Twitterで呼びかけがあって、こんな集まりに参加してきた。タイトルは単なる口実だと思っていたのだが、ちゃんと電気ごてやその他グッズを持参する方がおり、本気だったのか!と驚いた。銀座6丁目にあるパセラでご飯を食べながらおしゃべり。が、なんだかんだ話していて、しかもテーブルの上の食べ物が片付かない状態で残り30分に! 慌ててこてを温めはじめ、終了時間も30分延長した。
予約時にコンセントを使うことを伝えてあったのだが、部屋のどこにもそれらしきものが見当たらない。お店の人に来てもらうと、テレビが置かれている棚を移動させてやっと出てくる有様で、こんなんじゃ普通、使えないでしょ(使えないようにしてあるのだろうが)。このままじゃ困るので、延長コードを持ってきてもらった。
部屋は、黒を基調にした落ち着いた内装。どうやらリゾート地を模しているそうだが、バリはこんなイメージじゃないと思うなあ(笑)。
メンバーは、講師:内田麻理香さん、生徒:shinoさん、yucoさん、わたしという構成。内田さんはテレビにも出演していることもあってこの手の情報に詳しいらしく(メイクさんに教えてもらったりもするらしい)、この日の電気ごても口コミだということ。わたしは子供のころ、原始的な電気ごてが家にあってピアノの発表会などのときに母親に巻いてもらった経験があるんで、なんとなくは使い方はわかるつもりで入る。それでも人が巻かれて華やかになっていくのは見ていてとても面白くて、随分と見入ってしまった。この日は持ってこなかったので結構すぐに解けてしまったが、スプレーやワックスなどでスタイリングをキープするともっと長い時間保持できるし、ウェーブもきれいに出るだろうなあ。
わたしは髪の毛も短いし、ウェーブも入っているのでまさか内田センセイの手にかかるとは思わなかったのだが、「にじむさんを外巻きにしたい!」と技を伝授された。おかげで内田さんを除くそれぞれがゆるふわになっていて、肝心の講師の内田さんだけがストレートという状態に。本来ならばここでわれわれ生徒が先生の髪を巻いてご恩返しをするところだろうが、この後も用事がある彼女の髪を残念な状態にしてしまったら申し訳ないと思い(いや、単にそんな時間が無いだけだったけど)、泣く泣くお別れをした。
その後残った生徒たちでコリドー街の喫茶店で一休み。ネットサービスについてとか、そんな話をしているわしら。その後、マイミクのOさんが勤めるギャラリーに赴き、展示作品を見せていただいた。マイミクでありながら実はOさんには初めてお会いした。想像というのは常に現実を裏切るものだが、裏切られることが嬉しいこともままある。まあ、要はそういうことだ。この後川崎で映画を観るというOさんとshinoさんについていくことにした。
チネチッタ川崎で鑑賞。
人づきあいが苦手で自分にアタックしてくる同僚からも逃げ続けている男が、ある日「ぼくの恋人なんだ」と紹介したその人がリアル・ドールだったら……そんな不条理なシチュエーションを、ラースの家族や町の人々はどのように受け止め、ラースはその中でどうなっていったかを描く作品だ。
アメリカの田舎町に住み会社勤めをするラースは、夕食に招待しようとする義姉の誘いにさえ頑なに拒否して逃げ惑う、しかしもう立派な年齢の男性だ。すでに両親を亡くした彼は、母屋を結婚して帰ってきた兄夫婦に明け渡し、自分は傍らのガレージを一人暮らしコテージに改装してそこで暮らしている。会社の同僚マーゴはラースが好きで盛んにアプローチをかけているのだが、ラースはといえばどんなチャンスもことごとく握りつぶし逃げ去るのみだ。その様はそれぞれ非常に滑稽で、爆発的な笑いを導き出す。
リアルドールというのはいわゆるセックス・ドールで、日本でも精巧な商品を作るので有名なメーカーがあると思う。このリアルドール社は実在するのだそうで、実際にいろんなタイプのドールを供給している。同僚からこのサイトの存在を教えられたラースは、なんと実際に注文してしまうのだ。ただし、目的はそこではない。実際に、リアルドールのビアンカを、自分の恋人として大切に扱い、客人として迎え入れる。結婚前の男女だから、もちろん節度を守って兄の家の客間に泊まらせてもらう。あのラースに彼女が!と大喜びした兄夫婦だったが、紹介されたビアンカを見て唖然とする。しかし、ここで弟を傷つけてはいけないと必死に感情を抑えて温かく迎え、長旅で体調を崩しているかも、と口実を作って、ビアンカをかかりつけの先生に診てもらうことにする。医師はビアンカを診ることを通してラース自身の心の内を探ろうと試みる。そこで、ラースが抱えてきた傷について知ることになる。
ラースは、ビアンカを相手に人間に接する予行演習をしていたということだろう。傷ついた心を持つラースは、ビアンカというクッションを置かないと一人の大人の人間として世間に足を踏み出すことができなかったのだ。彼は、兄に「いつ大人になったと感じた?」と聞く場面があるが、ラースはおそらく心の面では子どものままで、そうすることで自分を守ってきていたのだろう。
もっと、この心を溶かし、恢復していく過程を描いていくのかな、と思っていたが、それよりもラースとビアンカを理解し、優しく受け入れようとする兄夫婦や町の人々を描く方に重きを置いたんだなあ、と思った。ちなみに、この問題に対面するにあたって兄夫婦は町のお年寄りたちに協力を求めているが、この町のコミュニティは教会のそれとかなりの部分が重なっており、キリスト教がポピュラーな宗教であり町のコミュニティとなる国ならではのお話だなあ、と思ったことであったよ。周囲の人々の「優しさ」も、宗教的な考えも影響しているんだろうなあと感じられることでもあったし。
この映画は「泣ける」ようで、実際、館内でもハンカチで目を抑えている人が多かった。それぞれがそれぞれの泣きどころがあったのだと思うのだが、残念ながらわたしは全く泣けなかったしこみあげるものもなかった。最大の泣き場はあの場面だと思うのだが、それを見てふと「茶番」という言葉がにょっきり頭の中に飛び出してきてしまったのだ。いや、もちろんラースは茶番を本気でやっていて、これを経ないと人生の次のステージに行けないわけで、彼自身が「これではいけない」と感じたからこその行動だったのだと思う。それは全く正しく、そしてこんな方法を取らざるを得なかったラースには本当に同情を覚えるのだが、じゃあ、ビアンカの立場はどうなるの?と。ああでも、こういう「茶番」で締めくくることで心も物体も始末で来たのだから、それでいいのかなあ、やっぱり。いや、わたしもどうやって終わらせるのだろう、とそれが心配だったので。と、こんなことをぐるぐる考えていたら、全然泣けなかったのだ。くだらないドラマでも泣くわたしがだ。
わたしが一番好きな場面は、同僚のマーゴがほかの同僚と席にそれぞれが飾っている人形について諍いを起こし、傷ついた彼女をラースが独特のやり方で慰める場面。フィギュア大好きなその同僚は、宝物を隠された仕返しにマーゴのテディベアを縛り首にしてしまうのだ。白いUSBケーブル(確か)をロープに見立てそんな仕打ちを受けたマーゴは泣きながら休憩室にやってくるのだが、そこにラースが居合わせる。ラースは、優しくケーブルを解き、テディベアに人工呼吸を施すのだ。小さなぬいぐるみの胸を指で押し、口を近づけて息を吹き込むしぐさをする。こんなちょっと子どもじみているが細やかな思いやりって、マッチョな男性にはまず思いつけないと思うのだ。でもって、マーゴがラースを好きになったのも、たぶんこういった繊細さや優しさを持っているからなのだろうなあ、と感じることができるとてもいい場面だった。
義姉が、孤独なラースを思う気持ちは温かく、夫である兄も最初はマッチョで弟を見くびるいやな奴だと思っていたが、本気でラースの茶番につきあい弟の行く末を見守るようになっていくのを見るとなんだかいい人に見えてきたよ。
パンフレットを見ると、ラースとビアンカの件がきっかけで、ばらばらになっていたコミュニティもひとつに纏まっていく、なんて書かれていたけど、そういうところはいまひとつ感じられなかったかなあ。あと、ビアンカ、日本ツアーしたんだ(笑)。そんな、ちょっとしたお遊びがあった。
地味だけど、ことあるごとにふと断片断片を思いだしそうな映画だなあ、と思った。
twitterのやりとりがきっかけで、shinoさん、にじむさん、内田麻理香さんと私で髪にカールアイロンを巻き巻きする会にいってきました。
場所は、最初考えていた銀座ルノアールの個...
以前、某氏に言われたことがありましが、「この人は言ったことを本気でやるから」って。いや、本気でネタを実行しちゃいます。『ラースと、その彼女』はもう何回か繰り返してみたいな、と、思えた映画でした。おつきあいくださりありがとうございました!
shinoさん、どうもお疲れさまでした。「やりたいねえ」と言ってそのまま言うだけ大将はあまり好きじゃないので、どんどんやるといいと思います。