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2005年12月01日 (木) [長年日記]

_ [読書][読み中]マイケル・マーシャル・スミス『 みんな行ってしまう (創元SF文庫)(マイケル・マーシャル・スミス/嶋田 洋一)

 「見知らぬ旧知」これは至って普通のモダンホラー(っていうの?)かな? 親友と付き合い始めた女性が、自分の領域を侵犯してくる。彼女は主人公に恨みを持っているらしいし、どうしてかは分からないけれど、彼女を知っているという直感がある。一体、どういうことなのだろうか――。主人公が行くところに先回りしてたり(どう考えてもそれは無理なのに)、超常人間っぽい面もあるのだが、ただひたすら、男が彼女のことを思い出すのを待っている。一方、人に手紙を書くときにPCにその原稿を人ごとに分類しておく習慣を持っている主人公は、名前の無いフォルダと宛名の無いファイルを見つける。そこに書いてあることからは、相手の何も思い出させるものはない。

本当なら難しいことではないはずだ。手紙が引き金となって思い出したくない一連の記憶が蘇り、文脈がつかめるようになるはずなのだから。だが、そうはいかなかった。何の記録も蘇ってこない。まるでほかの四つのフォルダーに入っている手紙の抽出物のようで、ほかのフォルダーの手紙をすべてコンピューターにかけ、機械的に処理して平均を取ったらこうなるだろうかという気さえしてくる。(p.265)

 最後に彼女の謎が解き明かされはするが、彼女は、これで満足だったのだろうか。日本(というか仏教用語)で言えば「××(さすがにネタバレになりそうで書けない)」したことになる? でも、彼が本当に後悔した風でもあるので、それでOKだったのかな。男の身勝手さには辟易するが、こういう関係って、結構ありそうな気がするな、特に現代には。とにかく、タムシンの彼は一時的に不在で、しかし彼女の元に帰ってきた、というのは明らかであるようだ。

 「闇の国」は、正直言ってラストの辺りの話についてはよく理解できないところがあった。「何となく」ということであれば、分かってはいるのだが。ずっとそうなっていることを変えたりすると、思いもよらない変化が訪れることがある。しかも悪い方向に。だから人はできる限り習慣を変えないようにするし、変化を好まない人がいるのも、理解できる。この話は、自分の部屋の模様替えをしようとベッドの位置を変えかけた若い男が、パラレルワールドっぽい世界へ行ってしまう話(なのかなあ?)。夢から抜け出せなくなった、というか。私もこういう鬼気迫る夢というのはよく見ていた時期があり、この話で主人公が感じている恐怖感はとても身近に感じる。何らかの法則があり、それについて発見するが、何かに妨げられてなかなか手が届かない……という状況。ある条件に当てはまると家の中が混沌に陥り、あることをすると秩序が(若干痕跡を残しつつも)回復する、というもの。逃れても逃れてもやってくる危機、とか、孤独感とか。そういう感覚が、うまく表現されているとは思う。しかし、居間の四隅にいるという黒い影は、一体何なのだろう?

 残すところ「いつも」と「ワンダーワールドの驚異」の二本のみ。読み終えるのが惜しい気がするが、ずっと悪夢を見っぱなしの状況にもあったため、それが身のためだと思ったり。このまま読み続けてたら自分が「闇の国」に行ってしまいそうな気がする。

_ [web感想]あまりにも有名な人物に関する誤解

 YAMDAS - ƣŵ׻ФºɤǰȾʸを読んでいて思ったけど、確かにあまりにもあまりにも有名な人だと、自分の中で作り上げた印象が強すぎて、それが実は現実には当てはまらないこともあるかも。先日浅倉久志氏を初めて拝見した際はまさにそういう気持ちでいっぱいだった。むしろ、yomoyomoさんがリンクした「ほら貝」での伊藤典夫氏の口調とそこから浮かび上がる人間性みたいなものを想像していたかも知れない。

 それにしても、このインタビューは面白いね。前半には先日リニューアル刊行された『ノヴァ』に関しても言及があるから、Wikiにもリンクを張っておこう。「ほら貝」は、ウェブサーフィンをするようになってから断続的に拝読していたサイトだったが、そういえば最近はさほど訪れてなかったかも。

 伊藤典夫氏といえば(私もお目にかかったことは無いっす)、国書刊行会「未来の文学」二期のパンフレットに寄せている「SFという名の建物」という文章がとてもいい、とharuさんから教えていただき、入手してから早速読んでみたよ。確かに、これは感動的な文章だ。短い中に、SFの来し方と未来が描かれているように感じた。もしまだご覧じゃなかったら、今度お会いする機会があればお見せしますよ。いや、書店にある「未来の文学」シリーズの本に確か『宇宙舟歌』には挟まってたのではないかと思うけれど。

 因みに、浅倉さんの「控えめな印象」について、確か大森さんに感想を述べたときだったような気がするけど「あの年代の人たちの特徴かも」みたいなことを言われた(大森さんだったように記憶してるけど、もしかしたら違っているかも……)。何せ、先日出たばかりの『 スキャナー・ダークリー (ハヤカワ文庫SF)(フィリップ・K. ディック/Philip K. Dick/浅倉 久志)』に関しても、「よく分からないときには山形(浩生)さんの翻訳(『 暗闇のスキャナー (創元SF文庫)(フィリップ・K・ディック/山形 浩生)』)を参考に読んでみた」とおっしゃるくらいですから。もちろん、それだけの仕事を成し遂げているという事実があるから、「またまたご謙遜を!」という反応になるのだけれどね。

 因みに、浅倉さんや伊藤さんの印象が違ってたりするのかも、という話だけれど、ひとつにはお二人が「小説の翻訳」という場での文章の露出が多く、従って自らが書く小説やエッセイとは違い、「我」が出にくい媒体だからかも知れない、とも思った。これも人によりけりだろうけれど、同じく文芸作品の翻訳の多い柴田元幸氏は「翻訳に自分の個性を出すべきではない」といったことを常日頃から書いていた覚えがある(確か、村上春樹氏との対談の『 翻訳夜話 (文春新書)(村上 春樹/柴田 元幸)』には出ていた)。

と、amazonからデータを取ってみて気付いたけど

 『スキャナー・ダークリー』はタイトルの後に(浅倉 久志/フィリップ・K.ディック)となっているのに、『暗闇のスキャナー』だと(山形 浩生)となってるのはどーいう訳だ。まるで、『暗闇のスキャナー』の著者が山形さんみたいではないか(笑)。こういう中途半端なことをするから素直に使えないんだよなあ……。大体、先日のシステムリニューアル後から著者名が急にタイトルに入ることになってしまい、こちとら大迷惑なんである。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。

 もう出ててもおかしくないのに角川の「新・世界の神話」が並んでないので不思議に思って、1Fでいくらか本を買うときに尋ねてみた。すると、「4階*1の取り扱いになります」という話。ええ〜っ!! 確かに神話と銘打ってるし機械的にそうなってしまうのだろうけれど、これってどちらかというと神話を元にした創作じゃないんですか? どう見ても置くところ間違えてるんですが! 普段はこんなこと言わないし余計なお世話のような気はしたのだけれど、「これって文芸書のところに置いた方がいいと思うんですけど」と言ってしまった。だって、アトウッドやウィンターソンですよ! こういうのって、事前に情報キャッチしてどうにかすることはできないのかなあ。テリトリーを不用意に侵犯するのは良くないことだから?

*1 社会学や経済、歴史などのフロア


2005年12月02日 (金) [長年日記]

_ [映画]「ドア・イン・ザ・フロア

 恵比寿ガーデンシネマにて。

 『未亡人の一年』の映画化。美しい映画ではあったけれど、アーヴィング作品に見られる奇妙なねじれみたいなものはかなり薄まっている感じがする。その分、普通に映画を観たい人には優しくできているとは思うし、そう言う意味では佳作なのだろう。主演のキム・ベイジンガーは、謎の不幸を背負いつつ微笑む。傍若無人に振る舞う夫の幼稚性もなかなかの見物だし、彼の浮気の仕方とその関係性の変わりようが端から見て分かりやすく描かれており、面白いと思った。特に、新たな獲物を見つけ意気揚々と家にお持ち帰り(しかも親子!)するんだけど、別れたたばかりの愛人の家の前を通ったら、彼が彼女を描いた絵をびりびりに破いて撒き散らしたものの一部(しかも局部部分)が風に煽られて車のフロントガラスに張り付いてしまい、必要以上に慌ててしまう場面などは滑稽で、映画館にいた人が声を合わせて笑ったところだ。

 こういったグロテスクな関係に較べるとこの夫婦の関係は表面上希薄だが、それはあくまでも見えてくる部分のものだ、というのが妻の「別れぬ理由」に現れていると思う。結局は、一緒にいること自体が彼女を傷つけどんどん蝕んでいくからこそ別れることになるのだが、過去に囚われたまま抜け出せない哀しみが伝わってきた。

 妻の「浮気」の相手役となる青年の青臭さも、とてもいい。そんな彼も妻と関係を持ち続けることで成長していく部分がある。最後のぶちまけ手記は、なかなか良かったですよ。

 映画としてはいいものだと思うのだが、アーヴィングの世界を求めると、ちょっと肩透かしかも、ということ。って、原作をまだ読んでない状態でこんなことを言うのは何だけれど。あ、あと、あの修正はひどかった! 映倫って今もあんなに厳しいの? ヘアヌード写真集だってある時代に、どうしてあんなぼかしをいれられなきゃならないのだろうか。

 今月9日までの上映なので、まだの人はお早めに。

_ [イベント]『 ロックンロール七部作(古川 日出男)』刊行記念 柴田元幸×古川日出男トークショー@青山ブックセンター本店

 とりあえずひとことだけ書いておく。これに来れたのに来なかった人は、絶対後悔しますよ! そのくらい、刺激的な2時間だった。古川日出男のほとばしる言葉を、柴田元幸がキャッチし解釈して投げ返す。そうすることで我々聴いている方が古川日出男の言っていることに納得できる、みたいな見事なセッション。古川日出男語録も沢山飛び出しましたですよ。

「細部に神は宿らず、妄想に神は宿る」

(柴田氏の「いつ、自分を捨てたのですか?」という問いに)「8年前くらいですかね(きっぱり!)」

 それと、ロックンロールの定義として、「ポップカルチャーの代表。ハイカルチャーではないが、大衆でもない」とおっしゃっていたのがすごくすごく印象的だった。勿論、これは彼の作品の自信による解釈でもある訳で。それと「血管に流れてるのにヘモグロビンが似てるからと言ってヘモグロビンを批判するのは違う」という発言には大受け。とにかく、目を開かされるひとときでございました。

 レポート詳細は、書けるかなあ。とにかく古川氏の喋りは速くて、追いつくのが大変なのだ。


2005年12月03日 (土) [長年日記]

_ []青山散策

 午後2時くらいに出発して表参道へ。ホームから駅構内に出て人混みにびっくり。そうか、昨日がEchikaオープンの日だったね。構内にいろいろできるのは、果たして便利なのかどうか分からないけど、不便ではないかも(いつもこんな人混みだとイヤだけど)。駅売店まで小じゃれてて参ったね。スポーツ新聞は売ってるんだけど。

 てくてくと根津美術館方面へ。この通りはよく歩くのだけれど、ここ数年、めきめきとメジャー感が出てすごい。やっぱPRADAができた辺りからかな。路地の向かい側にはCaltierができていたけれどやっぱりPRADAの斬新さには負けるなあ。かっこいいよなあ、このガラスブロックビル。あ、そうそう、後ろの方から竹槍のような木目っぽい突起物が数本出てて何かと思えばこちらはオメガの店舗らしい。にわかに高級感が増しているなあ、この界隈。ところでPRADAの前庭のところをふと見ると、裏にある民家のような建物に「Kate Spade」の店舗だった。ここの通り、いつの間にかアパレル通りになってるのね。miu miuがあったりもしたし、そういうお店ばかり入っているおしゃれ長屋のような建物もあった。因みにKate Spadeの道路向かいのショップで長い行列ができていたのでなんだろう、と思ったら、apeのショップだったのか。相変わらずこんなに並んでるんだね、というのと、原宿からこっちに進出してきたのか、と驚きが。いや、よく知らんけど。

 根津美術館の前に日月堂に寄り、古本を物色。買うつもりは無かったのだけれど手頃な値つけについつい手が出てしまう。

 根津美術館は、展示の方ではなくお庭へ。だが、「庭のみの散策は禁じます」との看板が見えたので、チケットを買った。今までは中の展示も見ていたので別にズルはしていなかったんだけど、今日はこのことを知らなかったから危なかった。門番が立ってる訳では無いのだけれど、これだけ広大な庭の維持費はとても大変だと思うから、できることはしておきたい。

 で、庭。そういえば時間に余裕がある時に来るのは初めてだったんだな。かなりあちこち脇道に入りながら回った感じ。方向も分からなくなって、何となくこっち方面かな、という方に最後は帰ってきた。紅葉が色づいていてとてもきれい。ちょっと遅すぎたかな、と思ってたのだけれど、そうでもなかったようだ。良かった。都心にこれだけの庭があるというのは素晴らしいし、周囲に高層ビルも無く、遠くに無粋なのがちらっと見えるくらいなので現実から離れることができる。半分ハイキングのような気分で楽しめた。天気が良くて、タイミングも良かった。

 その後、裏の方に入って紅茶屋さんへ。ここは表通りから引っ込んでいて周囲は住宅しか無いからか、いつ行っても客がいなくて落ち着ける(いいのか?)。多分、私が行くタイミングではお客さんがいないだけなのだろうけれど、自宅でやってるみたいなので、趣味半分なのかも知れない。ここで小一時間本を読みながら過ごした。アッサムティとスコーンで800円。スコーンと、それに付いてくるジャムがめっぽううまいのですよ。私はマーマレードが大の苦手だったのだけれど、それは昔、給食のまずいのを食べてたからなんだろうなあ。口に含んだ瞬間、幸せな気分になるのですよ。あー、至福。

 その後は渋谷まで歩く。このくらい寒い方が歩いていて気分が良くて、ついついこの時期は歩きすぎてしまう。

 ブックファーストでyomoyomoさんの翻訳第三作目を買おうとしたけど空振り。うーん、月曜まで出ないっぽいね。サインを貰おうとしたのに残念。その代わり、『 ブログ&掲示板攻撃・防衛マニュアル(三沢 武士)』なるものを見つけ、ネタとして買おうかどうか大いに迷う。とりあえず、検討する時間がなかったので、残念だけど次の機会にしとくよ。

画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明画像の説明

_ [オフ]『 デジタル音楽の行方(David Kusek/Gerd Leonhard/yomoyomo/津田 大介)』刊行記念yomoyomoさん宴会

 待ち合わせ時間に少し遅れ気味で到着。土曜日の文化村通りはやっぱり混むなあ。選んだお店は混んでいる方向では無かったからかも、と思うのだけれど(たたき台は私が出した)、行ったことのない店だったので、かなり様子が違ってびっくりした。だって、ぐるなびではコック帽被っててどちらかといえば和風テイストな創作料理を想像してたのだけれど、なんか、もっとワカモノっぽい感じが。個室なるものも椅子がまちまちでかなりとまどう。しかしたださんは座り心地の良さそうな椅子をgetという様子を見ると、やはり生き方上手な人はこういうところに現れてくるのかも知れない、とも思った。そういう意味では立ちんぼだった人が一番生き方下手か? 微妙に席が足らなく、全員が揃ってからは椅子取りゲームのような様相を帯びていたからだ。

 食べ物は、かなり多い。というか、野菜がたくさん。思わず「野菜を食べにゃだちかんどー」というCMの名台詞を思い出してしまった。メニューには「紙鍋」とあったのだけれど、土鍋や鉄鍋がセットされ、網に紙を敷いた上に野菜山盛りと魚などが入った具が。えーと、これって籠ごと鍋に入れるってことかね?と、戸惑ったが、お店の人によるとここから鍋に火の通りにくい順に入れてくれとのこと……全部はいっぺんには入りませんでした。食べ物の味は悪くないのだけれど、満足度は低いというか。飲み物のラストオーダーが食べ物が出切る前に来てしまったことも仕切がちょっと悪い印象。それにしても不思議空間でした。昔、シノワキュイジーヌな店に予約を入れようと電話したら何故か居抜きでネパール料理だかの店に変わって驚いたことがあった(でも、そこを予約した。うまかった記憶が)けど、あんな感じ? そのときは店の名前も違ったけどね。

 あ、店のことはこのくらいにして。本の中身の話はちょろっと出たくらい(原著を日本のblogなどで紹介した人は誰か、とか)だが、なんだかがやがやしてて面白かったよ。集合して知ってる人と話をしながら歩いてきたせいだろうけれど、何となく知っている人で固まってしまい、席の雰囲気がほぼまっぷたつに分かれていたのは面白かった。そっち方面は編集者やライターをやってる人が多く、おもむろに名刺交換をしていたり。私がいた方はほぼ普段からの知り合いだったので、最初の方は自己紹介もなくまったりと進んでしまっていたよ。

 二次会はネパール料理店でカルピスみたいなどぶろくみたいなお酒を飲みつつ、四字熟語クイズやら「チャングムの誓い」は面白いんだよ、とか。あと、ある人の印象の話。知っている人たちがその言動を見ると普通のことに思えるけど、初対面で全然違う文化圏の人だったりすると、荒らしに見えることもあるんだなあ、とか。そんなこんなで23時過ぎに解散。その後、残って朝までコースだった人たちがいたのだけれど、なんかすごく面白かったみたいで「わー、やっぱいれば良かったー」と思ったよ。ネタ合戦とか、参加したかったなあ。

 そういう訳で、『デジタル音楽の行方』はベストセラー棚ビジネス、インターネット、音楽関連の棚に並んでいるらしいので、興味のある方は手にとってみられては? 興味を持たれた方は、『 だれが「音楽」を殺すのか? (NT2X)(津田 大介)』『 音楽未来形―デジタル時代の音楽文化のゆくえ(増田 聡/谷口 文和)』も手に取ってみられては?

 それにしてもかなり密閉された部屋(個室の入り口はサッシだったよ! 鍋やったときなんかは、なかなかドアがスライドしなかった)だったので「ここの人たちが全員一酸化炭素中毒とかで死んだら何がどうなるか」みたいな失礼な話をしていたのだった。

 幹事のyucoさん、お疲れ様でした。yomoyomoさんも毎度毎度、楽しい会に声をかけてくれてありがとうございます。四冊目も待ってますよ!

_ [買った本]買った本

 日月堂にて。

  • 『ラテンアメリカ文学を読む』辻邦生/鼓直/筒井康隆/山野浩一/天沢退二郎/増田義郎/牛島信明/吉田秀太郎/中村真一郎/木村榮一/富山太佳夫/桑名一博/山口昌男/内田善彦/清水憲男/鈴木恵子 / 国書刊行会・ラテン・アメリカ文学選書14(1,800円)
  • 『グレタ・ガルボの眼』マヌエル・プイグ(堤康徳・訳) / 青土社(1,000円)
  • 『マタハリ』マッシモ・グリッランティ(秋本典子・訳) / 中公文庫(300円)
  • 『スミヤキストQの冒険』倉橋由美子 / 講談社文芸文庫(450円)

ブックファースト渋谷店にて。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ yomoyomo [土曜日はお世話になりました。今日の朝、渋谷のブックファーストで検索してみたところ、分類中ステータスでした。まあ、基本..]

_ にじむ [お疲れ様でした! B1F音楽ビジネスコーナーに1ダースほど平積みされてましたよ。まあ、この模様は帰ってから改めて。]


2005年12月04日 (日) [長年日記]

_ [Art]北斎展@東京国立博物館

 こちらも感想は後で書きます。

画像の説明画像の説明画像の説明


2005年12月05日 (月) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。

平台の様子  肝心の『デジタル音楽の行方』は、今日の夜には売り場へ出ていた。どこにあるかなー、と、まずはデジタルメディア論やビジネスの本がある4Fに行こうとエレベーターに乗ったら、下向きのものだった。まあいいか、と音楽評論辺りのところをうろうろしてたのだがなかなか見つからない。音楽文化や音楽史のところまで探してみて最後にもう一度元の場所に戻ったら、片隅(平台で片隅というのはなかなかいい場所です、まあ、手前の通路側でなかったのが残念だけど)に不自然なタワーができている。うーん、まさかなあ、と思ったんだけど、腹立たしいことにその上に荷物を載っけてるおじさんがいるのですよ。お願いしてどけて貰ったら、なんと、1ダースほどもあるタワーがそれでした。すげー。隣は菊地成孔の『CDは株券ではない』ですよ。この段差を見てご覧なさい。いや、菊地成孔の方は散々売った後な訳だけれど。という訳で、モーリさんが言っていたのは半分ホントで半分嘘だった。出ていきなりベストセラーは怪しいからね。これからじわじわと、ですよ。目指せ増刷。それで奢ってね、yomoyomoさん。

 それにしても、4Fのコンテンツビジネスの棚や、社会学系のデジタルメディア論の棚にあってもいいと思うんだけどなー。コンピュータ・インターネット近辺は、一番近い本で『デジタル音楽ファンブック』っつーヤツでした。ちゃんと音楽のエリアには、音楽ビジネスの棚があったのね。『だれが「音楽」を〜』のときは分からなくて結局、ABC本店で買ってしまったですよ。ここもまあ、似たようなエリアではあるのだが、アクセスしやすい。

 そういや表紙(この本は帯が無く、表紙の下方が帯の役割を担うデザインになっている)で二人のコメントがあるのだが、これがめっぽう面白い。ひとりが247ミュージック代表取締役でありソニー・ミュージックエンターテインメント社長の丸山茂雄氏、もうお一方がネットと音楽といえば、という佐野元春氏。どっちがどっち側というのは当然皆さんお分かりだろうけれど、こんなコメントを並べて載せてしまう心意気といったら! 強烈な洒落を感じましたよ。ネットと音楽が結びつくということは、中間で手配していた機能を取っ払っても十分機能する、ということだろう。だからこそ佐野元春氏の言葉が出てくるのだろうし、彼はそれを強く願っている、のだろう。

『でかいプレゼン』大出世  因みに、ジョニイさんの『でかいプレゼン』は、ホントの花形平台置きです。先週の場所からも大出世で、隣に並んでるのもベストセラーのビジネス本ですね。すごいや。


2005年12月06日 (火) [長年日記]

_ []BOBOS

セットのメイン内容  お昼は品川アトレに入っている、クイーンアリス系の身体にもおいしい自然派レストラン? 結構お客さんは入ってたけどそれなりに店内が広いので、12時を過ぎているのにすぐに入ることができた。一番安いコースのエリカ(1,260円)をチョイス。6つに仕切られたワンプレートディッシュに、綺麗に盛りつけられたおかずと、白くてきらきらのご飯にけんちん汁。いや、まさにそう言うコンセプトの店でした。まあ、今どきだったら白米じゃなくて五穀飯や発芽玄米も選択肢に入れた方がよりいいような気はするけれど。

 お味は、それぞれしっかり味付けしてあってしつこくはなく、いい感じでございました。調度も野暮ったくないように気をつけられていたけれど、入口のウエイティン具すペースにあるソファカバーが結構汚れていたのが気になった。白だから仕方ないけど、やっぱり白だからこそこまめに見なきゃいけないと思うんだけどな。

 メニューはこちら→http://www.pantry.jp/menu.html

 あともうちょっと足らないなあ、と食べ終わる少し前に思い始めたところ、絶妙のタイミングで「一口サイズのカレーライスはいかがですか?」と。喜んでお願いしたら、優しい味のココナツカレーが出てきました。ここは、屋内とテラスではランチのメニューが違っていて、テラスではコース以外のものもあるみたい。カレーライスもその一品だった模様。

 まあ、それだけあって高くはあるのだけれど、時たまだったらいいかもねー、という感じ。値段はとりあえず納得のもの。今度は暖かくなってからテラスを利用してみたい。そうそう、野菜好きの私としては、ちょっと値が張るけれど1,900円の野菜釜セットを食べてみたいところ。単品では1,500円ですってよ。

_ [イベント][仕事]Internet Week 2005

パシフィコ横浜  去年に引き続き参加。この時期結構忙しい人も多いと思うのだけれど、みんなどうにか時間をやり繰りして来ているのかなあ。今年は午後からDNS Dayに参加。ディープには知らない私には難しいところがあったけれど、やっぱりそのくらいにしておくと頭の筋力が付く気がする。

 前半よりも後半、なかなか面白い内容も多く、途中退席する人もちらほら見られる中、最後の質疑応答まで全部見てきた。でも、「毎年同じような話をしている。ここに参加している人たちはもう知ってることなんだからもう少し周知方法を考えたらいいんじゃないか」とか、「DNSに関しては、情報が纏まってなさすぎる。特に熟練者じゃない人向けの」というのは納得。知識と経験がものを言うのは分かるのだけれど、そうも言ってられない事情もあるでしょう。特にDNSなんて他人というか他組織に迷惑を掛けることになるのだから、できる限り「粗相がないように」と考えるから面倒になるんだよなあ。

 こういう、纏まったお金を払うセミナーってそれだけのものをちゃんと吸収できるかが気になるからどうしても安全パイを取ってしまうのだけれど、そうすると内容が簡単すぎて不満だったりもする。結構、チョイスが難しいんだよな。

 明日からは朝から晩までうろうろしてます。


2005年12月07日 (水) [長年日記]

_ [読書][読み中]ジョン・アーヴィング『 未亡人の一年〈上〉 (新潮文庫)(ジョン アーヴィング/John Irving/都甲 幸治/中川 千帆)

 もうすぐ上巻は読み終わる。どうにか明日は下巻から出発したいところ。

 この本をおもむろに読み出したのは、先週末にこれを原作として映画を作ったという「ドア・イン・ザ・フロア」を観たからだ。この映画、普通にさらりといい映画ではあるのだけれど(いや、いい映画というのには語弊があるかも知れないが)、どうしてもこれがジョン・アーヴィングの世界には見えなかったのだ。その片鱗は見え隠れしていたけれど。で、これは省略された何かがあるに違いない、と目次を見たら、映画の部分はストーリーとしてはあっさり上巻の前半部分で終わってしまうことに愕然とした。これには2つの時間軸があり、ひとつは映画の中の世界である、エディが16歳でルースが4歳だった過去の話だ。そして、その頃の色んなことを引きずりながら、1990年に二人は同じ作家として再会することになる。過去の話は重要ではあるのだけれど、むしろ、それを踏まえた現代の話がこの「未亡人の一年」なのだ。あー、自分が読み取れてないことが多すぎると映画では不安に思っていたので、これで少し納得できた感じ。映画は必ずしも原作通りになる訳ではなく、それはアーヴィング本人も『マイ・ムービー・ビジネス』で散々言っていたし、あの佳作だと思えた「サイダーハウス・ルール」だってとても大切な部分がばっさり切られたりしていた。だから、勿論こういうものもアリなのだろうけれど、どうにも落ち着かない気持ちだ。あんな話じゃないんだよ、『未亡人の一年』は!

 まあ、自分のもやもやが読むことで解消されて良かった。それよりまたこれは変な話だねえ。作家志望だったエディはあの夏の出来事で「言葉」を我がものとし作家として生きていくことになるのだけれど、正直パッとしないのですよ。過去に出した作品はさほど売れる訳でも評価される訳でもなく、自伝的要素を散りばめて書き綴っている。彼の欠点は嘘が作れないことだそうだが、これって作家としてはある意味致命傷だよな。人間としてはいいことだろうけれど。そして、彼の今までの著作がこれまた傑作。『夏のアルバイト』『コーヒーとドーナツ』『ロングアイランドを去る』『六十回』! これは、映画だけを観た人でも笑えるキーワードだと思う。いかに想像力に欠けているか、というのを思い知らされるような作風だ。そこで彼はマリアンへの愛を反芻し続けている。一方ルースは世界的な売れっ子作家で、長編を好んで書くことや、彼女の処女作のエピソードがアーヴィングの複数の作品を思い起こさせること等々。勿論、ルース=アーヴィングでは無いのは分かっているのだが。

 そして、彼ら二人が再会したことによってルースは母親に捨てられて以来長年抱いてきた疑問や不安が氷解する。これから二人の付き合いが始まっていくのだろうし、ずっと前の方では既にエディとルースは付き合うことが分かっている。これからはその展開と、おそらく会うことになるだろう、行方不明のマリアンとどのように再会し、どのような話をするのか。とても興味深い。やっぱ、アーヴィングはこうじゃなくちゃね。77歳になってもエロじじいであることは変わらない、ルースの父親テッドもいい味出してるなあ。

 それと、映画を観た時には勘違いしていた色々なことが小説を読んで辻褄がやっと合った。トマスとティモシーは、テッドの弟ではなく、二人の子どもだったのか。これでマリアンが写真を全部持っていった訳が分かった。その他色々と。

_ [Life][mono]電気スタンド復活

 ちょっと前、枕元に読書用に置いておいたミニレフランプがどうも切れたみたいなので、このために買い置きしておいたランプに換えてみたら……ソケット部分は合ってるけど、電球がでかすぎて入らないorz。この電気スタンド、ロケットみたいなかっこいい形をしていて、ランプの周囲かなりギリギリのところまで傘の淵が来ていたのだ。ひとまわりだけ大きいだけでもうアウト。仕方なく外そうとしたのだけれど、これが無理に入れてみようとしたからか、全然回らなくなってしまった! そんな。あれこれ試したけどかえってきつくねじるくらいでまったく効果がない。これは電球を割って取り出すしかないかなあ、と考えていたところ、「待て、ゴム手を使ったらどうかな?」と気づき、今日早速ゴム手を買ってきてみた。で、電球を回すと……あら不思議。あんなに回ることを拒否していた電球が、素直にくるくると回ってくれるじゃない? ちゃんと外れましたよ。

 代わりにソケットの口径が一緒のただのミニ電球を買ってきて取り付けてみた。久しぶりの光! これで寝しなに本が読めるようになったわ。しあわせ。


2005年12月09日 (金) [長年日記]

_ []今日のランチ

 同じくパシフィコ横浜に来ていたはなこさんとランチの約束。セッションの講師という大役を終えた塚本さんを突然誘って三人でヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル31階にある「スパイシーJ」へ。最初は中華にしようと思っていたのだけれど、こちらは満員だったのだ。

 散々悩んだ末に三人ともプチコースみたいなものに。お財布には厳しかったけど、お口には優しかったです。白身魚のバナナリーフ包み蒸しが特に良かった〜。小さいポーションのものが次々と出てきて、どれもなかなかおいしい。居心地が良くてついつい長居してしまいました。はなこさん、塚本さん、お疲れ様でした。とても楽しかったです。というか、塚本さんのドナドナ話に涙する会だったような(笑)。


2005年12月10日 (土) [長年日記]

_ [イベント]日本アメリカ文学会東京支部会12月例会・シンポジウム「アメリカ文学〜古典対近代〜」@慶應大学三田校舎

 全然研究者でも何でも無いのだけれど、面白そうなので参加してみました。事前に本当に部外者が行ってもいいのかどうか聞こうとウェブサイトをくまなく見てみたのだけれどメイルアドレスは載ってなくて、電話でわざわざ呼び出すのも気が引けたので延ばし延ばしにしてた。が、先日柴田元幸×古川日出男トークショーでお話しする機会があったので、おそるおそる聞いてみたところ「大丈夫ですよ!」という力強いお言葉。ほいほい調子に乗って行ってみたのでした。が、案の定というか会場はおそらく大学教員とか院生ばかりで、素人などちょっといたらいけない雰囲気! まあ、取って食われることは無かろうと思ったのだけれど内心どきどきだったなー。会場が、階段教室ではなく普通の、80人教室くらいの規模? 席が足りず、後ろに椅子を並べてあるくらい盛況で、同じくらいに入った人が「何で今日はこんなに人が多いの?」とびっくりしてた。済みません、その原因のひとつで……。

T・S・エリオット『大地』とポール・オースター『[[シティ・オブ・グラス』/飯野友幸(上智大)

ポール・オースターの最初の小説『シティ・オブ・グラス』(1985)は、ジャンルこそちがえT. S. エリオットの『荒地』(1922)に似ている。多重人格を帯びた主人公が迷宮じみた都市を探求していくという設定が共通するからであり、それは人物像にも物語にもさまざまな文学世界が何重にも重ねられたためである。『荒地』についていえば、presentするのではなく、alludeすることによって描き出すというモダニズム詩独特の方法がそうさせたわけだが、この方法の成立過程は実はアイロニィをはらんでいる――19世紀的ないわば冗漫・冗長な描き方を脱却してミニマルな方向につかのま進んだ(イマジズム)はずが、結果的には暗示の層が積み重なって作品がどんどんふくらんでいった(長編詩)からである。こんなモダニズムの遺産を『シティ・オブ・グラス』も受け継いでいるとしたら、「ジャンルの因習をくつがえすポストモダン的探偵小説」などというすっきりした見方ではこの小説を捉えきれない。たとえば、主人公・・・クインがただちに思い起こさせるのは、エラリー・・・・・クイーンという作家兼探偵ではないのか。

 一番楽しみにしていたのが多分これだったのだが、考えてみたら『シティ・オブ・グラス』も『荒地』も未読だったorz。これは、読んだ方がいいなあ、という感想が強く、内容の記憶がどうしても薄れがち。『シティ〜』の主人公クインは、エラリー・クィーンから来てるんじゃないか、という指摘はなかなか面白かった。ハードボイルドの系譜。

オノト・ワタンナとスジャータ・マッシー/宇沢美子(慶応大)

スジャータ・マッシーは1997年のThe Salaryman's Wife以来、2005年の最新作にいたるまで、計8冊の志村玲シリーズの推理小説で人気を博している現代作家である。父はインド人、母はドイツ人、本人はイギリスに生まれ,アメリカで教育を受け、アメリカ人海軍医と結婚後日本に数年滞在した後、日本小説を書き始めたという。そのマルチ・エスニックな人種/文化背景、ジャポニスム(特に骨董)への関心、古い日本と新しい日本描写のバランス、ツーリズムへの配慮といった点からみて、彼女の日本小説の先駆を探すなら、その最も近似値的な存在を100年前のオノト・ワタンナの日本小説に求めることができるだろう。今回の発表では特にこの二人の通俗小説家が創造/改訂した異種結婚譚(浦島伝説と漫画「火星少女」)を軸に進め、それぞれの異種結婚譚がいかにマルチ・エスニックな「日本」像を象るかを、比較検討してみたい。

 この中で、デジタルなプレゼンツール(多分PowerPoint)を使って発表したのはこの人だけだった。まだまだ文学部はデジタル化されてないところが多いのかな? そういう訳であらかじめ発表内容が印刷されていたので骨子が分かり易かった。ただ、背景色に暗い色を時々使っていたので印刷すると文字がまったく見えないところも多かった。多分、こういうところのノウハウは、まだまだ伝わってない気がする。技術者だけでもなく文学研究者のためのプレゼン講座も必要そうですよ!

 実はあんまり期待してなかったのだけれど、一番面白かったかも。アメリカに住むマイノリティ人種の作家が日本小説を書くということについての話。そうすることで国境をPassingした、という指摘がなかなか面白かった。浦島伝説を下地にしているとか、浦島伝説は明治期に教科書に採り上げられる過程で性的な部分をざっくり削られたとか、ちりめん本とか、外人の日本舞踏家とか、おたく文化を取り入れてるとか、キャッチーな話が続く。スジャータ・マッシーの本の装丁がなかなか面白い。アメリカ版はジャポニズムというかオリエンタリズムっぽいのだけれど、ヨーロッパ(ドイツ?)版は車田正美や士郎正宗(?)だったりする。例に挙げるとこんな感じ。

 "Floating Girl"はレイ・シムラという日本人女性で素人探偵のシリーズで既に9作が刊行されているらしい。特にこの作品は「Mars Girl」というアニメや同人誌「Showa Story」というのが出てくる話でおたく文化を題材にしてるっぽいので、カザノさんとかが読むともしかしたら面白いのかも。日本だとタイトルが全然違っていて売り方の違いが面白いが、"Floating Girl"は未邦訳のようだ。

メルヴィル"Bartleby"とドン・デリーロの諸作品に共通する「部屋の中の男」について/都甲幸治(早稲田大)

Herman Melville の “Bartleby” は驚くほどポストモダン的な主題に満ちている。他の人が書いた文章をひたすら写すだけという仕事は「作者の死」の隠喩とも読めるし、決して届くことのない郵便物を焼くという行為は、そもそも文学における言葉がどう綴られ、どこに向けられたものかという思索を喚起する。一方、ポストモダン文学の旗手の一人である Don DeLillo もまたこういった主題にこだわってきた。なかでも今回は “Bartleby” と Don DeLillo の諸作品に共通する「部屋の中の男」というイメージを手がかりにしながら、両者を比較してみたい。閉じこもっているのは Bartleby だけではない。Mao II の作家 Bill Gray は隠遁し書き続けたあげく、文章の中に自分自身に属するなにものをも見失ってしまうし、 White Noise の大学教授 Jack Gladney は学会の会期中、しかも開催校にいながらオフィスから出てこない。いったい彼らはなぜ隠れるのか、はたして彼らを囲んでいる壁は物理的なものであるだけなのか、閉じこもることと言葉とはどんな関係があるのか。これらの問いを通じて、Melville で DeLillo を読み、あるいは DeLillo で Melville を読んでみたい。

 『 メルヴィル ― 代書人バートルビー (バベルの図書館 9)(ハーマン・メルヴィル/ホルヘ・ルイス・ボルヘス/酒本 雅之)』、日本では「バベルの図書館」の一冊として出ているらしい。こちらは、アメリカ社会に対する批評とか、そういった話だった……と思うが、難解なドン・デリーロの作品に関する解釈がとてもとても面白くて興味を惹いた。会場からの質問で、『ボディ・アーティスト』のことが指摘されてたけど、こちらは主人公が女性で、しかも表現は身体で、となる。男性主人公に焦点を当てていたので「あ、そういえばあっさり僕の論は崩れちゃいましたね」と笑っていたけど、柴田さんがすかさず「視野が広まった」と指摘していた。ちょっと、ここは音メモを復習し直してみなきゃ。

 都甲さんは、実は先日紹介されてお名刺もいただいたはず。そのときに「アーヴィングも訳してらっしゃるんですよ」と教えて貰ったのだがそのときはぴんと来なくて反応ができなかった。今まさに都甲さんが訳された『未亡人の一年』を読んでいるのですが!

 パネル終了後のディスカッションはさほど活発だったという訳ではないが、発表者それぞれの持論や見解が聞けて面白かった。ところどころメモを取ったけれど、これももう少し具体的に書いてみたくなったらそうしてみます。

 終了後は会場を後にし、お茶してから慶應仲通を戻って新大久保へ。

_ [飲み会]書評講座忘年会

 こちらも講座から出席したかったのだが昼間の予定がバッティングしてしまったので泣く泣く飲み会のみ参加。お陰で人に自己紹介するときに、訳のわからん人になってしまった。なんか、講座もすごく面白かったみたいなので、出られないのが残念でしたよ。

 この講座、何がすごいって、既にプロでやってるライターも多数受講していること。しかもこの講座は通り一遍の座学ではなく、毎回お題となる作品の書評を事前に提出し、その優劣を名前無しで点数をつけて貰いその得点で誰が一番かが決まるという熾烈なもの(句会みたいに)。もうこれはスポーツですな。そこに毎回招くゲストやトヨザキさん自身も参加しているというところが、すごいことだよなあ、と思う訳ですよ。話によればこのくらい続いていると段々文章の優劣はなくなってくるそうで、多分、魅せる技、みたいなものがキモになってくるんだと思う。それはインパクトだったり深く掘り下げた分析だったりするのだろうけれどそれはいわば異種格闘技戦で、評価するのも一苦労だとお察しする。

 同じテーブルに座ったのが仲俣さんだとずーっと気付かず失礼してしまった。それと、アレですよ。私的には岸本佐知子さんにお会いできたのが何よりの収穫でしたよ! 途中から現れた女性に誰かが「岸本さん」と声をかけているのを聞き「えええー、あの岸本さんですか!?」とちょっと興奮。さらりとした感じの方で、メディアで垣間見られるよりは大人っぽいイメージかな。隣に座っているだなんて感謝感激。「トヨザキさんの風評被害が!」とおっしゃってたけど、読者としてはそれだけじっくりと作品と取り組んでいるのが分かって逆に嬉しいんだけどなー。今またジャネット・ウィンターソンの作品を手がけてるのだとか。「いっぺんに二つのことができないのよねえ」と、にこにこしておられましたよ。吉田伸子さんは、気さくで気っ風のいいお姐さんという感じ。書評の依頼を引き受けるときの話だとか、いろいろ具体的にお聞きした。こんなことなかなか聞けるもんじゃないよなあ。

 名刺をたくさんいただいたのだけれど、私は仕事に通じるものでもないので頂くばかりだった。うーん、自己紹介で自分のペンネームやサイト名を説明するのも気恥ずかしいし、オフ用名刺、すごく久々に作ってみようかなあ。あ、編集者さんは結構自分の携わった本が話題になるかどうか気になるそうで、ウェブを検索して回られてるのだとか。道理で発売前の本のタイトルや著者をキーワードに検索してくるケースが多い訳だよ。

 お仲間に入れていただき、ありがとうございました。幹事さんも長丁場でさぞかし大変だったことでしょう。しかも、人が入れ替わり立ち替わりだし。意外にもお酒が残らなくて、マッコリの威力にびっくり。あんなに飲んだのに!


2005年12月11日 (日) [長年日記]

_ [読書][読了]ジョン・アーヴィング『 未亡人の一年〈下〉 (新潮文庫)(ジョン アーヴィング/John Irving/都甲 幸治/中川 千帆)

 非常に面白かった! こんな風に物語が変遷していくとはびっくり。先が読めないので気にかかってなかなか読むのを止められず、電車の中で何度も乗り越そうかと思ったほどですよ。円環する人生、円環する物語。年上の女性ばかりを愛するようになるエディは確かに奇妙だけれど、彼の言った「その人の人生を丸ごと愛する」という姿勢は、とても美しいと思った。エディという私小説作家と大きな物語を描き成功するルースとの対比も面白い。おそらくアーヴィングはルース型なのだろうけれど、この作品は彼自身の経験も色濃く反映されているだろうことは読んでいると分かる場面がそこここにある。訳者の都甲氏による解説も的確で、愛に関する比較ははっきりとは気付かなかったのでこうやって比較されるとなるほど、と分かる。

 映画の「ドア・イン・ザ・フロア」は確かにこの物語の一部ではあるのだけれど、それはただの物語のきっかけに過ぎない。そこからどんなに大きく世界が広がっていくものなのか是非見て欲しいし、このような大きな物語の行き着くところにあるのがささやかな幸せである、という感動を是非、かみしめて欲しいと思う。

 アーヴィングの、傑作のひとつだと思います。多分。


2005年12月12日 (月) [長年日記]

_ [mobile][webサービス]W-ZERO3の予約できんかったとですよ……

 予約受付が開始された9日の15時って、既にIW2005のセッションが入っていたので合間合間にトライしていたのだけれど全然だめ。ログインページが表示されない、ログインまで行ってもその後セッションタイムアウトで再度ログインを促される、ログインできてもその後のページ間移動ができず、またしてもセッションタイムアウトとなる、もしくはページ自体が表示されない、という最悪の状況。自分でも会社のウェブサーバの管理はしてたりはするのでこんな状況怖くてやってらんないなー、あー、うちはECとか無くて楽でいいやー、と毎度思う訳だが、こりゃー、設計変更を検討する余地が大ありだわね。

 まあ、それだけWILLCOMのPHSデバイスが注目を浴びた、ということでもおそらくあるだろうので(?)、おめでとうと言っておくことにします。多分、WILLCOMもこんなに殺到するとは思わなかったんですよ(笑)。

 週末は出かけてたりしてPCを弄ってる暇は無かったので、土曜日の午前中、出かける前にちょっとトライしてみた程度。全然改善されてなかったけどね。その後、今朝になって思い出してやってみたら13日に再度受付、とのことだったので、明日懲りずにトライしてみるとしよう*1。この様子だとサーバの限界を超えてしまい、在庫が全部捌けなかったりしたのかな? お届け予定日がえらく早いので「なーんだ、第二弾がこんなに早いならそんなに頑張らなくても良かったんでは」と最初は思ったけど、体制を整え直す時間が必要だったと考えると納得のいく状況ではある。

 以下、当時の状況やサーバ周りがこうだったのではないか、といった指摘があった代表的なエントリを挙げておきます。そこのTrackBack一覧から他の関連エントリを見ていくことはできそう。

*1 このとき見た時点ではウェブフォーム上で(おそらく先着順)受付となっていたのだが、安全を取ったようで13日12時〜24時に受け付けた申し込みメイルから抽選、となったようです

_ [雑誌]「最初の男性取得者になれますか? ウチの夫が育休取れないわけ」(「AERA」2005.12.19号)

 まったくAERAは、またこの辺を狙って特集する訳ですね(笑)。学校選びとかはほとんど興味が無くてすっ飛ばしてるんだけど、育児休暇とかその辺は逆に身近で(それは、そういったシチュエーションを検討したことがあるから)よく読む。反響があったそうだが、少し前の育児と仕事で体をこわしてしまったご夫婦のエピソードは涙なしには読めませんでしたよ。それについて書こうにも、どこかデリカシーに欠けた内容になりそうで、結局月日が経ってしまった訳ですが。

 今回は、男性の育児休暇取得について。育児休暇自体、ある程度人的資源にゆとりのある規模の企業しか実際にとることはできないんだろうなあ、と思いつつ、自分の環境の良さはありがたく思う。女性でも育休は取りにくい状況にあるので、男性ならなおさらだろうなあ。文中、

「でも僕が取ったら机が無くなるんじゃないかと思って……」(改行)取ったら、同じ仕事に戻れないとか、出世できなくなるという不安も、共通していた。でもそれは女性だって抱えている。(p.33)

最初のせりふだけを見たときは「女性も同じ立場だとは考えないのかなー」と思ったけど、その後ちゃんとツッコミがあってこれは拍手。同じページには社長自らが育児休暇を取りblogで日々綴っている例が紹介されていた。クララオンライン家本賢太郎社長。記事に紹介されていたblogはワーク・ライフ・バランス☆アドベンチャー ブログというらしい。ニュースリリースに出ていたのを見つけた。もうちょっと分かり易いところ(スタッフのページとか、企業の取り組みとか)にリンクがあればいいのにね。ちょっと探しちゃいましたよ。

 この社長のプロフィールを読むと、一時期歩行困難で車椅子生活だったことがあるようだ。それもあってか、障害者雇用にも積極的なようだし、外国籍の人にも広く門戸を開いているらしい。社長のblogを見たら、うわ、24歳になったばかりですってよ。学生起業かと思ったら、1997年に会社設立って、年齢から逆算すると……わー、すごいなー。

 AERAでコメントしているNPO「フローレンス」の代表駒崎氏は以下のように話す。

男性の育休というと、マイホームパパみたいなイメージがあるが、それでは男性はのっていきにくい。家本さんのような仕事もできるイケてる人が、育休取ってよかったと語れば、続く人は増える(p.33)

 確かにね。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。大量にあったので全部は買わなかった。

 『賃貸宇宙』は、箱に入った2冊同時発売があったのでこちらにしてみた。

 特集棚には、例年通りミステリ年間ベストテン特集棚が。今まで店頭に出てなかったはずの田中啓文『 笑酔亭梅寿謎解噺(田中 啓文)』や『百番目の男』が平積み、面陳されてましたよ。ミステリチャンネル効果だな(笑)。これを機会にお買いあげをどぞ。私が行ったときは電源が切れてたけど、ミステリチャンネルの「闘うベストテン2005」の模様も放映するようだ。


2005年12月13日 (火) [長年日記]

_ [読書][読み中]中村航『 リレキショ (河出文庫)(中村 航)

 なんというか、いかにも「新人賞応募作」っぽい作品だなあ、と思った。文章は丁寧で、攻撃的じゃない若い男の子が主人公で、美人のお姉さんと同居している。モラトリアムっぽい時間を過ごす、その過程を描く、という感じなのかな。まあ、その理由にはひとつ、彼の素性が分からない、という点が挙げられるだろう。冒頭、彼は履歴書を書いている。しかしそこに書かれたものは本当の自分ではない。同居を始めたお姉さんに与えられた名前と彼女の「弟」という身分。その履歴書でガソリンスタンドの夜間バイトを始め、少女と出会い、日々の生活を淡々と過ごし……。

 いかにも「それっぽいなー」と思いませんかね。まあ、それが悪い訳ではない。なんだかんだ言って、うまく書けていると思う。それはデビュー後コンスタントに作品を発表していることからも分かるだろう。記憶喪失になったのか、敢えて過去を断ち切ったのか、彼は半沢良としての人生を始めていく。それっぽい設定を自分でして、それっぽく履歴書に書き込む。所定の履歴書では飽きたらず、リレキショというオリジナルな書類まで作り上げてしまう。朝帰ってきて姉さんに挨拶をして寝て起きて散歩して護身術の練習をしてたまに姉さんや姉さんの友達の山崎さんと談笑してバイトに行って年長の加藤さんと息のあった仕事を披露する。にぎやかな昼間のガソリンスタンドではなく、夜間の、たまにしか客がやってこないそこが主な舞台。ここでは、毎日の単調な繰り返しこそが素晴らしいことだ、とか、単純な作業を息の合う人と分担して行う楽しさみたいなものがあちこちに散りばめられている。

 一本のまっすぐな道からちょっと逸れてみたくなった男子が非日常に脱出したところで体験する日常、というのかな。非現実的な現実。そんなものが、この小説なんだと思う。

 ということは、これからこの非日常の日常のリズムがどう崩れていくのか、が「転」に当たる部分になるのかな。それはかつての日常が今の日常を破って来ることなのかも知れない。ただの予想だけれど。

_ []殺風景

 ある朝混んでいる電車(女性専用車両)に乗り込んだら、幼稚園の制服を着た小さな女の子とお母さんらしき二人連れが乗っていた。明らかに女の子はこの混雑を怖がっていて、小さい声で「怖い、怖い」と母親に訴えている。あー、これはかわいそうだけどどうにもならないなあ、と嘆息。お母さんも事情があってこの電車に乗っているのだろうし、だいぶ周囲に気を遣って女の子には小さな声で「もう少しだから我慢してね」と話しかけている。

 そのとき小さく「うるせーんだよ」という声が近くからした。小さいけれど、明らかに誰かに聞こえるように意図した声。声の方を見ると、多分私と同じくらいの年頃の勤め人らしき女性だ。え、この人が?と失礼は承知で、まじまじと見てしまった。この日の電車は特に話をしている人もなく、普段よりも静かだったくらいだ。この親子以外にこのせりふを吐くべき人はおそらくいない。

 正直、ここまで悪意を持った(と私には見えた)態度はそうそう見たことがない。確かに満員電車に小さな子供、というイレギュラーなシチュエーションは居心地が悪いかも知れないけど、この程度はお互い様、とも言えるのではないのかな。しかも、この子もお母さんも通常の態度から逸脱しているようには見えない。さっとお母さんの表情が固まったように見え、結局、そこが目的の駅だったのかどうかは分からないけれど、次の停車駅で降りてしまった。

 この子に、あの声が届いてないといいのだけれど。降りがけににっこり笑いかけてみたけど、逆に怖かったかな。お母さんも、必要以上に気にしてなければいいな、と心配している。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。

 新刊コーナーに出てないとそのまま買うのを忘れてしまって帰ってからそれに気付くことになる。ということで、今回のようなマイナーなものは、探すのが大変だ。大変といえば『 インターネット図書館 青空文庫(野口 英司)』も全然見当たらず、書店にいるときは忘れていたのだが今日は見つけてやろうと覚悟していたので端末機で検索してみた。「社会学/図書館・博物館」のところですってよ。確かに「インターネット図書館」とは書いてあるけどなー。どちらかというと社会学でもインターネットとかメディア論辺りじゃないのかなー。で、この棚にも見つからなかった。在庫が表に出てないか、売り切れちゃったか、かな。尋ねるのも面倒なので、もういいや、何かのついででネット書店で買うことにしよう。

 書評集で気になるものが二冊出ている。『 文芸時評という感想(荒川 洋治)』と『 紙つぶて―自作自注最終版(谷沢 永一)』。前者は最初からどうしようか迷っていたもので、でもしばらく読めそうにないからやっぱりここは保留しておこうと泣く泣く決意。後者は出版社の刊行予定では知っていたけどスルーしていたのに中身を見たらやっぱり欲しくなってしまったもの。過去に出した書評や文芸時評に自己解説をつけたものなのだそうだ。この体裁が変わっていて、見本用の簡易装丁っぽいデザインに縦帯みたいな段ボール製(?)の函(?)が付いたもの。かなりぎゅうぎゅうに詰まっていて、取り出すのが大変。見本が用意してあって後は包装してあったけど、確かにそうでもしないと扱えなさそうな本だなあ。これは、もしかしたらご本人の意向なのかも、とか思った。もったいぶらずにがつがつ読め、とか。あと、どうしてもページ数がすごいことになるので、ボリュームを少しでも小さくするためのものだったとか。中身も濃くて、のどから手が出そう。


2005年12月14日 (水) [長年日記]

_ [イベント]『ロリータ』刊行記念若島正×沼野充義トークショー

 六本木ストライプハウスギャラリーにて。ここは1,2階に東京ランダムウォーク六本木店があるので場所は知っていたしそのとき3Fのギャラリーは洋書バーゲン会場だったので大体の広さも見てはいたのだけれど、多分関係者含めて50人強というところか。ぎっちぎちで折りたたみ椅子も小さくてびっくりしたけれど、これが驚くほど座り心地が良かった。見かけによらないもんだね。沼野さんは以前にトークショーに行ったこともあるしその他イベントでお姿を見掛けてるので見慣れてはいるのだけれど、実は若島さんは初めて。気むずかしそうな顔で登場し、なかなか口を開かなかったときはどうなることやら心配したが、それは杞憂。一旦滑り出してからは沈黙の間など無いくらいの、二人のセッションとなっていた。至福。

 いくらかメモしたものは、後で書きます。何よりも、若島さんの「最初の4ページでそれについての本が1冊書ける」というのは多分今日一番キャッチーだった台詞でしょう。その他、注目すべき発言はいくつかあり、こちらも息をつく暇もありませんでした。

 サイン会では、若島さんには『ロリータ』、沼野さんには無理を言って『ソラリス』にサインをいただきました。若島先生の字はとても几帳面で美しい字、撥ねるところはちゃんと撥ね、止めるところはしっかりと。沼野さんの字は丸くて柔らかで流れるような筆致で、お二人のパーソナリティが現れているのだろうか、と感じた次第。

 その後、同じ会場にいたさいのさんとねこちさんとで大衆酒場でさっくりとお腹を満たして帰宅。お腹いっぱいだったしいくらか飲んだので、少し歩いてみました。それはいいんだけど、ひ、膝が冷えて痛い……。冬だなあ。

_ [mobile][mono]で、W-ZERO3の抽選は外れたとです……

 個人情報晒してるアドレスのメイルボックスにずっとアクセスできなくて「あー、これはやっちまったかー」とか思いつつ、とりあえず他のアドレスに転送をかけてみた。会社にいるうちは連絡が来なかったので「日付が変わるギリギリにきたりしてー」とか言いつつお出かけして帰宅してみたら、やっぱりリモートメイルボックスを参照しっぱなしで忘れていたらしい。解除してみるとWILLCOMからのメイルが来ててやっぱり期待して見てみたら、外れの通知だったですよorz。

 東京駅近辺の量販店にある、なんていう話があったので、オフィス移動する時に立ち寄ってみようかかなり迷ったんだよなー。やっぱり行っておけばよかったかな。明日、用事作って行ってみようか。

_ [読書][読了]中村航『 リレキショ (河出文庫)(中村 航)

 うーん、お行儀のいい作品だなあ、と思った。若い男の子が新人賞狙いで書く小説としては「ありがち」なものに見える。モラトリアム的な時間が流れる中、美人の女性に拾われて同居し、毎日を淡々と、規則正しく過ごしていく。その中で時々行われる女性の同棲の友人との宴会も、喫煙に関するあれこれも、おいしいおつまみを手際よく作る様も全て、「いかにも」さが見えてしまう。それは決して悪いことではなく、また選び取る言葉や文章のリズムもいいので、多分力があるんだろうなあ、とは思った。実際、デビュー後に順調に作品を発表し続けているし、そこそこの評価も得ているようだからそれが証明されているということだろう。

 そういう訳でずーっと気乗りのしないまま読んでいたのだが、やはり引き込まれたのはウルシバラの手紙だろうか。妙に構えてコミカルさを演出しているようなその文章と内容は、なんだか『海辺のカフカ』のナカタさんを彷彿とさせる(もちろんナカタさんは天然なのだが、それを創出した村上春樹、というか)。そう考えると、この半沢良という青年は田村カフカっぽいかもね。何もしなくても女性の方から近づいてきてくれるところや日常的に読書をする人であること、従来の人生から脱出(逃避?)しているところなどなど。

 ただ、従来の物語であれば、「何故半沢良は半沢良となりしか」つまり、今までの名前と人生を(一時的にかも知れないが)捨て新たな自分を作り出したのは何故か、というものが提示されるのが普通だと思うし、途中の感想ではおそらくそういう風になるんだろうなあ、と半ば期待(というよりもそうであって当然という予想)をしていた訳だ。それを見事に裏切ってくれたのが痛快だった。それっぽい、疑似エピソードはひとつだけある。あのとき、良は自分をそのときの彼に仮託していたのではないか、と思われる。見知らぬ街で新たな人生を歩んでいる自分が、古い知り合いに偶然見つけられてしまう。そして、それは忌避していることなのか、それとも諦めつつもどこかでは期待しているものなのか。何となく、その気持ちのぶつかりが苛々の元となって、つい自分の本当の名前を吐露する場面が出てきたりするんだけど(しかも、期待される効果は上げてなかったりする)。

 少なくとも、これからまだしばらくは半村良は半村良の人生を続けるのだろう。でも、仮の人生であればいつかはそこから元に戻らなければならない時期が来るのだろう。

大切なのは意志と勇気。それさえあれば大抵のことは上手くいくのよ。

 これは、良がアルバイトのための履歴書を書くとき、そしてそれには収まりきらないものをリレキショとして書き出すが、しばらく経ってそれに略歴を書き出すときに出てくる姉さんの言葉。この「新たに作り上げられる人格と人生」を、積極的に想像し創造する(そういえばウルシバラも良のことを自分の想像で勝手に創造している!)ことの奇妙な前向きさ加減が、ねじれてねじれ過ぎてやがてまっすぐになったもののようで、不思議な爽快感が感じられた。多分、彼には少なくとも今の内は過去の人生は不要なのだろう。まあ、必要になるときまで樹の下に埋めておいても構わないわなあ。人格というのは連続していて、過去の積み重ねで自分が作られるというのはもしかしたら幻想なのかも知れない。こんなにあっさりと軽やかに「半沢良」を始められてしまうと、なんだかそんな風に感じられてくる。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ まちゅ [有楽町駅前の量販店は、昨日の夜の時点で完売になってましたよ。]

_ にじむ [まちゅさん、ありがとうございます。有楽町方面ははなから期待して無くて、実は逆方面を狙ってたのですが、その前に口実が無..]


2005年12月15日 (木) [長年日記]

_ [読書][読み始め]鹿島田真希『 二匹 (河出文庫)(鹿島田 真希)

 第35回(1998年)文藝賞受賞作。これは12月の文庫落ちだが、2002年受賞の中村航のは10月に出ているのに、2001年、綿矢りさの『インストール』もこれと同時で20世紀の分はようやっと今月、な訳ですよ。鹿島田真希は実はこれが初文庫化。作風からいってもうちょっととんがった感じの人物像を思い描いていたのに、写真を見るとふんわりコンサバ風味でこれを最初に見たときはびっくりしたよ。まあ、今月文庫化したのも多分、三島賞受賞効果なんだろうなあ。

 で、内容はというと……いかん、どうしてもドラマの「野ブタ。をプロデュース」を思い出してしまう。最初は明が彰っぽい?と思ったけど、純一が出てくると、やっぱり当てはめてみれば明が修司で純一が彰って感じなのかなー。ただし、もっとやる気無し男君な雰囲気。クラスの中で浮いている明には、純一という唯一の友達がいる。彼はクラスメイトなのだけれど、学校の中ではあまり接触しない。しかし、幼なじみなのでお互いのことを知っていて気を許せる関係らしい。しかし、純一はどう見ても「変」だ。愛すべき変人というレベルでとどまっていればまだいいけれど、箸を使えないばかりか、もしかしたらスプーンやフォークまで持てないようで、しかも時々すごい怪我をするのに原因を教えてくれない。クラスではいじられ役として絶えず注目を浴びているが、明から見れば気が抜けなくてしんどそうに見える。そして、彼は自分を「狂犬病にかかってる」と言う。しかしできそこないだから保健所にも連れて行かれないのだ、と。

 独特の鬱屈感が全体を覆い、話が進む内に「狂犬病」が進行し、自分の友達の名前さえも覚えていられなくなる純一の危うさみたいなものが痛切に感じられる。純一を支配してるらしい謎の女の存在や、純一に噛まれた明(狂犬病にかかった犬に噛まれると狂犬病になるんだよね?)の今後の展開が、まったく読めなくて、ただタイトルが「二人」ではなく「二匹」になっているところに意味があるに違いない、と思ったりして。最初こそ文章がいまいちで「あれれ?」と肩すかしを食らったのだけれど、この今にも崩れ落ちそうな現実の危うさがびしびし伝わってきて、段々引き込まれてきた。

 やっと読めた作品ではある。まあ、そんなに気になるならハードカバーでも読めば良かったんだけれど。

_ [イベント]『そんなに読んで、どうするの?』刊行記念豊由美×大森望トークショー@ジュンク堂書店池袋本店

 そういう訳で、メッタ斬りコンビが贈るトークショー。若干遅れて着いてしまったので、慌てて座席に座った。今回もトヨザキさんを弄るメッタブラック大森さん健在。今回はトヨザキさんが乙女だった筈の女子中学生のころのことを聞こうとしたのだが、多分それを上回る反応が返ってきて肩透かし気分?その頃から下ネタ大好き少女だったそうです。

 トヨザキさんの書評は日頃から読んでいるのだけれど、実は私が認識したのはかなり遅い。ちゃんと知ったのが、ブックファースト渋谷店でミステリチャンネルの「闘うベストテン」を放映していた時に『望楼館追想』を強く推していたところでだったかな。あれでぴきーんと惚れ込んだのだと思う。しかも失礼なことにその当時は女性なのか男性なのかいまいちはっきりせず、あんな男前な言動の人はやっぱり男性に決まってる、小柄で声の高い男性だって結構いるじゃないか、とか、あれこれ考えていたのだった。確か生トヨザキ女史にお会いできたのが、『ソーネチカ』の著者リュドミラ・ウリツカヤさんをお迎えした時のABC本店のトークショーだったのだが、ここで初めて女性だと確信が持てた(すげー失礼な話ですね)。このときは翻訳を担当されたロシア文学研究者の沼野恭子さんもいらして、客席には沼野充義さんの姿も。なかなか濃い空間でした。

 そんな訳で今日は候補作を読むようになってしまってつまらなくなった(空気を読めないですよ!)ツモ爺の話とか「やっと会えたね」仁成とか、そして『愛の流刑地』の単行本化を待ち望んでいる話まで、盛りだくさんでござった。こちらも詳細はまた後で。今日は絶対無理。というか、詳しく起こすのはいいことか、悪いことか(笑)。しかし、客席を見ると妙にプロ率が高いイベントだったですよ。パッと見て目立った中でも枡野浩一さん、石原壮一郎さん、柳下毅一郎さん、香山二三郎さんがいらした。

 その後地階のT嬢に挨拶した後二次会に流れ、飲み食いをば。なぜか大森さんがいたレーンがSFもの、トヨザキさんがいたレーンが書評講座の生徒さんたち、と分かれていたよ。勿論、男女比も逆転してる。忘年会が無いので寂しいと呟くタカアキラ氏たちとしばし歓談。その後、柳下さんや大森さん、トヨザキさんが一瞬同席した席にいられて、これは幸せだったですよ。柳下さんとも今日初めてサシでお話できた! 実は今までも酒席でお会いすることは何度かあったのだけれど、不勉強な私には怖いのと恥ずかしいのとで(いや、あまりにも不真面目で呆れられそうで)近寄りがたかったのですよ。

 終電が近づいているのでお暇したのだけれど、石原さんにのむのむさんが配偶者だと勘違いされたのが面白かった(笑)。「いや、彼はまだまだ若いんですよ」と否定しておいたけれど。あ、タッキーことタカアキラ氏が「トヨザキさんが怖い(多分、私が柳下さんに抱いていた気持ちに近いんだよね)」と言っていたので「そんなこと無いよー」と紹介してみた。面白いオトコノコなので、是非弄って欲しいと思って。

 幹事をやってくださったアスペクトの編集の方にちゃんとご挨拶をできなかったのが残念。全然ぴんと来なくて、店を出る時になって「あ、あの人が!」と気づいたのだった。遅すぎるって。

 池袋までの電車の中で『そんなに読んで、どうするの?』は読んできたのだけれど、いや、やっぱり素敵。自分が思っていることがらをするっと文章にしてくれる爽快さといったら。何度も「くぁーっ」と唸ってしまいました。やっぱり着いてきますよ、姉御。


2005年12月16日 (金) [長年日記]

_ [読書][読了]鹿島田真希『 二匹 (河出文庫)(鹿島田 真希)

あれは座席ではなかった、明は気付いた。あれは座標だ。中心の者と端の者とを差別する相対的な空間だったのだ。(p.124〜125)

狂犬病に蝕まれたヒトもまた、脳みそがなくなってしまう。彼らはもはや、与えられた印について腹を立てる程賢くはないのだ。彼らは黙って、中心を与えられた者は中心に、端を与えられた者は端に座る。(p.131)

 高校のクラスメイトの明と純一は、皆は知らないけれど、実は幼なじみで気を許しあっている。しかし最近、純一がよそよそしい。ひどい怪我をしてきてその原因を聞いてもはぐらかされてしまう。そしていつの間にか彼は、箸を使えなくなっている。お昼のパンを買う仕組みもいつまで経っても覚えられないので、周囲の人が代わりに買ってきてくれる。そう、純一は「鈍くさいけどそれが魅力の人気者」だ。席も教室のほぼ中央にあり、休み時間には周囲からみんな集まってくる。一方明の方は、はずれ者の50番目の席(一番後ろの、ひとり孤立した席)に座っている。彼はクラスの皆から外れていて、あまり相手にされることもない。こんな対照的な二人が、あることがきっかけで関係ががらりと変わっていく様子を描いている――ということだろう。

 ところで、この変わる過程がくせ者だ。この関係は、明が純一に噛まれて「狂犬病」が伝染してしまう。純一が何もできず記憶も怪しげなのは「狂犬病」にかかっているからで、彼は保健所に収容されることを心待ちにしている。この「狂犬病」というのは何らかの比喩で、つまりは周囲の人とのコミュニケーションの断絶を欲している、ということになるのではないか。何せ「狂犬病」にかかると一旦人は死に、内側には狂犬が宿るらしいから。狂犬になったら、周囲の人に合わせたり協調したりしなくても良くなる。純一は、みんなにいじられているようでいて、実は純一ひとりで完結してしまっていることを、明はある時見抜いている。

 これは、随分早い時期の「セカイ系」と言えなくはないのではないか。ひとりだけで完結していた純一は、明を「狂犬病」に巻き込んでしまうことで、二匹の関係性が出てくる。彼らは、二人だけで分かる言葉で話し、二人だけで了解してしまうのだろう。人間としては退化しているが、それは寄り犬に近づいているということで、とすればなりたての明よりも純一が優位となり、彼が支配権を持つことになるのは、当然だろうと思う。

 多分、彼らはめまぐるしく関係が変化しているのだろうな。純一が彰の家の隣に引っ越してきたときの話などが途中出てくるときがあるが、飼い犬に死なれて悲しみに暮れている明を、力強い言葉で引き上げている。多分、昔はそういう関係だった筈なのにいつの間にか純一は「狂犬病」になって表面上は明が優位に立つが、狂犬病にかかり関係が変化する狭間では、明は、純一の面倒を自分ひとりで囲い込みたくて仕方ない様子だ。「おまえの面倒をみれるのは俺だけだ」みたいな気味の悪いことを言ってみたりする。

 数年前から「セカイ系」なる物語が台頭しているが、これらは「自分の好きなもの、必要なものだけ周囲にあれば、後はどうなっても構わない」というものだったりするだろう。究極的には、佐藤友哉「大洪水の小さな家」(『子供たち怒る怒る怒る』所収)のように、必要なものどころか実際には自分しか要らなかったことに気付いてしまうことにもなる。関係性のミニマリズムというのは、世の趨勢なのかも知れない。春を迎える頃にテレビやデパートで流れる「ともだち何人できるかな」のような「百人の友達が欲しい」なんて牧歌的な心情は、20世紀で既に滅びてしまったのだ。それを、鹿島田真希は先取りしていたのではないかと思うのだけれど、実際のところどうだろうか?

 ただ、私の読みが稚拙なのか、この関係の変化の辺りでかなり混乱してしまった。描写する筆力自体、この発想に追いついてなかったのではないか、とも思うのだけれど、どうだろうか。


2005年12月18日 (日) [長年日記]

_ [読書][漫画][読了]安永知澄『 やさしいからだ (1) (ビームコミックス)(安永 知澄)

 MM/memoでも注目ISBNで最新刊(3巻)が出てきていて、どんな漫画かなー、と思っていた。ブルマ穿いてる後ろ姿なので、はやりの、エッチかわいいヤツ?とか思ってて。で、ブックファースト渋谷店のコミック売り場でコミックキューだったかの特集棚があったので眺めてみたらこれが片隅にあったのだ。帯を見ると、著者の略歴が書かれていたり(結構珍しくない?)、新人賞受賞後に地道にアシスタントして来た人のようなので、もしかして外れではないかも、と1巻だけ買ってみた。帯の推薦文もなかなか豪華。

 オムニバス形式の群像劇。ひとつの話で脇役で出てきた人が次の話の主人公になる、といったリレー形式。だから、かっちりとした世界観がある訳ではないのだけれど、ぼんやりとした独特な空気感がこの作品を形成しているように見える。ひんやりとして乾いた肌触り。

 最初の話は、いつも怒った顔をしている女の子が主人公。彼女は笑えなくて、その分おでこに赤いできものができる。これが日を置くとぽろっと取れるのでガラスの瓶に溜めているのだが、まるでイクラか何かみたいだ。きれいなピンク色らしいが、何が成分なんだろう。この瓶にたまってくピンクのつぶつぶを眺めて、彼女は何を考えていたのだろうか。この作品は、あまり心情は語られない。表面的に何かのエピソードを描き、そこより深いところは読者の受け止め方に任せる、といった感じ。ただ、絵からの漠然としたものではあるが情報量は多いので、この辺りの感受性がキモとなるのではないかな、と思った。

 まあ、言ってみれば最近結構出てきているタイプの作家なのだろうけれど、もうちょっと読んでみてもいい気がしたので2巻、3巻も買ってこよう。

_ [イベント]『そんなに読んで、どうするの?』刊行記念豊由美×永江朗トークショー@青山ブックセンター本店

 メッタコンビではないトークを聞くのは久しぶりかも。永江朗さんもトヨザキさんも書評もするライターというスタンスで活動している。そんな二人の執筆スタイルやら姿勢やらを話し合うという形。永江朗さんは真っ赤なタートルネックセーターがよく似合っていたのだが、これってどこかで見たことがあるんだよなあ。胸の小さなアップリケに、見覚えがある。

 冒頭で、この書評集が出たのは永江さんのお陰でもある、という話が。『メディア異人列伝』で採り上げられていたようで、そこで「豊由美の書評集は何故出ないのか」と書いたところ、アスペクトの編集者が反応したらしい。ただ、今までもそういう話はあったのだけれど、営業の方で「書評集はペイをしない」とダメ出しされていたらしい。確かに、3年以上前となった『文学賞メッタ斬り!』のトークショー後の打ち上げで初めてトヨザキさんとお話ししたときに同じことを聞いたら「うーん、書評集は売れないからねえ」とおっしゃっていた。トークでも指摘されていたのだけれどトヨザキさんの書評は雑誌に掲載されているものが殆どで、それらを追いかけていくのはとても大変だ。出た時点で読むのがいいのは当然だろうけれど、まとまった形で読めるともっと嬉しい、と私も思っていた。

 また、ここで掲載されているのは国内作家の割合がとても多いのは、やはり売り方の問題らしい。海外小説のレビューが多いのにそれがあまり掲載されないのは残念だけれど、次の機会に期待するしかないかなあ。それと、何しろ初出が雑誌なので、掲載誌整理を半年にいっぺんくらいしかやらない(その間に、壇上(ちょうど、学校の教壇と同じくらい)のスペースいっぱいくらいの雑誌の山ができるらしい)し整理下手なので、担当編集者が苦労した話なども紹介されていた。挙げ句の果てに「掲載されている筈なのに掲載誌からは「されていません」と言われた書評」まで出てきた。どうも年末の企画の関係で、1ヶ月分レビューは掲載されない話になっていたそうで「書き損」だったとのこと。掲載誌と手がけた作品をメモしている手帳には『ペンギンの憂鬱』がちゃんと載っているのにおかしい!と思っていたら、要らないからと返却されていたとのことでした。日の目を見て良かったねー。

 掲載された順番は、担当編集者の好みらしい。「最初に(町田康の)『告白』は構成としてどうよ」と言っても、聞いてくれないらしい。そのくせ「じゃあ、あなたに任せるよ」と言えば「トヨザキさんは怠け者だ」と酒席でつぶやいたり(笑)。

 書評のスタイルについても話されていたのだが、トヨザキさんの場合は(これは大森さんとのトークショーでも指摘されていた)「構造を解き明かす」スタイルらしい。いわゆる書評エッセイは書かないらしいが、そういう方が好きな人が意外と多いらしいという話も。そういえば、競馬でまた負けたとか、そんな話は読んだこと無いな(笑)。ただ、「トリビアなちょっとお役立ち情報」みたいなのはホントは入れてみたいなあ、とおっしゃっていた。例として大森望さんをそういうことのできる書評家として挙げていた。それと、海外文学の書評が多いのは、半分は自分のためだと(笑)。売れてくれないと次が出ないからね。どうやら海外の作家(?)からは「あなたは翻訳小説界のアイドルだ」といった賞賛の手紙が来たこともあるのだとか。書評する本に関しては、連載を持っているものでは自分で選ぶそうで、たまに来る新聞などのスポットだと、その対象となる本を聞いてから決めるのだとか。この辺の、自分の売り方とかブランド作りとかってライターは自分自身でやらなきゃならないから大変だなあ、と思った。

 どうやって本を見つけているか、という話では、やはり「リアル書店の平積みとか棚を見て」ということ。見ないと、実感が沸かない。好きな書店は池袋のジュンク堂書店と渋谷のブックファースト。とにかく「そこにある」ことが重要で、本屋のはしごをして探すなんて嫌らしい。これは私もそうだからすごく分かるー。「私は、今いる場所が好きになるんですよ。本屋にいれば本屋が、飲み屋に行けば飲み屋が。そこから動きたくなくなる」って。だから朝まで飲むのか(笑)。これもよく言ってることだけど、「本屋によく行く本好きの人は自分マップみたいなものが脳内にあって、好きそうな本の勘が働く。それを他人に伝えるのは難しい」とか「海外文学でどれを読んでいいかよく分からない人は翻訳者買いをすればいい。そこから広がっていく」という話も、すごーくすごーくよく分かって、うんうん頷きっぱなしだった。

 トヨザキさん自身も言っていたのだけれど「私(トヨザキさん)は多分、書店員さんの目線と近いところで本をお薦めしている」のだろう。本当にそれが好きだから、面白いからお勧めする、という感じが妙に正直に語られてるっぽくってついつい注目してしまう。まあ、だからこそミステリチャンネルのランキング番組などで「愛のごり押し」が出てくる訳なのだろうが(笑)。

 その他面白かったのは、「ライターになるような人は、絶えずものを考えている人だ」という話。何かをやっていてもどこかで別のことやそのことについてどう書こうかとか考えている。本を読むときもそういうモードだと、付箋を貼りつつ読むのだそうだ。この付箋の話だが、売られているものを更に縦に切り、上の部分は切って短くして使うのだとか。上から見るときれいに揃っていて嬉しいらしい。読むときには表紙裏辺りにそれを貼っておき、読み終えて文章を書く前にもう一度付箋の部分を読んでいくと、おさらいになるというのは自分でも無意識にやっていることがあるが方法論として確立してはいなかったのでとても参考になった。自分は飽きっぽい人間だが読書だけは全然飽きない、という話とか、日本文学がつまらない時期があったら海外文学を読めばいい、とか。永江さんと「そうだよねえ」という話になっていたのは、「書いている内に自分が何が言いたいのかが分かってきたりするのは、ライターの特権だ」という話。まあ、これはウェブで駄文を書いている大きな理由のひとつでもあるので、プロならなおさらだろうな、と思った。

 永江さんの『批評の事情』の第二弾が進行しているらしいが「そこに掲載できる人はいるの?」なんてツッコミが。「最近、批評に元気がない」とのことだったが「作家と批評家というのは両輪の輪で、それぞれが元気がないとぐるぐる同じところを回っているだけになってしまう。小説が元気な今だからこそ、批評も頑張って欲しい」という話は強く心に残った。「我々レビュアーは応援しかできないから」と。今注目している文芸批評家は石川忠司氏とのこと。今年『現代小説のレッスン』という本が出て評判がいいが(私も好きです)、実は単著はこれが初めてという話にはびっくりした。考えてみればそうなのだけれど。

 「自分では長い評論とか書かないの?」という質問には「書かないですね」ときっぱり。「飽きっぽいし」とおっしゃっていたが、そういうところに色気を出さない姿勢も、ストイックに見えなくもない。自分の分をわきまえてる(といったらおこがましいが)というか、自分の天分がどこにあるかを見極めているのだろう。もちろん、今後スタイルが変わってきてそちら方面に進まないとも限らないので、そういう変化も期待してますが!

 会場からの質問では「今年お勧めの本は?」というもの。時間が無くてこれひとつだけ。トヨザキさんの答えは、

  • 告白』町田康
  • シャングリ・ラ』池上永一(11月は強力お勧め月刊だった)
  • 黄色い雨』フリオ・リャマサーレス(文体が凝っている)
  • 『リンさんの小さな子』フィリップ・クローデル
  • ぼくのともだち』エマニュエル・ボーヴ

ということ。それと「このミスの海外ランキングなんて信じなくていいんですよ」と、『サルバドールの復活』を協力お勧めしていた(笑)。

 永江さんは

  • 告白』町田康
  • 『さようなら、私の本よ!』大江健三郎
  • 『新リア王』高村薫

ということ。特に最初の2冊は、これを読んで「群像」の二人の対談を読むと面白いらしい(かな?)。『新リア王』は、ソローキンの『ロマン』や、ドストエフスキー『悪霊』、埴谷雄高『死霊』を彷彿とさせるとのこと。うーん、ハードカバーでは読めなさそうな気がするのでここは残念だけどスルーしておいて、文庫落ちしたら読もうかな。

 永江さんは『話を聞く技術!』という本で自らインタビュアーとしてインタビューの名手に話を聞くというパラドキシカルなことをやっているが、さすがお上手だった。うまくトヨザキさんの特性を引き出していたと思う。大森さんとのメッタコンビという、仲良しの友達でライバルの二人のトークももちろん面白いのだけれど、全然別のテイストだなあ、と感じた。さすがです、そしていい時間を過ごさせていただきありがとうございました。

 その後、参加者全員に声をかけていた打ち上げに参加したのだが、書評講座の生徒の皆さんといろいろお話をしたり、アスペクトの編集の方たちと山崎まどかさんの話をしたり。それにしても、こういうときに自分を紹介するのがとてもとても面倒なので、いい加減オフ用名刺を作ろうよ、と思った。

_ [買った本]買った本

 青山ブックセンター本店にて。


2005年12月19日 (月) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。

 おお、町山さんの本が出ていた。これ、前の本が面白いって話をのむのむさんに教えて貰って読んだんだよな。今回も期待してます。相変わらず観てない映画も多いけどね! ベスト新書は、『「禁煙」ファシズム』を出したところだけれど、こりゃどうかね。著者は社会哲学の方面の人らしいが、この主題はずっと感じてはいたところなので「そうそう」と言いたくて買ってみた。「そうそう」と思わない人はそもそもこの本は視界に入らないのだろうけれど。


2005年12月20日 (火) [長年日記]

_ [読書][読み中]星野智幸『 最後の吐息 (河出文庫)(星野 智幸)

 こちらは第34回(1997年)文藝賞受賞作品。鹿島田真希の1個先輩、ということになる。星野智幸の本もなかなか文庫化しなくて、いやー、やっとですよ。この頃の文藝賞は好きだなー。

 メキシコ・シティに在住する真楠が、ある日本人作家の死を知る。「その人の何を知っているの?」と恋人の不乱子に質されるが、真楠はその作家の作品も読んだことはない。しかし、衝撃を受けているということは恋人になら分かるはずだ、と思っている。

 冒頭の文章が

まだ読んだこともない作家が死んだ。(p.9)

 って、すごい悪文だと思うんだけど、どうだろう? 私は、この一文を読んだときにすごく驚いて、何度も何度も読み返してしまった。ただ、そんなことはねじ伏せてしまう力を星野智幸は持っていて、実際この文章しか落ち着きようが無いではないか、とまで感じてしまう。

 彼の作品に出てくる人物の名前は大抵変わっていて、ここでも真楠、不乱子という奇妙な(もし、この名前のかたがいらしたら失礼)名前を与えている。彼らはお互いの名前で言葉遊びをしていて、「不乱子、腐乱子、Franco」、「真楠、Max、馬糞」、そこからエスカレートし「ブランコ、フランシスコ、腐乱死す子」、「マックス、ファックス、セックス」、と、奇妙なじゃれ合いをし続けた過去を持つ。今は離ればなれになって、心もすれ違っている、という状態なのだろう。

 そこから今度はもうひとつの物語が入れ子で入り込む設定になっているようだ。小説全体に南国の官能的な香りが感じられるのは、この後の小説群と似通っている。それと、この人の小説はどれもそういう方面ではあるのだけれど、マジックリアリズムっぽい感じがするな。私がこの解釈を間違えてなければ、だけれど。

 彼は、南米(実在、架空を問わず)を舞台にすることが多いし、実際にメキシコに2度留学もしている。もしかしたら(というか絶対、だ)ラテンアメリカ文学にはかなり親しんでいたのかも知れないな。

 お、ご本人のサイトを今見て知ったのだけれど、次の「文藝」は星野智幸特集らしい。やったー。

_ [本の話]河出書房新社が、新刊情報をRSS配信

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 オフの時に「どうやって新刊情報集めてるんですか?」とよく聞かれるのだが、基本的に手動です。大抵の出版社は月初めくらいにその月の新刊情報を出すので、それを拾ってくる。それと、本やタウンの近刊情報(リニューアル前は毎週火曜午後更新だったけど、今は不明)、文庫・漫画刊行情報(月1回、翌月の分を上旬に)などをチェック。河出などはかなりこまめに刊行情報をアップデートしてくれて助かるのだが、どうせだったらRSS配信してくれればいいのにねー、と思っていたのだった。というか、bk1がやればいいのに!って今でも思ってる。

 そんなときに飛び込んできたこの情報(って、今更感度鈍いか?)は朗報だー。他も続いてくれないかなー(というかbk1が(以下略))。

 ジャンルごとにも配信してくれるので、目的によってチェックするものを設定できるよー。私は全般的に興味があるので絞ってないけど。早速bloglinesに放り込みました。

_ [買った本]買った本

 忘年会を1次会で退席してブックファースト渋谷店にて。

 女性検屍官シリーズ出ましたねー。今回はベントンがメイン。


2005年12月21日 (水) [長年日記]

_ [読書][読み中]星野智幸『 最後の吐息 (河出文庫)(星野 智幸)

 表題作のみ読了。うわー、最後の描写に鳥肌が立った。ものを作ることに精神を没入させる人というのは、皆このような運命に至るようにも思える。そういう意味では才能ある造形師の末路、みたいなものパターンをここに見たような気がする。

 多分、ここに延々と書かれている、内側の物語が本題ではないのだろう。おそらく彼が書こうとしているのは外側の真楠と不乱子の話だろう。二人は戯れにお互いの名前を用い、それを通して「書かれた名前」として、深く交じり合う。お互いがお互いそのものになるほどに。そして時が過ぎ、遠く離れた日本とメキシコシティで二人は手紙(ここにも「書かれた文字」が!)を通して交流し合うが、既に心が離れていて、真楠は、期待しているように自分を理解してもらえない戸惑いを感じている。そればかりか「その作家の名前になりたい」とまで語る真楠にはっきりとした違和を表明しており、その答えとして真楠はひとつの物語を数回の手紙と共に不乱子へ送る。この、文字の往還と共に高まるお互いの親密性、そして、文字そのものに対する執拗な愛着、が、外側の物語となるだろうか。

 かといって内側の物語が飾りという訳ではもちろん無く、ここには星野智幸のエッセンスがたっぷりと詰まっていてそれはひどく蠱惑的だ。言葉の上だけではない熱を帯び粘りを持ったウェットな空気は、生と死をもない交ぜにして読者をも巻き込んでしまう。このオープンエンディングは、どこか古川日出男作品に似通うものもそういえば感じられるような気がする。二人の、誰でもない作家に共通項を見つけるというのも、また面白い発見だった。物語に振り回される快感を味わえたように思う。

_ [本の話]河出書房新社の刊行予定RSSの話の続き

 MM/Memoでツッコミが入ってたので誰かと思えばたださんだった(笑)。しかも、時間のない時に書き込んだために言葉が足りないところを的確に突っ込まれてます。

これを「ジャンル別」と呼ぶ、出版業界のマーケティングセンスのなさがたまらなくイヤなんだが

(http://1470.net/mm/mylist.html/76?date=2005-12-20#m116828より)

 私もそう思いますよ。ただ、自分の興味のある範囲が広いので河出だったら全部チェックしてもいいや、と思えるだけなんだけど。出版社や取次も、おそらく日本十進分類法(NDC)に準拠した分類をしているんでしょうね。で、これは実際のニーズには合ってない、とはいつも思っていますよ。だって、気が利かない書店に行くと探している本が全然見つからなくて頭に来るもの。じゃあ文脈本棚がいいかと言えば目的があって探しているときにはかえって邪魔になることが多い訳で、だったらもう、ブックオフみたいにあいうえお順でいいや、と感じたり。そこまでいくと「じゃあネット書店でいいや」となる、と。検索最高! この分類って結構くせ者なのだろうなあ、というのは分かるのだけれど。

 それと、bk1の新刊入荷RSSもそうだしこの河出書房新社の近刊・新刊情報RSSもそうなんだけど、どうしてRSSに「必要な情報」が入ってないのかなあ、と思う。まあ、著者名も出版社も知らず(後者は河出では無い話だが)ロシアンルーレットみたいな面白さを感じることはあるけれど、ひどく不満ではある。改善を申し込めばいいのか(笑)。本の情報として私が必要だと思うのは以下の項目。

  • タイトル
  • サブタイトル
  • シリーズ名
  • 著者名
  • 出版社名
  • 価格
  • ISBN
  • 入荷日・刊行日・刊行予定日
  • 形態
  • 概要
  • 上下巻などの場合には、対となる商品URI

って、要はウェブでは項目として挙げられている情報がそのまま欲しいってだけなんだけど、どうしてそうしてくれないのかな? ウェブサイト自体へのアクセスが無くなると困るから? だったらもう少し詳細な情報をウェブに掲載するようにしたっていいし、RSS自体に「この本を購入する」リンクとか「この本を予約する」リンクとか追加すればいいんじゃないのかな。各種RSSリーダーに登録されればそれを検索ロボットが拾ってくれる場合もあるし、そこからSEO効果が上がることだってあると思うのだけれど。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。

 年末休暇のお伴、第二弾、キターッ! 中野翠のエッセイ本。第一弾はコーンウェルの『神の手』ですよ。『ヒロ★コラム』は、FMヨコハマでDJをつとめてらっしゃる北村浩子さんの、FMヨコハマオフィシャルサイト内のblogをまとめたもの。発売前に少し見せていただいたのだが、同年代の人の話としてもなかなか面白そうだったので、買ってみたよ。因みにここでは「タレントエッセイ」の棚の「アナウンサー」のところに1冊棚差しされていた。28日には有隣堂のランドマークプラザ店でサイン会もあるらしいですよ。私は仕事なので行けそうにないですが……。この方、トヨザキさんの書評講座の生徒さんです。こんなに文章書けるのなら、わざわざお金払って通わなくても大丈夫では!?

 『左ききのたみやさん。』は、『ヒロ★コラム』を探していた時女性エッセイの棚で見つけたもの。ええ、一応左ききものとしては購入するが勤めですわ。まあ、私にしてみればあるあるネタでしょう。右ききの人はワンダーワールドへようこそ、ですか。

本日のツッコミ(全4件) [ツッコミを入れる]

_ ただただし [あぁっ。あとでネタにしようと思って「あとで」タグをつけたのに!(笑)]

_ にじむ [いや、私もいつかはネタにしたいと思っていたのです。昨日出先からツッコミを見たときは焦りましたよ。たださんもネタにして..]

_ おまさ [こんにちは。中野翠さんのエッセイ、出たんですね! 先日、サンデー毎日の中野さんのページにいつ出るのかというのが、書い..]

_ にじむ [おまささん、 お役に立ててよかったです。中野さんの本は出る日がなかなかはっきりしなくて困りますよね。とりあえずISB..]


2005年12月22日 (木) [長年日記]

_ [web感想]モウビィ・ディック日和終了

 ここのところあまり追えていなかったので何がぼんやりとしか経緯は分からないのだが、たびたび興味深い考察をしていらしたishmaelさんの「モウビィ・ディック日和」を止めてしまうらしい。はてなのid自体も削除するとのことで、何やら大層なことになっている様子。

 終わりとは、始まりがあれば必ず来るものであり、傍観している身としてはそれをただ見ていることしかできない。時は常に流れているのだからして、どこかでいつか、偶然巡り会える時もあるかも知れない。まあ、相手のことはまったく知らないのだから、そのときはすれ違っても分からないのだろうけれど。はてな製本をお願いしてればよかったなー、とこういうときには特に感じる。ウェブから削除したら、まあキャッシュがどこかに転がっている可能性はあるかも知れないけれど、それはあくまでも断片だろうから(まとまって置いてあっても、それが本当に「完全なミラーなのか」なんて証明できないだろう)。そういう掴みようのないところが、ウェブのいいところでもあるのだけれど。

 今まで楽しませていただきました。ありがとうございます。

_ [MySite]不思議な検索キーワード

 そういえば、先日まことに不思議なキーワードで当サイトへお越しくださった方がいる。

魚を蹴る タカアキラ 無実 ×1 : Google検索(a.hatena.ne.jp/an_angel_passes/のキャッシュ)

 たまたまこの方のはてなアンテナにここが登録されていて、しかもタカアキラさんの名前を出していたから引っかかって来たのだろうと思われるのだが、一体何を調べたかったんだろう? 魚を蹴るって魚蹴さんのことかと思われるのだけれど、二人とも罪のあることを何かしたんですか(笑)。しかし、世の中というのは不思議でいっぱいだ。

 そういえば昨日は「オレンジレンジ」で複数回のご来訪が。こちらは(ログは見てないけど)多分ファンかアンチファンの人なんだろうね。私はオレンジレンジはまともに聴いたことなくて(ホテルで支度してたときにFMラジオで特集してたのを聴いたくらい)、話題にしたのなんて去年のHMVのオレンジレンジクリスマスツリーの話くらいだと思うのだけれど。多分、ご期待には添えてないように思うので予め謝っておく。誰にだ?

_ [イベント]Wiki小話Vol.4

 新宿文化会館にて。大混雑の渋谷駅とその後の寂しい大通りを歩くのがイヤで東新宿経由で来てみたが、寂しい道を通るのは同じだったかも。まあ、悪天候の時はこちらの方が歩く距離はずっと短いので重宝します。

 今回のお題は「Wiki作成者が知っておきたいセキュリティ・トラック」。セキュリティといえば、のwakatonoさんとシステム監査をやられている国分さんをお招きしてのものでしたが私は若干遅刻。いきなり会場の皆さんが顔を伏せているところに入ってしまったので訳も分からずwakatonoさんの質問に同じく顔を伏せて手を挙げたり。なんか、小学生の頃のクラスの犯人探しをつい、思い出してしまいました(笑)。別に怒られる訳じゃないのにね。お陰で、気が動転して質問の意図をはかり損ね、変なところで手を挙げてしまったとです……。

 お二人の話は大変に分かり易く、しかもあんなに短い間に必要十分のことを「詰め込んだ感」も無くプレゼンしてくれたのにびっくり。後で塚本さんとその話をしてたときに「端折り方がうまい」という結論に達したのですが、塚本さんからは「でも、相手がどのくらいの理解度か知っていなければ上手く端折ることもできないよね」と掘り下げられて「あー、確かに」と納得。いや、ホント、面白かったしためになりました。

 それにしても、その場でもたださんは感想を漏らされてたけど、趣味でwebアプリケーションを作るのがとんでもなく面倒な世の中になったもんだなあ、と改めて思いました。この会でもたびたび話題になっていた、先日のIW2005のセッション、高木浩光氏の「安全なWebアプリ開発の鉄則2005」を受けてもそう思ったのだけれど。「これだけやってれば安全」というものはなく、とにかく次々と穴が見つけられたり突かれたりする始末。もちろん意識していればそれなりに「やばそう」とかその辺りの勘は働くようになるものの際限が無くて、ホント、追っかけていくのが大変です。

 その後、比較的近い居酒屋「かなえ」で宴会。一応朝までOKというお店だったのだけれど、皆さん体力温存のためかちゃんと終電までには帰られたようで12時前には解散。一部では、徹夜しそうなメンツがいなかったからではないか、という噂もあったが。なんだか山手線は事故で運行が遅れていたようで、中央線もそれに合わせてか遅めの進行。

_ [Bar]都内縦断バースタンプラリー〜旅の仲間〜

 銀座にオープンしたお店を支援すべく、ルーツを同じくする4店合同のスタンプラリー企画が行われた。全店制覇すればプレゼントがもらえるということもあり、無謀かと思われたが敢行を試みた。1店目に着いたのが既に午前1時。きりたんぽ鍋とソルティドッグで暖まり、お代わりしてしまった。そのせいか次の店に行ってもなかなかおなかが空かない……。とりあえず3店は歩いて4店目は少し離れているのでタクシーで移動しようとしたのだが、各店1時間前後はいることになるので、3店目を出たときには既に始発も出る時間。ということで、山手線で移動した(笑)。普段の朝帰りのときには逆方面に歩く道をこんな風に歩くと実に新鮮。しかし朝っぱらから酒かよ! 各店、趣向を凝らしていてなかなか面白かった。こんな体験はなかなかできないし、3,000円でこんなに飲み食いできることなんてなかなか無いぞー。

 新しくできたMさんの店は、随分華やかで驚いた。ほほー、こういうのが趣味な訳ね、とか納得したり。ふと思い立ったときに行けるバーが少なくとも4店あるということになり、これからは迷ってしまいそうだけれど、これだけバラエティに富んでいるとそれはそれで面白いかも。是非、各店しのぎを削り頑張って欲しいっす。

 旅のお供は、Wiki小話に参加した塚本さんとかんさんでした。二人が一緒ならば迷ってもどうにかなりそうな気がした! 実際どうにかなったし。


2005年12月23日 (金) [長年日記]

_ [飲み会]読書部忘年会@おおた邸

 最近すっかり定番となったおおた邸での家飲み。うまい鍋に舌鼓を打ちつつ、四方山話。いや、行ってすぐの時はみんなSFオールタイムベスト投票のことを延々話してて、話に入っていけなかったけどね。

 隣室で本談義をする人たちをよそに引き続き飲み続ける私に志村さんが「『 ディアスポラ (ハヤカワ文庫 SF)(グレッグ・イーガン/山岸 真)』は読むべきだよ!」と言うところを私が「でも、私にとってはそんなに必要なものとは思えないんです。他に沢山読むべきものが(私には)あるし」「読むべきものじゃないってどうして分かるんだ?」といった話を延々としていた。分からず屋で済みません。SFをずっと読んできてこれからもSFの人なら絶対に読むべきだろうと思うのだけれど、正直「沢山ある中のほんの一部」である『ディアスポラ』を、敢えて読むべき、とは今のところ思えないのです。しかも、この前には『 万物理論 (創元SF文庫)(グレッグ・イーガン/山岸 真)』を読んでないと話が見えないところが多いようだし。なんだかんだで2週間は占領されてしまうので、二の足を踏んでしまうのでございますよ……。読めば読んだで「面白い!」「何で今まで読まなかったんだ」と思うのかも知れないけれど……。

 で、「自分が二人いたら読みますよ」と言ったら、「でも、二人いてもその片方は自分の身代わりにはならないことはパーマンの人形で実証済みだ」とかそんな話になったりして(笑)。

 うーん、難しいよなあ。まあ、そのうちあっさりと寝返ったりするのかも知れないのだけれど、とりあえず今のうちは……ということで、後で笑わないでくださいませ。

 ところで、キムチみそ鍋に牡蠣を入れるといいと言ったのは私だよ! 好評でよかったねー。

本日のツッコミ(全14件) [ツッコミを入れる]

Before...

_ にじむ [安田ママさん、暖かい言葉をありがとう! 頑張ってみますよ。年末年始は『百年の孤独』を読まねばならないのですぐには無理..]

_ ベア博士@月光号 [EUREKA7にも出演しちゃったグレッグ・イーガンですが……僕も来年読んでみようと思ってます。 とりあえず、『祈り..]

_ いさき [はじめまして!私は素直に?「キューティ」が好きなSF初心者です(笑)…でも落語として読んでるところもある(← 「パ..]

_ にじむ [いさきさん 済みません、わたしはあまり詳しくないので「キューティ」が何のことか分かりません。「攻殻機動隊」も観てない..]

_ いさき [ レスありがとうございます!「キューティ」は「祈りの海」に収録されている、おそらくイーガンの最初期の短編です。非常に..]


2005年12月26日 (月) [長年日記]

_ [飲み会]和味りんで飲む

 色んな形で気になっていた新宿は花園神社通りの和味 りんに行ってきた。面子は、塚本さんとゆきちさんとたろうさんの4人。まあ、食いしん坊です。色々食べて色々飲んで、ラストオーダーまでいてきました。ひとつにはおそらく団体が入ったことでなかなか我々のところまでオーダーが回ってこないことがあったのだろうけれど、待ちに待ってきた食べ物のひとつひとつはとてもおいしく、丁寧な仕事のものだったと感じています。

 次は、もうちょっとゆったりした時に行きたいかな。特に、刺身のつまのおいしさに感動しましたよ(私はここで日本料理を出すところの腕を判断しています、多分)。毎度毎度板長の食材入荷のblogも、いても立ってもいられなくするひとつではございます。

_ [本の話][MySite]山岸真さんのコメント

 飲み会から帰ってきていい気になってウェブサーフィンをしようとしたら、出鼻を挫かれてしまいました。というか、自分の浅はかさを思い知らされた気がします。

 グレッグ・イーガンの優秀な理解者で翻訳者でもある山岸眞さんのコメントがいただけるとはまさか考えてもなく、ここはまたしても自分のサイトを軽視しすぎていたのだと思います。

 まずは、このような熱いコメントをありがとうございます。私にとっては宝物のような書き込みです。私が避けていたイーガンの翻訳者の方から直々にこのような心温まる文章をいただけるとは思ってもみませんでした。ご存知の通り、私と言えばSFは読みはするもののひどくよそよそしいものだし、その読み方もとても浅いと思います。そういうことをまったく抜きにして(いや、そういう人間だからこそこんなに丁寧に説明してくださったのだと思いますが)アプローチしてくださり、とても嬉しく、また勿体なく思いました。

 なんか、ここまで来ると私は人生の大切なピースを拾いに行かないまま年を取っていってしまうような気がしますね(苦笑)。勿論、山岸さんの今までのご苦労をまったく知らなかった訳では無いのですが、今までの書き方はそう取られても仕方のないものではありました。そして、今まで訳者や、ましてや著者がここを読むことがあっても後悔はしないという思いで書いてきたものですが、まだまだ想像不足だったということかも知れません。

 とにかく、本を読まなければこのお詫びはしようがないと思います。テッド・チャンの『あなたの幸せの物語』を読んだときに多くの人がグレッグ・イーガンの『しあわせの理由』を引き合いに出していたことは勿論よく覚えています。結局比較する間もなく読まぬまま他の本を読み進めてしまったのですが、まずはここから始めさせていただきたいと 思います。SF読者が愛して止まないグレッグ・イーガンという人の片鱗が、そこから見ることができるのであれば非常に嬉しく思います。

 最後に。これはこれまでの文章とはまったく関係ないものではありますが、病床から復帰した直後にこのような熱い文書を書いてくださったことに不真面目な一読者としてお礼申し上げます。私はジャンルから自由であることでそのジャンルを応援する者でありたいと考えていますので、その役割を果たすことができることを願っています。それがしいては山岸さんの今後の活動の励みとなりますよう、祈るばかりです。耳に痛い、そして力強い励ましのお言葉、どうもありがとうございました。

 えぇと、へたれということではあるのですが、山岸さんがまさか片隅にいる私を個体認識してくださっているとは思わず、いつも失礼していて申し訳ありません。今度お会いした時には(お邪魔にならない程度に)真っ先にご挨拶に伺わせてください。いつも、楽しい話題を提供してくださって感謝しています。


2005年12月27日 (火) [長年日記]

_ [読書][読み中]パトリシア・コーンウェル『 神の手 (上) (講談社文庫)(パトリシア コーンウェル/相原 真理子)

 年末恒例第一弾。女性検屍官シリーズは数年前からリアルタイムに読むようになっている。それ以前はいつ出ているか、ということも知らなかったし知ろうともしなかった。

 今になって考えてみれば、主人公のケイが無実の罪を着せられバージニア州から出ることになるのも、物語に刺激を与えるためだったんだろうなあ、ということが分かりますよ。そのままやっててもまんねりになってしまったからね。

 それにしても、ケイには必ずと言っていい程彼女の地位と才能を憎む男性が出現するなあ。出る杭(特に女性の)は打たれる、というパターンなのだろうけれど、ここまで悪意に晒されていてよくもまあ無事でいられるなあ、と感じる。まあ、無事ではない訳だが。この物語に出てくるレギュラーメンバーは何らかの精神的な傷害(まあ、鬱症状ということではある)を抱えている状態だが、今回はまた姪のルーシーが……。彼女は自分の性的趣味(これは仕方ない)と精神的な問題で自分どころか周囲の人たちまでも危険に陥れてしまったというのに同じことをしてしまうというのはどうしてだろう? 自分の身をあんなに神経質に守ろうとするよりその脆さをどうにかしなければ最大級の危険に身を晒してることになりそうなんだけどなー。色恋問題でおかしくなるのは旧友のマリーノも一緒だけどな。

 既に捕まっているシリアルキラーが登場して、そのほかに現在絶賛活躍中のシリアルキラーもまた主な登場人物となっているようだ。これがどのように繋がっていくのか見物だが、まさかレクター博士のような役割をする訳ではあるまいね?

 ところでこの一連の小説は、主人公やその姪が特にコンピュータ一般におそろしく詳しいことを売りともしている。姪のルーシーは優秀なハッカーで、その腕を買われて一時期はFBIアカデミーにいたし、今はその腕で巨万の富を築いて自らが犯罪研究センターのようなものを作り上げている。が、これは翻訳の問題ではなく原文がそうだったのではないかなあ、と思わせるのだけれど、技術系の文章に間違いのようなものが見られるのが気になる。たとえば以下の例。

ルーシーは仮想プライベートネットワークにファイルをアップロードしている。このネットワークはファイアーウォールで厳重に守られており、国土安全保障局でさえ侵入することはできない。(上巻 p.107)

とある。おそらくここで出てくる「仮想プライベートネットワーク」はVPN(Virtual Private Network)のことだと思われるが、普通、これは単なる「ネットワーク」であり、つまりは経路だ。ある地点からある地点までの情報を安全に運ぶために通る道であり、他の人は入れないし見ることもできない私道だと考えればいいと思う。つまり、そこはファイルサーバではなく「ファイルをアップロード」することはまずはできないと思われるのだがどうだろう? もしかして私の理解が間違えていて「VPNにファイルをアップロードする」という表現があり得るのだろうか?

 また、通常コンピュータをよく知っている人であればあるほど「絶対」は無いということも嫌という程知っていると思う。いくら自分の腕に自信があっても、それだからこそ安心はできないと思うのだけれど、この辺のメンタリティがどうもずれてるんだよなあ。まあ、我々のような凡才には分からないだけで、天才の領域では「絶対」が存在するのかも知れないけど。

 とまあ、下手に詳しく描こうとすると妙に嘘くさく見えてくるのだった。このほか、コマンドラインでメイルを送る場面があるが、データをメイルで遅れるようにテキスト変換するというくだりがある。んーと、そのまま添付ファイルで送付するのではダメなのかね? そのデータ自体が特殊なツールがないと読めない形式であるのならば分からなくもないが、それは「メイルで送るために変換する」のではなく、他人に渡すために、となるだろうなあ。

 ストーリー自体は相変わらずリーダビリティが高い。途中迷走した時期の耐え難い状態ほどは受け入れられない行動もないし、まあ、安心して読めるのではないかな。しかしアメリカはこんなに沢山凶悪犯罪者がいて、おちおち寝てもいられないなあ。

_ [本の話]私に「必要ない」のはどうしてか

 なんか言葉足らずだったような気がするので昨日の件に補足。私がSFをあまり読まないのは、「私に必要がない」のももちろんだけれど「私が必要じゃない」と感じるからです。それは私が他のディープなジャンルものを読まないのも同じ。特定のジャンルには一定のファンがいて、その数だけの読者層が期待できる。しかし、逆にジャンルからはじき出されてしまうものについては特定の読者層が期待されないため、特にそういう作品が好きな人間が読まないと見落とされることになりかねない、と感じるということです。まあ、ただの妄想かも知れないけど。

 逆に、そういうジャンル外の人間が読むことにも意義があるという考え方もあるだろうし、それについては納得できる。だから時たまSFやミステリも読む訳だけれど。あー、あと、感想を漏らすとその感想があまりにも「文法」を知らないものであることを知らされるというのも関係してくるのかな。これは教えてもらえてありがたいのだけれど、反面、時々「文法を知らないで読んでいるのは迷惑なのかね」と感じることがありますね(あ、誘い受けを狙ってる訳ではないです)。

_ [misc]山之口洋さんの「紙のキーボード」が未踏ソフトウエア創造事業に採択されたとのこと

 昨日ゆきちさんに聞くまで知らなかったのだけれど、山之口洋さんの考案した「紙のキーボード」が未踏ソフトウエア創造事業に採択されたそうです。おめでとうございます! この「紙のキーボード」、とても興味があったのだけれどデバイス自体が結構高価なので、少し前にあった文房具展でもぺんてるのブースで手に取っただけで終わってしまったのですよね……。

 山之口さんは小説を書くのはもちろんのこと、その執筆環境についてもいろいろと模索されている方で、その辺はウェブサイトを見れば分かるのではないかと思われます。

 いや、それにしても最初「そういえばファンタジーノベル大賞を取った人が未踏ソフトウエアに受かったらしいね」と言われたときに「んー、あの辺の人はソフトウエア技術者が多いからねえ」なんて言ってたのだけれど、もっと若い人を想像してました(済みません)。今後はますますお忙しくなるでしょうが、是非小説の方もお願いいたします。あ、「小説NON」に新作が掲載されてるのですね。早速買ってこなければ。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。多分、これが今年の買い納め……かな? それもあって、買いそびれることがないようにうろうろしてたら結構な時間になってしまった。

 『愛をめぐる〜』は、例の、今年度日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を辞退した人の本。本の刊行はOKなのに受賞辞退。世の中には不思議なこともあるもので。新刊棚にも入らず、まっすぐ普通の作家別棚に入った模様。帯にも「恋愛小説」としか書いてないので、ファンタジー棚にも入ってない。棚差しで1冊のみ残ってました。『表現の自由〜』は、ずっと気になってたけど書店に行くと忘れてたもの。社会学フロアで何かもう一冊、と探してて平積みされて他ので思い出した。

_ [本の話][MySite]いくらなんでもそこまで天然さんじゃあない

 たださんにはすっかりいい人扱いされてるけど、いくらなんでもそこまでウブじゃあありませんよ。私が「えええっ、こんなところ見ててくれるなんて」と毎度のことながら驚くのは、私のサイトは「取るに足らない」ところだからですよ。検索などで引っ掛かることがあるとは言ってもおそらくSF濃度はSF系日記更新時刻系の中で一番と言っていいほど薄く、たとえ間違って訪れたとしてもスルーして覚えていないところの代表例だと思っているからですよ。中身は薄いくせに文章はだらだら長くて、これがまた、ねえ(苦笑)。

 某所で指摘されたけれど「考えすぎ」と思わなくもないけど、まあ、昨晩はお酒が入ってましたのでね。判断力が多少鈍ってると言えなくもない。まあ、それにしてはまだまともな方のようですが。それと、他の人にも言われたし通りすがりさん(もうちょっと個性的な名前にして欲しいですけどね)もまた書かれてたけど、あんなに熱い言葉をいただいて、とても嬉しかったのですよ。あそこまで書かれてさらりと受け流すほど、クールな人間じゃございませんの。って、そんなこと言ったらあれだけ私を説得してくれようとした志村さんの立場は、となってしまいますが……。勿論、志村さんの読みには読書会などでいつも感動させられるので、目が確かなのは事実なのですよ!

 まあ、特に『ディアスポラ』は周囲の皆さんが軒並み唸っていたのを覚えてるので、まずは短編からいきますよ。皆様、助言をどうもありがとうございました!

 おっと、たださんのところにも山岸さんからの愛のツッコミが

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ ただただし [いやいや、ここを「取るに足らない」と言い切ると、こんどは継続的に読んでいる人に対して失礼かも知れないよ(笑)。尊大に..]

_ にじむ [確かにそれは(汗)。ただ、どうしてここがそこそこのアクセスがあるのか、未だに分かりませんね。半端は半端なりに便利、と..]

_ マツムら [私みたいなにじむさんファンがたくさん居る、ということだと思います。]


2005年12月28日 (水) [長年日記]

_ [読書][読み中]パトリシア・コーンウェル『 神の手 (上) (講談社文庫)(パトリシア コーンウェル/相原 真理子)

 相変わらずおかしいですよ。街中を歩くときも尾行されないように注意したり、自分の正体が分からないよう偽名を使って行動するような人が、いくら自分の職場だからといって大切な情報にアクセスできる端末を、パスワードロックも掛けずに放置するなんてあり得るか? 今回の話はこれが大きな孔となってトラブルが起こる予兆が見え隠れしている。これを利用してクラックする人間がいる訳だが、彼は自分の能力を過信し、自分が正当に扱われていないことに不満を覚えている。このシリーズにはよく出てくるタイプの、オリジナリティには欠ける卑怯な人物だ。こういうのって、主人公に読者を引きつけるテクニックなのだろうなあ。会話も、噛み合わない錯綜したものを多用していて、腕があることはよーく分かる。

 それと離れたところで進行している事件が、段々と近づいてくる予感があったり。早く上巻を読み終えないとなあ。

 それにしても、著者はオブザーバーを入れた方がいいんじゃないかな。いや、もしかしたらいるのかも知れないけど(そうでなければコンピュータやネットワークのことを細かくネタにしようと思わないだろう)、その描写が信憑性に欠けるようになっているのではないか。それは、きちんとしたオブザーバーが付いていないからではないかと思われるのだが。まあ、エンターテインメント小説なんだからそんな細かいところまでこだわっても仕方ないのだけれど、詳しく書こうとするから余計に引っかかるんですよ。先に書いたように、ルーシーという天才プログラマーのキャラクタ設定自体に問題があるのは、でかい物語を書いてるのに問題じゃないのかね。

_ [本の話][wiki]Wikiの本が出てる!

 bk1の新刊情報RSSをつらつらと見ていたら、予想外の単語が目に飛び込んできた。何ですと、Wikiについての新刊が出てるんですか? 初耳ですよー。出版社も著者であるプロダクションもまったく知らないところ。中身を見てみたいけど、今日は忘年会だしなー。

Wikiでつくるかんたんホームページ(ケイズプロダクション)

 bk1は、ちとリンク張るのが面倒なんだよねえ。簡単リンク君のtDiary用プラグインを作れということですかの。xmlで持ってこれるようにする機能は結局作らないのかな? どっかにドキュメントはある?


2005年12月29日 (木) [長年日記]

_ [読書][読了]パトリシア・コーンウェル『 神の手 (下) (講談社文庫)(パトリシア コーンウェル/相原 真理子)

 今回は、ここ数回分感じていたところの違和感はほぼ解消していたように思われるのでほぼ安心して読めた。煽り文句ではケイとベントンの危機が!みたいな話があったけれど、そこまでのものではなかったしなあ。まあ、この二人があの事件を乗り越えたことで身につけた教訓があるというのは頷けたし、これは読者にしても我が身を振り返り考えてしまうことだとは思う。

 ただ、ルーシーのへたれハッカーぶりはひどく気になった。あんな「完璧」ハッカーはいないって。いたら自称だって。こんなにすごいんだ、と披露されるほど嘘くさくなるのは、それをルーシーが「完璧」だと思ってるから。コンピュータシステムには完璧なんて無いし、そこに過信しすぎてるからこそ今回みたいな問題が起きるのだと思うから。今回は彼女のミスがほとんどの事件の原因。システムだけではなく、人間関係にしても。まあ、色んな話があればこんな話にしなきゃならない回もあるのだろうけれど、そこに関してはちょっとなあ、という感じ。犯人は、途中までは確かにわからなかったけれど臭い人はすぐわかる。話がわかってみれば、確かに現代風の犯人像なのかなあ、とは思うけれど昔よりびっくりしないのは、日本もおぞましい犯罪が日常茶飯事となってしまったため麻痺してしまったのだろうか。確かにこのシリーズを読み始めた頃は、アメリカって怖いなあ、こんなにシリアルキラーがいるなんて、と思ったものだったけれど。

 まあ、文句は言いつつ今後も読んではいくのだろう。これはもう、恒例の行事みたいなものだし。ここまで行くとどうやって終わらせるのか気になってくるしなあ。

神の手 (上) (講談社文庫)(パトリシア コーンウェル/相原 真理子)


2005年12月30日 (金) [長年日記]


2005年12月31日 (土) [長年日記]

_ [misc]今年も一年ありがとうございました

 思いがけずに仕事納め翌日から発熱してしまい(一日気付かなかった)、今朝まで寝込んでいたので何もしていません。今頃年賀状刷ってます。こんな年末気分の少ない今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。

 とりあえず久しぶりに買ったビールをちびちび飲みつつ、主にイーガン関連でコメント頂いた皆様のご意見、コメントなど読ませていただいてます。ありがとうございます。その中でひとつ、直接のコメントではないのに失礼とは思いますが、何となく違和感があったので簡単に失礼します。

 海燕さんのイーガンに関するレクチャーは、もしかしたらライトノベルなどを読んできた人たちにはピッタリ合ってるものなのかなあ、と思います。まあ、意図としては、ご自分のサイトの訪問者に向けたものかも知れません。ただ、元ネタ(たださんやわたしのエントリやそれに寄せられたコメント)を読んでるか読んでないかは別にして一般に言われる「イーガン苦手」とは違う方向の話なのではないかなあ、と思いました。

 例えば私が「イーガンが苦手」と言うのは、主にはハードSFとしてのイーガンだと思います。だから、別にイーガン以外でもいくらでもあるのですが、たまたま(そこそこに)ビッグネームでよく「読め」と言われるのがこれなので、俎上にあげられやすいかも知れません。そして、その「ハードSFのハードル」とは決して文体のハードルではなく、どちらかというとガジェットとしてのハードルではないでしょうか。実社会からかけ離れてるけれどそれらは現実の科学にしっかり基づいた根拠を持っている。そこに途惑いを覚えるのだと思います。勿論そんなガジェットスルーして読めばいい、という話もありますが、結局それではその作品の半分も楽しめたことにはならないでしょう。とりあえず「読んだ」ことにしたいのならばそれでも構いませんが、一応、読書を趣味としている身、それでは自分で納得いきません。

 むしろ、山岸さんのようにガジェットを超越した文学的な面白さがある、とおっしゃっていただけた方が興味が湧きますし目から鱗も落ちます。そして、私のような人間にとっては、かえって普通の文章よりも(一部の)ライトノベルの文章を読む方がずっと難儀なものです。

 まあ、こんな風に締めくくるのもどうかと思いますが、来年も偏向した読書を続けていきたいと思います。今年のベスト本は、できれば三が日のうちに出しておきたいなー。

 何にせよ、このようなワタクシに今年一年おつきあいいただきましてありがとうございます。今年は読書部が軌道に乗り、Wikiばなもある程度の認知度は得ることができ、また新たにWiki小話という企画にスピンアウトしたことを思うと、その活発さが頼もしくまた嬉しく思います。それに着いていくのは大変だけどな(笑)!