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2008年08月01日 (金) [長年日記]

_ [書店話]洋販の経営破綻

 昨日は午後はあまり脇道に逸れず仕事をしていたので人のTwitterの発言で気付いたのだが、洋販が経営破綻したとの報に愕然。mixiにアクセスしてみると、人によっては数日前から噂を掴んでいたとのことで、それなりに「危ないかも」という話は流れていたのかも知れない。

 洋販が経営破綻、で何が困るって、現在傘下に入っているABCと流水書房の処遇だ。そのときはなぜか新文化(出版関係のニュースはまずはここを見るのが常識なのに)ではなく帝国データバンクの倒産情報だったりしたため、周辺事項はあまり分かっていなかった。ただ、洋販直接の経営ではなく洋販ブックサービスという子会社の経営だったため、そちらは民事再生法の適用申請中ということは分かったので少しほっとした。

 その後、ブックオフが支援に乗り出している件(pdf)、親会社の洋販だけが洋雑誌を輸入していた件、また、全国の洋書の棚は殆ど洋販だという話などを知りそれなりに問題は(一時的に)解決したり残ったりするなあ、と。

 前回、2004年のときの閉店騒動のときと受け止め方が違っているのは、それからそれなりに頻繁にABCを利用するようになっていたからだろう。殆どはイベントついでの買い物だったりもしたが、ここでしか売ってないようなものも多く、重宝した。二年続けてここで売ってるアーティストのカレンダーを使ってるし(今年は松尾たい子)、ノートや、小さく丸めて携帯できる買い物袋(cruttoは今でも重宝している)などなど、他にも絵はがきやなにやらを買い込んでいる。イベントを通してスタッフの方たちともお知り合いになることがあり、ずっと身近に感じてきていたのだと思う。

 今後、現行体制のままいけるのかなど不透明な点が多いが、ひとまず以前のような店を閉めなければならないまでの事態には陥らずに済んで、おそらく良かったのだと思う。今後も出版業界は厳しい状態が続くのだろうが、どうにか頑張って欲しい、というのが勝手ながら利用者の願い。

_ [読書][読了]『 ぼくは落ち着きがない(長嶋 有)

 舞台は、桜ヶ丘高校の図書室内。この奥にベニヤで仕切られた細長い部屋があり、そこは書庫兼図書部部室となっている。図書委員じゃなくて図書部? そう、図書委員は別にいるのだけれど、一部の物好きがそれを部活動でやってしまおうと集まってできたものだという。日ごろの活動は、図書委員と一緒にカウンターに入り図書の貸出業務。朝ドアの鍵を開ける(主人公の望美か部長)と五月雨式に部員がやってきて、お弁当や私物を置いて各教室へと向かう。ここは、憩いの場ともなっているのだ。部員たちの殆どは、同級生との付き合いで何らかの「やりにくさ」を抱えており、それから逃避するように部室へと集う。いわば外れ者の吹きだまりのようでもあるが、本を好きになる人ってどこか、そのようなものを抱えているのかも知れない。

 この、図書部ってところがいいねえ。文芸部がライバル的存在としてここでも出てくるけど、そこまで行くとちょっととんがり過ぎちゃうんだよな。文芸部より図書部の方がまったりした感じ、無いッスか? 「本が好き」というだけの集まりで、そのつながりはかなり緩いように感じられる。実際、一緒に集まっていたっていつも本の話をする訳でもなく他愛もないおしゃべりが続く。学校の図書室の、これまた薄いベニヤで仕切ったという限られた空間の中で、高校三年間という限られた時間を過ごすのだ。そこには男女の問題や仲違いや何やかやがやっぱりあって、でも部員という大きなくくりの中で、みんな過ごしてるんだよなあ。

 運動系でスポ根やってた訳でもなく、才能発揮する系のすごい活動をしていた訳でもない、どちらかというと目立たぬ地味ーな部活動に目を付けるところが、長嶋さん的目線、と言えなくもない。似たような日々を過去にしている人も読者には多いだろう。わたしもそのクチで、わたしの場合は大学のときだったが、確かにこんな感じだった。

 休み時間や放課後、活動目的ではなくても何となく集まってお茶を飲んだりトランプやったり。あだ名も付け合ったし(というか、うちは強制あだ名文化だった)、それがあまりにもぴったりなんで本名誰も覚えてなかったりとか(年賀状きて「誰、これ?」とか)、文化祭の準備で(半ば無理やり)盛り上がったりとか。なんか、高校生とやってること変わらないぞ(笑)。まあ、大学生になるともうちょっと「選択の自由」がある分、「限定された自由」の享受の感覚が違ってくるかも知れないけど。

 そう、「限定された自由」なんだよな。時間も空間もなのだけれど、唯一ここだけは「ここまでだったら許される」的な、そんな危うい自由。ある日突然剥奪されてしまうかも知れない、そうしたらどうにもできない「管理される」対象である自分たち。それでも、みんなでそこにいると開放感を味わうことができたのではないだろうか。それはお互いの関係にしてもそうで、お互いがお互いを見逃しているような、そんな感じ。

 そういう中で、その「限定された自由」から飛び出したのが、司書の金子先生ということになるだろうか。勿論金子先生は大人だから生徒たちと同じような不自由感ではないだろうが、教職員との間で似たような者を感じていたらしいことが見て取れる。だからこそ、生徒たちは慕っていたのだろうけれど。彼女は学校を辞め、何と文学賞を取って小説家デビューを果たすのだが、これはある意味、図書部員たちの将来の自分を考える上でのロールモデル的な役割もあったのではないか。まあ、飛び出した先でもこれまた不自由さは感じているらしいが、それはそれで楽しいものらしい。この辺は自ら好んで選択した道故だからだろうか。この辺りは、長嶋さん自身の経験が色濃く出ているのではないかと思われる(もしくは周囲の人の)。

 基本的に主人公望美の独白で物語は進んでいく。彼女が見、考えたこと、感じたことで物事は解釈されていく。それは一つの視点しか持たない不自由さではあるけれど、一番ニュートラルで、読者に近い存在を選んだのだろうと思われる。この辺は「ねたあとに」の久呂子さんと一緒だね。

 一緒にいても知らないことだってあるし、訳の分からないこともある。「本当はこうだ」と思っていてもちゃんと余すことなく言えないことだってある。そういうのってもどかしいけど、だけど人と人との間のある話であれば仕方ないし(大体、自分自身だって分からない面があるじゃないか)、お互いそう割り切っていかないと息苦しくて生きていけないだろう。そういった「疎通」や「理解」の問題を、細やかに描いた作品とも言える。

 学生生活で一番の盛り上がりと言えるであろう文化祭が、場面が切り替わるとあっさり終わっていたり、そういう大胆な省略は長嶋さんならでは。始まりだって四月じゃなくて一年生が少し慣れてきた五月だったりするし、「何を書き、何を書かないか」を意識的にコントロールする人だなあ、と毎度のことながら感心する。そして、言ったことば、言わなかった言葉の裏側には、たくさんのことばが存在するだろうことも、感じ取れる。

 個性的な面々と共に、狭苦しい部室でだらだらしている様を感じつつ、この本を楽しみたい。

 この作品は、光文社のPR誌「本が好き!」に連載されていたもので、読者が本が好きであることをある程度前提に書かれたものなんだろうと思う。本や読書が好きであれば不覚頷くフレーズも多い。そういう、「好きなもの同士の了解」を噛みしめつつ読む楽しみもある。

 あー、なんだか感想がまとまらなくてすんません。もっと固まったら描き直したいと思う今日この頃であった。

 長嶋さんらしいおまけがカバー裏にあるので、終わりまで読んだ後に読むべし。ところどころ噴き出してしまった。謎の転校生片岡君のことは出てないやー、と思いきや、こんなところで出てくるとは!とか(笑)。あと、本名なので誰が誰だかさっぱり分からん。これも罠か。

_ [イベント]倉橋由美子ルネッサンスVol.2@青山ブックセンター六本木店

 ホステスは前回に引き続き翻訳家古屋美登里さん、ゲストは松浦寿輝さん。松浦さんが書いた倉橋さんへの追悼文(޽ܺپ)がとても素晴らしいもので、いつかお会いしたいと思っていたとのこと。

 お二人で、倉橋さんの仕事を振り返り、80年代の旺盛な執筆欲に驚いたり、文壇でのあからさまな無視に見える態度を嘆いたり。わたしはリアルタイムで倉橋さんの評価を見ていた訳ではなかったのだけれど、本当に、悲しいほどにあれだけの仕事を「無かったこと」にされ続けてきたのだなあとやりきれなくなりました。松浦さんが江藤淳の評論集を繙き、そこには三度倉橋由美子の名が出てくることを教えてくださった。ひとつは彼女の結婚を揶揄する短文、もうひとつは多作であることを揶揄する短いことば。最後のひとつはこれまた短いことばで「今度の作品は悪くはない」といった内容。たった三つだけ。つまりはまともに取り合ってもいない。江藤淳が文壇を牛耳っていた訳ではないけれど、当時の周囲の扱い方の一端と見てもいいのではないかと。

 古屋さんは十代で『暗い旅』に出会い、物語の舞台となる鎌倉や京都を巡ったとのこと。しかし、そこに現実にある土地は作品の中の土地と同じとはとても思えず、やはり倉橋由美子の文章を通してしか見られないものがあるのではないか、というお話をされていた。そういえば、倉橋さんの作品には「行って帰ってくる話」が多いとも。『暗い旅』もそうだし、『スミヤキストQの冒険』も『よもつひらさか往還』もそうだと(多分、他にも言っていたはず)。これが一貫してのテーマだったのだろうか、という話になった。

 倉橋さんはよく作中に「歓を尽くす」ということばを使うという指摘があった。それこそそのままタイトルになっている『合歓』もそうなのだけれど、内容はエロティックだったりしてもその場面は実にあっさりしていて、とても上品だと。ああでも、今回刊行された『酔夢譚』の中に収録されている「黒い雨の夜」は珍しく「あっさり」ではない描写なのだそうで、これは読んでみるといいですよ!と古屋さんが強調していた(笑)。なんと慧君が女の人になってしまい一休さんとナニしてしまうという話なんだそうで、帰ってからこれだけ読んでみるという野次馬根性丸出しのことをしたのだが、確かに異質だった。ひとつには、男性が女性化することで味わう感覚を描きたかったからなのだろうが、確かに不思議なものなのだろうなあ、と感じた。女性が男性になって感じるものよりも違和感が大きいかも。

 松浦さんは、「蠍たち」「合成美女」「マゾヒストM氏の肖像」などのどちらかといえば初期の短編作品がお好きだという。文学だけれど、とてもエンターテインしているとも。松浦作品のキーワードとして挙げられたのは「知性」「洗練」「悪意……シニシズム(この辺りはことばに迷っていた)」の三つ。

 今回『よもつひらさか往還』に収録されなかった分が『酔夢譚』として刊行されたが、9月には『暗い旅』が河出書房新社から文庫で再刊されるという。この気運に乗って次々と、手の届かなくなっていた作品が気軽に読めるようになってくれると嬉しいなと思う。本当は全集(その昔新潮社から出た倉橋由美子全作品の造本がとても素晴らしく、遠目にしか見られなかったが是非手に取ってみたいと思わせるものだった。あんな感じで作られるといいのに)が出てくれるととても嬉しいのだけれど。あ、あと「雑人撲滅週間」はタイトルがタイトルなので今はどの本にも収録されていないそうだ。全作品には収められているのだが。

 因みに、ちらりと伺ったが、『酔夢譚』の表紙に使われた絵は、倉橋さんご自身が生前に選んでいたものだという話。こちらの造本も素晴らしい。帯の誤植だが、連絡すれば新しい帯と交換して貰えるのだそうだ。うーん、どうしようかなー。これは本当に不幸な事故だったようだが、この日も担当編集者の方が最初にお詫びのことばを述べていた。

 以上は、メモも取ってない状態だったので記憶があやふやな部分もあるが、お二人のことばのやり取りで心に残ったメモとして読んでいただければ幸い。

 最後に、松浦さんと古屋さんが著書にサインしてくださるとのことで、迷って未購入だった『あやめ 鰈 ひかがみ』を買ってサインをいただいた。

_ [買った本]買った本

 青山ブックセンター六本木店にて。

 『文豪の装丁』は、刊行時に欲しいと思っていたのだがいつも行く書店には入っていたはずなのだが見つからなかったのでそのまま半分忘れてしまっていた。ディスプレイの平台に一冊だけ残っていたので、喜び勇んで購入。古屋兎丸画集も、サイン会があるから参加しようと思っていたのにすっかり忘れておったのだよ。こちらもサイン本。

 あのような騒動が世間であった直後とはとても思えないほど六本木店は普通の顔をしていた。努めて平常心、だったのかも知れないが、そういうものだとわたしたちも捉えていいのだと思った。


2008年08月02日 (土) [長年日記]

_ [読書][漫画][読了]『 モーレツ!イタリア家族 (ワイドKC)(ヤマザキ マリ)

 雑誌連載時に読んではいたのだが、改めてまとめて読むとすごいなー、イタリア人。いわゆるエッセイ漫画。画家になるべくイタリア留学した著者が、紆余曲折あって現地のイタリア人と結婚し、その家族と同居する羽目になる。それがこれだけ特殊な作品となるのだから、イタリア人恐るべし。

 著者あとがきを読むと、blogにでも、このモーレツな姑の愚痴を描こうと思っていたらしい。それを友達に相談したところ、漫画にすべきじゃないかと言われて編集者に声をかけたのだとか。まあでも、単なる愚痴だったらつまらないし、わたしもわざわざ単行本まで買うことはなかったろう。あとがきに本人も書いているが、エピソードを描いているとどんな話も笑えるものになってしまうのだとか。それは著者自身のセンスでもあるだろうし、姑たちのやってることが愛情から来るものだと分かっているからなんだろうなあ、と、ちょっと温かい気持ちになった。

 主人公たちの暮らすのは、北イタリアの土地。南に較べれば豊かで勤勉な人たちが住むのだが、イタリアというのはとにかく「愛」をふんだんに表現するものなのだそうだ。これがまた強烈で、元々の性格なのかお国柄なのか分からなくなっている(笑)。その点夫は物静かな人で、だからこそ周囲の人の激しさに驚いたのだろうなー。イタリアというのは大家族で一緒に住むものらしく、この家にも舅と姑の母親(90歳代)、両親、妹、およびたくさんの動物がいるが、絶えず家には人の出入りがあり、親戚一同集まって食事会をしたりもするんだそうな。近所の人たちを招いてパーティなんてのもあり、大きな家を持ったところはこうやって人を招くということになっているとか。姑だけでも賑やかすぎるのに、何十人も入り乱れるだなんてちょっと想像できないですよ(笑)。

 あと、「へえ」と思ったのが、大学の存在。イタリアでは大学、大学院にまで行くのは本当にお勉強が好きで優秀な人のみなのだそうで、そういうお国柄を知らないと、結構誤解があるかも知れないなあ、と思った。この著者の連れ合いも歴史学者で、日がな部屋に籠もってなにやら研究している。線が細い人だそうで、新婚当時一年間日本で暮らして戻ってきた息子を見て、ことある毎に「栄養のあるものを食べさせて貰えなかったからこんな痩せちゃって(元からです!)……」と言われるのだとか。あー、こういう言われかたすると、いびってる訳でなくてもカチンとくるかもなー。ひとり息子もインドアタイプなのだそうだが、女の子にもてるためにちゃんと努力をしているらしいところはさすがイタリア人。

 イタリア人全部がそうだとは思わないけど、とにかくすべてが大袈裟(笑)。庭には鶏が50羽いるのだが、それをある日全部絞めて食料にしたことがある話はすごかった。50羽絞めるのも大概な話だが、何せ広い庭で放し飼いをしているものでやたらと筋肉が付いていて肉が筋張っている。そのため肉も硬く、食べるのにすごく難儀したそうだ。またその鶏たちの凶暴さもこれまた(笑)。

 やっぱりハイライトは日本旅行か。著者たちが帰省するときに「わたしも行きたい!」と宣言した姑とその友達ら(around 60)が大挙して日本にやってきたのだが、彼女らとの珍道中がこれまた。結構なお年なのにみんな到着時から元気で当日は浅草観光させられただとか、富士山を拝みたいというのでルートを変更して新幹線に乗ったら大雨で何も見られなかったりとか、観光地に着き案内しようとした途端にみんなパッと散って買い物に走るので結局何も見てないとか(歴史学者の夫は張り切って説明しようとしていたらしいが何も役に立たなかったとか……)、それでも後半は夏の京都の熱さに参ったり、日本料理は飽きてしまって1週間ほど連続してホテルのイタリアンレストランに通い続けたとか、それも最後の日のディナーは緊縮財政で2000円のコースを作ってもらったのだとか(絶対赤字だよなー)、まあ、出るわ出るわ。そういえば、ずっと「中国」に来てると思っていたおばさまもいたらしい(笑)。

 そういう話を本人もテンション高く突っ込みつつ描いているので、こちらは安心して笑って楽しめる。異文化体験にもなるし、なかなか面白いので気が向いたら読んでみるといいと思うよ。

 各回の最後は、確か連載時はイタリア語レッスンになっていた筈だが、単行本では登場人物たちの写真とエピソードを紹介するコーナーになっていた。ただ、写真が不鮮明というか暗すぎたり、まあある程度狙ってやってるのだろうが顔などが分かりにくくなっているので、できればもうちょっときれいな写真で見たかった気はする。


2008年08月03日 (日) [長年日記]

_ [読書][漫画][読了]『 ハルチン(魚喃 キリコ)

 魚喃キリコ初挑戦。別に避けてた訳ではないのだが何となく手が伸びなかった。この作品は以前「Hanako」に連載していた高野文子「るきさん」の後釜として連載された作品ではなかったかと思うのだが、気のせいか、この双方の作品、絵のタッチが何となく似ている。

 都内のショッピングモール(ファッションビル?)にあるアクセサリーショップでアルバイトするハルチンが主人公。彼女の同僚で後にこのショップの社員となるチーチャンとは対照的な存在で、背が高くスレンダーで男性と間違われることもあるハルチンは勿論彼氏無し。後先考えずに散在してしまう癖もあり、いつもチーチャンに呆れられている。それに対してフェミニンなチーチャンはしっかり者でラブラブ(多分)の彼氏もいる。欲しいワンピースがあっても我慢する計画性もある。言うなればハルチンはうっかり八兵衛か。あまりにも頼りないのでこの人、本当に大丈夫かと心配になるのだけれど、このアルバイトで気楽に暮らしているところとか、お財布の中身がすっからかんでもあまり深刻にならないとか、明らかにバブルの影響だろうなー。そういえば、勿論電話は家電話のみで、かなり頭の方でハルチンは熱を出して寝込むのだが、助けを求めてチーチャンに電話をしても彼氏のところにお泊まりしているらしくつかまらない。

 きれいな彩色で、伸びやかなライン。ラフな絵柄で描かれた愛らしさがある。特に興味を引いたのが髪の毛。そのときどきで違った表情があり、見ていて実に楽しい。ハルチン自身もこれまたよく髪形を変える人で、一貫してゆるふわロングのチーチャンとは違って爆発頭になってみたりもする(しかも二度も!)。途中からは犬(ヨークシャテリアのハチ)も飼い始めるのだが、この犬がまた絵の中のいいアクセントになっている。

 二巻の方には著者自身の日常を描くエッセイ漫画もあるのだが、双方よく似ており、自分自身をモデルにしたのかも知れない。お店と街(具体的には描かれないけど、吉祥寺辺り?)と二人のアパートと飲み屋くらいしか舞台としては要されておらず、チーチャンは彼氏がいるというのにハルチンとの時間が恐ろしく長いんじゃないかと思わせる。お互い、特に事前に断りがある訳でもなく行き来しているようでもあり、これだけ思い切り密接な友達関係って今はなかなか珍しいかも。まあ、ハルチンに遠慮というものが無いせいでもあるだろうが。

 二巻の途中からタッチが変わるのは、あれは間が空いたからなのだろうか。掲載時期を見ると最後の方は不定期連載になっていたようだし。冒頭ではハルチンは23歳なのだが、最後に年齢を確認できたときには26歳。それだけ連載が長く続いたということかな。特にシリーズ全体で物語に起伏がある訳でもなく、このままハルチンは相変わらずの暮らしを続けていくんだろうなあ、なんて思う。いつまでアルバイトしてたんだろうね(笑)。

ハルチン(魚喃 キリコ)』『 ハルチン 2(魚喃 キリコ)


2008年08月04日 (月) [長年日記]

_ [イベント]江東区花火大会

花火 花火  毎年恒例になっている集まりに今年も混ぜていただいた。ところが、出掛ける前にどこかで雷が落ちたとか、東西線が落雷のため……と電光掲示板に出ていて「え、止まってる?」と焦ったら中野方面の接続取りやめ(やはり落雷のため)でほっとしたり(というのも良くないが)で待ち合わせ場所へ。駅前のスーパーで飲み物や食べ物を仕入れて鑑賞地に向かうも、空は「あれ、もう打ち上げ始まりましたか?」というくらいに派手な落雷が続く。危ないところに落ちてないといいんだけど。この落雷の中で果たして打ち上げは行われるのかが心配になってきた。なぜか小さい男の子たちは極度の興奮状態。

 予定の時間を少し過ぎてから、打ち上げ開始。現地は屋根付き(笑)なので、途中で少し雨が降ってきたりもしたけど快適に見物できて何より。花火は、なかなか工夫していて楽しめた。去年までは何が上がってても「ぎょうざ!」とか言ってた小学一年生が「めびうすのわ!」とか言ってて末恐ろしい小学生だ、とおののいたり。なぜか、ダイイングメッセージの如くアルファベットらしき花火がいくつかあがっていたのが疑問。途中から気付いたせいか繋げても意味が分からず。雷鳴とどろく中花火が上がるという一大スペクタクルショー(偶然)も。帰り道、ちょっと雨が降ったりもしたが、傘を分けて貰って何とか二次会の焼き肉屋へ辿り着く。今年は二階貸し切り状態。肉を焼き、ビールを飲み……だったんだが、何となく今年はお酒は最初の生ビールのみで止めてしまい、後はみんなと一緒にウーロン茶をぐびぐび。傍らでは子供たちがニンテンドーDS大会。あのSDカードみたいのがゲームパッケージだよな。いっぱい持ってんなー。持ってない子は後ろから覗いてみて、興味津々。

 ちょうど落ち着いてきたくらいがお開きの時間の23時でそろそろ、と腰を浮かしかけたら、一足先に駅に向かった人たちから「電車が止まってる」との報告。がーん、帰りもトラブルかよー。やっぱりさっきの落雷かな、なんて言ってたら、南砂町の人身事故だったそうだ。とにかく駅に行ってみようと改札で駅員さんに聞いてみたところちょうど動き出したとかでホームに行くとちょうど電車が来てほっとした。ところが。乗り換えた電車の車両が、なぜか臭い。立ってる人も殆どいないくらいだったのだから他の車両に乗り換えれば良かったのだけれど、何となく面倒でそのままでいたのだが、みんなやっぱり不思議な顔をして周囲を見渡してる。そう、なんだか一種、排泄物の臭いがするのだけれど、その源が特定できないのだ。電車を降りるときに前の方に移動したら臭いが薄れたのでもしかしたら後方だったのかも知れないけれど。結構はっきりと「くさい」と思える臭いだった(でも吐き気はしなかったのでそのまま乗り続けたのだが)んだよなー、何だったんだろう。

 あ、画像は[es]で撮ったものなので、拡大しなくてもいいかも。


2008年08月05日 (火) [長年日記]

_ [読書][読み中][雑誌]「 モンキー ビジネス 2008 Summer vol.2 眠り号(柴田 元幸)

 途切れ途切れに携帯して読んでるのだけれど、「広場でのパーティ」まで何とか読み終える。あ、ブックガイドは後で読むのにとってある。そこまでの感想はあとで書きたいが、西岡兄妹によるカフカの「田舎医者」がとても良かった! あの医者の造形が決め手だと思うのだけれど。

 直近の一篇についてとりあえず書いておく。

「広場でのパーティ」ラルフ・エリスン(柴田元幸・訳)

 読み始めた直後から、胸の辺りに金属を詰め込んだような、何とも言えない気分になった。その気持ちはそのまま最後まで続いた。最初「黒」って何を言ってるのか分からなかったのだけれど、黒人のことだったんだね。まだ人種差別があからさまに行われていた南部での出来事。おそらく、これは普通にあちこちで似たようなことがあったのだろう。それにもうひとつの衝撃的な事故もクロスするが、これでさえもが興奮に花を添えるに過ぎなかったのだろうな。こちらもある意味差別的目線なのだろうと思うが(最初のほどあからさまではないが)。

 同じ人間だと分かっていながら行ったことではあるが、同じように見えたからこそこうやって区別する必要があったということなのだろうか。自分にだって間違いなくこういう心があるのだと思うと、余計に胸の中が重くなってくる。それを、忘れちゃいけないのだろうと思う。

 解説で柴田氏も書いているが(この作品に限っては解説が付されている)、これが小説として完成度が高いのは、よそから来た白人の少年の視点から書いておりそれが成功しているからだ。何重にも複雑な感情をこの少年は持っており、それを描き伝えることに成功している。より効果的に。

_ [読書][雑誌掲載小説]ブライアン・イーヴンソン「父、まばたきもせず」(「 野性時代 第55号 62331-56 KADOKAWA文芸MOOK (KADOKAWA文芸MOOK 56)(角川書店編集部)」所収/岸本佐知子の「居心地の悪い部屋」1)

 岸本セレクトとしては珍しいのかな、と感じられる一作。日本で発表された作品はまだ無い作家のようだが、男臭い。しかも冒頭から人が死んでるし! リアリズム小説、になるだろうか。

 家の裏で、娘が死んでいるのを発見する男。その様子から高熱が原因とするが、なぜこんなところで水たまりに突っ込んだ状態で死んでいるのか読者には分からない。男は、娘を納屋に運んでいく。

 この後、女(妻だろう)、近所に住む男クエイドと接触をするが、どちらにもこの発見を伝えず、どうやら一人で処理をしようとしている模様。納屋に鋤で穴を掘り、そして――。

 余計な話は一切無く、むしろ物足りない中で物語が展開する。そこで感じるのは、この事実を自分ひとりの胸に収めようとする心と、娘を失った強い悲しみではないか。いや、これはいろんな解釈ができる作品だと思う。自分で勝手に物語を拡げ、男の心中も自由に想像できる。事実はただ娘が死に、男の他は誰もそのことを知らないということ。しかし、女はなにかを感づき男を問い詰めるが、彼は頑なに口を開かない。

まばたきもせず、ついに女の方がまばたきをして、目をそらすまで。(p.336)

 ここにも会話は無いが、もしかしたら「目は口ほどにものを言い」の状態だったのかも知れない。

 あまりにも情報が少ないので英語サイトの方を検索してみたら、どうやら2006年にドラマ化されていたことが分かった。なるほど、映像化してみたいという気持ちは理解できる。

The Father, Unblinking

 このトレイラーを観るだけでもトーンが分かるかと思う。何となく、答え合わせをしたような気分になったが、娘はミドルティーンくらいを想像していたので、そこは外れたかなー。

"The Father, Unblinking" by Brian Evenson

_ [読書][雑誌掲載小説]ジュディ・バドニッツ「来訪者」(「 野性時代 第57号 62331-58 KADOKAWA文芸MOOK (KADOKAWA文芸MOOK 58)(角川書店編集部)」所収/岸本佐知子の「居心地の悪い部屋」3)

 彼と過ごした翌日、両親が来るからと彼を追い出そうとしたが、のらりくらりと居座り続けられてしまう。この彼との関係、そして両親との関係がすごーく分かりやすいお話であった。関係は分かりやすいが、ラストはかなり分かりにくい、というか、分かってる自信がない。

 彼女の両親はこのような作品に出てくる典型的なカップルで、頑固で寡黙な父親と、明るいて愛情たっぷりだが鈍くて早合点でピントがずれてる母親という組み合わせ。所々で母親が公衆電話から連絡してくるのだが、何故かどんどん違うところへ行ってしまう。場所を言え、迎えに行く、警察を呼ぶと言うが「ほら、お父さんってああいう人でしょ」と言いつつこちらものらりくらり(という訳ではないが)。主人公は二重ののらりくらりに爆発寸前。

 道には迷うわ、田舎道や山道に迷い込むわ、お父さんは得体の知れないケモノに襲われるわ、でもお母さんは「あら大したことないのよ」と取り合わないわ、人の心配も知らないでやきもきとさせる。挙げ句の果てになにか事件があったらしく検問を受けたり、見知らぬ人に運転を頼んだり(「逃げてーー!」と心の中で叫んでしまった)、その警戒のなさが危険を呼び、反省のなさが更なる危険を呼んでいる、気がする。その一方で、彼に見せた両親の写真が、何故か記憶よりも若返っているような気がする。

 一方、彼との仲はちょっと怪しい。彼は

「お前のことはようく知ってるぜ」(p.166)

なんて言ってみたりする。なのにその実体は、誕生日プレゼントに各種台所用品をあげちゃったりする鈍感男。多分、ちょっと幻滅してたところなのね。なのに

「じゃあこれは? ここのタンスの上でいいかな?」(p.167)

なんてとぼけて見せたりするけど、多分「これ」って避妊具とか、そういう親には見せたくないものだろうことが想像できる。わざとそんなことを言う彼にまた苛立つよなー。

 また不思議なのが、写真の両親が若返ったように見えるにつれて、主人公カップルが年を取っていくように見えること。主人公は、疲労は心配して緊張したからだと考えているけど、それで胸まで垂れないと思うのよ。それとも、そう感じるほど疲れたということなのだろうか? そして、彼が眼鏡を掛けるようになっていたことに気付く。

 そして両親の危険度フルスロットル!となった途端に、何故か彼女が優しい気持ちになるんだよな。これって何を示唆しているのだろう。この解釈が難しい。読み直して、もうちょっと考えてみる。

 しかし、二作読んでみると案外、「変愛」よりも「居心地の悪さ」の方が幅が広いのかなー、なんて感じる。いや、「変愛」も十分な振れ幅だったんだけどね(笑)。

"Visitors" by Judy Budnitz


2008年08月06日 (水) [長年日記]

_ [webネタ]Google StreetView村

 昨日は朝から日本のGoogle Mapsにもついに出現したStreetViewでぶっ飛んでおりました。主に今住んでるところや周辺、職場近辺を探したのち、自分の人生を振り返るべく昔の住所を検索してみるの図。炎天下の中、涼しい部屋にいながらにして過去を巡ることができるだなんて、すごいわぁ。これからは、なにか事件が起きると真っ先にStreetViewにお伺い、なんつーのが一般的になるのではないだろうか。

 まあ、実家近辺も真っ先に探したひとつなのだけれど、さすがにあちらまでは魔の手も伸びてないようで、ボタンさえ出てきておりませんでした。とほほ。あと、車で巡ってるから基本的に公道の車道のみかな、ルートとして認識されるのは。その辺でちょっともどかしさを感じたりもした(笑)。

 すごかったのが、こんな感じでエゴサーチしているときに偶然知っている人たちを見つけてしまったこと。自分の周辺でやってるんだから可能性としては無くはないけど、多分ひとりひとり歩いていたら分からなかったんじゃないかな。顔も不鮮明ではあるけれど髪形や服装などまさにそれで、知っている人なら遠目でも誰が誰だか分かるのには驚愕した。ちょうど、「Google MapsΥȥ꡼ȥӥ塼οͤȯƤޤޤ - jkondo」なんて記事を読んで、「風景だけじゃないんだ、見所は!」と飛び付いたものと思われる。各種まとめサイトなどによればいちゃついてる高校生まで発見できたそうで、いやあ、色々面白いというか危険というか。

 アニメの舞台となった場所を巡ってる人も多いようで、ああ、こういった「聖地巡礼」にも使えるんだなあ、と思った。っていうか、山形まで範囲になったら、わたしがやった神町ツアーできちゃうじゃないか(笑)。さすがに若木山にまでは登れないだろうが。

 それにしても、我々の住んでる世界って、ここまで来ちゃったんだねえ。

追記

 あと、面白いのが撮影時期の差。うちの自宅の方はあるところは冬のうちに撮ってたようなのだけれど、ちょうど桜並木の道は、満開の頃だったりする。その道路を曲がったところから急に景色が華やかになるのが面白い(笑)。

_ [映画]「ホット・ファズ―俺たちスーパー・ポリスメン―」@シネマGAGA

 レディスデー&レイトショー料金で夫婦で観てきた。うはははは、最高っす、この映画。笑ったしびっくりしたし友情に感激したし、ちょっぴり泣いた(にじむくらいな)。これは確かに署名を集めてでも公開させたい気持ちも分かるなー。

 とにかく、余計な情報は入れずにそのまま観に行け! 映画好きのためだけの映画だと思って躊躇してる人、わたしも何にも分からないけど楽しめたから大丈夫。ああ、ここ元ネタあるんだろうなー、ということが分かる場面もあったけど、ストーリーがしっかりしてるし飽きさせないし変な登場人物ばっかり(主人公からしてね)で、これが売れないと思うだなんて何なんだ!とびっくりですよ。監督も役者も日本では一般的に知られてない人が多いし、コメディは受けないから配給されないところだったんですってよ。まあ、こんな感じで上映されない映画がどれだけあるんでしょうね。そう考えると気が遠くなるっす。

 ハードボイルドあり、バディものあり、ムラ社会のジレンマあり、派手なアクションあり。スプラッタ嫌いのわたしだけれど、そういう気持ちに落ち込ませないような演出になってるのね。これなら十分楽しめます。東武ワールドスクエアみたいなところもいい味出してたねー。

 主人公と相棒の顔が好きでねえ。見てるだけでなぜか幸せになれるのですよ。


2008年08月07日 (木) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。っていうか、雑誌だけど。

 水村美苗の評論「日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で」に、青木淳悟の中篇一挙掲載「このあいだ東京でね」、おまけに岸本佐知子によるミランダ・ジュライ「マジェスティ」と来たら、あなた、買わなかったら後ろ髪引っ張られすぎて禿げますよ。ホントはしばらく本を買うの自粛(って、後でまとめて買う分が増えて大変になるだけなのに)してたんだけど、もう溜まらなくってガス抜きしちゃいました。書評欄もぱらぱら読んだんだけど、今までも見開きで1作品だっけ? これだけのボリュームがあるとすごくいいね。海外文学も普通にターゲットになってるところがこれまた素敵。

 今月買う文芸誌は、これと「 すばる 2008年 09月号 [雑誌]」(谷崎由依「月のまにまに浮かぶ家」、ついでに初挑戦の木村紅美「ハワイアンブルース」か)、連載目当ての「 群像 2008年 09月号 [雑誌]」、「 野性時代 第58号 62331-59 KADOKAWA文芸MOOK (KADOKAWA文芸MOOK 59)(角川書店編集部)」ってところか。迷ってるのが「 文学界 2008年 09月号 [雑誌]」かなあ。楊逸の受賞後第一作、一挙掲載だそうですよ。

 都甲幸治さん(アーヴィングなどの翻訳をされている)がコラムを持ってることを今更知る。しかも今回で7回目だ(泣)! そのほかのコラムも楽しそう。古谷利裕さんの岡田利規論とか! なかなかエキサイティング。


2008年08月10日 (日) [長年日記]

_ [読書][雑誌掲載小説][読了]ミランダ・ジュライ(岸本佐知子・訳)「マジェスティ」(「 新潮 2008年 09月号 [雑誌]」所収)

 なんという喪女小説*1! ウィリアム王子に恋する47歳の独身女性を主人公にした話。途中まではまだ喪女ぶりを笑えたんだけど、だんだん「あれ?」となってきて、妹の電話の後にがっくりと力が抜ける。笑えるのだけれど、笑い飛ばせない、なんか複雑な小説。でも、これってやっぱり現代的な事柄なんだろうな。

*1 解説で、岸本さん自身が「喪男」「喪女」と言う単語を出してきている

_ [読書][雑誌]水村美苗「日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で―」(「 新潮 2008年 09月号 [雑誌]」所収)

 評論。ローカルな言葉で書くことについて綴っている。冒頭、まるで水村氏自身の小説のようで、ぐいぐいと引き込まれてしまった。

 ある年の九月、アイオワ大学近くのホテルでの創作者合宿のようなものに1ヶ月だけ参加した氏の体験と感じたことが書かれているが、これが実にいい広がり方をしている。アメリカでのイベントとはいえ、参加者のなかには英語が不得手な人も多くいたようだ。水村自身は子どもの頃からずっとアメリカで暮らし、一旦中断するもまた母校のエール大学に戻って教員として日本文学を教えている経験があるので、かなりできる方だろう。しかも、専攻していたのがフランス文学なのでかなり幅広く見聞きできる能力を持つ。だが、氏の著書『私小説_from_left_to_right』を読んだ人なら承知の通り、彼女は日本語と近代日本文学を愛し、あまり人との接触を積極的にしていない。ここでもそんな感じで校友を深める人こそ少ないものの、いろんな人の観察をしていることが分かる。

 いろんな人がいる。いろんな人がいろんな語で創作をしている。それと彼らの国との関係、歴史などに思いをはせ、日本語ほどのうのうと生き延びてきたものはいないと感じる。次の章は英語、フランス語、日本語で書かれているということに関する考察。フランスのシンポジウムに招かれたときのエピソードとそのときの講演の原稿からなるが、ここでも日本文学の特殊さが分かる。

 思うに、日本は島国だったため周辺から攻撃を受けにくく、また、そのために境界線がある程度はっきりしていたため、「日本語」=「国語」という認識を持ってしまっているのだろう。他の国や地域では、自分たちの使うのと違う言葉が公用語になっていることもあるし、長い歴史のなかで他国に占領され他国語を使うことを強要されていた例もある。ユダヤ人のように、国を持たずとも言葉を持っている例もある。英語が普遍語となり、どんどん少数民族の言語は淘汰されてきている現状は、「滅びゆく言語」を持つわたしたちにも当てはまることなのだ。その警告と、それをどうしていったらいいのか、の提案がこの論の趣旨ではないかと思われれる。英語がデファクトスタンダードとなり揺るぎなくなるということは、そこでの価値観や、その言語にしにくいものは伝わりにくくなる、ということでもあるのだ。英語と、それ以外の言語のなかで生きている人々は「ふたつの時間を生きていることになる」と氏は説く。それはすでにフランスでさえも例外ではない(氏は講演の中で「ようこそ、こちら側へ」と多少の皮肉を込めながら語りかける。かつては世界の普遍語であったフランス語でさえ、日本語と同じ立場になってしまったという衝撃)。

 なんか、日本語で日本の文学が読めること、日本語に訳した海外の文学が読めること、自分たちの言語と思われるものと国語、公用語が一致していることの幸福を感じた。そして、豊かな日本文学を持っていることも。

 しかし、ここに掲載されている三章の最後では、日本語が亡びゆく言語であり、かつて「国語」として盛んな文学活動を謳歌した時代から、確実に「現地語」としての立場に戻って行きつつある、と指摘している。これはあまりにも英語が〈普遍語〉として揺るぎなきものになってしまったからなのだが、果たしてこの後、どのように論は続くのだろうか。

 この評論はこの秋に筑摩書房から出る本の、七章のうち三章を抜粋したものだ。これだけでもかなりの分量になり、結局週末はこれを読むだけでほぼ費やしてしまった(そのほかにオリンピック競技を見たり昼寝したりもしてたのだが)。

 すべての人に読んで欲しいと思うが、特に翻訳された海外文学を読む人には是非読んで欲しいと思う。

_ []水餃子の冷やし中華

 『予定日はジミー・ペイジ』で主人公が冷やし中華中毒になっていた頃の一品を作ってみた。主人公の夫が交換ノートに「餃子が食べたい」と書いていたことからの発想。水餃子、トマト、若布、葱が材料となっているのだけれど詳しいことは書いてないので、トマトはざく切り、若布は湯がいて適当に切り、葱は白い部分を白髪葱にした。氷が無かったので最初に茹で上げた水餃子は、流水で粗熱を取った後にボウルに水をひたひたにして冷蔵庫へ。まあ、生ぬるかったけどそれなりに満足いく出来映えとなった。

 また、一工夫して作ってみよう。


2008年08月11日 (月) [長年日記]

_ [Art]特別展「対決−巨匠たちの日本美術」@東京国立博物館

 創刊記念『國華』120周年・朝日新聞130周年だそう。「國華」は高級美術誌。日本美術史上名高い巨匠たちの作品を実際に関連や関係を見据えつつ並べてみたらどうか、というもの。確かに、説明で「誰彼の何々と似通っている」とか書かれるよりも実際見た方が説得力が違うもんね。ちょうど開催時に「AERA」の記事を読んで「これは是非行こう」と思っていたのだった。しかし、一番見たかった宗達vs光琳双方の「風神雷神図屏風」が11日からの展示と聞いて、これじゃあそれ以前に行っても画竜点睛を欠く(わたしとしては)と思っていたのでいろいろ状況を見つつこの日に有休を取って挑戦。しかし、わたしの前にシャワーを浴びるはずの夫がのばしのばしにしてなかなか行ってくれず、そのうち三億円事件の犯人の真相、みたいな特集があったりして、結局9時半を過ぎてしまった。館内に着いたのが11時……とほほ。

 入場料1,500円と、説明用のイヤフォンガイドを500円で借りて順番通り見ていく。しかし、まだ最初の仏像は良かったが、その後応挙辺りになると大混雑で、なかなか自分のペースで見られないのが辛かった。近くで見ようと思うと最前列を陣取らねばならず、遠くから見る機会をなくす。列も牛歩状態。しかし、しばらくするとさほどの混雑ではなくなり、遠くから見たり近寄ってみたりが比較的楽にできるようになっていた。かなりの名画がガラガラで、思う存分鑑賞することができたのは嬉しかった。

 やはり印象に残ったのは蕭白だろうか。その型破りな画風と執拗なほどの描き込みには呆れかえるほど。対決相手は若仲だったのだがあの若仲をもってしても彼のインパクトには負けてしまう。それくらいのエネルギーを、今もって放っていた。

 面白いことに、応挙と芦雪だったら芦雪の方が断然魅力的だし、永徳と等伯なら後者に軍配が上がる。雪舟か雪村といったら断然雪村だね。まあこれはもちろん現代の感覚でそうなるのだろうが、やはり傍流の方が明らかにのびのびとしてるんだよなあ。何かから解き放たれている。師と仰いだ人の作品を踏襲していたはずがいつの間にか大きく外れてしまっている人もいるし、本当に面白い。作品としか見てなかったのにそこから人間が見えてくる。そういえば、写楽の活動期間の短さが気になっていたのだけれど、この日発覚。あまりにも役者絵を本質的に似せて描いてしまったため、役者衆、贔屓衆双方から総スカンを食らったらしい。夜目遠目傘のうちで舞台と客席だったら適度な距離があって細部は見えなかったのに、確かにこれだけまるっと描かれてしまうと戸惑うかもなあ。歌舞伎化粧をしているのにも関わらず、素顔が浮き上がってくるようなのだ。あと、写楽といえば有名なのが「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」の懐から出た両手だけれど、この謎も溶けてなんだかすごく満足してしまった。

 一番分からないのが焼き物だけれど、ここは中高年の方々の人気が高かったねえ。それにしてもこれは毒されてる、と思ったけど、ある種の作品を見ると自然と「なんでも鑑定団……」と呟いてしまうのだった。会場で何人か言ってる人の声も聞いた。

 仏像は、それぞれの思想と解釈がよく出てくるところのようで、それぞれ面白い。

 ちなみにイヤフォンガイド、いろいろ工夫してるなー、と思ったんだけど、今回、いろんな声優を使ってるんですよ。馴染み深いアニメ俳優も。浮世絵のところでは野沢那智が出てきてすごーい芝居がかったしゃべりをやってくれてすごく楽しかった。こういう試みはいいよね。

 脚が棒のようになって1Fの休憩コーナーで一休み。一応、2Fにも休憩場所はあるのだけれど、第1展示室から第2展示室に行くところにあるのは売店なので、つい行きそびれてしまうのだ。最後に2F休憩所で少し休んでから、もう一度会場を一回りしてみた。今後、いつ見ることができるか分からないから。遠くからでももう一度眺めたかった。やはり、午後の方が人が多い。わたしは結局11時から15時くらいまでかかって全部見回った。

 その後、本館の方で六波羅蜜寺の仏像が展示されてるという告知を見た。今回巨匠たちの似せ絵を担当した山口晃氏の原画を見て(これの缶バッヂを入れたガシャポンもあって、外人が買ってたなあ)、子どものための展示を見た後、以前見た古代の発掘物(埴輪とか)のコーナーをスルーして本館へ。修復についての展示や震災記録、刀剣、蒔絵などなどを見つつ、やっと会場へ到着。残念ながら、寺の象徴的存在である空也蔵は来てなかったのだが、それ以外の錚々たるメンバー(仏像だが)が見られたと思う。髪の束を持った菩薩立像が印象的だった。

 時間はもう16時。すでにお昼という時間でもなく、でも何か口に入れたい、とうろうろしたあげくにAtreに入ってたAfternoonTeaに。しかし、中にいた客筋はどう見ても他の街で見られるような人たちではなく、ちょっと上野の特殊性にびっくりしてしまった。ちなみに隣の人たちは年配の女性の集団だったが、一番奥にいたのはあきらかにミスターレディ(死語)。でも、身体の大きさ以外は結構周囲に溶け込んでいて、みんな楽しそうだった。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 単行本上下巻2つに雑誌買っただけで14,000円(泣)! 重いです、荷物も。

 この舞城とパワーズ、編集したのは文庫編集部だったそう(どうしてそういったイレギュラーなことが起こるのかは不明)。お互いデッドオアアライブ状態で、どちらが先に抜け出すか、結構微妙な状態だったらしい。やっぱりそこで割を食うのは確認することが多く時間がかかる海外小説か。あと、パワーズの表紙の人形と写真は石塚公昭さん。遠目に見た時は分からなかったんだけど(色も殺されてるし)、手に持って「もしや」とは思っていたんだ。やっぱり!


2008年08月12日 (火) [長年日記]

_ [TV][本の話]布団乾燥機ドライヤーユーザ、発見

 なんか同じような単語が重なってるけど、こうしないと意味が分からないので。

 昨日、上野から帰ってきてからだらだらしつつテレビを見ていたのだけれど、夕方18時からのフジテレビのニュースで、長崎県の節約親子が紹介された。父ひとり、娘二人の父子家庭なのだけれど、お父さんはこの構成で暮らすことになってから仕事を辞め、パソコンや家電の修繕をして稼いでいる。しかし、収入は不安定だし常に低い。3〜10万円といっただろうか。月々の光熱費や学費(娘二人は高校生)などをさっ引くと、殆ど残らないという。娘さんたちは大変感心な子たちで、こんな状況に腐りもせず、一緒に協力していっている。そこで出てきたのが布団乾燥機ドライヤー。

 長嶋有「ねたあとに」では、コモローの妹トモちゃんが風呂上がりにドライヤーを所望していた。しかし、どう考えても見てくれをあまり気にしないように見える面々で、誰も持ち合わせていない。そこでおじさん(コモローとトモちゃんの父親)が「布団乾燥機ではどうだ?」と提案するのだが、その様子を見てトモちゃんは

ものすごい勢いで落胆と、呆れと、あきらめの表情を同時に深めていった

と主人公であり語り部の久呂子さんが証言している(笑)。まあ、どちらかといえばその後のおじさんとコモローのやり取りに、なのだが。トモちゃんは結局使わなかったようなのだが、この家の娘たちは自ら進んでこの布団乾燥機ドライヤーを編み出し、使っているのだった。曰く「それなりに温かい風が出てくるし、消費電力も低いから」。うーん、それなりに実用にはなるらしい。トモちゃんも一度使ってみると良かったのにね。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。


2008年08月13日 (水) [長年日記]

_ [webメモ]ΤҤȸ SPYSEE [ѥ]が面白い

 二週間くらい前に見たときはさほど登録もなく「ふーん」という感じだったのだけれど、何度か見てみてどんどん登録が多くなってきて「あれ、これは」とあちこち見てたら中毒みたいになってしまった。

 人名をキーとして、他の人名との関係を俯瞰する、みたいなツール。とはいってもある程度タグ(キーワード)などで恣意性はあるものの、基本的にはウェブから検索してきた文字列の関係性で、セマンティックウェブ技術を利用して情報を整理するもの。今のところ動作も軽快で、なかなか楽しい。

 基本的にプロフィールはWikipediaから拾ってくるようで、無い場合は他の場所からそれっぽいものを拾ってきてくれる。まだ同姓同名には対応していないようで、一部、たとえばデイヴィッド・ロッジとか中村融(特にこちらは故人だし!)とかやきもきする状態になっているが、そのうち改善されることだろう。あと、画像も拾ってきてくれるんだけど、拾った先のサイトへのリンクもあるのがいいね。でもときどき「この中にひとつも無いんですが」ということがあったり、誰が設定したのか全然違う画像がプロフィール画像として当てられているときもある。

 わたしが見た当初から何故かSF関係者が多く登録されており、盛況だった。登録していた人の中に、誰か好きな人がいるのだろうか。登録は人力なので登録するなりデータを拾い始めるが(待ち行列があるときも)、まあ、変な宣伝に利用する人もいるんだろうなー。でも、そういうところはうまくできてるなー、と思ったんだけど、説明部分は手を出せないので、拾った元のデータを修正しないと反映されない(元データを修正したらどうなるのかは知らないけれど、ときどきチェックしてるんじゃないかなー、と思うんだ)。人と人との関係性もテキストの上から判断するだけなので(同じページに存在する名前の頻度をカウントしてるのかな?)、「ああ! ここはこうじゃないのに」とか「こっちはああじゃないの」とかツッコミどころはあるのだけれど、そのうちこれも最適化されていくのかも知れないのでときどき見てみよう。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 今日は文庫デー。どうしても気になるもののに買い付ける。『腕利き泥棒のための〜』は、イギリス小説だし、粗筋と話のとっかかりとしてもいいもの持ってると思うんだけど、どうだろうか? 『ホモセクシャルの世界史』にすごーく目が行っている。このままだと明日からの移動時はこれを読んでいそうだ。


2008年08月14日 (木) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 『ノック人〜』のノック人って、ホントに「ノックする人(=外部の人)」の意味だったんだー。


2008年08月15日 (金) [長年日記]

_ [読書][漫画][読了]『 シマシマ(1) (モーニングKC)(山崎 紗也夏)

 夫に逃げられ呆然となったシオの過去から始まる。そんなある日義弟のガイが彼女の元を訪れ、二人で痛飲(おそらく、飲んだのは主に彼女だろうが)した挙げ句に朝一緒に寝ている事態に気づき、焦るシオ。しかし、何事も無かったらしいことを確認すると、夫と同じ胸板を持つ彼の隣でぐっすり寝ていた自分に気づく。そこから、今の〈第二の仕事〉を立ち上げる。

 〈第二の仕事〉とは、不眠症の女性と夜を過ごし添い寝をすることで深い睡眠を導き出そうというサービス。「ストライプ・シープ」(ストレイシープから引っ掛けた名称だろう)という屋号を持つ。これって一歩間違えれば出張ホストだけれど、彼女のもとに集うスタッフ四人は今流行の植物系。うまくそういう誘惑もすり抜け、女性たちを癒していくのだ。

 正直言って、わたし自身はこういう商売って成り立つのか疑問な面はある。顧客はまずシオが面談して、大丈夫だと判断した人のみに限っているというが、大抵は疲れていたり、心の傷ついた女性であり、周囲の誰にも心を許せなかったところにするりと入り込んで来た人がいたら、ちょっと執着したりはしないか。一応、シオもそういうところは分かっていて、リピートのあるときは同じ人をつけないようにしたりはするようだが、相性の問題なんかもあるしなあ……。男の子たちの強靱な自制心と誠実な人柄が無ければとてもじゃないけど実現しそうにはない。それに、寝るといっても熟睡できる訳ではなくあくまでも主体は顧客が良い睡眠を享受できることであり、彼らもよくシオの家でその疲れを取っていくが、あまり長続きするようには思えない。まあ、その辺り、今後いろいろ問題も出てくるだろうから、お手並み拝見、というところだろうか。……そもそも、これってどういう形態で営業許可を取っているのだろうか?

 これらはいわば裏の顔であり、表の顔は昼間の仕事、アロマサロンのオーナー兼技術者。これを以前は夫婦で経営していたのだが離婚してしまったのでひとりで継続している(ひとりアシスタントを雇ってはいる)。そのアシスタントの子や、借金をしている銀行の営業担当者らが表の顔の側にいるのだが、お互いが浸食し合って妙な化学反応を起こし始めているところ、で一巻は終わる。

 シオは、離婚から1年経った今でも元夫に執着し、彼の影を追い求める。本当はそれをどうにかする方が先だろうと思うのだけれど、周囲が変に気を回したせいでついつい銀行の担当営業と付き合う羽目になり、それが少し鬱陶しくあったりもする。ある日、とうとう彼の家に招かれるのだが、抱き合った途端に「胸板が違う!」と急に拒絶反応を示してしまう。比較しているうちはまだ早いと思うし、彼も可哀想だと思うんだけどなあ。まあ彼も彼で、この状況に便乗して既成事実を作ってしまおうというような下心があるようでもあり、何となくキャラクターとして好きになれなかったりする。もう少しですごく好きな作品になりそうなのに、なんか微妙に筋が違っちゃってるせいで余計に違和感が拡大されているような面もありそう。キャラクターとしてはみんな派手なのでそれぞれ好きな面、嫌いな面があるのだけれど、一番おとなしい真菰君のエピソードには笑った。なんと彼の特技は「話がつまらないこと」。だらだらと話しているうちにみんな話の途中で気持ちよく寝てしまうのだ。不完全燃焼の彼は「後で続きをメモしておこう」なんてやってるんだけど、求められてるのはそこじゃないですから(笑)! このとどめの一発が良かった。

 作者の山崎紗也夏は、以前山崎さやか名義で『はるか17』を描いていた人。その前はこれまた違う名前(沖さやか)で『マイナス』などを描いていた。時々漫画家にこうやってペンネーム変える人がいるんだけど、どうしてなのかなあ(サライネスもそうだよね)? 実績を0にしちゃいたい? 読者にとっては見つけにくくて大変なんだけどなあ。

_ [読書][読了]『 ブロンソンならこう言うね (ちくま文庫)(ブロンソンズ)

 みうらじゅんと田口トモロヲのユニット「ブロンソンズ」の名前の由来は、もちろんチャールズ・ブロンソン! そんな心の師匠に近づくべく人生相談をしちゃおうということで「スタジオボイス」に彼らが三十代後半のときに連載された企画が大元。この二人を見ていれば分かるだろうが、大人になりきれない自分だからこそ、男の中の男ブロンソンに憧れてしまう部分があるのだろう。いつでも強く、愛するものを守るためなら何でもやってしまう荒くれ者。もちろん、彼に直接コンタクトを取るなんてことはなく、みうらと田口お互いがお互いの相談に、ブロンソン精神を降臨させてお答えしていたのである。だからタイトルが「ブロンソンならこう言うね!」なのだ。ブロンソンになりきって答える彼らのマニアックさにはつい笑ってしまうが、こういう「一本筋の通った生き方(ある意味)」って、実はとても大切なんじゃないかなあ、と人生の真理を突く面があるから面白い。

 ちなみに何度もブロンソンを「へちゃむくれ」と言うのだが、わたしは昔から個性的な顔だとは思うけど、へちゃむくれだと思ったことは無かったなあ。まあ、みうらじゅんの描くブロンソンは確かにへちゃむくれだ。

 後半は、ブロンソンについての二人の対談、彼らが選ぶブロンソン映画トップテンと講評、ブロンソンの一生を漫画にしたもの(by 田口トモロヲ)、ブロンソン用語辞典と、知りたくもないのに何故かブロンソン通になってしまい、読み終えるとつい誰かにその無駄知識を披露したくなる。いや、言ってもほとんど誰も反応しないと思うけれど、夫がブロンソンズの大ファンなのでわたしの場合は案外満足行く反応を得ることができた。

 こうやって夢中になれるものがあるっていいよねー、とか見ているその視線は、やっぱりおもちゃに夢中になっている子供を見るのと変わりなかったりするのですが。

 ブロンソンズのオリジナルの言い回しや単語が満載で、しばらくそこから抜けられなくなりそうっす。ちなみに、あまり人生の役には立たないとは思います。期待しないで読むように!

 気に入ったらブロンソンの映画や、ブロンソンズのCDも聴いてみるといいよ! ホント楽しそうに気持ちよさそうに歌ってて、バカっぽくて最高。

スーパーマグナム(ブロンソンズ/東京スカパラダイスオーケストラ/ヒゲオヤジーズ合唱団/ROLLY/スチャダラパー/真心ブラザーズ/桜井秀俊とパイオニア・コンボ/ASA-CHANG)

_ [読書][漫画][読了]『 深夜食堂 1 (ビッグコミックススペシャル)(安倍 夜郎)

 帯にあるとおり、深夜から朝まで営業している店、それが通称深夜食堂。新宿は花園界隈にあり、いろんな訳あり人が夜な夜な群れ集う。

 基本的に1話完結。そこで中心的人物になった人が別の回に出てきたりもする。勢揃いするような回も。豚汁定食が定番だそうだがそれを頼む人はここには出てこず、懐かしい赤いたこさんウインナーとか、甘い卵焼きとか、目玉焼きとか、猫まんまとか、カツ丼とか。淡々とした丁寧な絵柄で淡々とした丁寧な話運びには好感が持てる。紡がれるエピソードも、少しウェット気味なのだけれど過ぎない。その「程度の良さ」が嫌味が無くて読後感がよい。

 B級グルメ漫画というと真っ先に思い出すのが『孤独のグルメ』。これは主人公の吾郎さんが街中を歩いている途中で見つけた店に入ってのエピソードだが、こちらは変わるのは店ではなく人であるところがポイント。食べ物は基本的に人に従属するもので、エピソードとともに輪郭が際だっていく。

 場所が場所だけにすねに傷持つ身がほとんどで、ゲイバーを営む老嬢や、一世を風靡したAV男優も。しかし、どんな人でもこの場ではフラットで、それはこの店の主人が醸し出す空気からくるものなのだろう。この主人もまぶたの部分に縦に切り傷が入っているところを 見ると、まあ過去には何かあったのかも知れないし、今後それが明かされていくのかも知れない。

 奥付を見ると、仕込み、試食、盛りつけ担当がいる。果たして、この漫画に出てくる料理を実際作ってるというのか、といぶかしく思っていたが、仕込みと試食が名前の下に「小学館」と出てることから、編集担当ではないかと当たりをつける。盛りつけが銀杏社というところで、検索してみると「漫画街」というweb漫画サイトを持ってるようで、編プロらしい。なるほど、こういう風にちょっと遊んで見せた訳だね、とちょっとほほえんでしまった。いかにもビッグコミックオリジナルに載っていそうな(実際載ってるんだけど)作風。

 1巻が良かったら既に出ている2巻も買おうと思っていたので、これは即買いに決定。

 あー、それにしても。「きのうのカレー」は、温めるものだとばかり思っていたら、冷蔵庫から出した冷たいのをごはんの熱さでとろかして食べるものらしい。今度、挑戦してみよう。いつもは温めちゃうんだよなー。


2008年08月16日 (土) [長年日記]

_ [季節][イベント]多摩川花火大会

夏の入道雲  毎年恒例の。ということで、午後から夫が場所取りに出掛け、少ししてから追っかける形で。今年はBBQやらないらしく、みんな集まりが悪い。出掛けたときはとても天気が良かったのに駅に着いた途端に怪しい雲行き。というか、遠くに見える空がどんより鼠色なんですが! ときどき、雷が見えるんですが! こりゃあ土砂降りになって中止かもなあ、と思っていたら、途中10分くらい雨が降って、その後持ち直した。すごい!

 いつも同じような場所で観るのだが、寝ながら観られるのが気持ちいいねえ。

 帰りの電車も全く混んでなくて、それもあってか途中下車して居酒屋でも、とお店を探したけどわたしの方向音痴のせいでそれは無理で中華料理屋でビールを飲む(わたしはウーロン茶)。みんなもうおなかいっぱいで何も要らないと「漬け物」とか頼んでたんだけど、一人が何を思ったのか「担々麺!」。よく食べるなあ。というか、この日は自分の胃腸がなんかおかしかったことに翌日気付いた。でも、楽しかったなー。

 あと、やっぱりちゃんとしたデジカメと固定する三脚(貧弱な)を持って行けば良かった。花火いいよー。

花火花火花火花火花火花火花火


2008年08月17日 (日) [長年日記]

_ [TV]NTV「遠くに行きたい」に角田光代

 たまたま、「あ、朝から女子マラソンだっけ」とテレビを点けたらまだ目がテンで、その後やってたのがこれだったのだが天草を巡る角田光代だった。船に乗って蛸を釣っていた。しかも蛸釣りのおじさんは趣味でやってて本業大工とか。もっと向こう側にもやっぱり趣味で取ってる船が出ていた。

 角田さんのお顔や話し方は以前トークショーでじっくり堪能していてホントその通りだったのだけれど、なんというか、神奈川出身というのがにわかには信じられないくらい木訥とした話し方をする。それは絶対相手を裏切ることの無いような、嘲ることがないような声音と表情で、それだけでこの人の書く小説は信じられる、と思ったものだ。褒めてるんだけどあまりそうは読めないなあ、困った。

 天草に仕事で行ったという話はȡĸ ĤŤ컨åڥ ASPECT ONLINEで知っていたのだが、この撮影のためだったのか。その後石を削ってスピーカー作ってる人のところや隠れキリシタンのミサをやっていた隠れ集会場を見せてもらったりはしご段を昇る下から(お尻から)録るのって、エチケット的にどうなの(笑)とかびっくりしたり。ここで作られている塩工場にも訪れていた。天日干しの塩、すごく高いんだろうけど、おいしそうだなあ。舐めてみたい。

 忙しい中でこんなお仕事までやっているとは。ホント、仕事ばかりでお休みする間が無いんじゃ無かろうかと他人事ながら心配ではある。

_ [読書][漫画][読了]『 デトロイト・メタル・シティ・ザ・ファンブック魔典 (ジェッツコミックス)(若杉 公徳)

 DMCのファンブック。映画化に合わせたんだろうけど、入門的な役割も果たしてるのかも。ただ、漫画と同じ版でぎっちぎちに詰めているので非常に見づらい。あと、クラウザーさんがどれだけファンの人たち(特に、あのロン毛のクラウザーコスプレの人)に助けられているかを思い知る。だって、あの人たちのクラウザー最強妄想無くしては成立しないもの! 単に偶然にそうなってしまっただけなのに「おお! あれは伝説の××ではないか!」って、いつ伝説になったんだよ(笑)。

 クラウザーさんの聖地(というか根岸の生地)犬飼町の紹介もあり。これも、カラーページなら良かったのになあ、とか。根岸の家ってどう見ても作者の家だよね(笑)。そういえば、女性タレントがクラウザーさんメイクに挑戦、みたいのをやっていた。黒い部分は乾かないらしく、漫画みたいな無理はできなさそう。

 まあ、登場人物紹介もあり、振り返ってみたい人にはいいかも。でも、少ししか出ないキャラクターのためにも初登場は何話、とか書いておいて欲しかったなあ。中には知らないキャラクターもいるんだけど、もしかして連載中で単行本になって無い分のだったりするのかな(それともわたしの記憶力が……)。

 メタル音楽理解のためのお勧めDVDやCDも紹介されているので、漫画だけでメタル知らない人にはいいかもね。各ジャンル集まっての座談会は、正直「そんな落ちかよ!」でがっくり。女の子に媚びるんじゃなくて、そこはメタルな人たちが大暴れしてみんなひれ伏せさせるのがいいんじゃないの?

 まあ、別に買わなくても問題はないです。趣味の人だけでいいんじゃないでしょうか。


2008年08月18日 (月) [長年日記]

_ [イベント]『 盗作の文学史(栗原裕一郎)』刊行記念栗原裕一郎×南陀楼綾繁トークイベント@古書ほうろう

 『ぐるり』プレゼンツ 南陀楼綾繁のトーク十番勝負その4 声に出して読みたい盗作〜『〈盗作〉の文学史』刊行記念〜というながーいタイトルが付いている、ホントは(笑)。

 この日は午前中は別の本を読んでいて、午後から『〈盗作〉の文学史』を読み始めたので、昼寝のせいもあってあまり進まなかった。しかし、これだけ分厚いというのにとても楽しく読めて、手は疲れたけどわたしにしては結構なペースで読み終えることができた。栗原さんは以前から雑誌の記事などでお名前は存じ上げていて、はてなでblogを始められてからはずっと拝読している。先日、エキスポ・ナイト2で初めてお会いして、話し方からして頭良さそうだなー、とか、ぼんやり思っていた。

 この日のトークは南陀楼さんの司会で始まり、大まかにこの本を俯瞰する、という形に。折角「声にだして読みたい」とタイトルを付けてるので、オリジナルと言われているものと盗作と呼ばれているものを対比するのに朗読することになった。わざわざ、詩人の佐藤わこさんを読み手としてお迎え。確かに、朗読、しかも今回のように内容を吟味したいのだったらいい読み手の方がいいかも知れない。

 まずはこの本ができた経緯から話は始まったのだが、大元は田口ランディ盗作検証本(『 田口ランディその「盗作=万引き」の研究(大月 隆寛)』)に寄稿した原稿が大元となっているようだ。この原稿は読者にもなかなかの高評価なのだとか(この本、買ったはいいけど殆ど読んでなかったなあ……)。このときに盗作の歴史らしきものを調べてみるとまとまったアーカイヴといったものがあまり存在せず、だったら自分で作ってやろうと考えたらしい。しかし、最初に出版する話が出たT社の話は潰れ、次に拾ってくれたO社では役員の鶴の一声で担当編集者の態度がころりと変わり、意図したものを作れなくなるからポシャったのだそう。まあ確かに、折角アーカイヴ的なものを作ろうとしているのに「読み物にしろ」「あまり固有名詞を出すな」ってそりゃ無いよなー。

 トークの内容に関してはもしかしたらどこかから出るのかも知れないのであまり触れないようにしようと思うが、わたしとしては休憩が終わって後半、文芸評論家の安藤礼二さんをお迎えしてからの話の方が断然面白かった。この方、書くものは情報が詰まっている濃いものがお好きということで、ご自分もすごく濃いのを書かれるそう。栗原さんとの接点は何とアイドルだそうで「沢田聖子いいよねー」とかこのときもお互い顔を見合わせてましたな。特に短歌に関しては素人の中井英夫が短歌雑誌(「短歌研究」)の編集長をした意味はかなり大きいそう。しかも、短歌というのは心情を表現するものだと思われていたのに、この後「短歌でもフィクションでいいんだ」という境地が生まれる。中城ふみ子が出てくることで寺山修司が出現する素地が揃ったのだとか。因みに中城の前に折口信夫を置くと、とても分かりやすいラインになるのだとか。とにかく寺山修司はたくさん問題になったものがありすぎてとてもじゃないけど本に入れられなかったので、この日は「ブログに引用したりしないように(笑)」という約束で、シナリオ編の没原稿をいただいたのでした。

 また、どちらかというと男性よりは女性の方が騒ぎが大きくなりやすいという話も。その方が読者も飛び付くからなのだろうが、まあ男社会だからということも大きそう。因みに、澁澤龍彦こそ騒がれてもいいくらいなのに何故か殆ど話に上がらなかったらしい。これは「元々の、紹介者としての立場と、後は人柄ですかねえ」と言っていたけど、そういうものなのか……。というか、阿部さんが披露されていたが、どこかの企画展(かな?)で初めて澁澤龍彦が読者に「この作品はジャン・ロランに似てる」との指摘を受け、手紙で「まさにその通り」と返信したものが展示されていたらしい。それによれば「わたしのオリジナルといえば文体くらい」との弁だったそうで(笑)。また、「自分で逐一挙げてもいいんだけど、読者に見つけて貰おうと思って」と言っていたそう。

 マスコミも、時期によって盗作騒動に飽きているときもあったりするので、かなり報道にはムラがあるらしい。なんか、フェアじゃないよなー。でも、世の中ってそういうものなのか。

 それと、庄司薫問題に因んで出てきたのは、「そもそも『ライ麦畑でつかまえて』の野崎文体は一体どこから来たのか問題」も提示されていた。

 予定の時間を大幅にオーバーしていたが、まだまだ話すことはあったらしい。全部聞けなくて残念。

 その後、みんなで乾杯する(生ビールのサーバーがあり、1杯300円で売っていた)という話があったのだが、どう見ても知り合いの人たちばかりでかなりのアウェイ感を感じていたので、その前にそそくさと失礼させていただいた。

_ [買った本]買った本

 近所の書店にて。

 ブックオフ千駄木店にて。

  • 『蝶の舌』マヌエル・リバス
  • もう一冊(後で埋める)

2008年08月20日 (水) [長年日記]

_ []きのうのカレー

 『深夜食堂』に出ていた「きのうのカレー」を再現すべく、昨晩カレーを作って冷蔵庫に保管。今朝、熱々のごはんに冷たいカレーをかけて食べてみたのでした。

 温めないだなんてごそごそしておいしくないんじゃないかという予想に反して、案外いける。特に今は暑いので、このくらいの方がちょうどいいほど。熱いごはんもかなり中和されていて、迷わず一口で食べられました。

 なんというか、つまみ食いしている後ろめたさみたいなものがあって、これはこれで面白いかも。温める手間も要らないしね! でも、温めないと腐り始めてしまうので、ちゃんとそれとは別に鍋の分は加熱してみました。

 さすがにおなかに重すぎて(そりゃ、朝からこんなものを食べればねー)、お昼は桃一個で済ませました。とほほ。

_ [読書][読了]『 盗作の文学史(栗原裕一郎)

 先々日のトークショーのあった午後から読み始めて(本当はもっと前から読み始めてはいたんだけど、纏まった時間で読まないと進まないね……)、やっと読了。とは言っても、おそらくちゃんとした人なら一日まるまる空けておけば読み通せるに違いない。わたしはすぐ昼寝に入っちゃうからなー(まあ、そういう体勢で読んでるってことなんだけど)。

 本書は、著者があとがきで

本書は、大月隆寛監修『田口ランディ その「盗作=万引き」の研究』(2002年、鹿砦社)に寄せた「「盗作」はいかに報じられてきたか―ニッポンブンガクとジャーナリズム―」という七十枚ほどの原稿が叩き台になっている。(p.472)

というものからできたもので、なんと492ページもある代物。自立します。鞄に入れたら存在感ありすぎて困りました。

 明治初期から現代に至るまでの「盗作」や「剽窃」などと言われた文学作品について丹念に調べていったもので、著者自身もこの手のアーカイヴがほとんど無いことにびっくりしたのだそうな(それがこれを書く動機にもなっているのだが)。実際、調べ物も困難を極め、わずか1,2行の記述を頼りに次の文献に当たるというような涙ぐましい努力があったればこそで、まあ、アーカイヴが無いのはみんな自分にとばっちりが来るからやりたくなかったんだろうなー、などと邪推。しかも面白いことに、何故かこの手の論争の舞台が「東京新聞」にあることが多く、しかし「東京新聞」は縮刷版を出していないそうで、国立国会図書館でマイクロフィルムをくるくる回す日々だったそうな。

 こうやって見てみると、自分が知っていると思っていた盗作報道も、最初の方だけぱぱっと記事を読んで(興味のないものは見出ししか見ない)後は全然フォローしてなかったことに気づく。おそらく世間の人々も五十歩百歩だったろうこれらのケースひとつひとつを丁寧に調べていったこの根気強さには恐れ入る。これってうまくすると、博士論文にもなる代物じゃないのかな? この苦労が報われるためにも、何か受賞するといいなあ、と思ったことでありました。

 あと、朝日新聞が盗作問題となると嬉しそうにしゃしゃり出てきているのが俯瞰して見えるのがお見事。一体どんな社会正義を体現して糾弾していったのだろうと不思議に思うほどのエネルギーでキャンペーンを張っているのでした。それが最近になるとインターネットの存在が取って代わるようになってきたという流れの指摘が面白い。田口ランディの事件は当時文学板をROMしていたこともあってよく覚えてる(野次馬根性で「サイバッチ」を購読したこともあった)が、大月隆寛のちょっと下卑た口調にうんざりしながらもなんか面白くて読み続けてたなー。田口ランディの本は『コンセント』一冊しか読んでないので(それ以前のものも全く読まなかった)、何とも言えない。ただ、著者も言ってるけどニューエイジめいた傾向がわたしは合わなかっただけで、好きな人がいるというのも勿論分かる。今もペースは落ちてるけど時々小説を出しているところを見ると、それなりに才能はあるんだろうなあと思うのだけれど、確かに当時編集者や書評家たちが何もこの件について言及しないのは不思議だったんだよなあ。

 あと、不勉強にして知らなかったのが、倉橋由美子の『暗い旅』盗作騒動。『パルタイ』で華々しく文壇デビューした後の第一長篇だったのだが、概ね好評を得ていたところに江藤淳が噛みついたのだという。そこからちょっとした論争が始まったのだそうだが、なんだか知らないけどこういう論争ってあんまり実になるものが無いのねえ。この項を読むと倉橋がいかに新しかったか、という印象を強くするが、それに旧態依然とした空気に浸かっていた方々は気づかなかったのでしょう。これはミシェル・ビュトールの『心変わり』そのものではないか!というのが江藤の論なのだけれど、海外文学紹介者の不甲斐なさまでをも責めててとばっちりの感がある。しかし倉橋は明治大学文学部仏文科の院生であり、これを意識してないはずはなく、敢えてこの形式を借りて書いたと見るのが妥当だと思うんだけどねえ。論争の最後には『心変わり』の訳者でもある清水徹氏が引っ張り出されてエッセイを書いているけど、概ね倉橋に非はないという論調。うーん、この反応が当たり前じゃないかなあ、と思った。

 これに限らず、盗作とか剽窃とかの定義がはっきりしていないことが多く、報道は見切り発車でされてしまうために騒ぎが無駄に大きくなる印象もある。裁判でも苦労するらしいことが見て取れるが、あんまり騒ぎすぎるのも創作者が可哀想だなあ、と感じた。ああでも、大作家先生でさえもが「著作権を甘く見ていた」とか「理解してなかった」といった「今更嘘だろ」というような見え透いた弁明で逃げ切り、その後有耶無耶になったものも多くて「大人って汚いのね!」なんて言いたくなったり。

 中に納められているものは勿論「騒動」とその「報道」を巡ったもので、中には「これは盗作とは言えないんじゃない?」といったものも含まれているが、自分の判定眼を見るのにもじっくり読んでみるといいかも。実際に盗作が指摘されている部分を見比べるべく並べ引用しているので、そういう楽しみ方もある。

 いやはや、すごいものを上梓されたなあ、という感動のもとに本を閉じたのでありました。これを元にまた研究論文なんかが出てきたら本望だろうなあ。あ、わたしなんかは野次馬根性で読み出したクチなので(あと、栗原さんの書くものが好きなので)、軽い気分で読んでみるといいと思うよー。重いけどな。

_ [映画]「崖の上のポニョ」@新宿ピカデリー

 はじめてジブリ映画を映画館で観ました。勿論、その後の酒のつまみにするため。この日は女6人連れ立って向かったのだけれど、新宿ピカデリーって名前から古い映画館を想像してたら、いつの間にかシネコンタイプになっていたのね。ロビーはすごい人。部屋も結構広いのにほぼ満席に近く、いやぁ、人気あるんだなあ、さすが宮崎アニメ、と感心した次第。

 映像は、素晴らしくいいですね。特に、海や波の質感。ただの水という感じではなく、もっと塊のような印象がある。ゆるーいゼリーに近い? その海が荒れ狂う描写がとっても良かったわ〜。ざっぱんざっぱん跳ね回るほど、現実は差し置いて「もっとやってー」と言いたくなってくる。

 以下は、ネタばれも多少含まれると思うので、未見の人は避けるがよろし。

 お話は、勝手に飛び出した赤いお魚のポニョが、人間のいるところにやってきて崖の上の家に住む宗介に拾われたことから始まる。かわいい金魚(宗介目線)を拾った彼はとても嬉しくて、ガラスの瓶にはまって動けないその金魚(宗介目線)を、瓶を割って助け出してあげる。するとガラスのかけらで指を怪我してしまうのだが、この金魚(宗介目線)がぺろりと傷を舐めると、見る間に傷口がふさがっていくのだ。ポニョと名づけたその金魚(宗介目線)は「魔法を使えるんだ!」と理解した宗介はそれをかわいがろうとするが、それも空しく海から来た謎の男の手先に攫われてしまう。

 あらー、「海のトリトン」?とか思ってしまうわたしは相当の年だな。この後、この謎の男が実はポニョの父親フジモトだということが分かるのだが、どう見ても悪役にしか見えない。因みに、最初に外見を見たとき、「あれ、ハウルの成れの果て?」と思った。彼は「彼女」と夫婦であり、ポニョや妹たち(全然サイズが違う。象とネズミくらい)の面倒を見ているようなのだが、「彼女」ともうすぐ会えるというのでとても楽しみにしている。その隙を突いてポニョは檻(クラゲ)を逃げ出しフジモトが大切に貯蔵していたなんかの薬や家をめちゃくちゃにしながら宗介の元へと向かうのだ。これがまあすごい。ポニョはどうやら人間の血を吸ったことで半魚人(手足の指が三本ずつで、どちらかというと鳥に似ている)、もう少し頑張ると5歳の人間の女の子になれちゃうのだ。人間の姿になったポニョは、妹たちが変身して起こした波に乗り、宗介の元へと向かう。しかしそこは大嵐。お陰で船乗りのお父さんは帰ってこれないわ、島だか半島(ドックなどがあって大きな船も出入りするところを見ると、島では無い気がする)中波にのまれて水浸しになるわ、それ、ぜーんぶポニョが宗介に会いに来るためにやったことですから(笑)! 一番低いところにあった養老院と保育園はとっくの昔に海の底。なのにお母さんは初対面の女の子を「どこの子?」とも聞かず「ポニョだよ!」で納得し、家に上げて夕飯(チキンラーメンもどき)を食べさせ、自分はひとり、養老院の元へと向かうのだ。はっきり言って無謀だって(笑)!

 結局、翌朝になっても帰ってこなかった母を捜しに宗介たちも家を出ることになる。しかも、ろうそくの火で走るおもちゃの汽船をポニョの魔法で大きくして、ふたりで乗り込むのだ。こういう昔風のギミック、ハヤオの大好物だよねー、幼女のパンツと同じくらい(笑)。その先々で町の人たちに会うのだが、もうこの辺りはもろ、死後の世界。みんな波にのまれて死んじゃったのに自覚が無いからこうやって船でたゆたってるんだよ! 最初に会った赤ちゃん連れの親子なんて、なんか影が薄そうだしなあ。養老院の車椅子のばあちゃんたちが揃って歩けるようになっただけではなく、子どものように走り回れるようになったというのも妙な話。この後もどんどん不思議なことが起こるのだけれどそれに関する説明は特に無く、問題解決も無い。そこにハヤオの主眼は無いのだろう。

 この物語は人魚姫の本歌取りをした作品であり、その枠組みを利用して自分の脳内世界をこうやって作り出してしまったハヤオは見事。とにかく、ポニョが連れてきた波とそこをたたたーっと走るポニョを観れば、わたしは満足ですよ。最後に宗介はある選択を迫られるのだけれど(5歳児にだよ!)あっけらかんとそんな人生の大きな選択をしてしまっていいのだろうかとおばちゃんすごく心配。その後のことをあーだこーだと考えてしまい、エンディングが終わり映画館が明るくなった途端、連れ立ったメンバーはお互い無言で顔を合わせてしまいましたよ。これ、ある意味ホラーだし、無邪気に作ってるけどすごく残酷な話だよ!

 その後は飲み屋に移動し、魚類を中心に食す。冷やしトマトの周囲にたたみいわしをあしらって「ポニョと妹たち!(わたしが考案しました)」とか。そして、とても恐ろしい物語について我々は夜がとっぷりと更けるまで話し込んだのでございました。ハヤオ、死んじゃうんじゃないかな(なんて不吉なことを)。

 養老院のおばあちゃんの中でただひとりだけ、ポニョに拒絶反応を示す人がいる。その台詞はまさにわたしたちが見ているポニョそのものであり、妙なフィルタを通さなければ普通はそう見えるもんだよな、と納得しましたよ。ひとりの小さな男の子が海の生き物を拾ってしまったがために海の神様に祟られて沈んでしまった話、という身も蓋も無い解釈も成り立つだろうことでございます。


2008年08月21日 (木) [長年日記]

_ [本の話]『ハローサマー、グッドバイ』の続編刊行決定

 翻訳者の山岸真さんからの情報です。無事に版権も取れ、来年の秋に河出文庫から刊行予定だそうです。

 「えー、夏じゃないのー」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、続編は特に夏が舞台という訳ではないから構わないらしい。まあでも、夏に『ハローサマー、グッドバイ』を読み直して秋に備えるというのが正しい姿と言えるかも知れません。

_ [買った本]買った本

 探しに探し回ったこの本。昨日も渋谷のTSUTAYAに行ったら検索気で「在庫あり」と出たので探して探してお店の人に聞いてみたら「売れてしまったようです……」と残念な返事が。そんなに飛ぶように売れる内容とも思えず、多分行き渡るところには行き渡ってしまったんだろうなあ。これは二刷を待つしか無いか、とダメ元で隣駅の書店に行ったら今日は定休日! がっくりしつつも逆側の近場の書店に行ったら、本店の方でヒット! 本棚のサイドにPOPが貼られており、本が置かれてる棚番号が明記されていたのですぐにたどり着けた。この方式、いいねー。このお店、いくらか前にこの場所に移転してきてるのだけれど、当時よりも漫画の品揃えがおそろしく良くなったような。今度時間があるときにでももう一度来てみよう。

_ [読書][漫画][読了]『 深夜食堂 2 (ビッグコミックススペシャル)(安倍 夜郎)

 という訳で第二弾。飄々としたマスターと、新宿は花園町の片隅に集まる常連とその快のゲストたちの交流。そこで供される食べ物をきっかけにした人情噺、とも言おうか。刺身のつま、などという料理と言えるかどうか分からないものまであったりして、いやそもそも刺身のつまをこんなに用意しているところもまず無いだろう、とか、そういうちょっと「非現実的」なところは目をつぶっていた方がより浸れるとは思う。

 それぞれ、人生がうまくいかなかったりうまくいったりして浮き沈みがあるが、その食べ物に人生が重なるのが物悲しくもある。因みにアジフライは醤油かな。もしくはウスターソース。こういう、味付けの好みであーだこーだ言い合うのも、こういったコの字型カウンター故なのかも。このカウンターを囲んで、みんなで蟹を食べている回も愉快。

 こういう漫画って、この店と同じく、あって当たり前で、無いことに想像が及ばず、無いとどうしていいか分からなくなってしまう存在感がありますよね。


2008年08月22日 (金) [長年日記]

_ [MySite]日記を書き終えるまでが夏休みです

……なんて誰も言ってねー。言ってみれば夏休み前から書いてないものも結構あったりしてわたしの脳内タスクリストはもうたぷんたぷんなんだけど、何とか書かないとなー。というか、書きたい。自分の記憶なんて当てにならないから。まあ、書いてるときもその当てにならない記憶を頼りにしてる訳なんだけど。

 ということで、現実の世界は今日からお仕事なのでした。

_ [書店話]ブックファーストで円城塔選ロボ本フェア

 既にご本人のサイトに告知が出てます(Self-Reference ENGINE | ֥󥹡ޥ͡ ʳؤȣӣƤκ̤ء)が、『 サイエンス・イマジネーション 科学とSFの最前線、そして未来へ(瀬名 秀明/山田 正紀/堀 晃/円城 塔/飛 浩隆/小松 左京)』刊行を記念して、ブックファースト各店でロボ本フェアをやるそうです。というか、今日行ったらやってました。まずは渋谷文化村通り店からということでレジ脇スペースにあるフェア棚(ランキング陳列棚の奥になります)のロボ本棚を拝見。ここ、フェアが目立たないのがちょっと残念なんだけど。25冊選んでいて、それぞれにPOPでコメントが付いている。そこに円城さん画のロボ絵が付いてるんだけど、これが太めのパステルカラーで印刷してあって、めちゃくちゃかわいいのだ。えーと、もやしもん的な存在?

 ペーパーも配布していて、ここに各作品へのコメントが載ってますので永久保存版だな。しかしプロフィールに「独身」って(笑)。ちなみにペーパーがあったのは一番上の棚で、このこと知らなければ見えなかったからそのまま帰ってたかも。

 この本は、去年日本で行われたワールドコンの企画のひとつを終了後にも拡張していったもの。そういえば、ワールドコンNippon2007自体のレポート本(『 世界のSFがやって来た!!―ニッポンコン・ファイル2007(日本SF作家クラブ/小松 左京)』)も出てるよね。週明けに買う予定。

 このフェアはその後、いくつかの店舗で9月頃展開されるようです。

 ついでと言っては何だが、この入り口を入って左側、検索機の右側、と言えばいいだろうか。ここが大々的にモリミーの新刊『 美女と竹林(森見 登美彦)』その他のフェア台となっていた。圧巻。あれ、ここに何があったっけ?と記憶を巡らせてみると……そうか、洋雑誌か! 洋版の破綻で他の取次業者がまだ出てきてないんだな。この方がわたしとしては嬉しかったりするんだけど(笑)。


2008年08月23日 (土) [長年日記]

_ [読書][雑誌掲載小説]谷崎由依「月のまにまに浮かぶ家」(「 すばる 2008年 09月号 [雑誌]」所収)

 まだちゃんと感想書けないので、とりあえずmixiに書いた端書を引っ張っておく。

 本当にしとしとと降る雨の音に優しく包まれるような文章で、気持ちよかったです。内容は不思議系。というか、百年もの時を経た廃屋寸前の民家を舞台にした往還もの、かなあ。キャラクターが皆個性的で、生き生きとしているのが、小説の輪郭をくっきりさせているのだと思う。比喩やオノマトペに特徴があり、言葉の選択にセンスが感じられる。他の作品は読んでないのだけれど、この小説にはとても合っていた。家が真の主役でもある。

_ [イベント]『 延安―革命聖地への旅(リービ 英雄)』『 仮の水(リービ 英雄)』刊行記念リービ英雄トークイベント@ジュンク堂書店池袋本店喫茶室

 こちらもちゃんと書く前に、mixiにざっくりと書いたものを引っ張っておく。

 よく考えたらこの人日本語で文章は書いてるけど話す方はどうなんだろ、と心配に思っていたのだけれど、いやいや素晴らしい。外来語の発音も日本語風味(ビール、とか)で、目をつぶって聴くと生粋の日本人と勘違いしてしまうほど。ほとんど淀みなく、ギャグも交えて話されてました。

 「仮の水」の「仮」について。「外人」の意の「老外(かな?)」について。「ハイハ」「ハイブハ」について。何故西安の奥の延安に惹かれたのかとか、そんな話等々の短かったけど感覚的にはそう思えないほどの時間でございました。

 作品数が少ないのはやはり母語ではない日本語で書いているためというのもあるそうで、この辺はいかんともし難いところ。しかし何故日本を通り越して中国へ、と不思議に思ったのだけれど(これまで、35、6回ほども行ったのだそう)、やはり日本文化のルーツは中国にあり、ということでそちらに目が向いてしまうのだろうなあ。ちなみに、日本に根ざして中国はあくまでも旅行者としてだという。中国は「旅をするのに最高な場所」であり「文学を書くのにそこに入る(なりきる、みたいな意?)必要はない」と自分では結論づけたそう。根っから境界(国と言葉の)文学の人であるのだなあ。ちなみに、中国語も日常会話はかなり(本人はそうは言ってなかったけど)できるようだ。おまけに、土地の方言を使ってみたりもするらしい。先に挙げた「ハイハ」「ハイブハ」もそのひとつ。「理解する」という意味らしい(後者は強調ヴァージョン)。 所々にやはり越境文学者の多和田葉子の名が出てくる。それとやはり越境(というか亡命)作家の本をいくつか書いてる沼野充義さんの名前も。

 8月7日にこの二冊の本を出したが(ちなみに装丁はともに菊地信義)、その翌日から北京五輪で、その1週間前には中国人が芥川賞受賞というタイミング。楊逸さんとは新聞で「日本語を母語としない作家の先輩」として対談をやったらしい(多分これ)。ちなみに、北京オリンピックに便乗して多数出た中国(ほぼ北京)関連本を彼は「殺人餃子本」と言ってるのだとか。

 サインもして貰えたのだが、そのときに「トークの中でおっしゃってた津軽弁の話から太宰治が津軽弁の文章を作中に書いたのを思い出したんですけど、あれは日本語にはとても思えず、歌ってるようにさえ見えました」といった話をしたら嬉しそうに「そうそう、方言は本当に面白いよね。でも、それを文章にするというのはとても難しい」と言っていた。思わず「阿部和重のような例もあります」と言いそうになったw。


2008年08月24日 (日) [長年日記]

_ [飲み会]サシで飲む

 春に初対面で滞在してる間何度かお会いした人がまたこちらに来られるということで、じゃあ飲みましょうとなる。周囲の人を何人か誘ってみたが皆空振り。おまけに世間(というかわたしの周りだけか)は皆SF大会で大阪行き。そんな訳で、ほぼ二人(途中から参加して途中で帰った人もいたので)で飲み食いしてきました。

 まあ、mixiなどで普段からやりとりはあるのでさして話すことに困るようなことは無く、7時過ぎから11時過ぎ(お店の人に「もう帰ってくれ」とばかりにダメ押しされました)まで延々話続け、なんだか分からないけどとてもとても楽しかった。

 SF大会の方々はその頃ずっと新幹線に閉じ込められたりして大変だったそうでありますが、今朝起きるまでmixiは見なかったので、飲んでる最中に相手からちらりと聞いた話のみ。まさか、本当にこんなに大変なことになっているとはよもや思わず。車中泊となった方々もいらしたようで。どうもお疲れ様でした。


2008年08月25日 (月) [長年日記]

_ [雑誌]野田節健在なり!

 今朝買った「AERA」をパラパラ読んでいたら、野田秀樹の顔が。巻末のコラム群「AERIAL」の執筆陣に加わったらしい。よく見ると、今回で3回目だったというのに全く気付いてなかったですよ。

 今回の記事は時期も時期なので北京オリンピックもの。導入部から本題に至る話の振り方も内容も、かつてのやんちゃな著作を髣髴とさせるもので、まさに野田節健在なり!と心の中で叫んでしまった訳でした。

 高校生のころ、東京でしか公演をやらない夢の遊眠社のことを少しでも知りたくて野田秀樹の本なら何でも買ってた頃を思い出しましたです。

_ [Web][本の話]¢ĩ

 日下三蔵さんが「週刊現代」に連載されている(現在形?過去形?)ミステリ時評を本にまとめたものが『 ミステリ交差点(日下 三蔵)』として刊行されました。それをネタに遊ぼうという企画なのか、そこに紹介されていた作品をチェックリストにし、どのくらいの既読率か調べるチェッカーが公開されてました。うひょー。

 しかし、わたしは国内ミステリはほとんど読んでないので前半見てて「あー、下手すると0か。それもまた自慢だな」と思っていたら残念なことに何冊か既読作品が。涙を呑んでチェックいたしました。

 驚異の日下さんの読書率には届かない人も多いかと思いますが、一度挑戦してみるのも乙なものだと思いますです。

 因みにわたしの結果は、

既読は136作品中 4 作品です(平均は 2.00 作品)。

2 人中 1 位でした。

日下三蔵とのシンクロ率 2.94 %でした。

[結果より引用]

と出ましたです。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷公園通り店にて。

 ふへー、重かった。雨だというのに。「エスクァイア」は、「SF再読」という特集。何でもいいんだけど、わたしとしてはケリー・リンクのおうち(兼出版社オフィス)が見られたのが良かった! 100年以上前に建てられた元農家の家屋なんですって。蔦に覆われて趣きあるなあ。手入れが大変だろうけれど、こういうところに住んでみたい……。冷泉さんは今やすっかりアメリカの市井の人たちのことを伝える人になってしまってるけど、面白いと思うし、こういうのが合っていたのかしら。随分前に知り合って、日本に帰ってこられた時はお会いしたこともありました。著書が少しずつだけれど出てるのを見ると「あ、頑張ってるんだな」というのが見えて少し嬉しい。周回遅れの「an・an」は、長嶋さんのインタビューが巻末に載ってるから買ったんだよ! というか、気後れしているうちに今になってしまったのだった。「S-Fマガジン」は、新しい太陽の書特集。柳下さん大活躍です。

_ []焼きさんま定食

 夫が魚を食べたいなー、というので、近所の魚中心の定食屋へ。パッと目に付いたのが焼き魚定食。ちょっとお高めだけれど、身がとても大きいのだそうだ。いつもだと二人別々のメニューにするんだけど、今回はこれで決まり! ついでに、小アジの南蛮漬けもお願いした。以前、サービス(わたしの頼んだお魚が、入荷したのがそういうのばかりだったそうで小さかったのだ)でいただいたことがあって、そのときにとてもおいしいと思ったので。酢の酸っぱさって、身体の疲れがとれるなー、と思った。うまい。

 で、問題のさんま。ホントにでかい。しかも身が新鮮で、腸を食べてもあまり苦くない。というか、苦さがうまい。しかもじゅわじゅわ焼きたて。これは嬉しい。嬉しくて頭としっぽと骨以外はきれいに平らげたが、途中から結構おなかいっぱいになっていた。恐るべし、特大さんま。


2008年08月26日 (火) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 ほぼ文庫デー。

_ [読書][漫画][読了]『 愛の時間 (Feelコミックス)(やまじ えびね)

 ふと気がつくといつも彼が視界の中にいる。

 その人は、美術館で、カフェで、図書館で、気づけば同じ空間にいる人だった。少しずつ、緩やかに彼らはお互いを知っていく。先に男に興味を持った詩織が、彼のことを調べ、忌まわしき場所である河原へ趣く。しかし、そこで彼女は理不尽な仕打ちを受け、深く心の傷となる。「あの人のせい」と彼を恨もうとするが、勿論自分が勝手に興味本位でうろついたのがいけなかったことは分かっているのだろう。それでも、それを言葉にすることで、その重みから逃げようとしたのではないか。その直後の現場に彼と行き会ってしまい、行きがかり上、助けを受ける。男は、「俺がもう少し――」と言いかけて止める。何故か、この日からつれなかったはずの男が少しずつ心を許し始める。

 男は、影山といってT大学の博士課程。その後輩に詩織の男友達・戸田がいて、彼は彼女のことを好いているがいまひとつ手応えがない。が、ある日告白し、口づけようとすると抵抗しないことに好機を感じ、とうとうその日のうちにセックスまでしてしまう。彼は、どこかで焦っていたのだ。影山に惹かれていく詩織に。ところが詩織は、その間感じていたのはただただ恐怖だった。あの河原での出来事がフラッシュバックし、何も感じず何も覚えていない。従わなければ殴られる、襲われると萎縮しているのだ。この不均衡な関係に気づいた影山は彼女を救おうとする。

 もしかしたら、もう少し前に戸田が告白していれば、全く状況は変わっていたかも知れない。しかし、あまりにもタイミングが悪すぎた。彼は影山に奪われないうちに(どうせ彼はゲイだから奪いようがないのに、と心に言い聞かせながらも)彼女をものにしなければと前のめりに過ぎ、彼女の気持ちを全然考えてない。であるがために、お互いを傷つけてしまう。

 詩織の側にレイプという問題があったとしたのならば、影山の側にあったのは、恋人の死だ。しかも両耳を切り取られるというひどい形で発見することとなり、それがずっとしこりとして残っている。あの死が、彼の何もかもを変えてしまったのだ。しかし、その奥にもっと何かありそうな様子が見え、少しずつ親しくなり、近しい人から彼の過去を聞き出すことになる。

 この、つかず離れずの関係がとてもいい。勿論影山にはゲイという志向と恋人の死という傷があり、詩織には乱暴された経験がPTSDとなりその後の行動に深く根を下ろしている。そのために自分が人に弱さを見せないように懸命になる。この緊張関係があるからこそ、お互いの関係が危ういところで保たれているのだ。その均衡が崩れるのは――。

 最初、ここからの展開がいささか安易に見え、終わらせ方に不満が残った。しかし、こうやって文章を書いているうちに、いや、それは違うのかも、と思えてきた。この物語が何を描きたかったか。彼らが果たして相容れる存在になるのか、ということではないのだろうか、と。性的嗜好も違い、それどころか異性を受け入れられないはずの二人が、お互いに無くてはならない存在となれるか、と。それが最終的に恋人とか結婚とか、そういうところに行きつくかどうかは形式だけの問題に過ぎない。たまたま彼らの場合はひとつのタイムリミットがあったということかも知れない。それどころか、何もかもはこれからなのだ。ある意味この物語はオープンエンディング。何もまだ始まってはいない。助走を始めたばかりなのだ。この後どんなことが起こるのかなんて誰にも分からないのだ、たぶん、作者にも。もっとほのめかしの状態で良かったかなあ、という気もするのだけれど、物語としての盛り上がりを最後にぐぐぐっと持ってくるには、やはりこのくらいのものは欲しかったかなあ、とひとりぐるぐると考えているのだ。

 その盛り上がりはある意味期待していたものだっただけに、物足りなさを感じたのだろう。でも、ときにはそういう結末もあっていい。

 この著者はレズビアンの物語を描くことが多く、これもてっきりそういうものだと思っていたら、女性と男性のお話だったので面食らった。でも、その後探るように読んできて、こういう物語を描くに至った理由も、何となく見えてきたように思った。与えられた性とどう付き合っていくか、こしらえられた性とどう向きあっていくか、そういうことではないのかな、と、これはわたしが得た結論であり、勿論人によって全然変わってくるのだろうと思う。

 独特の静かな絵柄と感情を抑え込んだ表情、端正な絵柄がこの物語にはとてもよく合っていた。装丁はミルキィ・イソベ。なるほど! 表紙カバーの色合いも美しく(この画像だとわかりにくいけど、もっと薄くて鮮やかで、光っている)、各章の扉のあしらいも見事。


2008年08月28日 (木) [長年日記]

_ [読書][読み始め]『 民主党のアメリカ 共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ)(冷泉 彰彦)

 毎日のようにアメリカの大統領選に関する報道があるので、今のうちにちょっくら読んでおこうかと思った次第。浅はかな考えではリベラルな民主党の方が何かといいんじゃね?というか、共和党って頭の固いキリスト教信者ってイメージがあって、あまり近い気がしない。だから、8年間続いたブッシュ政権とともにしばらく共和党にはおさらばしたいと思っていたのだが、まあそこまで物事というのは単純ではないのだなー、と思った。この複雑な問題を門外漢の日本人一般にうまく説明するのってやっぱり相当大変なことなんだろうなあ。ここで著者が書いていることが絶対的に正しい、ということは無いのだろうけれど、概ね間違っていないんじゃないかとは思う。

 民主党については

戦争を正当化し、戦争に突き進むまでの情熱、民主党の人権思想とはいったいどこから来るのであろうか。それは過剰なまでの自信である。それは理念的な正しさへの自信と、その理念を実現するための力への過信という二つが合わさっているのであって、そこにアメリカ民主党の過剰さがある。人類の歴史は、しばしば理念的に正しい勢力には、物理的な力を与えずに少数者の地位に押しとどめることがある。また、物理的に強大な勢力がしばしばその理念や自己イメージには脆弱さや劣等感を内包していることがある。そんな中で、アメリカ民主党という存在は、一点の曇りも無いと言っていいほどの自己肯定感を持った理念が、世界最大の軍事力と結びついているという意味で、特殊であるといってよいだろう。そして、自分たちがその特殊性に気付いていないところに、大きな問題がある。(p.45)

 わー、アメリカに対する印象そのものじゃないか。対する共和党の方は、ちょっと抜書きするには長くなるので止めておくけど、一点キーワードを書いておけば「懐疑」というものですべてが括られるようだ。

勿論、そうした「人間に対する懐疑」だけでは、人は耐えられないのであって、そこに「唯一人間だけが紙から選ばれた存在」という宗教的な自己肯定をすることでバランスをとる、それがアメリカの宗教保守主義のメカニズムになっている。進化論を否定したり、人間の生み出すテクノロジーが自然を改変することを是認するのはそのためである。(p.45)

 対外的な軍事外交の姿勢もここから来ており、そこからまた異文化への「懐疑」も生まれてきているのだという。だからこそのイラク先制攻撃だったりするんだろうなあ。

 それと、大統領選になると必ず出てくる社会価値観についての論も興味深い。4年に一度必ず「銃規制」「生命倫理」「同性愛者間の結婚」に対する意見が踏み絵にされるが、これは連邦最高裁判事の候補指名権を大統領が持っていることに尽きるらしい。要はここでアメリカという国の価値観判断がされる訳で、自分の倫理観に近い人を持ってくるのが当然ではあろうから(これについては記憶の新しいところではブッシュが一度指名した人物が最終的に降りたケースがある)、それによってはがらりと様子が変わってくるからなのだそうだ。おー、ここら辺のもやっとした疑問は分かりやすく解決した。

 まあ、まだ読み始めたばかりなので、このあとどんな話が続くのかも期待したいところ。

 なお、あとがきによれば、やはりこれは村上龍が編集長を務めるメールマガジン「JMM」での冷泉氏自身のレポートが元となっているらしい。

_ [本の話]ʸؤĩ

 先日日下三蔵に挑戦!!を作ったら、別のお題を与えられ作ってみたというのがこれ。元ネタは『 世界文学ワンダーランド(牧 眞司)』今度は古今東西を問わぬ世界文学が相手なので、ここを読んでくださってる方にはより興味を持っていただける者と思います。是非チャレンジしてみてください。

 という私は、なんと

既読は76作品中 16 作品です(平均は 31.68 作品)。

22 人中 15 位でした。

シンちゃんとのシンクロ率 21.05 %でした。

[結果より引用]

……低い、低すぎる。猛者多し。しかしシンちゃんとくれば最近は東京都知事なので、なんか複雑な気分よ。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷店にて。

 『新しい太陽の書』は、5を買ってから4を買ってないことに気付いた。なーんか間が空いてる感覚だなあ、と思ったんだ。あと、出るべき新刊が、入り口脇の新刊コーナーに並んで無いので不便だ。どうしても並べたいものばかりではないようだし。今回の、新潮クレスト・ブックス10周年記念刊行の三冊もそうだし、池上永一の『テンペスト』も姿見当たらず、SFの棚でようやっと発見(クレストも海外文芸の棚で発見)。

 『イマイと申します。』は、かつて報道特捜プロジェクトを見て「すごいなー、ここまでやるんだ」と感心したものだった。その理由で購入。


2008年08月29日 (金) [長年日記]

_ [Web]Google StreetViewのこと

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 先日、MiAUでGoogle StreetViewのシンポジウムが開かれた。残念ながらわたしは行けなかったのだけれど、当日の会話内容を記録していた方がいて、それを読んでみた。

ICHINOHE Blog: MIAUݥGoogle ȥ꡼ȥӥ塼""ͤסLive Bloggingμ¸

 議論は、それぞれ問題と考えるところは出てきたけど、そこからどうしていこうというまでの進展はやはり無かった模様。というか、この時間でそこまで話せたらそりゃすごいが。

 わたしは、Google StreetViewを見たときに「こりゃすごいや!」と思った。自分の目で見られないところがいながらにして見られる。方向音痴のわたしには、知らない場所に出かけていくときの下調べにも使える。まだ都市部だけだけれど地方の都市まで行ったら、実家も見られるのか。下手すると犬が写ってたりして、とかなり無邪気だ。

 そこで、ふと考えた。結構こうやって気楽に面白がってられるのは、自分が集合住宅に住んでるからかなあ、と。マンションの、ある程度の高さの階だとさすがにほとんど見ることができない。少しはなれたところからわざわざ見てみたくらいだ。しかし、実家だと車を保有してる関係もあって道路との間に低いフェンスを張っているだけで、道路からは犬どころか車も丸見えだ。まあ、うちはベンツなどという高級車じゃないのでさほど心配は要らないと思うが、父がステテコ姿で外に出てるところをストカーが走っていたらどうしよう、とは頭を掠めた。犬は写っていてほしいけれど、明らかにその家の住人らしき姿をした人物が下着同然(というか下着なんだけど)の姿で全世界に公開されるのは……そりゃあ歓迎しないだろうな。顔をぼかしていたとしても、どう見てもこの家の人間であることは丸分かりだろう。そういえば、国は違うがこんなトラブルもあった。

Google's Street View captures the moment a drunken Aussie keeled over outside his home | Mail Online(via ݤťԤ--Street Viewפᤰ뽣ʪ:ޡƥ - CNET Japan)

 さすがにこんなことにはならないと思うけど。道路に面した家とはいえ、玄関を出て庭の方に行くこともある訳で、そういうときは公の場にいるなんてこと、ほとんど考えてない筈だし。そういうところが写っていると、ちょっと困るなあ、とは思った。

 今回は技術的問題でもなんでもなく、Googleが人海戦術で、とりあえず撮るだけ撮ってしまおうという態度に見えるところ、その情報は集積されていくところ、対応はオプトアウトなのでいつまでにどんな風に処理されるのかも分からないこと、などが問題であるように見える。あとは、カメラの位置が高すぎるのと(うちの実家みたいなところは人間と同じくらいでも意味が無いが)、車進入禁止が出てるような路地裏までなぜか入っちゃってることかな? 指針みたいのがいまひとつ見えてこないし(時々ある空白地帯は何ゆえ?)。この辺は、Googleの対応がどのように変わるか(対話などはありえるの?)見てみたいところではある。

_ []八雲(池尻大橋)

チャーシュー麺(黒だし)特製ワンタン麺(白だし)  久しぶりに八雲へ。夫は黒だしのチャーシュー麺(980円)、わたしは白だしで特製ワンタン麺(950円)。ここのチャーシューはギュッと噛むとギュッとうまみが出てくるような感じで、とてもおいしい。といってもチャーシュー麺頼むほどの元気はないな。白だしの方が優しい味ではあるのだけれど、わたしはやっぱり黒だしのはっきりしたうまみの方が好きかも。白だしと黒だしのハーフアンドハーフもできるそうなので、今度はそれを頼んでみよう。

 商店街をぶらぶらと駅まで帰ってきて、最寄り駅で降りたら一雨来た後だったらしい。今日はだいぶ早く帰ってきたのでどうやら免れたみたいだけれど、その後電車は大変だった模様で。ごろんごろん言ってるもんなあ、昨日も今日も。昨日、それもあって寝られなかったので先ほどまで爆睡していたので世の中の動きが分からなかった。mixiエコーで時間をさかのぼる女。へえ、こんなことがあったんだ。


2008年08月30日 (土) [長年日記]

_ [イベント]ステンシルでブックカバーをつくろう(講師:セキユリヲ(ea))@青山ブックセンター本店カルチャーサロン青山

仕上がりと一式  今日は珍しいことにトークイベントじゃなくてハンズオンセミナー……って言い方はもしかして技術系のみ? 実際に指導を受けつつひとつのものを作る企画で、今回は紙にステンシルで模様をつけてお気に入りの本のブックカバーにするという企画でした。使ったのは田中直染料店の刷り込み刷毛2.5分(終わった後1本ずつお土産でいただきました)、洋形紙(SC8J10番薄手)のアイボリーと白、ステンシル台紙、絵の具、その他諸々。自前で持って行ったのは鉛筆、消しゴム、カッター。そのほか諸々用意されておりました。

 最初に、あらかじめ用意された型で色をつけてみるテスト。初心者の方も多いのだろうと思われる。テーブルにはあらかじめ絵の具が用意されているが、各テーブルで違うものも置いてあるため、この後自分の作品を作るときはあちこちのテーブルを彷徨う人多数でした。

 ステンシル自体は全くの初めてではなく、どこかでお試し程度にやったことはあるので、何となくやり方は分かっている。それよりも、小学校低学年のころに土を表すのに水分を切ってぼさぼさにした筆でそれっぽく仕上げたら褒められたことがあって、あんな感じだというのは何となく分かっているんだけど。まあでも、こうやって一からやろうと思うとなかなか大変っす。

 しかも、合わせるのに持って行った文庫本が『わたしを離さないで』で、それに合わせたテーマを、ということで表紙もテープだしつい音符を考えるのだけれど、何となく細いところがある模様は避けた方がいいのかも、と思っていたところ、セキユリヲさんが回ってきて「これ、いいんじゃない?」と、これまあいい感じに、白々しくなく背中を押してくれるのですよ。講座には小学生の男の子連れのお父さんがいたのだけれど、この子も頑張ってたようで、よく声を掛けられてました。それにしても、もっとモティーフにしやすい本を持って行けば良かったんじゃね?まあ、間違っても『日本探偵小説全集/9 横溝正史』じゃなくて良かったですわね。何となく月と音符でその場を誤魔化したけど、むしろこれって『充たされざるもの』のモティーフじゃないかと感じたり。

 なんだかんだとステンシル台紙にカッターを入れて型を切り取るのは楽しくて、時間があればもっとやっていたかった。結構刃物好きなんだよなあ。その後、絵の具を乗せていくのも楽しくて、どこでもなんぼでもやるよー、という感じ。水を含ませすぎる人が多かったようで、そこは後で注意されていた。

 色を変えるときは刷毛を一度洗わなければならないのだが、それをどうしたらいいか聞くと係の人に預けて洗ってきてもらって、ということ。しかし、これが結構時間がかかるのですよ。このアイドリングが無ければ確かに二枚のデザインをして作れたかも。

 絵の具も、和の色で用意してあって、落ち着いた色味。わたしは黄色と桃色系の濃淡でまとめたのだけれど、まあ、いろいろあるからって使いまくらない方がいいだろうことは確か。

 出来上がる先からユリヲさんがみんなに見せてくれるのだけれど、中には玄人はだしの人がいて、たぶんあれは美大卒の人なんだろうなあ、とは思った。小学生の男の子はフジモトマサルの『長めのいい部屋』で作ったらしい。かわいかった。それにしてもみんなそれぞれが全然違う作風で、しかも芸達者。お見それしました。わたしのは、おおざっぱに「こんなもん?」という感じで作ったので、全然本にサイズが合わない(笑)。折った部分にデザインが被ってたり。フリーダム! ユリヲさんは「でも、そういう感じがまたいいのよー」とポジティヴに褒めてくださったけど。

 こうやって、手を使って集中して何かを作る講座というのも楽しいかなあ。1時間半くらいでほとんどの人ができあがるもの、という条件がつくから、なかなか難しくはあるのだろうけれど。

 その後サイン会があり、結局躊躇してた『セキユリヲのデザイン』を大人買い。かわいらしいサインでした。店内にも『 サルビア手づくり通信 セキユリヲ職人さんに会う聞く習う(セキユリヲ/白井 明大)』に関する展示があって、お金があれば全部お買い上げしたいところだった。レインコートは特にいいなー。

 店内で、オリエンテーリングっぽいことをやってきて、6問店内を回って答えてきた。最後のがちょっと難しかった(モノが見つからなかった)のだけれど、三択の常道を念頭に答えてみたら何とか全問正解だって。へえ、当てずっぽうでも何とかなるらしいね。でもくじは参加賞だったので、手ぬぐいをもらってきた。

 まあ、たまには女子っぽいこともしないとね。

本日のツッコミ(全3件) [ツッコミを入れる]

_ NN [「わたしを離さないで」ですよね? これ、もう文庫になってたんですね。意外と早いなあ。]

_ にじむ [あ、ホントですね。間違えていた。文庫化されたのは今月です。ブックファースト渋谷では文庫のトップセールの棚に沢山並んで..]

_ にじむ [ちなみに、最近ちょっと文庫化のサイクルが早くなっているような感じがあります。以前は3年という感じだったのが、最近2年..]


2008年08月31日 (日) [長年日記]

_ [イベント]クラフトエヴィング商會×三浦しをんトークイベント@青山ブックセンター本店カルチャーサロン青山

 クラフトエヴィング商會のお二人は去年から引き続きの出演。三浦しをんさんのトークは初めて聴いたのだが、なんというか返しが絶妙で、ああ、勘のいい人なんだなあ(この場合は褒め言葉)と思った。答えるとき、第一声もいいけどその次にちょろっと付け加えるともっといい感じ。このお三人と去年トークをした岸本佐知子さんとで「ZZZ」という同人誌を作るつもりだそうだ。きっかけは、この四人のうち誰も『罪と罰』を読んでなかったことで、それでこれはどんな作品だと思うかのブレーンストーミングをするんだそう(笑)。材料は、みんなが聞きかじった情報と、岸本さんが英訳版の最初と最後のページを翻訳したもののみ。「いつできるか分からないけど」とおっしゃっていたけど、「ガワだけはできている」とちらりと見せていただいた。さすが装丁家のお二人! ABCで扱うことは超決定のようなので、近辺の方は楽しみに待つといいと思った。

 えーと、内容については後日改めて。

_ [イベント]柴田元幸×小野正嗣トークイベント@青山ブックセンター本店カルチャーサロン青山

 どうにも会場の「サンクンガーデン」が分からず、ビルの見取り図だのなんだのを見てもはっきりしない。たぶん、外のテラスカフェになっているところだと思うのだけれど、開始1時間を切ってもまだ営業している。一体どういうことなんだろうとお店の人に聞いてみたら「いかにもあそこがそうだが、……(あと、ちゃんと聞いてない)」で、もう受付時間5分前になったので店外に出てみると、カルチャーサロン青山の方へなんか列ができていた。ああ、あの人は「受付はこちらでやります」と言いたかったのか、と変な納得の仕方をしたが、かたわらのサインには、会場がこのカルチャーサロン青山となっている。どうも、屋内に変更したらしい。とりあえず整理券をもらって席を取ってすぐに、まだ順番が来ていなかった前のイベントのサインをいただきに洋書コーナーへとって返す。ちょうど、最後の順番になっていた。今日は吉田篤弘さんだけにサインをいただいた。『空ばかり見ていた』に。青の濃淡を生かしたきれいな装丁。勿論、吉田篤弘+吉田浩美名義の装丁。

 内容については後日改めて。イベントで柴田さんが読まれた、小野さんの小説「ブイになった男」は素晴らしい作品だと思った。「三田文学」の1997年夏季号(No.50)掲載らしい。後でサインをいただくとき、「本当に鹿って“かにぃろおおお”って啼くんですか?」と訊いたら「そうなんですよ、ホントに“かにぃろおおお”って啼くんですよ」ですって。まさかご本人がやってくださるとは(笑)。インタビューとか読んだことがたぶん無いので分からないのだが、湾とか浦とかこの風景に、何か思い入れがあるんだろうなあ。あと、小野さんの朗読が、なんというかとてもチャーミングだった。柴田さんの名朗読の前では大抵の人は色あせてしまうのだけれど、そういう意味では負けてない。特別技術があるって感じでもなく、言葉を切るところも違ってたりするけど、それもが味になってしまう感じ。

_ [読書][読了]『 時が滲む朝(楊 逸)

 中篇だというのに、五輪最終日から今までかかってやっと読了。何が駄目だったかって、どうも会話がいけなかったらしい、わたし的には。これは母語で無いときに出るぎこちなさかとも思いつつ頑張って読んだんだけど、まあ、確かにそういう人たちの会話に似ているのかも知れない。

 主人公の梁浩遠は、過酷な受験戦争をくぐり抜けて晴れて泰漢大学へ入学が許される。高校時代良きライバルで良き友だった謝志強も同じ大学で、期待に胸を膨らませる。浩遠の父は北京出身でその昔北京大学の学生だったが、1957年の反右派運動に巻き込まれて黄土高原ど真ん中の紅旗村に下放されて六年間過酷な農作業に従事する。その後縁あって近くの中学校の英語教員に引き立てられ、そこに家族を作ることになる。その父の期待を背負っての進学だ。大学では懸命に勉強して人の役に立つ仕事に就くぞと誓い、実際夜も昼もなく勉強に明け暮れる。早朝の、湖の畔での志強との会話が初々しい。教員の甘凌洲先生という尊敬できる人も見つけ、湖に葡萄の粒を落としたような瞳を持つ白英露にひそかな恋心を抱く。

 勉学を誓い合った二人だったが、その後時代の波が押し寄せ、国家の民主化のために学生運動に身を投じる。近くの印刷屋にTシャツを持ち寄り、中国大陸の上に“I love You”と書き、その上から中国の国旗を立てる絵柄で印刷してもらうが、それが苦い思い出となる。結局、一時退却時に立ち寄った飲食店で暴行を働いた科で刑を受け、大学はたった三ヶ月で退学処分となる。抱いていた夢を打ち砕かれた二人は、失意のまま最下層の労働者として金を稼ぎ、泰漢に残る志強と別れ、日本に渡り妹の友人で在日中国人の梅と結婚することになる。

 それからほぼ10年後。日本で、北京五輪招致反対の署名活動をしている浩遠。彼は日本に渡ってからも中国の民主化活動をするグループに属し中心的存在として頑張ってきたが、自分ばかりが空回りしているように見えて仕方がない。仲間はビザ支給の情報が目当てで本当に革命を目指す物など無きに等しかったのだ。

 この浩遠という人物。かなり優秀なのだろう、日本でも努力して中国籍のまま正社員の座を掴む。しかし、彼の心を捉えているのはいつまで経ってもあの遠い日に夢中になった革命運動なのだ。母国中国を良くするためにただひたすら頑張ってきたつもりなのだが、大学近くの食堂やタクシー運転手は理解を示さないし、仲間だった筈の志強もそこから遠く離れて日々の暮らしや自分の商売でいっぱいいっぱいだ。日本で一緒に活動してきた仲間もそうだし、アメリカで同じ志で頑張っているはずのリーダーでさえもが日常のことで愚痴を書いてくる始末。つまりは彼だけが初志貫徹の心持ちであるのに、みんな生活のため、世辞に流されてどんどん遠ざかってしまうのだ。遠く離れた日本で、砂に流されたかのように孤立感を深める浩遠。その心は、あの憧れの甘先生、そして恋心を持った英露と再会することで、より一層深まっていく。その、寄る辺なさみたなものを描いたのがこの作品なのではないかと思った。

 若いころに理想に近づかんと頑張ってきた過去は、多かれ少なかれ持っているものだとは思う。でもそのうちに世の中というのは正論だけでは通ってはいけないと思い知って妥協の道を知ることになるのだが、ある意味浩遠は恵まれた人生を知らずに歩んできたせいか(勿論並ならぬ努力はあるのだが)、その変節を知らないまま而立の年を迎えるのだ。それが幸せであるとともに不幸であることは、この作品を最後まで読めばきっと分かることに違いない。故国中国のために尽力してきたはずなのに、気がつけば誰にも歓迎されることなく根無し草となってしまったことへの哀切。それとともに、次世代のたくましさをも描いたものなのかも知れない。

 途中効果的に出てくるのが、いわゆる流行歌である。ここで出てくるのは、テレサ・テン。考えてみれば、浩遠たちとわたしとは年齢がさほど違わない設定なのだが、彼らはたかだかテレサ・テンでドキドキしているのだ。寮の部屋で寝る前三十分だけみんなでひそかに聴くことになるのだが、こんな刺激、受けたことが無いのだ。何に関してもその調子で、ここで描かれている大学生は、まるで中学生、いや、それにも劣る世間ずれ具合。本当に余計なことは何も知らされずにここまで来たんだなあ、と、たかだか海を隔てただけの隣国に思いを馳せる。その後浩遠は、梅から渡された尾崎豊の“I love You”に胸を高ぶらせるのだが、ここまで何かが刺激になったことって、残念ながらわたしにはない。子どものころからある程度慣らされてきてるし、ある程度どんな情報でも(時差は多少あっても)流れてくるし、享受できる。もう、スタートからして彼らとは違っていたんだなあ、と。そういった純粋さは、何もかも与えられている日本人には確かに真似できないよなあ。

 国を背負って立つ気迫があればこそ、彼らは活動をしてきたはずだ。しかし彼らのためを思ってやってきた活動が実は誰も期待してなかったものだとしたら……。浩遠が、故郷について息子に説明する台詞は重い。そして、返ってくる言葉も。

「ふるさとはね、自分の生まれたところ、そして死ぬところです。お父さんやお母さんや姉弟たちのいる、暖かい家ですよ」 「じゃ、たっくん*1のふるさとは日本だね」

 ちなみに日本で生まれ育った娘も息子も日本語が達者だが、自分はちぐはぐな言葉しか口にすることはできない。妻も中国残留孤児であり、中国で教育は受けているが日本国籍。自分ほど立場も心も宙ぶらりんな人間は、周囲にいないことに急に気づくのだ。

*1 浩遠の息子、民生