最後の方がいきなり具体的な話になって驚いた。憲法第九条の話辺り。しかし、この後読んでいる香山リカの本でも言ってるけど、現実に憲法を合わせるのか、憲法に現実を合わせるのか、のアプローチが、ねえ。国としては、時代の変化によって風化しない何か基軸のようなものが必要だと思っているので後者に賛成するのだけれど、世の中の大勢は前者の流れなんだよな。
ちょっと落ち着いてからちゃんと感想を書きます。考え方を見直すきっかけになった文章も多い。読みにくいのは確かなのでお薦めはしかねるけど、興味があれば読んでみてもいいんじゃないかと思った。
京橋の駅から東京駅方面に歩いてくる度に気になっていた南インド料理のお店。辛いものが苦手なので私には無理かも、と半分諦めていたのだが、検索してみると「案外辛くない」との声も多く、背中を押された。日本ではまだ珍しいが南インドでは定食としてかなりメジャーな「ミールス」を、ランチでも食べさせてくれる。
中は、土壁に青い色の塗料を塗った、ちょっとお洒落な雰囲気。しかし、タイルの床は、少しぬるっとするので気をつけたほうがいいかも。調理場の近く(つまり奥の方)が禁煙席でこちらに案内されたので、厨房の一部を見ることができた。
ミールスは、トレイの上にバナナの葉っぱを敷き、その上の真ん中辺りにインディカ米のご飯こんもりと盛り付けられ、上に薄焼きせんべいみたいなパパド(ちょっと塩辛い)、油で揚げてぶわっと膨らんだ(中身は空洞)プーリ、周囲にベジタブルカレー2種、マトンカレー(少しとろみ)と魚のカレー、海老のカレー(少しとろみ)に、少し酸味のあるスープとココナツか何かが入っている、黄色くて甘いデザートで1,600円(休日料金らしい)。最初は「確かにそれほど辛くないかも」と思っていたけど、段々辛くなってきたー。それでも、目黒のルソイで食べたような激辛ではなく、普通に食べられる。おいしかったー。
最後に、チャイ(320円)を頼んだら、厨房の傍らにあったコーヒーサーバーから注いでいたのでびっくり。だからサーバーのガラスがあんなに汚れて見えたのか(白っぽい茶色だったということ)。目の前で、お皿代わりの大きめの口の器と深めのコップ交互に高い位置から入れ替えるパフォーマンスがあってびっくり。「泡を立てる」といってたけど、味をマイルドにするとかの効果があるのかな? スパイスが効いてて、口の中が爽やかになりました。
また、カレー心がうずいてきた頃行ってみようかな。
Afternoon Tea The General Store GINZAに入っているSADEUでランチ。いやしかし、この日の銀座は暑かった。後で聞いたけど、10月で30度越えたのは7年ぶりだって?
という訳で、海鮮ビビンパランチ。多分お茶で炊いたご飯に、いかと海老とホタテの貝柱は漬けだれで味をつけたものといくらときゅうりの輪切り、揚げ茄子、茗荷ととろろ芋の千切りなどがトッピングされ、青紫蘇の千切りと白ゴマがふられたものに、あわせ味噌のお味噌汁と浅漬け(レモン風味?)とおからと玄米茶(多分)。それに、オプションで「小おやつ」(季節のデザート)を付けられる。今日は抹茶のババロアで、なかなかおいしかった。お茶は、おかわりOK。
カウンター席に座ったが、この椅子がすわり心地が良くていい。思わず隣接するAfternoonTeaのリビングショップを見たが、同じものは無いようで残念。「店舗のご案内で見ることができる、丸っこい形の椅子がそれ。テーブルは幅広で光沢がある厚手の木の板が何枚か合わさったもの。お茶を淹れるのはこのカウンターらしく、急須や茶筅などがディスプレイされていたが、残念ながら私がいる間には見ることができなかった。全般的に居心地はいいが、結構人の声が響き渡る感じではあり、かなり賑やかだった。
銀座にはここのほかにも本格的な日本茶カフェ(ここはいわゆる日本茶カフェとはちょっと違うけど)がいくつかあるようなので、暇を見つけてはチャレンジしてみたい。
ランチは小おやつを含めて1,659円(税込み)。確かに、そこそこおいしかったけど、これだけの値段を出すのはちょっとお高い気もするが、まあ、量・味ともに満足の部類ではある。
mixiで知ったのでやってみた。ネタ元の日記を見て続々とトライする人がいたらしく、なかなか面白い。
結果は以下のとおり。
+++ 第1回 エンタ!検定 成績発表 +++ あなたの総合得点は64点 全国平均 56点 全国順位(10月3日 12時現在) 45位(117人中) −−ジャンル別得点表 −−−−−−−−−−−−−−− 0_________10__________20点 映画 ■■■■■■■■■■■■■■■■ テレビ■■■■■■■■■■■■ 音楽 ■■■■■■■■■ 書籍 ■■■■■■■■■■■■■■■■ 芸能 ■■■■■■■■■■■ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− −−講評−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− あなたは「エンタの玄人」 あなたは忙しい仕事や勉学のかたわら、世間の流行情報チェックを怠らない努力家に違いありません。 ジャンル別にみると、「映画」「書籍」が好きですね。「テレビ」「芸能」は平均的に知っています。 「音楽」にはあまり興味がないようです。 仲間内で、あなたの好きなジャンルの話題になった場合、率先して盛り上げましょう。 情報は発信する人に集まってくるものです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− エンタ検定実施中! http://ent.nikkeibp.co.jp/ent/kentei/
んー、まあ、こんなもんかなー、という感じ。音楽は、別に周辺情報に興味ないし大体、若い人(20代くらい?)向けの問題が多かった気がするしなあ。
試験の最中に答えを求めて検索すると、かなり高得点が出せそうだけど、意味が無いからやめておいた。ブログ等でコピペできるように結果をテキスト出力してくれるのも、答え合わせができるのも親切。
あ、文章がずらっと横に流れちゃうので、句点で改行してみた。
帰りがけの書店で。
この本、出版社がそれほどメジャーじゃないのか、オーソドックスな書店には置いてないのですよ。それで今日まで買うことができなかった(ブックファーストには確実にあったのだろうけれど、行けなかったからね)。
CET05内でNEUT.006という雑誌の行う展示やパフォーマンス(?)に協力するのに、ちょっくら行ってきた。ブツを運んだだけなのでそれを手渡して少し展示を見せてもらっただけだけど、また10日に行ってみようと思ったよ。
三越前という駅は、よく通るところではあるのだけれど、全く外に出たことが無かった。ビルを出た後即帰るのも勿体無いしおなかが空いてきていたので、どんなお店があるだろうかと外をうろついてみた。地下の通路で看板しか見たことが無い「タロー書房」を見ることができて感激! なんとこのビルは、包丁で有名な木屋や、私としては強力わかもとよりも『わかもとの知恵―一生覚えておくと役に立つ―』でお馴染みのわかもと製薬も、同じビルに入っている。
結局遅いお昼は、三越本館に入っているダロワイヨ・サロン・ド・テで海の幸グラタンセット。写真がおいしそうだったのだもの。グラタンって、すごーく久しぶりかも。具もぷりぷりで、ベシャメルソースも滑らかで濃厚でおいしかったー。食後の紅茶の時には、おまけでマカロンもいただきました。ごちそうさま!
ちゃんとした感想は後で書きます。
まあ、最初からこの著者は私の考えに近いだろうという期待があって読んだので、その願望が充足されたのは良かったのだが、改めて自分のような考えの人間が、段々と少数派になってきつつあるのだろうか、本当にそうなのだろうか、と少し心配になってしまった。しかし、私よりも香山リカの方が勿論ずっと深く考えているし、自分の考えの浅さに恥じ入ったことがこの本で何度もあった。
今のこの風潮は、難しいことを考えるのを避けて人のキャッチーな意見に賛同してしまう人が多くなっていることが根底にあるのかな、と感じた。そして、日本の愛国主義の復興に関しては、「グローバリズムに対する反作用としての愛国主義」と採り上げられていて、他にも反作用としての現象がいくつかあると書かれている。反作用というのはある出来事や現象があったことへの反動みたいなもので、本質からきたものではないことがポイント。つまり、一時的な現象であるとも。そして、愛国主義の風潮の中では、過激な発言が持ち上げられるとも書かれている(ここら辺の根拠は不明なのだが、何か研究論文でも出ているのだろうか、まあ、理解できなくは無い)。
精神科医としての臨床や日常の人付き合いやテレビなどで見られる現象などなどから感じ取り日々考えてきた出来事を短い文章で纏めたもので、昨今の世の中に不安を感じている人は、読んでみるといいかもしれない。勿論、深く考えない人ばかり、というわけではないとは思うけれど。
そういえば、この中に「理想の仕事をしたいと考え、なかなか就職できない若者たち」の話があった。確かに、そういう意味では真面目なんだろうな、彼らは。ただ思うのだけれど、どうして仕事で自己実現することに拘るのだろうか? どうせだったら自分に合ってやりがいのある仕事がしたいという気持ちは分かるのだけれど、仕事は仕事として割り切り、別のステージで自己実現(っつーのも引っかかる言葉だけれど)を図る方法もアリじゃないのかね? どうせ漠然としているのであれば、そう考えても構わないんじゃないかと思うのだけれど。
喫煙者のユーウツ―煙草をめぐる冒言(シガーライターズクラブ)』今朝早く起きたので、ずっと傍らに置いたものを読み始めた。筒井康隆の巻頭言的な文章「紫福談」は、気持ちは分かるけれどやっぱり非喫煙者であり煙草の煙が苦手な私にとっては、彼の抵抗は迷惑だ。それと『禁煙ファシズムと戦う』の序文で小谷野氏も言ってるけど、サラリーマンが「禁煙の会議には出ない」「禁煙のオフィスには近付かない」ってのは無理だろう。彼は押しも押されぬ大作家だから人を呼びつけたり「そんな場には行かない」と主張することもできるだろうけれど。
ヒステリックな嫌煙運動は確かにいかがなものかと思うのだが、やはり千代田区の路上を歩いていると臭い煙に巻き込まれる心配がほぼ無いので安心していられるよ。
今は、その後の各シチュエーションでの禁煙社会の近未来の風景、という感じのショートショート?
先に書いたように、積極的に嫌煙するものではないが、あの煙が迷惑であることは確かだ。自動車の吐き出す煙も嫌だけれど、とりあえず煙草の煙は背があまり変わらない以上は、目の前に直接来るのだ。この不快感は、特に相手の人は殆ど知らない一時的にすれ違うだけの人なので、この人にだけ「煙が迷惑です」と言っても意味は無い。出会う喫煙者全員に言って回るようなことはとてもじゃないけどできないし。
そういう意味では、「小さい頃から煙草のにおいが好きだった」小谷野氏とは少なくとも一部は相容れない考えを持つことになるのだろう。小谷野氏は断煙しようとしたことがあったらしいが、ということは「できるのなら止めたいが、状況がそれを許さない」という人なのだろう。神経質しょうな彼には煙草が欠かせない、とか、ニコチンパッチでは十八本の煙草の分のニコチンしか摂取できないが、彼の一日の本数は四十本でこれじゃあ間に合うわけが無い、とか、単なる中毒だと解釈し、精神面は疎かにされている(向精神薬を処方することもできるらしいが)とも言うが、ちょっと我田引水が過ぎるように思う。勿論気持ちは分かるが、彼が自分の事情を書けば書くほどそれは特殊な事情に思えてきて(実際彼もそう思っているだろう)、一般の人たちの代表とは見ることができない。
私は、昨今の「健康増進法」などに関しては、この一部の著者でもある斎藤貴男氏の『「非国民」のすすめ』で「国家が人々の健康を強要する」ことの意味を初めてまともに考え、懐疑的な姿勢ではある。
煙草は吸いたいとも思わないが、嗜好品として他人が楽しむのを否定するわけではない。ただ、うまく折り合いがつけばいいなあ、と思うのだが。
そういえば、禁煙運動を糾弾するときの論理として引き合いに出されやすいのは車の排気ガスと飲酒だ。まあ、この際排気ガスは置いておくとして、飲酒は私も継続的にしているし、時には過ぎてしまうことがある。だからあまり人のことは言えないのかなあ、と思っていたのだけれど、待てよ、と思いついた。
お酒を飲むという行為は、大抵が「お酒を飲む場所」で行われる。偶に駅の構内や道端で飲んでいる人もいるけど、まあ、一般的な例には入れられないと思う。また、酔って暴れたりして人に迷惑をかける人もいるが、これも極少数だろうと思う。後は、電車で酔っ払ってふらふらしている人(これは私も不快だ)とか、飲んだ後の吐く息や体臭が臭い、ということかな。確かにそうだけれど、よくよく考えると、いわゆるアルコール中毒やその一歩手前の人でなければ、仕事をしている最中は飲酒しないのではないかね? ということは、飲酒は例えば一日も欠かせぬという人でも、大部分は長時間摂取しなくても辛くない、ということだ。しかし、煙草は昼間から、というか朝っぱらから堂々と吸っているし、仕事の最中も何度も中断して吸いに行っていることから、喫煙癖をもっている人は長時間喫煙を止めておくことは難しいのではないかと思うのだ。これって、だいぶ違いがあると思うのだけれど、そういうことを言及している文章ってあるのかな?
そして、煙草を我慢していると、どんな弊害があるのだろう? 苛々するとか、落ち着かないとか? 手が震える、とかもある? また摂取を意思でコントロールできるのかどうかというのは結構大事な点だと思うのだけれど、果たして喫煙と飲酒ではその差が無かったりするのだろうか? 私から見ると、随分違ってるように思えるのだけれど。
→ʱԤߤ
ここがかなり詳しいかも知れない。
すごーい! おめでとうございます。
増井さんといえばお酒、ですが(え?)、お酒の席で話しているときもいつも色んなことを考えていて、ちょっと気付かなかったり当たり前だと思っていたことを「本当に?」と問い直すきっかけをいただいてます。「そんなの無理だよ」と言わずにさっさと実装してしまったり。
近著の『
インターフェイスの街角―本当に使いやすいユーザー・インターフェイスの極意 (UNIX MAGAZINE COLLECTION)(増井 俊之)』でも、そういったきらめきが、随所に見受けられます。って、まだちゃんと読んでないんだけど(すみません!)。
これからのご活躍も期待しています。
ブックファースト渋谷店にて。
10/30(日)、『回転銀河 4巻』および『TSUNAMIX 2巻』発売を記念して、ブックファースト渋谷店で海野つなみサイン会を行なうらしい。いつもの、13日から発売される本を買った人に整理券を渡す方式。
昨日、お三方にコメントをいただいた。確かに、昨今の喫煙と嫌煙をめぐる議論では、山形さんの文章は欠かせませんね。これ、読もうと思ってタブで開いたままでずっと放置してたことに気付きましたorz。
なつせさんがコメントを下さってるが、『
禁煙セラピー(アレン・カー/阪本 章子)』が、断煙のひとつの方法ではあるようだ。レビューを見ても「これは新手の宗教ですか(笑)」といった感じの感動のレビューが並んでいるけど、確かに一時期、書店でも芸能人の「これで煙草を止めました」のコメントつきで並べてあったもんなー。とりあえず、この本の内容は確認しておきたい。……まさか、まだ店頭にあるよね? 最近はどんな本でもすぐに絶版になるから。
さて、小谷野氏の文章は、かなりの苦痛を伴いながら読んだ。ある意味では、小谷野氏がたった一人で禁煙の波に立ち向かう大変さに、なのだが、まあ、そういう波を私はありがたがっていた方だから、ということもある。前者に関して言えば、だからといって決まったところでわざわざ煙草を吸ったりしなきゃいいのに、と思わないでもないが、そういったパフォーマンスが人々にアピールする上で大事なことは分かっている。そして、世の中の(本当にそうなわけではないと思うが)多数派と見なされる私のような非喫煙者(そして多分、嫌煙者)は、彼のような孤独な抵抗をしなくても「だって、決まりじゃないですか」と言えてしまうのだ。
それと、決まりだから守らなければならないのか、という命題へのジレンマも多分ある。おそらく今「禁煙」の決まりを受け入れているのは、私が非喫煙者だからだ。私たちはそう変わることによって我慢する必要はなく、今よりも環境が良くなることに喜びを覚える。
ただ、私の中で釈然としないのは、私自身が戸外、特に混雑した路上での喫煙には強く抵抗したいからだ。小谷野氏は「たかが煙で」と言うが、人間は息をしなければ生きていけない。呼吸しているときに、空気かと思ったのにいきなりひどい臭いの煙、ましてや、小谷野氏のような香り(と百歩譲歩して表現するが、普段なら「臭い」というところだ)の独特な煙草の煙を吸ってしまったら、ひどく不愉快だし、健康被害があるなしにかかわらず、あって当然のような気にもなってくる。小谷野氏は排気ガスを引き合いに出すが、排気ガスが出ているのは、我々の鼻先からはずっと離れている(それでも臭いが)。しかし、煙草の煙は我々と同じ歩道を歩いていて、煙はその場に留まりつつ緩やかに移動する性質であることを考えると、その後ろにいる人たちは、ひとりの喫煙で何人もが臭い煙を吸い込むことになってしまう。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか? まだお店の中や休憩所など人が留まっていれば、その煙が来ないところを選ぶこともできるが、歩行時の煙は突然なので対処のしようが無いのだ。
まあ、小谷野氏の文章で分かったのは、禁煙を訴える人は「決まりだから」という事実に寄りかかってしまって、どうしてここで喫煙してはいけないのか、と突き詰めて考えてないというところだ。それは私自身も同じなので、もうちょっと考えていきたいところだ。その中には、肺がんで死亡した人のうち、大部分は肺野型という、喫煙とは関係が薄いものだというが、この辺も実際に数字を見てみないとならないのかな。
それと、文章の論理の運び方にかなり恣意的なところがあるように見受けられる。数字に関しても、嫌煙運動の出してきた数字に関しては具体的に反論があっても、逆の場合は曖昧だったりする。この辺、私も数字面をあまり勉強していないので、もう少し気にしてみたいと考えている。
しかし、よく言われるけどこの手のってそれぞれ恣意的なデータを出してきたりするから見極めるのが難しいんだよなー。生のデータがあれば一番いいのだろうけれど、その調査方法だって問題だろうし、ホントに生のままで自分に集計できるのか、という問題もあったり。
裁判長!ここは懲役4年でどうすか―100の空論より一度のナマ傍聴(北尾 トロ)』フリーライターの北尾トロが、東京地裁の傍聴を続けた記録。ちょっとトンデモな隣り合わせの世界が見えてきたり、人間の本性が見えることもあるかも……?
裁判の傍聴人としてズブの素人で、どうやって手続きしていいのやらどこに目をつければいいのやら分からずカスを掴んだりして右往左往する段階から、傍聴人仲間を作りたいと声を掛けては避けられ寂しい思いをしたり、慣れてくると判決が大体読めるようになってきたり。その成長(?)物語として我々読者はもうひとつ外側の輪の中で見るものもあるだろう。テレビや夕刊紙で報じられ、時には新聞の一面を占める大事件の傍聴にも挑戦し、紙面やブラウン管からは見えてこない「真実」を垣間見ようとする――なんていうとかっこいいけど、実のところ、下世話ではあるけれどちょっと目新しい「他人の不幸」が見たかったりもするんだろうな、やっぱり。で、北尾トロは多分、そのぎりぎり下世話に落ちきらないラインで踏みとどまって我々にその世界を伝えているように思える。
そういう意味では、よくある事件簿的な記事を、別の視点(今度は裁かれる場にいる訳だから)から見直すことになるし、そこにまた現実の姿があるのかも知れない、とも思う。これだけの時間を費やして自分で体験することはなかなかできあにだろうから、ワクワクドキドキを疑似体験させてくれるこの本は、それなりの存在価値があるんじゃないかな、とも思える。
下手なのか何なのか分からないイラスト(傍聴の場で描いてるらしい)も主観が入りまくっててそこそこ味があるし、読み物としても面白いので、何かちょっと面白いのを探している人は読んでみるといいのでは?
裁判という、感情がこもらないと思われるような場でぐちゃぐちゃドロドロの人間劇を見せられるとは思わなんだ。そういう世界に惹き込まれていく霞ヶ関クラブのメンバーのような人たちが出てくるのも、納得しちゃうかも。いや、その人たちだけでも十分コクのある人生を送っていそうなのだけれど。
きょうも料理―お料理番組と主婦 葛藤の歴史(山尾 美香)』それなりの分量はある本だが、すらすらと読めた。読解力を要するほど文章が難解じゃ無いから、文芸書よりはさっさと読めるんだよな。
着眼点は非常に良い。筆者のあとがきを読むと、これは修士論文と「論座」に寄稿した文章を基にしたものだそうで、なるほど、元々文章の書き手ではないのだね。
この本のテーマは、料理と食に関するメディアは、どのように社会の「無意識」を動かしてきたか、になるのだろうと思う。その中で特に力を入れているのが「家庭」と「主婦」と「家事」で、まあありていに言えば「まったく誰が"料理は愛情!"」だなんて言い出したんだよ!」ということだろうと思うし、実際、この本を書かせ、読ませている原動力はそこにあるに違いないと思う。ここでは特に、ラジオ、テレビになってからのターゲットは主にNHKの「きょうの料理」に繋がる流れがターゲットになっているのは、キャッチーなタイトルで見てのとおりだろう。
時は江戸末期まで遡る。当時は米が主役でそれに汁が付いていれば「ご飯」だった時代から、「新聞」というメディアが人口に膾炙し、識字率も上がってきた明治に入ってからは上流階級の「料理」を啓蒙のために披露する、新聞のコラム記事などが登場してくる。そして面白いことに、人々の日常の食事は、見事このメディアの「啓蒙」に引っ張られつつ現代まで来ているのだ。「新聞」から「ラジオ」へと移行することで全国的に「啓蒙」は広がり、国の政策とリンクしつつ、良家の食卓のレシピや栄養学を元にして、かつては米と汁があれば良かった日常の食卓は、一汁三菜を基本とする流れになってくる。「推奨」はいつしか「義務」になり、近年では「三十品目」なんて言葉まで努力項目以上のものになっていた現実を、私も体験している。
その上、単に栄養を補給するためだけにあった食事はいつしか「一家を切り盛りする主婦」が「愛情」をもって「手間隙をかけた」料理を提供する場となる。食卓は一家で囲むものであり、そこには色とりどりにバラエティに富んだ食卓があって……という状態が「及第点」になってしまい、天井の見えない「主婦業」に没頭していくか、付いていけずに脱落していき後ろめたさを感じ続けていく羽目に陥ってしまう。このスパイラルは一旦第二次世界大戦で食うや食わずの状態になった際にご破算になった筈なのに、ゆとりが出てきた戦後、そして高度成長期にエスカレートしていくことになる。その申し子が我々の世代、ということになるのかな。
こういう「歴史の流れ」を追えたのは良かったなあ、と思うし、その辺の話は非常に刺激的だ。しかし、これを書いたのが斎藤美奈子であったならば、もっと楽しく仕上げることができたのでは? とついつい思ってしまうのだ。それは、あまりにもそのテーマが彼女のテリトリーと被っているし、論調もまたしかり。もっと、この人でなきゃ出てこない強烈なオリジナリティを出してこないと、この分野は厳しいような気がするぞ〜〜。
やっちまったよ一戸建て!! (2) (文春文庫PLUS)(伊藤 理佐)』これにて完結。ああー、読んでみて分かったけれど、この人と私は家を建てるという事柄にまつわる、めんどくさがるツボや、面白いと思うツボや、素敵と思うツボや、ツボにはまるとそれに振り回されがちなところなどなど、似てるところが多いのかもなー、と思った。マンション買うときにも装飾過多だったり、取っ手が金色だったり、そういうところがどーしても許せなくて、でもそういうところに拘ってるととんでもない料金になるから(画一化させることで安くしてるんだもんね)「将来自分で変えればいいんだ」と自分で自分に言い聞かせてたりしたもんな。
そう、結婚式&披露宴もそうだった。私は標準装備よりちょっと少ないくらいでいいのだけれど、その代わりいたたまれなくなるような華やかな演出などは真っ平ごめんなのだ。その程度の美意識なのだけれど。
この、ちょっくら妙ちくりんな家に行ってみたいなー、と思ったよ。周囲を取り囲む人々もなかなか面白くて臨場感があった!
ああー、やっと『完全演技者』買えたよー。新刊平台には見つからなくて、そうするといつの間にかリストに挙げてても見逃しちゃうんだよね。で、そんなことが重なって、でも別の書店で見つけて「ああ、やっぱり出てる!」ってブックファーストに来てすっかり忘れてて……の繰り返し。今日は、これを思い出した訳ではないけど「何か忘れてる」とずーっと思っていて、うろついている内に思い出した! ただ、思い出しても山之口産のような作風だと、どの棚に置かれているかがまた問題。結局、ファンタジー棚にあったけどね! でもってそれも合ってるけどね! これは、小路幸也氏のも同様。ホントの意味でボーダレス。
そういえば、「群像」をぱらぱら立ち読みしてて知ったけど、大江健三郎賞なるものが立ち上がったらしいね。小松左京賞のいきさつを思い出しつつ「生きてる作家の名を冠した賞が他にもできたよ!」なんて喜んでしまったけど。選考委員が大江健三郎氏ひとりで(まあ、下読みはいるのだろう)、文学の言葉を持っていると、大江氏が判断したもののみに賞を授けるのだとか。受賞すると、その作品の英語翻訳と、世界各国への発売を約束するんだって。なんか、妙にグローバルで、そういうのを求めてる人は喜びそうだけれど、はたしてどんな作品が来るのだろうか?
ブックファースト渋谷店にて。
「O」が、今号で休刊だそう。そうか、隔月刊で2年間続いたのかー。まあ、弾切れで無理矢理出されるよりは、ネタも溜まって(または温まって)いい感じにしてくれるのを待ってる時間も必要かも。毎度毎度、意表をついた企画で楽しませてもらいました。それにしても、大田垣晴子主催で催される「おうちご飯」がめちゃくちゃおいしそうなんだよなー。ああ、わたしも仲間に入りたい(そういうことやってみたい、じゃないのかよ)。
それと、三島賞で店頭で買えるのにまだ入手してなかったものを購入してみた。意外に少ないなあ。河出文庫は、次々と新装カバーに替わってる模様。虫食いみたいに濃い黄色の背表紙が。あの、上品な白地に青が、ストイックな漢字でよかったんだけどなあ。とても残念。回転のいいものから新装に入れ替わってるようなので、以前のデザインが気に入ってる方は早めに入手された方がいいかと思います。各店でやってると思うけど、これを機会にか、創刊25周年記念河出文庫グランドフェアが開催されてます。ブックファースト渋谷店だと、下り側のエスカレータに行く手前の柱の特集棚。
働く女性の本音と人生相談みたいなのを、藤臣柊子が漫画化してそれに独自のコメントを入れたもの。たまたま手に取ったのが続刊の『
もっと働くおねえさん (幻冬舎文庫)(藤臣 柊子)』で、知らぬうちにお局様になってしまった女性(29歳)の話だったのでそういう感じなのかと勘違いしてシリーズ2冊買ってしまったら、殆どが社会経験の浅い20代前半のお嬢ちゃんOLさん(作者の描き方にバイアス掛かってるのかも知れないけど、そうとしか見えない)たちの我侭や無謀さ、思慮の浅さに作者が突っ込みを入れる感じ。これらは相談形式をとっているけど、本当にあったものかどうかは不明。多分、世間で見聞きするケースを描いたものだと思うのだけれど、一体どこで連載されてたのだろう? 多分、この漫画の登場人物辺りがターゲットの雑誌だと思うのだけれど。
この人の漫画をまとめて読んだのは初めてなのでかなり外してるのかも知れないが、この一冊から受けた印象は「説教臭い」というもの。年長の著者が20代前半の女性たちにアドバイスする形だからこうなってしまうのだろうけれど、どうにも世間一般よりもより狭い、彼女自身の価値観によって説教されている印象があって、読んでいてその対象でも無いのに何故かムカムカしてしまった。しかも、漫画1本につき1ページにあるショートエッセイがこれまた彼女自身の自慢に見えてしまうところ多数で、段々読み進めるのが苦痛になってしまった。一応買ったんだし次のも読んでるけど、これは私にしては珍しく、早々に手放すことになると思う……。それと、手書き文字のところにマーカーっぽくラインが引かれてたりするんだけど、これって強調したいところなんだよね? 余計に見難くなってるんだけどなあ。因みに『もっと〜』の方ではエッセイ部分は活字になり、読みにくさは減っているものの、ムカムカ度合いは変わりません。私が読むべき本ではなかったみたいです。
大体、今時、短大卒で一流企業で一般事務やってて毎日が満たされないOLって、すごく少なくなってると思うし。これが「普通」ではなくなってるんですよね、もう既に。
既に今年もあと3ヶ月を切ってしまった。色んな予定も立っているので、今後(できるだけ)読書を計画的にしていきたい。というか、読まなきゃいけないものを挙げていきたい。
これは読書部年末特集用。もう読み始めないと間に合わない気がする。気になるところは再読もしたいし。
『百年の孤独』にもかなり触れてる部分があるので。同じ著者の『世界文学を読みほどく』もついでに該当部分を再読。
こちらは来月の定例読書部活動用。ついでに未読の奥泉作品を集中的に読んでいきたい。
その前に必読書(?)の『月長石』を読まないと。ということで、ほぼ恒例となりそうな、年末コニー・ウィリス状態となるかなあ。そういえば、ただいま翻訳者の大森さんは、京フェスの朝に突然倒れられたとかで、現在入院中のご様子。既に一般病棟に移られたそうですが、血管なので大変そうです。お仕事も大変だった時期だったようだから、疲れが溜まってたのですかね。どうか、お大事にご養生くださいませ。
それと、いくつか大物を読みたいのだけれど、新潮クレスト・ブックスの未読を少しずつ潰してくくらいかなあ。あ、文庫化したジョン・アーヴィングの『未亡人の一年』も早めに読まなきゃ。そろそろ映画公開だしな!
テーマが簡単なせいか集まりがイマイチだけれど、まだ受け付けてますので迷ってる方はどうぞご検討ください。「ポジションペーパ」というのに引っかかってる人もいるかも知れませんが、自分がWikiに関してどういう風に感じているか、を表現したものと考えていいと思いますよ。「Wikiってどんな感じ?」という状態でもいいんですよ。自分に最適なWikiクローンが見つかるかも。
感想はひとまず後で。
昨今の喫煙をめぐる動きへの批判としては、至極まっとうな本だと思いました。殆どは他媒体の再録なのだけれど、さすがいいものを持ってきている。申し訳ないが小谷野氏の文章にはあまりにも個人的かつ一般的とは言いがたいエピソードが多くて説得力が弱いが、彼の情熱があったからこそ他の二人の原稿が掲載され、この本も上梓されたのだろう。
つまりは、禁煙、嫌煙のレトリックの問題だ。いまだと「条例で決まってますから」とか「健康増進法で……」というのがお決まりのパターンだろうけれど、そういうロジックは自ら探求したものではないお仕着せのため、反駁されても論理的に対応できない。これは私も例に漏れないだろう。受動喫煙の害に関しても、科学的に「証明」されてないことがよく分かった。一般的に膾炙してるのは「平山理論」というらしいが、この人が出してきたデータはかなりの眉唾物で、目的が先にあって恣意的に出されたデータのようだ。巻末に、小谷野氏自身が訳した「エンストローム論文」(「カリフォルニア在住者を対象とした計画研究における環境中たばこ煙とたばこに関連した死亡率,1960-98年」)が掲載されているが、こちらはもっとニュートラルな立場から研究を行ったものに見受けられるし、データも詳細に公開されている。
まあ、なんだかんだ言っても歩き煙草で目の前の人にいきなりぶわっと煙を吐かれると殺意にも似た気持ちを抱くのは変わりなく(これは健康増進法なぞができるずっと前からだ)、東京の都市部などのような混雑した場所での歩き煙草はぜひやめていただきたいが、道端にある喫煙所で煙草を吸うのは、当然の権利だとは思う。まあ、こちらも権力に頼らずに、煙害を避けるべく、自らが行動しなければならないということですわね。煙が避けられるのは嬉しいけれど、国から「健康でいる義務」を負わされるだなんて、真っ平ごめんだからな。
もうちょっと別の局面からの話が読みたいなあ、と思っていたら、川端さんがいた! この方の『ニコチアナ』は出た当時に買ったのだけれど、積読状態だorz。引っ張り出して読んでみようかなあ。
「たばこ問題を考え直す」の方は、それぞれpdfファイルで用意されている。以前、東海大学の機関紙「望星」に掲載されたものらしい。
ブックファースト渋谷店にて。
がーん、やっぱり海野つなみサイン会のチケットは売り切れ。まあ、いいか。しかし、小説と違って捌けるのが早いなあ。小説だと大抵、100人定員でちまちま出て行く感じだけど、150人が2日目の夜(まあ、遅かったんだけどさ……)には無くなっている。
スタッフ待ち合わせに5分遅刻してしまいました。済みません。しかも、会場に着いたら「いつの間にか会場予約がキャンセルされていた!」という恐ろしい出来事が(きゃー)!! きっと、Wikiの隆盛(?)を良く思わない悪の団体がいるに違いない、という妄想をみんな膨らませていました。入れ替わりに別の借り手がいたというわけではなく、すんなり入場できてひと安心だったけれど、受付の人が一番大変だったろうなあ。まあ、おそらく連絡を受けたひとが別の予約と間違えてしまったのだと思いますが。しかも、隣接する公園では、どうやら運動会が行われているらしく、もしかしたら会場まで音が響くかも……と、一抹の不安まで付いてくる始末(実際にはたいして音も届きませんでした)。
諸注意と最近のWikiの動向(この辺は、前回のWiki小話のダイジェストみたいな感じ)、Wikiばなの歴史(!)について。たつをさんらしいテンポのいい運びで、内容は盛りだくさんでした。こんな中に全部の話題が入っちゃうんだ、と驚いた。
谷口さんは初めてお姿を見たのだけれど、なんか「漢」という雰囲気の方ですねー。ちょっとびっくりした。案外、この業界には少ないタイプのような気がしました。あの画像の人か!と、プレゼンの際に驚きが(笑)。後でふじさわさんが「livedoor Wikiは、大乗仏教だよね」というのに納得。やっぱりこういう風に「誰でも、Wikiともわからなくても使えるもの」を普通に使っている人たちに提示する人たちがいなきゃ、「日常」にはならないんだろうなあ、と感じた。
馮さんとは別の場で一度だけお会いしたことがあるのだけれど、誠実そうな方だなあ、という印象。俺が俺が、というタイプではなく、ちょっと離れた視点からうまく全体を調整できる人ではないかなあ、と感じましたが、プレゼンを聞いていると、その中にも情熱みたいな熱くて激しいものがちらりと見えたような。Wikiにはだいぶ前から注目していて、Wikiばなプレゼンツの連載以外にもいくつも記事があったとか。開発者側からは「Software Design」で、ウェブサイト管理者や発注者という、技術とはまた別の立場からは「Web Site Expert」でというふたつのチャネルを持つ強みもありますね。今後とも展開が楽しみです。
※これらのプレゼン資料は、後日公開されると思いますのでお楽しみに。
4人ずつのグループで30分みっちり話す、というのを3回。1回目が馮さん、谷口さん、時風零さんと一緒の、緊張しそうなグループ。ああ、やっぱり最初はうまく気分が乗り切らず、話が中途半端になってしまった。残念。時々馮さんが谷口さんにインタビューしてるような感じになっててそれは面白かった(笑)。谷口さんがキーワードで出されていた、フォークソノミー辺りはもうちょっと掘り下げたい気がする。2回目は、塚本さん、たつをさん、AsOさん、という、どろどろに濃いメンバーに偶然なってしまう。内容もどろどろ。塚本さんが「Atom API!」と熱く叫び続けていた。あと、GD。実はここがなぜか一番収穫があった。バックアップファイルの不毛さを訴え続けていたのだが、たつをさんの「Gmailに溜めればいいじゃん」というので目からうろこが! たつをさんは「すてきな奥さん」的発想ですな、いつも。「あるものは使おうよ〜」という台詞も何度も聞かれたし(これは大賛成)。
3回目は、ふじさわさん、momoseさん、yucoさんと。yucoさんも手書きポジションペーパ組だったのだけれど、彼女の字、結構長い付き合いになってきてるというのに初めて見た。可愛らしい字でした。ふじさわさんの、Momokaに興味が出てきた! 書き続けるためのWiki。あと、Wikiの乗り換えの話。データコンバータなど、日記システムなどには準備されてることが多いのにWikiは無いよね、と。これはまあ、みんな分かってはいることなのだけれど、レンタルWikiがまだまだメジャーじゃないから、会社でいくつもサービス立ち上げてお客の取り合いみたいなことが起こらないと無理だろうなあ、という話に。それと、yucoさんが「かずひこさんに言えば作ってもらえるとみんなが言う」と言ってたけど、なんかホントにToDoリストに入っているらしい(笑)。
全体を通して、WYSIWYG関連の話は出てたなあ。どうやってWikiをいわゆる上級者以外に使ってもらえるか、の突破口として。どうやら海外ではWYSIWYGが当たり前になってたりするので、日本でもそのうち出てくるんだろうなあ。ところでシンプル編集とWYSIWYGというと、はてなダイアリーの編集画面のことを思い出すよ。まあ、それ以外にも昔からHTMLを書くのにテキストエディタのみ利用派とHTMLエディタ(というかオーサリングツール)利用派とあったりしたけどねー(私はオーサリングツールで大枠を作って細かいところはソースをチョコチョコ直す派だなあ)。
その後、モデレーたつをさんの仕切りで総括。休憩時間にみんなのポジションペーパを見ながら話の中で目立ってたものなどをピックアップして、当人にどんな話になったか語ってもらう感じで。ミッションがはっきりしたプロジェクトにはWikiが有用(引越しとかね!)、とか、穴埋め方式(すべてを書ききらないで、誰かにそこを補足させたい、と思わせる方法。トラップ方式?)の有用性、とかとか。Wikiとセキュリティの話なんかも出たけど、これは別に時間をとってやっていきたい感じだなあ。
自分のポジションペーパとみんなのを見比べて、「自分は自分のことしか考えてないなあ」と恥ずかしくなったんだけど、まあ、身近なところで問題がまだまだ沢山あるのですよ。ええ。
みんなで片づけをして、早めに退出する。5時で利用時間が終わるのだけれど、閉館自体が5時なんですってよ!
で、宴会を18時からにしてしまったのでどうしようかと思案(直前に早めようかとも思ったのだけれど、宴会のみ参加の人もいたので混乱を避けるためにやめておいた)。私は「公園でテキトーに駄弁ってればいいじゃん」と軽く考えてたのだけれど、やっぱりみんな大人だなあ(笑)。結局、近所のタリーズに移動して、オープンエアスペースで思い思いに輪を作っておしゃべり。私は、期間限定の「アサイーとバナナヨーグルト」を頼んだ。普通においしかったよ。ちょっと渋いブルーベリーっぽい感じなのかな。「朝食代わりに」みたいなあおり文句があったのでちょっと躊躇したんだけど。
で、色々バカ話とか、役に立つ話とか。それにしてもここら辺全体が金木犀の香りで充満している。けど、案外気付く人がいないんだけど、私がうるさすぎるだけかなー? 40分ごろ、多分そろそろ店に行ってもいいに違いない、とそれぞれがそれぞれを納得させて移動。時間に厳格ですね(嘘)!
偶然にも、片隅に左利き4人が集まった! 私とたださんは意図的にだったのだけれど、実は私は箸を持つのは右手だと知ってたださんがっくり。すんません、ガチガチの左利きじゃなくて。箸だけは、小さい頃祖父母の家に拉致されて1週間くらい泊まってることが多かったので、厳しく直されたんですよ。うちの両親は右手を使うよう矯正することは無かったので、とてものびのび育ててもらいましたが(父親が元左利きだし)。それにしても、自然と集まっている不思議さ。まあ、左利きの人は右利きの人と肘がぶつからないように片隅を陣取ることが多いんですけどね。
otsuneさんが来たあたりから、「そこの席モヒカン度高い!」と外野からツッコミが。確かに、たださん、(わたしをひとり置いて)otsuneさん、増井さん、というのは、なんつーか、すごいぞ。そういえば、谷口さんが「増井さんって、あの有名な増井さん!!」と感動してたのだが、何が「あの」だったかと言えば600万円の……だったのは秘密だ。
大量の現金を持っていたので、気が気じゃなかったっすー。ラストオーダーが入ってから「あ、そうか。もう伝票締めてるんだからお会計しちゃってもいいんだ」と気付いて喜んでレジに向かったけど。
その後は、やはり大人数宴会には向いてない高輪口方面は諦めて、港南口のキラキラしたビルの飲み屋さんに、wakatonoさん主導で突撃。ここでは「ポッドキャスティングー」と言いながらたつをさんが録音器具(と思ってたけど、CLIEだったの?)を回してきたので、みんな案の定酔っ払いのおふざけが炸裂。えーと、とっても楽しかったけど、何を話したのかよく覚えていません。
参加された皆さんが楽しもうとしてくれるのが、そのまま会の楽しさにつながっていくところが、このくらいの規模のイベントの魅力かなー、と感じます。そういう訳で盛り上げてくださった皆様、ありがとうございます、お疲れ様でした。
昨日、WikiばなVol.5が開催されました。今回は大奮発して40人の枠を用意したのですが(おかげでちょうどいい会場がなかなか見つからず、苦労しました!)結局のところ全部の枠は埋まらず、宣伝不足だったかなあ、とか、テーマを絞った方が集まりやすいのかなあ、とかいろいろ考えたのだけれど、会場内は相変わらずすごい熱気で(当日は気温が高かったからだけれど)、やっぱり開催してよかったなあ、と思いました。特に今回は私が実質的に仕切る部分が多かったので、準備からいろいろ大変だったけど、こういうのを面白がってくれる人、協力してくれる人がいてこそのイベントです。
ところでたださんがTech総研で早速書いてくださってますが、そうそう、そうなんだよ!という見事な内容。今回はライトニングトークでliveoor Wikiの谷口さんや技術評論社から出ているSoftware Design誌の馮さん(風邪をおしてのご参加、ありがとうございました!)をお迎えしたこともあり、普段はちょっと触れられない方々の「生の声」が聞けただけでも、私はここに参加した甲斐があったなあ、と思ったものです。一般参加者として来られてる方々にもいわゆる技術系で有名な方も多く、そういう人たちと直接話ができるだなんて、なんてもったいないことをしてるんだろう、といつもいつも感じます。こうやって何度か会っていく内に気が合って個人的にお付き合いする人たちも増えてきて、そういう場ではあなた、自分のしょーもない考えを話したり、相手のすごい思いつきのきっかけを作ったりすることもできるのです。こういう人たちが実に楽しげに技術について日常的に語っているのもまた、面白い光景だなあ、と思ったり。そういうのも、イベントに参加して、実際にお話したからこそ生まれてきたものなんですよね。
敷居が高くて……とか、自分には語ることが無いから、とおっしゃられる方もいますが、何も語ることが無ければウェブ上で活動もしていない訳で、またこういう場に来ると自分がどういうことを語りたいのか、も具体的になってきたりするものです。参加することに意義があるというのはちょっと極端ですが、そこから生まれる何かもある、と言っておきたいものです。
そうそう、塚本さんはInternet Week2005でセッションをもたれるんですよね。いつも話していることの集大成がここで話されるのか、と感慨深いですが、翻ってみればいつもこういうお金を取れるような内容を聞かせてもらってるんだなあ、とも。そういえば、先日平林さんが講師となって開かれた、技術者のためのプレゼン講座もそうでしたよね。
それでもまだ敷居が高いなあ、と思われる方は、仕事帰りにちょっと、という形で行われるWiki小話に参加してみられるといいかも知れません。2回目はは11月に開催される予定です。
そういう訳で、行きがかり上読み中。これ読んでるというとみんなぎょっとするけど(私が非喫煙者だと知っている人は)、まあ、物好きだよなあ。読み始めたのは、どうして喫煙者がたばこを吸っているか、ということをもう少し究明したいからで、まあ、これで結局のところ理解できなくても困ることではないし、ま、いいか、と考えている。
この本は、本人自身がヘヴィ・スモーカーだった著者が禁煙(断煙)のメソッドを思いつき、他の人たちにもセラピーの中で実践してきたことを、文章で表現したもの、ということになるのだろう。この人のセラピーがどんな内容でどのくらいの報酬になるのか分からないのだけれど、わずか1000円足らずでそれ相当の内容が手に入るとすれば、随分と安いものだと思う。まあ、実際には虚心坦懐で読まなければならないのだろうけれど。
そもそも疑問の発端は「よくたばことお酒は較べられるけど、どうして普通にお酒のみの人は長い時間飲まなくてもいられるのに(多分それは我慢とは違うと思う)、たばこの人は1時間も我慢してられない人が多いのだろう」というもの。私はお酒は大好きだがたばこは全く吸わない(遊びで2度ほどふかしたことはあるが)。だから、どうして朝起きたらまずたばこを吸わないと何も始まらないのか、寝る前にどうして一服しなければならないのか、食後の一服、電車を降りて一服……何かする度(もしくはその最中も)機会さえあれば喫煙する様が、不思議に思えてきたのだ。よく「やめようと思えばやめられる」というけれど、じゃあ1日やめてみたらいいんじゃないかな(この本にも書いてあるけど、それがやめないんだよね)。
確かに、この本で書かれているように、喫煙者はたばこを吸う機会や場所を求めて我慢し続ける時間を過ごしているように見受けられる。それって随分変なことだよなあ、とは思うなあ。まあ、息を吸うなといわれたら似たような状況に陥ると思うけれど、お酒は例えば1ヶ月飲まなくても、アルコール依存症でもなければ寂しくはあるけれど特に支障は無いだろう(寝付きが悪くなる、とかあるけれど、アルコールと睡眠の関係もまた別の議論があるね)。でも、例えばたばこを1ヶ月吸わないでおくって、こんな四六時中灰皿を探している状態では難しいと思うのだけれど、どうだろう?
まあ、喫煙は文化だ、と考える向きもあろう。しかし、別に大人になる通過儀礼という訳でもないのであれば、一部の愛好者が楽しむだけでいいだろう。これって結構難しい話なのかも知れないけれど、子どもの内に喫煙に関する教育を施して、吸う場合はちゃんと決められた場所でにしましょうね、という教育をしていけば、無理に法律で縛らなくても良くなるんじゃないかと思うのだけれどどうだろう? ああ、でもまだ甘そうだな、この考え。
この著者はアメリカの人なので、アメリカ特有の嫌煙の空気がそのまま持ってこられててちょっと極端だなあ、と感じるところはあるので話半分くらいにして読んでるのだけれど、この「始終灰皿を探している」状態は私自身よく見るので、万国共通なのかも知れない。まあ、これを最後まで読んで本当に(ヴァーチャルで)止める気になるかは分からないけど、できるだけ喫煙者の気持ちになって読んでみます。ところで、ホントに喫煙の習慣から離れられないのはニコチン中毒よりも習慣によるものなのかな。この辺は、喫煙者の気持ちになってもいまいち分からないねー。
知っているバーテンダー(喫煙者)にこの本を読んでいる、と話をしたら、彼も以前にこの本をお客さんに貰ったのだけれど、断煙する気持ちも無いのでそのまま放ってある、ということだった。でも、これを機会に読んでみようかなー、と言ってたので、ちょっと今後が楽しみっす。まあ、多分途中でまた読まなくなってしまうんじゃないかと予想してるのだけれど。
たださんのところで知って物欲刺激されまくりだった左手用マウスを、やっと買ってきましたよ。会社のPCに付けてみたら、本体も黒なので統一されててかっこいい。青い光が決まってるぜ! 最初パッケージを見たときは「ちょっと安っぽいなあ」と思ったのだけれど、こうやってパッケージから取り出して見ると、光ってるところがいーんじゃない? 親指の部分がえぐれてて、ここはマットな素材になっているのも感触がいい。
オフィス移動時にビックカメラ有楽町店で探したのだけれど、これが全然見つからない! マウスだけであれだけの売り場があるのに、それが災いしてるのかな。これで「ああ、在庫切れです」とか言われたら切れるぞー、っていうか「入荷してません。それ、ナンデスカ?」と言われたら暴れるぞー、と思いつつ店員さんに聞いたら、暫くどっかに行って帰ってきたと思ったら館内放送で係員を呼び出し、その人はPCで在庫調べだかなんだかやってそれも結構時間かかって、ようやっと白黒両方持ってきてくれたのでした。くはー、長かった。型番も控えていけばよかった。それと、なまじっかKOKUYOのユニバーサルマウス「匠」でイメトレしてたので、パッケージの雰囲気が全然違うのにも騙されたような気がする。ので、パッケージごとの画像をここでは披露することにする。ホイールが光ってる図は下のほうに貼り付けたヤツ。
KOKUYO レフティマウス(ブラック) EAM-UMLF1D
ところで、使ってみてびっくりしたのだけれど、すごーくすべりがいい。いつもどおりに使っていると、びよーんとカーソルがあっちの方へワープしてしまうよ。控えめに動かすようにしないと、だけれど、これは疲れも減りそう。
たださんも書かれているけれど、わたしたち左手利きの人間が左利き専用の商品が出ると嬉しいのは、当然のことなのですよ。世の中すべてが右利きが当然という世の中にいると、左利きがないがしろにされているのがよーく分かります。辛うじてユニバーサル製品と言われるもので左右対称になっているものは「気を遣って」いるのかも知れないけど、それだけで世間的には抹殺されてるに等しい。それなりの人口がいるはずなのにもかかわらず。だから、一種のアイデンティティにもなっているのでこのような製品が出てくると、買わずにいられない訳ですよ。しかも、買わないと需要が無いものと見なされ、また市場から消えていってしまうしね。お店で見つからなければ店員さんに「どこにあるのか」積極的に尋ねることもまた、大切なアクションのひとつなのです。勿論、使い勝手と感謝のメッセージをコクヨ(変なロゴになっちゃったけど、この商品はまだ旧ロゴだった)にも送りますよ。品川方面に足を向けて寝られませんなあ。
まあ、本当だったら各社ラインナップが左右両方で多数出て、「どれにしようか迷っちゃうなー」なんて事態になるのが理想なのだけれど。今も、台所用品や刃物などはできる限り左手利き用を買っているけど、そういう製品は売り場にひとつくらいあればいい方なので、デザインでは選べないってところが実情。Amazonの文具ショップができたけど、左利き用ショップができたら常連になっちゃうねー。
ところで現在、ビックカメラはsuicaキャンペーンをやってるんだけど、残金がいくらあるか分からなかったのでカード払いにしてしまった……ら、ビックカメラポイントカードを「使う」と伝えたら、請求金額が610円になってしまった……。これならsuicaでも現金でも使えばよかったよー。
おお! これはいい。というか、ここんとこPCに付いてるマウスしか使ってなかったからかなあ。とてもスクロールが滑らかで、ちょこっと動かすだけで事足りるので、とっても楽。最初は形が違うので違和感があった傾斜や丸みも、段々慣れてきた。うーん、こうなっちゃうと、自宅用も欲しくなっちゃうなー。まあ、もうちょっと楽しんでからでもいいかも知れない。

日曜日に八重洲のバーで「そろそろ竣工じゃないかな」と噂していた(17日だったらしいよ)東京ビルディングの辺りを通ったら、1Fにできる店舗の看板が見慣れたものだったので、ちょっと近くに寄ってみた。正面エントランス(線路側)の右側が、渋谷東急本店前にもあるVIRONだ! 時間がないので近くまで行って確認したところで離れちゃったんだけど、ブラッスリーとパン・ケーキ売り場のみかなあ? それと、エントランス左側は、IL GHIOTTONEというイタリアンレストランらしい。サイトを見ると、ふーん、関西を中心に活躍してきたシェフの、京都の店舗の支店(?)になるっぽいね。馬場先通り(東京国際フォーラムと面している方)から見るとここ、重厚な石のタイルを外壁に貼っていて、随分前から「気合入ったところが入るんだろうなあ」とは感じていたのだった。地下にも結構店舗が入るみたいだし、賑やかになるなあ。

この辺も、どんどん洗練されてきちゃってねー。東京駅から激近物件も多いので、通りがかりにちょっと、なんてのもできて気軽に東京体験もできていいのでは。後の2枚のビル写真は、9月28日時点でのもの。私につられて、警備員さんまで上を見上げていたよ(笑)。
yucoさんのメモ、たださん、otsuneさんの記事を読みながら、http://videntity.org/に登録してみたよ。っていうか、昨晩ちょろっとやったんだけど、TypeKey認証の話も出てきて、おおおおおー、とかやってたら、いくつも無駄なアカウント作っちゃったような。で、Open Directory見たんだけど、みんなどれをどう使ってんのかイマイチ分からない。Type Keyのプロファイル使ってるヤツも結構出てきてはいるようなのだけれど。これ、検索できるようになるともっといいね。
あと、本名の方も念のため取ってみた。最近この手のサービスでは取れなくなりつつあるんだけど、ここはまだだいじょぶだったよ。
知ってる人にリレーティング(mixiならマイミクシィみたいなもの?)を申し込むとき、orcutみたいに親しさのバロメーターを記す欄がある。友達とか知人とか。で、友達と知人(これって相手から見えるの?)というカテゴライズがまた微妙で、なかなか「友人」にチェックすることができないもんだね。なんつーか、リアルな場で会ったときにその人の連れに「友達」として紹介されるかどうか、とか考えちゃうんだろうな。
それと、家に帰ってきてあれこれ弄ってたら、昨日作ってそのままログインしっ放しだったので、別のアカウントで暫く活動してしまった。それでTypeKey認証のに一旦ログインし直そうとしたのだけれど、どうやってログインしたらいいのか分からなくなり、大パニックでしたよ。ああ、アホっぽい。一応自サイトのルートのindex.htmlに
<link rel="openid.delegate" href="http://profile.typekey.com/自分のID/"> <link rel="openid.server" href="https://www.typekey.com/t/openid">
とおまじないかけたので、自分のURIとTypeKeyパスワードでOKだったよ。
ブックファースト渋谷店にて。
えーと、まあ、読んでみてがらっと世界が変わって見えるわけではない。でも、確かに禁煙(断煙)したいと思っている人には、役に立つかも。ということは、全くたばこを止めたいと思っていない人に押し付けてもあまり効果は無いかも、ということでもある。
この本を読んで初めて知ったのは、ニコチンの中毒性はかなり薄いということ。みんな、あんなに「ニコチン中毒で止められない」と言ってるのに、どうして、とびっくりするけど、考えてみたら他のヤク中みたいにヤクが切れかけて幻覚を見たとか、手が震えて止まらなかったとか、フラッシュバックしたとか、脂汗が出るとか、聞いたこと無いもんなあ。止められないのは単なる習慣で、だからこそすっぱり「止める」と決意すれば止められるのだ、と言う。この辺は喫煙者じゃないから本当にそうかどうかは分からないけど、本のリンクで見てみても大体そんな感じみたいね。
ただし、止めるとなったら本当にすっぱり止めること。途中でどのくらい脱出できたか確認するために一本吸ってみたりするのは逆戻りの第一歩だとも。何となく、「蜘蛛の糸」みたい? 確かに、止めるとなるとすっぱり止めないと意味が無いかも知れない。ちょっと厳しすぎるかなー、たまにふかしたり、シガーバーで葉巻吸うくらいはいいんじゃないかなあ、と思うんだけどね。この辺は、欧米人らしいラディカルさだなあ、とも感じる。まあ、甘えと自信過剰は禁物ですね。
たばこを吸うとゆったりした気分になるのは、喫煙習慣をつけることで平均状態がマイナスになり、それがたばこを吸うときだけ一時的にニコチンが満たされるので通常の状態に近付くに過ぎない、というところも、多分肝に銘じたいところ。最初の方で「喫煙するということはタオルで鼻と口をずっと押さえているようなもの」と説明をされる。そして、タオルを鼻と口から外すのは、喫煙している瞬間だという話(ちょっと、これが書いてあるページが今見つけられなかった。もしかしたら「喫煙者を救え!」の「(4) ۤͳ」を読んだものと記憶がごっちゃになってるかもしれない)。この喩えはかなり想像しやすいと思うし、先に「マイナス状態で保たれる」と言っていることも分かるだろう。つまり、喫煙者が喫煙習慣を止めることは「喪失」ではなく、「元に戻る」だけなのだ。もしくは、元の自分を取り戻せるという意味では「獲得」となるのかもしれない。この辺の気持ちの持ちようで禁煙(断煙)に向かう心持は全く違ってくる訳で、この本は、これらのことをしつこく繰り返し書いてあるものだ。だから、書いてあることは別段画期的なことでは無いのだが、それだけに「誰でもできる」ことが強調され、「やってみよう」という気にさせられるのではないかと思った。これがマインドコントロールの一種だとしても、非常にうまいやり方だし、効果があるのはわかる気がする。
さて、夫に貸したら読むかな? 彼も「全く止めたくない」訳では無いと思うので、素直な気持ちで読めば、それなりに効果があるのかも知れない、と思う。出かける度に灰皿を探したり、駅を出ると矢も立てもたまらずたばこを咥えたり、タリーズで私まで一緒にガラスパーティションの中に入れさせられるのは、さすがに辛いのでね。
それと、喫煙者の人は、自分の部屋のガラス窓や戸棚のガラスを、ちょっと拭いてみるといい。これ、高校生のときに行きつけの喫茶店でたまたまやってびっくりしたんだけど、おそろしく茶色いものがこびりついてるのね。少なくとも、うちの実家(喫煙者がいない)でも一人暮らしの時もこれは無かった。夫と暮らすようになってから、ちょっとクリーム色がきつくなっている壁に住宅用洗剤を吹きかけてみたら、だらーっと茶色い液体になって流れてきて、すごーく驚いたデスヨ。こりゃ、身体にいい訳ないわなあ。ただ、この本で大袈裟に言われる「西側諸国でたばこは一番の死亡原因」とか書き立てられるのは、あまりにも大雑把で眉に唾して読んでいる。そりゃ、交通事故も「車の中でたばこに火をつけてたんだろう」と想像しちゃってるんじゃないか、と。
なんか、人がテレビ見てなかったらいつの間にかコイズミが靖国参拝したとかで、大騒ぎになってますな。今週末は神奈川で参院選補選*1があるんだけど、そんなんラクショー、1議席くらい民主党にくれてやってもヘじゃないぜ、って感じ?
ところで、靖国神社に一国の総理が参拝することの是非だが、正直、そこまでは頭が回らない。確かに、個人の信仰までどうこう言うのはどうかと思うよ、という意見も分からなくはないが、本当にコイズミが個人の信仰で参拝してるのか分からない、ってところがなー。信仰というより政治家としてのパフォーマンスでそうしそうなのだけれど(まあ、これも憶測だ)。
それと、靖国神社を参拝することが個人の信仰と割り切ることに関しては、いささか引っ掛かりがある。こういうのって不勉強な身で言うことでは無いかも知れないけれど、それじゃあ靖国神社に祀られた「英霊」とされている人たちの分祀が拒否されるのは、おかしいんじゃないのか? 死者には信仰の自由がない? 単なる信仰の問題として片付けられるのであれば、こちらもそうできるのではないかと思うのだけれど。
*1 ついでに言えば、各地方選挙もある。
逢瀬川(音速ライン/藤井敬之)」この曲とアーティストの存在は、同郷の某さん(お会いしたことはない)から教えていただいた。タイトルになっている「逢瀬川(おうせがわ)」は実際に福島県郡山市にある川の名前だ。町の名前にもなっている。私の実家からはそれほど近くはないのだが、この名前はずっと耳にしているので馴染みが深い。
歌の中に実際の逢瀬川らしい風景が見られるわけではないが、おそらく別れた恋人とその思い出のある故郷をこの川とその名「逢瀬」の意味に託しているであろう描写で、それほどは大きくはないこの川だからこその歌かも知れないなあ、と感じた。やっぱり、立派な堤防のある川ではこの物語性は出てこないかもしれない、と。いや、私が知っている逢瀬川がそういうイメージなだけで、もっと立派な堤防があるエリアもあるのかも知れないけど。この曲を作ったVo&Gの藤井敬之は福島県の出身で、今も住んでいるらしい。メジャーデビューしているのに、ちょっと珍しいな。しかも、他のメンバーは別に同郷というわけではないようだ。どうやって出会ったんだろう。
メロディラインとそれを支えるサウンドは、私にはそれほど目新しさを感じはしなかったのだけれど、それだけに安心して聴けるし、かなり好きな部類に入る。ちょっと鼻にかかる声もいい。同じCDに収録されている「雨男」「まっ白い」(私としてはこっちもツボ)も気に入ったので、アルバムも買ってきてみようかな。2ndアルバム「
風景描写(音速ライン/藤井敬之/中村太知)」は11月に発売らしい。そういえば、マキシ「
街風(音速ライン/藤井敬之)」ジャケットのモティーフになっている写真がネット上に公開されていたもので、制作元のユニバーサルが無断使用してしまったらしい(社内のデザイナーが作ったものなのかな?)。こんなミソが付いてしまったのは、返す返すも残念。
ところで、「逢瀬川」は歌詞を見ながら自宅で一度聴いたのだけれど、以下の部分だけがちょっと気になった。冒頭近くの
途切れない 人波に消える
という部分だが、実際に歌を聴くと「とぎれないひと なみにきえる」と、一旦空白を入れてしまっている。基本的に、歌を作る場合はこういった意味の通らなくなるつくりはしないものだと思うのだが。テクニックとして使うことはあるだろうしそういう成功例も見たことはあるのだが、これは必ずしもそうはなってないように見える。
12月には渋谷CLUB QUATTRO他でワンマンライヴもあるらしい。ちょっと行ってみたい気はするねー。
ところで、ジャケットが犬ですよ、犬!! なんだかNintendogsを思わせるような柴わんこだなあ(笑)。
昨日の『
読むだけで絶対やめられる禁煙セラピー (ムックセレクト)(アレン・カー/阪本 章子)』の感想になつせさんがコメントをくださっているが、確かに『
吸いながらやめる木曜日からの禁煙法(ジーン・アンソニー パンガー/Gene Anthony Panger/朝長 梨枝子)』は、喫煙のメカニズムを知るには良さそうだ。そろそろたばこ関係の読書は一旦打ち止めにしようと思ってたのだけれど、これは読んでみようかな。なつせさん、ありがとうございます。
それと、サンスポ.comの「愛煙家は患者!?“喫煙は病気”と日本9学会が認定」は、「何だってー!?」という内容だなあ。『禁煙セラピー』でもセラピーに訪れる人を「患者」と呼んでてかなり気になっていたのだけれど、果たして、こういう風にスペシャリストである医師団体がはっきり決め付けてしまっていいものだろうか? 確かに、各種の病気と喫煙の関連性は高いようだとは言われているのだけれど……。やっぱりこの辺は、自分の目で確かめる(喫煙の実験をするんじゃないよ!)しかないのかなあ。川端さんのところのPDFもちゃんとまだ読めてないので、ちょっと、この話は保留しておきます。後でもうちょっとちゃんと書こう。
Listen To The Music 2(槇原敬之)」と宇多田ヒカルこれも、朝の電車でひととおり聴いてきた。それにしても、人の歌をカヴァーすると余計にわかるんだけど、マッキーのキーってすごく高いな。特に、宇多田ヒカルの「traveling」のカヴァーなんて、前奏から歌いだしの直前で「こう来るだろう」と想像している彼女の歌声がどっかにいっちゃうくらいマッキーの声が強烈で、ひっくり返りそうになった。
そして、マッキーの声は、どこまでもまっすぐだ。
そのまっすぐが一時期消えたように思えた時期があって、それは例の事件起きる直前に出たアルバム「
Cicada(槇原敬之)」なのだが、実は彼の今までのアルバムの中でも1,2位を争うお気に入りだったりする。何というか、ここに収録された「Spider」もそうだったのだけれど、ちょっと怪しげな雰囲気が声の調子に揺れも感じさせて、すごく色っぽく危険な匂いがしたんだよね。復帰後に古巣のワーナーに戻って出した「
太陽(槇原敬之)」がこれまた襟を正した几帳面な一枚になっているので、余計にこのギャップが感じられて。
ところで、先週の週刊文春掲載の「考えるヒット」には宇多田ヒカルの最近の活動に関しての、近田春夫のコメントがある。勿論それは憶測の域を出ないものだが、なるほどなあ、と思わせるものがあった。その中で「ソレダ!」と思えた指摘があった。彼女の声には一種の哀しみみたいなものがほんの少量混ざっていて、その声で明るい歌を歌うからこそ味が出てくる、といった文章がそれだ。私もそれは感じていたが、近田によれば、最近のバラード調の曲は、その「哀しみ」が前面に出てしまって、薄っぺらいものに聞こえる、という。この指摘が、他の詳しい人にはどう読まれるのかは分からないが、私には最近の彼女の作品に関して一番納得のいく文章だった。
とまあ、とりとめもない文章を書いてしまって済まない。私が音楽を語っても仕方ないのだが、それでも語りたいときがたま〜にあるのだ。
そういえば、マッキーっていつの間にか東芝EMIに移籍してたのね。去年だったのか、知らなかったよ。そして、このアルバム(初回限定版の装丁(?)がすごい凝ってるねえ!)のブックレットにあるディスコグラフィは、なかなかお役立ちだな、と思った。もう15年かあ。
ブックファースト渋谷店にて。
少し前に読んだ『
不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」 (平凡社新書)(新井 潤美)』がめっぽう面白かったので、ロウアー・ミドル・クラスについて書いてあるこの本を買ってきたのだった。直後にぱらぱら読んでたのだが、そのときは調子が乗らずに暖めておいたところ、無事に復活。
ロウアー・ミドル・クラスは、ミドル・ミドルやアッパー・ミドルから揶揄の対象になっていたらしい。近親憎悪ってヤツなのか、自分だけは違うといって、近いところにいる人たちを差別したい人って結構いるよね(私自身、子どもの頃そういうことがあってある友達を心のどこかで馬鹿にしてて、時々それについて猛反省していた)。ロウアー・ミドル・クラスが何故揶揄・差別の対象になるかといえば、彼らが元々はもう少し下のワーキング・クラスから教育を受けて上がってきたものが多いからだろうとも書いてある。そういう人たちが多くなり社会の中で目立ってきてたことと、彼らの多くが、アッパー・ミドルやアッパー・クラスの人々と接することの多い職に就いていた(デパートの販売員や銀行や会社の事務員(クラーク)など)ために低い身分でありながら上の階級の人たちを真似せざるを得なかったという事情もあったようだ。物事の本質を知らずに形だけ真似をするから余計に馬鹿にされるということなのだろうけれど、彼らにしてみれば形だけ真似をするので精一杯だったのかも知れない。
彼らの余暇の過ごし方、趣味などなどが雑誌「パンチ」などで嘲笑の的とされる辺りは、人間って差別したい生き物なのだなあ、と感じる。その一方、貧しいものたちの余暇の過ごし方のひとつだった芝居は、即位したヴィクトリア女王が好きだったこともあり、急速にそのターゲットを上の方に上げていく。シェイクスピアがやっていた頃は桟敷席が普通だったことはあちこちで書いてあるし映画「恋に落ちたシェイクスピア」などでも見ることができるが、この頃になるとボックス席を作ったり家の居間にいるように飾り立てたりと、企業努力をしていたようである。これらの劇場の主な顧客はミドル・クラスであり、そこで上演される芝居はアッパー・クラスやワーキング・クラスを揶揄するものだったというのは興味深い。そういう形では決してミドル・クラス(つまり観客自身)は出てこなかったのだそうだ。
堕落しきったジョージ王の御世と、ドイツから渡ってきた福音派の両親に厳格に育てられたヴィクトリア女王の御世のギャップ。ヴィクトリア女王は「家族を大事につましく暮らす」イメージが幸いし、当時は「リスペクタビリティ」が大流行だったそうだ。女王がロウワー・ミドル・クラスのお手本だった、と。そしてそこからエスタンブリッシュド(確立された)・ミドル・クラスなるものも出現する。しかし、そういった生き方・考え方は上流階級には合わないものであり、その反動としてオスカー・ワイルドらに代表される耽美主義が流行ったのだとか。こういう風に説明されると、文化の重層的なところが見えてきて面白い。
その繋がりで、ロウアー・ミドル・クラス向けの新聞を発行(「デイリー・メール」とか)したハームズワースの話や、そこら辺の客に大いに歓迎されたセルフリッジ百貨店開店のエピソードなどがふんだんに盛り込まれ、面白いものに仕上がっていると思う。今は、郊外の住宅とロウアー・ミドル・クラスに関してのところを読んでいる。
昔読んでるときは全然気付かなかったけれど、シャーロック・ホームズに出てくる人々はこの辺りに属していることが多いのだとか。それと、新聞をくまなく読み、事件解決にも利用するホームズは、ミドル・ミドルおよびロウワー・ミドルの安心できるインテリだった(当時のインテリは新聞など読まない、という話だったそうだ)とか、ロビンソン・クルーソー自体もそういう出身という設定らしい。こういうことを知ってイギリスの小説や映画を観ると、また違った陰影が見えてくるよなあ。
昨日は時間的に余裕が無くてmixiで叫んでた(MM/memoでも)だけなのだけれど、いやー、これはいいですねー。京ぽん2ではそれほどぴんと来なかったのだけれど、こ、これは万難を排して買いまするぞ!! 噂ではSHARPでW-SIM対応の機器を出すんでは?とかあったけど、正直ここまですごいとは思わなかった。OSがWindows Mobile 5.0だってのがナニだけれど、Linux Zaurusだと即時同期ができなくて帰り際にトラブって30分くらい過ぎてしまう、とか時々あるので、やっぱりあの手軽さはいいなあ、と懐かしく思っていたのだ。そして、Jornada以来の、Windows CE端末でのフルキーボード! たとえ小さくてもキーボードのあるなしで大きく使い勝手が変わってくるからね。SL-C860で慣れてしまった縦横変更機能も嬉しい。
現在、音声中心(京ぽん)と、SL-C860に刺さってるミニフラッシュのヤツとで2回線持っているので、当面京ぽん2の方は前者で機種変更して(って、もう買った気になってるよ、私)、データ通信契約してる方をこれにするかねー、と思っている。で、キレのいいところでW-ZERO3の方に音声契約の分を移行して電話番号とメイルアドレスを確保した状態で、後者の回線を解約する、という算段。普段使いの音声端末は携帯電話に移行しようかなあ、とかちょっと考え中。だってねえ、Felica使いたいんですよ、そろそろ! 夫がDoCoMoのFelica対応機種にしたのだけれどそれを見てるうちに「やっぱええなー」と。六本木TOHOシネマズで、携帯電話をかざしてチェックインできたときにがらりと気分が変わったね。ただ、DoCoMoはでかくて嫌だからauにしたいけど、違うキャリアだと通話割引とか無いのが痛いなあ。
などと、色々妄想が浮かんでくるくらいにWILLCOM絶好調、な訳ですよ。問題は、ちゃんと発売日に確保できるか、ですねー。
あとは、これ自体にデジカメはさほど欲しくなかった(でも、モブログには最適かも)けど、ちゃんとしたデジカメでW-SIM対応のが出ないですかね。今年の春先に山形に行ったときはSL-C860とデジカメしか持っていかなかったのだけれど、結局現地ではあれこれできずじまいだったのが残念なのだ。何度か「直接デジカメからサーバに接続できれば……」と何度も思ったデスヨ。W-SIMに対応してくれれば、それが実現することになる。
そういえば、今度白水社から岸本佐知子さんの翻訳で出る小説がある。『
ほとんど記憶のない女(リディア デイヴィス/Lydia Davis/岸本 佐知子)』がそれで、この作家リディア・デイヴィスという人のことは何も知らない。で、検索をかけてみることにしたら面白いものが見つかった(笑)。
この作家、以前に文春文庫でも作品が出ているようだ。「すばる」にも一編掲載があって、それぞれが小川高義氏と青山南氏という錚錚たる面々。これは岸本さんが担当されるのも頷ける話だなあ、と思った。
その後、別の候補を見てみると、岸本さんご本人がインタビューを受けているエキサイト・ブックスの記事が*1。
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こちらによると、なんとこの原書は岸本さんご自身がamazonの「おすすめ商品」にしつこく出てくるので買ってみたものであり、それがアタリだったというエピソードが紹介されている。おおー、amazonなかなか優秀だぞ、私にはイマイチだけど(笑)。で、どうもその短編集が今回出るものではないかと思われるのだが、このインタビューは1年ちょっと前の7月のもの。それを頭に入れておいて次の行を見る。
豊崎 出るのはまた1年後?
岸本 そんなことないですよ(笑)。
「豊崎」は、戦う書評家、豊崎由美氏。去年の7月に「その本が出るのはまた一年後なのか」と聞いているということは、その前に話されているȤˤϲΥĥܤ ȤΤʤʪ줢뤤ϥ줬줬(2/4) ̴ | Excite : ֥åの
豊崎 書評もエッセイもものすごくうまいのに「わたし、遅いから」って原稿依頼断りまくってるらしいじゃないですか。そもそも翻訳にはどれくらい時間かかるんですか?
岸本 この『ノリーのおわらない物語』は1年かかりました。
大森 えっ、1冊に1年? 生活できないじゃない。
というくだりを指しているものと思われる(笑)。まあ、これが時間がかかったにはそれなりのわけがあるというのもその後の会話で分かるので安心してたのだが。ちなみに「大森」は翻訳に書評に映画レビューに八面六臂の大活躍の大森望氏(今月25日に『現代SF1500冊 回天編 1996〜2005』も出るらしいんで、こちらもよろしく!)。
えーと、さっき頭にオイトイタモのを整理してみると、これが去年の7月の話。今は10月。ということは、「そんなことないですよ」ではなかったという話かな(笑)。どちらにせよ、それだけ手塩にかけた作品だということで、ありがたーく読ませていただこうとは思っているのだが。
ということで、そろそろ店頭に並ぶ頃(amazonだと24日になってるから、早いところだと今日辺りから並んでいそうな感じ)だということで、期待しておりまーす。
ざくっとオンライン書店で検索してみたのだけれど、やっぱり『ノリーのおわらない物語』以降は翻訳、著作とも本は出ていないようだ(笑)。
ところで見つけてしまったのだけれど、この対談で大森さんが「訳すかも知れない」と言っているマット・ラフの『Set This House in Order』も面白そーなんですが、結局その後どうなったのかも知りたいところだ(笑)。もちろん、今はまず、元気になってもらわないと、ですが。
*1 というか、この記事は出た当時に読んでいたのに、私は新鮮な気持ちで読んでたよ(笑)
ブックファースト渋谷店にて。
全然知らなかったけど、町田康の新刊が出てた。東京を舞台にした街エッセイなんだけど、ちょっと幻想味がかかって『爆発道祖神』と少し雰囲気が似てるかなあ、と感じた。11月3日にサイン会だそうで、定員150名だからまだまだ枠はありますよ。普通の作家よりは定員が多いけど、先日の海野つなみの勢いにはやっぱり届かないもんだね(値段も違うけど)。高橋留美子の短編集は、いくつか雑誌掲載時に読んでいる。特に好きなのが、ひょんなことで嫁と姑で旅することになる「義理のバカンス」。このシチュエーションには我がことと考えると非常に恐ろしい話だけれど、いや、嫁、大人だねえ。あの高橋留美子節で大人の世界を描いてるとこうなるんだなあ、といくつか振り返って思ったのだった。全部、市井の人の日常なんだけどね。
それと、ちくま学芸文庫フェアにはまってしまった……。やっぱり文化史系に弱いな、私。『百貨店の誕生』は、日本が舞台。
日曜日に安田ママさんのお見送りオフをするのだが、みんなからということでプレゼントを買っていこうということになり、全くセンスの無い私が選ぶ羽目になってしまった。事前に他の人とも相談し、アドバイスはいただいていたのだが、いささか気が重い。でも、見て歩くのは大好きなので、楽しんでウインドウショッピングができた。
回ったのは次のとおり。渋谷LOFT、渋谷パルコ内のLAZY SUSAN、渋谷LIBROと同じフロアにある雑貨屋さん群、東急本店、東急Bunkamuraのショップ。Bunkamura内のNADIFFが唯一前日に見て回れて目当てのものが無いのは分かってたので他を見て回ったのだが、やっぱりそれなりに時間は掛かるなあ。もっと早めに出てきてたら表参道の雑貨屋さんやインテリアショップを回ろうと思っていたのだけれど、そこまでは無理だった。
結局、LAZY SUSANに戻って、このフォトフレームを選ぶ。その後、安田ママさんが大好きなチョコレートを買おうとしたのだが、なんと表参道のメゾン・ド・ショコラは19時に閉店(泣)! 到着したのが19時2分で、もう、呆然。19時閉店は夏の間だけってあったんだけど、今も夏なの? まあ、いざとなったらGODIVAがあるよ、とは思ってたのでさほど焦りはしなかったけど。仕方ないので代官山のデカタンス・デュ・ショコラにしようかと思ったのだけれど、これが、京ぽんだとちゃんとサイトが見えないようなウェブサイトのつくり*1で閉店時間が分からず諦めた。後で確認したら、渋谷マークシティにも店舗があったのね。そういえば、チョコの店があったなあ。
そういう訳で、比較的近い外苑前のデ・グランベルのソリッドチョコを購入。ここはプラリネなども評判がいいようだけれど、まだ小さいお子さんがいらっしゃるので、プレーンなものの方がまだいいかと思って。
そこでもう結構な時間になってしまったので、とっとと自宅に帰ってmixiの地元コミュのオフに途中参加。既に酔っ払いが多数で、とても初対面が殆どとは思えない状態。その後河岸を2度変え、最後は4人でまったりと飲んで解散した。その後バス待ちの幹事さんとバス停の椅子に座って四方山話。帰宅した後は倒れるようにして寝た。
*1 ここのサイトは、ホームページから直接店舗情報にアクセスできないような最悪のつくり
パルコの裏を歩いていたら、壁に取り付けられたパネルにざーっと各種シャンプー&リンスのサンプルが貼り付けられていた。なんか、好きなだけ持ってってことなのでストレート2種を貰ってきた。
大盤振る舞いだー。
赤い花束―高橋留美子傑作集 (BIG COMICS SPECIAL)(高橋 留美子)』感想は後で。
そういう訳で午後1時に待ち合わせてのオフだったのだが、大幅に寝坊してしまったため2時間ちょっと遅れで会場に到着。既にラストオーダー間近で、特に甘いものは全く余ってなかった。まあ、二日酔い気味でおなかも空いて無いのであまり悔しくは無かったのだけれど。みいめさんはUSJの例の「いつもより火薬多めに入れております〜」のショーを見たことがあるそうで、確かにかなり激しかったらしい。見てみたかったけど、まあ、事故が起こらなくて良かったよねー。あちら側では「野良ニシキヘビ」とか変な話題があったようで、ずっとその後も引きずっていた。
4時で一旦締めるというので店を出て、ダイジマンさんの職場へ押しかける。って、お店だから仕事を妨害したわけじゃないよ(多分)。彼の甲斐甲斐しく働く姿を見つつ、色々本の論評を聞いたり。安田ママさんが「まあ、『キス・キス』は全然並んで無いけど(同時発売のフレドリック・ブラウンはまだ並んでた)全部売れたのかしら?」と言いつつ、さりげない手つきで平積みの本の山を直している。職業病だ(笑)。ここでも欲しいのはあったのだけれど、ちょっと我慢することにした。買うのは一緒なのにねー。
その後、天狗に移動して二次会。異様に安い値付けに驚愕する。甘くて生ぬるい厚焼き玉子にみんなで微妙な顔をする。食べ物がなかなか来ないと不審に思っていたら手前の席(2列に分かれていた)に取られていたことを知り(「関税だよ、関税」と言われた)地団駄しつつ、再度焼き牡蠣を注文。とっくに到着しててもおかしくないのに何故か中野にいたu-kiさんは多分異次元の世界に迷い込んでいたんだろう、とか、バージョンアップ(誕生日を迎えた)して絶好調の彼の名調子に聞き入ったり。
志村さんには、大森望さんのお見舞いに行ってきたときの様子を伺う。病院の食事と禁煙とたっぷりの睡眠とで、入院前より健康そうだという話を聞いてとりあえず安心した。まあ、安心しすぎないで欲しいけど(笑)。ICUでLet's Noteを使ってたら看護士さんは心配してたけど医者は「小さくていいですねえ」と感心してたとか、子どもさんたちがパパの顔を見ると、いつも以上に甘えてたらしいとかのエピソードを聞いた。それと、志村さんには折り紙を折ってもらった。オレンジ色のマンボウ! かわいい。写真に撮っておけばよかった。
都内で電車が止まったということで立ち往生していたジョニイさんが来たので、引越しした話とか高橋メソッドの話とかいろいろ聞く。今度、高橋メソッドの本が出るらしく、その原稿書きもあってとても忙しいそうだ。

その後、店の中で出すのは断られたu-kiさんの誕生祝ケーキを開けるのに、駅前の歩道橋広場(?)へ。ベンチの上にケーキを置いてろうそくに火をつける。本当は「6」のろうそくも買っていたのだが、それはu-kiさんが大事に持って帰ったらしい。3つ買えば「666」の数字だったのに!とか、昼間には話していた。火を吹き消した後はみんなに割り箸が配られ、ハイエナのようにたかる。甘さ控えめでおいしー。お誕生日おめでとうございます。そして、安田ママさん、しばしのお別れだけれど、ネットではいつも会えるからね! お元気で。そちらにも是非遊びに行かせてくださいませ。
こんなものが出てたんだ。変な選び方ではあるらしいけど、後でチェックしてみよう。追記すると思います。
ブックファースト渋谷店にて。
『ほとんど記憶のない女』は、例の岸本佐知子さんが一年ぶりで出した翻訳本。なかなかおもしろそうな作風のようです。訳者後書きをぱらぱらっと読んだのだけれど、単独で本になったものは無いみたいね。前に書いたのはわたしの勘違いだったようだ。
それと、ジーヴスシリーズは、やっぱりイギリスの小説好き・ユーモア小説好きは必ず通らなければならないような作品のようだね。新井潤美の『階級にとりつかれた人びと―英国ミドル・クラスの生活と意見―』を読んでいると、この辺を好きだといいながら読んでないのは片手落ちのような気がしてきて。でも、既に『それゆけ、ジーヴス』が出ていたよorz。
気が付いたら昨晩から急に風邪の症状が出始めて、今朝になったら熱が上がっていた。ふらふらしている訳ではないのでどうしようか考え中なのだけれど、午前中だけ出社して、風邪が悪化しないうちに帰ってこれるだろうか。こういうときだけは、会社から家が近いといいのになあ、と思う。
あまり眠れずに起き出してみたら、まだ夜が明けきっておらずきれいなグラデーションが見えた。寒くなってくると色がきれいに見えるのがこれまた嬉しいね。
あ、これは『不機嫌なメアリー・ポピンズ―イギリス小説と映画から読む「階級」―』よりもちょっと複雑で面白いかも知れない。イギリスのミドル・クラス、特にロウワー・ミドル・クラスに焦点を当てて、イギリスの文化や歴史を語る。ロウワー・ミドル・クラスというのは、経済状況の変化により努力の末ワーキングクラスから抜け出してきた人が多く、彼らは自分よりも上の階級(ミドル・ミドルやアッパー・ミドル)をお手本にした。しかし、ミドル・クラスというのは近しいだけにその差別化に躍起になる人が多く、その「上の階級を真似した」スタイル自体が嘲笑の的となったりする。また、当時即位したドイツ出身のビクトリア女王は質素な人で家族を大切にする印象の人だったがそれは上流階級では異質。彼女は福音主義を信仰する人でそれが彼女の人生のお手本だっただけに、そういう態度を「リスペクタビリティ」と呼び、ロウワー・ミドル・クラスの人々の手本になっていった、ということのようだ。逆に、そのような生真面目さはアッパー・ミドルまたはアッパー・クラスでは嘲笑すべきもので、彼らは不勉強とか常識に縛られないとか、そういったことを美徳としていた。その中心にいたのがオスカー・ワイルドであり、その路線を少し逸れるとバージニア・ウルフらが中心となったブルームズベリー・グループとなる。一方、読み物では彼らロウワー・ミドル・クラスを描いたものが多数出ており、またそれをかつて同じ立場だった者が描く、H・G・ウェルズらの作品が出てくる。その他にも「階級」というものを超越したメアリ・ポピンズのような存在も出てくるが、こういうものが好まれた訳も何となく分かってくる。
日本にも階級意識みたいなものはあるだろうがそれはどちらかといえばアメリカ的なものではないか。旧華族などの流れはあるが、それ以外は実際に富裕であるかどうかが判断の基準となりそうだ。そういう我々にはイギリスのような細かいカテゴライズ(話し方ひとつで身分が分かってしまう)のことは、ちょっと想像がつかない。これを読んでいる間に自分で読んできたイギリスの小説や映画を思い出し、ああ、あれはどの階級の話だったか、などが多少ながら理解できるようになった。
自分が思いも寄らないような、近しい外国の話というのはどうしてこんなに面白いのだろうな。精神的に遠すぎると比較するにも遠すぎて面白くないのだが。
イギリスの小説や映画好きの人は、ちょっと読んでおいた方がいいのではないかな。それと、階級の話でP・G・ウッドハウスのジーヴスシリーズの話題が結構出てきて興味を持ち始めた。以前もそうではあったのだけれど、改めて、ということで。まずは『比類なきジーヴス』を買ってきた(最初のエピソードだけ読んだよ。落語みたいだった)。
エコノミカル・パレス (講談社文庫)(角田 光代/藤野 千夜)』この著者の作品は、アンソロジーの中にあった短編しか読んだことが無いが、それはそこそこ気に入っていた。で、他のものも読んでみようとは思っていたのだけれど、ここまで時間が経っていたよ。考えてみたらこの著者と私とは同じ年なんだね。
さて、この主人公も著者と同年代。大学を卒業した後企業に就職せずにフリーライターをやりつつ数多あるアルバイト稼業で糊口をしのいでいる主人公はもう34歳。一緒に暮らしている男も長く職が続かないフリーターで、理想だけは高い。どちらか遅く帰ってきた方が相手のリクエストに応えてコンビニで食料を買って帰る毎日だが、自分の方が明らかに負担が多いことに、彼女は不満を抱いている。
冒頭から延々、彼女はものの値段を見て絶えず入ってくるお金と出て行くお金のことを考えている。家賃は半々だがあまり責任感と経済感覚の無い彼の分も背負った状態で、絶えず息苦しさを感じているようにも見える。しかし、だからといってもっと積極的に営業しようとか時給の高いアルバイトに変えようとはせず、それどころか夏場にエアコンが故障してしまい新しいのを買うのに、消費者金融で気軽に借金をしてしまう始末。そこに流れている空気は本の少し前の日本、東京で、確かに私もその中にいたし、その延長線上にある今にいる。多分、この小説の登場人物もこの世界のどこかにいるのだろう、と思えるほどに彼らはリアルだ。いや、私の存在からは遠いところにいるのだけれど、すぐ近くですれ違っているのだろう。
確かに、私が新卒で就職した頃は馬鹿みたいにそこそこの企業からの内定を得ることができ、自分が何にでもなれるような気がしていた(気だけなのが問題だけれど)。だからこそ敢えて就職しないというスタイルも当たり前のようにあり、多分それは「自分は他の人のように縛られた人生は送りたくない」というメッセージだったのだろう。アルバイトも山のようにあり、楽してそれなりの収入を得ることができた。好きな時間に働けて好きな時期に休めるアルバイトや派遣はそれなりに格好がよく、ちょっと海外に行きたくなったから、と気軽に海外に行く人もいたもんだ。考えてみれば現実逃避のバックパッカーも、我々の世代辺りに顕著になってきたのかも知れない。
そういった人々が30代を迎え、世の中も厳しくなり自分の身体も衰えてきた時期、果たして自分はいつまでこうしていられるのか、かすかな不安を覚えながらもそれに気付かないふりをして一日一日を生きているのだろう。まあ、将来が不安なのは私だって同じだが、安定した勤め先を持ち万が一首を切られてもいくばくかの退職金が入ってくる人間と、毎月気が付くと家賃の支払日で、支払いに追われながら日銭を稼ぐ人間とは、お金に関わる感覚も違ってくるのだろうな、とは思う。あのアルバイトで×万円、あの雑誌に書いた分が×千円、そして税金支払いが場××万円……と頭の中で絶えず計算している彼女は、もしかしたら周囲の何もかもがお金に見えることがあるのかも知れない。しかし、そういう息苦しさを自分と共有してくれる人がいないことにも絶望し、自分の居場所を見失っている。
ああ、なんかだらだらと書いていて全然纏まらない。ここから感じるのはその日その日に味わう気楽さと、全体を覆う不安だ。こういう生き方をしていると、いつか擦り切れてなくなってしまうのではないかとさえ感じてしまう。それなりの学歴と知性はもっているのに日々の些事に追われハムスターのようにせこせこ回っている人たちが、この世には沢山いる。そして、そういう人たちはこれからどうなっていくのか。その地続きのところには自分もいるのだ、間違いなく。この物語は「現実」で「今」なのだと思う。作り話の世界なのに切実さを持ち続け、読む我々を不安に追い込む。
彼女が出会う、20歳の青年は、彼女とは全く違った存在だ。おそらく大学には無目的に、学力に見合うところに入ったのだろうが、料理人になろうと言う目的を見つけ、それに向かって努力している。しかし、私から見ればその「目標」もどこか安直さが見え隠れすることをもどかしく思うのだ。でも、我々市井の人間の人生なんてそんなものかも知れない、とも思いつつ。
ブックファースト渋谷店にて。珍しく早い時間に行ったら、なんかの本を立ち読みした女子高生たちがうひゃうひゃ笑っていた。でも、その後ちゃんと二人は買って行ったよ。私だったら違う本を買ってお互いに貸しっこするのにな。それと、町田康サイン会のチケットは、既にさばけてしまった模様。定員150人なのに! すごすぎる。
塚本さんとご飯を食べようという名目でもう5回目を迎えた五反田オフ。いつも少人数でとっとと決行するのだけれど今回は総勢14人に膨れ上がったのは、お店のせいだろうか、それとも開催まで余裕があったせいだろうか。昨日風邪引いて参加が危ぶまれたのだが、何故かあっさりそんなものは吹き飛んでいて、元気に参加してきた。うーん、何だったんだろう?
お店は、五反田の目黒寄りにあるフレンチレストランフリコトー。5000円という会費は五反田オフにしては高めだけれど飲み放題で10人以上集まれば10%オフ、つまりはサービス料なしでOKという。で、最後に会費を集めたのだが、5000円きっかりということで非常に簡単でよかった! しかも、人数の変更は当日でもOKなんて、なかなか無いですよ。おなかもいっぱいだしお酒もいっぱい(笑)。
話題は多岐に渡っていた模様。というのも、人数が多すぎて話がひとつに纏まらない。同じテーブルの人と話したり、隣のテーブルの人と話したり、ちょっと席を移動したりしてわいわいがやがや。とても楽しいひとときを過ごすことができました。塚本さん、毎度毎度ありがとう!
たださんの日記で「blogのフォントが小さい」という指摘を受け、今日は10.5pt固定にしたと自らおっしゃってきた古川亨氏。うん、確かに私にとっても「すごい人」の一人として君臨している。で、その人がやっぱり「すごい人」の一人のたださんのところに降臨しているというすごい状況を目の当たりにしているのだが、とても不思議な点が。
Wordで作成した文章がゆえの仕業なのでしょうか?
んんんんん?? もしかしてmsn spaceって、Wordで書いた文書をそのまま(もしくはhtml変換して)アップロードする機能があったりするんだろうか? msnならやりかねない、という気はする。通常であれば普通にエディタ(まあ、それがWordでも)に書いたものをペーストするだけなら別に何で書こうが影響受けないと思うのだけれど。いや、そこら辺まで.NETで何かできちゃうとかするのかなー(笑)。
で、msn spaceの使い方みたいのを参照してみようと思ったのだけれど、そういったものは表には出して無いみたいね。アカウント取って自分の「日記サイト」を立ち上げねばならないのだろうか。うへー、面倒だけれど、暇があればやってみるかも。
古川氏のblogのソースを見たときに既視感があったので「Wordの文書をアップロードするとか?」なんて書いたんだけど、どうやら大雑把に合っていた模様。msn恐るべし。以下、たださんの日記での古川氏の投稿。WordのHTML生成が滅茶苦茶だというのはご本人も分かっていらしたようだ。
Wordは純粋にテキスト入力に使っているだけなのですが、HTMLの生成はMSNSpaceのアップロード・プロセスで生成されているように見えます。フォントの指定 size=3とか改行スペースなどは謎が多く、IE6で表示後にフォントサイズを変えると改行位置と改行スペースがメチャクチャになり、ページの再描画ボタンを押すとまともな改行スペースになったりもします。
泣けてくる。
ブックファースト渋谷店にて。
「ユリイカ」執筆陣には、どっかで見た名前が多数。『200X年文学の旅』の脚注を担当したひとり、小澤さんも人文系のところで書かれてますね(討論のところにもお名前が)。笙野頼子ファンサイトの木村カナさんも! 私は主に人文系のところで満足。っていうか、理系といってもいろんなタイプがいるように、文化系も、とても遠いジャンルもあるのですよ。あ、でもアート系に近代ナリコさんが。
それと、人文系のフロアを見ていたら、なかなかおもしろいものが。これはこの1週間くらいずっと見てたものだけれど、『
家族を蔑(さげす)む人々 フェミニズムへの理論的批判(林 道義)』がちょっとおもろそう。林道義といえば父性とか母性とか言ってる人で「彼がイエ制度を引っ張る張本人か!」みたいに見えてしまってるのだが(まあ、間違いではないと思う)、かなりフェミっぽい昨今の動きにお怒りのようなので、どうお怒りなのか参考にしてみたいなー、と。
それと、Harverd bussiness review anthologyというシリーズが出ているらしいがそれが一面平積みされていた。その中で目を引いたのがこれ。『
いかに「問題社員」を管理するか (HBRアンソロジーシリーズ)(DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部)』……ね、なんか気になるでしょう(笑)。採用とマネジメント、コーチングに関する本みたいだけれど、これがなかなか面白そうだった。私はビジネス書は範疇じゃないからこれにも手はつけないと思うのだけれど、気になる方は読んで感想を聞かせてほしい(笑)。
今朝自分のサイト見たら、HsbtさんからTrackBackが。なんと、MSN Spaceの機能について調べてくださったのだそうです。素敵! 私はMSNのアカウント自体を持ってないので、そこからやるのは面倒だなあー、と感じてしまっていた。
で、その報告を読むと、ほぼ想像していたとおり。しかし、全文コピー&ペーストするとスタイルも含めて反映してくれちゃうんだ(というか、MSN Spaceの編集画面自体がまるでWordだよな)こんな機能をつけるだなんてある意味MSNは偉いけど、どうせやるんならもうちょっとかわいいソースにしようよう。
確かWordファイルをHTML化する機能を使ったのは部署内の議事録を内部ウェブでも公開しようとしたからで、しかし吐き出されたソースを見て、卒倒しそうになった。もっと卒倒しそうになったのはPowerPointからHTMLファイルに変換した際のソースだけれど、まあ、これはあんなものをできるだけ見た目が同じようにするためにすごく大変だったんだね、と開発陣を同情したくなったけど。
Macromedia Dreamweaverなどにはこの汚いソースをきれいにする機能もあるのだけれど、まだまだ、という感じ。無駄にフォント指定するところも多く、自分でこの吐き出されたソースを編集するときにはまずはfontタグを全廃したような気がする。スペースまでもフォント変えて指定するんだから、なあ。そういう風に作ったものを「うちの支社のホームページにしたい!」と数年前はよくレビュー依頼が来たものだが、お願いだからそんなすさまじいのを公開するのは止めてくれ、高い給料(本業だと1時間いくら請求してるんだよ、と思う)だってのにこんなことに時間を使わず、専門の業者を使ってくれ、と泣いて頼んだものだった(泣いてないけど)。
それにしても皆さん指摘されてるけど、あの古川亨氏自らが
マイクロソフトの発行するホームページやMSNスペースが提供するWebツールは表示環境はそのあたりの社会常識を身につけるべきだと私も思います。
とまでおっしゃっているのは、本当にすばらしいと思う。偉い人が言うことに意味があるのだよな、こういう場合。
それと、これの議論に関して「でもフォント指定外すと文字が大きく見える」という感想があったのだけれど、そりゃああなた、今までフォント指定に慣れすぎてたのではないかね。私がウェブブラウザをインストールした後にすぐにやるのは、ブラウザのデフォルトフォントを、自分の目で見易い文字サイズに変えること。でも、そういう風にすると世の中のサイトの文字がおそろしく小さく見えて、本当に苦労します。そういうところは仕方ないからOperaの方で一時的にそのページだけ120%(たまには150%)にして見ることが多いかなあ。はてなダイアリーのデフォルトのテーマも本文を90%にしちゃってるから、見えにくくて困るっすよ。
こういうのって特にデザイナーの方々には理解されにくいのだろうけれど、基本はその人それぞれの閲覧環境に任せるべきだとやっぱり思いますよ。
夫と銀座8丁目にあるAd Libへ。いつも当てずっぽうなのでたまには下調べしてみてから、ということで。ここは、同じビルのマノワール・ダスティンの姉妹店で、カジュアルに食べられるフレンチという名目でできたお店らしい。お店のインテリアはいまいち(何となく、居抜きっぽい)だけれどカウンターもあり、キッチンの様子を見ながら食事ができる。
頼んだのは、生牡蠣2つ、鯖のマリネとライスのサラダ、海老クリームコロッケ、フカヒレと蛤の洋風茶碗蒸し、真鯛のかまの香草グリル焼き。もう、お腹いっぱいっす。
鯖のマリネは、まあ予想してのことだけれどしめ鯖に近かった。しめ鯖好きの夫は大満足。確かに、これはお米も含めてなかなかにおいしい。海老クリームコロッケは普通においしかった。茶碗蒸しはまったりとろーり(上にかかったスープ(フカヒレの戻し汁?)も)。もうこの辺で止めておけば良かったのに最初に頼んでしまっていたので、鯛のかままで頑張っていただきましたよ。これにビール1杯ずつと白ワインのHoutes Cotes de Nuits(こちらもなかなか、5,200円)で19,000円弱ではとてもじゃ無いけど「居酒屋感覚」とは言えないけど、見ていても手間かかってるし、この値段は納得せざるを得ない。最後の方でオーナーシェフ?がチェックに来ていた模様。
カウンターで、一つの料理をシェアしながら食べられるのが嬉しい。一応コース(6,000円で固定?)もあるのだけれど、こうやって食べた方が楽しいと思うなあ。何より、フレンチをコースで食べると食べきれないほど出るので、シェアした方が気が楽なのである。食べ物について話をしていると、カウンターの料理人がちゃんと聞いていて答えてくれるのが嬉しかった。それと、これはオープンキッチンの善し悪しが出るのだろうけれど、厨房の人がやたらと忙しそうだ。若干注文品の出が遅いような気がするが、目の前で見てると「仕方ないなー」という感じ。
客層は色々だけれど、カップルが多い。ただし、奥にいた銀座のクラブのママを囲んだ食事会みたいなのは、非常にうるさく下品。銀座にあるが故のことなので仕方ないのだろうが、いまだにああいう人種がいるというのが驚きである。早く絶滅して欲しい。
その後、バーに行って独立のため今月いっぱいで店を辞めるMさんの顔を見に行った。店は、金曜日ということもあって大盛況。なんか、ダークラムを色々仕入れててくれたよ。散々「最近ラムにはまってんですよー」と言っていたからかな。
ああ、このマノワール・ダスティンのシェフって、表参道の「アンフォール」のシェフの人なのか。道理で店構えも似ている。以前オフィスが近くにあった時にはよく目の前を通っていたのだが「高そうだなー」と感じていて、入ったことがなかったのだった。すっかり忘れてたなー。
_ ゆきち [この騒ぎで見えてくるのは、「Firefoxやoperaで最低フォントサイズを設定している人は少ない」という事実ではな..]
_ にじむ [最小フォントサイズって効きます? 私、Operaで9ptに設定してるのですが、全く効果無いのですが。]
_ ゆきち [Firefoxでは、効いていますよ。少なくとも、古川ブログを見るのに問題はありませんでした。Operaの場合、設定箇..]
_ にじむ [ん〜、色々考えて「もしかしたら」と思ったのが、%問題だったのだ。これは色々試してみなきゃ分からないけど、Operaで..]
_ にじむ [あ、やっぱり%設定だと最低フォントの設定が効かないみたいですね。今、FireFoxで確認してみました。これがOper..]
働く女の胸のウチ(香山 リカ)』元々は北海道新聞に連載していたコラムらしい。日々の出来事や新聞記事などから女性に関する事項を採り上げ、それに関してのメモと雑感を記すもの。見開き1ページほどのものなので物事への掘り下げもさほど無く、本当に「さわりだけ」であることに読み始めは物足りなさを感じた。
しかし、読み進めるうちに段々気持ちが変わってきた。これは、香山リカ自身がわざとフラグメント化したものであり、物事を考える端緒になると同時に、我々読者にとってもそのきっかけとなるのだ。自分の考えと同じようなものであれば「そうそう、そうだよねえ」と頷き、知らないことや自分の考えとは少し違った記述を読むと「どうしてだろう?」と疑問を抱く。そして、著者と同時に考え始めるのだろう。その入り口は多ければ多いほどいい。
著者自身にとっても、この膨大なメモの中から単独の、もっと掘り下げた書籍が出る可能性だってある。そのときに、自分の考えてみたことと照らし合わせればいいのではないか。
セイちゃん (2) (ダ・ヴィンチブックス)(大田垣 晴子)』1巻でネタは切れるのではないかと思っていたのだけれど、意外と尽きないものだなあ。姉妹ネタとか二段ベッド関連とか、自分の「かつてそうだった頃」と照らし合わせて、似ているところは「分かる分かる〜」とか、全然違うところは「へえ〜」とか、軽ーく読んでみたし、まあ、そういう類の読み物だとは思う。
彼女は横浜出身なのだが、意外と都会ネタは出てこなくて(野毛山動物園が近いなどのエピソードはあるものの)、その点も地方出身者にも違和感を感じさせず読ませるのだろうと思う。
まずは大田垣作品を読まない人には勧めないが、彼女の著作をいくつか読んでいて違和感がない人であれば、読んでみてもいいのかもね、とは思う。地味な内向的文系女子向け。
宇宙舟歌 (未来の文学)(R.A. ラファティ/R.A. Lafferty/柳下 毅一郎)』ラファティって人を選ぶという印象があるしみんなそう言っている気がするので、買ってはいるけれど読むのは躊躇していたのだが、昨日試しにすこーし読んでみて、面白くてついつい中程まで読み進めてしまった。
戦争(しかも、わざわざ大した戦争ではなかったと語られるところがニクい。地球規模で考えると大層な数字なのだけれど、これは宇宙規模だから、そういうギャップをまずは感じさせる演出だろう)が終わり故郷に帰る宇宙船乗組員たちが、途中いろんな星々に降りてあれこれと体験する話。なんか、よく人が死にますよ(笑)。すぐに生き返るけど。というか、これだけばんばん死ぬと、生き返らせないと多分故郷にたどり着いたときには「そして誰もいなくなった」状態になると思われます。今はセイレーンの魔女の辺りを読んでるのだけれど、魔女の膝にたどり着いたとたんにみんな高圧電流で打たれて黒こげ。その焦げと灰を平然と払う魔女。この、あっけらかんとした描写がたまらん訳ですよ。
それと、やっぱり大笑いしたのは「どーん」でしょう。途中、巨人の星に寄って巨人たちと戦っている間にその子供に船の修理を任せるのだけれど、そこで大幅な改造を加えられると同時にこの「どーん」ボタンが付けられるのだ。これはどんな役割をするかというと、まあ、難しい理屈はおいておいて、ある状況に至ったときにそれをチャラにするためにその状況に至る前に強引に戻してしまう手法。海千山千のギャンブラーが集う星で自らも賭け事に挑戦するロードストラム船長だけれど、周囲からは散々「あんたは才能無いんだから」と止められてもこの「どーん」ボタンを頼りに運を切り開いていく様が、まあ見事なこと。というか、あまりにもおつむが寂しい船長は、体力以外はあまり優れていないところがない様子。
巨人に引っこ抜かれた舌も無事次のに生え替わるのだけれど(だったら最初から「無駄だよ」と言っておけば良かったのに、と思ったけど、そしたら殺されていたか、永遠に)、宇宙船間通信で「虚偽です」とインチキ検知システムに毎度毎度畳み掛けられる(舌が違うと偽物と見知してしまうらしい)様も、笑いどころではあろう。
そういうアンチヒーローたちが多数出てきて冒険を繰り広げる様がおもしろおかしい、という寸法です。一応不思議な現象を説明するためのネタも出てくるのだけれど、そういうものは「そういうもの」として割り切って読んでしまえばいいのではないですかね。
文章のリズムも良くて、歌に乗っている感じ。柳下さんの言葉の操り方がうまいということなんでしょうね。ああ、SFファン交流会でラファティ、特に宇宙舟歌ネタをやるのなら、やっぱり参加しておけば良かった、というのも後の祭り。皆さんの土産話を聞いておくことにします。
しかし、装丁も見事だねえ。とってもおしゃれです。
この本を手に取ったのは、以前から「友達」という言葉について疑問を感じていたからで、最近は哲学者や哲学研究者が実社会に即した疑問に関して根本的なところからレクチャーしてくれる本が多いのがうれしい話だなー、と思う。
mixiではマイミクシィ追加要請があると赤いアラートメッセージで知らされるのだが、その当人が友達であるなしにかかわらず、「あなたの友人が〜」と承認を促す文章が出る。だいたい、これは変ではないか。友人だったら既に「承認」というプロセスは必要ないはずだし、逆にここで承認が必要なのであれば「友人」ではなくせめて「友人候補」ではないのか、と。こんな中途半端な形ではなく、「友人≒マイミクシィ」なのか、「友人=マイミクシィ」なのか、言葉の定義をはっきりして欲しいものである。いや、はっきりして欲しいのではなく、混同しないで欲しい、だな。自分では「友人≒マイミクシィ」だと思っているので。mixiの問いかけるメッセージは、せいぜい「この人はあなたの友人ですか?」だろう。だから「承認」「否認」ではなく、質問の回答という形で「はい」「いいえ」。
そんなことで引っかかっていると「それでは友達とはなんぞや?」という話になってしまって自分の中でぐるぐる回ることになってしまうからこれはこれで難しい話ではあるのだけれど、人に不用意に定義されてしまうよりはよっぽどいいかな。逆に、海外初のSNSっぽいのはこの辺が厳密なのか、(ほとんど使ってないけど)orcutもvidentityも人のつながりの設定を細かく設定するようにできていて、この辺は「友達」という概念の差なのかなあ、なんて感じたりもしている。
ブックファースト渋谷店にて。
『ニート』……こんなふてぶてしいタイトルを付けられるのは絲山さんだけだよ。でも、その開き直り具合とその裏に隠れる繊細さが見えるからこそのワザなのだよ。サイン付きだった。営業してるのかなー。それと、水道橋博士のタレント本書評本。前から悩んでたんだけど。それと、ちくまの復刊フェアの中の一冊と、なぜか棚に刺さっていた1995年刊のホラー・アンソロジー。佐藤哲也の「きりぎりす」は『ぬかるんでから』に入ってるけど、他にも山上龍彦やかんべむさしがいるしね。解説は板東齢人。対で網一冊あったけれど、執筆陣がさほど魅力的な訳ではないので、こちらだけ拾ってみた。
なんか、面白くないんだよね。新味がないし、かといっていきなりゴミ袋様の正装をされても困る(あれは凡人には解せぬ芸術だったのだろうか)。顔ぶれ見ても「ふーん」という感じで、だれかが何かをやってくれそうな予感がない。やってくれそうなのは麻生外務大臣が何か口を滑らせてアジアを怒らせることくらいか(マイナス方面の影響な)。
ポスト小泉には安倍氏が有力なんていう話もあるみたいだけれど、小泉政権の煽りを食って、次期内閣はズタボロの短命内閣に終わりそうな気がするのだけれど。いっそのこと、それを覚悟してやってみるのもいいかも知れないけど。行くも地獄、戻るも地獄とはこのことなんですかなあ。
あ、党三役はコメディアンか、というほどに満面の笑みで、なんと受け取っていいのやら。もうひとつの注目ポイントは、猪口男女共同参画相のフォーマルドレスか。いや、アレはフォーマルなのか?
_ マツムら [山形浩生さんが嫌煙キャンペーン絡みの文章をアップされてました。 http://cruel.org/other/smo..]
_ バラライカ宮崎 [喫煙者の立場から考えてみても、ニコチンがその依存性の高さという点で、極め て危険な薬物であるというのは確かだと思いま..]
_ なつせ [元喫煙者です。 喫煙者の真実に興味があるなら・喫煙者を救え(cf.「第7章」)のネタ元とされている『禁煙セラピー』..]
_ にじむ [>マツムらさん やまがたさんの文章! いつも読もうと思いブラウザでは開いていつつもなぜか読んでませんでした。思い出し..]