みんな行ってしまう (創元SF文庫)(マイケル・マーシャル・スミス/嶋田 洋一)』なんか、「家主」辺りからまた違った雰囲気。サイコホラーっぽいんだけど、ほら、サイコホラーだと最後にどうしてこんな怖い目にあったのか理由が分かるじゃないですか。それが無いの。サイコホラーもので、追いつめられるだけ追いつめられた、エピローグのカットされた話を読んでいるようだ。
「家主」は、自分の居場所というものが他人に侵され、自分のための場所が無くなってしまう女性の話。仕事のためにアパートを間借りするのだけれど、その部屋は家具付き……といえば聞こえがいいけど、留守を預かってるみたいな感じ。自分の者といえば(衣料品や生活用品はもちろんそうなのだろうけれど)、マグカップのみ。彼女は、部屋に誰かが侵入する恐怖を感じている。一方、オフィスでも自分の部屋に若い女性が入ってきて、仕事まで横取りしようとされる。家には「家主」を名乗る不気味な男が居座る。そんな中、どんどんパラノイアチックになってきた主人公は――。と、追いつめられる心理をとことんいやーな感じで描いてくれます。
「見知らぬ旧知」は、親友が軽い気持ちでつきあい始めた女性に取り込まれていく話。しかし、目的は親友ではなく、主人公自身だったようで、危機を感じている、というもの。それと共に「据え膳食わぬは……」を地でいっている主人公の過去の所業が回想の形で披露されるが、どうもこのふたつがつながっているらしいことは分かる。なんかですね、頭が真綿で絞められているかのような感触を覚えます。切なさはどっかに行ってるね、この二作は。因みに、まだ読んでいる最中。
ヴァージンTOHOシネマズ六本木第5スクリーンにて。
フィラデルフィアで弁護士としての地位を固めつつも、自分の容姿にコンプレックスを持ち、男性にも恵まれないローズ。そこに、優等生の姉とは大違いで仕事の続かないフリーターのマギー(キャメロン・ディアス)が転がり込んでくる。しかも、やっとつかまえた筈だった恋人(既婚)を寝取られてしまい逆上。激情に駆られたローズは寒空の下、マギーを叩き出してしまう。
美しい靴を集めるだけで自分では履きもしないローズと、そんな美しい靴を次々と履き、めちゃくちゃにしてしまうマギー。うっとうしい存在ではあるが、お互いがお互いをかけがえのない存在だと認識していることは、スクリーンを通じて伝わってくる。姉に追い出されたマギーは行く当てもなく、小さい頃母が亡くなってから会うこともなかった祖母の住むマイアミの老人ホームへと向かう。
ここでは、三人の孤独な女性が出てくる。ローズとマギーの姉妹、そして、二人の祖母であるエラ。それぞれが自分の孤独を心の奥に隠しているのだが、ふとしたきっかけでそれに向き合い、何とか抜け出そうと前向きに生きていくところが素晴らしい。姉と妹というのは親友にとても近い存在だというのは私も同じ境遇だから分かる。それに加え、彼女ら姉妹は二人で結びつかざるを得なかった事情が過去にあり、それには祖母も強く関連している。三人が一堂に会して、それぞれの心のわだかまりは解けていくのだが、誰か他人が作用してそのようになるという演出がなかなか心憎い。
最後にはローズの結婚式という大団円で幕を閉じ、家族の(ほんのちょっとした)再生とそれぞれの人生の満足を観客は感じてスクリーンの前から去ることになる。キャメロン・ディアスが主演であることから、ハリウッドの大味で分かり易いドラマと高をくくりそうになるが、靴に込められた女たちの想いが人生へのものと昇華され、うまくアレンジされている佳作だと思った。たまたまレディス・デイで女性が多い上にこのテーマなので館内は女性で埋まっていた状態だったのだが、女性同士で見ると何となく隣にいる人が大切に思えてくるのではないか、という作品でしたよ。周囲の人たちも「いい映画だったね」と言い合っていたし。封切られて半月くらいしか経ってないから、まだまだ上映している期間もあるでしょうから、何か面白い映画が観たいと思っている方は是非ご検討くださいませ。
キャストのことをちょっと。キャメロン・ディアスは若くて無軌道な女性という設定なのだけれど、どうも寄る年波の影響が強いように感じられた。肌色がくすんでいるように見えるのは、こんな役柄だから? 最後の場面はさすがにきれいだったけれど。トニ・コレットのことはこの映画でやっと個体認識できたのだけれど、あー、「アバウト・ア・ボーイ」で子供の母親役で出てきた人だったのね。というか、彼女って1972年生まれなの!? 私より10歳くらい年上かと思ってしまってたよ……。彼女のことを知ったのは映画版「エマ」のハリエット(ミス・スミス)役でだったのだけれど、あのときの彼女は、とてもとても初々しくて、顔つきも全然違ってたんですけど! 何より、肌がつるんとしてきれいだった。10年ほどでこうなるなんて……。