この週末はHDDをとにかく空きを作ろうと、録画しっぱなしだった「アットホーム・ダディ」を視聴。見た端からDVDに焼いてみた。感じが、「結婚できない男」に似てるなあと思ってたんだけど、制作陣もほぼ同じなんだね。こちらは結婚している分偏屈ぶりは下がるような気がするけど、プライドの高さと現状の落差でそれを埋めている。阿部寛はホントにこういう役がはまるなあ。ディテイルもかなり丁寧で、物語全体がそのお陰で説得力が増す。ついでに、これを録画する前に録っていたスペシャル番組(中島知子が出産する回)も見ることができた。こちらは、結局ピンチヒッターの講演、失敗してるじゃん!と思ったけど、会場は感動の渦だったという話になっていたけど、いまひとつそうは思えなかったなあ。わたしははらはらしてたぞ。
土曜日の新ドラマ「ライフ」は高校が舞台なのだが、何でみんなあんなにすぐに死のうとするんだ? いくらなんでも志望校に入れなかったからとか失恋したからって、過激すぎるだろ。少女漫画が原作らしいけど、こういう過激な行動を取るのも話にインパクトを出すためなのかなあ、とは思った。というか、あれほど「もう友達は要らない」と周囲を見てもなかった主人公が、魅力的な子に「友達になろう」って言われてすぐOKするか? まあ、いじめとそれに戦いを挑む話のようなので、今後の話の展開次第ではあるかなあ。
「パパと娘の七日間」は、舘ひろしの女子高生演技がキモかわいい。女子高生が社会人にって現実味無いけど、会社用語が結構あるもんだね、と思った。うん、確かに最初はそうだったんだけど。新垣結衣は、手足が長くてしなやかで、きれいだなあ。カメラも、それを強調している雰囲気ではあった(ちょっといやらしい?)。お母さん役の麻生祐未も相変わらずきれい。天然のお母さん役が板に付いていた。今後も楽しみだけれど、これって原作があるんだよね。『
パパとムスメの7日間(五十嵐 貴久)』がそう。この手の入れ替わりものっていえば『おれがあいつであいつがおれで』なんだけれど、ここでもネタで出てくる(階段落ち)。ただ、入れ替わりに気付いて空が双方殆ど葛藤らしき葛藤が見られなかったのが不満。あんなに早く状況を把握し、納得することってできるかー?
あらかた先週末に読み終えていたのだけれど、最後の最後まで読んだのは今さっき。ふーむ、まさにこういう話だったんだなあ。タイトルどおり。
文章の作り方がうまいなあ、と思う。直截的なフレーズをいかにすればこのようなこなれた文章になるのか。単語の選択には首をかしげることがあったけれど、文章が魅力的だとさほどの瑕疵にならない。
センチメンタルな要素が漂っているぶっ飛びSF。SFっていっても、SFのガジェットを使った一般小説との差がかなり縮まっている感触があり、どちら側からのアプローチでも面白いのではないか。カルヴィーノっぽい雰囲気とご本人に言った(ご本人は意識してなかったそう)通りなんだけど、奇想をセンチ&バカの方に持ってくるとこうなるのかー、ということでございました。
えーと、読書会のために、二巡目にかからなければ。
最近、同じ職場の人が香水を変えたらしい。というか、以前は付けてなかったのにいつの間に。しかも、その香りがわたしがとても苦手なタイプのもので、喉が痛くなる寸前までいく。これがもっと強い香りだと実際痛くなるんだよな。
しかし、折角変えた香水、どう言っていいか分からず、それでも名前だけは聞いておこうと思い切って話しかけた。そしたら、香水なんてつけてないという。あ、あれ? おかしいなあ。毎日のように同じ香りがしてるんだけど。座席の後ろを通っただけでもふっと匂う。そうしたら「あ、柔軟剤かなあ」と言うのだ。へ? 柔軟剤?
で、昨日録画したテレビ番組を見てたときに、いつもは飛ばすCMを何とはなしに見ていて気付いた。あ、あの香りってレノアだ! そういえばわたしもこれは発売当時買っていた。普通の柔軟剤は不透明な液体なのにこれは透明で可愛らしい。しばらく使っていたのだが、この香りが自分の苦手なものだと気付いて止めたことがあった(今はハミングを使っている)。あー、あの匂いかー。正体は分かった。
しかし、だからといってこの柔軟剤を止めてくれと言ってもいいものかどうか。まあ、好みで付けている香水じゃなかっただけ言いやすくはあるのだけれど(趣味の問題ではなくなるから)、こんなものに反応している自分がちょっと嫌だったり。他の人はあれをいい香りだと思うのかなあ。わたしにとっては柑橘類の表面に塗られたワックスとか、かびくさいようなそんな香りに思えるのだけれど。
ブックファースト渋谷店にて。
ハードカバーで力尽きてしまった。もう7月ですねえ。
ブックファースト渋谷店で7月に入ってから文化系トークラジオLifeの特集棚を持っている。一体どこでやってるのかとぐるぐる回ってみたけど見当たらない。もしやと表通りに面した特等席を見てみたら、そこ全面に展示されていた。出演者らがお勧めする本の数々と彼らの著書が並んでいる。傍らでは実際の番組を録音したものも小さな音で流していて、そんなのを聴くこともできる。
展示をずらずらーっと見ていてふと気が付いたのだが、小林信也の『
カツラーの秘密(小林 信也)』がある(笑)!! 誰だよ、これ挙げてるの、とパンフレットを見てみたところ、津田大介さんであることが分かった……。週末に気付いていればこの話ができたのに(無理です)! この本、出た当時はまだ表紙がイラストで、多分その効果(?)を確かめて貰うのに写真のものに変えたのだと思うのだけれど、当時、あまりにも面白くて著者の小林さんにメイルしてしまったことがあった。カツラーの目でも「これはちょっと」といったかぶり物の人が多い話とか(とくに故パンチョさんとか!)、本人の体験談など。髪の毛が寂しくなってきて、しかしご本人はスポーツライターなので動かない訳にもいかずいろいろ悩んだのだそうで、それらの体験記としても興味深く読める、というか、この本の趣旨はそこなんだろうな。いろいろと涙ぐましい努力をされているのだなあ、と思ったものだった。
通勤途中に、今でも結構な確率でかぶり物の人を発見する。いかにも不自然な光への反射が、朝日の中だと特に目立つのかも。夜、鳥良でエアコンの風にそよともしない髪形の人もいたしね!
実は結婚してからラジオを聴く生活ではなくて、この番組も一度も聴いてないんだけど、そのうちそういう習慣にしたいんだよなあ。
クリップしようとウェブページは開いてたのだけれど、そのまま放っておいたら既に1回目の放送は終わっていたorz。小川洋子が本の案内をして、それに因んだ音楽も紹介するという趣旨の番組だそうだ。第1回は夏目漱石の『こころ』。こちらはTOKYO FM。そのうち、聴いてみよう。
昨晩書店で入手したこれを読んだ。帰りの電車の中で小路幸也の書き下ろし短篇「Brother Sun」を一気に。三人姉妹の次女の語り口が生き生きとしていて、清々しい気分になれました。この人の作品は、家族ものでもちょっと歪な形をしているものが多いように思われるけど、どうなんだろ。お父さんの留守中に訪ねてきたお父さんの兄の話なのだけれど、彼らが没交渉となった裏には何かがあるらしい、が、それはここでは明かされていない。これは今後改めて書かれるものなのかどうか分からないのだが、本編があってもおかしくない作りになっていると思う。そのほか何人かが連載小説を掲載している(勿論、どれも第1回)。
連載ショートショートらしい。心が離れている夫婦の話。妻が語る中で少しずつそれは明らかになってくるのだが、ラストの処理がいまひとつぴんと来ない。前半は結構良かったな。離籍している間に夫が自分のカバンを漁っているのを見て声を荒げてしまうところとか、変えたばかりの携帯の色も覚えてない辺りでこの二人の心のすれ違いは決定的になっている。夫婦って、結婚した当時はお互いに好きで、それはこのまま一生変わらないと思っているだろうものなのにね。
戦中に学校教育を受けた親が出る辺りで「おや」と気が付くが、これは40年代初頭くらいのお話なのかな。東京オリンピックで街並みが変わったとあるので、そのくらいだと思う。私立女子中学に通う主人公の心模様。読書が好きだけれど日本のものが読めないとか、クラスメイトには馴染めないとか、そういう人たちに無理して合わせるのだったら一人でいた方がいい、とか、なんつーか、その頃の女子が考えそうな程度のイタさがある。ちょっぴり自意識過剰な。まあ、自分だってそうだったからこそ余計にそこを感じてしまうのだけれど、一体、この著者はどこまでそれに意識的なのかは気になるところ。
就職活動中の女子大生が主人公。しかし、今って就職活動は三年生から始めると聞いたことがあるけど、この人は内定が貰えないから四年生まで引きずってるということなのかな。所属している陶芸部に新しく入ってきた新入生穂先とそれを巡る部員達のあれこれ。そこに、ニューヨークに留学中の、離日する寸前に花菜に告白してきた日暮くんについての噂。そしてなんと、この花菜は、心がうきうきすると身体までうきうきしてしまうのだという。といっても10センチ程度なのだけれど、こんな能力、邪魔なだけだよなあ。とぼけた味わいで、軽い気分で読める。中高生のときにこんな雰囲気の小説は読んでいたなあ。
そのほか、漫画や読書エッセイなどを一通り読んでみた。特集の宮部みゆきと山本弘対談はまだだけれど、日下三蔵による「SF作家としての宮部みゆき」は読んだ。宮部の仕事を振り返るにも、これはいいかも知れない。あと、三浦しをんの連載小説「神去なあなあ日常」は、読み始めたところ。
掲載している作品などを読んだ印象では、他のPR誌よりもよりライトな感触。未成年が読んでもそれなりに面白いのではないかな。
何となくクリニークをやめにしてしまったので、代わりの基礎化粧品を探していた。見つかるまではこれでいいや、とヘチマコロンに石けん洗顔をしていたのだけれど、ある日amazon.co.jpで化粧品も扱い始めたことを思いだし、ちょいちょいとブラウジング。その中でいくつか気になったものがあって、その中でも、草花木果のものが気にかかる。その場でトライアルセットを、とも思ったのだけれど、自サイトを持っているとすればそちらから買った方が、いろいろといいかも、とゆずのトライアルキットを買ってみた。
石けんは、半透明タイプ。なんだか昔の女性用洗顔石けんを想起させる。香りはほのかにゆずが漂う程度で、しかも泡立ちがもっこもこ。正直期待していなかっただけにこれには大喜びだった。
トライアルキットを粗方使い終わってから、比較するのにマツキヨで、フィルナチュラントのしっとり用トライアルキットを購入。こちらもそろそろ終わる頃で、そんなときに草花木果の夏用お手入れトライアルセットが出たのでまたもやこちらに舞い戻ってきた。これでしばらく様子を見るつもり。洗顔がミルクウォッシュって粉だと勘違いしてたけど、とろみのあるジェル状のものだった。こちらも手のひらだけでもこもこの泡が。びっくりしたー。
どちらがいいのかは分からないけど、フィルナチュラントはちょっとお値段が高いらしく、使い続けていくのに無理が来るかも知れない。対して草花木果はさほどではない。その代わり、保存料を用いてないので、買い置きとかは厳禁。ここの通販、受注メールは来るのだけれど、その後の発送しましたメールが無いんだよね。それって今のECの流れだとあって当然のような気がするのだけれど、一体どうなっているのだろうか。
これが終わったら、昼間は夏用お手入れ、夜はゆずシリーズを買ってみようかな。
それと、ファンデーションをどうするかだ。@cosmeなどでちまちま見繕ってみるかな。ここ、いつの間にか肌の状態+年代でレビュー絞り込みができるようになってるのね。これからはこーいうのが必要かも知れない。悲しいけど。
因みに、何故かバカ高い化粧品を使っていた頃よりも肌は良好だ。以前は汗ばむ季節でも週1回程度パックしないと部分的にかさついたりしていたのだが、今は全般的に潤っているし、肌が柔らかくなった感じさえある。まあ、当社比なので、会った人はじろじろ見ないように。
ブックファースト渋谷店にて。
今回は珍しく、直木賞候補でも手持ちの本があるなあ(積読のところがミソ)。芥川賞候補の掲載誌も結構買ってあるので、暇を見つけて読んでみたい。というか、円城塔の「オブ・ザ・ベースボール」はすぐにでも読むつもりで待機中なのだけれど。
今回は、特に芥川賞はかなりアヴァンギャルドな選定。こういうのって揺れ戻しの波があるらしく、異端の後は保守に流れ、その後にまた異端、と繰り返しているものらしい。ひとつ前だと吉村萬壱の「クチュクチュバーン」とかがそうなんだろうな。
恒例の、文学賞メッタ斬りコンビによる予想対談は、パルコ出版のサイトの方に移転し、今は準備編といったところ。他の方からもツッコミがあったけど、芥川賞候補、確かに著者名が入ってないよ! というか、目次の付け方もおかしいな。
何故か、芥川賞候補紹介のところもレース予想のページにリンクしていて、直木賞候補のところが芥川賞候補紹介のページへのリンクになってしまっている。ペーストミスって感じかな? まあ、ページ下のナビゲータで他のページに行けるからさほど困らないのだけれど。
昨日買ってきたばかりなんだけど、何となく手が伸びて読んでます。まあ、さっさと読み終えるつもり。
ひろゆきの目から見た2ちゃんねるとインターネット、Web2.0ってところだろうか。結構率直に語っていて、なんか仲間内で話しているようなことも被ったりして頷ける部分も多い。経営者だけあって、上場などの話もシビアで的を射ているように見える面も多いなと思います。
近辺に住む女ばかり3人で、地元で飲み会。しかし、会議が長引いて遅刻決定となってしまったため、恐縮しつつひとりに連絡。しかし、わたし以外の二人は、双方に会ったことがないのだ。そりゃ、この二人を引き合わせたら面白かろうとわたしが画策したからなのだが、そんなときに遅刻だなんてホントに申し訳ない。何とか10分遅れくらいで店に着いたら、二人ともすっかり打ち解けた様子だったのでホッとした。
食べ物がとてもおいしいところで、さらりと作ってあるのにめちゃくちゃうまい。ここは今回のうちのひとりに教えて貰った店で、噂に違わぬ味に驚いたものだった。色んなお酒は置いてあるのだけれど、どうしてもワインの方が合いそうなので、今回もそちらを注文。いやはや、楽しい話においしいお酒と料理、贅沢な時間を過ごせました。気が付いたら日付が変わってる! いやー、帰りを気にせず飲めるのもまた、地元飲みの醍醐味なのでございました。
ふーむ、ひろゆきは、インターネットはこれ以上基本的なところは変わらないし、明るい未来なんて開けない、という立場なのだね。この辺は佐々木俊尚さんとの対談で結構分析されていて、ポジティブ側は梅田望夫、ネガティブ側はひろゆき、ということになってしまったようだ。現実を見て、だからひろゆきは案外地道に思考し、行動しているように見えるのだ。「向上しないこと」って楽かも知れないけど、やっぱりその状態を維持するにはそれなりの努力は要るものだとは思う。
結構頷けることも多いが、それに紛れて「へ?」というようなことも入っているので、騙されないようにしなきゃ。というか、PHSはまだ消えてないですから!
技術者を対象に、Winny裁判に関する意見書を募集しているとのこと。今回のような判決が出ると、技術者は実際萎縮してしまうものなのか、などなど。7月末までだそうです。
URIがエスケープされているのを見て「あれ」とよくよく見てみれば、これってCMSとしてHikiを使われてるんですね。
今読んでいるひろゆき本でもWinny裁判の話は出てくるんだけど。確かに、彼を拘束していることで国の機密がどんどん流出している事実を、お役所の方々はどう考えているんでしょうかね。それにしても連日のファイル共有ソフトによる情報流出騒ぎ。どんだけ君らはWinny(やそれに代わるもの)が好きなんだ! と呆れてしまいますよ。そして、仕事の持ち帰りをする人がどれだけ多いかということも。もう少し、データの持ち出しやらインストールするソフトウエアの制限方法とか、真剣に考えなきゃならないんじゃないですかねえ。遅きに失している訳ですが。
既に二番館扱いになっているこの映画をわざわざ見に行ったのは酔狂な女子8人と男子1人。わたしは前日の朝まで飲み会が祟って二度根してしまったためにぎりぎりの入場。既に予告編が始まっていたのでした。ヌルい感じの予告編ラインナップ。そんな矢先に唐突にニューヨークの夜の風景が映し出され、それが車の中からのものだと分かる。そして、タイトル……。えーと、何故タイトルをこんなのにしたんだろう。ウェブサイトのものでいいじゃないか。モノトーンの画面の中でただひとつ色を持っているサックス。その持ち主は、田村正和演じるところの阿川明。
えーと、以下、心の中で突っ込んでいてその後みんなで話し合ったこと等々を。既に上映は終わっているところが多いので、ネタバレ上等で書いてます。
だ、駄目だ。ツッコミどころがありすぎて、書ききれない。そのうち、書きたいと思ったところを追加するかも。全体的に
こんなものではないのだけれど、いやはや、驚愕するほどの普通に駄目なラブストーリーでございました。しかし、ぼーっと流してみていればそれなりに感動するポイントもあるのかも知れず、映画館から出てきた若い女子の中には目を真っ赤に潤ませている人もいたのですよ! 後でみんなに言ったら疑われたけどな! 失笑が漏れていたのは我々の一角だけでございました。
原作を読んだ人の話では、伏線の張り方みたいのは、Yoshiのせいじゃないみたいですね。もっと普通だったとか。Yoshiも成長したと言うべきか、映画スタッフの方が駄目な人だったというべきか。これってわざわざマサカズをスクリーンに引っ張ってくる意味があったのかね? 二時間ドラマで良かったんじゃないだろか。
いや、単に映画の後に歌舞伎町の焼き肉屋に行っただけなんですが。それにしても、この辺りってホストクラブばっかりなのね。あまりの物珍しさにホストの顔写真をまじまじと眺める面々。「何だ、こんなお笑い担当もいるんだね」と言ったところそれはおなべバーだと気づき、ということはそこにいるおっさんも元は女か!ということに驚愕。道ばたには、下っ端のホストなのかなあ、というお兄ちゃんが地べたに座り込んでいました。
焼き肉の間中はずっとマサカズ映画話。途中マサカズ好きから「あれは明です! マサカズじゃありません」と泣きが入る。「えーと、娘の名前って佐和だっけ。……もしかして阿川佐和子!?」「もしかして、阿川佐和子を結婚させるための企画*1なんではっ」とか、Yoshiの原作本『
LAST LOVE(Yoshi)』を回し読みしながら、三点リーダとダッシュの使いすぎについてあれこれ。それと、装丁が鈴木成一事務所であることに驚き、また、表紙は二色刷りの箔押しだけなのに、巻末のYoshiの顔写真を掲載するだけで4色+特色になっている可能性が高い、という職業編集者の人たちの指摘。有意義でした。
その後河岸を変えつつ色んな話をして、今後もこのような「しょーもない」映画や何やらを見る会を続けることとなった。名前は「ちょっとどうなんですか学会」、ちょ学会とする。変なものを愛でた後は皆でまた肉を食らう、ということで。わたしともうひとりのAさんは記録係を拝命しました。
あー、面白かった。
*1 小説では、佐和が結婚するところで終わるらしいです
午前中のうちに出ましたね。今回は前田司郎、川上美映子、柴崎友香。で、内容なんだけど、よく考えたら読まないうちにこっち読んじゃ駄目なんじゃない!? しかし、今回の柴崎受賞はない、という大森さんの話には「おお、さすがフィクサー体質」と感心(?)しました。
とりあえず、今週ちょっとは読まなきゃな。
既に取り替え用パッケージも3つ目を使い切り、だいぶ慣れてきた感のある石けんシャンプー。しかし、この週末にシャンプーを切らしてしまい、仕方なく余っていた普通のシャンプーを使ったのだけれど、その後の始末のしやすさに愕然。そうか、あんなに出掛ける前の準備が大変になったのは、髪の毛が伸びたとかそういうことではなかったんだ。
うーん、どうしようかなあ。またしばらく普通のシャンプーを使ってみようかなあ。悩むところだ。ちょうど石けんシャンプー用のリンスの方もパックを入れ替えたばかりなんだよなあ。しかし、しばらく石けんシャンプーなんぞ使っていると、普通に売ってるシャンプーの香料がきつすぎて参る。だから今までモッズヘアだったんだけど、ここもブランドだけ継続してるけどメーカーが変わって別物になっちゃってるしなー。受難の時代です。
青山ブックセンター六本木店にて。
en-taxi No.18 (SUMMER 2007) (ODAIBA MOOK)(柳 美里)」
日経おとなの OFF (オフ) 2007年 08月号 [雑誌]」「日経おとなのOFF」は、大森さんやこの店のカリスマ書店員が本について対談(激論?)している。「文藝」が置いてなかったけど、もしかして売り切れちゃったのかな?
ひろゆきはラディカルであるようで、結構肌で感じた正論を言う人だと思う。その正論が身も蓋もない(まあ、かばう理由が無いからだが)からビビる人がいるだけで。ただ、本人も認識しているように悲観主義者だから、何事につけても消極的で投げやりに見えがちだ。そこが、「大人」からは嫌われるところなんだろうなあ。
あとがきでいきなりゴーストライターがいることをばらしてしまっているのだが、まあ、大体の骨子は固めてあったのだろうと思う。対談部分はだいぶ「言ってもないことを言った」風に修正されてしまったらしいけれど。対談も二本あるが、中間に入る佐々木俊尚さんとの話は、さすがジャーナリストだけあってだいぶ普通の内容だ。そして、若者の身勝手を諭すような部分もあったりして、年長の読者には安心できる内容になっている(?)と思われる。逆に小飼さんとの対談はすさまじいスピードで斜め上へと突進しており、小飼さんのパワーを見せつけられた感じがした。この二人だったらどこまででも行っちゃうんじゃないか、と。むしろ、ひろゆきよりも小飼さんの方がびっくりさせる人だ。話も、ひろゆきと平行線を辿る見解のものも少なくなく、しかもどちらも歩み寄りをあまり見せないのも凄い(笑)。まあ、それぞれに認める/認められているという認識があると、そうであっても気まずくはならないものだなあ、と。
対談以外の部分は、昨今のネット事情についてのひろゆき的見解が述べられている。大方我々や周囲も(多分)似たような考えを持っており(ここまでラディカルではないが)、いわゆるネットの住民も近いところにいる人も多いのではないか。ただひろゆきは会社経営者としての一面も持っており、また株運用なんかもやっているので、さすがそういったところは市井の者よりは俯瞰的に、そしてより具体的に語る目を持っているように思えた。
ただ、
小飼 Perlのバージョンは今が5.8.8で、'07年に5.1.0が出る。(p.220)
ってあるけど、これって6.1.0の間違いだよね? このままではダウングレードしちゃうよ。あともうひとつあったんだけど、どこだったか忘れてしまったよ(付箋が切れてしまっていた)。後で見つけたら書いておく。
ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)(姫野 カオルコ)』久々の姫野カオルコ。いきなり出てくるのは、小学二年生女子達のいじめ場面。グループ二番手の子が同じグループの子をひとりスケープゴートにして、私刑を加えている。ところが、そのうちのひとりは「ばからしい」と言ってその場を去ってしまうのだ。これが、この物語の主人公らしい森本隼子(じゅんこ)。
あー、女の子ってこのくらいのときから既にこういう人間関係ってあったよなあ。わたしの経験はこれほどすさまじくはなかったけど、クラスの女番長が二人して、お互いに仲間を取り合っている状態だった。1年生の春に転校してきたわたしは、その餌食になりかけたことがある。そのときにたすけてくれた子とはいまだに親友なのだが(あー、でも、人生的には随分遠くまで来ちゃったもんだなあ)。こういった、あるひとりのシンボルとその取り巻き、特に彼/彼女を盛りたてる参謀的な存在って、何故かいたね。でもって、彼/彼女らって、自分の充たされない気持ちを崇める誰かのために、と理由をつけてだと大胆に行動できるんだよね。とても卑怯だと思うのだけれど、自分も似たようなことをどこかでやっているのかなあ。
ゴーレム 100 (未来の文学)(アルフレッド ベスター/Alfred Bester/渡辺 佐智江)』いや、実際はもう1週間以上読んでいるのだけれど、いつもすぐに寝入ってしまい、全然進まなかった。昨晩やっと1章(?)の最後まで辿り着き、楽譜がどう使われているのかを知った次第。わー、こうなるのか! リハーサル、本番。本番でゴーレム降臨。それが楽譜で分かる仕掛け。蜜蜂レディの女子8人の会話が楽しい。
すっかり気を抜いていて、円城さんのエントリで気付いた。
円城塔のところで大森さんが話している、「アサッテの人」とキャラが被るから二次選考で落とされたという話はわたしもどこかから聞いた気がします。……辿ると情報元は一緒だったりしてね。こっちも読んでみたいなー。「オフ・ザ・ベースボール」を『
Self‐Reference ENGINE (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)(円城 塔)』の「20分の1の力で書いた」というのは、何となくこの本がプロローグとエピローグを入れて20編だから、そのくらいに薄めた感じ、ということかなー、と思ってました。結局まだ読んでないので、読書会の準備のためも考えて明日か明後日には読む予定ではあります。
雑誌は入手済みなので、今週末に時間があれば何とか読んでみたいなあ。
それにしても芥川賞選考会予想のまとめで言われてるとおり、新しい選考委員である川上弘美と小川洋子がどのような作用を与えるか、ですねえ。
2chで仕入れた情報で恐縮だが、日本の名作を漫画で読ませる企画が始まったらしい。今までも似たような試みはされていたが、近代文学がこのような形でひとつの企画として纏まって漫画になるのは初めてだろうか。……いや、子ども向けとかはありそうなんだけど。
でも、それぞれの絵が……なんか古くてくどくないですか? 古くちゃいけないというのではないけど、それぞれの作品に親しんできた者から見るとイメージとはかなり違っていてしっくりとこない。しかも作画した人の名前が出てないけど、数人で分担して描く方式なのかな。いや、集英社文庫の表紙、先日見たら『人間失格』にDEATH NOTEの小畑健によるものに変わってたので(期間限定?)、もしやそれってこの企画のプロモーションとか?と気になってたんだけど、甘かったなー。
何となく、『人間失格』なんかは小説だから「具体的な顔がない」のが良かったんだけど。それと、『こころ』で「K」のお墓の前で泣き崩れるシーン、いくらなんでも墓碑名「K」はないだろー。どっちらけ。適当に字を見えなくしておいて欲しかった。
ブックファースト渋谷店にて。
エソラ vol.4(伊坂 幸太郎/舞城 王太郎)」
群像 2007年 08月号 [雑誌]」
文藝 2007年 08月号 [雑誌]」「エソラ」はだいぶ迷ったのだけれど、連載中の「群像」でも一度訳出したヴァクサヴィッチの翻訳がこれまた岸本佐知子さんの訳で掲載されていたため、やっぱり購入。「群像」の方の連載は、ニコルソン・ベイカーの短篇が登場。
毎回あまり興味が湧かないのだけれど、今年は積読している本が多くてちょっと気になる直木賞。今回は北村薫、森見登美彦、万城目学、桜庭一樹。
しかし、中間小説対象の賞の割に「会社員がたぶん一人も出てこない」というのもすごいですね。リアリズム小説が無いというのも意外。あと「あー、鹿がしゃべっちゃだめなんだ」というのはシュールで受けた。いや、これが別の場で発せられた言葉であればどうだったかと。
大森さん、小説家ライフプランナーですか(笑)。あー、直木賞候補作品まではとてもじゃないけど読む余裕が無さそうだなあ。まあ、積読しておくのが悪いんですが。
近所の書店にて。中規模チェーン店なのだけれど、やっぱり発売日に文庫は並んでないか。帰りにリブロ青山店の近くに立ち寄ったので、雨を気にせず買ってくればよかった。
これ、以前に古本で手に入れたはずなんだけど、まあいいや。実は、集英社文庫のナツイチ企画にいつの間にかはまり、できれば全種類集めたいとさえ思っているのであった。
ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)(姫野 カオルコ)』これが出た当初は「姫野カオルコが恋愛ものねえ。結婚する*1と作風まで変わるのかしら」なんて買ってきつつもなかなか手に取れなかったひとつ。しかし、彼女の作品に平凡なんてものはなく、この本もまた姫野印そのものだ。
関西の田舎町に住む少年少女たち。森本隼子を中心に話は始まるが、突如、中学生へと時が進む。その細やかな描写の丁寧さと時間の飛び方の大胆さ。クラスの脇役たちにいたってもまた「ちびまるこちゃん」よりもずっと設定は複雑でリアリティがある。ただ、わたしは小学校のころこんなにませてなかったなあ。色恋沙汰自体が小学校高学年くらいから? それまでは「好き」とかってよく分からなかったし。学校で起こるありきたりな人間関係やイベントなどなどが、こんなにも物語に厚みを持たせてくれるだなんて。
「ツ、イ、ラ、ク」は「墜落」だ。間に読点が挟まることでより、色を帯びてくる。同じ年くらいの男の子とでは墜ちるとは言わないだろうし。この、二人の反目と接近がこれまた……。こりゃ、そのまま徹夜必至の作品ですね。今まで放っておいて済まなかった!
*1 確か数年前にしましたよね?
確かに今回の直木賞候補は弾数が多い。選考委員の方々は「えええー、これって全部読むのー」とさぞかしぐったりしたことだろう。そうか、畠中恵も入ってるんだっけ。ちょっと息切れ気味で最近の本は買ってないんだけど、久しぶりに手に取ってみようかなあ。しかし、結局読むのは文庫化した後のような気がするから躊躇するところ。
なんかもうここら辺は文壇政治が暗躍していて、特に芥川賞よりもベテランが対象になることが多いからか、「裏方、乙」って印象を持ってしまうのだよな。三田完のは、この表紙覚えてるけど、小説だったとは気がつかなかったよ! しかし、今回の評に「C(低評価)がない」というのはなんだか心強い。それでも、当て馬にこんなに使って勿体無くないかなー、と思うのだが。
ねにもつタイプ(岸本 佐知子)』第23回講談社ノンフィクション賞・エッセイ賞発表(講談社) なんと快挙! おめでとうございます。連載は冊子(筑摩書房のPR誌「ちくま」)を貰うたびに読んでいたのですが、本はもったいなくてまだページを繰ることができないでいるのです(サインは貰ったけど)。『気になる部分』よりも先鋭化しているこのエッセイ集が評価されるのは当然という気持ちと、ああ、わたしたちだけのものではなくなってしまったわというちょっとした寂しさが。でもでも、やっぱりおめでとうございます。
こんなに素晴らしいエッセイを書くのにあくまでも肩書きは「翻訳家」であるところも、わたしは大好きなんでございます。
トークショーなどでも、エッセイは量産できない、絞り出すようにして書いているとおっしゃっていますが、依頼がこれまで以上に沢山舞い込むことでしょうね。
mixiで他の方が書かれてて知ったのだが、今配布中の「R25」に芥川賞・直木賞の話題があるという。あんまり冊子を増やしたくないので普段は貰わないのだが、昼休みに貰ってきて中身を確かめた。なるほど、この1週間のカレンダーのところか。17日のところに「今日の予言」という欄があるのだが、ここで◎○▲でランキングするものらしい。それも、R25世代(って、SPA!世代みたいなもの?)の男性候補者から3人を採り上げてのもので、◎が前田司郎(30)、○が円城塔(34)、▲が森見登美彦となっているのだ。へ? まず、芥川賞と直木賞の枠組みを超えてのこのランキング(?)ってかなり不可解なのだが。ここの記事って無署名だけど、どんな人が書いてるの?
ツ、イ、ラ、ク (角川文庫)(姫野 カオルコ)』うわー、やられた。なんか、そんな感じ。この物語は、森本隼子と川村礼二郎の恋愛模様が中核を成しているのだけれど、その周囲が過剰なほどに描かれる。これは、紛れもなく社会小説だ。とあるコミュニティに属している人間が、恋愛という要素を投入することでどのように変容していくか、周囲が受け止めるか、の。投入される要素が恋愛であることでよりスリリングな展開となり、読者の感情は彼らを見守る方に固定されることだろう。
あー、いろいろ書きたいけど、時間切れなのでこの件に関してはまた後で。読み終わってからかも。
そういえば、先日工事中の空き地の囲いに「YAMADA電気出店予定地」とあった。げ、こんなところにヤマダ電機が来る訳? いや、競争力が上がるのはいいことだと思うんだけど、ここって文化村通りなんだよ。以前は月の雫や新生銀行(隣のビルに移った)、マクドナルドなどが入っていた結構面積のとれる土地で、確かに電気店には剥いてるかも知れないんだけど。しかしこの界隈は、センター街入り口近くにさくらや、109の先端あたりにビックカメラが既にある。更に、かよ。しかも、そのヤマダ電機から東急本店まで行くとその手前にドン.キホーテはあるし、その目の前のブックファーストは10月に閉店だし、この辺の雰囲気もがらりと変わりそうで渋谷文化村通りヘヴィユーザーのわたしにとっては、非常に憂慮すべきことなのであった。
このコラムを読むと、ヤマダ電機とヨドバシカメラが対抗している様子。でもって、ヨドバシカメラは渋谷には無いのだが、Wikipediaでヨドバシカメラの沿革を見てみると(wikipediaj:ヨドバシカメラ)、元々の創業は渋谷だったようだ*1。ということは、これは何が何でも渋谷に来たい(舞い戻りたい?)んじゃないかなあ、と考えると……。
半年前は、XBOX360のゲームイベントもやっていた。
*1 因みにこの名称はその後移転した新宿区淀橋(現・西新宿)に因んでいるそう
面白いけどよく分からないことが多すぎるこの作品。読書会で色んな人の解釈や意見を聞いたら少しは分かるかなー、という感じで出席したのだけれど、やっぱり素養がないと分からないことがたくさんあったね(笑)。殆どみんなが楽しんで読んだのは分かったけど、最初の感想の発表では「分からない」発言が続出。そして、読書会の最中に黙々と読んでしまう現象も珍しかったかも知れない。なんか、読んでいる最中は分かった気になるんだけど、話しているとどんどん分からなくなるんですよ。でもって読み返すとそっちに集中しちゃう、といった感じなのではないかなと思った(というか、わたしがそれだった)。
奇想小説なので、ホントにアイディア勝負ではある。しかし、それらはすごく珍しい訳ではなく既視感があるものだったりするのはわざとなんだろうという話があったけど、確かにそうだなあ。
台風の最中だというのに20人近くの出席があった辺りにもこの作品に関しての関心の高さを伺わせます。
いつもの施設が使えなかったので今回はわたしが手配したのだが、案外いい物件だった。今後も何かあれば使うかも。終了後は目黒駅近辺でいつもの宴会。
それにしてももう20回目ですよ。3年続いてるのはやっぱりすごい。
ゴーレム 100 (未来の文学)(アルフレッド ベスター/Alfred Bester/渡辺 佐智江)』やっと読める状況になったので、半分弱ほど進んだ。すげー、面白い。それにしても女王蜂の話だとするとこのカップルはいずれ……とか思ってしまったりもするんだけど、まずは物語を楽しんでみますよ。
悪魔召還をやったのはいいけど全然その気配が無いので失敗したと思いこみ何度もおまじないを繰り返す蜜蜂レディたち。しかし、実はちゃんと成功していたのであったよ! ガフの街中で起きる奇妙な殺人事件。いぶかしむ捜査陣。カツオブシムシがすごく気味悪かったっす。
しかしこの装丁は素晴らしいのに、amazonよ、いつになったら書影が出るのか。
ふーん、芥川賞は「妥当だな」という線だろうか。今回はお膝元の文春からの受賞作はなし。それでも、直木賞が幻冬舎という線はかなり意外でした。作品は良いらしいので、余裕があったら読んでみたいところ。
「アサッテの人」(「
群像 2007年 06月号 [雑誌]」所収)は今ちょうど読み始めたところなのだけれど、メタっぽい作品なのね。失踪した叔父の自宅が取り壊しになるので片づけに行く主人公の話が一応ベースとなるのだけれど、そこに叔父の日記や彼自身の創作が取り込まれている形。まだ何が「アサッテ」なのかはよく分からない。
メッタ斬りコンビの芥川賞予想では大森さんが受賞の可能性を見ているけれど、これが果たして「揺れ戻し」によるものなのかどうなのかは不明。早く選評が見てみたい。
ブックファースト渋谷店にて。こんなに漫画買ってどーすんだと心配になったけど、江口寿の新刊が高いのか。納得。
本の雑誌 290号 三角スイカ立ち食い号」 『
作家の値段(出久根 達郎)』がやっぱり良くて、思わず買ってしまいそうになった。彼の本は文庫になってから、と決めているのだけれど、本をひっくり返して値段を確かめてしまった。……後少し安ければ買っていたかも知れないのに。古書店主だけあって、作家ごとの著作の値付けやそれにまつわるエピソードを交えて描いた本エッセイ。ついつい引き込まれてしまうわなー。
群像 2007年 06月号 [雑誌]」所収)やっと50ページまで来たところ。今日中に読めるかな? 失踪した叔父の家を立ち退きのために整理する主人公が語り部。家の中で見つけた叔父の日記と、彼の亡くなった妻を模した手記をコラージュして「アサッテの人」という小説にしたのだが、それをまたいくつも稿を重ねてそれらをコラージュしている。という小説がこれまた「アサッテの人」だという構造。凝っているけど、わかりにくい訳ではない。
この中で中心となるのは、叔父と彼の変わった言動。突然、意味の分からない言葉を発し、周囲を混乱に陥れる。一体どういう意味なのか聞いても教えてくれない。それを、自己流で解釈したりもするのだが――。
冒頭で引き込まれることはなく、止めちゃおうかなあー、友思ったのだけれど、その後ちょっとの我慢で読み進むと段々面白くなってくる。ほぼ廃墟と化した団地。叔父の奇妙な居室、叔父の吃音癖と人柄と結婚、etc, etc...。謎が謎を呼び、謎が謎のまま放置されつつ次に進む、といった感じ。大体「アサッテの人」の「アサッテ」って頻発するんだけど何?とかね。その辺りの説明が、エレベーターにいるチューリップ男を語ることでされている形。この後どう話が転がって行くやら。
ゴーレム 100 (未来の文学)(アルフレッド ベスター/Alfred Bester/渡辺 佐智江)』昨晩は眠れなくて、先日再放送していた「家政婦は見た!」の後に読み進めた。先日半分くらいまで来たと言ったのは嘘。よく見ると、130ページでした。何とか、蜜蜂レディに新顔登場!のところまで読んだ。そうか、こうくるか。うん、こんな人たちは嫌悪されるとばかり思っていたのだけれど、男の見方と女の見方ってのは違うそうです。
グレッチェンらは事件の手がかりを追っていたら彼女らの元へ来る羽目になり、あの世にも馬鹿馬鹿しい(?)悪魔召還に立ち会うことになる。うわー、なんだこの猥雑さ! 超おもろい! このまま読み進めたかったけど目覚ましが鳴る頃に睡魔が襲ってきたりしたので断念した。登場人物がそれぞれ魅力的。しかしこういうところの男というのは、やっぱりちょっぴり情けないのだわねえ。
書影、出るようになりましたな。かっこええ。
群像 2007年 06月号 [雑誌]」所収)ああ、確かにこれが芥川賞とってもおかしくはないな、と思った。うまいし、テーマもいい。失踪してしまった叔父の家を片づけていたら出てきた彼の日記ノートを元にして書いた小説「アサッテの人」を語ることで叔父という人を語っていくというものなのだが、そこに通底するテーマは「アサッテ」と孤独、または凡庸からの逸脱、である。
この「アサッテ」だが、何度も出てくるけど意味を説明していないのでどういう意図で使ったのかが(まあ、察することはできるけど)いまひとつ分からなかったのだが、中盤以降はこの話が続く。つまり「アサッテ」とは「意図していない方向」のことであろう。我々だってキャッチボールしていたらボールがあらぬ方向に飛んでいったときに「明後日の方向に飛んでいった」という言い方をすることがある。まあ、ここではカタカナで書かれている分、もっと個人的な、意味を限定した用法だろうというのは何となくは分かるのだが(ご丁寧にカギ括弧が付いていたりもする)。
この「叔父」は、幼少時からどもり癖があり、それに悩んでいた。克服しようと色んな試みをしたことは叔父の日記からも伺えるのだが、どうしても治らなかったらしい。それがコミュニケーションの根本ツールであることもあって、彼は周囲との断絶および孤独というものを感じたのだろうと思う。自分が言いたいことが思うように伝わらないもどかしさ。そしてそれが、突然治ってしまったことから新たな苦悩が始まる。今まではどもりであるがために世界から弾き飛ばされていたと思いこんでいたのだが、あれほど願ったはずの「凡庸」に、幻滅してしまうのだ。生きていることとは、死なないためにしているようなものだと言い、その意識のなさに嫌悪感を抱く。だからこそ叔父はそのただ「墜ちていく」ことに抵抗するために「アサッテ」をするのだ。
「アサッテ」のためにたゆまず努力を重ねる叔父。しかしその自己言及的な努力はやがて予想通りの破綻を迎えることとなる。この辺りのロジックは叔父の手記とともにくどいくらいに語り手である主人公が解釈してくれるのでとても分かり易いのだが、たまに「ここまで親切に言わなくても」と思ってしまうほど過剰なところもあり、この辺のバランスを考えるのは結構難しいことだろうなあ、と思った。
叔父の日記を元とした小説、しかも推敲を重ねる過程なども小説として取り込まれていることや、それらをコラージュしたように見せかける手腕はなかなかのものだと思ったが、そのうまさが逆に鼻につくところがあるような気がする。また、この小説に寄せられるであろう突っ込みをあらかじめ作品に取り込んでしまったようなところもあり、その辺の「言われることは分かってるんですって!」といったやり口もどうかとは思ったのだが、まあでも最後まで読まされてしまうのだからそれだけの魅力があったということだろう。
人は孤独を求めると必要以上に孤独になる。なんというか、禁煙の運動が盛り上がりそれなりの成果を見せると、今度はほんのちょっとでも煙草の臭いがするとひどく気になったり腹を立てたりしてしまうことに少し似ているような気がする。無くなることにより余計敏感になり、また、無くなった状態自体もまた無くなってないように思えてくるのだ。この、いつまで経ってもぐるぐる状態から抜けられないような恐怖を何となく感じるから我々は「適当に」やり過ごしているのだろうが、叔父のような人間はその几帳面さのために止めることもできず、どんどん先鋭化させていってしまった、ということなのだろう。
果たして、自らに課したことが破綻したから叔父は出て行ったのかどうかも分からない。その辺りは、わざと物語の外に置くようにしているのだろうし、それで良かったのだろうと思う。
付記にある部屋の見取り図と毎朝の運動(?)は、叔父の几帳面さと孤独さ、そして奇妙さが強調されるところなので、良かったように思う。彼の苦悩は苦しめば苦しむほど端から見る分には滑稽に見えるものであり、此岸と彼岸の断絶というのもまた面白いものになっている。まあでも、その断絶って実はそんなに深くない気もするんだけどね。
群像 2007年 06月号 [雑誌]」所収)こちらは群像新人賞優秀作。受賞者プロフィールを見てたら、諏訪さんも広小路さんも愛知県出身愛知県在住でびっくりした。何この名古屋率(いや、名古屋じゃないかも知れないけど)。この舞台となった町はどの辺りを想像するかなー、ということで参考のため見てみたのだが、もしも名古屋だとすれば思っていたよりずっと大きな都市だ。わたしの感じた規模感としては、自分の故郷とか、もしくはもう少し大きくなれば宇都宮とかその辺り? ただ、給与水準は東京大阪と変わらないとあるので、大企業の支社がある程度集まっているくらいの町だと思われる。ので、名古屋というのは案外間違ってないかも知れない。
こちらは普通の物語の形式のため、「アサッテの人」に較べれば数段読みやすい。地方都市に育った不幸を延々と述べるのだが、アホで駄目な男子の成長物語(成長するかしないかは不明)になっている。周囲とは違うものを、と、中学のときはメタルロックに凝りライヴハウス通いもしたが、コピーバンドやろうとするとテクニックの稚拙さが邪魔をしたのでパンクロックに転向するというところからもう駄目(笑)。しかしバンドをやる仲間がいないのでクラスのいけてないくせにセルフイメージが把握できていない男子二人を策略で引きずり込みパンクロックに励もうとするくだり……。この辺りは健康な笑いですわね。この後どうなるか分からないけど、地方都市の現状をなかなかうまく描いているので、東京出身のシティボーイは追体験してみるがいい。
気がつけばいつも病み上がり―本当にあった安田の話 (akita essay collection)(安田 弘之)』にはショック画像が……書店で見かけて帯の写真がすごく気にかかって買ってしまった一冊。病気エッセイ漫画なのですが、笑えるものだったり笑えない(面白い/面白くないではなく)ものだったりいろいろだけれど、そこそこ興味深く読めます。
まだぱらりぱらりと読んでいるだけなのだけれど、うおのめの回でうおのめにぺっとり貼って蓋を剥がすようにそれを剥がすと……という絆創膏(わたしもこどもの頃いぼができたときに使ったことがあるものと似たものだと思う)話がある。うおのめというものがどういうものかいまひとつ分かっていなかったためにぺらりとページをめくって大後悔! ……うあああ、あんなに具体的な画像は……!!!
何となく分かる人は分かるでしょうので、あらかじめ気を強く持ってお読みください。って、気を強く持っても駄目なものは駄目だ。ああ、あのページにのりでも貼ってくっつけようかしら。
ところで、出版社の書影でも帯がないのでご紹介できなくて残念ですが、帯のご本人画像は使用前→使用後みたいな、ちょっとお気の毒なものでございます。しかし、使用後も、写真のせいではあるのだろうけれど(頭の上の三角はパーティキャップ?)、やっぱり怖いんですが! しかし、失踪癖(これは原稿落としたりしたときかな?)なんかもあるんですね。漫画家っていろいろ大変だなあ。
青山ブックセンター六本木店にて。
こ、これは海外文学のみ買って帰ることになるか、と思ってた矢先に新刊発見。ほくほくとして買ってきた。幸せだなー。
それと、ケリー・リンクの本の帯には、「著者来日! 世界SF大会Nippon2007」とあります。少し前に柴田先生に聞いてこの件は知ってたんだけど、出していい情報かどうか分からないので書かないでいましたが、これで解禁ですね。これに合わせて柴田先生もイベントをおやりになるという話も聞きました。いくつかあるかも知れませんね。
店内では、海外文学コーナーに古屋美登里さんの「おススメペーパーバック+α」の棚があった。6月から展開しているものでもう終了したと思っていただけに見ることができて嬉しい。本のリストとコメントを載せたペーパーも配布していたので1部いただいてきた。杉江松恋さんの真夜中のブックフェアもやってたはずだが、一時的になのか撤収していたため残念ながら見られなかった。ああ、先日行ったときにちらりとは見たけど(ちょうど、フェアの始まるときだったみたい)、もうちょっとちゃんと見ておけばよかった。フェアといえば、伊坂幸太郎のお薦め本の棚もあるのだが、これが見ていて面白いしだいぶ自分の好みと重なっていて面白い。文庫をいくつか買って積んであるのだけれどまだ一冊もこの人の本は読んでいない。でも、こういう本を好きな人の小説はやっぱり読んでみたいと思ったですよ。
ゴーレム 100 (未来の文学)(アルフレッド ベスター/Alfred Bester/渡辺 佐智江)』ようやっと読了。本当なら一気に読むような話なんだけど、なんだか切れ切れになってしまった。それでもこの作品の強烈さは十分感じられる。なんつーか、脳を犯されたような感じ。
ガフという未来のアメリカ大陸に横たわるでかいスラム街を舞台にした話。そこには地べたではいつくばってる貧乏人や散乱するゴミなどとともに「オアシス」と呼ばれる富裕層のための建物も存在する。あまりにも街が汚く、また水が貴重品であるため、香水が飛ぶように売れる世界。そんな中でスゴ腕の調香師を雇い入れた香水メーカーが、最近彼が不調であることが心配になり、その原因を探るべく、精神工学士グレッチェン・ナンに調査を依頼する。そんな過程で二人は恋に落ちるのだが、どうもシマ博士はガフの珍妙で残酷な連続殺人事件に絡んでいるらしいことが判明する。一体何が起こっているのだろうか?
そんな話と蜜蜂レディと呼ばれる8人と1人(使用人なので混ぜて貰えない)の行う奇妙な儀式がどう絡んでくるのか、という話なのだが、面白い! 重厚な装丁で出たのでどんなものかと少し構えて読むと、あまりの馬鹿馬鹿しい内容に唖然としてしまう。特に蜜蜂レディたちの会話のアホらしさといったら! 有閑マダムたちの暇つぶしなのだが、彼女らがそんな風にやったことがとんでもない事態を引き起こしていることに全然気付かない。それはあまりにも奇妙なものだから事件化することもままならないからなのだが、「あら、おかしいわねえ」とまたもや試行錯誤を凝らしてしまうそのおかしさと言ったら! この8人(+1人)の美女たちのキャラの極悪さも素敵すぎる。彼女らをグレッチェンとシマ博士がピロートークで論評する場面もあるのだが、冒頭の紹介とともに読むと面白さ倍増。
そして、挿入される図版。ぱらぱらとページをめくると嫌でも目に入ってくるものなのだが、なるほど、そういうことだったのか、とその後の解釈にまた笑った。ひとつひとつ紐付けしてくれるのだが、いやいやそれってこじつけじゃないのーと笑い飛ばしてしまいそうなことを、大真面目にやっているのだ。図版に挿入されるシマ博士とグレッチェンの会話もまたおかしくて、何でこんなバカっぽいおもしろ話を今まで読めなかったんだ、と思うと同時に、こんな変な話、翻訳するのも大変で、しかもセンスが問われる。やっぱりこれは渡辺佐智江というスゴ腕翻訳家の登場を待たねばいけなかったのかも知れないし、ずっと以前に不幸な形で翻訳されてしまっていたらこんな風に面白さが分からなかったかも知れず、やっぱりタイミングというのは重要なことであるなあ、と思ったですよ。そしてこの作品を渡辺さんにオファーした編集者の眼もすごいと感心しましたよ。
この作品を読んでて何となく思いだしたのが牧野修。あれがすさまじいスケールになるとこの作品になるような気がした。そしてまた、ラストまでの駆け上り方が凄まじく、怒濤のカタルシスを感じることができるというエンターテイメント的にも素晴らしいこの作品。巻末の山形浩生の解説(訳者あとがきでは「その辺にいた山形浩生に解説を命じた」とか書かれてる(笑))ではこれほど熱い彼に出会ったことはなかったとこれまた感動したが、多分SF教養の程度の低いわたしには、山形さんが感動している1/100も分からなかったと思いますよ。でも、それでも最高。こんな作品を訳出されたと同時に読めたことに本当に感謝。我々の手元に届けてくれた方々にも感謝。
毎日かあさん4 出戻り編(西原 理恵子)』今回のは言われなくても鴨ちゃん追悼号だというのは分かっているので(サブタイトルが「出戻り編」だしね)、そういう覚悟で読んだ。その分、ドタバタと笑いは減っているけれど、サイバラと鴨ちゃんの関係をうかがうことができたのは良かったと思う。それにしても、アル中の話は知っていたけどまさか癌にまで冒されていたとは。鴨ちゃんが撮ったサイバラの写真がとても美しくて(でかい蜘蛛を食ってるところだけど)、彼女の笑顔が鴨ちゃんに向けられていたことを考えると涙が出てきた。家族であり、夫婦となった人を病で亡くすって、とても辛いことだろうのに、でもってそれをまたこのような形でアウトプットせざるを得ない職業に就いたサイバラの心の痛みを察するにつけ、こちらまで苦しくなる。でも、こういう風にアウトプットすることで悲しみを昇華できる部分も存在するに違いないと思うし、そういう場を公共の場に与えられているのって、やっぱりその才能があればこそなんだろうなとも感じる。
そういう訳で「毎日かあさん」に期待しているような内容では無かったのだけれど、こりゃ仕方ないよな。
子どもの話では、相変わらずの娘の女としてのすさまじさにおののき、長男の、テストで100点取った話におののいた(あれ、バカじゃ無かったっけ?)。というか、サイバラが長男に勉強を教える過程がこれまた凄まじい。でもって、そうやって子どもに勉強を教えていたから収入が減ったという話が冒頭の銀行での借り入れ交渉のシーンで出てくるのだが、これは壮大な伏線なのか(笑)。
今後、この子達がどのように成長していくのかも興味深いです。娘さんも保育園卒業したようだし。
時をかける少女 通常版 [DVD](筒井康隆)」週末にテレビで放映したのを録画しておいたのを見た。因みに、原田知世のも夜中に放映していたのでこちらも録画済み。
「タイムリープ」という言葉がどうもわたしの中でまだ馴染み切れてないので聞く度に背中の辺りがむずむずするのだが、確かに「タイムトラベル」よりは事象に合ってるもんなあ。
それにしても、やたらと走る話だ。まあ、走って勢いをつけただけタイムリープするんだから当然なんだけれど(しかし毎回痛そうだなあ)、ラスト近くのところなんか走りどおしだもんなあ。高校生の、ひと夏の切なさ、みたいなものを描いた王道作品だと思った。原作も大好きだけれど、あれのスピンアウトした作品とか考えれば何となく分かる気がする。
主人公真琴を中心として男子二人のドリカム状態(という言葉もそのうち通用しなくなるんだろうなあ)という取り合わせは魅力的なんだけど、なんつーか、ああいう付き合い方してる女子って、絶対に総スカン食いそうな気がするんだけど。それがずーっと気になっていたというのはわたしの嫌らしいところなんだろうか。
時間が戻るところでの象徴のひとつとして出てきたプリン。時間線引っ張ると、あれ、おかしくない? というところもあったんだけど、まあ、そういう細かいことはどうでもいいかなー、と思わせるだけの勢いと魅力はありましたですよ。しかし、よく考えると「待ってる」って、出会った頃はもう年の差何歳よ、とか考えちゃったんだけど、未来は若返りとか若さを保つ技術とかが開発されてんのか?
夏は暑くて嫌いなんだけど、それにもめげずその暑さをポジティブに楽しみたい気分になれました。ああ、でも、夏休み直前の話だから今頃な訳で、実はさほど暑くはないのか?
ところで、番組冒頭に原田知世版の紹介があったのだけれど、久しぶりに高柳良一の映像を見てすげー懐かしくなった。この人の台詞棒読み話は、当時学校の先生までネタにしたくらいだもんなあ。で、彼は今は普通の社会人になってるんだろうか、映像では見なくなっちゃったけど。
֥åС˼ | ޥȯư(via ϥɥᥤɡեȡ֥åСĥͥåȤǴñڡ ȵʬʬǤĤ롢ꥸʥ롦֥åС)
なんつーてこの情報自体を知ったのが2ちゃんねるだったりするのだが。
通常、ウェブサイトからダウンロードできるブックカバーってPDFファイルになったものを色柄サイズで選択して、というものだと思う。しかしこのコンテンツでは、インタラクティヴな仕掛けがある。背表紙の太さやデザインまで選ぶことができ、しかもそのカバーには文字も配置(縦横自由)できるのだ。これでカバー掛けてるから分からない、なんてことも無くなりますよ!
まあいや、これを実際どういうシーンで利用するかだが、例えば読んでいる本を知られたくないときは不要だねえ。あ、わざと高尚な本のタイトルにしておくとか(笑)? バイクにはとんと興味が湧かないので図柄も限られてくるが、アイテムの色の濃さも選べたりするのが嬉しい。上中下巻でグラデーションなんてこともできますなー。
今持ち歩いているのが雑誌じゃなければ早速作ってみるところだけれど。因みに、途中までは試してみたのだけれど、そのときのサンプルタイトルは「河童・或る阿呆の一生」でした。何も実在の作品をわざわざつけること無いんだけど、こういうところを見ると「三つ子の魂百まで」と思ってしまうなあ。
あ、いやね。幼稚園の頃に地元のテレビ局の番組にクラス全員で出たことがあったんだけど、そのときにひとりひとりに粘土を渡されて「好きなもの作っていいよ」と言われたのですよ。その様子を放送する、というもの。で、何でもいいと言われているのに少し前にやはり幼稚園の課題で作った父の日のプレゼント用に紙粘土で灰皿(よく考えるとこれもすごい。父親は全員喫煙者なのか!)を作るというのをずっと引きずっていたようで、この日も灰皿作っちゃったんですよ……。その辺の脈絡を知らないで見た人は幼稚園児が灰皿をこねる様に激しく疑問を感じたろうなあ。
1470.netで自分のフィードを表示させると、まあサイトの内容がないようなので本の関連の広告が出ることが殆どだ。でもって(申し訳ないけど)興味ないものが多いのであまり見ることもないのだけれど、先日ふと見てみると画像のようなエントリがあった。
なぬ? 「2大文学賞完全予想」……? しかも見ると日経BPのサイトっぽい。ってこれ、前回までやってたこのページにリンクしてましたよ(笑)。今回からは引っ越しているからいくら待ってもコンテンツは更新されないのに……。
いや、さすがにじっと待っている人もいないでしょうが、念のため引っ越し先をリンクしておきます。
ブックファースト渋谷店にて。
買い切れなかった……。
やっと時間ができたので、帰りに電器店に寄ってWillcom Advanced[es]を買ってきたよ。帰り、電車に乗る前に箱の中から取り出して電車の中でセットアップ祭り。PCの方のActiveSyncを8.5以上にしておかないといけないのね。
ぷよぷよをダウンロードした後に「お、上海もあるじゃないか」とホクホクダウンロードしようとしたら、OperaはVersion8.5までだってよ。これにインストールされてるのは8.6で、制限に引っ掛かってしまった。悲しい。
全体的にスリムになって、握りやすいしテンキーもあまり手のポジションを移動させずに押せるようになった。けど、アプリケーションキーが無いのはやっぱり辛い……。マニュアルを見てないのでどうやったら代替できるのかよく分かってないのだけれど。あと、キーロックが右側についたのは嬉しいなあ。USB充電できるようになったのもうれしい。ぷよぷよやると、縦長になった液晶の分は黒い空間になってしまうのが悲しい。
スライドさせてキーボードを使うと、見た目はいまひとつだけど結構打ちやすくてうれしい。でも、キーのバックライトが全般的に弱いような気がする。夜道(駅前とかのそんなに暗くないところ)でキーがどれがどれだか分らなかったdeath。
渋谷駅と選挙といえば何となくドクター中松を思い出すが(何故だ?)今回の選挙ではお目にかかっていない。この夜20時頃ハチ公前広場脇に選挙カーを停めて演説していたのは、デヴィ夫人だった。お、本物だよ。第何夫人か分からないけど、為政者の元妻だよ、とか思い少し近づくと、そういう人たちがいっぱいだったに違いない。それなりに選挙カーの前は人が群がっていた。
いやしかし、この選挙カーはデヴィ夫人のものではない。ふと見ると、デヴィ夫人の斜め後ろにニコニコ笑った小さいおっさんがいる。選挙の手伝いの人かと思っていたが、よく考えるとこれがかのフジモリ氏だと突然思いついた。いや、あまりにも特徴無いので気付かなかった。デヴィ夫人に負けないくらいの暑苦しいほどのキャラクター(?)を手に入れないと、投票用紙にみんな「デヴィ夫人」って書いちゃうよ。他にも著名人が応援演説していたりするんだろうけど、その誰よりもフジモリ氏はかすんでいるような気がしてならない。心配だ。
なお、朝はよく若尾文子の選挙カーに会う。ホントに立候補したんだー。でも、その車の中に彼女自身が乗っているのを見たことは一度もなし。いや、単に他の地域を回ってるだけかも知れないけどさ。
気がつけばいつも病み上がり―本当にあった安田の話 (akita essay collection)(安田 弘之)』安田弘之といえばショムニだ。ドラマにもなって大ヒットしたが、原作を読んでいるのはそのうちどの程度なんだろうか。多分、思ったほどはいないんじゃないかと思う。ヒットならいいが、大ヒットすると大抵そんなもんだと思う。
というのも、この安田弘之がとてもメジャー側の人間に見えないから(一応褒め言葉)であり、その後も『紺野さんと遊ぼう』など、ちょいエロがかった微フェチな漫画を描いていたりするので(それはそれでツボにはまると大変面白い)、ああこの人はそうなんだろうなと思った次第。近著では、『
ちひろ 上(安田 弘之)』という、癒し系風俗嬢の話だったり(と思えばこれはリニューアル復刊か)、『
ラビパパ 1 (f×COMICS)(安田 弘之)』という、ウサギの着ぐるみを着たお父さんと子ども、それにSの気がある嫁という家族構成の漫画も描いていたりする。どれもかなり趣味全開である意味分かり易い人だなあ、と思った。
ところで、この本は買おうとは思ってなかった。本屋の漫画新刊コーナーを見てたら目に入ったのだが、第一印象は「ああ、あの人もエッセイ漫画を描いてたんだ」というものだった。その途端に帯に目が釘付け。そこには、安田氏の過去と現在の顔写真があったのだが(使用前使用後)、ふたつの意味で驚いたのだ。ひとつは同一人物とは思えないほど人間としての幅が大きくなっている(心じゃなくて肉体のね)ということ。そしてもうひとつは、使用後もとてもじゃないけど「こうなって良かったね」という顔では無いことだ。これは選んだ写真も悪かったのだろうし(モノクロになること考えないで写真提出したとか)、使用後の彼の頭が三角形に出っ張ってたのも災いしている。いくらなんでもこの写真は……。多分お祭り用の紙製のとんがり帽子を被っているのだが、それが頭と一体化して、あたかもコーンヘッド一家の一員のごとし。しかも全体にどす黒く……済みません、ひどいことばかり。漫画の自画像は丸くてかわいいですよ。それを見るたび帯の写真がオーバーラップするのですが。
まあ、これだけ差がある原因のひとつには(勿論貧乏というのはあるだろうが)、鬱病も大きく寄与しているらしい。学生の頃はそれで苦労したそうで、ほんの少し寝たと思っていたら何日も経ってしまいあまりにも生活音がしないので大家さんが心配してた、なんて話もあったりする。この本は基本的に病気自慢(自慢とは言えないかも知れないけど……)でできており、その一番目がケジラミだったというのがこれまた衝撃なのであります。しかも夫人には移った/映された可能性はひとつもなし!って、どこが供給源なんだよ(笑)。
そのほか、二度の水虫治療(しかも二度目は一歩間違えば死ぬところまで)、ウオノメ(ショック画像付き)、失踪癖など、ちょっと普通の状態では経験できないようなものまでてんこ盛りであり、それがまたこの安田氏はあくまでものほほんと話す訳ですよ。その姿はまさに落花流水のごとし。ここまで来ると清々しくさえある。
最後の方は「××セラピー」と称して飼っていたウサギの話や上京したてで貧乏な頃ハゼをそこら辺の川で釣ってはそれで腹を満たしていた話などなど。最後が「魚セラピー」と称していきなりパチンコ屋の店先によくいるマリンちゃんが出てきたりする。といってもマリンちゃんは当て馬で、彼にはちゃんとお気に入りの子(キャバクラの女の子みたいな見立てをしてる見たいです)がいたのだけれどたった半年で目の前から消え……その後変わり果てた姿で帰ってきた話で〆。これを見ると、安田氏の好みの一部がモロ分かりで、少々気恥ずかしい気分になったり。いや、気分は分かるんだけど。
そういう訳で、安田弘之のすべてが分かったような気になること請け合い。なので、そういう気分になりたくない人は読まなくていいとは思います。ショック画像もあるし(笑)。
ところで、この人の名前で検索したのだけれどwikipediaj:安田弘之のあまりの簡素さにおののき、その後彼のインタビューが見つかったのでリンクしておく。何故かページタイトルがしりあがり寿になっているが。ここでは上京前後のことなんかも話している。
http://www.manga-g.co.jp/interview/int02-06.htm
因みにこのコンテンツ、他にも漫画家のインタビュー記事がてんこ盛りである。元々「漫画新聞」(ってどっかの機関誌?)に掲載されるための記事なのだそうで、それのアーカイヴといった雰囲気で本も出てるのに後悔してくれているとは太っ腹なことである。
今日で粗方設定を終えようと思っていたのに、ActiveSyncで予定表だけが同期できないエラーにぶつかってしまった。あれこれ試してみたけど駄目なようなので一旦フォーマットしてみるかー、と思ったら、AC電源を付けないとフル充電でも受け付けてくれないのね。やっとUSB充電ができるようになったから、普段はこれでいいやと思っていたのに。仕方ないので明日まで引っ張るつもり。これで駄目なら問い合わせしなきゃなー。めんどくさい。検索してると[es]で既にその状況に追い込まれた人もいるっぽいので、これは機種固有のものでも無さそうな感じ。
それにしても、どうしてスラッシュだけが全角なんだろう。かっこわるいなあ。
昨晩ちょっと手を慣らすのにダウンロードしたJavaアプリのぷよぷよをやっていたのだけれど、これが[es]の時には無かった問題にぶち当たってしまった。ほとんどは真ん中の丸いコントローラで操作するんだけど、勢い余って両隣の受話器ボタンを押してしまい、電話モードになってしまう。するといつの間にかJavaアプリのタスクがきれいさっぱり終了してしまい(一度だけ裏に残ってたことがあって途中から再開できた)、とても悲しい目に遭う。このぷよぷよゲーム、リリースしてから多分全然進化してないのですよ。いつまで経ってもレベルは「ふつう」しか無いし、大体途中で保存とかできないから、途中で無理矢理終了するしかない。Javaアプリは結構電源食いのようで、裏に回していても本体は熱を持つし、すぐに電池も無くなってしまうのだ。
それと、ソフトキーが無いのが辛い。ボタンの設定を見るとウインドウズキーとOKキーは長押し対応にすればそこを普通押しでソフトキーに設定することができるという項目があったのでそれに変更してみて何とか使えるようにはなってきた。まあたまにウインドウズキーを押したつもりがW-Zero3メールを起動してしまい、それを慌てて終わらせようとOKキーを押すとソフトウエアメニューが出てきちゃったりするんだけど。
あと、デスクトップテーマがバリエーションが少ないしかっこわるいので、適当に何か作った方がいいかも。今は壁紙だけいたずらで撮ったヤツに差し替えてある。でも、置物の頭の上に埃が……払えば良かった。
アプリなんかはほぼ[es]の状態に戻してみた。考えてみたら外部メディアを買ってないんだけど、また買い換えなきゃならない*1のかー。どうしようかなー。
追記。USB接続した状態で、会社のサーバにリモートデスクトップ接続してみた。ソフトウエアは予めインストールされている「リモートデスクトップモバイル」で。うひゃー、ホントに動いてる。エクスプローラくらいまで面白がって出してみたが、まあここまでにしておこう。今まで出先で操作できないときに他の人にお願いしたりしてたけど、どうしようもないときは何とかなるかも。無線LAN+VPN?
あー、無線LAN、どうしようかなあ。まだ使うかどうか考えあぐねているところ。
*1 [es]のminiSDから今度はmicroSDになったのだった……
藤野美奈子のおとこ教室―男心ってどうなっているの?(藤野 美奈子)』 彼女の作品と最初に出会ったのは、雑誌連載中の「知子の場合」。確か、アイドル志望の勘違い*1女子が繰り広げる学園ドタバタコメディだったと記憶している。その頃からすっとぼけた味があるなあ、と思っていたのだが、ふと書店の棚に目をやると、こんな本まで出ていたのだった。このタイトルはよく聞く話に分類されるものに着想を得たものだろう。駅のベンチの看板などに横書きの文字列があったとする。見るとはなく見てみるとそこには「おとこ教室」な、なぬっ、おとこ教室って何を教えるのっ、と妄想たくましくよくよく見直せばそれは「おこと(琴)教室」なのである。これは世の摂理である。日本語圏以外は知ったことではないが。まあ、そういうテイストを持つ作風だと思って貰って構わないと思う(って、ホントかよ)。
この本の中ではみなっち先生(藤本女史扮するところの、だと思う)が体験(実際にか、話を聞いたり想像してかは分からないが、ある程度典型化できる事象が多いように思う)したある出来事を、漫画エッセイ方式で描いたものが中心となる。それはこどもの頃の話だったり、恋人との会話だったり、けんかだったり。合間合間にはみなっちせんせいによるライトエッセイと、男子の生態をひとコマで表したページなども挟まれ盛りだくさん。実際に全部の事象について頷けたとは言えないが、その多くは「あるあるー」だったり「ああ、そうだったかも」と同意を寄せられるものだった。
男子の好きな「薄化粧」は実はばっちり化粧だ、とか、あんなにかわいかった男の子が成長したら見る影もなくしてしまってがっかりよ!だとか、何気ないひとことによって間柄に亀裂を入れてしまったり、他人の失恋話を横で聞きつつ突っ込み入れてしまったり。女子が、男子に対して感じるワンダーな部分をうまくピックアップしてくれているなあ、と思った。いや、かなり何となくそう思えるかも、といった微妙なところもあったのだが。
印象に残っているのは肉体派の爽やか先輩の豹変かなあ。あんなに尊敬していたのに思わぬところで全然思いも寄らぬリアクションを見てしまって、幻滅というのではないけど、それまでは何をやってもオールOKだったのにいちいち留保を付けるようになってしまった、なんてこと。それと、見た目はすごくいいのに中身が少々残念な男友達との待ち合わせ。最初こそ彼のモテ自慢なんだけど、色んな意味で「残念」な場面を見せられ「ああ、友達のままでいられるのも分かるなあ」なんて苦笑してしまう。みなっち先生の性格もなかなかのもんだけどね(笑)。
本当に軽く読めてしまうものなので(じゃあ何で1年以上も放っておくんだろうね)、パラパラっと好きなページを開いてわははと笑うって感じがいいんではないですかね。夜、学生時代の友人や会社の同僚などと女同士であけすけな話をしてしまうときの、あの雰囲気をいつでも味わえますよ。そして意外と自分を見つめ直すような教訓も得られることもあるので、常に虚心でいることが重要。軽いけど、ときどき深いです。彼女の他の著作に『新婚合宿』という新婚さんが夫婦になっていく様子を描いた漫画もあるのだけれど、やっぱり同じくらいに面白いし勉強になったりする。
しかし、わたしはCDコレクションに浜田省吾を入れている人は嫌いではないよ(笑)。さすがにシルベスタ・スタローンファンは勘弁だけど。
*1 同著者の「まちこshining」と混同している!
群像 2007年 06月号 [雑誌]」所収)群像新人文学賞小説優秀作。
とある地方の町に育った「おれ」が、高校生になりパンクロックを始め、活動費捻出のためバイトを始めたファミレスで出会った女子大生の万里子とつきあい始める。地元の町は「だだだ」で、ひどく退屈だしそこに住んでいる人々もまたそうだ。万里子はそんな中で唯一のオアシスだったのだが――。
地方都市に住む若者は、多かれ少なかれ、そしてどんなものであれ、何らかのフラストレーションを抱えているものだと思う。だからそれを発散させるのに上京して××デビューしちゃったりするんだけど、この主人公にはそこまでの能力も気力もない様子。そういう年頃って身近なものすべてがダサく見えてくるものだけれど、そのうちどんなに遠くに行っても目の前のものはダサいんだと分かるようになってくるんだよな。中途半端に文化が流入してくるが故に不満・鬱憤がたまりやすくなっている状況もあるかも知れない。そこに気付くまではただひたすら目の前のものを否定し続けるほか無いのだ、この主人公のように。
この主人公は、それなりの知性はあるのだけれど、知恵と気力が足りなかったのだろう。これだけ思弁できる男がこんなにぐだぐだな人生を送っているとは。高校を出てもまともに働かず、パンクをやっていることを理由にしてその場しのぎの仕事しかしない。そんなんでも、今度はこれが「日常」になってきちゃうんだよね、刺激ばかりの毎日だったはずなのに。
この小説では「だだだ」と「ぐぐぐ」という形容詞が象徴的に使われ、双方が相反する立場にある。「だだだ」というのは何だろうと読んでいる間ずっと考えていたのだが、なし崩しとか、そんな言葉で表現されるような状態だろう。無計画に開発されてきたこの町は
町が二次元的に広がるから、町はどうしても平坦になる。平坦になった町は、どこも平均的に発展してゆく。画一的に、ある種の法則に従って、大体どこも同じように発展してゆく。そこはこの町に暮らす人々が、皆同じ希望を持っているからだ。適当なレベルまでの発展、それを望んでいるからだ。(p.110)
これがだだだ。そして、主人公のかつての恋人万里子は、これそのものの女性だった訳だ。それに対する「ぐぐぐ」には自分と自分の周辺の人々などが準えられる。おそらくこちらは、抑圧に抵抗する形を表したものではないか。彼は「圧倒的にだだだでありながら、少しばかりのぐぐぐを貪るのは、醜い。圧倒的にぐぐぐでありながら少しばかりのだだだを求めるのも同じだ(p.119)」と言う。しかし、年を取って万里子に再会した主人公は、万里子が混じりけのない「ぐぐぐ」ではなくなったのに失望したときに自分もまた圧倒的な「だだだ」でなくなったことに気付く。そして、「だだだ」な日常に埋没していくことを自ら選ぶのだ。それは、万里子がこれ以上「ぐぐぐ」へ傾倒するのを抑えるため。
まあ、別に万里子のために自分の人生を犠牲にしたとか、そんなきれいなものではないのだろう。それが、潮時だったのだ。いずれは「だだだ」にならなければならないと分かっていながらも長すぎるモラトリアム期間を楽しんでいた主人公は、とうとう年貢の納め時を迎える。何のことはない。あれほど水が合わないと思っていたこの町に、自分の居場所を図らずしも見つけてしまったのだ。
こんな人は、地方都市には限らず、それこそ掃いて捨てるほどいると思う。そうであるだけに、そうであるどうしようもない人々を丁寧に描いていて、これが良かった。誰だって理想に行きたい。けれど現実との折り合いを付けながら生きていくものであり、そうしなくていいのは一部の恵まれた人々か、もしくは人生の落伍者だけだ。どっちにもつかない人は、主人公のようになってしまうし、だからこそ読者は自分や周囲の人を投影して共感する。
再開した万里子の部屋と万里子自身は、アパートのひとつしか無い窓に掛けられた安物のオレンジのカーテンに象徴されている。この下りが最高に自虐的で面白いので、ちょっと長くなるが引用してみる。
オレンジ色の、細かいチェックの柄がプリントされた、安っぽいカーテンが見えた。きっと量販店のバーゲン品なのだろう。落ち着かない色。いらいらするような柄。ぺらぺらの素材。ああ、想像するだけで嫌になる。寝るのも、飯を食うのも、たった一つしかないあの窓にかかる、あのカーテンの前で。オレンジ色の、安物の、いらいらするようなあのカーテンの前で。きっといつも、飯は一合しか炊かないのだろう。小さな電子ジャーで、「一合だと、あんまりうまく炊けないわ」なんて言ったりしながら。おかずは閉店間際のスーパーの、半額になった売れ残りのメンチカツかも知れない。味噌汁はインスタントかも知れない。袋を破って、マグカップに生味噌を絞りだして、その上に乾燥した具を放り込んで、お湯を注いで、箸でかき混ぜて、「やっぱり日本人なんだなあ」なんて時々呟いて。湿ったベッドに腰掛けて、テレビを見ながら味噌汁を飲むのかも知れない。「あはは」と笑ったときなんかに、味噌汁が少しこぼれるかも知れない。それを「あらあら」って雑巾で拭いて、「今度の休みに、シーツを洗濯しなきゃな」なんて思うかもしれない。シーツの洗濯をしながら「しばらく掃除してないな」なんて思って、掃除機をかけるかも知れない。するとベッドの下から百円玉や十円玉や五円玉が出てきて、それを貯金箱に入れて、「たくさん貯まったら、温泉にでもいこうかな」なんて言うかも知れない。そのうちに、百円、二百円とそこから出して使うようになって、なかなかたまらないから嫌になって、十円玉と五円玉と一円玉ばかりになってしまったその貯金箱ごと、二十四時間テレビの募金に寄付しようかなんて考えるかもしれない。あの、いらいらするようなカーテンの前で。(p.124)
なんとまあ、細かいこと。これはこの人の作品の随所に見られる「言い換え」の長大版となっているのではないかと思う。この主人公は何かを話すとそれと似たような文章や単語をかぶせて畳みかけるようにすることが多い。この畳みかけが、周囲を醒めた目で見る主人公の視線とシンクロし、作品を通してオフビート感を感じるリズムを文章が持っている。これがなかなか魅力的。
ラストの一行でずっこけたけど、果たしてあれでうまく締めくくっていると言えるのかな。「だ」と「ぐ」がひと文字ずつ残ってるんだけど。っていうのに象徴されるような消化不良の感覚が、この作品にあるような気がする。それは、詰めの甘さと言っていいんだろうか?
はあ〜〜、3度目の正直でようやっと全部同期が取れた! どうしても予定表を同期候補に入れるとエラーになり、しかしこれで予定をチェックできないといろいろと困るととにかく根気で。今日駄目だったら明日サポートにヘルプコールしようと思っていたところだった。でも、これだとメーカー側はトラブルについて分からないだろうから、何らかのアクションは取った方がいいのかも知れない。あー、エラーコード書き取っておくのを忘れてしまった。残念。
そんなんでも、Googleマップをダウンロードしてみて自宅や会社の辺りを表示させて居酒屋検索してみたり、あれこれやって楽しめましたよ。しかし位置情報はやはりPHSのではなくGPSのを使わなきゃいけないんだね。残念。
ATOKはだいぶバージョンが上がって*1使いやすくなり、変換した次の入力待ち時に最初のポジションが「閉じる」となったのがとても良い。閉じるのにクリアボタンを押してると押しすぎて余計なところまで消しちゃったりしてたからなあ。
付属の「ブンコビューワ」は、ひとまずサンプルで入っている3つのうち、縦書きに対応している『
ひとり日和(青山 七恵)』を読んでみた。行間字間が空きすぎなので、それぞれ「中」から「小」にして*2。横スライドは1行ずつ(?)なのか。ページという概念は無いのかな? ページ送りをして読みたいんだけど。
ちょっと遅かったので、青山ブックセンターHMV渋谷店にて。
芥川賞およびその候補作が。『アサッテの人』の装丁は微妙だなあ。時間をかけずに、となったらこうなったのだろうか。『わたくし率〜』はちょっと凝ってて、カバーの方が本体より本の少し丈が短い。カバーが白地で本体が赤なので、なかなかいいデザインに仕上がってると思いました。巫女的? 『リビドー・ガール』はずっと気になっていた本ではあったのですが、女子にとってのエロって男子にとってのものとどう違うんだろ、というところが少し分かるかな、とやっぱり買ってみることにした。うーん、どうだろ。でも、文章も分析的で結構いい感じなんだけど。
それと、漫画コーナーに『
少女マンガにおけるホモセクシュアリティ(山田 田鶴子)』という本がディスプレイされていた。少し読んでみたけど、自分たちが親しんできた時代の漫画から同性愛物をピックアップして作品自体やそれを巡る事象や受容のされ方などなどを論じたもの。内容自体はもっとじっくり読んでみたいと思うのだが、紙の質が悪い……というか、妙に分厚くてめくりにくいので気分が萎えた。オンライン出版されないかなあ。
23時から米光さん主催でチャットラジオをやるというので、23時50分くらいからちょっくら参加してみた。しかし既に1時間近くたっているわけでしかも以前にもやっていることもあってか、参加者は各人仲良く盛り上がっている様子。とても入っていけないので傍観することにしたのだが、名無しさんでいることには抵抗があって、名前を入力してからボーっと見ていた。
基本的には雑談で、居酒屋なんかで話していることと変わらないんだけど、米光さんというホストがいて、一応各ジャンル担当の人が何かの情報を発信することになっているから、とりとめもなく、というのともちょっと違う。話の流れを見計らって米光さんが各担当に話を振り、担当はそれについて「こんなものがマイブーム」とか「これがえがった」とか、そんな話をしてそれに各人が突っ込んで盛り上がる方式。ボーっとしてたらわたしも名前を呼ばれて慌てて参戦したのだが、結局それがきっかけとなり会話に参加することになった。ちゃんとアカウントとってプロフィール閲覧できるようにした方が面白いよね、多分。
以下、そのときに話題になって印象に残ったところをほぼ時系列に。
不確定世界の探偵物語 (創元SF文庫)(鏡 明)』
どいつもこいつも 1 ワイド版 (ジェッツコミックス)(雁 須磨子)』なんか、いろいろ楽しかった。90分の予定だったけど盛り上がってて結局1時くらいまで。後半、サーバが重くなり落ちてしまう現象多発。それで解散になった感じか。普通のチャットだと拡散しちゃうけど、米光さんがホストとなることで話の流れが整うのでいい感じ。あと、誰かが言ったことを他の人に説明するような感じで補足してくれるので、とても助かった(言った方としても、言われた方としても)。
毎週木曜23時からやるらしいので、気が向いたらまた参加してみよう。
群像 2007年 06月号 [雑誌]」所収)今回の芥川賞候補作。
美大を出て、大阪の、キャラクターグッズ製作の会社に勤める入社5年目の実加。同僚や大学の友人などなどとの会話がゆるゆるとされていくのだが、異様に居心地がいい。文章がとても丁寧で、しかも素直に綴られているので無理が無いんだな、多分。そして、場の空気を表現するのがうまいなあ、と思った。周囲の様子をつぶさに観察して、それらでディテイルを練り上げていく。たとえば、実加らがどういうオフィスにいるか、は書かないのだが、たとえば隣のビルの7階を見下ろすくらいの高さのところにいることが分かる。マンションの部屋は3階、オフィス近くの人気のイタリアンは2階。それらが無理なく示されていく。
話の流れもスムーズに起承転結を進んでいく。オフィスで実加の人柄やプロフィールを紹介し、同僚たちとの関係も描かれる。ここで愛ちゃんという大学出たての女子が登場するが、それとイタリアンでの描写を通じて美加の女子好きというプロフィールが浮き彫りになる。最初、愛の姿を見たときに、わたしはネガティヴな印象を持った。女子にしては大柄すぎる身体、やたらに甘える態度。しかし、それは実加たちにとっては好ましいものだったと知って驚いた。そうか、鬱陶しいと思っているわけではなかったんだ。
この話の中で美加と友人たちは沢山の女子と知り合う。周囲に女子好きの人も多く、みんなを引き合わせたいと思うようになる。ああ、この感覚はよく分かるよ。そこで、女子だけのホームパーティを思いつくのだ。ここが転、かな。そこから通知を送る間に挿入されるエピソードが、とてもユニークだ。駅ビルにあるエスニック料理店に入った実加は大きな丸テーブルに案内されるが、そこにはいろんなタイプのおひとり様(ここの場合は女子ひとりで飲食店にやってくること)がやってくる。それぞれを観察しながら実加は、この人たち全員に話しかけたい気分に駆られる。実際にはそんなことはできず、その代替として、レジでお店の中国人店員と短い会話を取り交わすことになるのだが。こういった「いろんな女子と知り合いたい。交わりたい」という欲求が女子カフェ実行に駆り立てたのだろう。
本当にいろんな人たちがいて、そういう人たちがそれぞれに交流し、新たな関係が生まれたりする。その様子を、主人公は満足げに観察する。そう、この主人公は、変化はしない。結構な割合の小説の中では主人公はその話の中でした体験を経て何かに気付いたり学んだりして新たなステージに旅立ったり新たなステップを踏んだりするのだが、美加はずーっと同じなのだ。大学の同窓生ともいつも「いつか一緒に旅行に行って、それを元に絵を描いて写真を撮って個展を開こうねー」と言ってるのさえも実行しない。こういうところがカメラアイ的と言われる所以でもあるのかも知れない。すごく面白かった。唯一、目に見える変化があったのは、愛か。「あかん感じ」の彼氏と別れ、なぜかイギリス留学へと旅立つ。その心境の変化はよく分からないのだけれど。
「主題歌」というタイトルは、どうしてつけられたのだろう。終盤に出てくる同僚の小田ちゃんの結婚式二次会で出席者がオリジナルの歌を歌う場面があるのだが、その辺りからとられたか。
小田ちゃんたちを祝うために集まった大勢の拍手の波につつまれながら、実加は、歌はこうやって歌われるものなんだと思った。彼女が作ったほんの短い歌は、とてもいい歌だって、わたしにはわかるし、ここにいる人はみんなそう思っていると思う。テレビやラジオで流れたりすることはなくて、誰かにお金を出して買われることもないだろうけれど、彼女の歌が素晴らしくて、ここにいる小田ちゃんの友人たちがこの歌を心からいいと思ったから、それでいいとおもった。この歌がここで歌われたことは消えてしまわない、と実加は、自分でも不思議なくらいはっきりと思った。(p.224)
ここで歌われた歌が、小田ちゃんの二次会の主題歌になる、って解釈したらきれい過ぎるかな。
人にはそれぞれ主題歌があって、だから人々はそれぞれが個性を持っているのだ、といった感じ? うーん、ちょっとこじつけっぽいかなあ。自分が自分らしく生きるためのもの、といった。
なかなか面白く読むことができました。いろんな人との会話が、とてもいいよね。特に女子にお勧め。
そうそう、いろんな固有名詞(特に女優)が出てきたのだが、その中で「鶴屋吉信のつばらつばらがとてもおいしい」という話が出てきた。鶴屋吉信はどこのデパートにもあるから知ってるんだけど、そんなお菓子知らないなー、と検索してみたらこれみたい。買ってみよう。
桃―もうひとつのツ、イ、ラ、ク (角川文庫)(姫野 カオルコ)』『ツ、イ、ラ、ク』のスピンオフ短編集。しかし、姫野カオルコ未体験者にこれは推薦できないな……。姫野カオルコといえば恋愛とかそのあたりの「社会の中では当たり前だと思われていること」を当り前じゃないということを作品に昇華させていく人なのだと思っているのだけれど、短編集だとそれが表に出すぎてしまう。理屈の部分が目立ってしまっているように感じられるのだ。あと、すごく断片的な情報のみで作品が成り立っていて、全部が余韻みたいな作品があるよな。
それでも『ツ、イ、ラ、ク』を読んだ人間には欠かせない作品集だと思うし、読んでよかったと思いますよ。
解説は、小説ではないもの担当の編集者。最初の部分はどうかと思ったけど、作品の話になってきたらノリノリ。そうか、雪之丞先生のところでそんなに泣けたのか。男に生まれてきた困難。この解説の人ほどではないけど、客観的に「男はつらいよ」と思いましたよ。男性に生まれついた困難を描ける女性作家も(男性作家もだけど)なかなかいないんじゃないかな。
いろんなトーンと文体で作品が描かれていて、なんだか長命の人の寄せ書きみたいだった。ちょっと変わった短編集。しかし、桐野先輩のなんと大人であることよ。まあ、隼子に惚れたところからそうだとは思えたけど。というか、そういう人だから隼子は付き合おうと思ったんだろうな。「卒業写真」は泣けた。
まだちゃんとした感想を書いていない『ツ、イ、ラ、ク』も含め、後ほど文章にすることにします。済みません、仕事が遅くて。
渋谷シアターNにて。元ユーロスペースがあったところなのだが、ちょっと変な映画をいろいろやってて面白い。と言いつつ今まで来る機会が無かったのだけれど。
原作の漫画(『
夕凪の街桜の国(こうの 史代)』)は出た当時に読んでその良さは分かっていただけに、それが映画化されると聞いて複雑な気分だった。とても微妙な表現が多く、その微妙さが失われてしまうのではないか、という心配があったのだ。ある作品が原作となって別の媒体で作品が作られるときは当然のように感じられることでもあり、その分、制作する側も注意を払っていることは多いとは思う。しかし、そこに挿入されたオリジナルのエピソードやアイテム、登場人物の変更など、どうしてもファンの心を逆なでしてしまう部分が出てきがちだ。ましてや、人の解釈なんてそれぞれなものだから、その作り手の解釈が自分と著しく違っていたりなどしたら――。
そんな懸念は、スクリーンの中の麻生久美子を見た途端、さっぱりと消えてしまった。勿論原作の皆実とは見比べてみれば違っているのだけれど、何故か彼女の姿はこうの史代の作品から抜け出てきたような佇まいに見える。控えめな笑顔、透き通る高い声で歌われる童謡、柔らかい感触の広島弁。どれをとってもあの原作の雰囲気に似つかわしく、そのとけ込み具合には驚いてしまった。母のフジミ役の藤村志保はもちろんのことながら、同僚で後に恋人となる青年打越役の吉沢悠も好演していた。最近、映像で「あれ、これって……」と注目すると吉沢悠だということが何度かあったので特にこの役での出演も嬉しく思ったのだった。
広島の街と原爆体験。わたしたち時間も土地も遠くに生まれ育ったものには、やはりあまり実感できない。会社の前にある用水路に必ず手を合わせる皆実の姿、半分えぐれた地蔵の姿を見るにつけ、彼らの過去を追体験することになるのだが、最初に衝撃を受けたのは、銭湯のシーンだった。洗い場にいる女性たちの背中に色んな模様があって、漠然とそれを入れ墨か、それにしても堅気じゃない人が多いんだなあ、と思っていたら、実は火傷の痕だったのだ。背中の大半がケロイド状になっている人もおり、皆実やフジミも小さいながら火傷痕が残っている。それは、そこにいる人が等しく受けた原爆の傷を表しているのだと思った。やはり、漫画と較べると映像というのは、一瞬のシーンでも訴求力が違ってくるような気がした。
幸せを感じるたびにふと原爆直後の風景がよみがえってくる皆実。被爆直後にどうにか妹翠を見つけ出し、重傷を負った彼女を背負って家をめざす皆実。途中で力尽き命を落とす翠の最後の言葉……。それらがフラッシュバックし、自分は幸せになってはいけないと責めてしまう、というのだ。「原爆は、落ちてきた、じゃなくて落とされたんよ」「お前の住む世界はそっちでは無いという声がする」と言う皆実。誰もが、そういった傷を、戦後十数年経っても背負っている場所、それが広島だったということなのだろう。
原爆体験とその後遺症という形で負の連鎖がある一方で、この一族の女性の手に手渡されていく髪留めの使い方が印象的だった。現代の田中麗奈演じる七波(皆実の弟である旭の娘)が深夜バスで外したのを見て初めて彼女もまたこの髪留めを使っていたことを知るのだが、そのときに静かに沸き起こる感動があった。これは映画オリジナルのアイテムなんだそうだ。時間の流れと関係をうまく具現化させるものだと思った。時間の経過を示すものはもうひとつ。バラック小屋の建つ河原とアカシアの樹、その傍らに建つ、原爆の衝撃で一部破壊されたらしい地蔵の佇まい。現代では緑が敷き詰められたきれいな河原になっているのだが、かつての風景とオーバーラップさせるとその時間の経過をまざまざと感じることができる。
現代のパートは、わたしからしてみると若干色が付きすぎたキャスティングで興を殺がれたが、そんな中で七波の弟凪生と幼なじみの東子が好演しているし、この二人のオリジナルエピソードも、現代にまで影響する原爆の負の遺産をうまく観客に感じさせる役を担っていたように思う。
少々安っぽい特殊効果や不自然な演出が見られるのは目をつむったとしても、十分鑑賞に堪える作品になっていると思った。低予算で作られた作品のようで公開される映画館もまだまだ少ない。機会があれば是非見て欲しいし、多分、見れば誰かに見せたくなる作品なのではないかと思った。
惜しむらくは、「夕凪の街」と「桜の国」の同じキャラクターの若い頃と年を取ってからの不一致。こればっかりは仕方ないのだろうが、風貌が、たとえば伊崎充則から堺正章になるとは思えず、吉沢悠が田山涼成(を老けさせた姿←これもひどい)になるとはとても思えない。そこを見ると急に現実に帰ってしまう、というか。あ、でも、「お父さんに似てるということは、将来禿るんかねー」と皆実が言ってたのは当たってしまったようだということだけは分かった。
今回は、博士論文を仕上げるのにカナダに戻られる直前のMさんと見に行ったのだが、「最後にこの映画を観ることができて良かった」とおっしゃっていたのが印象的でした。あの戦争からもう60年以上経っている訳で、戦争体験者や彼らに直接話を聞いた人もどんどん故人となってしまっている現実を考えると、今のタイミングでこのような映画が公開された意味は思っている以上にあるのではないかと思った。ここ数年立て続けに公開されている感のある第二次世界大戦前後をテーマにした作品も、もしかしたらそういう意図もあって作られているのかも知れない。
原作の印象を大切にする人はわざわざ見に行かなくてもいいと思うんだけど、そうでない人は見てみるといいと思った。会場は、ひとりで見に来た2〜30代の男性が多かったように思う。わたしの前の席にいたのはひとりで見に来た年配の男性だったのだが、彼の頭でスクリーンの下の方が見えないのが辛かった。予告編のときに「どうしよう、言った方がいいかな」と心配してたんだけど、考えてみたら邦画だから字幕は無いんだった、と思いついてすんでの所で止めたけど。あれは、スクリーンの位置が少し低すぎるんではないかと思った次第。
しかし、映画の公式サイトが表示されると同時に出てくるFlashだが、skipの選択ができないのは非常に不親切だと思った。今からでもどうにかして欲しい。
その後はそのまま帰ることができず、喫茶店でMさんと延々話し続けてしまった。やっぱりあんなに粘るなら、食事に行った方が良かったかも。
近くの店でお昼を食べてから(パスタソースが塩辛かった……)、小学校の体育館でやってる投票所へ。途中、大粒の雨が思いだしたように降ったり止んだり。校庭の片隅の池にいる亀は元気そうでした。
それにしても、立て看板に貼られているポスターを見ても「この人に入れたい」という顔の人がいない。それでも投票しなければならないと言うのは案外辛いものだなと思った。
今回は自民党が大敗したが、民主党の積極的支持という訳ではなく自民党に勝たれたくないから第二政党の民主党へ、という波が起きただけだろう。この波が押して返さないよう、この機会をうまく捕まえて、いい働きをして欲しいと思う。いい加減、数の暴力に辟易していたので、別の力が作用してもっとバランスのいい政治になるといいと思っている。まあ、なかなかそうはならないのがこの日本なのだけれど。
夜は、帰るのが遅くなってしまったが恒例の寿司屋で参院選投票速報を見ようと思っていたら、この雨のせいか客足が遠のいてしまったようで、店の前に着いたときはちょうどシャッターを閉める準備をしていたところだった。のれんは下がっていたので無理すれば入れたかも知れないのだけれど、なんだか気まずいので別の機会に再訪することにした。何故か梅雨の時期は、寿司屋に行きたくなる。
昨日に引き続き、今日の昼間も土砂降りの雨と時々の雷。朝から窓の外はどんよりとしていて、夏らしい感じがひとつもない。
それが、夕方にはからりと雨が上がり、過ごしやすい陽気に。この隙に昨日までの衆院選の掲示板を撮りに行こう(会社のあるビルのすぐ横にある)と出てみたら既に撤去された後だった。仕事が早い。
まあ、そろそろ落ち着いてきた。電話の受話音量はデフォルトのままだが、以前と較べるとずっと聞こえやすくなったと思う。アプリの動作ももっさり感が一弾と減り、ストレスも軽減された。その分、ダイアルアップ時のタイムラグに苛々したりするんだけど。無線LANオプションは電池の消耗も解消されているとはいえそれなりに心配で、結局まだ試していない状態。
ところで、新機能のW+Info(Today画面にニュースデータを取り込み表示するサービス)なのだが、いまひとつ分からない。どの程度の感覚で取得しに行っているかも分からず、金曜の朝見てみたら昨晩の状態のままだったので、仕方なく手動で更新してみた。しかも、週末は全然更新されずいまだに26日夕方が最新のままだ。現在どんな状況下も分からず、手動更新しても何も更新しないまま切断され、精神衛生上えらく悪い。大体、天気予報は絵を見て大体のところチェックできると思ってるのに情報が古いままでは意味がないではないか。Push型なのかPull型なのかもいまひとつ分からず、気持ち悪い状態。気持ち悪いといえば、これの設定をするときに取得する情報ジャンルを選ぶことができるのだが、「占い」のチェックを外すとそれ以前には登録されていた生年月日がクリアされ、しかもSubmitした結果は「Error」と出てくるんだけど……。何なんだ、これは。
渋谷リブロにて。
S-Fマガジン 2007年 09月号 [雑誌]」リブロには、古川日出男の本棚(リスト付)、青山ブックセンターHMV渋谷店には、渚十吾ブック・セレクションフェア(こちらもリスト付)。なんか、いかにも異色作家好きのセレクションだなあ、とほくそ笑む。
ランドマーク (講談社文庫)(吉田 修一)』それにしてもこの人って、内に籠もりに籠もった結果ものすごい勢いではみ出しちゃってる人をよく書くなあ。ここに出てくる二人の主人公も、一触即発の気を孕んでいるように見える。
大宮の、さいたま新都心にある高層ビル建築現場が舞台の核となる。そのビルを設計した設計士と、実際にビル建設現場で働く鉄筋工の若者。鉄筋工の隼人は、秋田県出身の季節工が殆どを占める現場で、ただひとり九州出身者として混じっており、周囲からは「キューシュー」と呼ばれている。周囲の人間は強い秋田弁なのだが、普通にいったら双方の意志が通じるのってちょっと難しいような気がするなあ。東北の人間はなまっていると同時にあまり口を開けて話さないので何を言っているか余計に聞き取りづらいのだ。
一方、建築士の犬飼は、このほかにもいくつものプロジェクトを掛け持ちしているが、現在は週の半分ほどを家に帰らず近くのホテルで寝泊まりしている。それだけ忙しいということもあるが都内に住む愛人のところに行くにも怪しまれずに済み好都合だからのようだ。金銭的にはかなり余裕があるようで自宅はコンクリート打ちっ放しのデザイナーズマンションだが、あれほど嫌っていた規格内に収まる何の変哲もないアパート(つまりは愛人の家)にこのところ何故か愛着を持ちつつある。
1章1章この二人が仲良く分ける形で話が展開していくのだが、基本的に彼らが混じり合うことは無いようだ。犬飼は隼人を見知っているが、町中で声を掛けるほどの間柄ではない。
冒頭から大宮の駅前の街並みが描かれ、多くのブランド名や固有名詞が文章に盛り込まれ、それらで語られていく手法は、たとえば『パーク・ライフ』などでも見られる手法だ。ここでは、適度に豊かではあるものの、一種金太郎飴のようなブランドや店舗の進出が批評されていると読みとっていいものだろう。いくつかのデパートやブランドや店舗がセットになり、その街の規模に合わせた形で設置されている。わたしの印象では、大宮という街は八王子や町田よりは大きいが、立川にはもしかしたら少し小さいかも知れないというイメージだが、最近見知った立川と20年ほど降り立っていない大宮を較べるのも無理があるかも知れない。しかし、東京近郊でありながらも何故か地方都市の臭いを色濃くしている街のように感じられる(近くに住んでいる方、済みません)。
隼人は、貞操帯を買おうとしている。男性用で、自分で装着するために。何となくそれって普通相手がやるもんじゃないの、と思うのだが、一種の自虐的趣向があるということなのだろうか、と考える。文章で説明してあっても実物を見たことがないのであやふやな状態だったのだが、検索してみるとこのTollyBoyというメーカーは実際にあることが分かる(www.tollyboy.com)。小説の中ではウェブサイトは英語のみのようで自動翻訳サービスを噛ませたものをネットカフェの店員にプリントアウトして貰うのだが、その方法を教わっているということはこの男、少なくともこの店員にはこういったものに興味があることが知られているということだろう。知らないことだから人に聞かないと分からないことだとはいえ、なんだかこういうことをできてしまうことにちょっと驚いてしまう。因みにこのサイト、今は各国語(勿論日本語も)のページが存在するようで、英語が分からなくても安心(?)だ。この自動翻訳サービスが出す日本語訳というのが案の定面白いものであり、その妙味についてあれこれ突っ込むところは、まあ、今ではありふれたやり口だとは思う。別の場で犬飼の愛人が英語の歌詩を訳すところは、ここと対比させているのだろうか。
都市の中に住む異邦人であるところの期間工。ビル建設の作業員として集められた彼らは、いつまで経っても異邦人のままだ。それは、異邦人らしき建物を建てる現場に次々と渡り歩くことになるからだろうか。建物はできたときこそ異邦人だが、時が経ち、周囲の人間がその風景に馴染みだしたときには、異邦人ではなくなるというのに。
やり場のない抑圧された怒りとか、都市に住む孤独とか、貧しさとか、刹那刹那の関係とか、吉田修一はそういったものを執拗に書いていく。そして、一触即発の状態で保ってきたかりそめの平穏がどのように変貌していくのか。この先の展開が楽しみであり、同時に恐ろしい。
ランドマーク (講談社文庫)(吉田 修一)』 今月分にカウントしたくて、無理矢理読了した。珍しく、この文庫には解説が付いていない。あ、あと、「
IN☆POCKET ’07-07 (2007)」にはこの文庫化を記念しての巻頭特集で吉田修一インタビューが掲載されている。まあ、この作品のことについてはそれほど言及はなくて、むしろ自ら監督となったという映画「Water」の話が多かったけど。ただ、建設現場の話は自分でも作業員として働いた経験もあるから一日のリズムとかは分かっている、というようなことが書かれていたのは印象的だった。そういえばこの人って作家デビューする前はガテン系の仕事をいくつかやってたんだよな。
で、この作品だが、都市、そしてそこに住む人間の危うさを描いているのだと思った。さいたま新都心に次々と高層ビルが建ち並ぶが、その中でも一層高いビルとして、O-miyaスパイラルは目下建設中だ。この物語の真の主人公はこのそびえ立たんとしている高層ビルなのだろうと思うのだけれど、表層的にはこのビルの設計士・犬飼と、この建設現場で働く鉄筋工・隼人の二人である。ザ・格差社会の現場。双方は面識はほとんど無く、隼人の方の言及は無いが、犬飼は、電車の中で一度見かけて、作業員のひとりだ、と思い出すくらいには認識している。この二人の描写がひとつの章を前後半に分け続いていくのだけれど、犬飼の言動はそこそこ納得がいくのだけれど、隼人は意味不明のところが多いように感じた。これが逆の人もいるのだろうか。
秋田県出身のの建設作業員ばかりの現場と寮とで過ごす隼人は、小倉の出身。こっそり男性用貞操帯を個人輸入して装着している。ステンレス製のそれは無理な姿勢を取ったり性的に興奮したりすれば痛みを覚えるものであるのに、わざわざ何でこんなことをしているのだろうか。これを着けている固めに人とはお風呂の時間もずらし、汚い湯に浸かる羽目にはっているというのに。職場も寝食も共にする彼らだが、隼人はその中でも異質な存在で、後で先輩の口から語られるのだが「イライラしていて何を考えているかも分からず危なっかしい」と思われている。実際、我々が彼のパートを読んでて感じるのもそれで、常に一触即発の危険を孕んでいるように感じる。駅前の中華レストランで働くこずえとは付き合っているといえなくは無い間柄だが、彼はそのほかにも行きずりの関係を結ぶことも常態で、悪びれてもいない。
一方、犬飼だが、O-miyaスパイラルの現場のとりまとめやその他のコンペなどで連日忙しい。そのお陰で週の半分は大宮駅前のホテル泊まりなのだが、都内のデザイナーズマンションには、妻がひとりで住んでいる。コンクリート打ちっ放しの内装は当初こそ無機質だと嫌がっていたが、どんな家具でも映えると妻はご満悦だ。そのほかに愛人もおり、外泊が多いことをいいことに、彼女との逢瀬も比較的自由に楽しんでいる。しかし少々マンネリになっているところで、刺激を求めてある試みを提案される。
どちらも、性的に少々逸脱したところにあるが、それはあくまでもプライベートな部分で、仕事面には影響しない。まあ、人というものはそういうものだろう。職場で淡々と業務をこなす一方で、オフィスを一歩出たらその人は何をしようが(犯罪でもない限り)自由だ。そして、我々は職場の人たちの顔は、ほんの一部しか知ることはない。それは別に積極的にそうしている訳ではなく、聞く必要もないからだ。根ほり葉ほり聞いてその人を理解している気になっても、自分には何の得もない。そんなところか。隼人は
いや、それにしてもさ、誰もだぞ。現場でも、寮でも、もちろん街を歩いてても、誰も知らねぇんだよ。こんなものつけてんだぞ、俺。こんなもんつけてるやつが、そばにいたり、ふらふら街を歩いたりしてんだぞ。……気味悪くねぇか?(p.184)
などと、貞操帯を着けている自分のことを話している。なんか、急に普通の人になってないっすか? 隼人の、心境の変化はかなり激しい。というか、内面はさほど描かれていないので突拍子もなく思われるのだろうが(これは意図的なものであり、作者の力量不足とか、そういうものでは勿論無い)。この後隼人はこずえに向かってもっともあり得ないことを提案するのだが、それを読んだこちらもこずえと同じくらいに面食らいましたよ。
この小説に出てくる人々は(ということは我々も)、みんな一様に孤独である。人との交わりがあり、家族がいたり共同生活を送っていてさえも。それはラスト近くに起きる事件に象徴されているものでもあり、そういう意味ではこのO-miyaスパイラルという建物は、都市に生活者の集合意識なのかも知れない。我々は、孤独だと知ったそのときに、ねじれが逆方向にねじれ(つまりはまっすぐ戻ろうとし)、建物は崩壊する。
なんというか、救いようのない話ですよ。そして未だに隼人の一件は、どう心情的に処理したらいいのかよく分からないっす。
なんだか書き足りないことが沢山。コンクリート打ちっ放しに動物の毛皮とか、東京の高速道路(普通の道路は毛細血管?)を人体の血管と見立て、用賀から大宮まで首都高をぶっ放すところ、などなど。血管の見立ては、『パーク・ライフ』で日比谷公園を人体とその内臓と見立てたところに繋がってくると思う。あと、固有名詞やブランドをわざと多用するところにも、共通項がある。こちらの場合は、均質化される都市、といったものへの批評に用いてるのだけれど。
ブックファースト渋谷店にて。
特集棚で、桜庭一樹の『青年のための読書クラブ』に出てくる本のカタログとともにフェアが開かれてました。壮観。
_ 鈴木真由 [パパと娘の七日間おもろい!]