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2008年11月04日 (火) [長年日記]

_ [読書][読了]『 大統領になりそこなった男たち (中公新書ラクレ)(内藤 陽介)

 さて、今日の夜明日の朝には第44代アメリカ大統領が決まっているかも、な訳だ。これを含めて今までのアメリカ政治史関連の本三冊(他の2冊は『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』『アメリカの宗教右派』)はこの日に合わせて読んできたのだが、思ってたよりずっと時間がかかってしまった。1冊目で今までの共和党と民主党の歴史を俯瞰し、2冊目で、今まで疑問に思っていた福音派などの宗教右派がここまでどうして政治に影響してくるのかの疑問を大雑把に解消し、3冊目のこれでアメリカ建国からの「大統領になれなかった男たち」の系譜を見てくることで、すごく大急ぎでアメリカ政治史をおさらいすることができた。

 この本は、いわば「アメリカを形作ってきた人たち」の話で貫かれている。読んでいてどんどん感情移入してきたのだが、それは彼らがあまりにも理念にまっすぐ正面から向かっており、真っ正直であるが故に疎んじられ遠ざけられ、輝く歴史の影の部分になってきたように見えたからだ。勿論「なれなかった男たち」にもどうしようもない人たちはいるのだが、そんな人に焦点当ててもしょうがないものね。だから、最初に採り上げられる初代財務長官アレクサンダー・ハミルトンを始めとして、実務能力に長け、人心掌握力もありながらも当時のライバルや時代趨勢や様々な要因によって志半ばで表舞台を去っているのだ。その様子は著者もあとがきで「判官びいきが骨の髄まで染みついた日本人」に合った読み物だった。

 こうやって追いかけてみると、ここで採り上げた彼らのような「まっすぐ」な人たちがいたからこそ、時代がぐっと変わっていったのではないかと感じられてくる。その時代にはもしかしたら若干早かったかも知れないけれど彼らが無理をして通してくれた法案が後の世の軌道修正を形作った可能性を感じるのだ。

 また、彼ら「なれなかった男たち」の系譜を見てくると、まあここは著者の狙い通りなのだろうけれど、オバマ大統領の誕生が見えてくる。今までWASPしか選ばれないと言われていた一角をJFKが破った(彼はカトリック系)と言われ、次の一角が白人・アングロサクソン系という訳だ。流れとしてはオバマなのだが、本当に実現したら、アメリカはまた大きな一歩を踏み出すことになるだろう。

 それにしても、アメリカの大統領や要職に就く人々は、暗殺されることが結構多い。大統領を代々見てみると、先の大統領死亡のためその代の副大統領が大統領に繰り上げ就任する、というケースが結構あり、その中でも死亡理由が暗殺という割合が多いのだ。それだけアメリカは大きな価値観の振り幅で歴史を登ってきているのだなあ、と感じるのだ。今は民主党と共和党という名でその振り子の両端が集約されているが、その内部は意外に複雑で、だが意外と単純なのだ。

 アメリカ文学を読んでいくために今までキーとなる50年代について知っておこうと『ザ・フィフティーズ』を読んで今への連なりを感じ、『錯乱のニューヨーク』であの摩天楼の街がどうやってできあがってきたかを教わった。とりあえず今のところはこれ以上何かを追究しようという気持ちはなく、一区切りといったところだが、何かがきっかけでまた分かりたくなっちゃうのかも知れないなあ。

 因みにこの著者は昔から切手集めが趣味だったらしく、趣味が高じて研究し、職業となったようだ。だから、この本もアメリカの紙幣や切手が元ネタになるのだが、確かにそういうところに出てくる人たちはアメリカを形作る何らかの役割を果たした人であろうことは考えられるし、特に大統領にもなってないのに紙幣になっているハミルトン(10ドル札)は、大統領であること以上の功績があったのだろうと考えてもいいようなものだよな。

 同じ著者の関連本として、こちらも面白そうだ。『 反米の世界史 (講談社現代新書)(内藤 陽介)

_ [イベント][告知]明後日(11/6(木))倉橋由美子ルネサンスVol.3が開催されます

■2008年11月6日(木)19:00〜 

■会場:青山ブックセンター六本木店

■電話予約&お問い合わせ電話:

 青山ブックセンター六本木店

  03-3479-0479

■受付時間:

 月〜土・祝 10:00 〜 翌朝5:00

 日 10:00 〜 22:00

 ※受付時間は、お問い合わせ店舗の営業時間内となります。御注意下さい。

■受付開始日:2008年10月15日(水)10:00 〜 

<イベント内容>

2005年にこの世を去った、作家・倉橋由美子。

その比類なき才能、豊かなイマジネーション、エスプリの煌く作品は、いまなお世界に多大なる影響を与え続けています。

倉橋由美子とは何者か。

いま、なぜ倉橋由美子なのか。

ABC六本木店では、今年2008年を<倉橋由美子ルネサンス>とし、

倉橋氏の作品を改めて世に広げることをライフワークとしている翻訳家・古屋美登里さんの連続ミニトークを行います。

VOL・3は河出書房新社より発売中の文庫『暗い旅』復刊および、11月上旬予定の『KAWADE道の手帖 倉橋由美子』刊行記念です。

ゲストに、文学界で今話題の詩人・作家である蜂飼耳さんをお招きし、倉橋作品に受けた影響、その魅力などを古屋さんとスリリングに対話していただきます。

たくさんの皆様のご参加をおまちしております。

店内でのイベントです。ほとんどの方は40〜50分のトークをお立ち見となります。ご了承ください。また、ご参加は無料ですが、要ご予約です。

<ご参加方法>

2008年10月15日(水)朝10時より、青山ブックセンター六本木店の店頭もしくはお電話で、参加を受付けいたします。

イベント当夜、倉橋氏の落款を押した『暗い旅』(河出文庫)の、限定数での販売を予定いたしております。お楽しみに。

[倉橋由美子ルネサンス2008 VOL・3より引用]

 一度は絶版がかなり目に付いた倉橋由美子作品ですが、ここ一年ほどの間に、だいぶ手に取りやすくなってきた感があります。とは言ってもまだまだなのですよ! この機運を高めていこうと、今年を「倉橋由美子ルネサンス」と銘打って、生前倉橋さんと親交のあった翻訳家の古屋美登里さんをホステスとして、毎回ゲストを招いて倉橋作品の魅力を語り合っていらっしゃいます。今回は、詩人で、また小説もものしている蜂飼耳さんがゲストということで、わたしも今から楽しみです。

 わたし自身、それほど倉橋作品を読んできた訳では無かったので、いざ読みたいと思ったときに新刊書店では殆ど入手不可能でびっくりしました(まだ生前のことです)。若くしてお亡くなりになったのは本当に残念ですが、今も古びないどころか充分に新しい倉橋作品が手に取りやすい状態にあるのは、とても幸せなことだと思います。もっといろいろな作品が長く書店に置かれることを願ってやみません。

 今回は、河出から出るムック「 倉橋由美子 (KAWADE道の手帖)」刊行を記念してのものだそうです。このムックには、『聖少女』の原型となった「わたしの心はパパのもの」の一挙掲載もありますので、両方読み比べてみるといいかも知れません。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 長嶋有の家電エッセイ出たーっ。連載中に読んでなかったので、最初から楽しみ。帰りの電車で少し読みながら来たのですよ。


2008年11月05日 (水) [長年日記]

_ [読書][読み始め]『 自負と偏見のイギリス文化―J・オースティンの世界 (岩波新書)(新井 潤美)

 アメリカ尽くめで疲れたので、口直しにイギリスものを(あんまり口直しになってない?)。

 新井潤美さんは少女時代はイギリスの寄宿学校で過ごしたという日本人女性。そういった経験を生かした本が実践・座学の両方の体験からの解説があり、イギリス文学や映画とイギリス社会に関する本をいくつか書かれている。『不機嫌なメアリーポピンズ』がわたしが読んだ最初の本だが、これはイギリスを代表する小説や映画が沢山紹介してあり、大変面白く読んだ。ジェーン・オースティンをちゃんと読もうと思い立ったのもこれを読んだからだし、その後『自負と偏見』を元ネタとしてうまく翻案されているという『ブリジット・ジョーンズの日記』(うわ、本編続編とも、感想書いて無いどころか読んだことにもなってない……いつだっけ?)を読んでついでに映画まで観てしまい、何倍にも楽しんだのだった。イギリス小説が好きだと言っても案外その文化基盤までは気が回らないことが多く、不思議に思っていたことをそのまま放り出していたり、気がつきもせずスルーするようなこともよくあったことに気付いた。

 ジェーン・オースティンは粗方読んだので、満を持しての一冊丸ごとオースティン本でも大丈夫! とはいっても、作品を読んでいるのが条件という本ではない。中には、採り上げられるオースティン作品のあらすじが紹介されているし、ストーリーよりはその場その場の描写が重要なことが多いから、読むに不足はないだろう。ただ、一冊でもオースティン作品を読んでおいた方がより分かりやすくなるだろうことは書き添えておく。

 わたしがオースティン作品を読んだときにびっくりしたのは、ラブコメディっぷりと、描写の細やかさ。後者はオースティンの人物観察の賜だろうし、そうやって見るのが彼女自身好きだったのだろう。特に主人公の周囲の人は特徴ある何かを典型的に宿した人間として描かれることが多く、その大半はそれ自体が皮肉だったりする。たとえばこの本でも例に挙げられるが『分別と多感』の、主人公の妹マリアンヌは、ひどく感情的で(それを「感受性豊か」というものらしい)、それを大袈裟に表現することが自分の魅力と信じて疑わない。それに較べて姉のエリナーは何事にも思慮深く控えめで、妹や同じ属性の母から見たら「つまらない」人間なのだ。マリアンヌは引っ越した先で偶然見目麗しい若者に出会い一発で恋に落ちてしまうが、その後両思いになりラブラブぶりを隠そうともしない。まあ、この辺で『高慢と偏見』辺りを読んでいれば「ああ、マリアンヌの恋はこの後大変なことになるな」と予想できるし実際その通りなのだなあ(笑)。彼女らの「感受性」は感情に任せた行動に走るあまりに「軽はずみ」なものに我々には見えてしまうのだ。当時は実際、「感受性」がもてはやされた時代だったようで、オースティンのこの描写は、そういったものへの批評的な目が働いているのだろう。

 彼女が小説を書き始めたきっかけのひとつに、その当時もてはやされていた女性の手による小説の大半が、非現実的なものでそれに対抗する気持ちもあったのではないかと言われているらしい。彼女の少女時代の習作には、「すぐに気を失う女」や「酒瓶に逃げる女性」がよく描かれておりこれは当時よく小説に書かれたものだったという。傑作なのが『恋愛と友情』で、双方の夫の死を目にした友人同士の女性ふたりが、立て続けに気を失ったり気が狂ったりって、まあ気を失うのはいいとして(いや、よくはないけど、わたしも「昔の人はよく気を失うなあ、と思ったことはある「源氏物語」などでも見られる)、ちょっとおかしいよなあ。この場面は人の死が絡んでいるので笑うのも不謹慎な気がしなくもないが、やっぱり笑うところなんだろうなあ(日本では出版されてないため、この本の紹介で読むのみで自分の感想は書けないからはっきりは分からない)。

 当時はジョージ四世による「摂政時代(リージェンシー)」と言われるときで、次に来る禁欲的な「ビクトリア時代(ビクトリアン)」よりも舞台設定として魅力的だとしてあちらの時代劇でも度々使われるようだ。ビクトリアンとは正反対の、享楽的な雰囲気だったらしい。それがオースティン作品にもある、と最初に読んでびっくりしたが、そういわれればそういう登場人物は多いのかもね。

 そういう訳なので、彼女の死後出版された書簡集は、かなり親族の検閲を受けたらしい。その内容は身内の恥になるようなことはもちろんのこと、口が過ぎるくだりも多く書き直されたり削除されたりしたらしい。

 イギリス文学が好きな人だったら、読んでいてもいいんじゃないかなあ、と思います、ハイ。

_ [時事]第44代アメリカ大統領は、オバマ氏で決定

 すごいなあ……。ホントに現実になってしまったのか。

 しかし、今後アメリカがどんな風に変わっていくのか、色々と不安だったりもするのであった。

_ [イベント][告知]「書評王の島vol.2」の目次が出たようです

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 目次がPDFファイルで公開されてます。というか、いきなりトップバッター二番目かよorz。よもや五十音順とは。こういうことがある度に、ペンネームはよーく考えよう、と後悔先に立たないことを思う訳でございます。トホホ。

 くれぐれも、前から順番にではなく、ランダムにご覧ください。最初がアレだからといって次を読むのを諦めないように!

 しかし、それぞれの方が採り上げている本を見ると、その人の特徴が見事出てたりして、なんかにんまりしてしまいますなあ。

_ [落語]白鳥ジャパン大独演会 白鳥版「札所の霊験」大絵巻@東京芸術劇場中ホール

 という訳で、落語ライフの始まりー(多分)。口開けに創作落語ってのもどうよ、とは思ったんだけど、タイミング的にこれしか無かったんだから仕方ないよなあ。しかも、ゲストが今をときめく(しかも講談社エッセイ賞!)立川談春とあっては、何か期待せずにはおれない。

 実は東京芸術劇場、中に入るのは初めて。前を通ったり、広場でやってる古書市を覗いたりはしたことはあるのだが。大中小のホールへの案内が大きくなされているのだけれど、一旦入り口から今日の演目案内の板を見に行ったら、そこからちょうど中ホールへの案内サインが見えなくなってしまった大層焦った。何か、工夫することはできないものですかねえ、ちょっとした角度の問題なのだけれど。

 2階席の、しかも脇の方の席なのでさほど期待してなかったが、意外にも顔が見えていいかも知れない。席の段差も充分にあるので、前の人の頭が邪魔になって……ということもまず無い。

 幕開けで、ひとり頭を下げている白鳥。その後割合すぐにゲストの立川談春を呼び、高座の後ろに隠してあった金色の座布団を隣に並べる。「おいお前、オレの座布団を裏に置いとくってのはなんだよ」とか言いながら座る。白鳥の座布団はここから見ると銀色に見える。談春の座布団よりも一回り小さいのかな。ここでのふたりはできのいい長兄と腕白な末っ子といった様子で、「演るきっかけは何なのよ」という話から。今日の出し物は白鳥版「札所の霊験」というもので、これは圓朝が創作した古典ものらしい。この主人公が越前高田の出身とのことで「オレの故郷じゃねえか!」と(白鳥の故郷は新潟県高田市)。「圓朝が選んだ田舎ベスト1なんですよ!」と鼻息が荒い。そういいつつも「いやあ、この噺、千早図書館で本を借りたんですけど、つまんないですよねー。あんまりつまんなくて一回返しちゃいましたよ」なんて軽薄に言う。「ばか、お前「札所の霊験」は、(オレの師匠の)談志が「圓生のベストワン」といったヤツなんだぞ」と返す。圓生は、白鳥の師匠である三遊亭圓丈の師匠。上へも置かぬ扱いをせねばならないはずが、「ある日師匠に「何ですかあの長っ細いじいさんは。師匠のおじいさんですか」って訊いちゃったんですよ」なんてえへへと笑う。どこまで本気か分からないのだが、ふたりの性格分けがよくできているひとときだった。因みに白鳥は中入りまではSWAのユニフォーム着物。

 一旦談春が引っ込んで、噺は唐突に始まる。時は昭和、場所は江古田の日芸(日大芸術学部)。田舎から村一番の秀才と誉れ高く東京の大学にやってきた権田原為蔵(漢字は当て字)が主人公。日芸に入り、サークルの先輩ミキに一途な思いを寄せる為蔵だが、田舎くさい男に都会のしたたかな女の心を奪える訳もなく、体よく財布に入っていた5万円と、ミキと一緒に行こうと思っていた「犬神家の一族」ラブシートの映画チケットを巻き上げられてしまう。やがてその金を松下龍之介(当て字)に貢ぐところを目撃してしまった為蔵が逆上し、マンホールの蓋で松下を殴り殺してしまう。傷心の為蔵は、どこぞへと消えてしまう――というところで前半の終わり。為蔵のイモ兄ちゃんぶりが滑稽で、つい笑ってしまうような描写なのだけれど、最後が陰惨だよな。ミキは、およそ若い娘には思えない。悪女風ではあるのだけれど(雰囲気としては美空ひばり)。

 その後、入れ替わるように談春が出てきて、本物の「札所の霊験」の解説。ざくーっとあらすじを説明してくれるのだが、これがすこぶるうまい。元ネタを知らなかったので後で検索してあらましを読んだのだが、やはり話の構成を変えている模様。冒頭、濃い靄の中の惨殺描写から始まるのだが、これが実に現代的で映像的。この場面でぐぐいっと話の中に引き込まれる。時に落語の内容そのままの会話のやり取りがあったりしながらも、かつてこれを三時間掛けてやったというネタを30分にダイジェストして熱演。途中、23分くらい経ったときに「今何分経った?」と袖に訊くのだが、その後「後7分か……」と言っていたんだからそれが目安だったのだろう。しかし、多分それをオーバーしてるんじゃないかな。あと、気になったのが話の展開。この話は最後はちょっと嫌な終わり方をするのだけれど、談春のは違ったんだよな。で、あちこち調べてみたところ、どうもこの話は「紙入れ」というものらしい。ちょっとした滑稽噺なのだが、これがシームレスに繋がっていたように思える。元ネタを知らなかったから気付かなかっただけなのかも知れないけど……。そういう訳で気分も軽く中入りとなり10分間の休憩。いやそれにしても、談春の話芸を目にした幸せ。彼が出てきただけで場がきゅっと引き締まり、口を開けるとその世界に引き込まれる。ときどき、このくだりはあいつの話だとここに当たるんですよ、みたいな解説も加えながらで、大層に親切だった。

 後半まで書いちゃうと次に聴くときに驚きがなくなって詰まらないだろうからここまでとします。落語界の時事ネタを交えつつ、江古田の実在の店を挟みつつ、ラストへと突っ走る。途中、「福島県郡山市のジャスコで買った」発言が出たときは笑ったけど(うちの地元だし)、よくよく考えてみればそんなスーパーで買うよりはもっと安く仕入れる道がいくらでもあるんじゃないかと(笑)。あと、設定やとある描写が気付かぬうちに伏線になっていて、それを上手に回収して回った手際も見事でした。あ、後半出てきた茂助(当て字)じいさんだが、そのキャラクターは何となくウッチャンの演じる人のよい爺さんを思い起こさせた。地方ネタがふんだんだし、座布団縛りは笑わせていただきました。

 クライマックスシーン。会場からはところどころ笑いが漏れていたのだけれど、わたしはてっきり泣かせどころだと思っていた。何かお約束とかあるのかしら?

 落語ライフになるかも知れない最初がこの独演会で、結果的によかったと思ったのでした。

 江古田ネタは周囲の、その辺りを知っている人たちからは「なつかしー」という声が聞こえていた。昔から地元密着のお店なのだろう。以下におそらくこれだと思われる店名と関連ページorサイトを挙げておく。

 あとで地元の人に聞いたのだが、一休というのは違うんじゃないか、と。ここ、ちゃんと聴き取れなくて最初は「利休」かとも思っていたので、Googleで「江古田 居酒屋」でヒットした中からそれっぽいものを選んだんだけど、外したかあ。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ もぐら泥 [自分も昨日この落語会に行きました。白鳥さんの小さな間違い(白鳥さんだから許される)や大きな間違いには毎回笑わされます..]

_ にじむ [もぐら泥さん、あの会場にいらっしゃったのですね。白鳥さんはホント、あの人なつこい笑顔に負けるなー、と思いました。何よ..]


2008年11月06日 (木) [長年日記]

_ [読書][読み中]『 自負と偏見のイギリス文化―J・オースティンの世界 (岩波新書)(新井 潤美)

 この本は、まるで「ジェーン・オースティン作品の詳説」といった勢いだなあ。章ごとにテーマを立てており、それに合ったオースティン作品を引いてきているのだが、わたしたち異文化の他国民(しかも時代も違う)が理解しにくいだろうどころを丁寧に読み解いている。当時の社会的事情や、イギリス特有の階級社会の影響まで実に詳しい。

 特に、さすがと思えたのが、第4章「アッパー・ミドル・クラスのこだわり」。著者はこのほかにもイギリス文化、特に階級文化について言及する本を数冊ものしており、堂に入ったもの。オースティン作品の中でも『エマ』は、アッパー・ミドル・クラスの微妙な差異についてかなり細やかに描かれた作品として知られているのだけれど、この感覚が本当に微妙で、だからこそ認識の差で悲喜劇が生まれてしまうんだよな。エマの脳内ではすっかりジェントルマンの嫡外子と決めつけているハリエットの結婚話を「身分に問題があるから」と破断させ、ふさわしいと考える牧師と一緒にさせようとあれこれ画策する。しかしそれは彼女自身がその牧師を好きなものと誤解させてしまい……という狂想曲。すっかりその気になったハリエットを落胆させ、ハリエットと見合う身分と見なされた牧師は激怒し、エマはエマで自分とエマが本気で釣りあうと思い込んでいた牧師に驚き呆れる。この騒動はエマが余計なことをしたから生まれたんである。

 ここで、子女の教育についても触れられているが、この混沌とした時代は知性と教養が求められ、子供の教育は親の責任だったらしい。その点、エマは家庭教師こそ付いていたもののあまりしっかり教育を受けていた訳ではなく、甘やかされ放題。地球は自分を中心に回っていると思い込んでいた鼻っ柱を折られて現実に目が行き、失敗を糧に少し賢くなって最良の伴侶を得るという話なのだが、話のためにエマの性格が少々大袈裟になってはいないか、という著者の指摘はなるほどと思った。このアッパー・ミドル・クラスというのは実際に爵位は無いが仕事を持たずに暮らしていける財を持つジェントルマン階級を指すのだけれど、この幅というのは意外に広く、しかも下の階級との膜はひどく薄い。だからこそその人それぞれが身につけているものが勝負となるので、オースティン作品のような世界ができあがるという訳だ。

 今、最終章である第5章「オースティンと現代」を読んでいるところなのだが、海外にはオースティンオタク、名づけてジェイナイトと呼ばれる人たちがいるらしい。綴りさえ分からずあちこち漁って"Janeite"がそれだと知ったのだが、たとえばここのところその手の人たちが多いアメリカのオースティンファンのサイトを見ると、毎年Annual General Meetingsという集まりが開かれていることが分かる。試しに今年のページを見てみたところ、開催地はシカゴで、来年はフィラデルフィアを予定しているとのこと。内容も、研究セッションあり、ワークショップあり、レセプションありと盛りだくさん。オプショナルなローカルツアーなんてものもあり、なんかこれってSFのワールドコン(地方コンでもいいんだけど)みたいなもの?とか思ってしまった。どこでもマニアになるとやることは同じなのだなー。

_ [書店話]ブックファースト新宿店オープン!

 今日、例のロケットビルに入居するブックファーストの新旗艦店、新宿店がオープンなのだそう。

 わたしは今週平日は用事が入っていて行けないのが残念なのだが、昨日の業界向けプレオープンに行ってきた人の話だと、四角い部屋がどこにもない、迷路みたいにあちこちに部屋や通路がある空間なんだとか。どんななんだー?

 旗艦店が渋谷から新宿に移ってしまったのは本当に残念なのだけれど、またあの興奮を思い出させてくれるといいなあ。そして、できればまた、渋谷にも旗艦店を是非に!

 新宿西口って、以前夫が勤めてたオフィスがあるのだけれど、周辺にまともな書店がない&閉まるのが早い、と不便がっていたので、そういう需要にも応えることができるんじゃないかと思っとります。

_ [イベント]倉橋由美子ルネッサンス2008vol.3@青山ブックセンター六本木店

 一応はこれが最後の倉橋由美子ルネッサンス2008。来年も、2009が開けるくらいに新しい動きがあるといいなあ、と思いました。

 蜂飼耳さんは、眺めのボブの、知性が感じられる面長顔。何となく連想したのが女優の山本未來。彼女をもう少し柔らかくした印象。

※以下の文章は、イベント時の走り書きを元に記憶を再構成したもので、実際とはかなり違っている可能性もありますこと、ご了承ください。

 『暗い旅』との出会いは、夭折した詩人氷見敦子の全集(全一巻)。果たしてどれがきっかけだったかと日記のページを繰ってみたが見つからず、諦めかけていたところにふと見た詩がそれだったと気付いたとか。タイトルは「東京駅から横須賀線(以下、後でフォローします)」という長いもので、その中で鎌倉駅前での描写は、丸々『暗い旅』を引用しているのだとか。氷見さんと今日のホステス古屋さんは同年代なのだが、氷見さんが『暗い旅』に出会ったのは1972年。刊行してからほぼ10年経っている。それで大学生だった蜂飼さんは学校の図書館で借りて読んでみたのだが、実は印象がぼんやりしていて、あまり覚えていないのだとか。どうしてだったか小さなメモ帳を繰りながら一所懸命探していたのだが、「些末なところに引っかかっただけなんですけど」という。フルーツ牛乳を飲んだりするところ(今はあまり、しかもセンスある若い女性が飲むものでもない、ということでか(これはわたし自身の感想なのだが))や、ものの値段や、東京から京都まで7時間以上かかることなどなど。この印象は、わたしもすごく分かる、と頷いた。それにも増して鮮やかな色を発する小説だとわたしは思ったのだけれど、それよりも別の作品や批評文などの方がしっくりきた、という蜂飼さんのお話も分かる。古屋さんは、とにかく当時とても夢中になったという。ふっとフランス語が書かれていたりとか、とにかくお洒落で、インテリっぽく、背伸びしたがりの年代にはぴったりだった、と。

 この小説のキーは「失踪」と蜂飼さん。現実から離れたところに行くのは、他の作品にも出てくる。平面的なものだけれど、移動をする。倉橋さんの小説は「小説を書くとはどういう子とか」を小説の中で考え続ける作風でもある、という話。

 蜂飼さんは『反悲劇』が一番お好きだという。倉橋さんの作品もやはりストーリーのある小説なのだけれど、その骨に強い批評がある、とおっしゃっていたのが印象的だった。

 ここで読書の話になったのだけれど、倉橋さんは「隠し事をしない」という姿勢だったと古屋さん。自分が影響を受けた作品や作家を隠したがる作家も結構いるのだそうだ。ここで蜂飼さんが「読むということが書くということの一部だ」とおっしゃっていたが、この言葉はこのセッションの中で一番印象的なものだった。『偏愛文学館』の話にもなったが、中に収められている作品は、壺井栄の「二十四の瞳」もあったりして、とにかく境がない。倉橋さんが選んだ世界であり、実にのびのびとしている、という。また、書評ではあるのだが、書き方がやはり小説家であるとも。小説家ならではの目の付け所。

 ここで『反悲劇』に戻るが、蜂飼さんが特にお好きなのは「白い髪の童女」と「河口に死す」だという。ここに書かれているものは、人間にとっての悲劇的な状態で、人間というものはそういうときにどうしていいか分からなくなるときに出てくるものがあり、そういうことを描いているのだとか。実はわたしは『反悲劇』、講談社文芸文庫で出た当時に読んだのだけれど、その頃はこういった小説に慣れてなかったせいだと思うが、ときどき面白いところはあるものの、どうしていいか途方に暮れてしまった過去がある。お二人のお話でやはりもう一度読んでみようと思い立ったのだが、今は『反悲劇』自体品切れしたままなのだよね。いや、わたしは持ってるから大丈夫なのだけれど。是非、どこかで復刊していただけないものかなあ。

 倉橋作品は作品によって文体が違ってきていて、そのイメージと空気でその都度万華鏡のように変わっていくのだそう。確かに、初期の長編数作読んだだけでもそれは感じることができる。ひとつ駄目でも、もうひとつ他のものを試すこともできるよな。

 さて、先頃刊行された「 倉橋由美子 (KAWADE道の手帖)」だが、『聖少女』の原型(というか、未紀の手記の部分)が掲載されているのだが、古屋さんが「ふたつを読み比べるとどういう風に物語にしていったのかがよく分かる」と。『聖少女』では話者としてKという若い男性が出てくるのだが、彼を読者との媒介者として置くことで、近親相姦の生々しい女の子の話を、現実に定着させることができる、という。確かに、物語の原型があってその外側の物語として誰か第三者を持ってくる場合って、そういう意図のことが多いよなあ。ところでこのムック、わたしが中を見て歓声をあげたのは、昔雑誌の記事にあった、倉橋由美子の人生相談が再掲載されていたことだ。勿論抜粋なのだろうが、以前ジュンク堂で開かれたイベントでこの存在を知り、ずっと読んでみたいと思っていたのだ。相談内容も相談内容なのだが、これに応える倉橋さんの固定観念に縛られない自由な思想とユーモアといったら! 実にハンサムだ。

 倉橋さんの第一エッセイ集『わたしのなかのかれへ』の話にもなったのだが、倉橋さんという人は、ものごとに対して余裕を持って笑っている感じで、辛辣さがあり、皮肉と笑いが同居している、という話になった。抑制の利いている文章なので、皮肉がより際だつ。『反悲劇』での居酒屋のシーンを読み上げたのだが、まさにその通りで、読んでてつい笑ってしまう。

 話も終わりに近付き、古屋さんが「蜂飼さんは『酔郷譚』ではどの話が好き?」と聞く。「さっき控え室で話したじゃないですか」と恥ずかしがる蜂飼さんに「ほらでも、皆さんは聞いてないから」と促す。「黒い雨の夜」が特に好き、なのだそうで、これは古屋さんも同じなので妙に盛り上がっていた。主人公の慧君が変化(へんげ)し、とある場所にいってしまう話という形をとるのだが、この短編の中では慧君はなんと女性になり、一休さん(あの一休さんですよ)とまぐわい、何と子を産むのです。男が女になるだけでも面白いが、しかもセックスして子供を産む経験までするなんて、とその発想の飛躍にも驚くのだけれど、それは文章だからこそのものなのでしょう、と蜂飼さん。ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』にも通ずるところがあるという指摘が。また、この短篇集はお酒を介して異境に行く物語であり、「酔郷」というキーワードはしかし他の作品でも散見されるという話だった。『反悲劇』にも出てくる言葉。因みに倉橋さんはお酒を飲まれなかったそうで。しかし倉橋さんという人は、現実にはしていないことを小説を書くという形で自由奔放に体験した人であることだなあ、と嘆息したのでした。

 終わってから、蜂飼さんのサイン会が行われ、『 秘密のおこない(蜂飼 耳)』にサインをいただいた。左利きだったので、ちょっと嬉しかった。

 今回はたまたま「週刊文春」のイベントコーナー(映画評の左隣)の取材があってこのイベントの告知もあったようで、ひとりいらした外国人の男性はその情報でいらしたらしい。実は別の件でこの記事が出た後に六本木店に電話をしたのだが、受け付けてくれた方がとても嬉しそうに「倉橋由美子さんのイベントですか?」と聞かれ、とても申し訳なくなってしまった。こちらのイベント参加の申込は既にしており、「いえ、違います」といわざるを得なかったのだった。


2008年11月07日 (金) [長年日記]

_ [イベント]豊崎由美×ミルキィ・イソベトークショー「触覚思考―紙と本の素敵な関係@パラボリカ・ビス

 トヨザキさんの『 正直書評。(豊崎 由美)』、ミルキィさんの『 造本解剖図鑑―紙から読み解く本づくりの極意(ミルキィ・イソベ)』刊行記念トークイベント。実は、この二つの本はきょうだい本です。カバーで使用している紙が、同じもの。遠目に見ても分からないが、近寄ると「なるほど」でした。

 あとで書く。

_ [買った本]買った本

 パラボリカ・ビスにて。

  • 造本解剖図鑑―紙から読み解く本づくりの極意―』ミルキィ・イソベ

 サインしていただきました。幸せ。


2008年11月08日 (土) [長年日記]

_ [Art]自由学園明日館見学

 yucoさんに声をかけていただき、ご一緒した。少し前からこの明日館のレストランがオープンしているようで、そこでランチをしてその後見学、というコース。デジカメのバッテリーを入れ忘れたので、写真は無し。目に焼き付けてきました。ランチは、日替わりパスタとビーフシチューとシーフードカレーから選んで1,500円。yucoさんが結婚をしたときにこの食堂での披露宴に参加したが、そのときと較べてどうだっけ、といった目で見てしまう。暖房は、床から温風を吹き上げる方式で、ちょうどわたしたちが座った場所がその近くだった。聞いた話では冬はこうやって温められるからいいが、夏はそれほど冷房が効かないらしい。木造の、貴重な建物なので大切にするためにいろいろ制限されているのだろうと思うが、その不便さも含めて大切にしたいと思った。ラウンジでコーヒーを飲むこともできるようだ。

 講堂で行われていた、デジタル写真展というのがあり、そちらも見てみた。ほとんど教会のような、暗い講堂の中でスライドショーが映されていた。なるほど、デジタルだ(笑)。日本の、古い洋館を中心に撮っているひとのようで、よく見たら『西洋館を楽しむ』の著者の方だった。

 駅近くまで来て、少しお茶をして解散。

_ [書店]ブックファースト新宿店

 池袋に行く前に、今週オープンしたこちらへ立ち寄る。今日行われるトークショーのチケットがあれば入手するためだったが、オペレーションとか、いろいろと開店時にはつきものなのであろう不満を抱く。そのうち解消されるといいな。これについては後ほど。

_ [イベント]いしいしんじ×古川日出男トークショー@ブックファースト新宿店

 カフェでイベントかと思ったがそれらしい状態になっておらず外でチケットに記載されている内容を確認していたらお店のひとに「イベント参加の方ですか」と声をかけられ、カフェの奥にある、隠し部屋のようなイベントスペースに通される。チケットは「立ち見席」だったので立ってようとしたら、座っていた人に促されて椅子に座らせて貰う。少し空いていたので、わたしが座っていても支障が無かったのだろう。

 トークの内容については、途中から入ったし、かいつまんで後で書いてみたい。

 サイン会は参加せずに帰ろうかと思っていたのだが、二人で寄せ書きした即興のポストカードを付けるというので、つい参加してしまった。お二人ともとても楽しそうに笑いながらサインしたり、カードを書いたり。その様子が見られてこちらも楽しかった。

_ []目白でお茶

 池袋に行くはずだったが、いろいろ考えると時間があるのに池袋で落ち着けるお店を見つけるのは至難だと思い、目白で途中下車した。以前、ケーキを作っている喫茶店があったところに明かりが灯っているので、どういうことだろうと見たら、ほぼ同じ風なお店が営業していた。ケーキの名前も一緒なので、たぶん何らかの繋がりはあるのかなあ。

 以前はひとりでも大きいテーブルに案内されたのだけれど、今日はカウンターへ。混んでいることもあるが、だいぶ混乱しているらしいところが見える。紅茶は、ムジカでは無くなったのかな? ポットが違った。スコーンはおいしかったが、丁寧にコーヒーやお茶を淹れる喫茶店に慣れていると、ちょっと粗雑に見える。どこに重点を置くのか、になるのだろうが。やっぱり、そういうところでカウンターが丸見えのところでゆっくりとはなかなかできない。

 それでも本を読みつつお茶を飲んでいたら、肩を叩くひとが。ここにいることは誰も知らないはずなのに、とびっくりしたら、マイミクのNさんだった。先日、京フェス、その後の飲み会もご一緒した方だ。お互い偶然に驚きつつ、本の話を中心にいろいろと話をした。

 その後ライトの道を歩いて池袋に赴き、ジュンク堂へ。

_ [イベント]『 クマムシを飼うには―博物学から始めるクマムシ研究(鈴木 忠/森山 和道)』刊行記念鈴木忠×森山和道トークイベント@ジュンク堂書店池袋店喫茶室

 いくらなんでも結構古くからのネットでの知り合いの森山さんが出演ではなかったら参加しなかっただろうけれど、したらしたで面白くなるから不思議。動画も紹介しながらの、参加者からの質問カードを中心とするトークで、そのクマムシのかわいらしさの一端を見ることができた。

 えーと、あとで書く。

_ [買った本]買った本

 ジュンク堂書店池袋店にて。

 ブックファースト新宿店にて。

 ブックファーストではこのほかにも買ったが、不本意ながらダブり本なので、書かない。「群像」は谷崎由依「ガルラレーシブへ」、青木淳悟「ワンス・アポン・ア・タイム」、「文學界」は海猫沢めろん「震える刺青」目当て。

_ [読書][読了]『 シチリアを征服したクマ王国の物語 (福音館文庫 S 54)(ディーノ・ブッツァーティ/天沢 退二郎/増山 暁子)

 クマかわいいよ、クマ。これはとても良かった。感想は後日落ち着いてから。


2008年11月09日 (日) [長年日記]

_ [イベント]文学フリマ

 寝坊してしまい、12時過ぎに到着。でも、欲しいものは買えたので、満足。基本的に創作系はあまり気が向かないので、評論系かそれ以外の雑多なものに心惹かれる。参加している『書評王の島 vl.2』と引き替えに参加費を払い、1階で某Nさんに声をかけられるままにお昼を食べにぞろぞろと外に出て、ファミレス(超久々)でランチ。またもやプロ読者呼ばわりをされるが、その元がホントにプロ市民と同質だと知り、軽く抗議をする。と言いつつも耳寄り情報をいただいたので、大人しくしていることにする。

 戻ってからゼロアカなどの忘れ物をいくつか拾って、離脱。♪akiraさんとお茶を飲み、打ち上げ場所に移る。番地の辺りにそれっぽい建物が見あたらず焦るが、なんとか突き止め、冷えた身体を近くのサイゼリヤ(ファミレスが超久々なのに今日で二軒目)で温める。極限まで省力化されたファミレスは、全てがボタンで成り立っているのだと納得。

 同人誌を買わなかったところのひとに責められ、やっぱり買う羽目になったり、人の恋愛相談に首を突っ込んだり。そうそう、一次会最後に食べた鶏鍋と〆のうどんがとてもうまかったです。しやわせー。

 とりあえず、買ったのをメモしておく。

  • 「カラマーゾフの兄弟―あるいは文化系大人の逆襲」
  • 「TAMORIZATION」
  • 「delay 〈わたし〉反乱時代の表現」
  • 「Patronen #2」
  • 「MOB MAGAZINE 1〜4」
  • 「東京天竺」
  • 「マルセル・シュオブ 乱世奇譚集」
  • 「某」
  • 「S.E. Vol.2」
  • 「食パン Vol.1〜4」
  • 「屍学園」
  • キャラメル包装の豆本

ゼロアカ関連

  • 「チョコレート・てろりすと」形而上学女郎館
  • 「ケフィア」やずや&三ツ野
  • 「腐女子の履歴書―耽美・やおい・JUNE・BLとの50年―」やおい・BL研究所
  • 「Plateau―クレオール化する日本文学―」フランス乞食

 予め、参加サークルはチェックして行った。それに沿って買ってた感じ。やっぱり、なかなか飛び込みでいいものと分かって嬉しい出会い、というのは、難しいなあ。基本的に評論やそれ以外のものにしているので、知人でも創作系のところは申し訳ないが買ってないものが多いです。


2008年11月11日 (火) [長年日記]

_ [本の話][映画話]シアター・イメージフォーラムで上映中の「ピアノチューナー・オブ・アースクエイク」の原作

 土曜日にジュンク堂に行ってびっくりしたのが、カサーレス『モレルの発明』の新装版を見たことだった。最初、同じタイトルの新作かと思ったが、そうそうそんなことある筈がない(笑)。本を手にとって出版社を確認したら水声社だし。帯で、これを原作とした映画が公開中であることを知った。ブラザーズ・クエイの新作で、制作総指揮がテリー・ギリアムらしい。こりゃー観に行かなきゃな。

 正確にはこの映画の原作はこれ一作ではなく、これまた奇作として知られるレーモン・ルーセル『ロクス・ソルス』からも想を得ているらしい。

 ……しかし、ここで悔やまれるのが、このふたつとも積読状態であるということだった。読んでいたならばもっと興奮して語れたであろうに。

_ [本の話]『 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で(水村 美苗)』が何やら話題になっている様子

 Twitterで知ったのだが、水村美苗の新刊『日本語のほろびるとき』が何やら話題になっている様子。震源地はどうやら梅田望夫氏のblogのようだが、この本の1/3を掲載した「 新潮 2008年 09月号 [雑誌]」を読んだ割りにはそのときには特に書かなかった(ڥΩӡۡǣ̵ƥߥ塼ļĹ˾ - MSNХ˥塼があったようだ。他にもあるかも)のね。わたしも雑誌が出た当時読んで刺激を受けたので続きが気になっていたのだが、「秋」とあったのでまさかこんなに待たされるとは思いませんでしたよ。

 まだ読む時間が取れないので雑誌で読んだとき以上に本について語ることはまだ無いのだが、水村美苗が日本語を、日本文学を愛する者として、そして他言語を取得する者として、そして何よりも、日本語で小説を書く作家として、どういう考えを持ち問題提起しているのか、どこへ行き着いているのかを見極めたい。

 いやまあ、それにしても、このような話題性は文学関係者や文学ファンだけでは沸き上がるはずもなく、いろいろな人に読んで貰い、考えて貰うという点では感謝感激なのだが、果たしてここからどういう結論を導き出すのだろうか。そして、そのうちのどれだけが水村の作品に手を出すことになるのだろうか。

この本に言及しているところをいくつかピックアップしてみた。

_ [イベント][告知]明後日、鴻巣友季子さんと奥泉光さんのトークイベントがあります

 別に六本木ABCの回し者でも何でも無いのですが(笑)。

 『嵐が丘』や、おそらくそれほどしないうちに河出の世界文学全集から刊行されるであろうヴァージニア・ウルフ『灯台へ』といった難物を手がけていらっしゃる、翻訳家の鴻巣友季子さんとジャンルを超えた活躍をされ、いとうせいこうさんとの文芸漫談も人気の奥泉光さんのトークイベントが、青山ブックセンター六本木店で開催されます。

■2008年11月13日(木)19:00〜 

■会場:青山ブックセンター六本木店

■電話予約&お問い合わせ電話:

 青山ブックセンター六本木店

  03-3479-0479

■受付時間:

 月〜土・祝 10:00 〜 翌朝5:00

 日 10:00 〜 22:00

 ※受付時間は、お問い合わせ店舗の営業時間内となります。御注意下さい。

■受付開始日:2008年10月20日(月)10:00 〜 

<イベント内容>

当代きっての人気翻訳家であり、文芸評論家、エッセイストとしての活動も盛んな鴻巣友季子さんと、

小説家、文芸評論家であり、フルート奏者としてもライブハウスでその名をとどろかせている奥泉光さん。

お二人が、青山ブックセンター六本木店にて、ミニトーク&サイン会を開催いたします。

何が飛び出すか予測不可能!ビックリ箱のような小一時間です。

店内でのトークです。ほとんどの方は40〜50分のトークをお立ち見となります。ご了承ください。

参加は無料ですが、ご予約を承ります。

<ご参加方法>

2008年10月20日(月)朝10時より、青山ブックセンター六本木店の店頭もしくはお電話にて、ご参加の受付をいたします。

また、トーク終了後にサイン会がございます。同じく10月20日(月)朝10時より、店内文芸書コーナーのブックフェア「鴻巣友季子さん×奥泉光さん 今のところの全仕事」、この棚からどれでも一冊以上お買い上げの方に、レジにてサイン会整理券を差し上げます。

※サインは、鴻巣さん、奥泉さん、それぞれ2冊までとさせていただきます。

[鴻巣友季子 × 奥泉光 の文芸ビックリ箱 翻訳と小説をめぐってより引用]

どちらもお話が面白く、しかも理知的な方なので、当日どんなお話が飛び出すのか(びっくり箱だし!)楽しみです。今回のイベントはおそらく鴻巣さんのエッセイ集『 カーヴの隅の本棚(鴻巣 友季子)』刊行を記念してのものでは無いかと思われますが、わたしも当日購入するために今まで我慢してます。

 場所は、日本でも五本の指に入るであろう繁華街の六本木。飲みに行く前にちょっと立ち寄る、なんて感じでもいいんではないでしょうか。何度かこのミニトークに参加していますが、1時間足らずの長さはちょっと物足りない感じを抱きつつも次に繋げることができ、本を読んで補完することもできます。立ち見でも、それほど疲れない時間なので、気軽に参加されてはいかがでしょう。

_ [季節]しかし、急に寒くなった

 週末、雨が降ったこともあって少し寒いなと感じたのだが、今朝は一段と寒い! 夏用に薄くしていた羽毛布団ももう一枚重ねて冬仕様にしてみたのだけれど、これだと暑すぎるみたいで朝にははね飛ばしている模様。

 今朝は、この天気ならコートでもよかろうと思い、ニットのコートを着込んできて正解だった。ああ、こうやってどんどん冬になっていくんだなあ。暑いのは大嫌いなんだけど、冬の寒さはテンションが下がるよな。


2008年11月12日 (水) [長年日記]

_ [mono]自由学園工芸研究所のブックカバーがいい感じ

 ここのところ雑貨店などで買った布製のブックカバーを使っていたのだが、わたしの希望のものよりもへなへなして頼りない。スピンが縫い込まれているのもわたしには邪魔でしかない。そんなところ、先日自由学園明日館に行ったときに「ここにショップもあるんだよ」と教えて貰ったところで買ったブックカバーが思いの外よくて嬉しくなってしまった。

 四六判と文庫版があったのだが、それぞれバイブル用、賛美歌帳用、とも書かれているところがキリスト教を発祥としたところっぽい。ここは幼児用玩具で有名だが、数々の布製品もいいものがあるらしい。

 わたしが買ったブックカバーは、片側が袋状になっていて、もう片方はカバーの上下に輪っか状の布が掛けられており、そこに片端を織り込む形式。どんな厚みもある程度カバーしてくれるのが嬉しい作り。模様も、控えめな地に色とりどりのストライプで、邪魔にならないし上品。何よりも、生地が薄手でしかし張りのあるところが素晴らしい。厚すぎるともさもさするし、薄すぎるとへなへなする。このくらいがちょうどいいなあ。商品のページを見たけど、どうも載ってないようで説明できないのが残念。布地はこちらのページでサンプルを見ることができるのだが、上の方にあるストライプの布が、同じ種類。わたしが持ってるのはチェスナッツに近いかなあ? というか、この色味、いいなあ。店頭にあったら欲しかった。

 値段も、900円とそれなりに手頃な価格なので、また行ったときにでも別の色味のを買ってきたい。

 ブックカバーは、堂本印象美術館で買ったものを愛用している人もいて、文具を話題にすると話が尽きないのだった。


2008年11月13日 (木) [長年日記]

_ [読書][読み始め]『 シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)(エドモン ロスタン/Edmond Rostand/渡辺 守章)

 出たばかりの新刊だけれど、この物語は子どもの頃から好きで、今回の刊行もとても心待ちにしていたので、真っ先に手に取った。でも、読んでみるといわゆる子どもの頃読んだ「物語」とは随分と違っているようだ。まず、作品が戯曲であること。よく芝居が掛けられているのは知っていたが、あれは原作を元に戯曲化したものかと思っていたが、こちらが元だったのか。また、シラノほか登場人物の殆どは実在の人物であること。と考えると、何らかの諷刺の目的もあったのだろうか。因みに戯曲の方は〈wikipediaj:シラノ・ド・ベルジュラック_(戯曲)〉を参照できるが、ここではヒロイン「ロクサーヌは架空の人物とされる」とある。この本の訳者渡辺守章は実在の人物ふたり(シラノの従妹とサロンの才女)を掛け合わせたキャラクターと見ている。

 そしてまた、この戯曲なのだが、基本的には「アレクサンドラン(十二音節)定型詩句」という形をとったもののようで、ロスタンは敢えてこの形としたようだ。訳者は原作の手触りを伝えようと苦心した模様。これが実際見てみると慣れぬものには何が何だか、なのだが、少し読んでいくうちに段々慣れてきたので、そんなものなのだろう。段々、言葉のリズムも味わえるようになってくる。また、17世紀半ばが舞台なので、そういった当時の風俗や舞台装置といわれるものの説明や描写も多く、訳注も更に多い。殆どが実在の人物のため、ここから訳注と首っ引きでなかなか内容に入れない罠(笑)。一度見ないで入って玉砕したのだが、さすがに「はじめに」とこの訳注を読んだら、少しはまともに意味が通るようになってきた。でもまだ、我らがヒーロー、シラノは出てこないのだよ。

_ [本の話]この道は〜いつか来たみ〜ち〜

 今回の『 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で(水村 美苗)』をめぐる騒動(というか、この書評を梅田望夫氏や小飼弾氏が書いたことに端を発する?)って、何となく酒井順子の『負け犬の遠吠え』の騒動と似てるなあ、と思った。あ、いや、騒動そのものが似ているのではなく、論争の、比較的外側(≒本自体を読まない人?)で脊髄反射している人が多数となっていることや、元々話題の本の著者の作品のファンで、多くは注目されないけれどもそれなりに居心地良く楽しんでいた、という構図か。まあ、さすがにうちのWikiで脊髄反射の書き込みをされるような内容では無い(その人の存在そのものに直結しないせいか)だろうが。

 『負け犬の遠吠え』のときは本当に世に流布されるイメージを勝手に解釈して突撃してくる人が多くてアレだったけど、今回の場合はどちらかといえばそれに対する梅田さん自身の反応に焦点が当たっていて、既に本自体は渦の外側にはじき出されてる感じだしなあ。

 読むものの順番があるのですぐには難しいけど、今月中には読み終えたいな。一応、1/3は既に読んでいるので、その希望もそんなに難しくもないと思うのだが。

_ [読書][雑誌掲載小説]海猫沢めろん「震える刺青」(「 文学界 2008年 12月号 [雑誌]」所収)

 実は彼とは結構前からの知り合いで、まさか作家デビューしてしかも文芸誌で書くようになるとは思わなかった(作品自体の評価が高いのは聞いてはいたのだが)ので、ここのところの活動に驚いている。でもって、彼の作品だと思って読むと確かにそれ以外の何ものでもなく、彼だからこそ書けるものなのだろうな、と思った。テーマや内容自体が目新しい訳では無く、そこから受け取るニュアンスの問題なのだが。

 東からの新幹線に乗った金城忍は、その名から類推される通り在日だ。その異様な風貌から想像されるように気質の仕事には就いてない。それどころか話の端々から彼がつい最近まで刑務所に入っていた人間であることが分かってくる。

 読み進めるうちに、これは自己イメージと世間のイメージのギャップに苦しめられてきた主人公が、それを埋めようともがく話なのだなあ、と感じられた。そしておそらく、世間のイメージに合わせる方が、彼自身としては楽に生きていけるのだろう。しかし、彼は彼であるが故に、そこに合わせることができないでいる。

 金城は、ヤクザとはいっても小さい頃からの乱暴者の気質と身体の頑丈さが取り柄で、幼なじみで組で役付の蜂矢を頼って同じ道を進んでいるような男だ。それ以外に居場所がなかったのだが。内面は外見に較べると繊細な男だ。大阪は西成のおそらくドヤ街にやってきて木賃宿に滞在するという、ここで描かれるのはたかだか二日ちょっと(時間にすれば48時間も無かったのではないか)なのだ。その中で色街のたま子に出会い、一匹狼の朴と取引をし、そして行きがかり上、仮初めにもごく普通の人の一日を過ごそうとする――が、それは不可能だった。ここが、大きな分かれ道のひとつとなるだろうか。たま子と交渉を持てなかったのも、これらと関係してくるのかも知れない。

 金城は、人の混雑しているところに出ると、パニック症状が出た。朴はそれを「刑務所に入っていた人間が経験する一時的な症状だ」と、次に実際に彼を見て「むしろこれはPTSDだ」と見立てる。何故そんな風になったのか?

 刑務所というのは過酷なところで、ましてや彼がいたように10人中7人が殺人犯というところにいれば、いろいろなことがあったに違いない。しかし、それについては具体的なことをあまり書かれていない。だとすれば、刑務所の中での出来事がトラウマとなったというのは少々短絡過ぎる結論かも知れない。もしかしたら、と考える。金城の障害は、自己に対する世間のイメージのギャップにあるのではないか、と。本当の自分と他人が見るそれとがかけ離れていることで、足下がぐらついてしまう。そのズレに悩んでいる金城は、どうにかその溝を埋めようとする。どうやって? それが、彼が西にやってきた理由なのだろう。

 こう書いてみるととてもシリアスな小説に見えるが、これが著者の手にかかると、群発的な笑いが入り込む。物語の場を西成に持ってきたこと、見た目がいかつい金城を主人公に持ってきたこと。これらが渾然一体となって、笑いへと貢献するのだ。このむずがゆさこそ海猫沢作品たる所以ではないかとわたしは思ってるんだけど(と言いつつまともに作品を読んだのはこれが最初なのだが)。人によって「常識」は違っており、「常識」が違う人間同士を同じところに持ってきたことによる、意識の「ずれ」を利用した笑い、ということになるだろうか。もっとも、端から見ればその差も微々たるものなのだろう。三十円を五十円で売るおっさん(サイバラの漫画に出てきそうだ)を見てしまうと、人の服を盗んで平気な顔で売るなど、まだまだだと思えてしまうが。

 絶体絶命のようで、彼にはまだ、多くの選択肢が残されている。なぜなら追い込んでいるのは彼自身だからだ。彼がどれを未来とするかは、すべては彼にかかっているのだ。その中の、もしかしてひとつが垣間見た隣の男の姿なのかも知れない。

 通天閣の場面がほんのちょっと唐突な気はしたけど、そのほかはいやあ、よく書かれているなあ、と思った。このくらいの長さのを、あと二、三作読んでみたいなあ。

_ [イベント]鴻巣友季子× 奥泉光の文芸ビックリ箱 翻訳と小説をめぐって@青山ブックセンター六本木店

 鴻巣友季子さんがこのたび上梓された『 カーヴの隅の本棚(鴻巣 友季子)』刊行記念ミニトークイベント。会場は、メインのお二人が見えないほどに混み合っていました。しかも、なにやら列ができている様子。あれ、まだ時間前なのに……。なんと、ワイン好きの鴻巣さんが本に因んでワインを振る舞ってくださったのだ。赤白日本ずつ。なんとリッチなイベントであろうか。しかもブラインドテイスティングで、途中で生産地や銘柄を当てるなんてことまで。しかもこれがね、結構なところまで当てる人がいるんですよー。ちなみにこの日一番良かったものは白の肩がなだらかなワインだったようだ。鴻巣さんが見えなかったので、どちらも赤を担当していた奥泉さんに振る舞っていただいたのだった、残念! わたしが飲んだのは、おそらくミディアムボディの辛口のものだったんだけど……。ここから文学論に持って行くところがさすがでございました。

 内容についてはまた後ほど。

 終わった後は会場にいらした碧野圭さんと軽くワインを飲んで食事をして帰宅。

_ [買った本]買った本

 青山ブックセンター六本木店にて。

 基本的に、ダブりは書かないので(新刊なのに!)。

_ [いただき本]いただき本

 碧野圭さんから、来週辺り発売される新作をいただきました。小説をいただくのは初めてかなあ。仕上がりを見せていただいただけだと思っていたのでお返ししたらわたしに、と言われてびっくりしましたよ。ちょうど見本が送られてきたばかりなのだそうです。

 帰りがけに読んできたのだけれど、さすが書き出しかからうまくて、物語に引き込んでくれる。しかも冒頭でびっくり。記憶をたぐり寄せると……。これは読者へのサービスでもあるかな。嬉しかったです。

 フツーの既婚子持ち女性がそんなつもりじゃなかったのに恋愛の深みにはまり込んでいく……そんな、ちょっと今までの碧野さんからは考えられない新境地の作品のようです。舞台は出版社だから、今までの作品を読んでいた人もすんなり入れるだろうし、世の「恋愛小説」に馴染めなかった方も楽しめるのではないかと。きちんとお仕事小説でもあります。あれだね、恋愛小説の書き手の大方は、自らが恋愛体質の人なのだよ。そういうのに突っ込み入れちゃうような地味な人間は、そういうのはなかなか信じられないのです、ええ。


2008年11月14日 (金) [長年日記]

_ [本の話]こぼれ話

 引き続き『シラノ・ド・ベルジュラック』を、訳注のページと栞をふたつ挟みつつ、読み進めている、が、時間はかかりそう(笑)。なんか、子爵と決闘しちゃいましたけど、あのちびっ子はホントに殺されちゃったの?

 ところでこのシラノ・ド・ベルジュラック。この場面では子爵と決闘している間にバラードを即興で仕上げてやる、と宣言し、そのとおりやり遂げるのだけれど、実際、剣術の他にも確かな文才があり、詩人としても作家としても知られている。で、Wikipediaを見ててへぇー、と思ったのが、この人SF小説の先駆者としても名を残してるんだよね。『月世界旅行記』と『太陽世界旅行記』のふたつが死後刊行されたらしい。SFの祖と言われるジュール・ベルヌでさえ19世紀後半なのだから、随分と早すぎたな、これは。内容はどうだったのだろう。

 それと、昨日読んだめろん先生の「震える刺青」に出てきた「スーパーポンポコジャガピーにしなりくん」。西成のオリジナルキャラクターとのことなんだけど、まさか冗談だろ、と思ったら、西成区のウェブサイトに出てました……。しかもよく分からないので、もっとおっきな画像も用意してみました……。ゆるキャラ以前だろ、これ。電話の間の手慰みに描いた落書きみたいよ? このゆるさが西成っぽいんでしょうか。

 西成のディープさは、この辺りからどうぞ。

⤭ʣˡХåѥå - DEEP

 日本で一番すごいのは尼崎だとばかり思っていたけれど、まだまだにほんっちゅーのはディープなようです。

 それと、昨日いただいた『雪白の月』こんな難しい言葉、知らなかったなー、と検索してみたら、KinKi Kidsの歌に同タイトルのがあるのを知ったw。歌詞を読んでみると、別れの歌なんだねー。

_ [飲み会]歌舞伎町のタイ料理屋で寄せ鍋をつつきつい忘年会的境地に

 夜は歌舞伎町で飲み会。住所で検索したらそのビルにはホストクラブが沢山入っているらしくてちょっと緊張する。「間違えられたらどうしようー」なんて。が、ビルの名前を控えてくるのを忘れて道をうろついてやっと探し当てた(ここではないだろう、という一番立派なビルがそれだった)ら、入り口に座ってたおじさんが「うちに来てくれた人?」と声をかけてくれた。というか、ホストクラブの客じゃないのはバレバレですか?

 中はお店貸し切りで、いろんな人が集まっていた。普段だったら出会えないような人も。いろんな人との話が面白かったよー。京都でお会いした人も一部いらっしゃり、なんか懐かしい気も。

 で、ここはタイ料理屋なので辛いけどうまーい、という展開になるのを期待していたのだけれど、何故かテーブルにどーんとあるのは、どう見ても寄せ鍋。白菜とか椎茸とか入ってますよ? いや、これはこれでおいしいんだけどさ(笑)。また、今度ちゃんとタイ料理を食べに行きたいと思います!

 その後カラオケ屋に行って、〆に天下一品であっさりラーメンを食べて朝帰り。その後起きたら、一体いつどんな風に帰ってきたのか忘れておった。

 名刺を家に忘れてきたので、途中文房具屋でカードを買って、電車の中で手書き名刺を作っていったのだった。初対面の人も多かろう、という措置だったのだけれど。だけどいつの間にか「にじますさん」って呼ばれていたよw。


2008年11月15日 (土) [長年日記]

_ [読書][読了]『 雪白の月(碧野 圭)

 わたしが恋愛小説をあまり読まないのは、自分の人生にそう関係がないからだ。SFだってミステリだって関係ないだろう、という突っ込みが聞こえそうだが、そちらには経験できないからこそのわくわく感がある。恋愛は、身近に存在するだけに余計に遠ざけてしまうのだろうか。いやでも、その理由の中に「今更心が恋愛モードになっても仕方ない」ということもあるように思う。結婚もして大台にも乗り、人生は消化試合に入っている。そんなところで今更、心臓に負担をかけそうな恋愛をするだなんて、割に合わない。たぶん、この小説の主人公も、そう考えていたはずである。だけど、人の心というものはどうしようもできない。誰かに惹かれてしまったら、それを抑えることは、多分できないのだ。

 主人公の奈津子は、出版社で編集者として働く42歳。大船の家では夫と夫の母、高校生になった娘と暮らしている。半年前に雑誌の休刊を機に書籍編集の部署に移り、物語は、大作家の接待の席から始まる――。

 内容を確認するために軽く目を通し始めたのだが、結局そのまま読み込んでしまった。そこで起こることは荒唐無稽ではなく、地続きのところにあるように思えたからだ。美しいがそれなりに年も重ね年齢的な衰えも見え始めた主人公は、仕事で出会った営業の関口に惹かれている自分にふいに気付く。しかし、仕事と家庭の存在を無視できず、後一歩を踏み出すことができない。そんな彼女が少しずつ踏み外していくのは、皮肉にも横恋慕してきた大作家のセクハラがきっかけになる。物語としての装置がうまく効いていて、物語のために設定されたであろう障害や出来事が、そういう風には思わせないほど実に自然に物語と絡み合っている。相手として年下の男性を持ってきたのも絶妙で、確かに「こうでなければ!」という確信に至る。生真面目な主人公を引っ張って行くにはかわいげがあってかつ遊びも知ってるような男性じゃないと難しいのだろうけれど、これがなかなか魅力的なキャラクターで、つい実際に存在したらどんな感じなんだろう、なんて想像してしまう。遊びの恋愛に慣れてる人が本気の恋愛をしてしまうその相手だなんて、これ以上の僥倖は無いわね。

 気がつけば、形としては不倫である二人のぎこちない恋愛がうまくいけばいいと、ついつい応援するような気持ちになっていた。うまくいくはずはないのは分かっているのだが。主人公の年齢が近いので、つい我がことに思えるところもある。それに気がつき、ちょっと恥ずかしくも思うのだが(と、ここに書くこと自体も葛藤があるよ)。著者はこれで三冊目だが、抜群にうまくなっていると思った。前回のふたつもお仕事小説で、今回もまたそうなのだが、物語の進め方、留め方、そういった描写がただひたすらストレートではなく、抑制が効いているし、その反面、勢いが必要な場面はそれを恐れない。結局、一度だけ二人は関係を持つに至るのだが、その描写の巧みさに驚いてしまった。思えば、今まではひとつの目的に向かって邁進する、まるで冒険小説のようなものだったけれど、今回のは行って戻って行って……と、ためらい勝ちな歩みをするストーリーだものねえ、書き方も違ってくるはずだ。

 人のみちに外れた恋は、やはり痛い最後を迎えることになる。読み終えてから改めて帯にある書店員さんのコメントを読んで、ぐっときた。立場ある年の大人が本気の恋をしてしまったら、半端では終われない。そして、それは周囲を傷つける。恋は突然気付くものだろうが、気付いたら腹をくくらざるを得ない。主人公が恋愛にのめり込んで自分を悲劇のヒロインと酔いしれるような人間ではないだけに、ひしひしと心に響いてくる。反抗的で手を焼いていた娘が、最後に母を送り出す場面が、印象に残った。成長した娘を対等の人間と認め(これも関口の言葉気付くのだが)たからこそ迎えることができた場面では無いだろうか。ちょっと奈津子はかっこよすぎるけど、な! 全てが終わった後に待っていたエピローグにまたぐっときた。自分の気持ちに背いてもなお背負っていかなければならないものが重すぎるなあ……。

 著者の碧野さんとはデビュー前に初めてお会いし、そのときは「ワーキングマザー小説」と聞いたので「わたしには関係ないな」と思っていた。しかし実際店頭で見かけて手に取ったらその面白さに本を置けなくなり、そのままお持ち帰りしたのだった(ちゃんと代金は払いましたよ)。元々ご自身がライトノベルの書籍編集もされていたという経験もあり、物語をどう作り、どう盛り上げていけばいいかのコツもご存じなのだろう。前二作はストレートなお仕事小説ということでそういう経験に納得したものだが、今回の作品はそれらに較べても頭ひとつ抜けている印象がある。ご自身は恋愛体質ではなく、実際恋愛小説を書くことになったときに相当戸惑われたとのことだが、苦手なところに敢えて挑戦することでいろいろと書き方にも工夫されたのだろう、それによって作家として次のステージに立ったような気がする。

 碧野さんの小説はおつきあいで読んでいる訳ではなく、本当に面白いから読み続けている。作家としては遅いデビューだと思うし、刊行のペースもエンタテインメント小説としてはそれほど速い訳ではない。でも、偶然にも同じペースで読者として伴走することができて実に幸せだと感じている。これからも、いい作品を期待してます。

 ちなみに、タイトルを決められたのはいつのことなのか分からないけれど、ご自身Kinki Kidsがお好きだと聞いたことがあるので、このタイトルはいつか使いたいと思われていたのかも知れない。検索してこの歌の存在を知り、歌詞を読んでみたが、読み終えた今だと何となく納得がいった。


2008年11月18日 (火) [長年日記]

_ []下北沢でプチ密談

 密談よりも、学生の頃のこととか話してる方がずっと長かったけどな!

 当てにしてたところが定休日で、急遽選んだビストロ……はなかなかよかった。ただ、意外と量が多めで、種類を食べることができなかったのが残念。最後の味噌漬け豆腐がんまかった。焼酎もたっぷり飲んだ。今度は3〜4人で行きたいなー。


2008年11月19日 (水) [長年日記]

_ [本の話]胸のうずきを辿るようにして思いだした恋愛小説

 先日碧野圭『雪白の月』(本日発売!)を読んだときに、これ以前にやはり心を奪われたように夢中になって読んだ恋愛小説があったような気がする、あれは何だっけ? と記憶を辿っていったら、姫野カオルコの『ツ、イ、ラ、ク』であることを思いだした。見たら、最終的な感想を書いてない! なんというか、このときは魂が抜けた状態で書けなかったんじゃないかと思いだした。

 この恋愛物語もある意味人のみちにもとる行為となるのだが、そのような「常識」になど抗いようもなく落ちていく恋がある、というか、本来そういうものだものなあ、と思ったものだった。また、周囲に発覚したときの身の処し方がある意味似ていて、そういうところが心を打つのではないかと思いましたよ。『ツ、イ、ラ、ク』は二人の恋愛よりもむしろ、地方の街に暮らす人々の描写が細かくて、そういう「社会もの」としても印象深い。『雪白の月』も、結婚を巡るあれこれとか、仕事を巡るあれこれとかがむしろリアルに描かれており、案外核となる恋愛部分は少ないということに気がついた。ああでも、人生というのはそういうものかも知れない。

 碧野さんはあまり恋愛小説が得意ではない(読むのも)とおっしゃっていたが、確か姫野さんもむしろ苦手に思っていたはずだと記憶してるのだけれど……勘違いかな? いずれにせよ、そういう人が書いてるからこそ自分の心に響いてくるんじゃないかと思ったことでしたよ。

_ [読書][読み中]『 シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)(エドモン ロスタン/Edmond Rostand/渡辺 守章)

 なかなか先に進まないながらも、なんとか三章まで。ロクサーヌの思い人が判明し、悔しく思いながらも二人のキューピットを買って出るシラノ。訳注にあったのだけれど、実在のシラノは同性愛者としても知られており、恋敵のクリスチャンではあったが、そういった含みももしやあったのでは、ということを念頭に置くと確かに違った面白さがある。

 ロクサーヌは、パリの社交界でも美女でありながら才女としても知られる女性で、クリスチャンのような田舎男爵では相手がつとまらないんだなあ。まあ、そういう意味ではシラノだって変わらない(彼は荒くれ者のガスコンだ)のだが、それにも勝る天賦の才があった、ということか。それまでも男らしい威勢のいい詩を数々詠み上げているが、ロクサーヌへの恋文、そして愛のささやきは、瑞々しく麗しい。クリスチャンの見目麗しさに惹かれるロクサーヌも浅い女だなあ、と思ってしまうけれど、当時の人はそんなものだったのだろうか。実際、従兄であるシラノと落ち合うにもちょっとした大事になっているし、仮面なぞを付けている(平安貴族の御簾や扇子みたいなもの?)。一度だけ反乱を起こしたクリスチャンは「自分の言葉で」ロクサーヌに愛の言葉を贈るが、彼女はそのぎこちなさにどんどんつれなくなってしまう。彼女の求めていたのは溢れる愛の言葉、自分への称賛で、そういう甘いひとときを楽しみたいんだよなあ。だからクリスチャンの直截的な口説きに冷ややかになってしまうのだろう。夜に紛れてシラノが代わりに愛の言葉を紡ぎ始めると、直接ロクサーヌと言葉を交わしている興奮に我を忘れてしまうところなど、何とも可愛らしい。

 子どもの頃に読んだ物語は、周囲の余計な情報をすべて取っ払ってしまったものなので、今になって訳注も真面目に追っていくと「へえ、こういう話だったのか」と分かってくるところが沢山あって楽しい。まあ、面倒でもあるけれどね! 17世紀の実在の人間をモデルにした恋物語を19世紀末の人間が戯曲にした、ということで、ものの価値観や諷刺の場面もどっちの時代のものか、なんていう指摘もあったりするのですよ。

_ [雑誌掲載小説][読書]谷崎由依「ガルラレーシブへ」(「 群像 2008年 12月号 [雑誌]」所収)

 旅に出た20歳の女の子の話。著者の作品は以前に「月のまにまに浮かぶ家」を読んでいるが、双方の主人公に共通しているのは学生であること(自分で生計を立てていない)、付き合っている人との関係が息苦しくなり、非日常の場へ逃げてきていること、だろうか。「月の〜」は分かりやすかったのだが、この作品はいろいろなものの関係が複雑で、一読しただけでは「分かった」とはとても言えないなあ、と思った。ただ、氏の作品は「感じる」ことができる。言葉もろくに通じない異国を旅している浮遊感、寄る辺なさ。でも、それが心地いいとどこかで思っている主人公、とか。旅の途中で出会った、同じ言葉を話す人物と彼が話したことが、自分が逃げてきたこととの作用をし、自分自身変容を遂げる。大雑把に言ってしまえばそうなるだろうか。ふたつの不均衡な関係性が対照的に描かれ、ときには交わる。

 ガルラレーシブとは、死後の魂が辿り着く場所なのか、ユートピアなのか、それさえもはっきりとはしない。ただ、人は「そこへ行きたいと思っているはずだ」と男は言う。人は、もしかしたらガルラレーシブや、そういった名づけていないものを求めて生き続けているのかも知れない、と感じた。

 隣の国なのに全然近くには感じない中国を旅する話なのだが、この行程を追っていると星野博美のエッセイ『愚か者、中国をゆく』を思いだしてしまった。これも、列車で中国の南方へ行き、少数民族に出会ったり、ブーゲンビリア咲く陽気に驚いたりしてたよなあ。描かれ方としては全く違っている(時代もそうだからだろうが)訳だが。

 時間をおいてもう一度読んでみたい。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 ちょっと、翻訳関係の本を買って来ざるを得なかったのは、例の水村美苗『日本語が亡びるとき』の参考にしようと思ったから。どのくらいまでそうなるかは分からないのだけれど。『翻訳』の方は新刊で、クセジュで出てる。これは以前からチェックしていた本ではあった。まさかこんな形とは思わなかったけど。

 「野性時代」は、岸本佐知子翻訳セレクション「居心地の悪い部屋」復活。ポール・グレン「どう眠った?」。モンキービジネスとどっちを読んで帰ろうと帰りに悩んだが、トヨザキさんの「押し入れのトヨザキ氏」が気になってそのままつい。町田夫妻の名も出てきてるし(笑)。ちなみに、環境はここから別の方角に進化しているみたいですよ? あと、長嶋有の新聞連載「ねたあとに」でお馴染みのあの三人がバンド復活、の記事が。中村航(小説では「コウさん」かと思われる)特集なので。


2008年11月21日 (金) [長年日記]

_ [落語]第10回東横落語会@セルリアンタワー能楽堂

 その昔、渋谷には東横落語会という寄席があったという。それはとても素晴らしいもので今でも語りぐさのようだが、残念ながら今は途絶えている。同じ名を冠するこの会は、昔あったものとは違うが、それを目指しているらしい。能楽堂なので、変則的な舞台。二つの辺の端の角を正面とするので、本当の正面だと柱が邪魔になっていまひとつ見えないんだな。わたしが取った席もまさにこの「中正面」席だったのだけれど、辛うじてそこの端っこで、ちょうど高座が正面に見えるところで、しかも前には誰もいない状態だったので結果的にとてもいいところだった。前の列がざくーっと空いてて「もったいないなあ」と思う。まだ、満席にはならないのだろうか。

 プログラムを入り口で貰えるので、そこで出し物はわかる。4人のうち3人が演って、仲入り後トリが出てくる形。今日はどの人もよかったなあ。というか、わたし自身まだ経験が浅いから、どれがいいとか悪いとかの判断ができていない。

林家彦丸「鮑のし」

 前座……事前の情報では演者としては出てなかったけど、こう言うのかな?。

 家にお足(お金)もお米も無いからというおかみさんの入れ知恵で、近所の人に五十銭を借りる。それを持って魚屋で「尾頭付き」を買って若旦那の婚礼があるという町の庄屋さんのところに行くはず(この辺は風が吹けば桶屋が儲かる」式の深謀遠慮)が、手持ちの金では鮑しか買えなかった。仕方なくそれを持って行ったら「こりゃ片貝で縁起が悪いから貰えない」とすべてがフイになりそうに。そこで……なのだが、この甚兵衛、とにかく間抜け。賢い女房に入れ知恵されたらそのまま裏話までつらつら喋っちまう。追い返された甚兵衛は魚屋に引き返して鮑を返そうとするが――という話。

 この彦丸、はきはき元気な落語で、好感が持てる。しかし、この出し物だからこれで良かったけど、もっと別のを持ってくると、元気一本ではいけないので味わいが必要かなあ、という感じはするけど、そういう面を持っているのかどうかはわからず。まだ若いね。80年代生まれだ。それにしても、落語の時代設定って今ひとつわからないなー。江戸時代にしちゃうと「円」が出てくるのがちょっとわからなくなる(円が通貨になったのは明治になってから)。

柳家喜多八「だくだく」

 まくらはぼやき芸? やる気が無さそうな肩を落とした姿で登場。高座に上がるまでが長い(橋がかりから入場してくるので)、夏の疲れが今になって風邪に、といった話に。羽織を脱いだタイミングが、本題。泥棒なんかの話が出てくるので、わかる人はわかるんだろうな。まあ、演目はわかってるんだけど。見た感じが四角い顔だけど彫りが深くて、なんか、ちょっと違うかもしれないけどコロンボとかそんな感じ?主催のLOTのサイトに出てる写真は、かなり若い頃のものだなー。その彫りの深さが暗さややる気のなさの印象につながり、独特のキャラクターを作り上げてるのかなあ、と思う。

 話は、家賃をためすぎて家を追い出された八五郎が、家賃の安い引っ越し先を見つけたけれど家財道具一式を持って行くのが面倒で人に「持ってっていいよ」と身一つで引っ越すところから始まる。何もないのもナニなので絵の先生に壁に貼った白い紙に家財道具一式を描いてもらうが、その夜酒に酔って寝てると近眼(ちかめ)の泥棒がそれを本物と勘違いしてやってきて――って、雪舟の鼠かい!って話ですな。途中から八五郎もさすがに気づいて様子を見てるのだけれど、クライマックスは「つもり」でたたみかけるところがとてもおもしろい。パントマイムまで出てくる(まあ、壁だからね!)。

 緩急の付け方がうまくて、絵の先生と八五郎とのやりとりがおかしくてたまらない。火鉢の横に猫を描き、その横に「たま」と書けというところとか、へっついには米が炊きあがる寸前の状態の絵が描かれているが、これも後にちゃんと活きてくる。貧乏で素寒貧の家に勘違いした泥棒が入るというだけでも面白いのに、そのまま勘違いし続け、やっと真相に気づいた後も悔しくて「つもり」で続けた泥棒とそれに応酬する家主の八五郎のやりとりがこれまた軽妙で。

瀧川鯉昇「味噌蔵」

 とにかくけちで有名な味噌屋の主人ケチ兵衛が、親族に攻撃されて渋々嫁を迎えたところ、意想外に妊娠してもうひとつ口が増えてしまうことになる。番頭の入れ知恵で嫁を実家に帰らせ出産まで実家持ちにさせるケチ兵衛(「なんならそのまま大きくなって(子供が)働けるようになってから帰ってくるといい、と相変わらず)だが、生まれてくると嬉しいのか、それとも宴会の食べ物が楽しみなだけなのか、お呼ばれして丁稚をお供に大きな空の重箱を持たせていそいそと出かける。

 留守を預かった番頭。奉公人の提案に「最初からそのつもりですよ」と乗っかり、その夜は主人が帰ってこないものと決め込んでご馳走を注文し、隠し持っていた酒を振る舞いどんちゃん騒ぎ。そこに、相変わらず火事が気になる主人が帰ってきてしまい――。いやぁ、何でこんなに面白いかねえ。この人は、とにかく食べ方がうまくて、おいしそう。酔っぱらいの演技もうまくて楽しそう。咀嚼してみせても下品じゃなく、ひたすらうまそう。扇子の柄が、実際にかなり口の中に入ってますw。

 まくらもちょっと凝っていて、前の回の喜多八のまくらを受けているところがすごい。しかも、前の年の夏の疲れが今頃出てるし(笑)。熱っぽいけど体温計が見つからないので壁に吊してる寒暖計からガラス軸の部分のみ苦労して取り出して体温を測ってみるが、今度は目盛りが板の側についてるからわからない、という落ちが(笑)。駄洒落もうまい。まくらから本題にはするっと入る感じ。

古今亭志ん輔「お見立て」

 トリです。まくらは、師匠の志ん朝の年末の思い出話。仲入り後なので客を引きつけるのが大変だと思うのだが、あっため方がうまいと思った。口調も弾むようで、手練れだけれど若々しい。おまけに顔の表情がよく動き、見ていて実に楽しい。吉原の花魁喜瀬川にご執心の田舎旦那(佐野から来た……といってた気がするから、栃木?)がやってくる。訛り丸出しの旦那と、野暮な客を遠ざけたい花魁の間を、吉原の若い衆、喜助がかけずり回る。ここでは一旦肺炎の一歩手前で入院するというクッションがあるが、普通はすでに死んでしまったことになってるようだ。大元のネタは単に無粋な旦那だったようだが、志ん輔はそれを訛りの激しい旦那ということにして、余計にウザさを出しているように思った。やってきた喜助に「こっち来い」と誘うところを「こっけっこ、こっけってったらこっけっこ」と、喜助に「鶏みたいなやつだな」と突っ込ませる始末。この旦那の描写がやけにうまくて楽しくて、憎めない。ちなみに「鶏みたいなやつだな」には対があって、クライマックスに「今を盛りとにゃーて(泣いて)おります」と返すと「蝉みたいなやつだな」と突っ込まれる。これが志ん輔オリジナルかどうか分からないのだが、旦那が佐野の人、というのは、検索したところオリジナルっぽい。だからこの弾け方は、やはりオリジナルなのだろう。

 顔がよく動く人で、キャラ作りも、場面の変化なども実にわかりやすい。観客もよく笑っていたし、やっぱりトリの華がある人だなあ、と思った。

 おそらくこれが今年の最後だろうと思うのだが、これだけの満足度が得られる(しかも、会場が狭いので高座と客席の距離が近い)のなら、悪くない、というかかなりラッキー。今回は演者もいいのでチケットを取ったのだが、やはり定点観測する場としては、寄席よりも初心者のわたしには合ってるように思った。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ もぐら泥 [こんにちは。自分もこの会に行きました。この演者なら行かなければなりません。 彦丸さんは開口一番で出てきた二つ目です。..]

_ にじむ [もぐら泥さんもいらしてたのですね。 学生落語に慣れているので彦丸さんの演技はそれほど「駄目」とまでは思わなかったので..]


2008年11月22日 (土) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 近所の書店にて。

_ [読書][漫画][読了]『 きのう何食べた?(2) (モーニングKC)(よしなが ふみ)

 なんだか、今回の巻は特に「作りたい!」と思ったメニューが多いなあ。それにしても筧の段取り力と料理の腕には舌を巻く。とにかく無駄を出さないように日々のメニューを考え、その日の特売にも飛びつける臨機応変な力は、ひじょーに羨ましい。こんな奥さんが欲しいです……。

 今回は、同居している矢吹との出会いについてもページが割かれており、ゲイ文化びったりではないゲイのゲイライフ(ゲイゲイうるさいぞ)が垣間見える。彼らの中では筧のようなルックスは歯牙にもかからない(そういう意味で言えば矢吹もそうなのだが)のだそうで、この辺はお互い嫉妬する心配があまりなくていいのかも知れない(苦笑)。しかし、みんな同じような見かけだと、自分自身が好きなんじゃないかと思っちゃうよなあ。まあ、いろんなゲイがいるってことは一応分かってるんだけど。

 筧は、自分の予定だけではなくて、相手を思いやる料理を作るからこそ、相手からも感謝の念や愛情が返ってくるんだろうなあ。でもって、そういうささやかなことに気づける恋人に出会って、本当に幸せだと思った。

 結構、化学調味料や昆布茶など「禁じ手」があっさりと使われてしまうところが驚きだが、料理の敷居を下げるためには、こういうアピールも必要じゃないかとも思ったり。大事なのは、おいしいものをゆったりと愛する人と食べてその時間を共有することなんだもんね。

 ゲイのカップルだけではなく、ヘテロにも参考になる「日常生活」なのであります。


2008年11月23日 (日) [長年日記]

_ [読書][読了]『 ミスター・ミー (海外文学セレクション)(アンドルー クルミー/Andrew Crumey/青木 純子)

 夕方から行われるオリオン書房ノルテ店のイベントの予習で読んだ。出る前からチェックしてて、店頭に並んだときにすぐに買ったのだけれど、この機会が無かったら、あと1ヶ月は積読していたと思う。本には読むのに適したタイミングというのがある訳で、今回タイムリミットを設けられたことは、かえってありがたかったように思う。因みに出る前からチェックしていたのは、その内容は勿論だが、訳者が青木純子さんだったからだ。

 86歳の書痴老人がひょんなことでロジエなる人物が書いた『百科全書』の存在を知るところから物語が始まる。この老人、まあ書痴というだけでもいいキャラなのに、世事には極めて疎く、本に埋もれて生きてきたという奇特な存在だ。天涯孤独で、毎日のように友人にその日の出来事を手紙で送る日々。身の回りの世話はミセスBなる家政婦がしてくれていて、彼女の作るスープは絶品だという。しかし、本には全く理解を示してくれないのが玉に瑕。そんなある日、ものを調べるのだったらパソコンがあるじゃないかと言われ、実際に買ってきたことから、物語は転がっていく――。

 老人は、御年86歳にして初めてネットの大海に繰り出すのだが、この発見の驚きや喜びを共感することができる。検索すればお目当ての書物に辿り着き、家にいながらにして本が読めてしまう場合もある。大興奮の老人は、やがてキーワードで辿り着いた先で奇妙なものを見つけてしまったがために、ミセスBに絶縁状を叩きつけられ、途方にくれることになるのだ。

 うわー、かわいいなー、この爺さん。世間ずれしてないので、分かって当然のところもきょとーんとしてるし、その勘違い具合がプリティ。この世間ずれしてないことがある意味功を奏して大冒険をする羽目になるのだが、これが思わぬところまで行ってしまうのに驚いた。この老人の話を軸として、そのほかふたつの話が代わる代わる出てくる。ひとつは18世紀フランスの、うだつの上がらない40代男性の二人組。彼らは妙な草稿を掴まされ、それが関連しているらしい殺人に巻き込まれそうになり、パリから出奔する。行き着いた先はモンモランシーの森で、そこで彼らはとある歴史上の人物と出会うことになる。もうひとつは、大学でフランス文学を教える教授が女子学生にぞっこんになり、彼女をどう自分のものにするかの妄想が止まらなくなる話。堅物ほど恋愛に片足を突っ込むと大やけどを負う典型例なんだよなあ。読んでるとその妄想がかなり気持ち悪いのだが、その気持ち悪さも含めて楽しむことができると思う。

 一見ばらばらで何の関係もない三本のストーリーが、あるところから絡まり出し、意外な展開を見せてくる。本を繙くことで次の興味がわき次の本に手を出し、またそこから別の疑問がわいてきて……と、その様子はさながらハイパーテキストであり、太古の昔から人間は同じことを多分やってきたのである。その例が18世紀フランスのパートに出てくる紙片を意図でつなぎ止めた推論装置なのだけれど、このパートはふたり組の間抜けな方が原因で引き起こすドタバタがこれまた楽しい。

 本の記述を巡るミステリでもあり、老人のビルドゥングス・ロマンでもあり、不格好な中年の不倫願望ものでもあり、稀代の奇書ものでもある。いろんな切り口で楽しめるのは間違いなく、ソフトカバーにみっちり詰まって見た目より濃密なその世界に、すっかり翻弄されてしまいましたよ。爺さんが覚えたての専門用語を得意になって駆使するのさえも微笑ましい。

 作中には、ちょっと難解な論文が引用されてたりして(それも著者が考えたのかと思うと驚く)、読む速度がぐっと落ちたりすることもある。別に、この辺は読み飛ばしてもさほど問題は無いものと思うが、できればその難解さも一緒くたにして楽しめるとよりいいのではないかと思う。著者は論理物理学の研究者だったそうで、そう言われてみれば納得。

_ [イベント]『 正直書評。(豊崎 由美)』発売記念 豊崎由美トークイベント@オリオン書房ノルテ店ラウンジ

 「エクスポ」の連載対談「プロフェッショナル読者論」の三人での、公開座談会書評の形式で行われた。ということで、ゲストは佐々木敦さん、仲俣暁生さん。おそらく、この模様は次の「エクスポ」(来春と聞いている)に掲載されるだろうので、参加できなかった方はお楽しみに。お題があるトークイベントということで、参加者も事前の読書を勧められていたのが今回のお題『 ミスター・ミー (海外文学セレクション)(アンドルー クルミー/Andrew Crumey/青木 純子)』なのだが、読んできたのは大体会場の1/3くらいだったと思う。そういう訳で、一部物語の展開のネタバレも含む展開となったのだった。

 ……ということで、内容については後ほど(済みません!)。

 あ、一点だけ。この主人公の爺さんなのだが、佐々木さんや仲俣さんは「ある程度は分かっていたのではないか(つまりはカマトトぶってるということだろう)」と言っていたが、トヨザキさんは全くの天然だと思っていたようだ。わたしもこれは同じ意見で、えーと、もしかして読む人の性別により印象が違ったりするのかなあ、と気になった。もし読了された方でこの見解に同意、もしくは異議を唱える方がいらっしゃれば是非コメントいただきたい!

_ [買った本]買った本

 オリオン書房ノルテ店にて。

 この本はここで買おうと思っていたので、今まで我慢していたのだった。


2008年11月25日 (火) [長年日記]

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

_ [読書][漫画][読了]『 君のいない楽園 14 (マーガレットコミックス)(佐野 未央子)

 もう二十歳かー。というか、大学卒業まで来てしまってますよ! 一時期は十萌によく感覚の似た(でも繊細な神経を持った)男の子が出てきて彼が案の定十萌に心惹かれ始めたので「うわ、どーなっちゃうんだろう」と焦ったけど、まさか八神が文字通り退けるとは。やっぱり恋敵にはこのくらい情け容赦ない態度でいる必要があるのだろうか。ってことは、八神自身も少しは「危ない」って感じてたってことだよねえ。

 そんなんでラブラブな二人なのだけれど、唯一の障害がオリンピック代表選考会の予選。精神的にも安定している筈の八神が、突如スランプに陥るのだ。しかも、十萌はその原因は自分の不注意にあると思い込んでいる。ここで陥ったままならそのままスポ根漫画になるけどこれはそこが主眼ではないからね。ヒーロー八神はどこまで行っても完璧。期待は外さないのです。ああそれでも、とんとん拍子に北京オリンピックかよー、って、そこのところだけが気になった。

 でもってここで終わらないのがスポ根漫画じゃない印(?)。この後の二人がどうなっていくか、がこれから主になるんだろうけれど、もうそろそろ大団円なんだろうなあ。実際、この巻で終わるんじゃないかと密かに思っていたもの(今は雑誌を買ってないので連載を読んでなくて先を知らない)。

 既に読者の気持ちはお母さんの方に近いんだろうなあ。ずっと一緒に成長してきた、娘を一番に想ってくれているかっこいい恋人と十萌が幸せになって欲しいのだろうなあ。そのためには、十萌が夢を犠牲にするなんて今となっては考えられないものであって、何となく最後は、お父さんお母さんの関係が逆になるのかも知れない、とも感じる。まあ、単なる予想なんだけど。八神が完璧すぎるけど、そのくらいじゃないと少女マンガのヒーローはつとまりませんことよ、ある種の物語では、だけど。


2008年11月26日 (水) [長年日記]

_ [読書][読了]『 シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)(エドモン ロスタン/Edmond Rostand/渡辺 守章)

 とりあえず本編のみ読了。この後、解題と訳者解説が待っているので、ちゃんとした感想はそこを読んでからにしたい。

 子どもの頃に読んだ「シラノ・ド・ベルジュラック」は、多分道徳の教科書で読んだもので、しかも読み物として短く纏められていた。なので、確か文才があるとはあったけど、軍人であることなどは書かれてなかったし、戦場の描写もなかった(クリスチャンの訃報が届けられただけ)と思う。この、18世紀末のフランスを舞台にしているという味付けが、これだけトーンを変えるとは思わなかった。今までのイメージでは、文才があるということからもっとひ弱なイメージだったのだが、むしろロスタンの描くマッチョだし、勇猛果敢だ。剣の腕も優れていて、自信家でもある。ただ、顔の真ん中の鼻の醜さを除いては……って、どんな鼻だったんだ!と突っ込みたくなるよなあ。この鼻が無ければ、って、鼻以外は醜く無かったのか、とか、色々突っ込みどころが無くは無い。

 また、美貌のクリスチャンに一目惚れするロクサーヌだが、才女という設定になっている。シラノもロクサーヌも一応実在の人物だが(シラノはそのままだが、ロクサーヌは複数のモデルがいるらしい)、パリの社交界の中でも美貌の「才女」で鳴らしているロクサーヌがいくら何でも頭空っぽの男に心を奪われるとは思えない。まあ、文才がないからこそシラノに代筆を頼むのだけれど、戦場でのロクサーヌの絡みを見ると、決して馬鹿では無かったんだな、ということが感じられる。ロクサーヌとの秘密の結婚を遂げた直後に彼はシラノたちと共に戦場へと向かうのだが、ロクサーヌとは手紙を約束させられる。勿論実際に書くのはシラノなのだが、何とこの男、日に二回、敵の陣地を駆け抜けてせっせと恋文を送っていたらしい。これはちょっと異常で、実際クリスチャンも知らなかったのだが、その情熱にほだされてなんとロクサーヌ自身が馬車で戦地に慰問にやってきてしまうのだ。

 血を流し、命を落とす場にピラピラのドレスを着た華奢な女性が単身(お付きの者はいるが)やってくるだなんてはっきり言って呆れてしまうのだが、当時はそんなことは無いのかなあ。おまけに敵の兵糧攻めで生命さえ危ういというときに

お外の空気は澄んでいる。わたくしまで、お腹がへりました。パテに、コールド・ミート、上等の葡萄酒―これがメニューですわ―運んでくださらないこと!(p.292)

って、なに寝ぼけたことを……と突っ込みそうになったら、何と彼女自身が差し入れに持ってきたのね。これで青年隊は一気に士気が上がる。

 因みに、あれほど忌み嫌われていた横恋慕のド・ギッシュ伯爵が、次第にいい人になってきてしまうのが人生の妙だなあ、と思った。かえって、徹頭徹尾悪人である方が、人間難しいように思う。

 戦場で、ロクサーヌの腕の中でクリスチャンは息を引き取るが、その少し前にロクサーヌが愛しているのは今となっては自分の精神、つまりは愛の手紙を書き送ったシラノであると悟ったクリスチャンは、激しい嫉妬に駆られながらもロクサーヌに告白せよと迫る。そのクリスチャンの死で機会を逸してしまったシラノは、死に行くクリスチャンに「想いは伝えたが、彼女の心はお前にある」と強く伝えるのだが、この辺りは同じ女性を愛してしまった男たちの友情、ってことになるのだろうか。箸にも棒にも引っかからなかったぺーぺーの新人だった男が、勇敢な騎士との友情を育む。もっとも、シラノの気持ちはそれほど単純ではなく、美しいクリスチャンに対して惹かれるところがあったようだ。これは、シラノ自身が同性愛的嗜好もあったことからも想像できるし、文中にもそれをほのめかすような台詞がある。何にせよ、この訳の中では、クリスチャンは一個の血肉を持った人間として描かれていると思った。

 シラノほどの文才と勇気と矜持に恵まれながら容姿が劣るがために恋をすることさえも叶えられなかった男と、クリスチャンという容姿には恵まれても中身が追いつかなかった男の共同作業。しかし、ロクサーヌの心の動きを見ていれば、いつしかそれは美しい言葉を散りばめた手紙や、あの日バルコニーでの甘い愛のささやきに心を奪われていく様が分かる。ある日、その均衡が崩れたときに悲劇が起こったがためにその後十四年も月日を費やしてしまうのだが、むしろ、この間に欠かさず修道院のロクサーヌを訪ね、周囲の修道女たちをも楽しませ彼女自身を慰めてくれるシラノの誠実さの裏打ちがあってこそ、最後、正体がばれたときの感情の高まりが出てくるのだろう。

 これこそはやせ我慢の美学であり、シラノの男を上げるためには最高の行為だろうけれど、実際ロクサーヌのことを考えると、これで良かったかどうかは微妙なところ。でも、二人の恋が実るクライマックスで終わったからこそ、これは悲恋としても美しい恋物語としても世に語り継がれるものなのだろう。

 今回、戯曲の形で読んだのだが、行の最初から台詞が始まらない変わった表記に面食らってしまった。これが「分かち台詞」「渡り台詞」と言われるものの形式故のことらしいが、つまりは言葉を複数の人間で継いでいくその形が、文の上で表されているということなのだろう。

 また、膨大で詳細な訳注とは首っ引きになる必要があり、なかなか大変だったが、色々と参考になった。特に、舞台としての18世紀末と戯曲ができた19世紀末の美意識の違いにまで言及してあるところなどは文学史的にも興味深い。この作品は演劇集団円の舞台のために訳し直したものらしいが、日本人には理解しにくい台詞回しや表現も、かなり工夫して別の形に書き改めてもある(ということについても書き記している)。

 ただ、これは画竜点睛とも言いたいところなのだが、訳注の番号と本文の番号がずれていたり、ひどいところはそれに対応する訳注が無いというのはいかがなものなのだろうか。これは編集や校正のチェックが甘かったとしか思えない。ずれてる分にはまだいいんだけどね……。

 読みづらくはあるのだけれど、舞台やシラノの時代の雰囲気を味わうためにも、この翻訳で読まれることをお勧めする。

_ [本の話]斎藤美奈子の文芸時評(朝日新聞朝刊 2009.11.26)

 Twitterで、斎藤美奈子が『日本語が亡びるとき』について言及していると知ったので、早速記事を読んでみた。

 わたし自身、水村の論文は「新潮」に一部が一挙掲載されたときに読んだだけで、本を入手し、読む態勢になる前にネット議論は殆ど出てしまっていた状態だったので、ついて行けなかった(ので、まだ読んでない)。でもって、前半は良かったのですよ。特にIWPに参加したときのことを語る第1章は、長く切望している彼女の新作小説を読んでいるかのような気持ちになり、早く続きが読みたいと思ったものだ。フランスでの講演のことも、悪くはない。ただ、他の人にこの話をしたときに「それって小説家が言っちゃいけないことなんじゃないの」という意見が出てきた。わたしも、このままの論調で行ったらそうだと思うのだけれど、さすがにそんな終わり方はしないと思うんですよ、なんてことを話した覚えがある。だけど、本で続きを読むと、むしろそうじゃない方向に行ってしまったようだなあ、と拍子抜けした。斎藤も

これまで水村美苗の本を愛読してきた私もびっくり仰天、相当に困惑した。でも仕方ないのである。彼女が言う〈叡智を求める人〉とは要するに知識人のことで、知識人でないもの(当然私もこっち)に知識人の懊悩が共有できるはずがない。

と綴っているが、同じ感想を持った。続く「文学者の主張だなあ」という感想も、同じようなことを感じた。

 書き出しの軽いジャブや論の締め方まで実にまっとうな考えだなあ、と思った。まさか、ネットで議論になっているということが朝日新聞の文芸時評に載るだなんて、今までは考えられなかっただろうが。このことも含めて、さすが斎藤さん、と感じ入った。

 そこから話題はぐんと変わって宇野常寛ら「ゼロ年代」の言説に移るのだが、最後の「男の子っぽい(もちろん皮肉である)。」という締めは、ワセブン10時間連続シンポジウム(途中から行ったけど、感想核の忘れてた)での千野帽子氏の「イカ臭い」発言を想起させられた。多分、言ってることは似たようなところなのだろうし、わたしもそういうことは感じたのだが。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト渋谷文化村通り店にて。

 昨日買えなかった分を買って帰ろうとしたら、新刊コーナーに回り愕然。とほー。もう出ましたか。ええ、嬉しいんですけどね。やっぱり『サーカスの息子』は文庫化より前には読めなかったか……。そんなところに『読んでいない本について堂々と語る方法』が目に止まり……やっぱりこれは買わずにおられんでしょう。中身をぱらぱらと確かめて、限界近い手に持つ。

 「L magazine」(まだamazonには出てないよう)には、京阪神本棚通信のページに藤野可織さんが載ってますよ。乙女な容姿と裏腹(笑)。隣のページには、先日京都はshin-biで行われた浅生ハルミンさんと近代ナリコさんのトークショーレポートなどもあって(お二人とも美人だー!)、ちょっと得した気分。特集自体も文房具なので、先日mixiで文房具談義をしたときのことをつい思い出してしまう。みんな、文房具語らせると熱くて深いよなー。


2008年11月27日 (木) [長年日記]

_ [読書][読了]『 シラノ・ド・ベルジュラック (光文社古典新訳文庫)(エドモン ロスタン/Edmond Rostand/渡辺 守章)

 膨大な解題、および訳者あとがきまで読了。

 わたしが子どもの頃に読んだ「シラノ・ド・ベルジュラック」は本当に単純な話で、鼻が大きく顔は醜いが類い希なる文才を持つシラノがロクサーヌに恋をするが、彼女は美男の男に心を寄せていると知り自分の心は封印する。その上で男の代わりに恋文を書き、暗闇に紛れて愛の言葉を囁いて恋愛を成就させるが、男は戦争で死んでしまう。ロクサーヌを慰めるシラノだったが彼もまた死の淵を彷徨い、事切れる寸前についに彼が手紙の主であったことがばれてしまう――というもの。確か道徳の教科書で読んだのだが、一体どうしてこれが道徳(今だと「生活」だっけ?)の教材になるのか今ひとつ分からない。

 しかし、原作は全然違ってた。文才という言葉からうらなりのような男を想像していたが、シラノ・ド・ベルジュラックは荒くれ男が集まるガスコンの近衛兵で剣の腕も確かだ。彼は威勢が良く闊達で人望も厚いが反面人には媚びず、歯に衣着せぬ物言いをするため敵も多い。友のためならネールの門の騒動で、百人を相手に大立ち回り。こんな血気盛んな男だったとは。与えられた台詞も、実に生き生きとしていて躍動的だ。信念を曲げてパトロンにすがりつくくらいだったら、貧乏でも自由でありたいと啖呵を切る(第二幕第八場参照)ほどだ。

 そんな彼も従妹のロクサーヌに恋をするが彼女は別の男を想っていることを知り身を引く。かの男は、シラノの隊の新入りクリスチャン。シラノは文才のない彼の代わりに、恋文を代筆することを請け合い、ついに二人の恋は成就する。

 これが、彼のやるせない心の発散方法だったんだろうな、と思うと何とも切ない。この後すぐに戦地へと送られるが、この戦争の間も、シラノはクリスチャンからだとして、ロクサーヌに日に二度も手紙を送っている。その美しい文が綴られた手紙にますます恋は燃え上がり、ロクサーヌはとうとう戦場に慰問に来てしまうのだけれど、ピラピラドレスを着て最前線へ、だなんて随分と暢気な戦争もあったものだなあ。結局、それが今生の別れとなり、クリスチャンは恋人の腕の中で息絶えることになる。

 ここの場面が、この訳者渡辺守章氏が工夫したところだという。従来、戦場での場面は戦闘の激しさばかりが強調されてきたそうで、クリスチャンという男はもっと中身が無い人間と解釈されてきたらしい。他の訳がどのようになっているかは分からないのだが、今までの「シラノ一人主義」に囚われていたという。要はシラノだけが重要な役回りで後は書き割りとは言わないまでも、二番手三番手の役者をあてがっておけば良い、といった扱いだったらしい。しかしクリスチャンは文才こそ無いものの、愚か者という訳では無く、死の直前、ロクサーヌの愛が実は手紙の主に向いていることを見破るのだ。それが第四幕第八場の場面で、確かにここでのロクサーヌとクリスチャンのやり取りは、クリスチャン役の役者にとっては一大見せ場であろう。それまではぴったり一致していた筈の二人の心は、手紙の存在があまりにも大きくなりすぎロクサーヌがそちらにより傾倒したことにより、既に心は自分のものではないと悟ってしまうのだ。ロクサーヌが感情を昂ぶらせればば昂ぶらせるほどに、クリスチャンの憂いは深くなっていく。

 勿論シラノも予期せぬことだったろうが、あまりにも彼の文章とロクサーヌへの敬愛の心が強すぎたということだろう。それが証拠に彼はクリスチャンが承知している以上に恋文を送り続けており、それは既にクリスチャンの皮を被った自分自身となっている。いや、遠く離れた地にいる今となっては、シラノそのものがもっと剥き出しになっていたことだろう。誰に妨げられることもなく愛する人へ愛の言葉を届けられるとあって、彼は有頂天になっていたに違いない。そうじゃなければ、いくらロクサーヌと約束したとはいえ、敵軍の間を縫って頻々と手紙を届け続けることは無かっただろう。そういうことをも、おそらくクリスチャンは見抜いたのだ。彼は今すぐロクサーヌの愛を確かめよとシラノに迫るが、それを確かめる前に凶弾に斃れてしまう。シラノは、死に行くクリスチャンに「ロクサーヌの心は今もお前のものだ」と告げる。

 この後の幕は何と14年後となるのだが、これまでシラノは尼僧院に入ったロクサーヌを見舞い続け、周囲を気遣い明るくさせる。この後、事故に遭い瀕死の重傷を負ったシラノがそれでも約束を守るためにロクサーヌの元を訪れ、彼女のためにクリスチャンの恋文を読み上げるのだが、そのときになってやっとこの恋文の主はシラノ自身であり、あの日のバルコニーでの愛のささやきもまた彼だったことに気付くのだ。そこで初めて、シラノはロクサーヌの愛を得る。勿論、戦場の場で正体を知っても良かったのかも知れない。でも、おそらく14年間の誠実さの裏打ちがあってこそのクライマックスなのではないかとわたしは思った。自分の想いを押し殺して二人の恋の仲立ちをし、恋敵がこの世を去っても態度は変わらずただひたすら彼女に尽くしてくれたという矜持。ここではいまわの際のシラノに「心意気さ!」と告げさせているが、まさに彼の生涯は心意気に彩られていたのだなあ、と感慨にふけることになる。普通の恋物語であれば違う形があっただろうが、これはあくまでもシラノという人間が主体なのだ。彼をどこまでもかっこよく見せるためには、恋の大団円はあり得ない。子どもの頃には納得できなかったこの結末が、この本ではごく自然に思えてくる。

 まあ、この戯曲は17世紀前半に実在した同名の男をモデルにしており、あまりの改変はあり得なかったということもあろう。そしてまた、この芝居が長く愛されてきたのもこの結末故ではないかとも思うのだ。この芝居を上演した途端に熱狂の渦に巻き込まれたのだそうだが、確かにそれだけの魅力を持っている。巻末の解題ではロスタンという人物とその時代、そしてこの芝居がどのように受け入れられ、受け取られたかについて詳しく書かれているので、作品読解の参考になるに違いない。ロクサーヌについてだがやはりこちらも実在のモデルがおり、シラノの従妹と当時のパリ社交界で才女の一人としてロクサーヌの名で知られた女性を合わせたものと考えられているそうだ。

 因みに、本物のシラノもまた文才に恵まれた人であり、戯曲やSF小説めいたもの(『 日月両世界旅行記 岩波文庫(シラノ ド・ベルジュラック/Cyrano de Bergerac/赤木 昭三)』)も残しているらしい。ただ、ガスコン(ガスコーニュ地方出身者)というのは誤りで、パリ郊外のベルジュラック(ガスコーニュ地方のベルジュラックとは別の場所)という名の土地を父親が所有していたというだけらしい。まあ、だからといってシラノのキャラクタが脅かされることはないのだが。同性愛者であり、結婚しなかったのはもしかしたら鼻よりもそちらの方の問題だったのかも知れない。以下の画像はWikipediaにある、シラノの似顔絵。

200px-Cyrano_de_Bergerac.jpg

 本文はアレクサンドラン定型詩句という形式を取る韻文劇。散文が流行だった当時の劇壇では異例の作品だったらしい。最初は読み方に慣れるまで苦労するし訳註と首っ引きになるので大変だが、物語の面白さにその苦労も忘れるだろう。惜しむらくは、訳註の杜撰さ。番号の振り方がおかしくて、本文とずれていたり、ひどいと該当する註が無かったりする。もし増刷することがあれば、是非直していただきたい。

_ [買った本]買った本

 ブックファースト新宿店にて。

 オープン以来二度目。繁華街を歩くんじゃないので、やっぱり結構行きやすいかも。あと、たくさん買ったからか、1Fカフェのドリンク無料券を貰った。


2008年11月28日 (金) [長年日記]

_ [読書][読み始め]『 自転車の安全鉄則 (朝日新書)(疋田 智)

 今月はいくつか気になる新書が出てるので、やっと買ってこられて嬉しい。その中でもこの本は出ることが分かったときから気になっていたので、早速読み始めてみた。

 自転車は身近な存在で、子どもの頃から乗っているし、高校は自転車通学だった。ママチャリだけどそれなりにスピードは出せるので、男子学生のスポーツ車と並んで走ることもできた。結婚して坂の多い町に住むようになってからは全く活用する機会が無くなり手放したのだが、身近な人たちが自転車に乗ってあちこち出掛けているのを見ると、自分も真似したくなって今年の夏前にまた買ってみたところ。

 そうすると、見えてくるものがある。今までは適当にママチャリだったので当然のように歩道を走っていたのだけれど、実は自転車は車道を走るものだと知ったのはここ数年。今度買った自転車はクロスバイクでタイヤが細く、段差の衝撃でパンクしやすいこともあり、できる限り車道を走るようにしている。だけどホント、走りにくいのねー。うちの近くはどこに行くにもすごい坂を乗り越える必要があるのが一番のネックだけれど、走って気付くのは、車の路駐の多さ。車道の左端を走るようにしているけれど、この路駐で大きく回り込まなければいけなかったり、一旦止まらないといけなかったり。回り込むときは後ろから来る車を気にしながらだし、路駐の車のドアが急に開いたら、という恐怖もあったりする。逆に嬉しいのはバス専用レーン。基本的に車は走ってないので、気兼ねなく走ることができる。本当なら自転車もその右側の一般車レーンを走らなければならないのだろうけれど、どう考えても邪魔にされるに違いない。

 この本では、まずはヨーロッパ各国を含む自転車先進国の事情などが紹介されている。オランダやドイツの天国のような環境! 羨ましい。また、パリでは「ベリブ」という貸し自転車制度(→参照)が網羅されているようだが、ああ、こういうのも羨ましいなあ。ただ、著者はこの制度にもいささか問題が無いではない、という。まずは短距離移動を前提とした制度(30分以上は課金)で、「自転車で移動する」ことを目的としている訳ではないこと、そして自転車自体がこのためにデザインされたまるでママチャリのようなものである、ということ。短距離移動を前提にしているということは、車の代替物にはならないということ。どちらかというと電車(もしくはバス)と電車の間を補ったりするのに使われるのだろう。もし環境保護や資源保護などの観点から見るとすれば車を減らさなければならない訳で、そこにはあまり効果はない。また、ママチャリのような形だと車体が重く態勢も直立のため、スピードが出にくいという欠点も挙げられるだろう。車の代替物を意識するためには、同等というのは無理だとしてもそれに近いスピードが出ないと見劣りしてしまう。

 まあ、それでも自転車で走りやすい環境になっているだけましな方で、我が国ニッポンを見ると、そのお粗末さにため息しか出ない、という訳。モータリゼーションの時代華やかなりし70年代に道交法が改正され、自転車の安全のため歩道を走っていいことになったことに起因するという。車道はますます車のためのものになっており、一時的措置が30年以上も続いているので誰もそれを疑わない(わたしもそうだった)。しかも、歩道を自転車が走るというのは、歩行者にとって危険であるのは勿論、自転車にとっても危険だというのは初めて聞いた。歩道から道路を横切る際に車の運転手の視界に入らないため、出会い頭の事故が起こりやすいという。図で示されて納得。しかし、今の道路行政を考えると、自動車業界とぴったりくっついてるんだろうし、そういうところに不利になる制度(車道を狭め、自転車専用レーンを作るとか)なんて作りそうにないよなあ。自分がよぼよぼになって自転車なんか乗れなくなる頃には、少しでも改善されていることを望むよ。

 また、帯にもあるのだが、自転車が左側通行を守れば事故が大幅に減る、というのも、図解されると納得する。確かに、右側走行していることを想像するだけでも怖そうだ(だって車がみんな向かってくる訳だし)。しかももうひとつの図に書かれているように、路駐の車を大きく迂回しようとすれば、対向車に突っ込んでしまう確率も高くなる。うわ、これはぞっとしますよ。

 どうやったら車と自転車と歩行者が安全に通行できる環境を作ることができるか。民間人が口を酸っぱくして言ってても無理で、本当は行政側が身にしみないといけないところなのだけれど、こういうのって困っている人しか意識的にならないというのが本当に難しいところだ。この本を読むのだって、実際自転車(非ママチャリ)に乗ってる人ばかりなんだろうなあ。本来なら、それ以外の人に読んで欲しいところなのだろうけれど。それでも、こういう手軽に手に取れる本を出す意味はあると思うのだけれど。

 章は細かく区切られていて、もう少し突っ込んだ言及が必要なところには「後から詳述します」とコメントされているので論旨が分かり易い。普通、この手の本だとわたしは通勤の行き帰りで二日間くらいはかかるのだけれど、もう少し短くて済みそうだ。

_ [イベント]Book Japan 2008年の100冊 スペシャル・トークセッション「2008ベストブック10&新人賞もね。」@ジュンク堂書店新宿店喫茶コーナー

 書評WebサイトのBook Japanがそこで活躍する書評家を招いて今年のベスト10を決めようという企画。パネリストは杉江松恋、三浦天紗子、吉田伸子、藤田香織、末國善己で、司会は豊由美。少し遅れて到着したのだが、入ってから渡された紙を見てびっくり。外国文学も日本文学も一緒なのか! わたしも毎年一年間に読んだ本を総括してベスト10めいたものを出しているが、要はあれと同じである。わたしの場合はそれにエッセイやノンフィクションも入ってきてしまう可能性があるのだが(各レビュアーの方の挙げている本はジャンルレスで、これ全部で決めたとしたら大変なことになったなあ、と思う)。

 結果的に見ると、今回の企画は失敗だったと思う。各パネラーがそれぞれ今年のベスト5を挙げてきて応援演説を行い、最終的にベスト10を絞り込みランキングしていくのだが(という方法はミステリチャンネルの「闘うベストテン」と同じ)、何しろ、それぞれが挙げてくる作品がてんでんばらばら。各人、得意とするジャンルが違っているため、みんな違う方向を向いてるんだな。だから、それぞれの挙げる作品が納得がいかなかったりして、なかなかきれいに進まない。司会のトヨザキさんは国内文学と外国文学に分けるべきだったと感想を述べているのだが、わたしもそう思った。いやしかし、色々考えると、普通小説といわゆる純文学に近いものの間に凄まじい断絶があったようにわたしは感じる。むしろ、外文・国文よりも。うーん、でも、できることであればなにもかもごっちゃにしたランキングを見たいのですよ。ジャンル意識など取っ払ってしまって。

 やろうとしていることは面白いと思うのだけれど、残念ながら、そして失礼ながら今回のメンバーではやはりそこまで到達できる人がほとんどいなかったということではないかなあ、と思った。藤田香織さんの率直な物言いなどはそれはそれで楽しめるのだけれど、本当に欲しい言葉は多分、それではないよね。

 あと、新人賞というのも選んだのだったが、これもまた不完全燃焼。よく考えたらエンタメばかりで、純文系がひとりも入ってない。今年デビューして本が出た新人が選考基準だったと聞いたが、それをやってしまうとどうしても中篇を中心に書くためなかなか本にならない純文系の作家は選に漏れてしまうのだ。互角に、いやそれ以上に戦える作家は沢山いるのに。できれば、今年一作目が出た新人作家、とかにして欲しかったなあ。

 それでも何とかイベントとして成立したのは、トヨザキさんの仕切のお陰だと思う。適度に突っ込み、情調になりそうだったら切り上げ、こういう司会ってパネラーに遠慮していられないからそれなりの仕切能力と遠慮しなくていい立場じゃなければできない。今回観戦して「さすがだなあ」と唸ったのだった。会場にいた大森望さんも、この手の仕切りは得意だと思った。

 入場無料ということもあってかなかなかの客入りだったが、後ろの方にいたわたしの目の前の席がどんどん空いていき、すっきりした眺めになってしまったのにはびっくりした。入場無料が逆に徒になったかも知れない。

 来年以降このイベントがあるかどうか分からないのだが(わたしとしてはあって欲しいのだが)、もしやるとしたら、相当練り込んでいただきたいとエラソーに感想を述べる訳でございました。出演された皆様は、この年末進行で忙しい時期に、事前準備からなにから本当に大変だったと思います。ありがとうございました。

 当日のランキングは以下の通り。

  1. ザ・ロード』コーマック・マッカーシー
  2. 聖家族』古川日出男
  3. 幻影の書』ポール・オースター
  4. テンペスト』池上永一
  5. 『退出ゲーム』初野晴
  6. バートルビーと仲間たち』エンリーケ・ビラ=マタス
  7. 『サイゴン・タンゴ・カフェ』中山可穂
  8. カニバリストの告白』デヴィッド・マドセン
  9. 『タチコギ』三羽省吾
  10. 『モダンタイムス』伊坂幸太郎
  • 次点『声を聴かせて』朝比奈あすか
  • 新人賞『赤めだか』立川談春

2008年11月29日 (土) [長年日記]

_ [本の話][TV]「朝生」に出てきた意外な人名

 昨晩帰宅してから、PCいじりながら「朝生」をながら見していたら、突然西尾幹二の口からニコルソン・ベイカーの名前が出てきてびっくりした。同姓同名?とか、聞き間違い?とか色々考えたが、どうやら当人のことらしい。話していた前後の内容とか口に出してた本のタイトルもちゃんと聞いてなかったのであやふやだったが、mixiでそのことを書いたら、識者の方々のお陰で『 Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization(Nicholson Baker)』のことだと分かった。ベイカーが書いた戦争関係のノンフィクションらしい。ということは新作では無いのね……。いや、おかしいとは思ったのだけれど。

_ [イベント]『 おやじがき―絶滅危惧種中年男性図鑑(内澤 旬子)』刊行記念内澤旬子×平山夢明トークイベント@東京堂書店本店

 このところこぎれいなおやじが増えてきて絶滅寸前と思われる普通のおやじの姿や行動を活写したイラスト集を刊行した内澤旬子さん。「前作(『{{isbn_image '4759251332'}』)が売れたから、とちくるって」と謙遜されていたが、とても楽しめる一冊だと思う。最初はパートナーの南陀楼綾繁氏に「今日、こんなおじさんがいた」と報告するために描いていた切れっ端がたまっていき、南陀楼さんに「同人誌出さないか」と提案されたそうだ。最初はコミケ、その後は書肆アクセスに託してみたがこれが順調に売れていたという。それから随分間があって今回の出版の話になったのだが、本にするにはまだ数が足りず、2年前くらいからまた蒐集(?)し始めたらしい。その模様は一部「情熱大陸」に出演したときに使われ、お陰で一番通っていた西日暮里のルノアールに行けなくなってしまったのだとか(ああいうところって、その他大勢のひとりだからいいんだよね)。スケッチしてるところを撮ると、その男性が店を出たところを番組スタッフが追いかけ、番組に使用する許可を得る、といった感じだったそうだが、そのうちのひとりは「いつもパソコン使ってる女の子だよね」と、ちゃんと認識してくれていたのだとか。

 内澤さんのおやじ萌えポイント(耳毛がいいんですって!)などなどをうかがい、意外と国会図書館にいい物件が多いといった話があったが、実は半分以上はお相手の平山さんの爆笑トークだった。とにかく、危ない話がたくさん(笑)。特に内澤さんが「平山さんのお父さんのこと聞かせて欲しい」と言ったところ、出るわ出るわ仰天エピソードの数々。とてもここでは書けないので、いつかそういうことを綴ったエッセイがでることを楽しみに待っていてください。いやぁ、そのお父さんあっての平山さんなんだなあ、となぜか納得してしまった。

 トーク終了後はサイン会があり、その場で買った『おやじがき』に無事いただいた。内澤さんは、以前お見かけしたときはセミロングだったけれど、すっきりショートヘアにされていて、それもまたとても似合っておきれいでしたよ。

 その後界隈をうろついていたら、通りの居酒屋の入り口で携帯電話相手に何か話している平山さんを目撃したので、おそらくあの店で打ち上げだったのだろう。

_ [読書][読了]『 自転車の安全鉄則 (朝日新書)(疋田 智)

 いやぁ、これは刺激的な本だった。前半もすごかったけど、それを踏まえて昨今の間違いだらけの自転車行政の話や、テレビのニュース番組でキャスターが意見した恐ろしい見解などなど、本当にこの国で自転車を快適に乗れる日が来るのだろうかと心配になる話ばかり。もちろんちゃんと気を配ってる人たちはいるのだろうけれど、普段は自転車など乗らない人ばかりだから現実離れした施策になってしまったりする、という話を読むと、なんだかお先真っ暗な気がしてきた。最後の章は「トリアージ」を模した自転車に関わる現実的な施策提言があり、この本を読めば誰でも問題意識が共有できるものとなっている。こういう本は誰かが書かねばならず、そして最適な人によって書かれたものだと思うので、興味があれば是非読んでいただきたいと思う。

 自転車は歩道を走るものだと信じている方、走っている車がよく見えるように右側通行をするべきだと思っている方、まずは一章だけでも読みましょう。それから、先を読むかどうか、考えてみてください。

_ [読書][読了]『 おやじがき―絶滅危惧種中年男性図鑑(内澤 旬子)

 パラパラと眺めるように読んでいると、ときどき吹き出してしまうショットがあり、電車の中で読むには危険な一冊です。でも、内澤さんの描くおやじたちの絵には愛が満ちており、決してバカにして描かれたものでは無い、ということも分かることでしょう。ちんまり座っているおやじさまの、なんと可愛らしいことよ。逆に、ぎょっとしてしまう動作や形状のおやじさまも見事に活写しており、もしかしたらモデルを特定できる人もいるのではないかと思います。ハイ。

 「背広は日本の民族衣装」という言葉も納得。是非、数ページ見てみてくださいませ。「いるいるいる!」と大喜びするものも「うはー」と脱力してしまうものも、全ておやじなのでした。こんなおやじがいたっていいではないか。これからはつい、こういう人を捜してしまいそうな自分が怖い。

_ [買った本]買った本

 東京堂書店本店にて。

 3階に行ったらクリスマスツリーがあったのだが、オーナメントを見ると、ひとつひとつが豆本だった! すてきー。欲しかったけど、あれもこれもと目移りしてしまい、結局何も買わないでしまった。

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 造本として図抜けていたのはやはり赤井都さんだった。「纏めて買うと1200円かあ」と思っていた三冊の豆本、実はその前にある「1」を見逃していたようで、発見したときはびっくり。何でもこれはばら売りされているものをひとつにしただけではなく特装版なのだそうで、このために豆本に合う活字を作り、活版印刷を行ったのだという。ううう、欲しいけど、まだハードルを越えることができない状態。各作品の見本があるので、手にとって見ることもできます。

 三省堂書店神保町本店にて。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ たなか [> 走っている車がよく見えるように右側通行をするべきだと思っている方 そんな人がいてはるのか! びっくりですよ。]

_ にじむ [そうなんですよー。影響力のある人は、もうすこし事実関係を確認してから喋って欲しいですよねえ。]


2008年11月30日 (日) [長年日記]

_ [イベント]大竹昭子のカフェ・カタリココ@だあしゑんか(四谷三丁目)

お店の外観  消防署(消防博物館も!)の裏手、外苑東通り沿いにある小さなチェコ料理を出すカフェでのイベント。今回は、カレル・チャペックの『 お医者さんのながいながい話 (チャペック童話絵本シリーズ)(カレル チャペック/関 美穂子/Karel Capek/関沢 明子)』の刊行を記念しての朗読会なのです。

 イベントは15時からなのだけれど、お店は14時から開いていて食べ物を食べることもできるということなので、折角なので開店してすぐにお邪魔してみた。寒くなってきたし、ここはやはりグラーシュセット(1,500円)で。グラーシュとは牛肉を煮込んだちょっとスパイシーなシチューという印象だが、Wikipediaj:グヤーシュを見ると、大ハンガリー圏でメジャーなものらしい。日本の味噌汁と一緒、と書いてある(笑)。添えられた円いパンをどうやって食べようとしばし悩んだが、色々考えた結果、少しスープに浸ってもいるし、ということでスプーンで少しずつ切り取りながら口に運んだ。付け合わせのポテトサラダは、サイコロ状に切ったジャガイモや人参やカリフラワー(多分)などにタルタルソース風味のソースを絡めてある。それに、コーヒーor紅茶。

店内(ぶれててごめん)  お店は、青を基調にすっきりとした印象。狭いが、ゆったりできる感じがする。テーブル席の二面は本棚となっており、チェコにまつわる本を読むことができる。カウンター席にはこの店が掲載された雑誌などが読めるようにディスプレイされている。カウンターと厨房を隔てる台の上にはおびただしいお酒の瓶が。薬草を使ったUNICUMやUnderbergも置かれていた(笑)。

 小一時間経つと、大竹さんがやってきて、窓際に置かれた椅子に座って準備を始める。淡い水色のカーディガンが上品で素敵。窓はブラインドで覆ってあったのだが、どうせだからパーッと開けて開放感を出そう、という提案で二面の窓が開放される。行き交う人を眺めてると面白い。自転車ユーザが多いなあ。

カウンターの人形たち  ちょうど良い頃合いで始まったカタリココは、今まで訳された同じ作品の訳書紹介、チャペックの生涯などが簡単に説明された。また、今回の絵本で絵を担当された関美穂子さんの原画も展示されており、朗読をしながら「この登場人物がこれなんだね」などと確認しながら会は進んだのでした。最初はそうとは知らずこの絵を眺めていたわたしは、「手ぬぐいの図案に似合いそうだな」とか「ランチョンマットはどうか」とか考えてましたよ。まあ、ちょうどそういう大きさだということもあるのだけれど。絵の手法はステンシルで、和風とも洋風ともつかず独特の雰囲気を持っています。色彩もきれい。これとカレル・チャペックの作品が融合するだなんて面白いなあ、と思ったことでした。実際に、現地で出版された兄のヨゼフ・チャペックの手による挿絵と見比べたりしたのだけれど、全然別物(笑)。でもどちらもいい。

 日本で初めて紹介されたのは岩波少年文庫の『 長い長いお医者さんの話 (岩波少年文庫 (002))(カレル・チャペック/ヨセフ・チャペック/Karel Capek/中野 好夫)』だということ。だけれどおそらくこれは英語からの重訳で、それが証拠に地名や人名が英語圏のものっぽく変わってしまっているのが残念とおっしゃっていた。ただし、他の表現などはちょっとした工夫を凝らしていることも多く、このときは河童の「水のベッドと寝間着」の話を例に出していらしたが、確かにチャーミングなところがある。一番原文に忠実だろうのが、田才益夫が訳した『 カレル・チャペック短編集(カレル チャペック/Karel Capek/田才 益夫)』。この方は演劇からチャペックに興味を持ったらしい。

 朗読は、魔法使いの喉に詰まった種を取り除いて貰おうとやってきたところで三人のお医者さんからそれぞれが今までに診た変わった患者さんの話のところで、それぞれどの辺りがチャペックらしいか、といった解説もあったものだった。基本的に相手は患者なので、会話の内患者のものはとても力ない様子の朗読。ゆったりと構えたお医者さんとは好対照で、めりはりがついて面白かった。

 最後に、いつも自分の作品から読まれるようで、今回は『 きみのいる生活(大竹 昭子)』から、白金のあかひげ先生(ただし獣医)の話を。こちらのお医者さんも実にゆったりした雰囲気でした。

 今回はいつもよりも早いペースで定員になったらしく、参加した人たちに「なにがきっかけで?」と聞いていらした。結構、本を読んで、という真面目な読者さんが多い。他に、朗読会をウェブサーフィンで検索してたらたまたま行き当たった人とか、関さんのblogで知った人などなど。

 人が動き出すといっぺんに店内が狭くなるので、もう書店には並んでないだろう随筆集を購入してサインをいただき、退散。

 西日が沈む新宿方面の空の色と行き交う車のランプと闇が、印象的でした。

_ []四谷消防署のからくり時計

四谷消防署のからくり時計  地下鉄の駅から出てきた時間がちょうど14時くらいだったこともあり、偶然からくり時計が動いているところを見ることができた。かわいい消防署員のかっこうをした人形がマーチしているところ。やってないときの様子を見ると、人形がいるところから上下に割れて開く感じなのかな。

_ [買った本]買った本

 カタリココで直接著者の大竹さんから。