを提出していると思う。『毒身温泉』は、生き方のスタイルの提案といった面があったが、今度のは、思想の面から攻めている。
もう一度読み直すともう少し分かってくるのかも知れないが、今のところはちょっと判断保留中。平均より上であることは、勿論間違いないが。
真説 光クラブ事件 ―東大生はなぜヤミ金融屋になったのか―(保阪 正康)』これが出るまで、随分と待った気がする。多分、1年以上ではないだろうか。角川書店の刊行予定で「山崎晃嗣」の名を見てから、いつ出るのか、いつ出るのかと心待ちにしていた。真っ黒でマットなカバーに銀色のクラシカルな明朝体のタイトルがイカす。
彼の名と事件を知ったのは、中学生か高校生の時分に読んだ三島由紀夫の『
青の時代 (新潮文庫)(三島 由紀夫)』でだった。戦後の混乱期に起こった泡沫的な事件を三島由紀夫が何か琴線にかかって採り上げた、といった形かと思ったのだが、この本を読むともっと直接に関連が出てくるようで、ちょっと認識を改めた。というか、三島の、自伝的なほかの作品で語られる幼少時代とこの作品の主人公の少年時代がどうも重なってしまっていて、長らく、兄にお気に入りの鉛筆を海に放り投げられるひ弱な少年は三島本人のエピソードと勘違いしていたようだ。
聡明ではあるがあまりにも融通の利かない青年が、多感な時期に第二次世界大戦と徴兵を経験し、人間そのものへの見方ががらりと変化してしまったこと、そして、その辺りを克明に描写する三島の作品のうまさを今更ながら実感する。そうか、これは単なる「想像」ではない可能性がとても高い。もしかしたら、自分と心を通じ合った同志への、追悼であったかも知れない。
赤裸々な手記を遺して自害した山崎だが、そこに実名を出したのは、彼が本当に信頼し、尊重している人間以外だった。虚飾に彩られ、人生そのものを演技したのではないかと見る保坂は、次々と当事者の取材拒否に遭いながらも貴重な証言を得て山崎の綻びから彼の実像を探り当てようとしている。
思いもがけず面白かったので、ついつい予定を通り越して没頭してしまった。
風邪はほぼ治ったらしい。一時はインフルエンザか、と心配したが、検査の結果も違っていたし、そこで結構安心してしまった。風邪薬はもう少し飲んでおこうかと思ったのだが、薬局で注意された通り、本当におなかが緩くなるので、今日から止めておこうと思う。
初めて行った病院は、新しいところだったので不安だったのだがそもそも今までも「これ」というところはなかったので、そう言う意味では安心して通えそうなところ。歩いてすぐなので具合が悪くても辛くないし、これからも使えそう。
週末のジュンク堂のトークショーに行けなかったのだけが残念。無理矢理行っても周囲の人に迷惑掛けちゃうよなー、と思って止めておいたんだけど。どこかでレポが出ることを希望しておく。
それにしても、三連休を寝て過ごす空しさよ。薬のせいか、殆どを寝てすごしたため、睡眠不足は大幅に解消されたけれど読書はあまり進まず。
先日から「おかしーなー」と感じていたのだが、はてなDへのTrackBackがちゃんとできない。正確には、TrackBack用のアドレスと示されているアドレス宛に打つと失敗するのだ。一度だけ、間違って通常の記事アンカーに打ってしまったものがあったが、こちらはすんなり受け付けられたので、そのときは「うーん、これは嬉しいバグか、仕様拡張ということだろうか」なんて喜んでいたのだが、正式な受付先が機能しないってどういうことだろう? そんなに機会も無いので、自分のところでテストを繰り返すほか無いかな。
もし、同じように悩んでおられる方がいらしたら、記事URIの方に打ってみてはいかがか? いや、それで解決するかどうかは定かではないが。
この週末は三連休だったせいか、男女ともども「お土産」を配る姿が目に付いた。そこでふと思い出したが、今日はヴァレンタインデー。おお! お土産の方でお茶を濁し「まあ、チョコはこれと一緒ってことで」と逃げてしまう術。そうやってフェードアウトする手もありか。
という私はとうの昔にそういう「虚礼」は止めてしまった口なのだが。逆に、最近はお店でチョコを貰うことが多くなった。今朝立ち寄ったサンクスではでかいメダルチョコを。100円の買い物だったのに!
ブックファースト渋谷店にて。
最初のブックレットは、発売予定がどんどん延び、しかも版元を変えての出版だったようだ。最初は大学図書からだったのだけれど、うちから出さないか、というようなアプローチがあったのだろうか? ただ、この手の本がある場所が全然探し出せなくて参った。とうとう今日になって検索端末で探したのだが、「仕分けしてないので店員に聞け」と出る。聞いてみたら、丁寧に案内してくれた。この店員さん、4Fでは時々お世話になるのだけれど、いつも丁寧なんだよなあ。最初はものを持ってきてくれたのだけれど、商品を訪ねたときに「見たいんですけど」と言ったのを思い出したのか、本がある場所まで案内してくれた。100点ですね、書店員の対応としては。この近くにあるに違いない、と、人権の棚までは見たんだけどなあ。
そして、『オルファクトグラム』とうとう文庫化! 同じ時期に出た同じ臭覚ミステリ『カニスの血を嗣ぐ』(浅暮三文・著)はまだなんだろか。『オルファクトグラム』も、遅いくらいだもんね。とても面白い小説なので(連続殺人事件だけどな!)、是非この機会に読んでみては?
朝日新聞記者が書けなかったアメリカの大汚点 (講談社+α新書)(近藤 康太郎)』著者のことは、AERAにコラムを持っていた頃に知った。アメリカの現代風俗なんかを紹介していて、音楽ネタが多かった印象はある。音楽専門ライターかと思ってた。ちゃんとした朝日新聞社の記者だと知ったのは、それから随分経ってからだと思う。
この著者は、この本の前に『
朝日新聞記者が書いたアメリカ人「アホ・マヌケ」論 (講談社 +α新書)(近藤 康太郎)』という本を同じ講談社α新書で書いていて、それが好評だったために第二弾、となったらしい。このタイトルがどうにも下品に見えて私は買わなかったのだけれど。いくつか感想をさらってみたが、こちらを読んでいる人には「二番煎じ」という感想があるようだ。私はこれが最初なので、別にそうは思わなかったけれど。
書かれていることは、まあ、最初から最後までそれほど変わらない。アメリカとアメリカ人という「大いなる田舎」のことを、いろんな面から検証しているという感じ。アメリカというのは、少々の都会と沢山の田舎からできているのだなあ、と思う。そして、今の選挙制度からすれば、そのキャスティングボードを握るのは、その「沢山の田舎」の方だ。だからニューヨークやカリフォルニアなどの大きな都市では選挙活動はそれほど激しくは無いが、寂れた田舎では熾烈な戦いが起きていたりする。勿論、南部は共和党が強いんだろうなあ、というのは傍から見ていても分かる話なのだが。だから、知性に訴えるよりも「より分かりやすい」ことに主眼を置いたPR活動になる。政策なんて似たり寄ったりだから、余計にそうなるのだろう。そういえば、『ザ・フィフティーズ』を読んでいても、選挙活動の舞台がテレビに移る時期の話が書かれていたのを思い出す。
そうして、アメリカ人の精神構造。あれだけ世界を混乱に陥れたブッシュがどうして再選されるのか、外から見ていると全く分からない。しかし、この本を読んでいると、アメリカ人の大勢が本当にそう考えているのかどうかは分からないが、何となく納得させられてしまうところがある。たとえばイラク戦争。「あの戦争は間違いだった」と宣言したとする。日本でも、そういう認識はかつての大戦で既に持っていたと思う。しかし、アメリカは違う。そんなことを言ったら「じゃあ、その戦争で死んでいったかわいそうな人たちは無駄死にだったという訳か?」ということになってしまう。だから「過ぎ去ったことは仕方が無いから無条件で肯定」という論理構造になってしまうらしい。ええええーー! そんなのってありー? と思う。思うけれども、私はアメリカ人じゃないからそう思うのかもしれない。世界を左右する大国の国民であれば、そのくらいの精神構造じゃないとやっていけないのかも知れない。それがこの本で言うところの「俗流プラグマティズム」というキーワードに結びつくのだろう。正義とか真理を尊重するのではなく、現実がまず優先でそちらに正義や真理に沿ってしまうのだそうだ。ううん、なんて便利な精神構造をしているのだろう。
この本でも再三言われているが、ここ数年で私も、本当に「自由」とか「民主主義」とか「資本主義」とかが、素敵なものなのだろうか、と疑問に思う機会が増えた。まあ、それはそういう衣を着た別物しか享受していないからかも知れないのだが。ここでも「多くのアメリカ人は、限定付きの自由を自由と勘違いしている」といったことが書いてあるが、それはアメリカ人だけではないだろう。先日読んだC・ダグラス・ラミスの『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』でも、「無力感を感じているのであれば、それは民主主義社会ではない」というキャプションがあり、ドキッとした。その通りだからだ。我々は、お仕着せされた「限定付きの自由」で悦に入っちゃってるんだなあ、とつくづく感じる。
しかし、どうすればいいのだろう。こんなバカな日本人でさえ気付いているようなことが、アメリカ人には気付けないのだとしたら。そして、そんな人たちが住む国が、世界の運命を大きく左右する現実が当分変わらないのだとしたら。たとえば日本だけ足掻いてもどうなるものでもないのだろうか。そう考えると、この本を読んで確かにブッシュが再選した理由は分かったのだけれど、その分近い将来まで見通すことができてしまい、暗澹たる心境なのである。
焼け石に水かとは思ったのだが、少し前に90cm幅の本棚を買った。居間に置くため、あまり存在感を出さない、白っぽく塗られた木目にしておいた。昨日、それを本来の場所に置いてみたのだが(早速筋肉痛になった)、その段階で「棚を留める棚ダボ(というんだっけ?突起状のもので棚の四隅を支えるやつ)が無い」ということに気付いた。いや、最初はあった筈だ。その後、何度か移動されたときにどこかに外れてしまったのだろう。うう、これでは本が並べられないではないか。
どこに行ったか分からないので、とりあえず今日棚ダボを東急ハンズ辺りで買って帰ろうと思う。家にある別の棚のを流用しようと思ったのだが、こちらは太すぎて入らなかった。棚ダボにも色んな太さがあるだなんて知らなかったよ。
今回は産総研の増井俊之さん。すげえテキストのボリュームがあって、読み通すのに時間がかかった(笑)。でも、子どもの頃にコンピュータなんて無かった!という話から電気工作、プログラミング、インターフェース、仕事の話などなどなどなど本当に盛りだくさんで、ご本人と何度か(というか何度も)話したことがある身としては、テキストから声やリズムがそのまま流れてくるようで、非常に楽しかった。大学のサークルでは先輩たちがよく基盤やワンボードマイコンを作ったりしてたので、何となく手触りは分かる。いや、秋葉原でパーツが売ってない時代のことまでは知らないけど。それにしても、いつもお酒を飲んでるところしか印象に無いが(って、会うのがそういう席だから当たり前ですね)、改めて凄い人なのだなあ、と思った。
次にたすきが渡ったのは同じ産総研の江渡さんということで、こちらも楽しみ。そういえば江渡さんのサイトデザインは先日リニューアルしたらしいのだが、背景の画像がウェブカムから取り込んだものだということだ。だから、時間帯によって色が違うのだが、すっごくCool! 日に何度もリロードしてしまう。
実は、るびまはこのインタビュー記事しか毎号読んでないのです。済みません……。
猛スピードで母は (文春文庫)(長嶋 有)』文庫になったので読みやすくなり、やっと手に取れた。長嶋有の出世作。「サイドカーに犬」の方は読み終えたのだが、独特の作風を持ってるなあ、と思う。この人の作品に出てくる状況は大体、家庭(または夫婦)の関係は壊れかけ(もしくは完全に壊れている)ていて、傍目から見れば何となく不幸かも知れないのだが、本人は案外気にしてなくて、淡々と暮らしている。ガジェットの使い方もうまく、たとえばここでは麦チョコだったりサイドカーだったり百恵ちゃんだったりレーザービームだったりするのだが、我々世代のサブカル方面の共通項目をちょろちょろ出してくるんだよね。それで時代感とかが共有できちゃって、物語に入りやすくなる。こういう傾向は、最初から持っていたようだ。
神経質な母がある日家を出て行くが、子どもたちは大してショックも受けない。かえって勝手気ままにできるので喜んでいるが、それが夏休みと言うのはミソではあろう。「ひと夏の体験」ってやつ? それから暫くすると洋子さんというスレンダーな女性が出現するのだが、彼女と父親とその仲間と子どもである主人公たちの共有した時間、という感じかな。ところで、途中で不意打ちを食らったですよ。最初は主人公は男の子だと思っていたのだが、途中不意に女の子だということが分かるのだ。これ、意図してそうしてたのだと思うのだけれど、結構淡々としてるからこっちも女か男かなんてよく分からない。洋子さんがよく散歩に連れ出すのも、もしかしたら同性の気安さもあったのかも知れないなあ。この洋子さんという人も一風変わっていて、どうやら主人公の父親の愛人のようなのだが(それがばれて母親は怒って家を出たのだろう)、ひどく無造作。たとえば、麦チョコをカレーライスを食べた後のお皿(一旦洗うよ!)にあけるところとか。悪く言えばルーズ、よく言えば無造作。このひと夏は、全てにおいてこういう状態なのだ。大好きな麦チョコを思う存分食べることができて、姉弟は大変満足していたようだが。
小さな転調はいくつかあって、そのひとつが百恵ちゃんの家まで散歩に行くところだろうか。このときに、あまりに遠くまで来てしまったので洋子さんが父親に迎えに来てもらう。そこで登場するのが売り物のサイドカー付きバイク。うはー、仮面ライダー(月光仮面もだっけ?)が乗ってて憧れたもんですよ。いまだに道端で見るとずっと目で追っちゃうものなあ。サイドカーのエピソードの回想があるのだが、この主人公、ここでも自分を犬と同列においているところが面白い。麦チョコをドックフードみたいだ、とか言われても喜んでるし、それをまたエサとか言われてたりもするし。
ひと夏の体験となる以上はそんな生活は短い期間で終わってしまうのだが、これもまたそうだ。こういう緩々の生活って確かに子どもにはなかなか許されないけど、一度やってみたかったような気がするなあ。
子どもの目から見た大人の世界の話ではあるのだけれど、これを洋子さんの目から見たら実際はどんな世界だったか、なんてことを平行して考えながら読んでいた。そういう読み方を、自然にさせるタイプの作品だと思うが、考えてみたら長嶋作品ってそういうのが多いかも。微妙な心理の変化とか、子ども特有の鈍感さ、敏感さなどの表現が結構うまくて、そういうところが光る人だなあ、と思ったっす。
そういえば、今朝早くにあった地震には驚いた。うちは免震構造なのでゆらゆら揺れるのが普通なのだが、それにしても激しい揺れだったからだ。しかも、ちょっと長かったしね。地震はおさまったのでそのまま寝てしまったのだが、震度4だったことを知り、合点がいった。しかも震源地が茨城県南部と近かったのね。今朝はテレビを見てないので現地がどうなってるのか知らないのだが、大丈夫だろうか?
mixi日記では案の定あちこちで「地震」というタイトルで書いてる人多数。しかも、蔵書家はみんな「タワー(本を積み重ねているうちに自然とできたものです)が崩れた」とか「本棚から本が落下」とか言ってるし。うちはそうすると傷がとても浅かったのだな。まあ、ここで安心してはいられないのだろうけれど。
はてなが「日本初のソーシャルブックマーク」としてはてなブックマークをリリースした。ちょっと使ってみたのだが、ただブックマークできるだけというのと、カテゴライズはシステムの方にお任せということは構わないのだが、amazonの情報は「一般」というカテゴライズされてしまうだけというのに激しく萎えた。それと、たとえばamazonなんかだと自分のアソシエイトIDをそのまま保存してくれちゃうのはいいのだが、そうするとおそらく、同じ本をブックマークしていてもみんなと繋がるのが難しいんじゃないかと思うのだ。結構色んな情報をURIに引っさげているところは多いので、これらがばらばらの扱いであるとすればそりゃ、つまらないなあ、と思う。そのくらい、実はやられていて、単に私のブックマークした本自体が誰もマークしていなかっただけ、ってことも考えられるのだが。
ishinaoさんのMM/memoは、それ以前のMM/本のメモだったときから引き続きという形で使っているのだが、インターフェースが一新されて一瞬戸惑った。ブックマークレットを活用することを知り「こんなに便利で楽しいものは無い」と嬉しくなったが。私は通常Operaで利用してるのだが、ツールバーのところにMM/memoのブックマークレットを用意しておき、メモしておきたいページを見つけたときは、そのアイコンを押してすぐに登録するようにしている。時には、延々ひらきっぱなしにしていてなかなか読む時間が見つからず観念して登録するものもあるのだが。で、適当なキーワード(自分で後から思い出しやすいもの、他と共有できそうなもの)を登録してちょこっと感想やメモを書いておけば、後から「どうしてこんなのをブックマークしたのか訳が分からん」ということにならずに済む。で、面白いのが他に同じURIをメモしている人をMM内で探してその人なりの反応を見たり、トップページで今注目のページを眺めるのも面白いのだ。blogmapとも連携しているので、本であればその本の話題にした人のエントリもすぐに参照することができる。あるサイトの反応を見たければ、自分から登録するのも面白い。たとえば先日マッドサイエンティスト・カフェを登録した。すると暫くすると同じサイトをメモしている人が複数人できていることが確認できたし、過去にこのサイトや企画について触れられた知らない人のエントリを拝読することもできた。MM内では自分が契機となって情報を共有する人が増えていくのが見えるし、一方で早くから話題になっていたところがあることも確認できる。私はもう少し前から話は聞いていたのだけれど、どういう形で紹介すればいいか迷っていて、さりげなく書き込んだわけだ。でも、ちゃんとこうやって情報って注目され、伝わるんだなあ、というのが可視化できて面白いなあ、と思った。
それぞれにそれぞれの使い方があるのだと思う。yukattiさんははてなブックマークのことを
はてなの狙いとして、「お気に入り登録」というその写真を賛美する行動に言葉はいらないんじゃないか、というものがあって、お気に入り登録するという行為自体でお気に入り登録者と写真撮影者間にかすかなそこはかとない交流を生ぜしめようとしている……ような気がする。それと同じことがブックマーク登録にも言えてるんじゃないか。( 香雪ジャーナル - はてなブックマークによるコミュニケーション)
と推し量っている。これは以前からishinaoさんが言ってまた実践している「直接関与しない、緩やかなコミュニケーション」そのままだし、MM/memoもまた、程度が違ってはいるものの、同じようなコンセプトなのではないかと思う。まあ、おそらくこうやって便利なツールがどんどんできてくるんであれば自分に合っているツールを選べばいいってことでユーザにとっては幸せな環境だし、存分に使わせてもらおうと思う。
今まではてなダイアリーでクリッピングしていたshinoさんが、私の何気ない一言でMM/memoの面白さに気付いてくれたようで、嬉しいなあ、と思おう。しかし、shinoさんのところで既に132か! と驚いた。随分とユーザも増えたなあ。でも、nazonoDiary(via 2005/02/16 | ʤ!? | 1470.net )で書かれている通り、ここに登録している人たちという母集団が注目するものが面白い、ということなんだろうなあ。そういえば、るびまのサイトを探さなきゃ(全然覚えてない……)、と思ったときに、今までだったらGoogleで検索していたところを、MM/memoの注目URLの一覧を見れば誰か絶対クリップしてるはずだから、と期待してその通りだったのは、新しい自分の中の流れかも知れない。
大体、これを使うまでは自分が興味を持ったものを公開するという気恥ずかしさがあったのだけれど、便利さに慣れて抵抗なくなってきてしまったよ(笑)。
ええと、ちょっと今日はこれ以上文章を書く余力がないので、ちょっと別の話を。
yukattiさんが「うるさすぎる書店はイヤ」とおっしゃってますが、私もそうですよ。意外でしたでしょうか?
少し前のこと、酔狂にも舞城王太郎の直筆絵の山手線ラリーを敢行して、数日に分けて何とか山手線沿線の書店全部を回った訳ですよ。寒かったー。もう最後の方は、意地でしたね。でもって、目的はおそらくPOP状になっている舞城王太郎のイラストでした。これはホントに普通の書店の文芸書コーナーなどにPOPと同じようにディスプレイされていたところが多かったのですが、身近に感じられるのはいいものの、反面、他のPOPが邪魔して、目的のものが全然見つからない、なんてことがありました。というか、ほとんどのお店がそうでした。慣れているブックファースト渋谷店は、例外的にレジのところの小さな額に飾ってあったのでよく分かったのだけれど(というか、企画に気づいたのはこれでだった)。初めて入った書店がほとんどで、そんな中で「舞城はどこだ〜」と探す訳ですよ。これが、どんなに小さな書店でも、なかなか見つからない。一発でフォーカスが当たったことは無かったですね。そのくらい、似たようなPOPが氾濫していたと言うことです。確かにPOPは販促に役立つと言われてるし、その工夫ではお店独自のベストセラーなんてものも狙える。そこが腕の見せ所と書店員さんは頑張るのでしょうが、それがノイズにしか見えない場合もある。というか、ほとんどがそう。普段は、そういったノイズは無意識にカットしているのですが、POPそのものがターゲットだったこの時期は、書店にはこんなにPOPが溢れていたのか、と、驚き呆れてしまいました。肝心な人には届いてないかも知れないですね。
そんな中、ほっと一息付けたのが、千駄木の往来堂書店。ここは、本当に落ち着いたディスプレイで、POPも最低限、控えめに付けてました。そのお陰で、プッシュしている本がよく分かってアクセントの付け方がうまいなあ、と思いました。ここはちょっと特殊な書店だということも、通常の書店は不特定多数の客をターゲットに色んなアプローチをしなければならないというハンデがあるのも分かるのですが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」と申します。もう少し、落ち着いた店作りをしてもいいんではないかなー、と愚考した次第です。
猛スピードで母は (文春文庫)(長嶋 有)』子どもの頃、親同士の会話に口を出すとよく「子どもが大人の話に口を出すな!」と怒られたものだった。こちらとしては状況が分かってるつもりで口を出してるので不満もあったのだが、今から考えると、随分的外れなことを言っていたのだろう。ここには二編の中編小説が収められているが、どちらの子どもも周囲の子どもよりはどこか大人びてはいるけれど、目線も視野も明らかにその年代である主人公を通して、どうしようもないけど愛すべき大人を活写している。
長嶋有の作品はこれで出ている分は全て読んだことになるが、おしなべて超低空飛行のメンタリティと生活で、淡々とした生活を淡々と語る。大抵が経済的にもさほど恵まれてはいず、しかし、そのことを不幸とは思っていない。まあ、ここで描かれているのは長嶋氏が子どもを時代を送ったであろう1970年代頃で、当時そういう子どもってクラスに一人くらいはいたような気がするしな。
でもって、そういう、視点が低くて小さな穴から覗いているような世界観で、これらの物語は描かれている。それもあってか、読み進めていると自然に他の登場人物の視点のシミュレーションをしてしまったりする。彼がこう考えていたときにこんな態度をとった彼女は果たしてどんな風に受け止めていたのだろう、とか、そんな感じ。そうやっていくつものエピソードが並行して物語が続いていくのが、もしかしたら長嶋作品の面白さなのではないかなあ、と思う。主人公が子どもではなかったとしても、偏った情報しかその目には映らない。しかし、読んでいる方は主人公と併走しながらも、他の人の立場に立つことができるのだ。なんだか、それが面白い。
描写がかなり繊細で、人の心の動きがちょっとしたしぐさや反応で描かれているのも特徴的だ。あちらこちらで「ああ、この感触、分かる」という表現に出くわす。たとえば、解説でも触れられている、「猛スピードで母は」の慎(まこと)が、母が旅行から帰ってこなくて「自分は捨てられたのではないか」と思いつくシーンだが、それまでは心配で落ち着かない時間を過ごしているのに、
そう考えた途端に、ずっとぐずぐず出つづけていた涙がぴたりと止まってしまった。冷蔵庫のモーター音が不意に止んだ瞬間のような、静かな時間が訪れた。
という心の動きを描いている。今までざわついていた心の中が、最悪の事態を思いついて合点がいったところで逆に落ち着いていくという微妙な心情。彼は、この瞬間に何かを悟ったのだろう。何かというのは、よくは分からないが、自分ひとりで立って生きていく覚悟、といったものだろうか。勿論、これは杞憂で翌日母親は帰ってくるのだが、その後すぐに祖母の死、学校でのいじめなどを経験する中で、もしかしたらそれ以前であればもう少し違った反応を示しそうなところではなかったのか、と考えてしまう。因みに、ラストの場面。母親の運転するシビックが沢山のワーゲンを次々と追い抜いていくシーンがあるのだが、ここでの親子二人の間に流れる空気は、明らかに"バディ"だと思う。母親は、少し強くなった息子に信頼を置いているし、会話からもそういう部分が読み取れる。車の疾走感も相俟って、この小説のラストは、とてもとても爽快な、いい描写だと思う。何度か書かれているようにこの小説の舞台は霧が多く発生する地域なのだが、ここだけは、抜けるような青空だったんじゃないか、と感じるのだ。
それと、二つの物語は主人公が子どもであるのと同時に、その子どもが見ている対象が女性であることも特徴的だと思う。その女性もまた、世の中一般に見られるような、フェミニンな雰囲気やエレガントな印象とは程遠い。特に、「サイドカーに犬」では口うるさい母親(まあ、母親とはそういうものなのだろう)と、少しルーズで素っ気無いがそれなりの方法で子どもに接してくれる父親の愛人が出てくる。彼女は男勝りというわけではないが、父親やその仲間に対する態度もひどくあっさりしていて、子どもらにもこびることはない。自分のスタイルが元々あって崩さない人というのが時たまいるが、そういったタイプなのだろう。「猛スピードで母は」の母親もまたそうで、だからこそ折角資格をとった保母の仕事をとっとと辞めてしまうし、婚約者の「慎一」に運転を任せ、助手席に座る彼女の姿に慎は違和感を覚えるのだろう。母親は、タイヤ交換も自分でするようなタフな女である。当然、座るのは運転席の筈なのだ。
そういう、独特な価値観や空気を持っているこの人の作品は、私にはひどくしっくりくるのだけれど他の年代の人はどういう風に見るのだろうなあ。少し軟弱? 軟弱で結構じゃないか。
昨日保留していたSBMの話ですが、yukattiさんから
わたしはザッピング的にざっと眺めるのが好きで、ブックマークに登録されているページそのものを読みに行きたい、本そのものの情報を知りたい、という要求が強いので、ブックマーク登録ページそのものが余分な情報抜きでくっきり浮かび上がっている方が良い。登録者のコメントや注釈はそれはそれできっちり読みたいときもあるけど、そういう気持ちのときはブックマークサービスよりもクリッピングサイト・ブログそのものを読みに行くときが多いし……(はてなブックマークとMM/メモツール(MM/memo))
というお返事が届いています。昨日は「うるさい日本の私」で「私もPOPだらけの煩い書店は嫌ですよ」という話をしました。さてそうしたら、どうしてここまで求めるものが違ってくるのか?
yukattiさんは「(MM/memoの)トップページのデフォルトのフォントがわたしには小さすぎて目に辛い。そして文字数が多い。」とおっしゃってますが、確かに小さいんですよね。私も嫌ですよ(笑)。でも、そうしないとこの情報量はまとまらないんだ、ということで納得はしています。そして、私は昨日POPのこともそう書いたのだけれど、必要ない情報は無視しちゃってるんですよね。むしろ、ざっと面で眺めてぱっと目に付いたところにフォーカスを当ててます。だから、もしかしたら沢山情報を逃しているかも知れないけれど、それは他の機能で何割かは補完していると考えています。
たとえば、自分がクリッピングしたメモの「関連情報」を見ると、同じ情報をクリップしたほかの人のデータが出てくる。私が好きなのは、こういう状況になった場合にそれぞれの一言コメントやタグ付けの仕方を見ることです。その人たちがどういう風に情報を見、意味づけをしたかがよく分かるし自分との比較もできる。そこで興味を持てば、その人のメモにジャンプして、他にクリップしている情報を眺めてみたりします。また、「似た傾向のメモ」も出てくるので、まあ、それが似てるとは思わなくても目を引くものがあればチェックしてみます。案外と、この「似てない"似た傾向"」が効を奏すことがあります。これもまた「緩やかなつながり」故のことだろうと考えていますが。まあ、そこまで深追いしないで眺めるだけで切り上げることも多いですけどね。私の興味は、自分が興味を持ったあるデータを他の人はどのように評価したか、しなかったか、というところにあるようなので、それにはMM/memoがちょうど良かった、ということです。
勿論、なんだかトップページがすっきりして新着メモの字が大きくなったMM/memoのように、はてなブックマークももっと面白い機能や使い方がされる可能性はあるでしょう。だから、駄目だとは言わない。現時点で私の使い方に合わないだけ。そのうち、逆転する日が来るかも知れません。面白いツールが沢山出てくればいいと思うし、それはこれらに関わっている人みんながそう思っているのでしょうから、そういうアンテナは常に張っておきたいですね。
ところで、昨日さらっと書いたものが結構注目してくださる方も多かったようで、お陰で他に色々なSBMがあることが分かりました。夜にでも、「あたしの上を通り過ぎていったSBMたち」を紹介したいと思います。まあ、そう言うほどちゃんとした紹介はできないとは思うので、期待しないで待っていてくださいませ……。(※ちょっと、今日は力尽きたので、済みませんが明日に回します)
そうそう、びっくりしたのが二点。http://b.hatena.ne.jp/jkondo/に私の書いたエントリのブックマークがあったことと、はてなブックマークのhotlistsに登場していたこと。そんなにたいそうなことを書いてなかっただけに、ちょっと意外でしたがありがたいです。
takam16さんが運営する「本と本屋と図書館に魅せられて」というウェブログがありますが、ここで最近、ちょっと面白いシリーズがあるのです。題して「ズバリ言うわよ!」(勝手につけました。ごめんなさい……)。
ちょっと……いやかなり態度のでかいおばさま(でしょう)が書店にやってきて、既存の書店では当たり前のシステムを指摘して強引に変えさせるのです。現在このシリーズで3つ出ていて
ご本人は、シリーズ化してマンネリになってしまったら止めます、とおっしゃってます。確かにそういう懸念は考えられるので、必要なときに登場する形で続けてくださればなあ、と思いますが、新刊書店の諸店員の方々、ドキッとすることも多いのではないでしょうか? いや、書店に足しげく訪問する身からすればただ大笑いするのみというお気楽さではありますが。
この方、元書店員の方だそうで、この核心を突いた内容と切り口の鋭さは納得です。
因みにこの「ズバリ」言う方は、どなたでも顔が脳裏に浮かんでくる、あの方で間違いは無いでしょう。こんな凄い人に見込まれて、この書店員さんは幸せというか、ご愁傷様というか……。ある種、富豪刑事に似たものがあるかなあ、と感じたのですが、それは傍若無人さとか、常識をひっくり返すほどの権力(ここではネームバリューと彼女のイメージとなっている「怖さ」でしょうが、富豪刑事だと財力とそれを惜しみなく使える性格となるでしょう)を持っているところかなあ。
書店員、頑張れぇ!
パーク・ライフ (文春文庫)(吉田 修一)』表題作のみ読了。
主人公は動かない。周囲も動いていない。でも、離陸直前のような、そのための「ため」を作っているような瞬間の話だなあ、と思った。次々と繰り出される現代風俗の固有名詞が、こうやって出現すると目に新しい。もしかしたら著者は、「今」を書き留めたくて、こうやって廃れ易い固有名詞を連発しているのではないかとさえ思った。それは、「なんとなくクリスタル」でも使われた手法なのだろうが、普段は触れることも無い高級ブランドやスノッブ趣味とは違って、こちらは手に届きやすい公園やカフェ。唯一「ああ、もうこれは無いなあ」と思ったのはテレビ番組のニュースステーションだった。この小説が上梓された当時は確かにあったものだが、こうやって確実に、その作品に閉じ込められている「今」は変わりつつあるのだ。
不思議だなあ、と思ったのが、主人公と、公園でよく会う女性の関係。私たちは、通常会社勤めをしているのなら、名刺交換なんかをやってしまうんじゃないかと思う。そこで相手の名前や仕事なんかが分かるのだけれど、この作品の中の彼らはお互いの名前も知らないし、何をやってるのかも知らない。あ、主人公は仕事のことは少しは話したんだったかな。彼女の方にいたっては、仕事のことを話すことを、避けている気配さえある。何となく、事務系のOLではなく、キャリア系の仕事をしている女性に思えるのだが、果たしてどうだろうか。お昼時を外して公園で毎日ランチを食べているところからも、そんな気配を感じる。
それと、面白いのは「不在」ということ。象徴的なアイテムとして、ダ・ヴィンチの「人体解剖図」や人体模型人形、そして、逆に臓器提供の広告やそれを加工して売る会社の話なんかがある。それをどう捉えていいのかがまだいまいち分かってないのだけれど、それらと「いるべき場所にその人がいない」というのが散見されるのだ。たとえば主人公のアパートには一時的に上京してきた彼の母親が滞在していて、彼はといえば、離婚寸前で別居中の夫婦のマンションに滞在している。そのマンションの住民である妻の方は、フライト中のスチュワーデスの友人の部屋に居候している。不在の部屋で、留守番電話にメッセージが吹き込まれている。考えてみれば、この物語の大きな舞台となっている日比谷公園なんかは元々が「不在」だ。空っぽの場所に思い思いに人が集まっている。いや、空っぽだからこそ、なのだが。そこから、隠すことなんて何も無い(=空っぽ)ことをひたすら隠しているスタバの女性客らがリンクするのだ。そういえば、主人公は学生時代に旅行したアメリカのスタバで、他人が注文したコーヒーを持ってきてしまう。故意にではなく、言葉が分からないからうっかりだったのだけれど、これも「空っぽで中身はなんにでも交換可能」であることを示しているのかも知れない。
なんだか秘密文書めいてきたが、今まで書いてきたことは、今の東京という姿だよなあ、と感じる。著者が何を書きたかったのかは分からないが、もしかしたら、そういうことだったのではないかなあ、と、いろいろと推理してみたくなったのだった。そういったスリリングさがこの作品には満ち満ちている。
たつをさんによれば、ラジオで「渋谷にiPod専門店、iPod Storeができる」と言っていたらしい。先日、Apple Store新規開店によるオープニングスタッフ募集の内容を読んで「渋谷にApple Store?」と半信半疑だったのだけれど、iPodに特化したお店ということであれば何となく納得できそうな気がする。
事情があって夫にあげてなかったバレンタインデー用のギフトを、昨晩渡した。急に顔がパーッと明るくなるのは何なんだよ(笑)。箱を振って酒と知り、余計に嬉しそう。
で、こういうのは勿論お相伴に預かるわけだが、生チョコ、思ってた以上においしかった。普通、ブランデーなどを練りこむところを10年以上寝かした百々登勢に変えてるらしいが、これが効を奏してるのではないだろうか。後口はあっさりしてるのだけれど、味は濃厚。オレンジピールならぬいよかんピールも実にいい味だった。ああー、こういう風味だから日本酒も合うんだね、多分。日本酒の方も、五年寝かせたとかでもっと濃厚な風味なのかと思っていたら、拍子抜けするほどさらりとした味でびっくり。ああ、これは当たりだなあ。このギフトの存在を教えてくれた美容師さんには、今度お礼を言わなければ。甘いものが苦手な夫(だから、毎年バレンタインデーは私もスルーしていたのだ)もこれは喜んで食べていたよ。
来年も同じの販売してたら買ってみようかなあ。今年は、全て完売した模様。まだ売ってたら買うところだったよ。
翻訳者の山岸真さんと「SFに身を捧げた(と本人が言っていた)」大森望さんのトークイベントが神田・三省堂書店本店で催された。参加したかったのだけれどちょっと無理そうでやっぱり着いてみれば終了時刻の20時だったので、打ち上げの方に突発参加させて貰いました。でも、何となく「SFな人たちの飲み会」って感じでしたね(笑)。それにしても、出版業界に身を置く人の割合がひどく高いと感じました。編集者はもとより、ライター、山岸さんたちのような翻訳者など。私はただの一般人なので片隅で訳も分からず「へー」と聞いてましたが。いる席がみらい子さんたちのところで、いつの間にかSFセミナーのイベント打ち合わせの場にもなってましたのう。
唯一参加できた話題は、赤毛のアン話かなあ。あれが好きだったとか嫌いだったとか、そういったところ。私は最初から好きなのですが、確かにダイアナはバカだな、というのに今頃気付きましたよ! それにしても、三村美衣さんのパワーはすごいなあ、と思いました。思わず引きずられます。
三村さんとタカアキラさんから「バレエ・ダンサー」という子供向けの本を紹介されました。変な話なので、是非読んでみたいと思います。検索してみると、おそらくこの上下巻の本のことかな?
バレエダンサー〈上〉(ルーマ ゴッデン/Rumer Godden/渡辺 南都子)
バレエダンサー〈下〉(ルーマ ゴッデン/Rumer Godden/渡辺 南都子)
そういえば、解散時にふと入り口近くの席を見ると、坪内祐三さんを発見。舞い上がって声をかけてしまったのだが、ご迷惑だっただろうか? 一緒にいらした方が一所懸命応対してくれたのだが、彼については全く知らず。もしかして活躍されている方だったらごめんなさい……。
近所のスーパー併設のブックショップにて。
こういうところは「新刊」といっても随分前の話題作なんかを普通に置いているしタレントエッセイなども文芸の棚に一緒くたなので、ハードカバーは当てにしないことにしている。平台のいい場所にあった『電車男』を、「お、電車男だ」と今更ながら喜んで手に取っていた子連れのパパが客の典型のひとつかも。
コドモのコドモ (1) (ACTION COMICS)(さそう あきら)』週刊漫画アクションで連載中。小学五年生の幼馴染同士が、一緒に遊んでいる最中に「くっつけっこ」をする。まさかそれがセックスだということも知らずに……。
確かに、10歳や11歳ともなれば、今の子どもだったら発達も早いし、お互いに生殖能力もあるのかも知れない。どう見ても彼女らは子どもなのだが、それは大人から相対的に見た結果であって、それぞれは一個の人間であることは変わりはない。ただ、社会的に見れば物事を処理する能力やノウハウが極端に少ない、ということになるだろう。
巻の半ばごろに小学校で行う性教育の話題が出てくる。担任の女性教師ヤギセンはとても真面目な人で、周囲が難色を示すにもかかわらず自らの考えのもとに独断で踏み込んだ内容の授業をしてしまい、父兄から抗議されてしまう。父兄はヤギセンを「若いし結婚も出産もしてない」未熟な人間とはなからバカにしていて、それにどもたちも気付いているから、子どもらは反抗的だし真面目なヤギセンはどんどん神経を尖らせ、一人で問題を抱え込むようになってしまうのだ。ここでは、あらゆるところで意思疎通がうまくいっていない。主人公の春奈は、「くっつけっこ」と自分たちが呼んでいたものがセックスだとその授業で知り、妊娠・出産の本で自分の今の体調はつわりだと知る。それをヤギセンに告白するのだが、ヤギセンは春奈を問題児だと決め付けていて、折角の告白も自分に対するいたずらだと思い込み、撥ね付けてしまう。悩みの持って行き所がなくなった春奈は、周囲の友達のみで秘密を共有し、どんどん出産日が近づいていく。物語の中では、どんどんと出産日が近づく様子をカウントダウンしているが、連載の方ではただいま3日前。
ここでは、子どもが性交渉を持ち、妊娠してしまうことをコミカルに描いているが、そういった学校や家庭での問題を毎回うまく描いているし、家庭の中での年寄りの存在も、うまく活用しているなあ、と感じる。彼女らが住むところは東京都内ではあるのだが、随分と都心から離れていて農家が当たり前にあるところのようだ。そういったのどかな、それでいて周囲の緩やかな監視がある田舎町の社会環境が、子どもの目線からうまく描かれているように思える。
子どもが子どもが生んだといえば、今をときめく(?)杉田かおるの二度目の出世作「3年B組金八先生」を思い出すが、そのとき衝撃だったのでも15歳。うーん、時代は進んでいるのね、やっぱり。
あまりにも無邪気な春奈たちと妊娠というギャップが、面白さを生み出す元になっているとも感じる。
ぼくのプレミアライフ フィーバーピッチ [DVD](ニック・ホーンビィ)」感想は後で。原作はニック・ホーンビィだが、まあ、まずまずの仕上がりではあったと思う。すごく地味だけどね(演出も俳優も)。吹き替えがなかったので、予想していた通りアイロン掛けながらの視聴がちとつらく、何度か少し戻ってリプレイしたりした。
ブックファースト渋谷店にて。
海外文学の平台を見てたらいきなり『ハードライフ』が目に飛びこんできてびっくりした。オンライン書店は、まだデータにも入ってないよ。普通の新刊の台に無かったので注意。今日のレジはトレーニー(ってことは、研修中?)の人で、そのせいか接客の順番が違っていて、何だか違和感があった。結構、みんな慣れると揃ってくるんだね。
値段を伝える→カードを出す→一括払いかどうか聞く→一括払いで、と言う→カードを通す→認証の間に「カバーは全部おかけしてよろしいですか?」と聞く→「いいえ、要りません」と言う→「恐れ入ります」と言いつつ袋に商品を入れる→(明細にサインを促す→サインする)*1→「こちら、カードと明細と領収証のお返しです」と渡される→商品を渡される
って感じかな。その順番が狂ったり、文言が違ってたりするのだ。
*1 5000円未満の場合にはこの段階は割愛され、「こちらお買いあげが5000円未満となりますので、サインの方省略させて頂きます」と言われる
パーク・ライフ (文春文庫)(吉田 修一)』彼の作品には高いレベルを求めてしまうから、相対的に低くなってしまった感じ。日比谷公園や「今」のライヴ感は悪くない。っていうか、スタバのカフェモカを持って現地巡礼するぞ。併録の「Flowers」は、評価に困るなあ。暴力と汗と性と……という、彼のもうひとつの世界。
ディック傑作集〈1〉パーキー・パットの日々 (ハヤカワ文庫SF)(フィリップ・K. ディック/浅倉 久志他)』表題作だけ読了。今週末のお題のひとつなので。
戦争で水爆を落とされ灰ばかりとなった地上を避け、生き残った人々は各地域の地下シェルターで暮らす。そこで大人たちは、かつての豊かだった日々を懐かしみ、ミニチュアで精巧なセットを次々とつくり、パーキー・パットという人形を配してシミュレーション・ゲームをするのが唯一の楽しみだった。そんなある日、少し離れたシェルターで似たような遊びをしていることを知り、お互いの人形とセットで対決することになる。
なんとも皮肉なラスト。冒頭から、殆ど説明は無く、話を追っていくごとに詳細のごく一部が明らかになっていく。何となく、人生ゲームみたいなことを人形遊びでやってるのかなー、なんて感じるのだが、ゲーム自体の描写は実際には無いので想像でしかない。現状を正面から受け止めたくましく生きている戦後生まれの子どもたちとは対称的に、大人たちは人形遊び自体が日々を暮らす目的となっているという皮肉な状態。過去の、良かった頃の記憶など無い方がよほどいい時間を過ごせるという訳だ。
対戦の直前に、双方の中間地点のシェルターの住民たちは、相手側の人形は「大人だ」ということを強調する。パーキー・パットはティーンエイジャーという設定なのだが、実際にその姿や設定を見せられた主人公たちは、自分たちの負けを確信してしまう。ジェニーとリカちゃん人形みたいな感じ?? しかし、果たして「進んでいる」ことは果たして全てにおいて「正」なのか? そういったところがこの物語のテーマなのだろうなあ、と感じた。シェルターという別々の空間の別々の文化を持ちながらもどこでも似たようなことをやっているところも皮肉ではあるが、進化の速度の違いもまた、皮肉な結果をもたらす。そして、勝負もまた、進んでいる方が必ず勝つとはいえない点がポイントだろうか。
実は、フィリップ・K・ディックはまともに読んだのが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』くらいなので敷居が高かったのだが、結構すんなりと入ることができて拍子抜けした。多分、表現の仕方などが自分のスタイルに合ってるのだろうなあ。
この短編集は初期の作品から結構後のものまで、あれこれ混ざっているらしいので、色んなスタイルがあるのかも知れない。本当はこれだけ読んだら別のお題の方に移ろうと思っていたのだけれど、もう数作、引き続き読んでみようかな。
マサトクさんの記事を見て激しく共振してしまい、USBアダプタのバーコードリーダーを買ってしもうた。水曜の夜に注文し、木曜の午後に入金したところ金曜にはもう到着してて、しかしちょっと暇が無くて梱包も開けてなかった。
日曜の夜になってようやっと落ち着いて箱を開いたところ、想像していたよりは心持ち大き目のバーコードリーダーが出てきた。ドライバ類などは何も付いてない。マニュアルがあったので一応見たけど、USBアダプタタイプについては何も書いてないのでとりあえずUSB HUBに挿してみたら認識したよ。しかし、この先がどうやっていいのか分からん! いきなりバーコード読ませたらどーなるの? と手近な本のバーコードを読ませてみたら、ピカッと光ってピッと音がして認識してるようだけれど、何も起こらず。途方に暮れて、とりあえず私本管理Plusを起動して新規データ入力ウインドウを表示させて読ませたところ、ISBNの欄にたらららっと数字が入り、そのままamazonに検索しに行ってちゃんとデータを引っ張ってきてくれたよ! お利口さんだ!!
早速、この夜のうちに200冊くらい登録してしまった。我ながら猿だね。とりあえずは手近にある本だけ入れてみたけど、手持ちの本を整理しながらどの棚にあるか、くらいの情報は入れていこうかな、と思っている。思った以上に、手打ちしなくていいってのは楽なもんなんだね。
今回購入したのはエフケイシステムというところのもの。リーダー部分に近いボタンをピッと押して読み込みスタンバイさせるタイプ。
ソフトウエアの方に不満が無いわけではないのだが、これは引っ張ってくる元のamazonのデータがまずい、という問題が半分以上を占めているので、今のところは仕方ないかなあ。よそからデータを買ってきているのだろうけれど、表記の統一とか、そのくらいはやって欲しいように思うよ。あと、翻訳ものは著者しか引っ張ってこない。というか、多分列挙してあるうちの一番最初だけ取ってるんだろうな。
こうやっていると、本だけではなくCDやDVDも登録したい気分になるのだが、残念ながら「私本管理Plus」ではそこまでは対応していない模様。そういう要望は無いのだろうか?
因みに、バーコードリーダ自体の機能は、バーコードから数字を読み取るだけなんだね。テキストエディタをアクティブにしているときに読ませてしまい、やっとからくりが分かったよ(笑)。
追記:マサトクさんのところにmovie付きのエントリが(笑)! 静止画像は後で入れようと思ってたけど、凄すぎます。30秒ほどの長さで5冊の本を入力してます。状況がよく分かるかと。
本のデータをバーコードで猿のように登録して喜んでいたところ、増井さんからバーコードWikiのコラムを紹介してもらった。ここでも最近もてはやされている「タグ付け」での管理の話題が出ているのだが、これの管理をWikiでやってしまおう、という話だ。各部屋やそこにある家具や収納などをたとえばバーコードで登録しておけば、どこに何があるのか分かりやすくなり、押入れをひっくり返して一日掛けて探しまくる、なんていう失態もなくなるのだろう。いや、その前に把握できるように整理をするのと、ものは使ったら元のところにちゃんと戻すという習慣が必要になるのは当然で、それができていれば今の問題の半分くらいは解消してると思うのだけれどね。とほほ。
そうか、そういえば今までって実験だったのか。
JR東日本のプリペイドICカード「Suica」の利用拡大のキャンペーンを上野で行っている模様。
http://www.jreast.co.jp/press/2004_2/20050202.pdf
なるほど、割引クーポン自体をSuicaでやってしまうのは、なかなかよさそうだね。それと、何よりもSuica(コインレス&キーレス)ロッカー! Suicaが認証デバイスにもなるのか。いつも鍵がどこに行ったかその場になってから慌てたりするし小銭が無くて右往左往することもしばしばなので、これはとてもありがたい。それにしても、この辺は元気だね。
このためだけに上野に行くか……。今週末は東京駅で待ち合わせようと思ってたんだけど、上野にするっつーのは駄目ですかの?
上野アトレでは全面的にSuicaを使えるようになった模様。ってことは、もう少ししたら恵比寿アトレとかもそうなるかな?
ディック傑作集〈1〉パーキー・パットの日々 (ハヤカワ文庫SF)(フィリップ・K. ディック/浅倉 久志他)』「ウーブ身重く横たわる」豚とそっくりの、異星に生息する生物が、人間と同程度の知的生命体だったら――という話を描いたもの。確かに、人間は人間の形状をしているだけで特権的である訳でもなく。お知りの辺りがむず痒くなる話でした。私だったらどうするかなー。やっぱり、無理かも。この船長の現実主義者っぷりったらすごいですね。
「ルーグ」こちらも、見方が変われば、という感じで、「ウーブ〜」の同工異曲といった見方もできる。果たして、このルーグなる生物(?)は一体何者なのだろうか。なぜ、犬のボリスは、それほどルーグに執着するのだろうか……。どちらも、とても短い話で、話もすっきりと仕上がっている。後味は良くないけどね(笑)。
彼の短編をちゃんと読んだのってこれが初めてなのだけれど、まあ、短編小説だから説明する間も惜しいということもあるだろうが、その設定の不思議さをうまくミステリ的な味わいにして、読者を引っ張っていってるなあ、と思う。冒頭に掲載されているジョン・ブラナーによるディック評でも、依頼した編集者たちが彼を「実に申し分の無い寄稿者」と評したと紹介しているが、短編作家としての手腕はかなりのものなのだろうな、という感じがする。文章も(翻訳なのでそういうところでは判断するのは難しいかも知れないが)語りのさじ加減もうまいなあ、と感じられる。
こちらも今週末対策。まあ、ディックもそうなのだけれど、SF作品といってもかなり普通小説に近い味わいのものをみんな選んでいるという感触がある。先月号の「S-Fマガジン」に掲載された山本弘の作品はちょっと違う気はするけど、こっちも早めに読んでおかないと。
厄介者だった母が亡くなり、埋葬する時点から話は始まる。失踪と語り手である男は言っているが、違う観点から見れば母が勘当(追放?)したということらしい。一体どうして? そして、ケリーはどこに??
ミステリ的な味わい。解説でも翻訳した古沢氏が書いているが、かなり普通小説のテイストを(も?)持つ人なのだね。彼の作品の中では分かりやすい方だとも書かれているので、そんなに手こずることは無いだろう、とは思いつつ。今日は、これと藤岡真の「笑歩」を読めるといいな。
さて、猿のように登録し続け300冊以上になったデータではあるのだが、今回購入したバーコードリーダーでは読み取れないバーコードが二つほどあった。それまで、結構難易度が高そうなものも読み取ってくれたので結構安心してたのだけれど、ちょっぴりショックだなー。っていうか、7000円台にそれほど求められても、という気がしなくも無いが。
ひとつは、笙野頼子の『夢の死体』とエドワード・ケアリーの『アルヴァとイルヴァ』。前者は、ミルキィ・イソベ装丁のキラキラしたやつなんで「ちょっと駄目かも」とは思ったのだけれど、ねえ。それと、『アルヴァとイルヴァ』は、黒背景のマットな装丁がとてもシックに決まっているのだけれど、それに合わせてとても細かい白網かけたようなところに表示されていたので、背景色との判別がなかなかつかなかったものと思われる。書店のバーコードリーダーではどちらも読み取れたはずなので、やっぱり出来が違うのかなあ、という結論。大方のものは全く問題ないんだけどね。装丁が凝ったものは、こういうことがあるかも知れない。まあ、手入力で十分なのだが。
ブックファースト渋谷店にて。
買った後はとんぼ返りで会社の人と飲み。だらだら飲んでたら、目の前で終電を逃してしまった。何をやってるんだ、私は。
先日、各種SBMについて別立てで書く、と言っておきながら、まとまった時間がなかなかとれずに宿題を残したままにしています。いや、気にしてるのは私だけだと思いますが。
一応、情報収集を、ということでMM/memoにメモってはいますので、よろしければご参照ください。こういうときでタグで管理できるとやっぱり楽だねー。
お風呂の中で小松左京の「BS6005に何が起こったか」を読了。うはー、これが一番難しいかも。「なんとなく」はわかったのだけれど、果たして自分の理解で正しいのか? そして、話に入れるのか??
自分が出したお題、阿部和重の「ヴェロニカ・ハートの幻影」も再読。うは、何でこんな難しいの選んじゃったんだろう。ざっくりとした筋は覚えていたつもりだけれど、ダメダメっす。多分、「この物語には物語りはない」という話から「物語外の物語」をテーマに語ることになるかなあ。当時はぴんとこなかったけど、ここで回想シーンの舞台になる「世界一小さい山」って、『シンセミア』にも出てきた若木山のことなんだね。この辺りの回想シーンが、急に鮮やかになってくる。やっぱり、そう言う意味でも阿部和重にとっての『シンセミア』は、創作活動のマイルストーン的な存在だったのかも知れないと感じた。後は、おそろしく不運な男の話として、楽しんで読んでくれれば。この「謂われ無き悪意に晒される男」という設定も、彼の作品には度々現れるよね。
mixiでこんな催しがあると気付いたので、夫を誘って会社帰りに寄ってみた。おお、「ふるさとの訛り懐かし……」だあ。それにしても、私が知らない名産が沢山あるらしい。30分待ちの行列を作っていたの小池菓子舗の粟饅頭なんて、初めて知ったよ。実は有名なの?
目的は山都蕎麦だったのでさっさとスルーして店内に。私は高遠(たかとお)蕎麦で、夫はまるやのチャーシュー麺。結構空いてました。蕎麦もこしがあってなかなかうまかったです。高遠蕎麦というのは大根の汁で食べるのだよ。母が憧れていたのだが、母が食べないうちに私が東京で食べてしまった……。父はせっかちなので、観光地とか苦手なんだよね。以前喜多方にドライブに行ったときも、どこも道が混んでいてしかも駐車場も高くて遠いってんで、ぶち切れてなにも食べないで帰ってきたことがあったらしい。妹が運転できるようになってからは少しはましになり、会津にわっぱめし食べに行くくらいはできるようになったけど、喜多方はもっと遠いし難しいかもなあ。あ、ラーメンも「そこら辺の店で食べるよりはうまいんじゃないの」という感想だったようです。
夫がせかすのであんまり見れなかったけど、日本酒は結構たくさん試飲した。飲み比べて買ったのは、「開當男山」の純米。吟醸って、吟醸香と独特の風味が、どうもあまり好きじゃない模様。その後、「モーツァルトを聴かせてる」ので有名な蔵、小原酒蔵の「蔵粋(くらしっく)」の純米吟醸を飲んだら、期待してなかったのに結構うまくてびっくり。あらしぼりも、まろやかでいい感じだった。ホントにクラシック音楽の効果があるんだろうか(笑)。
普通の値段なので、今度買ってこよう。3月2日まで。
yomoyomoさんがこちらに来られるということで、新宿で飲み会。幹事をやったのだが、仕事が終わらなくて遅れてしまった。しかも、yomoyomoさんも少し遅れたため、時間に集まった面々が全く面識がないという状態に。結局、予定から30分ほど経ってから店に入った。ご心配おかけして申し訳ありません。
店は、仕切っている人がとてもいい対応をしてくれて、食べ物もそこそこおいしい。お酒の種類が少ないけど、日本酒は片口で持ってきてくれる(量も指定できる)ので、一人で飲んでも吹く数人で飲んでもOKというのが嬉しかった。土曜日は予約のみの営業らしい。MM/memoにも書いておいた。
今週も半ばを過ぎてから入手していないお題があるのに気がついて、慌てた。が、どうしようもなく出かける当日の朝を狙う。が、開館が9時半と知りがいーん。開館時間ちょうどに着くように計算して帰りのバスもチェックしておいた。
それにしても、図書館のコピー機とはなんとまあ使いづらいものだろう。普通、左上の角に合わせるよねえ。これが、左側のど真ん中に合わせる設定なのですよ。世の中のスタンダードをまるっきり外してる! おまけに、A4で印刷していたものがいきなりA3になるのでA4固定にしたら、これでもいつのまにかA3になっちまう。挙句の果てに、左端をぴったりくっつけると、そこの部分が白く欠けてしまう。損害賠償を求めたいくらいだ。結局、倍くらいのお金を使ったはずだ。許すまじ。
そんなトラブルが無ければ余裕だったのだけれど、閉架に入っていた雑誌のバックナンバーを返却したところ、ぎりぎりの時間。多分、このバス停はいつも到着が遅れるから大丈夫なはず、とは思いつつも、走って向かったら何とか間に合った。ラッキー。昨晩もあまり寝てないのに、これがあったもんで緊張していて、本を読む余裕も無い。
駅でharuさんと待ち合わせて出発。電車の中では、お題のひとつの山本弘「シュレーディンガーのチョコパフェ」の主人公が超許せねえ、という話で盛り上がった。東京駅で待ち合わせたみいめさんともまたもや盛り上がったよ。東京駅地下のお弁当屋さんでキングサーモンの西京焼弁当(混ぜご飯付き)を選んだ。新幹線で一口食べるごとに至福。機会があれば、またあそこで買おう。地下1階、東京おべんと倶楽部というスペースにある、「おゑど大黒」。
新幹線の中では未読分の読書に勤しもうと決意していたのだけれど、お弁当を堪能し、その上haruさんやみいめさんと西日本と東日本の差について色々話してしまったら、あんまり余裕がなくなってしまった。大体、1時間であんな寒いところに着くというのがおかしいですよ! 新潟方面は、東北方面に行くのに較べて少ないエネルギーで目的地に移動できるような気がしました。いや、ただ単に地勢の差異が大きいということなのだろうけれど。
上越湯沢で在来線に乗り換え(こっちの方がずっとシートが良かった)、十日町駅でほくほく線。電車を降りたら丁度出発したところで、寒い中、ホームで待つ羽目になった。いや、単にそれでも耐えられなくは無いからで、待合室は一応あったよ、寒そうだったけれど。ほくほく線は2両編成のワンマン電車。寒冷地によくあるように、整理券方式になっている。予め切符を買うこともできるが、その場で車掌さんに精算してもらうこともできるようだ。後方の車両はボタンを押さないとドアが開かないようになっている。まつだい駅下車。
その後、宿のワンボックスカーでただひたすら白い中を走る。景色があんまり変わらないので、もしかしたら同じところをぐるぐる回ってんじゃないか、なんてことを言い出したところ目的地、松之山温泉に到着。雪が凄い。宿にも、手製スプリンクラーが付いてる。宿は、小ぢんまりとして仲居さんたちも気が利いていて、いい感じ。宿の外見もお部屋も改装したばかりのようで、かなりきれいではあった。ハウスシックになりそうなほど(笑)。部屋に用意されていたお菓子は、小型の笹団子。
読書会開始まで少し時間があるので、みんなはお風呂で一服。私は、残りの本をひたすら読む。が、あんまり進まないんだ、これが。最後のほうは話が繋がればいいや、というひどい状態になってしまった作品も。ごめんなさい。もう少し、読めると思って余裕こいてたのがいけなかったですよ。
超量が多い。死ぬかと思った。でも、お魚が沢山出てきて嬉しかった。ご飯は、無理やり数口口に入れてギブアップ。食後、苦しくて暫くのびてました。
買出し休憩。外湯に行く人もいたが、すごく熱いところらしい。私には無理なのでパスして宿の湯にやっと入った。雪が次から次へと降っていて、露天風呂でひとりで上を見てると、とても幻想的。
お酒を飲みつつ色んな話。何を話してたかは定かではない。5時くらいまで確か飲んでいた。朝5時半くらいに除雪車が通るのでひどく煩くて起きるとほそいさんが言っていたが、全然目覚めなかった。私たちの神経が太いのか、ほそいさんが特殊なのか。酒一升、ダークラム、地ビールなどなど。夕食のときにも少し(?)いただいてます。
それにしても、今回直前に仕事や体調のせいで不参加の人たちが出たからこのくらいでおさまってるけど、そうでなかったら大変なスパルタ読書会になっていたに違いない。やっぱり、二泊三日くらいじゃないと難しいかなあ。
朝ごはんは半バイキング方式。納豆が食べ物かどうかでまた色々と。あ、昨晩のharuさんの林さんに対する指摘は、非常に的を射ていてしかもそれ以上の収穫があり、かなり受けた。卵かけご飯で、白身も食べるかどうかですよ、ええ。
お布団は敷いたままにしてもらっていたので、そこで寝ようと思うのだが眠れず。あれこれ話をしていた。今回は、西日本出身の人も多かったので、いかに東西格差があるかについて沢山話し合った気がする。こんなにすごいとは思わなかったとですよ(ちょっとヒロシ風味)。
ようやっとおなかが落ち着いてきたところで、雪の振る中食事に出かける。宿の人には定食屋さんを教えてもらったのだが、ジャズ蕎麦屋(ちゃんと「滝見屋」という名前がある)の魅力には抗えず、入ってしまった。ジャズは流れてなかったけど、カウンター後方にお酒が沢山並んでるので(なかなかセレクトもよろしかった)、夜は飲み屋もやってるのだろう。お薦めの、カレー南蛮蕎麦を食べてみた。できあがる間、女優の大正レトロ風の写真集by篠山紀信などを眺めていた。おそばは、結構うまい。期待してなかっただけに、びっくりした。テレビでは、横浜国際女子駅伝を中継している。窓の外はがんがんに雪が降って、今も除雪車が目の前で動いているのに、テレビの中ではランニングシャツだよ。すごいシュールだ。逆(暖かいところで雪を見る)は大して驚かないのにね。食後にコーヒーもいただいたが、丁寧に入れられていて、おいしゅうござった。あと、ここの特徴はかわいいラブラドールレトリバーと、「不良中年十五か条」ね(笑)。
滝見屋情報
随分ゆっくりして一旦宿に戻ってから、買出し。haruさんは寝ているというので他の三人で、お土産やら、今日の酒やらを購入。飲みすぎです。あ、その前に、源泉のところにチャレンジしてみようと雪の降る中、少し山の方に入ってみた。ざくざく雪が入ってくるよ! パウダースノーだから問題ないけどね。つららもとても立派で、「立った、立った、ツララが 立った〜」なんて馬鹿なことを言いながらなぎ倒していた。何もかもが雪に埋もれている。「東北出身なら、珍しくないんじゃないの?」って、うちの方、ひざ下くらいまでドカ雪降っただけで一週間変電所が止まって停電が10日間続いたくらいなんですから。こんな雪、滅多に見ないっすよ。というか、スキーに来ても雪は珍しくないからなんだろうなあ。因みに、ここの源泉の温度は92度だそうだ。熱いぞー。
途中、ずっと降っていた雪が止んだ。いい天気だが、一面真っ白で照り返しがきつい。
夕飯は、昨日よりは小ぢんまりとしてて「もしかして、休み前日の方が宿代も高いし豪華なのかな?」なんて言ってたけど、定かではない。でも、てんぷらとか出てたよ。お魚は鯛のかぶと焼で、中に「鯛の中の鯛」が見つかってラッキー。
お風呂は、今回はみんなで入ったのだけれど、雪が降ってなかったせいか、露天風呂でものぼせてしまって暫く外で休憩していた。この休憩室には、少し本が置いてある。『老人力』とか、阿川佐和子のエッセイとか、その手の、軽いような、でもちょっと趣味はいいベストセラー本が中心。あ、『モモ』もあった。
今回は、女3人(ひとりはギブアップだった)に男1人で、結婚の恐ろしさを十分に教えた。あれ、良さを教えたつもりだったんだけどなー? お酒も、一升瓶を空けてしまい、私が買った四合瓶の封も開けてしまった。ああ、自堕落。
_ くりす [はてなのTrackbackは本文中に該当記事のURLがないと受け付けられない仕様だったと思うので、その辺でひっかかっ..]
_ にじむ [該当箇所はhttp://bm.que.ne.jp/log/20050210.html#p05なわけですが、頭の方にU..]