昨日は浮かれすぎてストッキングと、ニットの上はウールのジャケットで出勤して後悔したので、さすがに今日は軽めのコートで。それにしても、もう3月か。本格的な冬を経験しないままに春になってしまうのだなあ。あと1ヶ月もしないうちに桜の季節だ。
今日は本を持ってくるのを忘れてしまったので、駅の売店で週刊文春を買った。選択肢がおやじだ。帰りは、何か本を買って帰ろう。ここ数日本屋さんに行ってないからよりどりみどりだなー。
この前の日曜日とはまた随分違った雰囲気でした(笑)。主なテキストは、『ほとんど記憶のない女』と『空中スキップ』。1冊1冊をネタに話が進みます。
リディア姉さん(リディア・デイヴィスのことを岸本さんはこう呼びます)との出会いは結構方々で語られていることだと思うので、とりあえずその結果amazonに「泣いて謝った」ということを記しておこう。いや、もちろんもののたとえですが。リディア姉さんは、今まで手がけた作家と比べると「ちゃんと大人の女性」だという話、短篇集は厚さじゃなくて数なんです(だから『ほとんど〜』のように短いのが沢山あるのは時間がかかる、という主張のようだ)! 確かに、短篇集だとひとつひとつの作品に移る度に頭をリセットせねばならず、しかもそれは読んでるとき、書いてるとき、手直ししてるとき、などなどのプロセスすべてに当てはまる。なかなか骨の折れる作業だと思いました。
翻訳のプロセスについて掘り下げた話があって面白かったからちょっと記録しておく。原書を読むときには、行間にメモを取るらしい。岸本さん曰く「行間にカビが生えたように見える」のだそうで、後で実際に見せていただいたが(ちょっと確認したい部分があった)、確かに鉛筆で小さくうすーく書いてるのでカビっぽいと言われればそうかも(笑)。とにかく、まっすぐキーボードに向かうのではなく、どこかにワンクッションをおいてからじゃないとかかれないのだそうだ。これは新元さんも同意していて「キーボードに向かうと、頭から手に行くまでに情報がいくつか失われている感じがする」とのこと。手で書くことの重要性、みたいなのは何となく分かる。感触、かなあ。手で書くことで実感するものがある。岸本さんは、ワープロで書き始める前に必ず冒頭部分を原稿用紙に鉛筆で書いてみるのだそうだ。
リディア姉さんは『ほとんど〜』が出るまでは、以前に「すばる」で青山南さんが「サンマルタン」(『ほとんど〜』に収録)を訳したくらいで全く出てなかったそうだ。だから、全然売れないと思ってたのでふたを開けたらそうでもないのにびっくりしたとか。新元さんは「岸本さんの手によるものだからなのでは?」とおっしゃってたが、ご本人は謙遜したのか「題名に「これってわたしのこと?」と気を引かれる人が多いんじゃないですか?」と。
『空中スキップ』の話で印象的だったのは、「久しぶりに翻訳の師匠にたたき込まれた技を使った、という感じ」だったんだそうだ。それは「翻訳は字面だけじゃなくて、その裏にあるイメージを訳さなければならない」というもの。それと、この邦題を発案したのはこのほんの担当編集の方だったという話には驚いた。この邦題がとってもいいと思っていたのだよねえ。ついでに表紙カバーの絵の人を見つけたのも同じ方。すばらしい仕事です! ちなみに、「空中スキップ」という言葉は、フィッシュマンズのアルバム「
空中キャンプ(フィッシュマンズ/佐藤伸治)」に想を得たということ。
ところで、この本を読んだときには気付かなかったことが結構たくさんある。そのひとつが、最初の作品「犬の日」が書かれた当初は、イラク戦争のイの字も無かった、という話。何せ、10年前ですからね。この短編の舞台は、どこか遠いところで起こっている戦争の生で社会的機能がどんどん失われ、麻痺したアメリカのとある町。その不安感というものを当時から持っていたのはちょっとすごい、という話。これに関連して、岸本さんが昔訳したマーガレット・アトウッド(こちらはカナダの人だが)の「キッチンドア」という短編(『』所収)は、主婦が「いつか戦争が始まる」と言っている話も。小説家というのは、こういった予言能力がある人が多いのでしょうか。それにしても、その不安感をこのような形にするとは!と感嘆。
バドニッツの作品は結構どれもそうなのだけれど、いきなりあり得ない次元のものが入り込んでくるのがすごい。この作品もそうで、そのきっかけのようなものが、母親の「野良かしら?」という台詞。主人公の女の子はそれに「いや、人間だって!」と突っ込みを入れるのですが、それを無視したまま話が進んでいくんですよ。この突っ込みが空振りに終わり絡め取られていくのが「借り」ですね。「秋冬ファッションカタログ」もまた、カタログの中に読者が飛び込んでいくとそこは……という話で、その「さりげなさ」がすごい、なんて話に。
それと、人工的な女性がよく出てくる、という指摘には蒙をひらかれました。そして、それに対する岸本さんの分析「バドニッツは、「女性であることに違和感を感じ、疑問を持っている人」なのではないか」というのも作品を振り返ってみてみると至極納得なのでした。
……と、とりあえず時間切れでここまで。後は夜にでも。
ジュンク堂書店池袋本店にて。
『さくらんぼ〜』は岸本さんにサインをいただくために。この日は当日まですっかりイベントの存在を忘れてたので何も準備しておらず、uブックスで読んでてハードカバーを持ってないこれにしてみた。会場の臨時売店では近著しか無かったので、急いで買いに行ったのだ。おかげで、とりあえず目に付いたこのくらいしか手に取れず。
図書準備室(田中 慎弥)』実際に読んでいるのは、これが掲載されていた「群像」をPDF化したものから作品のページのみ切り出しして持ってきたもの。Acrobat Readerで読んでるんだけど、これって横2ページ並べたときに、右側に流れていくようなビューワって無いんですかね? 元々が海外のものらしく、横書きの文書を読むにはちょうどいいんですけど、こうやって小説を読むときはどうもうまくないのです。
ところでこの内容は、掻い摘んだところは「136 ¤롪ԡ - ȥ - nikkei BPnet」で知ったのだけれど(そのときは作品は読んでないので、それを読むまでは、とページは眺めただけ)、聞きしに勝る怪作。いや、これを怪作と言っていいのかどうかも迷うけど、さすが30まで開き直ってニートやってきたヤツだなあ、歪みまくってますよ。この告白の中身がまた結構ひどい。この男、野放しにしといていいのか、と心配になるような。あと、身内だけで話してるときに自分のことを「私」祖父のことを「祖父」っていうかなあ。それ以外はいちいち「もしかしてホントにこの人いるんじゃないの」ってくらいのリアリティ。この先どう転がるのかね。楽しみ。
サエキけんぞうの本と漫画は青山ブックセンターHMV渋谷店。それ以外はブックファースト渋谷店にて。
全部は買いきれなかった。予定になかったのは、阿部和重の短篇「鏖」を三宅乱生が漫画化したもの。よく見たら、書き下ろしのアンサー小説「くるみ割り人形」も入ってるではないか! これは買わねば。こういうのは、漫画がビニールラッピングされていないABCだからこそ気づくことなんだよなあ。三宅乱生と子の短篇は、確かに合ってるかもしれない。舞城王太郎の「ピコーン!」(『熊の場所』所収)の漫画化は知ってたんだけど、でもってこちらもパラパラ見たけど今回は見送り。こちらも書き下ろし小説がついてるみたいね。
結局、インフルエンザでした。今までかかったことがないので、てっきりわたしはかかりにくい人間なんだと思い込んでましたよ。予防接種も、「どうせかかるかどうか分からないし、種類が違ったら意味ないんでしょー」なんて。見くびってたようです、済みません。
熱はあるものの結構元気で、食欲も普通にあります。昨晩夫がレトルトの卵粥を作ってくれた(?)のですがなんとなく物足りず、とはいえそんなことは言えず、今朝は自分でおじやを作りました。
まあ、熱がぐんぐん上がってる(最高時は病院で計ったときで、38.6度でした)のに風邪っぽい症状は殆どない、という段階で考えてみれば「それって風邪じゃねーんじゃね?」となりそうなもんですわね。多分「インフルエンザではない!」と頑なに信じ込んでいたのでしょう。病院での診察で先生が「インフルエンザの検査します?」と聞いたのですが、一昨年辺りやっぱり高熱が出てここに診察に来たときとはちょっと様子が違ったので「ああ、わたしインフルエンザなんだ」とやっと分かった気がしました。以前は「違うと思うけど、検査してみますか?」という感じだったのに、今回は明らかに判定するための「検査しますか?」だったので。
熱が下がっても2日間は出社禁止とのことで、そういうときに考えるのは「本が読める!」だったりするのは社会人としてどうかと思いました。とりあえず枕元に色々持ち込みましたが、案外寝てしまうものでそんなに進みはよくありません。『鈴木先生』を読み終えて、買った直後から読み始めた『キャンディ』を引き続き読んでるくらい? えーと、過激な「まいっちんぐマチ子先生」って感じでしょうか? いや、時代的なことを考えても、性革命とか、色々意味はありそうですが。ツッコミながら読めます。
ちなみに、早く治りたいのでタミフルも処方してもらいましたが、これって子どもだけに悪影響があるわけじゃないらしいですね。単に大人にはそういった例がないというだけで、これからもないとは限らない。というか、ニュースなどを見るとインフルエンザ事態がそういう症状を引き起こすことがあるそうなので、周囲にいる人に観察をお願いしておいたほうがいいかもしれません。わたしは、今のところ大丈夫のようですが。
キャンディ (角川文庫)(テリー サザーン/メイソン ホッフェンバーグ/Terry Southern/Mason Hoffenberg/高杉 麟)』あまりにもエロくて当時のアメリカでは出せず、パリのオリンピア・プレス社から出版し、その後凱旋出版なるも発禁論争などが起こったらしい曰く付きのお色気小説。
まあ、世の常で性の解放が当時では考えられないほどに進んでしまった現在から見ると「ちょっとエッチな小説」程度の性の冒険もの、になってしまうだろう。特筆すべきは、女の子(といっても女子大生で20歳くらいかと思われる)がその主人公で、最後の到達地点が仏教、というところ辺りかな。これが執筆された1950年代当時はまだアメリカでは性文化は開花しておらず、「プレイボーイ」でも結構な物議を醸したという話は『ザ・フィフティーズ』(ああ、これは本当に役立つなあ)に書いてある。そんな中、女の子が受動的であるとはいえこれだけ性的なシチュエーションに巻き込まれる(彼女自身が挑発している場面も少なからずある)なんて話は、破廉恥極まりないものだったろう。
主人公のキャンディ・クリスチャン(という名前からして聖性を持たせたかったのだろう、という類推もできるだろう)は、父親と二人暮らしの中産階級の女子大生。お母さんがどうした、という話は特にないが、おそらくは病死なんだろうな。しかもそのお父さん、実は夜な夜な自分の娘をいろんな形で犯す夢を見てしまうという、トンデモ設定。いや、それほどに娘が愛らしすぎる、というか、セックスシンボル的な存在になってしまっているようで、彼女を一目見ただけで、大学の哲学の教授も血の繋がったおじさんも、たちどころに欲情してしまうのだ。しかも、彼女は「与えられるものであれば惜しみなく与えるべき」という哲学の持ち主だからさあ大変。「あたしはこんなにも求められているのだわ」という充足感と性的快楽とに見舞われるのだが、いつも間一髪(?)というところで妨害が入り、彼女の処女性は確保されるという訳。これがパターン化して、進んでいく訳だ。
この娘さん、非常に危なっかしい真似をしてくれて、あまりに厳格すぎるお父さんへの反発(いや、お父さんは嫉妬のあまり、だった訳だが)で、庭師の青年を誘惑しちゃったりする。頭のねじが数本外れてるよう。いくらなんでも、自分の貞操をそんなに簡単になげうてるものか、この時代のアメリカで。まあ、これも未遂に終わるからいいのだけれどかなり描写はきわどい。ただ、全般的に「パターン化」が功を奏していて、お色気シーンがギャグになってしまってるのだよね。しかも、描写が大げさ。冒頭の哲学の教授のオチには笑ったけれど、次の、お父さんと庭師の対決は、真剣に考えると「えーと、これってもしかして悲惨な事故じゃないの?」というくらいのものなのに、周囲は案外かるーく受け取っている。脳に損傷を負っていて元通りには戻らないと言われているのに! おじさんの話ではその妻が「セックス依存症?」というくらいの異常言動(行動も)だし、その後、いくら何でもおじさんとお父さんが入れ替わってしまい、お父さんは行方不明、おまけにキャンディは一念発起してニューヨークへ、って、家は、お金はどーなるの!?
もう、荒唐無稽で、これがリアリズム小説とは思えないから楽しめるんだろうなあ。エッチ度でいえば、多分今だと中学生レベルじゃないかと思うんだけど。
この後の方は時代的な背景が見られるのかな。というより、せむし(背中の上部が大きく盛り上がったこぶに占領されている形状)男に関しては、今はこんな風に扱える訳がないもんなあ。しかも、ひどいことにキャンディはこの男は「かわいそうな存在」と決めつけて、「自分が施しをせねば」とか考えちゃう訳だ。ああ、浅いね、浅すぎるね。男の方は隙あらば金を奪おうとしているのにもかかわらず、家にまで招待してアルコールと朝食を振る舞ってしまう。しかし、その後の展開に唖然だったけど。
その後の、新興宗教経由で仏教を極めにチベットに行き着くところなんかは、当時の流行でもあったようだから風俗をうまく取り入れてるのだろうと思われる。それにしても、ここまで守られてきた処女があんなところであっさり棄ててしまえるところには、ちょっと理解できなかったりするが、この辺はキャンディ故なのか、当時の空気故なのか。最後の最後までおバカなお色気ドタバタで、最後にお父さんと再会できたところなんかは、だいたい読めてはいたけれどその通りに落ちが付いて笑ってしまった。いや、こういう無垢でありながらお色気ムンムンの女性って、いつの時代も必要なんでしょうね。
わたしには、ちょっと過激な「まいっちんぐマチコ先生」に思えました。
ところで、ちょっと分からなかったのが、キャンディの魅力に参らない人がいること。理性が利くところまではみんな持ちこたえるということで燦釮粉愀犬鮖廚ど發㎠戮襪福2罅垢虜△任△譴弌戍{isbn_image '4086103427'}}』とか、今であれば『マリア様がみてる』とか? わたしも女子高にいたので、憧れのかっこいい先輩、みたいなのはちょっとは分かるつもり。
ブックファースト渋谷店にて。
それにしても、この時期にコンビにおでんをタイトルに入れるのは失敗だったような>朝日新書。ところで、マザーグースの本を書いた人だが、珍しい名前だなあ、としか思ってなかったのだが、プロフィールで大学を出た後に海外留学してるとある。この時代に女性でって、実家がすごいお金持ちだったんだなあ、と思っていたら、童謡歌手だった小鳩くるみなのね、この人。すごいなあ! ちゃんと自分でキャリアデザインしている。今では童謡やマザーグースの専門家なんだそうだ。
今まで「SFファンとは言えないしなあ……」と参加を見送っていたこの会。嘘。自分が分かりそうな話題じゃなかったから、というのと、読書部の読書会の日程と重なるという理由で行ったことがなかったのだが、今回は読書会のお題の作品を読む時間が無く、というか、読むんだったらもっとゆっくり周辺のものも読みたかったのでパスしてしまったのだがそんなときにこっちの情報が飛び込んできたのでした。テーマが、先ほど出版された牧眞司さんの『世界文学ワンダーランド』で、著者の牧さんから直接お話を聞ける機会だということで喜び勇んで参加した訳です。
いやー、参加して良かった! 面白いし、聞き手役の鈴木力さんがよく読み込んでらしてしかも誘導が巧みなので、いろんな話を聞くことができました。牧さんは「教養主義的な読書をしてないから」と謙遜されてましたが、そういうところがまた面白いんでしょうね。頬を紅潮させて熱く語るのですが、後でこの件について聞くと「本の話になると冷静でいられないんだよ!」だそうで、本当に本(というか、小説)がお好きなんだなあ、と感じました。
本の中で紹介されている中から、普通にお勧めの7作とちょっと変態向け(シュールレアリスム系の作品が多かった印象)の7作を紹介してくださったので、これは後で書き足したいと思います(今はノートが手元にない)。それと、エリアーデとレムを並べて語るというのが面白かったのでした。小説というのは「何でもあり」ではあるのだけれど、文章でできている以上、限界というものがある訳で。
「『百年の孤独』を読んで面白いと思わないヤツは、もう本を読まなくてもよろしい」とか、「泣くというのは排泄好意だから気持ちいいのは当たり前。泣ける話は便秘薬みたいなもん。排泄行為を人前で気持ちいいと言ってるなんておかしい」という発言がぽんぽん出てきて、会場は笑いが絶えませんでした。
話の中でひとつのキーワードになっていたのが川又千秋。彼の著作の中に『夢の言葉・言葉の夢』という評論集があるのだが、この本については以前にも牧さんからお聞きしたことがあったのだけれど、そのときは新刊書店を確認して「やっぱり無いなー」と諦めていたのであった。今度はぬかりなく。ええ。あと、以前にお勧めされて手買ったはいいけど結局読んでない『エペペ』も、早い内に読もうと思った。
二次会は場所を新宿へと移し、いつものお店で。沢山合流してきて、ほとんどお店ジャック状態。ここでも牧さんや、翻訳家の山岸真さんらのお話を伺うことができ、随分贅沢な時間を過ごしたのでした。しかし、書誌目録作成への情熱、というか、それ以外もそうなんだけど、世の中のためになる仕事が巡り巡って自分のため、みたいな感じで、素晴らしいことだと思いましたですよ。
牧さん、鈴木さん、そしてスタッフの皆様、どうもお疲れ様でした。そしてお世話になりました。お陰で楽しく実になる一日を過ごすことができました。
リンクしてあるものはわたしが持っているもので、Wikiの方に飛びます。出版社やどうお勧めか、などは、本書でご覧くださいませ。なお、新刊書店では入手困難なものも含まれていますが、「インターネットの古書店などで手にはいるでしょ。海外文学は比較的安いから。図書館には入っている作品もおおいし」ということです。これは、大森望さんもよくおっしゃってますよね。
近所にできたという喫茶店にやっと行くことができた。パソコンも使えないから、録画したテレビ番組も見られないのですよー。
木をふんだんに使った内装で、自然光も結構入ってくるし静かだ。あまりにも居心地が良くて飲み物のお代わりまでしてしまった。コーヒーも丁寧に淹れてあっておいしい。
ナンバー9ドリーム (新潮クレスト・ブックス)(デイヴィッド・ミッチェル/高吉 一郎)』いやー、面白いなあ。今までのキッチュな感じも良かったけど、この週末に読んだ章も良かった。かくまわれた一軒家の屋根裏に隠し部屋があり、そこは本がずらりと並んだ書斎だった。外に出られない詠爾はここで一日のほとんどを過ごし、本をひたすら読んでいる。その合間にも、机の上にあった原稿を読む。この原稿は家主の手によるものらしく、それが文中に引用され、我々も読むことができるのだ。登場人物はバスに住んでいるのだが、そのバスは意志を持っているのか、移動するのだ。そんな中で神様に会ったり、変な女王に会ったり。山羊先生という小説家が出てくるのだが、当然のごとく売れない。というか、彼の自己認識はことごとくおかしくて、ボケ老人のようだ。すぐに「盗まれた!」と騒ぐのだが、原稿は盗まれたんじゃなくて、あなたが食べたんですから(笑)! この指摘があって、山羊先生は本当に山羊だったことに気付く。というか、みんなおかしいし。食べられそうになるし!
ちゃんと現実も進んでいてるので、安心されたし。
というか、現実を認めたくないから「ぽい」なんて書いてるけど、ホントに壊れたんですよ。土曜日に帰宅したら画面が青い状態で、おかしいなと電源再投入してみたらWindowsに入る前にコケちゃう。どうにか騙し騙しWindowsを起動することもできる場合もあるのだが、すぐに落ちちゃう(ブルースクリーン!)ので意味なし。テレビ番組の録画予約してたのは全部駄目になり、中に入っているのも観られないので読書が進んだ訳。
うーん、何となくメモリっぽい感触があるので、試しに他のと付け替えてみようかな、と。あれ、オンボードじゃないよな、メモリ。それで駄目なら修理に出すことにしよう。
慶應大学三田キャンパスGlobal Studioにて。設備がものすごくてびっくりした。そこら辺のイベント用施設なんか目じゃないよ。スクリーンが前にひとつ、その周囲に小さいのが4つあり、横の壁にも大きなスクリーンがあった。まあ、これはどちら向きでやっても大丈夫なように、かも知れないけれど。そういうのに較べると、いまだにマイクのハウリング問題というのは続いているのだろうか。今日はだいぶこれで悩まされていた模様。
今回はどちらかといえば著作権期間延長賛成派・慎重派の方々によるディスカッション。それでも人によってだいぶ立場は違い、まだまだ議論はなされるべきだな、と思った。こんな状態で著作権期間を70年に延長したら、またそこで一安心して問題が先送りされてしまいそうだからだ。写真家の方の意見などを聞くと著作権の大切さのようなものも分からなくは無いが、商習慣に馴染まぬからといって著作権の権利執行による収入を期待するというのは、何か違うような気がするのだ。というか、今回の延長賛成派の話はこの収入の話と、どちらかといえば著作人格権の問題が一緒くたに語られるから、話がなかなか進まなくなる。三田誠広氏にいたっては「著作人格権を行使したいから著作権を延長して欲しい」と言うのだが、なんか違ってないだろうか。このふたつを切り離して運用する方法は無いの?
ちょっと疲れてしまったので後で書き足すが、気になったのでひとつだけ書いておく。三田氏は文芸家協会の代表として出ているが、彼自身はどう考えているのだろうか。というのも、彼の言っていることって「みんながこう言うだろう(もしくは言った)」的なものが多く、自分の身から出た言葉に思えないのだ。だから、落としどころが分からない。わたしは文学や小説が好きなのだが、どうしてかこの人の立場が理解できない。
まあ、確かに死後の著作権なんて要らないという意見は乱暴に過ぎるかもしれないが、そのくらいのところから議論を出発させないとぐずぐずになってしまうような気がする。それと、会場からの意見も出たが、職業文筆家のことがまず念頭にあって、それ以外の潜在的著作権者に関しては殆ど全く気にかけていないのが気になる。日本写真著作権協会や文芸家協会は著作権を管理するDBを作るという話を打ち上げていたが、どこまでを著作物と考えているか、なんか透けて見える気がするよ。
会場はおそらく慎重派もしくは反対派の人が多かったんじゃないかと思われるので、そういう中でのディスカッションはやはり大変だと思うのだけれど、考えをぐらつかせるくらいの言葉が欲しかった。それと、著作権著作権言う割には青空文庫の富田さんにとんでもない間違いを指摘されるくらい不確かな知識のままだったりもする(出席者ももっと勉強しなけりゃ……反省)。こういうパフォーマンスは、やっぱりまずいよね。
最後の、佐野さんのクリエイターの定義について、時間切れでもうちょっと掘り下げた話が聞けなかったのは残念。それでも予定の20時半を大幅に過ぎ21時ごろまで休憩無しにやってくださって感謝。濃い話になったと思います。正直、あのくらいの話は半日は無いと無理かも知れないと思いつつも、時間が限られているからこそいい意見がひねり出される訳でもあり。今後ともこういう密度がある議論が続くと嬉しいです。会場からの意見も沢山聞けたし。最後には、青空文庫で呼びかけていた著作権保護期間延長反対の署名をして帰途についた。
スタッフの皆様、出演者の皆様、どうもお疲れ様でした。
ブックファースト渋谷店にて。
『ナジャ』は、牧さんの『世界文学ワンダーランド』でも紹介されていたもの。ずーっと読まなきゃと思っていたけど、そろそろ腹をくくるか、と買おうとすると、どこから出版されているか分からず一時おろおろする。文庫版をどこかで見たんだけどなあ。新潮じゃなくて……と売り場にある『世界文学〜』を参照してみると岩波文庫とある。が、ここには無い! でも、どっかで見た覚えがある、とうろうろしていたら、uブックスの背表紙がベージュ系のツートンカラーのヤツが見つかった! おお、そうだ、ここで見たんだ。ちょうど訳も巌谷國士だし、白水社のハードカバーが元になってるんだろうな。ちなみに、現代思潮社から出てるのも置いてあったけど、これは訳者が違うのね。どちらがいいかは分からないけど、巌谷さんは定評があるはず。
本来なら勤め人なので年末調整すればいいのだが、銀行から残高証明書を取り寄せるのをまたもや面倒がっている内に締め切り。そんな訳で確定申告と相成ったのですが。
いやー、オンラインで申告書作成できるのはめちゃくちゃ便利だね。調子に乗ってほいほい入力してたら納税額が5万円ほどになってしまいフリーズ。……えーと、当然戻ってくると思っていたのにどうして支払わないとならんのですか(泣)。
しばらく保留してから見直してみると、保険料の入力を忘れてるぞ、わたし。そういう訳で、何とか戻りが出ることになってほっと一息なのだった。ちゃんと残高証明書を毎年郵送して貰う書類も今日出すので、来年こそはちゃんと年末調整で終わらせるようにしよう。ああ、なんて間抜けなんだ。
昨晩慶應大まで歩いていく間も寒くて、膝丈のスカートとストッキングで来たことを後悔した。途中で関節が痛くなったもんなあ。夜も気力が萎えて本を読むどころではなく(ましてやPCの修理なんか!)、布団に入っても珍しく寒かった。マンションの密閉性がいいのか、真冬でも寝るときは暖房要らずなんだけど、うち。
今日も昼間こそ温かい日差しもあったけれどまたもや夜は寒風が吹く。しばらく油断できないなあ。
ブックファースト渋谷店にて。
本の雑誌 286号 リーチ一発おしんこ号」
野性時代 vol.41 (2007 4) (KADOKAWA文芸MOOK 42)」「野性時代」はモリミー(森見登美彦)特集号。すごいなー。
本当は、『
世界屠畜紀行(内澤 旬子)』と『
17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義(松岡 正剛)』も欲しかったんだけど、同じフロアに売ってないんだよね。なるべくいっぺんに買いたいからなんとなく躊躇してしまったけど、そうか、1Fで買えばよかったんだ。
つまるところ、女学生、いや、女性全般というのは、社会においての異端者だった、ということなんだろうね。本流の社会は既に青年男性が牛耳っていて、そこに無邪気に入り込もうとする女性が煩わしくて仕方ない。ホモソーシャルな世界として完結してるんだからおまいら入ってくんな、ということなんだろう。だからこそ、知に片足をつっこんだ形の女学生が「生意気だ」と標的にされた、と。文化の受容の局面で少しずつ印象は変わったりもするのだけれど、多分核となるところは変わらない。
なかなか面白いのは、今読んでいる章である「ミッション女学生」。昔は、異端であると見られていたのか。行政側の事情で泣く泣く各種専門学校に甘んじたり、キリスト教教育など独自のカリキュラムを棄てざるを得なかった時期もあり、ずいぶんと苦労したらしい。また、設立当初は「尼僧のようで地味だ」と見られていた、というのも面白い。それが英語教育や音楽教育(要は西洋化教育)の特色でハイカラ(これは、いい意味で使われた訳ではなかったようだ)になっていき、ミッションスクールにおけるキリスト教は「校風」へと変遷していく。途中、時代のあだ花のように出現した明治女学校という学校も何とも魅力的だ(官立の、西洋風和風のいいとこどりなのだけれど、そのジレンマに陥って消え去っていく)。
確かに、男子学生よりは女学生を見た方が世間の風潮というものを追いやすいかも知れない。
家に帰って故障したPCのふたを開けて面倒を思うのだけれど、あまりにも寒くて動けない。夜もあまり起きていられないようになり、昨晩も0時半頃に布団に入り、多分、1時には寝入ってしまった。いくらなんでももう少し温まってくれないと、生活できなくなるよ。
ヴァージンシネマズ六本木スクリーン1にて。渋谷ル・シネマでやってたのを逃してしまい、もうDVDを待つしかないかなあ、とあきらめていただけにありがたい! まさかとは思うが、明日から始まるらしいフランス映画際2007に因んでのことじゃないよな?
わたしの、マリー・アントワネットとのファースト・コンタクトは、小学3年生くらいのときに学校の図書館で借りた『ひげきのおうひ マリー・アントワネット』(表記がどうなってたか不明だけど、当時は「悲劇」なんて読めなかったろうから、平仮名かと)だ。他にも『若草物語』や『秘密の花園』、『リラの花さく家』などの世界少女小説シリーズの中の一冊、もしくはそれと同じならびにあったのを覚えてる。その後は当時としては定番の、『ベルサイユのばら』。華やかな生活を送ったけれど浪費が過ぎて人民の不満をあおり、最後は断頭台の露と消えた、という一連の物語であり、そこにはあまりルイ16世の影は見えなかった。この映画では、マリーとルイ16世の二人が同士として絆を深める様が描かれており、女性にとっては好ましいものに思える。
贅沢に走った理由も、シャイすぎて相手にしてくれないルイ16世への不満と孤独から、という解釈もなかなか斬新で、またこの夫が熊みたいで好感が持てる。冒頭のシーンからして史実に則ろうとしていなにのは分かるので大抵のことは「まあ、ソフィア・コッポラだしね」で許されてしまう。確かにポップで心躍るビジュアルや色彩は彼女ならではのものだし、マリーがガーリッシュで生き生きとしている様も見事だと思う。ただ、中盤からの展開がちょっと雑かなあ、と感じた。たとえば、どうしてルイ16世はマリーと性生活が営めるようになったのだろう? 今まで、あれほど苦労していたのに、いくらアドバイスがあったとはいえあっさりと。マリーの今までの苦労は?ですよ。
中世フランスが舞台の映画にポップな音楽やロックを組み合わせるのはかなり斬新だと感じられるけど、仮面舞踏会に行った帰りにBGMでかかったものは、なんだかいまひとつそぐわなかった*1。しかも、妙に音程がずれているところがあって不安定に感じられる(それが味になる場合もあるけど、今回はどうだろう?)ので、そっちが気になって気になって仕方なかった。
ストーリーとしては不満はそんなもので、後はさほどの不足は感じなかった。結構乗らされた方かも。もしかしたらBGVとしては最高かもしれない。
この映画は数々のお菓子が出てくるのだけれど、パンフレットによれば案の定、当時はあんなに華やかなお菓子や生クリームはなかったのだそうで。なんと、あのカラフルなマカロン(を2つ閉じ合わせ、中にクリームをサンドしたもの)も無かったのだそうだ。食べ物が、お百姓さんに怒られるくらいふんだんに使われ贅沢に盛られたシーンが沢山あったけれど、あれもどの辺りまでがホントなんだろうな。あ、ヴェルサイユ宮殿をホントにロケに使ったという話は驚いた。貸してくれるんだねえ、こういう映画に。
ソフィア・コッポラに関しては、ある種の抜きん出た才能があることは認めるけど、どこまでが彼女の仕事かよく分からない。そして、彼女が撮ったというと「ああ、やっぱりこういう感じなのね」と、ちょっとした失望と安堵を感じるのも事実である。それにしても、キルスティン・ダンストって中原昌也が指摘するところの「ブスかわいい」そのままで、すごくかわいく見えるときもあるんだけど、基本は……だなあ。あと、30代まで演じなければならなかったから、というのは分かるけど、あの夫婦、どちらもティーンエイジャーには見えないよね(笑)。
*1 http://mora.jp/package/80311556/00602517084186/で試聴してみたところによれば、Siouxsie And The Bansheesの"Hong Kong Garden"らしい。そうか、パンクなのか
途中からそう言った言及があるから「よもや」と思ったらその通りの展開でした。まさか、女子大生亡国論まで論を持ってくるとは。ちょっとその結びつけが請求にすぎるようには感じるのだけれど、言わんとしているところは何となく分かる。大学進学の後は就職でも同じ軋轢があったはずだけれど、本流にいると自認している男性諸氏には、人生かけてるとは思えない女性の自分の陣地への進出というのが我慢ならなかったんだなあ。たとえ彼女が真剣であろうとも、「腰掛け」「嫁入り道具」の発想からは逃れられなかったという。現在はそういう物言いはかなり減っていると感じているけれど、まだまだと感じられる場面も多いはず。未来から見たら笑い話、だったらいいなあ、と思うのだけれど。
わたしの界隈では俄世界文学ブームが繰り広げられているが(牧眞司さんの『世界文学ワンダーランド』と、先日それをお題に行われたSFファン交流会での牧さんのお話のためだろう)、mixiの他の方の日記で、もっとディープな世界文学紹介アーカイヴがあることが判明。沼野充義教授による「じんぶんや#30@紀伊國屋書店新宿本店」がそれだ。
沼野さん属する東京大学文学部の、現代文芸論専修課程の発足に伴うものであろうが(ここには柴田元幸教授も関わっている)、そのラインナップのディープさといったら。うわっ、冒頭が『
僕とおばあさんとイリコとイラリオン(ノダル ドゥンバゼ/Nodar Dumbadze/児島 康宏)』だ。ちょっと単価が高いからどうしようかなあ、と悩んでいたんだけど、この際買ってしまおうかなあ。書物の森はまだまだ深いなあ、とこういうのを見てるとつくづく感じられる。
月曜日に行ってきた著作権延長問題フォーラムイベントで印象に残ったことなのだけれど、日本文藝家協会の三田誠広氏がタイトルのようなことを言っていた。
現行の著作権法では、以上の問題は「同一性保持権」によって保証されている。ただこれはこれに反したからといって罰則がある訳でもなく、著作者もしくはその代行者などが改変した者に対して撤回(出版等があった場合は回収?)や損害賠償を求めるものであり、拘束性は事実上無いものと思われる。「著作権なるほど質問箱」では「有名なマンガをパロディにした場合、著作権の侵害に当たるのでしょうか。」という想定問答もあり、この答えは見て分かるとおりグレーであり、裁判官によって判断が大きく分かれるものと思われる。
また、わたしがこの2回の著作権延長問題を考えるイベントに参加して感じたものだが、三田氏といい、松本零士氏といい、この「同一性保持権」を未来永劫著作者・著作権者の権利と考えているように見受けられる。しかし、現在のところ「同一性保持権」は「著作者人格権」にぶら下がった権利であり、「著作者人格権」は、著作権とは違って著作者が死亡した時点で消滅するものだ。つまり、正当な手続きを踏みさえすれば、誰でも先行作品を改変して新しい作品を作ることができるのだ。この辺りはどう受け止めているのかも不明なのだが、このお二人とも正しく権利の限度を認識しているとは見えなかった。また、彼らは自分たちだって先行作品を改変したものを享受したり自分たちの手でも作ったりしているのを忘れているのだろうか? これについては今回も佐野眞一氏からも指摘があったが。それを無視して「勝手にパロディにされたくない」だなんてナンセンスだ。
また、この「勝手に改変されたくない」という言葉には、パロディではなく、自分たち自身の作品が将来見る影もなく改変されてそれが自分の作品(もしくは自分の作品だという記録自体が消滅してしまう?)だとされてしまう——つまり、一種の歴史改変ものですな——ことを恐れているような言い方をする。これは言葉が足りないのか(職業的表現者としてそれもいかがかと思うが)、ミスリードを狙ってのものなのかは分からないが、誰も「先行作品そのものを改変したい」とは言ってないだろう。つまり、彼らの作品は「これが本当の作品です」とアーカイヴされていればこんなおそれは無いように思えるんだけど。まあ、こちらが勘ぐりすぎているのかも知れないのだが。
この辺が、以前から指摘されており、今回のコーディネーターである津田大介さんもおっしゃっていたところだけれど、ちゃんと分けて議論しないと堂々巡りになってしまい、結局は10年経っても20年経っても現状は変わりませんでした、なんてことになってしまうだろう。
更に。先日の適当レポでも書いたことだが、三田氏が世界標準のひとつの根拠として持ち出してきていた「戦前に日本にあった卑怯な制度:その著書が10年経っても誰にも翻訳されなかったら翻訳権フリーとなる問題」については、青空文庫の富田氏が間違いを指摘していた(ベルヌ条約に当時盛り込まれていたもので、日本がルール違反をしていた訳ではない、ということ)が、もっと詳しい内容については「The Baker Street Bakery > ݸ֤αĹͤեࡡȡ٥vol.1֤ʤֱĹʤΤʤޤ뤷ߤ䤦פλ(2)」(「The Baker Street Bakery > ݸ֤αĹͤեࡡȡ٥vol.1֤ʤֱĹʤΤʤޤ뤷ߤ䤦פλ(1)」も含め、今回のトークイベントが丁寧に検証されていて勉強になる)で知ることができた。これについては三田氏だけではなく、結構広まっていた「俗説」のようなので三田氏だけの責任にはできないだろうが、少なくともこういう議論で持ち出す前には根拠を確認しておくのが筋だろうと思う。大学で教えていた訳だし、周囲にこの件を知っていた人はいくらでもいたのではないか?
宮田昇の『
翻訳権の戦後史(宮田 昇)』にその辺りのことが書かれているらしいことを先にリンクした記事で知ることができた。この宮田さんの著書は、あああ、もう前世紀になってしまったが、『戦後「翻訳」風雲録』という本を買っていたよ……。全部読めるかどうかは分からないけど、少なくとも今回気になった件については確認しておこうと思う。
なんだか不勉強がたたってこの文章も公開していいのかどうかずいぶんと迷ったのだが、まずは出してみることかから、と思い、書いてみることにした。批判している側はされている側よりももっと知らなければならないだろう。もうちょっと突っ込んで行ければいいなあ。いや、ݸ֤αĹͤե - thinkcopyright.org | ͵を読むだけでもおなかいっぱいなのだけれど(笑)。
ところで、前回も今回も三田氏は「自分の、もう絶版になってる作品を青空文庫で公開して欲しいなー」なんて「おめー、リップサービスだろー」というような発言をしていたけれど、その後、この件に関してはどうなったのだろう? 是非話を進めて欲しいものだ。最近は小説は書いてないと思うので、昔の小説を中心に。
いろいろ書かねばならないことはあるけど、風呂敷を広げすぎると収集付かないので、今日のところはこれにて。
丸ビルで半日かけて行われたイベント、Creators to Consumersのトークセッションに参加してみた。テーマは「私的録音保証金制度を考える」というもの。現在、録音や音楽メディアをプレイ可能な専用機器については、私的録音保証金がその金額に含まれており、機器メーカーを通じて各著作権者にいくらかのお金が入ってくることになっている。これらは、個人的に楽しむ程度のコピーならば見逃しますよ、といった制度で、よくCDなんかを買うと小さい文字で書いてあるメッセージが「私的利用の範囲にとどめましょう」みたいなものだったりすると思う。あれの根拠だ。
しかし、この制度、実作者・実演者にとってはさほどいい話ではない。何しろ、微々たる金額だ。殆ど形骸化したこの制度、見直すべきか、それともすっぱりチャラにして最初から新しい制度を作るか、といったことも含めて話し合いができれば、と開いたものだ。まあ、タイトルの通りに今回は現状を周知し、問題意識を共有するために開かれたようなもので、弁護士の藤原浩さんから概要と現在までの流れなどの説明があり、音楽家で実演家著作隣接センター(CPRA)運営委員の椎名和夫さんからポイントの説明があった。パネリストとして同席した音楽家の向谷実さんは、話しぶりから行くと事情通のようだ。この問題に長くかかわってきているらしい。そして、外野側(ということになると思うが)として津田大介さん、モデレーターが慶大教授の中村伊知哉さんだった。
話の内容としては案外実演家はユーザ側に近い。それは彼らもまたユーザであるということを認識しているからであろう。ここは著作権保護期間延長シンポの一部メンバーと違うところかもしれない。とはいっても、やはり我々の感覚に一番近いのは津田さんだろう。もう過去のものとなりつつあるCCCD問題に関しても、「我々は、CDを買うことで永遠にその楽曲を教授する権利を買うつもりになってるんだ」という話をされていたが、そう、CCCDでの苛つきはここだったんだよ。コピーの回数を制御されるだけならまだしも、使い勝手の悪い音楽ソフトをインストールさせ、それじゃないとプレイできない縛りなんかかけてしまった。当時はどうしても欲しければ買っていたけど、もし通常版が出るなら買いなおしたかったし、一気に音楽を聴く気も失せたものだった。
また面白いのが、この保証金を支払う対象を現状に合わせようと、HDD内蔵だったりシリコンデバイスの音楽プレイヤーも範囲に含めようとすると、これらは「専用機じゃない」ということで結局今まで変わってないのだそうだ。理由は「専用機じゃないから」。そんなこと言ったら、音楽テープだって磁気テープだからそこにデータやプログラムを格納してたし、MDやテープに音楽じゃないものを録音したりもしてたよなあ。
ということと関連して、会場の参加者から質疑応答を募ったのだけれど、一番盛り上がったのは、なんとAppleの社員(しかも法務所属とおっしゃっていた、確か)が来ていたこと。実際にAppleがどう考えているかも聞くことができたのだが、それは今までの話の流れをひっくり返す類のものだった。壇上では、私的録音保障制度の対象にiPodを筆頭とした新しい音楽プレイヤーを含めるという話になればAppleは喜んで保証金を支払うはず、というものだったが、その人からの答えは「Appleは、全世界で私的録音保証金制度の撤廃を求め運動しています」というものだった。「以前Appleの人と話した内容は、全く逆のものだった」と気色ばむ古谷さんだったが、事情というのは変わっていくものだろうし、以前がどうだったか、を確認してくれ、というのはちょっと冷静に考えると今強調する話ではない、と感じた。Appleの人いわく「我々は既に数十億の著作権料を世界中で支払っており、また、日の目を見ないアーティストの販売・宣伝チャネルとしても貢献している」と。著作権料を支払ってるというのはどういう話でかは分からないのだが、iTunesでの話なのかな?
えーと、ちょっと駆け足でしかもかなり端折って書いてしまったのでかなり分かりにくいかもしれません。明日以降、読みやすく書き直す可能性もあると思いますので、ご了承くださいませ。どうも最近眠くて脳が働かない……。
7Fの会場に上がるのにエレベーターを待っていたときに、久しぶりにスタレビの生の歌声を聴いた。変わらないなあ。
夜が空いてしまったという塚本さんと、田町で待ち合わせて飲みに行った。最初に考えていたところはやっぱり満席で敗退、別の路地に入り込んで「お」と感じたところに入店。店構えと、格子のガラス越しに見えるカウンターのご主人と客筋、そんなところからいけるかも、と。で、正解だった! この手の店には珍しくカウンターと作業代の段差が殆ど無いので、飲みながらにして調理の過程を見ることができる。で、これがうまいデモンストレーションになっている。おでんととりわさとその他もろもろ飲み食いして、途中で合流した3人と閉店まで店をジャックして盛り上がる。
なかなかいい店だったので、また立ち寄ってみることにするよ。あのあたりにしては珍しく日曜日もやっているということなので、何かのときに使えそうだ。
この日は、昨年末周囲を驚愕の渦に叩き込んだ、本の雑誌のMさんとSF系レビュアーのHさんの結婚パーティ。一応、SFリーグとして出席したのだが、いや、やっぱり知らない人が沢山。結構大きな会場(万国食房ディナギャン)、会場も飲み物の揃い方も食べ物も、とても満足いくものでした。その場で天麩羅揚げてるのにはびっくりした。
それなりのかっこうをするとは聞いていたのだけれど、タキシード(だったよね?)とロングドレスで入場したのにはびっくりした。しかも、外からレッドカーペットを歩いて(笑)。いかにもな見世物的演出で、大受けでした。また緊張のためか、動きがギクシャクとロボットのようだったし。しかし、双方ともすらりと背が高いから、フォーマルなかっこうがとてもお似合い。うらやましー。因みに、新婦のドレスは手持ちのものか聞いてみたら、職場の先輩(独身)のものなのだそうで。すごい!ロングドレスを持っているだなんて。
新郎側という感じで出席したものの、多分、新郎よりも新婦の方と話した時間の方が多いくらい。というのも、知識がものすごく頭の回転も早い新郎は、わたしなどが話すと時間の無駄になりそうだからなんだけど。じゃあ、他の人と話すのはいいのか、という突っ込みは甘んじて受けておく。
アメリカに留学中の人からビデオレターがあったり、新郎新婦クイズでは新郎が「味噌汁の具は一種類に決まってる!」という人だというのを初めて知ったり。それにしても、あんなにラブラブなお二人の姿を見せてもらい、なんだかいい気分になったのでした。
トヨザキさんは「みんなSFの人だから、スターウォーズのバーみたいにサイバーな空間演出だと思っていたのに、すごく普通でがっかりだ!」とコメントを述べておったが(ついでに、新郎の点数は「『文学の値打』の基準でいけば48点(←これはいい方なんですよ))」とか。いつものトヨザキファッションであった。まあ、いつもと違うファッション(フェミニンとか、ドレッシーとか……)だったらそれはそれでびっくりだ。ちなみに、SF側は殆どが普段着姿ではあるが、気を遣ったのかジャケットを羽織ってる人が多い印象。ある人曰く「オタクは、正装か超普段着かのどちらかしかないんですよ!」なんだそうで、すごく納得した。ちなみにその人は結婚式も二次会もいけるファッションで、他に、サラリーマン的なスーツ姿の人が何人かいた(笑・これが正装側か)。ちなみにわたしはこんな調子なんで周りにどう合わせていいのか悩み、普通のかっこうにフォーマルっぽいアクセサリで対応してみた。そんなに失敗はしてなかった模様。
二次会は神保町パセラの地下にあるダーツバーだったんだけど、なんか気づいたらSFの人しかいないんですが! ここはどこのSFセミナーですか、という感じだった。どうも、他に流れていかれたらしい……。まあ、盛り上がったからよしとしようか。食パン一斤を丸々使ったハニトーウェディングケーキが登場してびっくり。お相伴に預かったよ。
この日の引き出物(?)は、周囲のみんなで寄稿した「SF本の雑誌マガジン」というファンジン。なかなか凝ってて楽しめる。ラファティの翻訳も載ってたり、錚々たるメンバーのエッセイがあったりして、永久保存版ですな、これは。あ、スキャンして電子保存するためにもう1冊買えばよかったか! SFの人たちは、結婚の時にはこういったファンジン(同人誌)を出す文化があるのだそうです。わたしは初めていただきましたよ。
芝浦の沖電気の施設を借りて行われた、Wikipediaの中の人、ジンボ・ウェールズに会える機会だというので、Wikipediaなんてアカウントも取ってないし単に閲覧しているだけだというのに参加してきましたよ。
ジンボ氏は、超イケメンでした。ちょい悪オヤジ系? どうして日本に?と思っていたら、どうやら奥様が日本人と外国人とのハーフだそうで、娘を親戚に紹介したり日本の文化に触れさせたいと思ってのことなんだとか。妙に滞在日数が長いな、というのはそういうことだったそうで、4週間滞在するとのこと。
彼は、Wikipediaの顔として、「イギリスの女王や日本の天皇のような立場でいたい」と言っていたけれど、自分の特権や実権はなるたけ少なくして、みんなに自由にやって欲しいと考えているようだ。ただ、こうやって人寄せパンダのようなことをやったり、寄付のお願いをしたり、何か渉外の必要があれば喜んでやる、と。企業との関係の話では、「協力してもらうのはありがたいけど、だからといって特別に便宜を図るわけではない」と明言していて、随分とストイックな運営をしているのだなあ、という感想でした。
また、色んな組織やそこで培った技術で相互に貢献するようなことを考えているようで、そのひとつがポータルサイトとして開発中のWikiaなのだそうだ。この辺とか、普段情報を得ていない身としてはさっぱりだったのだけれど、どちらかといえば技術的なことよりは運営にかかわる質問が多かった関係で、内容が分からない、というところまでのことはなかったように思う。
前半は予め募集していた質問内容からピックアップして答えてもらう形式。休憩を挟んだ後半は、会場の参加者から質問を受け付ける形式。とても活発でした。
会が終わった後は二次会に参加。ジンボ氏も参加していて、BlogTVの取材を受けていた。ビール飲んでたよ。また、参加者との記念撮影なども気軽に引き受けており、廊下はにわか撮影会。名刺交換をした人に見せてもらったら、裏一面がジンボ氏の写真で、まるでブロマイドのよう。サービス精神が旺盛な人でした。あと、カメラを構えて会場のあちこちを撮っていたよ。
その後は解散だったので、知っている人たちと駅前の居酒屋で飲みなおした。おばちゃんたちは明らかに迷惑そうだったけど、営業してるんだからね!有効に活用しなきゃ。
今回の会の運営に携わった皆様、どうもありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
あ! yomoyomoの件を書くのをすっかり忘れてた。わたしもずーっと髪の毛さわってるのが気になって、Jimboどころではありませんでした(終わった後に指摘してみたら癖だと認識していた。禿げるぞ)。でも、2番目の項目は知らなかったなあ。わたしの角度からは見えなかったのかも(笑)。
Suica定期を使いたかったので、既にJR区間だけICカードを使用していた。このたび晴れて首都圏の私鉄・地下鉄(・一部のバス)もPASMOというICカードになったので、日曜日出かける前に不在で持ち帰られていたオートチャージPASMO入りの書留を郵便局で引き取り、磁気定期をPASMOに載せ替えようと定期券売り場の行列に並んだ。そしたら、券売機でPASMO定期への切り替えができるというのでそちらで作業。ちょっと心配だったので本当にできるのか駅員さんに聞こうと思ったのだが次々に声をかけられていてその間に自分の番が来てしまった……が、あっさりと終了(笑)。定期券メニューの中に出てくるので簡単でした。
しかし、困ったのが2枚のICカードの同居。試しにセンサーにかざしてみたところ、やっぱりエラーになったのでPASMOだけを取り出して認識させた。時間があればこれに対応した定期入れを買っているところなんだけど……。と、mixiのコミュニティで、Suicaのペンギンキャラクターで目的の商品が売ってることが分かったので、今朝途中でNEWDAYSに寄って買ってきた。快適! 片面上部に、ペンギンの顔がエンボス加工(?)でぷっくりしたのが付いている。こちらをSuica側にして、ポケットから取り出すときに分かり易いようにしよう、と決めた。
Suicaも記名式ができるようになることだし、次の定期購入時には、PASMOの方に纏めてしまおうかな。
本当は、ICカード導入に伴い駅の売店もICカード決済できるようになるのかと期待していたのだが、昨日ホームの売店で売店のお姉様たちが語っていた内容によると、まだ試験的に一部店舗のみの導入らしい。その二人の内の一人がベテランのようで「だから明日からしばらく××駅なのよー。ほら、はじめてのことだし混乱するかも知れないから」と言っていた。あー、これができると、月曜の朝「AERA」が360円か390円か、そして財布にぴったりの小銭があるか心配する必要が無くなるんだけどな。
新潮クレスト・ブックスの中でも比較的はじめの方に出たので既に新潮社の刊行リストからは消えてるんだけど、ジャイルズ・フォーデンの『スコットランドの黒い王様』が「ラストキング・オブ・スコットランド」のタイトルで映画化してたのか! 雑誌でタイトルは見てたのだけれど、全く同じではなかったので気付かなかった……。
しかし、これって版元品切れで新刊では入手困難だと思うのだけれど、一体、どうするつもりなんだろ。というか、わたしも入手はしてるけど未読だったんだ。うーん、読んでから観るか、観てから読むか。
ブックファーストの一部店舗では東急カードでの決済だと請求時に5%3
%の割引が適用されていた。実はそんなにたいした金額ではないけど、塵も積もれば何とやら。それが、4月16日よりポイント制に移行するんだそうな。うーん、どっちがいいのかなあ。まあ、ポイントをPASMOに振り替えることができるし、ポイントでの展開をしていきたい、ということなんだろうな。
税込み100円で1ポイント、なんだそう。
ところで。今朝「AERA」を読んでいたら当然のことながらPASMO導入の記事も出ていたのだが、JR東日本広報の談話の中で「エラーする」「エラーして」という言い回しをしていたのが気になった。「エラーする」ってJR用語?
今まで自分の中では「エラーする」という言葉は無くて、「エラーになる」という使い方だったので妙に印象に残ったのだった。
ちょっと前に仕事用のPCのシステム総入れ替えになりCドライブがきれいな身に生まれ変わってきた訳だが、どういう訳か商品に付いてきたCDが見つからず、接続用ドライバが無いからなあ、とスケジュールなどが共有できないままでいた。
で、今日一か八かActiveSyncをインストールしてみたところ「USBドライバをインストール中...」と出てきて、いつ「ファイルがねーよ」と怒られるかどきどきしていたら、引っかかりもせずそのまま完了してしまった。……あれ?
PC再起動したところ、無事に接続完了。各種データの同期もできてほっと一安心だったのだが、今日のスケジュールを見て愕然。
……「神童」の試写会、そうだ、今日だったよorz。同期してないとこういう風にチェックが甘くなる。仕方ない、映画公開まで泣きながら待っていることにしよう。
ああー、なんか久しぶりに本屋に来たような。
ああああ〜〜、「本の雑誌」やっぱり先日買ってたよ。すっかり勘違いしてた。どなたか近日中に会う人で欲しい方、います? 『キス&〜』は、連載で読んでいるのだがかなり深刻な展開になって驚いている。『BAROQUE』とシリアスとギャグが逆転した比率のように見える。こうやってバランスとってるのかな?
今日は、ハードカバーまで買う余裕がなかった……。明日、改めて。
そういえば、岸本佐知子特集棚の下の方に、牧眞司さんの『世界文学ワンダーランド』の特集棚が! 『エペペ』がすぐ隣に面陳されてましたよ。めでたや。さすが、外さないねえ、こういうところは。因みに、数年前にわたしが牧さんから「『エペペ』は面白いよ」とお勧めされたときはブックファーストに在庫はなかったのですよ。bk1で買って、しばらくして気が付いたら棚にあった。あまりタイミングの良くないシンクロニシティ?
ナンバー9ドリーム (新潮クレスト・ブックス)(デイヴィッド・ミッチェル/高吉 一郎)』昨晩、眠気をこらえてやっとのことで読了。分厚いだけで特別難しい内容でもないのだが、最近は寒くて身体が冬眠仕様になっているのか、寝る体制になるとすぐ意識を失ってしまうので、週末しか時間がとれなかったのだった。
夢や手記や創作や、スパイものやSFや、とにかく色んなものを盛り込んだ意欲作ではあると思う。著者はイギリス人だが舞台は日本、主人公も日本人(海外の作家が書くときは、通常どちらかが日本じゃなくなるのでとても珍しい)という異色作。それだけではなくかなりリアルな世界設計で、実際に東京に暮らしている自分から見ても、あまり違和感がない。北千住にのレンタルビデオ屋の2階に下宿し、上野の遺失物管理所で働きはじめた詠爾。屋久島から出てきたばかりで、その目的は「お父さん探し」。しかもお父さんの情報を得るにはあのパン・オプティコンの中の「大杉・小杉法律事務所」に行くしかない。しかし、なぜか妨害が次々と入り、裏に潜む陰謀を感じさせる。
読み終えて、この物語をどう考えればいいだろう、といろいろ考えた。まず、この物語全体。わたしの見立てとしては、これは詠爾が大人になる通過儀礼だったのではないかな、と。それにしては随分仕掛けもでかいが、新宿という街やそこに屹立するパン・オプティコンという高層ビルが、実にゲームっぽい。何となくだが、この物語全体が、本格的な物語に入るための準備運動に思えるのだ。あの、ゲームでよくあるでしょ。強い敵に挑まないと大事なところが突破できない仕組みになっていて、その敵と戦うために、雑魚キャラやら何やらでひたすら力や経験値などを溜め込むってヤツ。わたしはゲームやらないから何となくしか知らないんだけど。で、この物語はずーっとそれをやってるような気がしたのだ。なぜなら、何も始まらないから。 そして、今まで抱えてきたものを、解消しようとしているから。
詠爾は、11歳の時に双子の姉(これは妹だったりして表記が揺れてるんだけど、どっちが正解?)を海で亡くしている。そして、満足に育てられず双子を祖母に預けっぱなしでいたアル中の母親の存在。その上に、どこの誰か誰も教えてくれない、血の繋がった父親探し。これらの家族のいわば「トラウマ」を解消しないと次に進めない、ということなのではないか。彼は物語の最初の方で20歳になるのだが、この長大な物語自体が、彼が一人前になる過程を書いていったもの、のように見えるのだ。その証拠に、最大の目的であったお父さんに会うことはできるがそれは既に「念願の……」ではなくなっており、アレだけ夢見た彼が単なる俗物でがっかりしている。そしてその後戻る屋久島が、たった8週間の不在だったというのに違って見える(これは屋久島が変貌したというよりも自分自身が変わったと見た方が適当だろう)。
しかし、そこで引っかかるのが、あまりにも都合良くできた世界観。というのも、彼は何度も危ない目に遭いながらもすんでの所で命拾いをすることになる。そして、ピンチのところを助けてくれるのは、周囲にいる彼に協力的な人たち。アパートの大家さんだったり、街で出会ったちんぴら紛いのボンボンだったり。だから、ヤクザにつけ狙われながらも、彼はイノセントなまま、ずーっと物語を渡ってこられる訳だ。本当に成長物語であれば、もっと自分だけで悩んで苦しんで何かを獲得しなければならないと思うのだけれど、その点はかなりあっさりしていて、物語が進行する。その辺りも含めて「経験値を高めるための前哨戦」のように思えるのだ。描写もかなり漫画っぽいところが多く、アニメやゲームの主人公を脳内に登場させるとかなりいい感じだ。
だから、途中で疑問に思った「主人公自身は本当に成長しているのか」説は、とりあえず置いておくことにした。なぜなら、すべてはこれからだからだ。
作中に夢についての記述がいくつかあり、それらは「夢というものは断片であって、それをひとつひとつ繋ぎ合わせて物語のような形にしている」とか、そんなことを言っていた。その繋ぎ合わせた9つの夢がこれらであり、だとすればこれから詠爾は夢から覚めて現実の世界に向かわねばならぬ、ということなのではないか。この物語は壮大な「つくりもの」であり、奇妙なリアルさも妙な作り物臭さも、すべてはそのせいだったのかも、と。夢が入れ子になっていたりもするけど、まあ、そんなことももしかしたらあるのかも知れない。夢もまた現実と地続きであり、それが現実を推進させることもあると思う。ひとつの物語が終わり、次の大きな物語へともう踏み出しつつある詠爾。そこには、どんな世界が見えるのかな、と我々は自由に想像することになるのだろう。
村上春樹とジョン・レノンに影響を受けたとあるが、ジョン・レノンに関しては、歌詞の内容まで考えたことがなかったのでよく分からなかった。このタイトル(Number 9 Dream)も彼の歌の名前なのだそうで、このくらいはどんな歌詞か、チェックしてみようかな。そこから何かが見えてくるかも知れない。それと、村上春樹っぽいところといえば、訳者あとがきにもあったが先の大戦時に太平洋に散った大伯父らしき人の手記や、途中、ヤクザからかくまわれるときの一軒家での日々、がそうだろうか。後者はちょっとだけ、『海辺のカフカ』の図書館での生活を思い出した。やはり、小説を読んでいる人のひとつの夢として「本に囲まれて暮らす」というものがあるのだろうけれど、ここではもっとフェチ度が上がっている。隠し屋根裏部屋で、ほどよく狭いところであり、人気のないところでただひたすらに本を読む。やっぱり、こういうときにしかじっくり本と向き合う設定なんて作れないだろうな。特に、詠爾なんて普段は絶対本なんて読まなさそうだし。
ひとつだけ付け加えるとすれば。この著者はかつて8年間も広島に住み学校で教えていたのだそうで、かなり日本土着の風俗やトレンドの知識もこなれているように感じる。ただ、本当にここ数年のことを知っていたとしたら、おそらく多段階メイル発信ウィルスを仕掛ける代わりに、WinnyなどのP2Pファイル転送ソフトを使うんじゃないかな、と思うのだ。そこまでいってたら完璧すぎて気味が悪かったかな。それと、説明にあれよりも手間暇がかかりすぎるかも知れない。日本人には共通事項だが、それはあくまでローカルでのことだろうし。まあ、これはどうでもいいことだけれど。
これだけ長い物語を飽きもせず読めたということは、物語の牽引力は確かに持っていると思う。他の、もっと評判のいい作品も出版準備中ということを聞いているが、是非この印象がさめないうちに読んでおきたいので首を長くして待っていることにする。
ブックファースト渋谷店にて。
ブックファースト渋谷店2Fレジカウンターにて発見。2月20日、「まなみ組」は本上まなみさんの公認となったそうです。前回今日とマップがあったところに、「四畳半的「森見登美彦史」」。影響を受けた本についてコメントされています。後半は出版した各作品を担当編集者が語る形。愛されてますなあ。
犬神家の一族 (角川文庫―金田一耕助ファイル)(横溝 正史)』子どもの頃にちょうど横溝正史映画化ブームだったんだけど、あのおどろおどろしいコマーシャルや、日本推理小説になぜか漂っていた暗さとで、図書室の海外推理小説から国内SFの棚に移ってしまったのを今でも覚えている。そのお陰でこの本を買うときにも、間違ってずっと江戸川乱歩の棚を探しておりましたorz。「えーと、もうひとり違う名前の人がいたんだけど……」って、五十音順で全く逆の位置にあったら目が届きませんよ。
そういう訳で、横溝正史初挑戦。金田一耕助はよく「がりがり頭をかく」とあるけど、ぼりぼりならまだしもがりがりって、頭皮が傷ついてるんでは?と心配になりましたよ。それと、登場人物の名前。亡くなった財閥の総帥が犬神佐兵衛、その孫がそれぞれ佐清(すけきよ)、佐武(すけたけ)、佐智(すけとも)って、じゃあおじいちゃんの名前は「すけべえ!?」とページを戻ったら「さへえ」だった。じゃあ何でみんなは「佐」を「すけ」と読ませる命名をしてるんだよ……。
ストーリーもはっきりしてるし文章も楽に読めるので、そこそこいい進行状況ではあります。
いつの間にこんな風になっていたんだ! フリーペーパー化した「早稲田文学」だが、5月号から雑誌となって再復活。まずはめでたい。そして、いつの間にかフリーペーパーの「WB」がPDFダウンロードできるようになってる! 嬉しい!
このフリーペーパー、文学フリマで1号を貰ったっきり、どの書店でも見かけなくて手に入らなかったんだよね……。ABCにも無くて、どこに行けば入手できるのか書いて欲しいー、と思っていたのだったよ。データ化されているので劣化しないし、いつでも引き出せる。素晴らしい! 雑誌も頑張ってください!
ブックファースト渋谷店にて。
トヨザキ・メッタ斬りコーナーが新設されてました。これから出る年度版メッタ斬りとともにフェアをやるのでしょう。少し前に『百年の誤読』が「フェア用」というタグとともにワゴンに置かれてたので、おそらくやるんだろうなあ、とは思っていたのだが。
『ヒミツの花園』はドラマの漫画化。この手のはあまり買わないんだけど、なんかあのドラマは演出が悪かったんじゃないか、という2chの話の中で漫画の事が出てきて「ああ、そういえば書店にあったなぁ」と思い出したのだった。でも、どこの棚に並んでいるのか分からず、新刊コーナーには下巻しか並んでないしで、探すのに苦労したー。
今回のネタは坂口安吾の「白痴」と横溝正史『犬神家の一族』でした。知らなかった真実が見えたり、大笑いをしたりといろいろっス。前に書いたように横溝正史は今まで避けてきていて、しかしなかなかに面白いことは分かったので、他のも読んでみようかとトークでも薦められた創元推理文庫の『日本探偵小説全集/9 横溝正史』を買ってきてしまいました。
内容に関しては後日にでも。すまん!
オリオン書房ノルテ店にて。
さすがの品揃えだなあと感心。この書店で育つお子さんは幸せだ。他にも買いたいものが色々あったけど、持ちきれなくなっちゃうので今日は断念。
犬神家の一族 (角川文庫―金田一耕助ファイル)(横溝 正史)』初横溝正史。先週末に行われた日本文学ふいんき語りライヴのお題でそれに合わせて読み始めたんだけれど、いろいろ邪魔が入って結局最後まで読み終えられなかった。ちょうど三姉妹が某所へ襲撃しに行くところまで? まあでも、古い作品だし何度も映像化されてもいるから、自ずとネタばれはしてしまっている。だからある程度は誰が犯人かなどはまっさらにした状態で読んでいたのだが、これは著者の親切なのだろう、読者も自ずと分かるように絞り込まれているのよね。
最初からずーっと強く疑われていたのは先代の大恩人の孫である珠世。何せこの家では唯一の他人だし、遺言状ではずいぶん一転有利な立場になるが彼女の心までは分からないため、どこに本心があるか、で随分と変わってくる。しかし、ここまで絶世の美女と著者から称えられる彼女が犯人ということはまず考えられないだろう、とどんどん消去法でやっていく。一族の跡取り候補がどんどん殺害されていく恐怖と、その死体が奇妙な見立ての扱いを受ける不思議さが謎に包まれたまま話は進んでいく。ここで結構有利に働くのが戦争。数少ないであろう縁者が空襲で亡くなっていたり、記録が散逸して確認できなかったり。このように物語は戦後期の混乱を背景に展開する。トークでも麻野さんがおっしゃってたけど、まだ戦後が続いていた時代を見ている人しかこの雰囲気は分からないかも知れないな。街頭にいた傷痍軍人(見てないところで手足が生えてきたりもする)って、わたしも見たことがあったなあ。というか、祖父自身が南方から帰ってきた傷痍軍人でもあった(五体満足ではあったが、おそらく内臓だろうな)。
物語は、現在のミステリ小説に慣れている人からすれば随分と単純だったり強引な動機付けだったりするのではないか。突然金田一が「はっ、そうか!」と死角に気付いたりするのだけれど、大体は勘だったり大胆な推理だったり。まあ、普通の警察ではこんな無鉄砲な推理は立てられないでしょう。しかし、そこはシリーズものの主役として活躍する金田一耕助だからこその魅力が助けているのだろう。その推理に警察が易々と乗ってしまうのはなかなかにおかしい。というか、警察署長自体が「あ、分かった。つまりは××だな!」と早合点しちゃうし。短絡的過ぎます、署長。それに較べ、何か思ったことがあってもなかなか口にしない珠世。目は口ほどにものを言い、というもので、珠世はふとした瞬間にその違和感を態度で訴えたりはするのだが、奥ゆかしい性格ゆえに、それを主張できないのですわね。まあ、彼女のこの家での立場の弱さ・複雑さというのも関係しているのだろうけれど。
つまるところは財産相続を巡る親族間の争いであり、それらは普通の兄弟関係であればここまで複雑にならずに済んだだろうのに何を思ってか愛人を3人も囲い(他にもいたらしく、これがまた複雑さを増すことになる)それぞれの娘に息子が生まれたからこそ横並びとなり起きた悲劇なのだろう。しかし、スケキヨさえあんな風になってなければ、ねえ……。
歴史は浅いのに先代の専制のために血に縛られた一族の悲劇。当人たちにとってはいろいろ思うところはあるのだろうが、世間としては「こっちは今日食うものにも困ってるってのに、あっちは暢気に莫大な遺産争いなんて、羨ましいねえ」と嘆息していることだろう。
それにしても、この小説は設定の勝利と思われる。不可解な遺書を残し身罷った偉大なる家長。お互いにしのぎを削る異母姉妹。複雑なる血縁。美女と多額の財産と安定した地位を巡った争い。世間はこんなゴシップが大好き。設定が面白すぎて話がそれに引きずられた感もあるなだろうけれど、そこは金田一の魅力や講談調の地の文にうまーくごまかされてしまう。またこの誤魔化されるのが気持ちいいんだよなー。娯楽小説ってそういうもんだよな、というお手本でもあるでしょう。陰惨なのに明るい。調子に乗って金田一シリーズも載っている『日本探偵小説全集/9』まで買ってしまいました。
因みに、スケキヨ、スケタケ、スケトモと読ませるのであれば、先代はどう考えてもスケベエだよなあ、と思うのだけれど、なぜかサヘエ。うーん、惜しい(何が?)。
今週のAERAの、週替わり書評コーナーで山形さんが紹介していたもの。へぇ、こんな本があったんだ。
例の、水伝(水が言葉の意味に反応するってヤツね)をはじめとするいわゆる非科学的な言説について、嘘っぱちに決まってるでしょ、というのを説明したものらしい。初めて名前を聞いたけど、今までも科学入門書や環境関係の本をいくつも書いている人なのね。
価格もちょうど1,000円(税込み1,050円)。「そんなの当たり前でしょ」という人はもちろん、「どっちがホントかわかんないよー」という人も買って読んでみてはいかがでしょうか。
昨日は買い物時間を短くしたかったのでブックファーストではなくABC HMV渋谷店に行ったのだが、結局目的のものは全く見あたらず。昨日メモしておいた『
水はなんにも知らないよ (ディスカヴァー携書)(左巻 健男)』も結局見つからなかったなあ。『水からの伝言』とか、そっち系の本はたくさんあるのに。
しかし、ここで使えねーと言ってはいけない。
エレベーターを降りてすぐのところで特集を展開しているのが、skyfish graphixという本のインディーズレーベル。絵本や、その世界をテーマにしたオリジナル雑貨などを作って販売している。これがまた、かわいーのですよ。そんなの似合わない年だというのに、ついつい手に取ってみたくなるもんですな。
その傍らに置いてあった小さな本にふと注意が向かい、手に取ってみると外国の絵本らしい。うーん、言葉分からなくても大丈夫かなあ、と少し躊躇したのだけれど、中を覗くと言葉が一個もない。おお、これなら分かるかも、と、最初は途中から、ちょっと分からなくて結局最初から読み直して、それでも全部理解できている自信が無かった。でも、なんか気になる。面白い。これのリーフレットもあったので貰ってきてみたのだけれど、「フランスのプティ・エディションシリーズ1のひとつだったようだ。* les oiseaux de passage *の本らしい。わたしが手に取ったのは、Renaud Perrinの"Repassage"。おじさんの着ぐるみを脱ぎ着する女性、というシチュエーションに惹かれた。リーフレットやウェブショップでの作品解説によると、ここは男しかいない世界らしい。なぜそこに彼女が住んでいるかは謎だが、そのためにおじさんの着ぐるみを着ているという訳。そしてなぜか掃除機に吸い込まれると、そこは着ぐるみの世界。いわゆる、バンドデシネというジャンルのものですね。フランスにはひとつだけ、イラストやバンドデシネを専門的に教えるストラスブール装飾美術学校というところがあり、このルノー・ペランをはじめとするこのレーベルの執筆陣にはここの出身のアーティストがいるようだ。
おおー、なんか面白い。でも、全部は買えないなー。選べるかなあ。全部欲しくなってくる。
夫と待ち合わせて、比較的自宅に近い小料理屋へ。店に入った途端、ママが「久しぶりー」と大歓待してくれた。個人的には、その後ににっこりと声かけてくれた「おかえり」の方がツボ。記憶をたどると去年の花火大会以来だから、かれこれ半年振り。にもかかわらずこうやってにっこり迎えてくれてるのがありがたい。
若狭井の鯖街道(日本酒)や、普段は頼まない刺身の盛り合わせなどを頼んだこともあって、なかなかのお値段。でも、刺身の盛り合わせの中でも石鯛が最高にうまくて悶絶した。甘くて、歯ごたえがあって、それでいてふんわりと柔らかい。いかも、げその部分をほんの少し炙ってあって、その歯ごたえと身の柔らかさのコントラストがこれまた……。もちろん、〆にはへしこの茶漬け。鯖の脂身が出汁の中に溶け出して、これがまた複雑な味わいを見せるのですよ。ああー、幸せ。また近いうちに来ることを約束し、辞去。
ブックファースト某店にて。
ディープ過ぎるのは無いけど、それでもそこそこ揃っているところがすごい。
今週になって読み始めた。身近なものに関するうんちくと、時に歴史上の人物や小説の登場人物などに材を取った話題というのは大好きな筈なんだけれど、いまひとつ乗れず。ひとつには、図版がとても少ないというところにあると思う。過去に写真を見たことがある人でも、その人の胸元がどうなっていたか、などほとんど分からないので、目の前にPCがあるときは、Wikipediaやあちこちのウェブサイトを引いて確認している状態。素人相手にこれはあまりにも不親切なのではないかと思うのですよ。いくら丁寧に文章で説明したところで、百聞は一見に如かずと申しますでしょ? ふんだんに図版を盛り込んで欲しかった。
まあ、とはいえ、大胆な推察に一部踏み込んでいるところなどは今後本を読むに当たっても有用なように思われる。たとえば、チャンドラーの作品に服装についての言及が多いのはその身分や経済状態などを表すためでもあったのか、など。言われてみれば当然だしいくつかは気付くところなのだけれど、たとえば「クラブ・タイ*1」と言われてそれがどのような意味を持つのか、までは違う文化圏に育っていると、なかなか分からなかったりするのですよ。
因みに、わたしはスーツ姿の男性の場合、やはり最初にタイを見てしまいますね。あまりセンスの無いものだとすぐに忘れますけど、「お」と注目するような洒落たものであればずっと余韻が残るかも。この本では女性はネクタイを結べないとあったけれど、そうかなあ。少なくともわたしは、プレーンノットくらいであれば結べるぞ。人に結んであげたこともあるし。父はあまりネクタイをしなかったけれど、するときは必ず自分でするのを覚えてるので、テレビで奥さんにして貰うシーンなどがあると「この人、こだわりがないのかしら」と疑問に思ってしまう。
*1 出身校のオリジナル・タイをわざとぼかしてこう言うらしい
ブックファースト渋谷店にて。
ハードカバーのみの購入。
最近はあちこちの出版社や書店でもRSSフィードを作ってくれて助かってるのだけれど、河出はその中でもかなり早かった。しかし、以前に「でもあんまり使えないよねー」なんて言っていたのだけれど、ふと気が付くと、著者名とISBNがフィード内に入っているみたい。以前がどうだったか覚えてないので単に気付いてなかっただけかも知れないけれど、ほんの少し進化してる? 気付いたのが今頃でごめん……。
しかし、creatorのエントリにその本の著者名が入るのは、果たして論理的に正しいのかどうか今ひとつ不明だけれど、まあ、とりあえず一歩前進ということで。
あとがきのみ未読だったので、今朝読了。
ん〜、やっぱり半端な本だったなあ。これに写真や図版をコラージュして、自分なりのネクタイうんちく本を作りたくなってきた!
元はスカーフっぽいものから来てるんだろうとは思ってはいたけど、たかだか上半身の真ん前に垂れ下がる布一枚に色んなドラマがあるもんですな。確かに、これ一枚で社会的に信用に足る人間なのですよ、という表示ができるのだとしたらお安いものかも知れないし、そういうシンボルとしてのネクタイに抵抗を示したい人は、たとえば藤田嗣治や、ボウ・ブラムメルのネクタイ・デザイナーとなったラルフ・ローレンのような選択をするのかも知れない。
少なくとも、今後小説(特に、19〜20世紀の)を読むときには、服装の表現に少し注意を払おうと思ったことでしたよ。ちょうど『ロング・グッドバイ』も出たことだしね。
こんなに余裕を持って到着したのははじめてかも。電車だと大回りになるので、とても時間がかかるのだ。異色作家短篇集は全巻買っているけど、まだ読めていないorz。今日の昼間に最終巻を持ち歩いていくつか読んだんだけど、いきなりここから読む人もいないもんだね。でも、マコーマックも入っているし、この巻は早めに読んで、他のオリジナルアンソロジーもなるべく早めに堪能したいと思っている。
この日のトークショーは、本当に短編小説に特化した濃い時間だった。そもそもの若島さんと小鷹さんとの出会いも、短編小説を通してのことだったそうだ。普段はミステリの翻訳やハードボイルドの研究をしている小鷹さんが、なぜか2年間だけ短編小説を読みまくっていた時期があったという。それを元にしてミステリ・マガジンに連載をしていたのだが、そこでの企画が「架空のオリジナル・アンソロジーを作る」というものだったのだ。
「新・パパイラスの舟」というのがそれらしいのだが、どうやら海外小説(英語圏?)の架空アンソロジーを編まれていたそうだ。ああ、こういうのが大好きな人だったら誰だってやりそうだし、実際、何度かそういう記述を見かけたことがある。そこで紹介されていた小説がきっかけで、今回のアンソロジーに盛り込んだものもあるのだということ。若島さんにとっては、海外短編小説の父、みたいな存在なのですね。
意外だったのが、若島さんは実は小説は全く読まず、しかも英語が苦手だったということ。それが、大学に入ってからの授業で英語小説を一冊読み切る機会があって、はじめて最後まで読めたことに自信を持ったのだそうだ。そこで丸善(今は亡き河原町の店舗だそうです)の洋書売り場の蔵書をざっと眺め「これで個々にある本を全部読めるんだ!」と思ったのだとか。普通、一冊読めたからといってそんなことは思わないのでしょうが、さすがは若島さん。そして、実際にご自分で読み、他の人に翻訳・紹介するまでの人になってしまうのだから、素晴らしい話だなあ、と思いました。勿論、若島さんがそれだけの傑物である、という証左でもありましょう。小鷹さんのエッセイには、英語や言葉についての話題も多く、とても参考になったのだとか。
小鷹さんは「私はコレクターではないんだけど」と言いつつ古い雑誌を嬉しそうに柿渋色の幌カバンから取り出してみるところで笑ってしまった。古い雑誌やペイパーバックの書影は別途スキャンした画像を見せてくださったのだけれど、こうやって整理してあるのがすごい!
小鷹さんが表紙イラストネタで自ら発見した事実を披露すれば、若島さんはイーリイの短篇「グルメハント」の解釈を披露。そこから、短編小説の神髄に話を持っていくというトークショー愛好家をうならせる技を披露してくださり、思わず「うまいっ」と手を打ってしまった。
小鷹さんは、この話に出てきた「新・パパイラスの舟」を刊行する運びとなり、現在準備中とのことで喜ばしい。三分冊だというが、いろいろ書き加えたりもしたいということ。そのほかにもいろいろと刊行予定が語られ、その充実ぶりに一同ため息。
開始前の様子からして知人率が高そうな会場であったが(会話があちこちでされててにぎやかだから分かる)、やっぱり半数ほどがそういう感じだったようだ。多分、私みたいに知識が少ないものはほとんどいなかったろう。後で聞いたら、会場内で売っていた異色作家短篇集が意外に売れたらしい。会場に来る人なら既に買っているかと思ったが、もしかしたら小鷹さん目当てで来た人がてっきりハードボイルドの話かと思ったら短編小説話だった、ということだったのではないか、なんて話を。
もはや恒例となった感のある、SF愛好家近辺での花見を砧公園で行った。ここはとても広いので場所取りの必要が無いのが嬉しい。時間かっきりくらいに到着してみると、ほそいさんしかいない。どうしたことかと少し遅れてやってきた幹事のおおたさんに確認して貰ったら、既に早めに来た人たちとで買い出しをして現地に向かった(もしくは既に落ち着いている)らしい! なんですとー!
色んな人が色んなものを持ち寄り、毎度ながらおなかがいっぱい。わたしは作る余裕が無い(というより、買い物ができなかった)ので、出がけに買ったバゲットを適当に切って中にスライスチーズとハムを挟んだ即席サンドを作成。まあ、パンのお陰だろうがなかなか評判良かったのでそれはそれでよしとしよう。
日頃の行いが良かったのか、途中から雨が降ると言われていたにもかかわらず最後まで無事に過ごせて何より。めっぽう強いお酒があちこち行き来していたのはすげー。わたしもアブサン飲んだよー。
幹事のおおたさん、おいしいものを持ち寄ってきてくれたみなさま、ありがとうございました。yama-gatさんの豚の角煮にはすっかり騙されたよ。「へえ、こんな手の込んだもの作るんだー」と感心してたら、買ってきたものをタッパーに移したんだって! 狙ったとおり騙されてやりましたよ、ええ。
_ yukio [●著作人格権侵害は,刑事罰があります. ●著作者が死んでも一定の遺族は著作者人格権侵害と同等の行為に対して差し止め請..]
_ にじむ [yukioさん、ご指摘ありがとうございます。後ほど調べた上で訂正をさせていただきますね。]