まあ、わたし的に、ですが。対談のことは、先日の「よんとも!」の後帰りの電車で榎本さんご自身に聞いて初めて知った。会場の、本が並んでいるところにも置いてあったそうだけれど、他の本はほぼ全部持っているわたしは新刊の『思ってたよりフツーですね』を手にとってすぐに離れてしまったから気付かなかったんだなあ。
巻頭インタビューは藤田宜永で、実はわたしは全く興味が無いのでここはスルー。お目当てはこの後ろにある鼎談記事「思ってたよりフツーじゃない鼎談 榎本俊二×阿部和重×相川博昭」。榎本さんが本誌で連載中の「思ってたよりフツーですね」の今までの分が単行本に纏められた(『
思ってたよりフツーですね (1)(榎本 俊二)』)のを契機に集まったこの三名、実は日本映画学校の同窓生だった、という訳。作品中にも時折登場する面々なのだが、やっぱり自分目線よりそれぞれの証言が滅法面白いのだな。そこには、自意識過剰でイタい青年期を過ごし、倍の年齢になった男たちがいる訳なんだけど、何故かこの人たち齢を重ねた感じがしないのがこれまたおかしい。
写真家の相川さんと榎本さんが高校時代同級生だったというのはこの漫画で初めて知ったのだけれど、高校生からこんなだったんだ!と、笑ってしまった。本当に独特の風貌の方で、遠くから見ても絶対彼だと分かると確信しております。
阿部和重がこの学校出身というのは知っていたけど、『シンセミア』刊行記念でABC本店で対談したときに相川さんもいらしてて、この二人が同じ学校を出てるという話を聞いた。そのときのゲストの常磐響さんと阿部さんを会わせたのも彼だという話をしていたのだった。とにかく人と仲良くなるのがうまい人で、いつの間にか人のうちに寝泊まりしてたりするとそのときも言っていた(笑)。
榎本さんと阿部さんが同窓生と知ったのは、『
えの素トリビュート えの素トリビュート&他薦傑作集 (KCデラックス)(榎本 俊二/ゆかいな人びと)』に阿部さんが参加していたことから。中の文章か何かに書いてあったんだったかな? 学年がひとつ違いというのは榎本さんの漫画で初めて知ったけれど、二人を繋ぐのが相川さんだとは知らなかった。至極納得だが。
そんな訳で、やっぱり(一方的にではあるけど)知ってる人たちがこうやって話してて、しかもその内容がおかしかったりすると、楽しみが倍増されるなあ、と感激した。これを読んでからまた彼らの絡みのある回を読むという楽しみもあり、それを繰り返すと無限大の面白さになるのであるよ。この回の榎本さんの連載はこの対談の話を書いたものでもあるし、これだけでご飯三杯くらい食えます。ええ!
ウェブを逍遙していたら、漫画などに出てくる料理を実際に作ってみているblogがあった。他にもあるのかも知れないけれど、ここで採り上げられている作品はわたし自身も読んでいるものも多く、「おお、あの食べ物を作ってみたのか!」とつい感慨にふけってしまう。
食いしん坊なので同じ食いしん坊が描いた漫画が大好きなのだが、フットワークが軽い人はこうやってちゃちゃっと実際に作ってみてしまうのねー。いやあ、見習わなければ、と思ってしまった。たまに思い立つときもあるけど、ホントにたまになんだよねー。
『深夜食堂』のタコさんウインナーや、『天食』所収「食い改め候」のインスタント冷やし中華などがあるかと思えば、よしながふみ作品に出てくるおいしそうなお料理もあり、なんとゲームに出てくる食べ物まで作ってたりする。
ブックファースト渋谷文化村通り店にて。
そのほか、渋谷TSUTAYAにはしごして、『えの素トリビュート』を再度買ってしまった。今自宅のどこにあるかいまひとつ分からず、でも読みたかったから! 早速帰りの電車の中で読んでいたのだけれど、いやあ、分かっていたことだとはいえ、この本は人のいるところで読むものじゃないなあ、と(笑)。横から盗み見た人は、ぎょっとしたことでしょう。というか、わたし自身の品性もたぶん疑われてます。まあ、いいけどな!
しかし、『えの素トリビュート』がまだ初刷だなんて、なんか世の中間違ってるよ!
『エレガンス中毒』は、出たときに買いそびれていたので。いろんなかっこいい女性たちとの対談集。なにげにミカジョンがいたりもする。版型とデザインがちょっと変わってるんだよねー。そして野宮真貴が1960年生まれと今更知って、ちょっと驚いた。かっこいい人は、年齢さえも超えるね。
先ほど河出書房新社から『
まぼろしの王都(エミーリ・ロサーレス/木村 裕美)』が刊行されたエミーリ・ロサーレス氏が来日しており、スペイン大使館でトークがあるというので、物見遊山で伺ってきました。アークヒルズの裏手であるこの辺りは昔の通勤路で勝手知ったる他人の庭状態だったはずが、泉ガーデンなどもできてだいぶ様変わりしてしまったことに今更ながら気づいて茫然。余裕を持って行ったはずが道に迷ってかなりぎりぎりの到着になってしまった。
スペイン大使館の中に入るのはこれが初めて。既に正門は閉まっている時間で、一体どうやって中に入れば?と不安になったのだが、横にあった守衛室からそのまま会場に行けるようになっている模様。終映さんに挨拶したら「そのまま行きなさい」といったジェスチャーをされて先に進むと、受付が確かにあったのでした。申し込んだ名前をファーストネームから言って(わたしのは、登録した筈がなぜかリストには無くてがっかりだったけど)、その後茶封筒を受け取ったのだけれど、なんとそこにはロサーレス氏のサインが入った『まぼろしの王都』が! ええー、既に買ってしまったんですが……。後で聞いたところによると、このイベントを主催する基金から出資されているそうで、いやあ、太っ腹でびっくりしました。そして建物はできてからさほど経っていないようで、白を基調にしたすっきりした出で立ちが実に素敵。夜なので分からないのだけれど、昼間だと各所にあしらわれた窓ガラスから自然光が取り入れられているのだろうな、と感じさせる作りでした。長いスロープを下りて地下1Fのオーディトリアムへ。中はそれほど広いわけでは無いものの、ゆったりとした椅子の配置や、後ろの方も見やすいように一列ごとに軽く段差の付いた床もなかなかの配慮。入り口のところで同時通訳が聴けるレシーバーも貸していただけた。
イントロダクションによると、スペインは歴史小説が今熱いらしく、ロサーレス氏はそういう波にも乗っているのだそう。最初は母語であるカタロニア語で書かれた、というのは初めて知りました。スペインはスペイン語しか無いと思ってたんだろうな。ロサーレス氏は自ら編集者でもあるので、もちろんスペイン語も堪能なのだけれど、一番親しんでいる語で書きたかったのだそうだ。カタロニア語からスペイン語への翻訳は、優秀な翻訳者のお陰で実にスムースに行ったのだとか。
……ということで、メモが手元にないので、続きは後ほど。済みません!
カップルの双方とも知人である方たちが結婚されたということで、そのお祝いの二次会に行ってきました。場所は銀座パセラ。半年ほど前にゆるふわカール講習会をやったところです。新婦は、いつもの雰囲気とはがらりと変わったイメージの和装で、最初二つの像が結びつかないほどでした。一旦結びつくと全く違和感無いのだけれど。
当日は強制カラオケがあるという話だったので、どんな形か分からないけど、まあ分からない歌を歌わされることは無いだろう、とちょっぴり高をくくっていたのだけれど、参加者全員くじ引きさせられて、わたしが割り当てられたのがモーニング娘。。えええー、通して歌えるのって、たぶん無いんじゃないかな。同じチームになった人と不安に思っていたところ、後から同じチームと知った方がばっちり歌える、とのことで、もうおんぶにだっこ状態でなんとかやり過ごしました。案の定、サビしか知らなかった……。曲は、やっぱり結婚に因んでということで「ハッピー・サマー・ウェディング」。多少知ってれば歌詞をもじったりする余裕が出たんだけどねえ……。即興のチームでありながらも結構きれいにこなしちゃう人たちがいたり、ぐだぐだで笑いに走る(意図してたかどうかは不明……)グループがいたりとなかなか面白かった。その人の曲は知らないから、と、歌う前にちょっと物まねっぽいことをしてエレカシをシャウトする人もいた!
紅白歌合戦ということで新郎新婦に採点していただいたり(紅組優勝!)もしたし、中ほどには幸せなお二人を見せつけるハーフショー(?)があったりもしたので本来の目的はなんとか忘れずに済んだよ。解散が12時というスリリングな会だったのだけれど、知らないうちにわたしは終電を逃してしまい、近くのバーで色々飲んで始発を待ったのでした。たまたま、渋谷のバーのマスターがいたので思わぬ再会を喜んだり、肩を揉んでもらったり。あれ、もしかしてお酒飲みながら肩を揉んだら血行が良くなって酔いが早まったりしないのかな……?
結婚パーティって、周囲の人たちもハッピーな気分になれるからいいよなあ、と久々に出席して、感じたのでした。Iさん、Aさん、ずっと仲良くね! おめでとうございます。
yucoさんがおうちの事情でしばらくアメリカに行かれるということで、しばしの別れを惜むために壮行会を開きました。集まったのはご本人を含めた6人で、とても小ぢんまりとした催しとなったけれど、だったらいつもとは違った集まりにしたいなあ、と、どのお店にしようと悩みに悩んでいたところ、ふと「あそこがいいじゃない」と前々日の寝しなに思いついたのが、池袋の中国茶館でした。
よしながふみの『愛がなくても喰ってゆけます。』に出てくる名店で、とにかく安くてうまい、と評判のお店。女子が多いのに食べ放題はどうだろう、とは思ったんだけど、食べっぷりのいい人が何人かいたので、思う存分楽しむことができました。乾杯はビールだったのだけれど、途中からogijunさんが頼んだジャスミンティをシェアして。
集まったメンバーは比較的長い付き合いの人たちで、気心も知れているし共通の知人が多く、幅広く話題も共有できるので、いろんなことを話しながら飲んで、かつ喰ったのでした。あんなに食べたの久しぶりかも。意想外にヒットだったのは、レバニラ炒め。八角の風味が印象的で、食が進むのですよ。冷えてもおいしかった。他の食べ物もおおむねおいしくて、麻婆豆腐やエビチリが思ったよりも辛いのにはびっくりしたけど、それでさえも「おいしい」のくくりに入るので、みんな笑顔だったよなあ。お店の人たちもぶっきらぼうだったり、オーダーがちゃんと通って無かったりもするんだけれど、そのくらいがちょうどいい、感じでもあったし。参加者のみんなにも喜んでもらえて、幹事冥利に尽きました。あ、あと、最後に食べたウーロンゼリーが絶品。食べ疲れた胃にも優しく、口内がさわやかになること間違いなし。ほのかな渋みとほのかな甘みが絶妙のバランスでした。
その後、少し商店街を歩いて店を探すもピンと来ず、本格的な珈琲店はうるさくしちゃまずかろう、と遠慮し、最終的に来る時に通った駅前の珈琲伯爵に落ち着いた。これがやけに「ちょうどいい」お店で、ゆっくり話ができてよかったなあ。壁の鏡に姿が映るのが、ちょっとガマの油を思い出させるので逆向きに座ればよかった、とは思ったのだけれど。
しばらく会えなくなるけど、これだけインターネットで繋がってると、海の向こうであろうがすぐ近くであろうがあまりその距離感に実感が沸かなかったりもする。なので、活動時間帯がずれるくらいであんまり変わらないかもねー、なんていう話をしていたのだった。ogijun氏は「たんぶらは止めないよね?」と、ぬこ画像の入手元の心配をしていたけどね(笑)。
アメリカでは、yucoさんにしかできないような体験をいくつもできるといいですね。楽しい日常レポートも期待してます!
ブックファースト渋谷文化村店にて。
文学界 2009年 10月号 [雑誌]」
群像 2009年 10月号 [雑誌]」
新潮 2009年 10月号 [雑誌]」昨晩書店に寄ったら、新潮クレスト・ブックスの特集平台ができていた。中ほどにパンフレットがあり、そのタイトルは「新潮クレスト・ブックス創刊11周年」。ああ、確かに去年10周年としてたものなあ。
お馴染みの対談は、今回は沼野充義さん(東欧・ロシア文学)、堀江敏幸(フランス文学)、松永美穂(ドイツ文学)の三人によるもの。いずれもヨーロッパの文学を専門にする方たちで、その立場から縦横無尽に語っている。お題は、先月上巻が出たばかりの『通訳ダニエル・シュタイン』(下巻は今月末刊行)がメイン。この著者のリュドミラ・ウリツカヤはクレスト・ブックス初のロシア語作品(『ソーネチカ』)となった著者で、当時一度、来日してABCでトークイベントも行っている(お相手は、翻訳をされた沼野恭子さんと、書評家の豊崎由美さん)。この作品も意想外に良かったのだが、今回の作品はまたガラッと趣が変わったものであるらしく、こちらも期待が持てる。
そのほか、数々のロシア近辺の作品を手がけてこられた沼野恭子さんによるエッセイ、シリーズの中から映画化された作品について、そして2009年の新潮クレスト・ブックスベストセレクション。自分で控えている刊行リスト(新潮クレスト・ブックス)と較べてみると、どれがリスト化されてどれが落とされているか分かるが、落とされた中にも映画化され、ヒットした作品も見られる。現在新刊として生きている作品が条件になっているんだろうな、と感じてみたりはしているが。巻末には、このシリーズが一般化させたフランス装のブックデザインについてのページや、近刊予告のページも。
近刊予告(今冬予定、とのこと)には、先頃「
FRaU (フラウ) 2009年 04月号 [雑誌]」に短編小説が掲載されたり、山崎まどかさんによるインタビューが出たミランダ・ジュライ(
No One Belongs Here More Than You: Stories(Miranda July))が出ていて(see 当時の記事)、勿論翻訳は岸本佐知子さん。彼女の作品については、岸本さんによる「新潮」の不定期連載でも紹介されています(see 「マジェスティ」の感想)。訳者によるコメントも添えられています。
もう一冊は、ジュノ・ディアスという作家なのだけれど、なんとドミニカ出身の人なのだそう。初めて聞く名前だけれど、ピューリッツァー賞を受賞した作品(
The Brief Wondrous Life of Oscar Wao(Junot Díaz))なのだそうだ。訳者の一人である都甲さんによる紹介文に興味を引かれたので引用する。
オタク文化と中南米マジック・リアリズムが激突した。二〇〇八年、全米最高の賞であるピューリッツァー賞を獲得した『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』で、ドミニカ出身のジュノ・ディアスは誰も観たことの無い世界を描き出す。モテない巨漢オスカーが恋に恋して突入したのはなんと、独裁者トルヒーヨの生み出したSF的な暗黒世界だった。
オタク! 非モテ! SF的! マジック・リアリズム! 都甲さんといえば先頃『偽アメリカ文学の誕生』を著しているが、学内での大量殺戮事件を描きブッカー賞を受賞した『ヴァーノン・ゴッド・リトル』も翻訳されている。この作品は、都甲幸治さんと久保尚美さんの共訳だそうだ。久々にクレスト・ブックスから変なのが出そうで、今から楽しみだ。
リーフレットは、書店に置かれているとは思うので、欲しい人は早めに貰った方がいいと思いますよ。
そうそう、これで知ったが、イーユン・リーの『千年の祈り』の表題作が映画化され、日本では11月に公開予定なのだそうだ(see 「千年の祈り」)。公開は、恵比寿ガーデンシネマなど。それと、ノーチェックだったが、アリス・マンロー『イラクサ』の中の一篇「クマが山を越えてきた」が映画化されていたらしい。2006年の作品で、既にDVD化もされている(see 「
アウェイ・フロム・ハー 君を想う <デラックス版> [DVD]」)。
ブックファースト渋谷文化村通り店にて。
大森さんのあの膨大な日記がよもや書籍化されるとは……。最初読み始めたときは大森さんのことはよく知らなくて、浦安に長いこと住んでいたので懐かしくて、というのがきっかけではなかったかな。内容的には西葛西成分はかなり薄めだけれど(笑)。内容は、20世紀の分だそうで、これで売り上げが良ければ第二弾ができるだろう、とのこと。
古典新訳文庫は一応買うつもりではいたのだけれど、『歎異抄』は悩んでしまった。まあでも、この際読んでおくのも悪くないと手に取ったのだが、やっぱりこの手のってどうも受験勉強を思い出してしまってなあ。コンラッドの『闇の奥』は、訳者の黒川さんによる解説がある方面に実に素晴らしいのだそうで、そちらも楽しみだ。
古屋兎丸の作品は、少年漫画誌の連載だったからか、完全にノーマークであった。2巻が出る頃になって気がつくとは! 帰ってから一話だけ読んだけど、少々安直ではあるものの、面白い設定とストーリーだね。ポケットに入る女の子というと『南くんの恋人』のちよみを思い出してしまうなあ。あれも一種の死であったよなあ。
感情教育 上 (河出文庫)(ギュスターヴ・フローベール/山田 ジャク)』今週から、ではあるけれど、月曜の往路は「AERA」だし、夜は久しぶりにゲットした「ちくま」を読んでしまったので、実質的には昨日から読み始めている。本作は、岩波文庫を以前に読みかけたが、飽きて他のものに目移りしてしまって頓挫してしまったことがある。
19世紀半ばのフランス。18歳の主人公フレデリックが、大学に進学する前の休暇を利用して田舎に帰る船の中である人妻に一目惚れするところから物語は始まる。フローベールというと、故郷のルーアン辺りを舞台にしている印象があるが、これはメインはパリということで華やかだ。今はただ一目惚れした人妻に少しでも目を掛けて貰えるよう躍起になっているところだが、他にも彼と絡む女性が複数出てくるようだ。彼自身は、その昔は貴族の家柄であった母を持っているが、父は既に亡くなっており、財産もそれほど多いというわけではないが、母の振る舞いのお陰で地元では名士として一目置かれる存在。でも、その息子である主人公は、成績はいいものの、何となく楽に生きてきてしまったお坊ちゃん、という雰囲気が漂い、折角進学した大学も、恋煩いが祟ってあんまり行ってなかったりするらしい。まあ、分からなくはないけど、まずは落ち着け、と言いたくなってしまう。地元には苦学生の親友がいるが、パリにはちょっと浮かれた感じの友達ばかり。そんな中、街は二月革命に湧き、物騒な騒ぎも起きている。
まあ、そんな中でも学生たちは愛人を作ったり、貴族の奥方の愛人になったりしてうつつを抜かしているわけで、そういった二つの世界の交わるところも、あったりするのだろうかね。フローベール自身の自伝的な作品とも言われているらしい。
ちなみに、この作品を翻訳した山田ジャクは、森茉莉の最初の結婚でもうけた長男。
以前トークイベントでだったか、岸本佐知子さんが今までにした仕事のリストにあったこれの話になったときに、「苦労して仕上げたものほど命が短い」とおっしゃってたように覚えてます。河出の、近刊情報をRSSで購読しているのですが、先日更新があったものをつらつら見ていたらこのタイトルが目に入り、著者も同じなので「おお、再刊行か」と感激していたのでした。一昨日辺り、Twitterでつぶやいてみたり。
その後確認したところ、新訳とかではなく岸本さんの訳のままだそうで、やっと気軽に読むことができると喜んでます。ちなみにこの作品は村上春樹も大好きなのだそうで、結構、読みたいけど敷居が高い(古本を探すか図書館で借りるかをする必要があるので)という感じだったのでは、と思います。それがこのたび、10年以上経って刊行されるとは、まことに喜ばしい限り。
最近は、過去に出版されたけれどいつの間にか消えてしまい、古書価は強気というものが文庫などの形で再刊されることもよくあり、そういうことを手がけてくれる出版社の方を、とても頼もしく思います。新しい小説も読みたいけど、人の口にのぼる名作、怪作だって読みたいのでです。
そういう意味では、今は新潮クレスト・ブックスで死に筋になってしまった作品が気になりますね。キラン・デサイがブッカー賞を取っても『グァバ園は大騒ぎ』は再版されないし、映画化された『スコットランドの黒い王様』もしかり。バリー・ハナの『地獄のコウモリ軍団』も、読んで衝撃を受けた『穴掘り公爵』も、『ネヴァーランドの女王』も新刊では手に入らないんだよねえ。まあ、わたし自身も買っただけで読めてない本が多いので、機会を見つけて既読率を上げたいんですけどね。あ、そういえば『拳闘士の休息』も、新潮社でしたね(笑)。
既刊(版元品切れ):
拳闘士の休息(トム ジョーンズ/Thom Jones/岸本 佐知子)
ブックファースト渋谷文化村通り店にて。
『私の中のあなた』は、親本は『わたしのなかのあなた』。おそらく、映画化( http://watashino.gyao.jp/ )に伴い邦題に合わせる形にしたのだろうけれど、読みが同じなだけに、結構めどいな……。あと、やはり文庫化した『ジュ・ゲーム〜』だけれど、単行本と文庫の内容は若干異なります。加筆修正があったのはもちろんだけれど、たとえば単行本にある「ジャージの一人」が文庫の方には付いていません。親本もまだ生きているようなので、もしコンプリートしたい方がいらっしゃればどちらも買うと幸せになれます。ちなみに表紙の絵は中原昌也画伯に描いて貰ったブルボン氏ご本人なのだけれど(結構似てる!)、その背後にいる、幽霊のような女性は誰?と先日見本を見せていただいたときに聞いたら「ジェーン・バーキンだよ!」と言われ納得……。ちなみに、著者近影も見てくださいませ。なりきってます!
『女犯』は、先日読んだ『女装と日本人』を読んで、稚児と僧侶の関係を改めて考えたいなー、と思っていたところに出たので買ってみた。なんというか、あれは一種の「様式」だと思ってたんだよね、どこかで。修行を積んだ高い徳を持つ僧侶であれば性欲など押さえていられるだろう、とか、どっかで思ってた。そして、『ノーサンガー・アビー』は初文庫化。この日を待っていた! しかし、『感情教育』を読み始めてしまったので、しばし我慢しておこう……できるかなー。『真机上の九龍』は、『机上の九龍』の改装出版版。内容に異同があるのかは分からず。以前読んだときは1冊で完了していたと思ってたんだけど、コメントでそうではないらしいことを知ったので、改めて買ってみたわけだ。しかし、前に出したのとどう違うのかくらい説明が欲しいなあ。
昨日辺りから始まったらしいが、読書進捗を管理してくれる(そしてSNS的な機能もある)読書メーターと、早川書房のハヤカワ文庫の100冊がタッグを組んでフェアを始めたようです。
なるほどねー、こういう方法、あるわねー。わたしは読書メーターを使ってないので傍らから見てるだけ、なのだけれど、ユーザの方、使ってないけど興味のある方は参加してみるといいと思います。
この手の外部サービスって、便利なんだけれど何となく外でコンテンツを管理されてる不安みたいのがあって、未だに割り切れないんだよなー。あ、メディアマーカーは使ってみてるんだけど(購入金額が簡単に出るので、心臓に良くありません)。先日、mohriさんと話してるときに「数年前までは自前のレンタルサーバで完結してる人多かったけど、今は初めからこの手の外部サービスを利用するケースが断然多いよね」という話になって、見ていたはずなのにそれをちゃんと考えたことが無くて愕然としたんですよね……。確かに、自前で全部管理してると、使ってるツールのバージョンアップ作業とか、色々やらなきゃならないことが出てくるんだけど(ちょうどamazonアフィリエイトの仕様変更の件があった辺りで切実だった感じも)。世の中の趨勢って、あっちゅーまに変わりますわね。
と、前半と後半が全然違う話になってしまいましたが、お気遣いなく。
昨日なんかもそうだったのだけれど、身体のリズムがうまくつかなくって朝方になってやっと寝付けたりすると、翌日必ず「眠くて眠くてたまらん」という時間がやってきます。ちょっと席を立って歩いてみたりしてやり過ごすのだけれど、こういうときに「どこかにちょこっとだけ眠れるスペースは無いだろうか」と考えたりしてあちこち覗いてみたりします。15分、いや、10分でいい、人目を気にせず眠れる時間があったならば。
オフィスのすぐ近くに公共施設があり、昼の間だけそこのスペースを借りられないだろうか、と考えたりしたのですが、そういうところって午前・午後・夜間みたいな大雑把なくくりで貸してて「1時間だけ、お願い」なんてことにはならないだろうし、大体、利用者ひとりで借りるってできるのかしら、なんて考えたり。和室なんか、ちょっと座布団を二つに折ってまくら代わりにごろ寝とかできて最高なんだけれどな……そういうスペースがすぐ近くにあるのに使えないストレスと言ったら!
こういうときに、時間貸ししてくれるお店があればいいのになー、とか考えちゃうのでした。仕切られた個室がある漫画喫茶があればそれでもいいのかな。でも、漫画読まないからその分安くして、寝るだけ寝かせてー。まあ、本来そんな借り方が間違ってるのでしょうけれど。
こんなこと誰でも考えそうなことなので、それでも聞いたことがないというのは、やっぱり商売にはならないからなんでしょうな。こういうときにほんの少しでも纏まった時間眠ることができれば、後はすっきりお仕事できるのだと思うんだけどなあ。
難しいのは、ちょっとの時間だけなので、あまり移動に時間を掛けたくないというところ。産業医制度のように、ある程度の従業員を抱える企業は、昼寝スペースをいくつ用意しなければならない、とかにはならないのかなあ。福利厚生にそんな事項が盛り込まれていたのならば、転職時には注目してしまうかも知れない。まあ、転職というのは相手がこちらを欲しいと言ってくれないと成立しないので、難しい話ではありましょうが。
ブックファースト渋谷文化村通り店にて。
本の雑誌316号(本の雑誌編集部)」
本人vol.11(中川 翔子/堀江 貴文/井口 昇/三宅 恵介/有吉 弘行/吉田 豪/中村 うさぎ/松田 洋子/北村 道子/安永 知澄/宮崎 吐夢/河井 克夫/海猫沢 めろん/瓜田 純士/明石家 さんま/松尾スズキ)」「本人」は、明石家さんまロングインタビュー(お笑いナタリーの記事でその一部は読める)が発売前から評判だが、海猫沢めろん先生の「全滅ノーフューチャー!!!」最終回および単行本刊行に合わせての小特集も組まれているよ。
『
全滅脳フューチャー!!! (本人本)(海猫沢めろん/Chim↑Pom)』(今月17日刊行予定だよ)
それと、実はまだ明石家さんまインタビューは読んでないんだけど、連載の、吉田豪インタビューは早々に読んでしまった。今回は有吉弘行。これが、有吉の素顔を引き出してて良かった! そのほか、松田洋子の自伝漫画は母親の子ども時代のへヴィ過ぎて作り話にしか思えないエピソードが描かれていて、彼女の描いてきたどの作品よりもディープで目眩がしてしまった。いろんな意味で買って良かったよ、この号!
「本の雑誌」そういえば連載ばかり読んでしまって、肝心の特集にはさっぱり目を通してなかったのに今気付いた。
ジャンプスクウェアに連載中の学園ファンタジーコミック。葉村ヒカリは絵を描くのが大好きで、クラスメイトからは「ピカソ」と呼ばれる高校生男子。ある日「河原部*1」の活動中に不慮の事故に遭い、クラスメイトの千晶を失うが、本人は奇跡的に無傷で日常に復帰する。しかし、それは千晶が彼の絵の才能を散らしてはいけないと、必死にお願いして得られたものだった。胸ポケットに入るサイズになった千晶(背中から羽が生え、他の人には姿が見えないので妖精?)が言う。「ピカソの命は、本当は死んでいるところを助けて貰ったもので、人助けをしないと死んだ状態に戻ってしまう(=腐る)」と。制服の袖をめくると、なんと腕が腐り始めている! 驚愕したヒカリだが、教室にいたクラスメイトの一人が問題を抱えていることに気づき、彼を助けることに。彼の心理をすごい勢いでスケッチし(異変に気付いて「スケブ!」「2B!」って言いつつ絵を描き始めるシークエンスが好き)、その中に千晶とともにダイブすることで、問題解決をしていくという流れ。一話ごとに問題を抱える人は変わっていき、その度に彼自身のおかれた環境も少しずつ変わっていく、というもの。
ひとつひとつのお話、抱えている問題はまあ特筆すべきものは無いのだが、お話の「型」を編み出したこと、そしてヒカリの描く絵、その絵の中で話が進む様子、いずれもが素晴らしい出来で、読み進むごとに引き込まれていく。スケッチは、さすがウサマル印。あの独特のタッチの鉛筆画がそのまま等身大の世界として動き出すのだから、魅惑的でないわけが無かろう。問題を抱える人物の状況が変化し、心理的な抑圧も無くなってくると、段々と絵の世界も違った顔を見せるようになってくる。
一番印象に残ったのは、ビジョン4。ビジョン2でお世話になった茜の妹、花奈のエピソード。明るく活発で人気モデルでもある姉に嫉妬した妹はとある世界に入っていくのだが……という病み系女子の話なのだが、特に憧れているアーティストとの関係やその変化がきめ細やかで、こういう感じが著者としては好きなんだろうなあ、と感じられた。
そこまで単純にはいかないだろうけれど、この漫画を読むことで間接的に自分の心の中の問題がいい方向に向かうことがあるといいなあ、と思うのであったよ、特にメインターゲットであろう子供たちは。
主人公はどちらかといえば自分本位の気が強い、ひ弱な男の子だけれど、嫌々ながらでも人助けとして人と関わりを持つに従い、人間的にも成長していくものと思われる。それでもこのパターンに反発が出て、ほぼ全身腐っちゃったりすることもあるんだろうな。あ、そういえば千晶は彼のことを「腐男子」と呼ぶ。まあ、ホントに腐ってるしな! しかし、生涯こんな風に人助けをしないと腐って死んじゃう、というプレッシャーを与え続けられる人生って、自分だったらどうなんだろう。途中で投げ出したくなるかもなあ。
ヒカリが見えるという心理風景のスケッチで心の問題を絵解きする形だが、これって夢判断とか、そのあたりから発生してるのかな(ちなみに千晶は生前、心理学の本を読むのが大好きだった)? 心理分析に絵が使われることも多いから、その辺りから発想したものかもね。巻末に精神科医の名越康文氏による解説があるようなのだけれど、まだ読んでいない。あと、ヒカリはコミュニケーション不全型の人間なので、絵解きをしてそれを確かめようとしても、いつもストレートに言い過ぎて失敗しているところも物語のパターンとしてできている。この辺りも成長するにつれて変わってくるのだろうか? それと、ヒカリは絵の中にダイブしているときは現実の方では気を失っている状態なのだけれど、毎度この調子なのでそのうち何か疑われないか、変な問題が起きやしないかちと心配。彼自身か弱い印象があり(気を失って同級生の杉浦くんにお姫様だっこされて運ばれるシーンもあり)、大変な事故に遭ったのだから、それで説明付けられちゃってたりするのかもだけれど。
2巻が発売されたばかりであり、当然買っているので、帰ったら続きを読む予定。
ジャンプスクウェアのサイトの、作品公式ページ。登場人物紹介があり、単行本の立ち読みもできる。
*1 単に河原で絵を描く活動をしている
11回は、申し込み翌日に電話したせいか、それとも人気カードだったせいか取り落としてしまい、eプラスでも撃沈。前々回に取ったのが最初で、それがすんなり、しかもeプラスの通常申し込みで取れてしまった上にいい席だったので有頂天になっていたのが一気に地面にたたきつけられた思いで、今回はかなり警戒心を持ちつつ予約の電話をしたのでした。そうしたら、あらまあすんなり2人分取れてしまい、知人のFさんと行ってきました。
開口一番は、春風亭正太郎。がっちりした体型の、フレッシュな雰囲気の人だったけど、正直まだまだな感じ。勢いはいいんだけど、転がりすぎて口が回ってない、というか、追いついてないというか。かなり聞き取りづらいところがあって、難儀しました。演目は「堀之内」。口開けは橋渡しではなく切り戸口という舞台隅の小さな戸から出入りするので、なんだか鼠になった気分なのだそう。修行を積んだらどういう風に成長していくのか、今後に期待です。跡に出てくる春風亭正朝の弟子に当たるそう。
橘家文左衛門は、これまたいかつい出で立ちのお方。橋渡しはあっちをきょろきょろこっちをきょろきょろ柱をぽんぽんと叩いてみたり。こんな立派な舞台で演るなんて滅多にないから、何か記念に取って帰ろうと思っているのだとか(勿論、冗談ですよ)。演目の「天災」は初めて聴きました。面白いのは面白かったのだけれど、実は途中でちょっと飽きてしまっていた……。済みません。
お次は春風亭正朝。この方も初めてなのでどんな風に演られるのか楽しみにしていたのだけれど、なんと館内放送があり、直前にお休みが決まってしまったとのこと。代役として、柳家喜多八さんが出られるということで、思わず軽く喜びの声を上げてしまいました。喜多八さんは、前々回のときにやはり聴いているので二度目。そのときよりは若干調子が良さそうだけれど相変わらずの様子で登場しました。座布団にちんまりと収まって、前がいかつい文左衛門さんだったので、余計にその体格の差が目立ちます。「落語家は生ものですから」と正朝さんのお休みについて少し話したあと、自身の大学時代の話へ。昔から落語は聴いていたので誰よりも知識があるという自身があった喜多八さんは、落語研究会に入るつもりが無かったのに、ある日「飲み会、ただでいい」と言われてホイホイついていき、そこで大いに持ち上げられて気分が良くなり、その勢いで入部してしまったそうです。これはまあ、サークル入部時のエピソードではよくありがちな話だけれど、先輩方が一枚上手だったということですね。正朝さんは「目黒の秋刀魚」を演る訳だった*1のだけれどこれは正朝さんので聴いて欲しい、ということで、この日は「あくび指南」。実はこれ、わたしは立川談笑さんの「げろ指南」は聴いたことがあるので、その本家であるこの演目の内容は知っていました。いやあ、あべこべですが。これは軽佻浮薄な主人公と指南役の男のコントラストが面白いんで、この演じ分けが重要になるのだと思います。そしてまた喜多八さん、取り澄ました先生の様子とテレッテレした男の演じ訳が抜群にうまい訳で。思う存分笑い転げました。
この後、仲入りで10分間ほど休憩。
トリは、「宿屋の仇討」で、柳家権太楼。この日はこの人目当てで、一度どんな感じなのか聴いてみたくていたのだけれど、いやあ、いいもの見せていただきました。橋渡しを登場するときには、なんだか生臭坊主のような人だなあ、なんて思っていたのだけれど、一旦腰を落ち着けて話を始めると、これまた妖怪のような人だとびっくりする。喜多八さんもそうなのだけれど、演じ分けには顔の筋肉の柔らかさも必要な気がします。「宿屋の仇討」は、以前紀伊國屋ホールで市馬さんが演ったのを聴いたことがある(感想書いてないです、済みません!)。あのときも面白くはあったのだけれど、断然軍配は権太楼さんに上がる。これはキャラクターがくるくる変わるのが面白いんだな、と改めて思った。お侍が宿屋の伊八を呼び出して責め、責められた伊八は隣の部屋の江戸の町人三人組を諫め、しかし鳥頭の彼らはまたすぐに大騒ぎを始め……と、それがぐるぐる回っていく「繰り返し」が楽しいのだ。「わ、またやってるよ」的な。弱り切った伊八や苦り切ったお侍、脳天気な三人組、とコントラストがはっきりしていて、次の展開を予想するだに笑いがこぼれ。いやいや、演じる人によってだいぶ変わるものだなあ、と感心したのでした。今日は、権太楼さんが一番の収穫。今度、独演会があれば聴いてみたい。
この日のパンフレットは、過去の東横落語会のチラシを再利用して作ったものらしいです。前々回のに来たときは、思いの外立派なもので恐縮したのだけれど、こういう風に過去を振り返るきっかけになるのもまたいいものですねえ。ちなみにわたしがいただいたのは第八回のもの。第十二回のものと勘違いしたけれどそれも道理、この二回とも出演者は同じなのでした。やっぱり、組み合わせとかあるのかしら。
*1 東横落語会は演目を早めに決定してパンフレットに刷り込んでくれます
少し前にTさんセレクトの映画の上映会を開こうという話になっていたのだが、ご本人が外せない仕事に掛かりきりでどうにも時間が取れないということで、1ヶ月後の今日開催。都内某所にあるSさんのお宅に集まっての上映会となったのでした。
ところでたぶん、この話ってわたしがいないときに出たはず。それに便乗したような形でいやもう申し訳なかったのだけれど、実に面白かった! Sさんのお宅も、普通のおしゃれ部屋なのに、ふとそこを見ると巻き取り式のスクリーンが! 反対側にあるベッドにプロジェクターを据えて、大画面での鑑賞となったのでした。会場がどうしてSさん家なのか不明だったんだけど、超納得。
ひとり、用事で遅れている人がいたので、それまでは軽く流すような感じで、「ファイナル・ディスティネーション」(wikipediaj:ファイナル・ディスティネーション)の続編「デッドコースター」(wikipediaj:デッドコースター)を鑑賞。元々はホラーは嫌いなのだけれど、これは死体の様子が克明に描かれるものとは違うし、驚かすことを主眼ともしていないようで、わたしにはちょうど良かった。いわゆるホラーサスペンスの定石を外しまくりつつでも展開はその通りに、という感じで、ちょっとばかりかじった人なら「このトリガーは……」と死の予兆を感じるところがうまく期待を外されて、そのうち段々フェイントか本気かが判定できるまでになってました。「お、ピタゴラスイッチ入りました!」みたいな感じで。この秋に第三弾が3D上映されるらしい。
さて、本編。「
スパイナル・タップ [DVD](クリストファー・ゲスト)」。いろんなバンドのエピソードを盛り込んだフェイクドキュメンタリーなのだそうだが、メインとなるモデルは明らかにビートルズ。しかし、全米ツアーを敢行したのはいいが、かなり落ち目になったりして段々会場もしょぼくなっていったり、マネージャーが途中で降りたり、オノ・ヨーコを彷彿とさせるオージー娘が登場したり。「スタンド・バイ・ミー」のロブ・ライナー監督のメジャーデビュー作だそう。これ、普通に面白いな! ただ、字幕が、日本語が母語じゃない人が携わったのか、と思われるくらいにアレな感じだったので、時折その辺が気になったりはした。堂々と、そしてぬけぬけとフェイクを貫いているところが素敵。
お次が、やはりフェイクもので、今度はバンドじゃなくひとりのアーティストの物語「
ウォーク・ハード ロックへの階段 [DVD]」。兄弟で納屋で遊んでいたのだが、そのとき使っていた大なたで兄の胴体をばっさり真っ二つにしてしまった主人公が、そのショックで嗅覚を失う代わりにあらゆる人を魅了する歌声を手に入れてからの数奇な運命、というお話。どうやっても40代のおっさんに見えるジョン・C・ライリーが14歳から老年までを演じきったが、かなり無理があるところも含めて味わえということだろうか。勘当されてから同い年の恋人との間に子をもうけるが、ある日黒人バンドのボーカルの穴を埋めたのがきっかけでメジャーデビュー。その後、ヒットや音楽性の変遷とともに女やドラッグへの耽溺を繰り返しつつ、現代へ。先に見た「スパイナル・タップ」も同じ時代を描いた作品で、あちらはバンドだというのに時代につれて音楽性がころころ変わるのにツッコミが入ったが、こちらは一人の問題なのでまだ分かる。途中挿入されている楽曲もすべてオリジナルだそうで、こちらも結構いいできだった。作品内では一部しか挿入されていないが実は古コーラス歌っていたりして、その様子はおまけの特典映像でたっぷりと楽しめた。ちなみに、一部、インドでビートルズと遭遇した場面辺りが以下のblogに貼られている映像で観ることが出来た。ちなみにURLのとおり、この映画ではなんとジャック・ブラックがポール・マッカートニーを演じている。途中挿入されるアニメーションまでポールがデブになっているよ(笑)。この作品、アメリカでも上映できなかったのだとか。こんなに面白いのに!
http://www.asylum.com/2007/12/13/jack-black-as-paul-mccartney/
この辺りで既に終電はとっくに終わっている状態。本格的に夜明かしすべく、近所のコンビニで買い出ししてきたりして三本目へ。これが「
悶絶!!どんでん返し [DVD]」。いわゆる日活ロマンポルノで、主演が谷ナオミとなっているのだけれど、彼女は殆どいいところが無いような……。実はこの作品、若きエリートサラリーマン(わたしには単にうぶな新米サラリーマンに見えたんだけど、東大出てるらしいよ)が、ある日おかまを掘られて女道に目覚め、木っ端やくざの情婦となって夜の道に入っていくというお話。相変わらず谷ナオミ扮するキャバクラのホステスと一緒の三人暮らしなのだけれど、女は軽く扱われ、悔しい思いを味わう。いやあ、いろんな場面が変で、もう笑いっぱなし。果たして当時映画館に来た人は、これで満足したのかしら? いや、確かに女性の裸やお色気シーンは出てくるんだけどさ……。
その後、「マッハ!!!」や、流しで洋楽PVを観て、始発が走り始めたところで解散。来るときは終電で帰る予定かどうか分からずに来たのだけれど、すっかりたっぷり朝まででしたよ。楽しかったー。自分だけではたぶん観ることの無いセレクトなので、やっぱりこういうのって面白いよなあ。そして、みんなと笑いながら観られるってのもいい。
この日はお店でご飯を食べるとたぶんそこで本気飲みになってしまうから部屋でピザを取ったのだけれど、みんなで食べるピザがこれまたおいしくてね。「こんなにおいしかったっけ」ってみんなでびっくりしてましたよ。部屋の真の主であるにゃんこ先生も良かった。最初こそ初めての人がいて警戒してたんだけれど、段々大胆になってきて、わたしは映画を観ながらベッドに掛かった布団越しにちゃいちゃい遊んで楽しんでました。普通、家で毛のある動物を飼っているお宅にお邪魔すると少し喉がいがいがしたりするんだけど、こちらではそういうことも全く無かったですよ。
真机上の九龍 上 (BUNCH COMICS)(長崎 尚志/青木 朋)』2003年に『机上の九龍』という漫画の単行本を買ってきたのは、その前に雑誌連載を読んでいて、印象に残っていたからだと思う。書店にあったのをとりあえず買って読んだのだが、折角いろんな設定があるのに一部しか風呂敷しまわずに終わってしまう展開に首を傾げ、一体これはどういうことなのかあれこれ考えていたのだった。
→『机上の九龍』
そんな話は記憶の底に沈んでいたのだが、ふと去年辺りこの感想にコメントが付いた。それにはこの作品には続編があり、その時点で上・中巻が出ているということだった。何だ、続編があったのか、とは思ったのだがそのまま放置してたら先ほど下巻を書店の新刊コーナーで発見し、思い立って全巻買い込んだのだった。そこでとるものはとりあえず上巻を読んだのだけれど、ああこれってわたしが読んだ『机上の九龍』そっくりそのままだったのね。
内容に付いては以前書いているのであまり書かないでおく。ただ、これが物語の一部分であるという認識で読んでみると、全然評価が違ってくるかも知れないなあ、と思った。続いてちびちびと中巻を読んでいるが、少しずつ九の、本人も知らなかった過去やルーツがアカされていっている。
大人になって再会した幼なじみの桃ちゃんは可憐で、いたいけで、理屈抜きで「守ってあげたい」と思ってしまうような、そんな女性だ。ということはこの手のストーリーの場合は彼女がキーになっていることが自ずと分かってくるのでどうなるかも何となく想像できてしまうのだが、その「わかりやすさ」は致命傷ではなく、「苦い予感」を抱きつつ物語に接することで、より主人公の心に寄り添えるようになる感じがする。つまりは、この上巻であるところのイントロダクションは、机田九の人となりと来し方を紹介し、読者を物語世界に引き込むことにあったんじゃないか。
この手の話は大好きなので多少甘くなってしまいがちだが、地味だけれど結構読ませるなあ、と感じる。と思ったら、当時は気付かなかったけど、「空論創作委員会」の中の人は長崎尚志だったと出し直されたこの本で知った。浦沢直樹の最大のブレーンその人である。物語のテイストとか、それでちょっと納得した。
この作品が上巻のみで完結状態となっており、今回新しく刊行された経緯には、この作品がいろいろな媒体に移りながら連載されたことにもあったようだ。作画を担当した青木朋氏のblogでそれが垣間見える。「ビッグコミックスピリッツ」→「漫戦スピリッツ」→「papyrus」→「デジコミ新潮comcom(電子出版)」。そこには長い中断期間もあったのだろう。よくもまあ、単行本として纏められたものだ。
ブックファースト渋谷文化村通り店にて。
『ともしびマーケット』増刷(3刷)おめでとうございます! なかなか本が読めないでいるので、読めそうになったら買おうと思っていたのだけれど、まだ店頭に初版があるうちにやっぱり買いたくなって。なんかもう、最近の駄目っぷりにはあきれ果てますよ、自分で。なんとかリズムを戻したいものです。
帰りは、久しぶりに読む『ゴーダ哲学堂』。これ、雑誌掲載時に「空気人形」を読んでかなり衝撃を受けたんだよな。それぞれ短編なので投げっぱなしの作品が殆どなのだけれど、その後の物語の委ね方までもが、なんというか著者の意図を強く受けているようには感じる。それにしても強く心を動かされるなあ。これは、小学館から出た「ゴーダ哲学堂」の2冊が合本されて文庫化され刊行されたもの。前のがほぼ入手困難になってるのでありがたいけど、このところ「空気人形」の映画化( http://kuuki-ningyo.com/ )のせいか、単行本の方も店頭で見られるようになってきた。
感情教育 上 (河出文庫)(ギュスターヴ・フローベール/山田 ジャク)』やっと上巻の半分くらいかな。第2部に入った。
第1部では、約3年間のことが描かれている、たぶん。19世紀半ば。主人公のフレデリックは、帰郷の際に乗り合わせたアルヌー夫人に一目惚れをする。法律を勉強するのにパリに居を構えたフレデリックは、彼女にお近づきになろうとあれこれ画策するが、はかばかしい効果がなかなか得られない。ある日、劇作家志望の若者ユソネが昵懇と知り、何とか彼女の夫が中心となる芸術家サークルに入り込むことに成功し、その後願いが叶ってアルヌーの家や別荘に招待されるまでになる。ところが、学位を取って凱旋帰郷したところ、当てにしていた実家の財産が殆ど底をついていることを母親から聞かされ、絶望の淵に落とされる。その後は親の薦めで地元の代訴人の事務所で書記をやることになるが、失意のため無為のまま1年を過ごした頃に、叔父の死で遺産が転がり込むこととなり、ふたたびパリを目指す。
この当時のことは、著者のフローベールがかつて経験したパリの学生時代の経験を元にしているのではないかと言われているそう。いやまあしかし、どの辺りまでフローベール自身の体験だったのかは分からないけど、いわゆる「大学デビュー」ってヤツですわね。おまけに、当時は当然だったのだろうけれど、富める者は持たざる者に施しをするのが当然だったのか、それとも自分が強引に呼び寄せたからなのか、田舎の友人であるデローリエは随分と厚かましい。彼は一応生活の糧となる職は得るのだが、フレデリックに住む場所から食事、生活費までおんぶにだっこ状態なのだ。しかも、自分がつながりを持ちたいがためにフレデリックにはセレブな方々に取り入ってこいとハッパを掛ける。まあ、このくらいでないと生きていけなかったのかもねえ。そして第2部では、彼は急進的な共産主義者になったらしく、今までとは様子が違ってきている(共通の知人で後に同宿となるセネカルの影響も大きいようだ)。
時代は、19世紀半ばの、王政復古時代、2月革命(1848年前後)。フランス革命はたかだか半世紀前のことだったんだなあ。フレデリックが田舎で失意の日々を送っている間にパリは随分変化があったようだから、おそらくこの辺りが革命があった年だったのだろうか。「感情教育」というタイトルがおそらく一人歩きしていて、てっきりもっとロマンチックなお話が繰り広げられるものと勘違いしていたが、実際読んでみるとかなり地味ーなお話だ。何しろフレデリックは、大学デビュー組である。地方のお坊ちゃんの出で大して遊んでないので、(おそらく)遊び方も知らない。憧れの人に何とか取り入ろうとしているが、相手の身持ちが堅いのと、おそらくはフレデリックが遊ぶには魅力的な人間とは見えないと見えて、全然なびく様子もない。それだもんでだいぶ躍起になってアプローチを掛けているが、本人は気付いてないだろうが、周囲にはバレバレだったのではないだろうか。
第2部は、一度田舎に引っ込んだフレデリックが、叔父の死で遺産が手に入り喜び勇んでパリにやってくるところから始まる。彼は自分がいた頃の環境を期待しているが、世の中はすっかり変わっていて、共産主義者や身分の低い者が幅をきかせている。アルヌーは商売替えをしているが、その後の自宅の様子などを見ても、商売に失敗したのではないだろうか。
それにしても、さほど親しくはなかったのかも知れないが、叔父が亡くなったことを悲しむよりも遺産が入ることを喜んでいる辺りがすごい。まあ、この叔父がなかなかつれない態度なので期待薄となっていたのがひっくり返ったというせいもあるだろうけれどねえ。フレデリックの母親が金貸しのロック老人に財産を搾り取られていく様は、ボヴァリー夫人のそれを想像してしまって実に痛々しい。しかし、フレデリックが家督を継いだからといって「もう大丈夫」かと言われると、首を傾げるんじゃないかと思うよ。彼もパリにいる間、見栄を張って散財していた過去があるからなあ。
とにかく、期待していたほどの「物語の面白さ」は感じない。しかし、当時の人々の様子がつぶさに描かれており、当時のフランス、パリがどんな状態であったか、を伺うこともできる。大体、「感情教育」というタイトルはずっと変わらないけど、本当にこれで合っているのだろうか? 少なくともフレデリックの感情は教育されてないと思うよ。
ヒューマックストラストシネマ文化村通りスクリーン2にて鑑賞。映画サービスデーにつき割引料金。未だにこの名称に慣れず、「どこだっけ」と渋谷の地図を脳内に浮かべて探してしまう。今週末で終わってしまうということで、駆け込み視聴だった。
この映画が上映していたのは知っていたのだけれど、今まで来なかったことにはいくつか理由がある。別の映画が観たかったとか、体調が今ひとつだったとか、別の用事があったとか、その他諸々。そして、原作の小説(『
童貞放浪記 (幻冬舎文庫)(小谷野 敦)』)を未読であったこと、というのも大きい。数年前に発表された文芸作品だ。今まで読んでないってのはどうなんだろう、と。どうせだったら読んでから観たい、ということもあって、後回しにしてきたのだった。結局間に合わなくなったのでこうやって慌てて観てるのだが。
主人公の金井淳は、東大大学院を出たあと海外留学を経て、現在は地方大学の講師として着任したところ。ストリップ劇場のシーンから始まるが、今はここは省略する。その夜歓迎会を開いて貰うが、昼間から妙に突っかかっていた同僚の山口が、ここで怒りを爆発させる。とにかくこの金井という男、人の神経を逆なでする能力に長けており(勿論、褒め言葉ではない)、もう、その存在自体がまずいとしか言いようが無い。突如衆人環視の元で怒鳴りつけられた金井はそれから山口を避けようとするが、酒が入らなければ別にこんな攻撃的な人では無いのだった(でも、自己紹介のときに「最近は漱石を研究している」と言ったらカチンと来てたみたいなので、彼自身近代国内文学専攻なのか?)。
この男、実は30歳になっても童貞というところに強いコンプレックスを感じている。ストリップ劇場に行ったりファッションヘルスに行ったりして何とかコンプレックスだか性欲だかを解消しようとするのだが、どうもうまくいかない。あろうことか、ファッションヘルスでは血を出してしまい「男も初めてだと血が出るんだろうか」とか、同僚におそるおそる確認する始末だ。そんな彼だが、ある日他校に研修に行ったところ、大学の後輩の女性、北島萌に再会する。親しげに話しかけてくる彼女に好意を感じ始め、長電話をする仲になる。それで手応えを感じた金井は思いきってデートに誘うが、理由も分からず不首尾に終わってしまう。これは期待できないとがっかりしていたところにまた気を持たせるような出来事があり、一気に金井の心は燃え上がっていく。
いやいやいや……。痛い。イタい、ってのもあるけど、とにかく心が痛い。自分が思う方向になかなか現実は行ってくれず、どうしていいか途方に暮れてしまうこと、たぶん誰にでもあるのではないかと思う。特に恋愛のときは、ほのめかしたり引いてみたり逆に押してみたりの加減が難しく、家に帰って思い出しては自分で自分を殴りつけたくなることなんぞ、いくらでもあった。どうしてうまくいかないんだろう、何でこんなに不器用なんだろう、と悩んでいたけど(まあ、現在もだけれど)、金井には負けるわー。よくもこんなんで学生に教えることを決意したなと驚き呆れるほどだ。彼はたぶん自分の思い込みが強く、またプライドも高いために、想像力が働きにくくなっているのだろうなと思う。だから、普段の生活でも人の神経を逆なでしてしまうのだ。ここでは、研究室の事務の女性も金井に好意を抱いているのが分かるが、金井自身はそれに全く気付かず、恋愛フラグを片っ端から折りまくっている。普通、「わたし、処女なんです!」って、気のない人に告白しないよ? まあ、そのときは金井は別に夢中になってる人がいたんだから、仕方ないけどさ。
著者の著作で初めて読んだのが、『もてない男』である。そこで彼は、誰にでももてたいということじゃなくて、ちゃんとこちらのお眼鏡にかなった女性にもてたいと言っている。読んだときは「なんて我が儘な!」と思ったけど、よくよく考えてみると、女性ってそういう考え方のような気がする。よく、男性はもてまくりたいと考えるけれど、女性は意中の人に好かれたいと思う、みたいな話があって、わたしもそれを実際に経験したことがある。それでも、久しぶりに会った大学の後輩というのは、容姿も、頭の中身も条件にかなっており、どちらかというと自分に好意を持ってくれた女性が条件をクリアしていた、というものだったのではないか、という疑問を拭えない。相手の北島さんもかなり思わせぶりな態度を示したりするから、嫌でも期待してしまう。
本当だったら、これが少しずつ付き合いが深まって結果……という流れにできたら、金井はめでたく童貞を卒業できただろう。しかし、ここで目論見は外れる。「じっくりお付き合い」している暇も無く、タイムリミットが設定される。これ以上関係が発展する希望も持てなくなったときに、彼の脳内で、目的と手段が逆転してしまったのではないだろうか。好きな人とそれ以上に親密になることと、その結果、童貞じゃなくなることが、童貞を捨てることに固執し始める瞬間だ。最後には、ストリップ嬢に「お金を払ったらさせてくれる?」と聞くところまで行ってしまう(そしてやっぱり失敗するのだが)。
最初は協力的だった北島も、焦る金井の姿を見て疑問を抱き始め、とうとう最後には愛想を尽かしてアメリカへ旅立ってしまう。それでも未練がましく金井はラブレターを送り続けるのだが、これももしかしたら単なる執着なんじゃないかとわたしも疑問を持ってしまう。唯一、寸前まで行った女性、許してくれた女性だからこそ、そしてこのあと他の女性とそんな関係に発展する可能性が感じられない(ただの努力不足だとは思うけど)彼にとっては、「君しかいないんだ」状態だったのだろう、勿論。この「主客の転倒」は実にもの悲しく、そしてまた滑稽なものである。この辺りは小説ではどのように解釈されるか、近いうちに読んでみたいと思う。
ということで、映像として観て驚いた場面。それは、いわゆる風俗店の様子。地方の、席数の少ないストリップ小屋(舞台は単なるTの字で、観客は近いし実に狭い)と、そこに併設される「個室」の話。ファッションヘルスのこと。特に後者は、想像では各部屋はものすごく狭いワンルームマンションみたいなもので、部屋ごとにシャワーがあるものだと思っていたので、共用だったというのは意外だった。こういうところはなかなか見られるところでは無いので、映像化されることって貴重だなあ、と思ったですよ。あと、ストリップ劇場でのまな板ショーって、布団敷くんだ、というところに何故か衝撃を受けた。確かに、じかにでは痛いよね……。
あと、冒頭の部分。画面は暗いままで、場内アナウンスがあるのだが、これが映画館としての注意事項が出たばかりのところだったので、此処までしつこくアピールするか(今までは無かったけど)、という呆れがあったが、勿論これがフェイクだったのだ。そのアナウンスは恐ろしく下手で、そのままスクリーンが徐々に明るくなって、ストリップ劇場のアナウンスだったということが分かる仕掛け。
あと、北島役の神楽坂恵の豊満な胸部にはびっくりした。あまり情報を得ないまま行ったので、この人はかつてアイドルをやっていた、ということしか知らなかったのだが、アイドルはアイドルでも、挙乳であることで有名なグラビアアイドルだったんだね。服を着ていると案外目立たないので、そのギャップに驚きました、ハイ。そして主演の山本浩司。今までも何度も童貞、もしくはそれに近い役をやってきたそうだが、この主人公の境遇がつい納得してしまうような、屈折し、ひねくれた、童貞をこじらせてしまった男、という役柄が外見、そして演技も含めてぴったりで、実際こんな人生を送ってるんじゃないかとつい勘違いしてしまいそうだったよ。
あまりにもリアルな物語で、どこまでも現実に地続きの世界だったためか、自分自身の内面や過去を顧みる羽目にもなりましたよ。つい、自分の足下を見たくなる映画だったなあ、と思ったことでした。
エンディングロールを見てたら、前田司郎の名前が出てきてびっくりしたけど、実際にあの五反田団の前田司郎で、脚色として参加していたとのことだった。あと、協力に国書刊行会の名があったが、これって金井の部屋(もしかしたら北島のも?)に沢山あった分厚い本がそれだったのだろうか。
ブックファースト渋谷文化村通り店にて。
というわけでど真ん中の童貞映画を観てきた先で文芸書新刊の棚を見たら、めろんせんせいの新刊が早速並んでいたのでゲット。奥付に、協力としてわたしの名前も載ってます。おおー、この名前が活字化されたのは、これで二度目か。
PR誌「アスペクト 2009年9月号」も入手した。以前よりも薄くなったなー(よく見たら、間にあったカラーページが丸ごと無くなっている。やっぱり不況?)。巻頭特集は、歌舞伎町のお水な方たちがどんな本を読んでいるか、って話だったけど、意外にも(失礼!)ちゃんと読んでる人がいたりしてびっくりだよ。まあ、元彼氏の趣味、だったりするので、別れれば離れてしまうのだけれど。あと、山崎まどかさんの「彼女のリトル・キングダム」が最終回! 特に書籍化のアナウンスとか無いみたいなんだけど、お話は進んでいるのかしら。連載が始まったばかりの記事も多くて、ちょうど創刊号からの入れ替えの時期なのかなあ、なんてちょっと考えてみた。この雑誌、休刊説を漏れ聞いたところだったので、ちゃんと現役してることに感心した。これからも是非続けてくださいませ。
『ラナーク』を読むぞ! と意気込んではいたものの、ぐだーっとしていてそんな余裕は無かったですよ。ぐだーっとしすぎ。積み残していた『真机上の九龍』を読み終えて、途中で「え、『机上の九龍』にしか収録されてないエピソードがあるのか!」と泡を食って途方に暮れたり。おそらく『机上の九龍』は、雑誌連載分をそのまま纏めたもので、『真机上の九龍』は、この物語をひとつ纏まったものにするために必要だったもの、ということかなあ、と感じた。いくらか掲載媒体をまたいで彷徨っていたようだし、完結させるのはなかなか大変だったのではないだろうか。何はともあれ、最後まできっちり終わらせたのはすごいことだなあ、と思う。当時は原作が「机上の九龍創作委員会」となっていたので知らなかったが、浦沢直樹のブレーンとしても知られる長崎尚志氏だったようだ。
そのほか、漫画はさそうあきらの最新作『さよなら群青 1巻』、停滞期でありながらも水面下で動きが見える『シマシマ 6巻』も読んだ。小説は、持ち歩き読書していた『感情教育』の上巻を読み終え、ほかに川上弘美の新刊『これでよろしくて?』も読んだ。『これで〜』は、読んでる最中は、元々が婦人公論の連載だったということもあって「結構緩い感じで気楽に読めるなあ」なんて思ってたんだけど、段々と、この登場人物たち同様「くえない」作品であることに気付いてきて慄然。川上弘美、オソロシス。一筋縄ではいかないし、こういった、ぬるーい空気に見せつつもその中では、といったところに気付くと、どちらかというと読みやすい部類の大衆作品を想定して書いたものでもこれか、と舌を巻く。好き、と言うわけではないけど、すごい。
外出は、SF関係のイベントが最初と最後に2つ。土曜日にSFファン交流会」があって、ふいんき語りのコンビのうちおふたりが伊藤計劃の『ハーモニー』を読み解くということで参加してきた。頭に入れた番地が間違っていたことで休日の原宿を歩き回る羽目になり、H&MとForever21近辺では呪詛の言葉をつぶやく。ハンカチを忘れてきたので「かまわぬ」ショップで手ぬぐいを買った。そんな訳で話も半分くらいしか聴けなかったんだけど、知る人によれば飯田和敏さんはデジハリでの講義よりもいいできだったらしい。デジハリで教わっているという若者から、二次会の席で飯田さんの講義の様子を拝聴する。納得。最終日の23日は、ABC六本木店で大森望さんと柳下毅一郎さんがウェブ日記黎明期仲間として、SFファン同年代仲間として対談するのを聴きに行ってきた。お二人の話をBGMとして楽しみながら、「ハンディタイプの海外文学」みたいなフェアにぐはっとやられ、つい数冊手に取ってしまう。と言っても1冊1,000円前後だからね。小さくてもお財布の破壊力はすごいです。打ち上げでは柳下さんと、神楽坂恵のおっぱいについてひとしきり語ってきた。
中日の21日には、新宿のシネコンで行われた某映画鑑賞会で「カムイ外伝」を。意外なことに、マツケンは頑張っていい作品にしようとしてる感じが出てましたよ。とにかく、身体は鍛えられたのではないだろうか。やたら走ってたし、それが砂浜だったりも。伊藤英明はどうしてもゴリラ枠なのでもしかしてこの役って坂口憲二でも取り替え可能だったのでは?と思わせるのは、メイクのせいもあったんだろうなあ。この辺りは後日、別立てで書いておきたい。
そんな訳で、『ラナーク』は仕切り直して今週末辺りからゆるゆる読むかも。あ、その前に読みかけの本が先かなあ。
お店の名前の意味が「洗濯屋」であることは、お店のメニューに「洗濯屋まんじゅう」があるところから知った。なんでも、店舗が元クリーニング店だったところなのだそうで、以前のお店の商売を屋号にするなんて変わってるなー、と思ってはいた。が、まさか本当に外観もそのまんまだとは思わなんだ。
新宿二丁目界隈という、ちょっと場所柄遠慮したいようなエリアでのイベント。最初、間違って別のブロックをうろついてしまい、それっぽい人たちがずらりと並んでいる本屋さんなんかを通りすがり「おお、さすが二丁目!」などとドキドキしたりもした。
新元良一さんが主催者となり、坪内祐三さん、岸本佐知子さんが、未発表の原稿を持ち寄り朗読会を開くという。未発表で生(ナマ)だから、“raw”読、という訳だ。ちなみにこのお三方は飲み仲間で、「さむユル」というユニットなのだそうだ。ちなみに「さむユル」とは、「作務衣許すまじ」の略。何となく、どういう意味か分かる気がしたw。
19時の開演の5分前くらいに会場に着き、中を覗くと満員の人。立錐の余地もないくらい、というのはちょっとオーバーかも知れないが、それなりに混雑していて「これってホントに落ち着けるのだろうか」と心配になった。ところが、会場の方々によってパイプ椅子が並べられ始め、「とりあえずは座ってみてください」という声が掛かったので落ち着いてみたところ、ほぼ椅子が売り切れ状態だった模様。遅れて来た方の中には、座る椅子が無かった人もいたようだ。出演者の坪内さん待ちで、15分ほど遅れて始まった。ちなみに、入場料は無料。その代わりと言っては何だがドリンクを頼んだ。サングリアを頼んだら、レモンのスライス付きで、グラスにたっぷりなのに350円。こんなに安くて大丈夫なのだろうかと心配になってしまった。おいしかったですよ。
まずは岸本佐知子さんから。今度、クレスト・ブックスから出るミランダ・ジュライの作品(
No One Belongs Here More Than You: Stories(Miranda July))から「あざ」。顔の結構大きな面積を痣が占めている女性の話なのだが、ぐいっと引き込まれる書き出しで、してやられた感じ。岸本さんご自身はあまり朗読が得意ではないと以前おっしゃっていたと思うが、やはり人前で読む機会が多くなってきたせいか、段々うまくなってきてる感じがする。
次が、新元さん。10日後に出る小説(『あの空を探して』(文藝春秋))から、冒頭、中ほど、ラスト近辺、を朗読。主人公は日本人だが、舞台はニューヨーク。セントラルパークでレーガンの顔がでかでかとプリントされた凧を揚げる友達らとの話らしい。朗読はなめらかに、とはいかなかったが、舞台となる原っぱの様子など、撮影していらした画像がプロジェクターで投影されながら(こちらもちょっと不慣れなのか、色々操作を惑われている様子が伺われた)で、雰囲気は感じられた。ちなみにこの操作をされた女性は、以前「AMERICAN BOOK JAM」(わたしも、バックナンバーをいくつも買い漁っている)で編集をされていた方だそうだ。
最後が、ついさっきまで原稿を書いていたという坪内祐三さんのエッセイ「ジェーン」。久しぶりに再会した女性のニックネームなのだが、どんなお話なのかはどこか媒体に載ってからのお楽しみ。ちなみに、坪内さんは今も手書き派なのだそう。この日は「400字詰め(原稿用紙)10枚くらいあれば形になると思って」とおっしゃっていた。
この日はなにしろ“raw”ということだったので、録音したり、写真を撮ったりもしなかった(しても良かったのかな? 何となく場の趣旨を考えて控えておいたのだが)。
ここまでで1時間半ほど。後半は、三人でのトークとなった。それぞれの朗読やその作品に関する感想などを聞いたのだが、新元さんが仕切っていたので、あまり新元さんの話は出なかったのがちょっと残念だった。
岸本さんはミランダ・ジュライの紹介を請われてちょっと困っていたが、「(自分の作品の)世界に引きずり込むのがうまいひと」という言葉は、端的に彼女の作家性、作風を表しているように思った。ちなみに、ミランダ・ジュライのことを教えてくださったのは、山崎まどかさんだった、というお話(たしか「ユリイカ」でのお二人の対談で出てたよな)。「yom yom」で何度か訳しおろしをしたら好評で、一冊の本に纏めて出版することになったのだとか。ここの他にも複数の媒体で彼女の作品は訳されており、いつ出るか、と手ぐすね引いていただけに、出版が決まったというニュースは嬉しかった。
坪内さんは、朗読が苦手なようで、「黙読と朗読は違う」という話をされていた。通常、原稿は雑誌などに活字となって掲載されることを想定して書いており、ということは黙読用に書いているということを、今回朗読して感じたそうだ。ちなみに坪内さんは手書きではあるが、あまり直しをせずに書き上げることができるそうだ。ゲラになってからの直しも少ない方らしく「ゲラになってからばんばん直してる人がいるだなんて信じられない」とおっしゃっていた(笑)。でも、結構そういう人っているんじゃないのかなあ。
岸本さんはやはり朗読は好きではないけど、訳文のチェックをするときに、原文を声に出して読み上げしてみるようになったのだそうだ。単純に行抜け(以前、木村榮一さんも同じことをおっしゃっていたので、ホントにこういうことってあるんだなあ)を防止したり、韻を踏んでいるのに気付いたり、原文にあるリズムを確認したりするためだということ。
新元さんから「日本人で、朗読が上手い人っている?」という質問が出たが、やはり真っ先に名前が挙がるのは柴田元幸さんだった。岸本さんがご実家にいらした時分に、柴田さんから電話が掛かってきたことがあり、お母様が取り次いだそうだが、とてもいい声にメロメロになったことがあるらしい。岸本さんからは、栗田有起さんの名前も挙がった。ああ、確かに柴田さんとの対談のときの朗読は素敵だったなあ。「村上春樹さんは?」という話も出た。日本ではあまり人前に出ない村上さんだが、アメリカでは結構朗読などもやっている。以前、雑誌の「NewYorker」のイベントNewYorker Festivalが開かれた際に朗読したのだそうだが、低くていい声だったとか。このときに、アンディ・カウフマンの話題が出た*1のだが、どうしてだったかな? 岸本さんからは、NHKの番組で清水ミチコが『フィネガンズ・ウエイク』を朗読したのは素晴らしかった、という話があった。聴いてみたいー。
読む本と朗読する本は違う、という話から、カセットブックの話へ。盲人用の、ボランティアスタッフによる朗読テープに使うのに利用許諾をするのだが、そのテープが沢山送られてきて、坪内さんの書斎には「朗読テープコーナー」ができているらしい(聴いたことは内装だが)。そういえば新潮社などでカセットブックとか作っていたよね、あれって売れてるのかしら、とか、そんな話から、アメリカではオーディオブックが結構メジャーだが、あれは車社会のアメリカらしく、運転しながら聴いている人が多いのだそう。だったら日本ではどこで聴いてるんだろう、という話になったのだが、武藤康史さんはこのオーディオブックのファンなのだそうで、おうちで聴かれているらしい、という話を坪内さんがされていた。
朗読と言えば、と、岸本さんがご自分のエッセイをNHKラジオで朗読された経験を話されたのだが、自分のしょーもない文章がきちっとした朗読で流れてくるのにいたたまれなかったとか。そういえば、「週刊ブックレビュー」に岸本さんが出演されたときに中江有里が『気になる部分』から(だったかな?)朗読したことがあったけど、あのキリッとした声でばかばかしい(褒め言葉)話が朗読されているというおかしさに、つい腹を抱えて笑ってしまったことがあったなあ。ちなみに、このNHKラジオの番組は、岸本さんの作品の朗読を最後に、番組を終了したらしい。
この辺りから、赤堤学閥(ってほどの怖い話では無い)の話に入っていった。
赤堤学閥とは、坪内さん、岸本さんが在籍していた世田谷区立赤堤小学校のOB、OGの話で、この辺に興味のある方ならこのお二人がこの小学校の同窓であり、同じく同窓生に、クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さん、翻訳家の鴻巣友季子さんらがいらっしゃる。朗読に熱心だった国語の授業の話から、学校を退職されたあと振り付け師になられた先生の話などにもなったが、岸本さん曰く「坪内さんの記憶には、社会性がある」とか。岸本さんのエッセイで出てくる、小学校の裏手にある牧場の話はご存じの方も多いと思うが、あの牧場、実はメイトー牛乳のものだったそうだ。そんなことも、岸本さんは知らなかった。この牧場の牛だが、以前牧場が火事になったことがあり、背中に火の付いた牛が、学校の校庭に乱入してきたことがあったそうだ。ここの牛が逃げ出して近くの道路に飛び出してしまい、パニックになったこともあったとか。どちらも岸本さんは知らなかったが、後者については当時早食いでふくよかな少年だった坪内さんが、給食を食べ終えてとっとと外に遊びに行ったときに見たものだとか。だとすると、岸本さんは気付かなかったかもね。
質問で、岸本さんは翻訳をしてるときに原著者に直接質問することがあるか、というものがあった。「ああー、最近はメールなどもあって連絡する手段が発達していて、そうする人はおおいですね……わたしはしないですけど」え! ちょっと意外。著者とのやりとりはあまり好まない、という話で(これはちょっと納得)、通常は、手持ちの辞書を駆使して、次はGoogleで検索し、それでも分からなければネイティブの人に訊き、それでもお手上げのときは、柴田さんに訊くのだとか(笑)。柴田さんが最終兵器か! それまで苦労しても分からなかったことが、柴田さんに訊くとものの三秒で分かることもあるのだとかで、いやあ、どれだけスーパーマンなんだ、って感じですね。ちなみに、今までに著者に訊いたことがあることは一度だけ。ミルハウザーの本に「my sisterに捧ぐ」みたいな献辞があったので、それは姉のことか妹のことか、訊いたのだとか(ちなみに、回答は妹だったらしい)。
もうひとつの質問で、赤堤小学校は、何でそんなにそうそうたる人々を排出したのか、という話が出た。これについては、元々この学校は松沢小学校がオーバーフローしたために分校されたところで(「坪内さんは何でそんなことまで知ってるの」と本気で驚く岸本さん)、お金持ちから農家の人、貧しい人、社宅の子まで、とにかくいろんな層がごった煮状態だったからじゃないかな、というお話。ここで、岸本さんから「坪内さん学歴詐称疑惑」の証拠披露が。
世田谷区で毎年、区内の小学校の児童の優秀な作文を纏めた文集が出されていたそうだが、1967年版の「むぎとんぼ」(物持ちがいい岸本さんが持ってらっしゃった)が、森山小学校の子の作文を読み上げた。そこに登場するのが、歴史好きで面白い話をする同級生の、ちょっと太ったゆうぞうくん。その様子があまりにも坪内さんそのもので、ご自身が認めるほどのものだったが、残念ながらそれは三年生の作文で、坪内さんは太り始める四年生以前はガリガリだったそうだから、別人のはず、らしい。しかしまだ疑惑は残るので、継続して調査するとのこと。しかし、同じ区内に同じ名前を持つ、同じような男の子がいたとはねえ。偶然とは恐ろしいものです。
こんな感じで、和やかなうちに会は終了したのでした。終わったあとは椅子を畳んで、立食状態で交流会。わたしは、当日になってから松田青子さんをお誘いしてみたのだが、以前から岸本さんのファンということで、ちょうど良かった! しかも、数日前に同じ店に別の人に連れて行かれたばかりという偶然まで。そういえば、この日は、岸本さんがエッセイを書くきっかけを作ったという伝説のお友達もいらしてて、お話しすることができた。
このお店は、B級グルメなものが沢山仕入れられているところでもあるそうで、元祖B級グルメライターの田沢竜次さん(この日も会場にいらしてました)のプロデュースで、果汁が10%だった頃のバヤリースオレンジジュース(なんか覚えてるぞ! 当時は好きだった)や、「あたり前田のクラッカー」でお馴染みの前田のクラッカーなども置いてあるのだそう。ちなみに、青子さんは前田のクラッカーは関西に普通にあるとおっしゃっていたので、幻はもしかして東日本だけ? この日は飲まなかったが、珍しいパレスチナビール(タイベビールというヤツらしい) もあって、あとでこれを飲んだ岸本さんに訊いたら「おいしかった」とおっしゃっていた。今度チャレンジしてみたい。全般的に、これでもうけが出ているのかなー、と心配になるほどのお手頃価格なので、機会があれば是非行かれてみてはどうでしょう。壁際に作り付けの本棚があり、沢山本が並んでいるが、これは売り物かと思ったらそうではないらしい。でも、お店に行けば自由に読めるようになっているよう。
そのあと、近くのタイ料理居酒屋へと流れ(ここのお料理もおいしかった!)、23時過ぎに解散。どうもお疲れ様でした。楽しかった! またやる、というお話だったので(坪内さんはもう朗読は……だそうだが)、次の告知を待つことにしよう。
*1 『グレート・ギャツビー』などの朗読を延々とする芸があるのだが、実はそうやってどんどん人が呆れて帰っていき、客を帰らせるというところまでが「芸」なのだそうだ、という話
最近、落語のチケットだのSF関係のコンベンション参加費だの、支払いが郵便局というものが自分の近辺でだが増えてきた。そのほかにも、通常の銀行に較べると手数料が少なくて済むので、何かと重宝している。しかし今まで、実は郵便局には口座を持っておらず、特には必要ないと思っていたのだけれど、そろそろ開いた方がいいような気がしたので、申込書を2枚(書き損じ用も含めて)貰ってきた。
早速1枚目は書き損じで駄目にしたので、2枚目で申し込み。考えてみたら、銀行の口座も開いたのは随分と前(たぶん、最後は今の会社に入ったときで会社での小口金精算用に)で、前世紀の話だ。もしかして、キャッシュカードもその場でできちゃったりして、と期待したけど、さすがにそれはなかった。
普通は身分証明には健康保険カードを使うことが多いのだけれど、今回はたまたま運転免許証にしたら、手続き中一度呼び出された。苗字の漢字は通常旧字体を使っているのだが、戸籍で使われているのは、それとはまた微妙に違う旧字体。通常使っている方で書いてしまい、保険証ならこれで合致したのだけれど、住民票に登録されているそのままの旧字体で登録されている運転免許証を使ったお陰で、名前の登録もこちらで、と促されて修正した。うーん、手続きのときに間違えそうだよなあ……。キャッシュカードの署名も、本来の旧字体にしないとならないんだよね、たぶん……。
申し込みの際にいくつか分からなかったことがあったので、そこはブランクで行って、窓口で訊きながら欄を埋めていく形で。スウィングサービスって何?と思ってたら、預金限度額に関する話だったのね*1。限度額の最高は1千万円ということで、「皆さん大抵こうされます」というのでその通りにしてきたけど、支払い用の、大抵少額しか入れない口座だと思うので、まず上限の心配することは無いと思われる。
定額貯金を申し込めば、昔の円筒形のポスト型の貯金箱が貰えたらしいが、他にも同じ旧型ポスト型の変形はがきなんかもあって、今の、おそらく20代の人なんかはこのポストが使われていた時代を知らないんだろうに、未だにこちらがアイデンティティなんだろうか、なんて考えたりした。ちなみに、手続きは10分程度。貰ったのは、通帳やキャッシュカードを入れられる、ビニール製のケースだった。昔、銀行に口座を開いたら、色々貰ったもんだけどなー(昔語り)。
その後、ウェブサイトを見てみたら、インターネットで色々操作できるサービスがあったので、さっき書類を作成してみた。間を置いて明日にでも申し込みに行ってこようかと思う。しかし、暗証番号が、未だに「番号」のみだとは……。6桁以上の数字だなんて、覚えられるのかなー。
ちなみに、キャッシュカードの暗証番号は、ワイヤレス(ちゃんと確かめなかったけど、赤外線かな?)で、入力を確定するとすぐに端末に送信される仕組みのよう。入力した数字は勿論ディスプレイ上では“*”で表示されている。ここが前世紀(ってことではないけど)との大きな違いだろうか。
手続きで待っている間に、「キャッシュサービスのご利用について」という紙を1枚渡された。引き出し限度額とか、生体認証のカードにする場合の話とか、管理方法とか。下手に生体認証付きにすると、該当する端末じゃないと使えないから、通常の磁気カードで十分だと思うなあ、口座に入れるお金はさして大きくないものだろうし。
電子マネーはEdyかSuicaを付けることもできる(「なし」も選択できる)のだそうだが、口座から直接引き出されるものでは無いらしい。電子マネーは電子マネーで、チャージしなければならないのだが、ものの試し、と、Edyを選択してみた(持ってなかったし、一部オフィスでは使えるもので)。
*1 限度額を超える事態になる場合は、別の口座に自動的に振り替えされるシステムだとか
電車の吊り広告をぼーっと見てたら目立ってたのがこれ。
色々注目するところはあるが、このページでは詳しい旅程も出ていて、「果たして歌丸と観光することはできるのか」の疑問は解決されていた(できない)。アンコールワットは一度観てみたいから、この企画が割高じゃ無ければ結構魅力的だとは思うのだが、どうしても許せないのが
ご参加いただいた方全員に歌丸つるつる石鹸プレゼント
なのであった。何がつるつるになるというのか。歌丸は、こんな商売もやっているのか。色んな言葉が脳内を駆け巡り、やっぱり無いなー、と記憶からこのツアーの話題を消し去ることにした。
あと、自分の誕生日付近に「歌丸と一緒に旅行(厳密には一緒ではないが)」というのは、なんとも言いようがない事態のように思えてきたという理由もある。この日程じゃなかったならば。
渋谷シネマライズにて、映画サービスデー料金。今月から、火曜日のサービスデー制度が始まっている。サービスデーであり、公開から間もないことも手伝っているだろうが、客席はほぼ満席で、注目度の高さが伺える。
元ネタは、業田良家のシリーズ漫画『ゴーダ哲学堂』の一作で同名の「空気人形」。短編をかなり膨らませて作った作品。そう言うものにありがちな「引き延ばした感」は殆ど無いものの、わたしにはやはり冗長な作品、と思えてしまった。ひとつひとつを採り上げると悪くないだけに、残念だ。ただし、わたしは映画は本当の素人で見方も知らない。そんな人間の言うことなので真に受けず、自分の目で確かめて欲しいと思う。
対岸には高層マンションがそびえ立つ、運河沿いのバラックのような建物が建ち並ぶ一角。そこに住む中年男は、「のぞみ」と名付けたダッチワイフを恋人のように扱い、一人暮らしをしている。そんなある日、この人形が、動き出してしまう。自ら窓辺に立ち、雨粒を手に受けて「きれい」と口にして、人形は心を持ってしまうのだ。服を着て、ぎこちなく身体を動かしながら街を歩き回る。何もかもが初めてで、新鮮だ。そんなとき、偶然入ったレンタルビデオ屋で、スタッフの純一に一目惚れをしてしまう。
ストーリーは、ほぼ原作通りであることが分かると思う。慣れない日本語を口にする姿が初々しいペ・ドゥナは、汚れの無い存在感を発し、スクリーンを占めるのにふさわしい女優ではあると思った。孤独な男を演じる板尾も悪くない。出演者は、総じて丁寧にその役を演じていたと思う。演出も、真摯であった。まあ、原作だと人形の持ち主は殆ど背景のようにしか描かれておらず、その違いからして「都会に住む人間の孤独」を描きたいのだなあ、という狙いがあっさりと見えるものの、是枝監督の作品はこういったものをテーマにしているものが多いらしく、監督の一貫した姿勢なのだろう。登場人物は多岐にわたり、中には殆どメインのストーリーには絡まない人もいる。
ただ、わたしはそちらからの視点は、あまり重視していない。いや、こういうものを必要とする人を描くということは突き詰めるとやはり孤独を描くことになるのだろうけれど、そこはあくまでも背景で流れているBGMのように感じていた。が、わたしが考えているよりもこれが表に出てしまっていたのかも知れないと思う。
この作品のクライマックスは、おそらく異を唱える人はあまりいないと思うが、アルバイト中に腕を引っ掻いて穴を空けてしまった人形があっという間に空気が抜けて、へなへなになってしまう場面、そして、それを見てしまった純一が、慌ててセロテープを貼って穴をふさぎ、おへその位置にある空気栓から息を吹き込むところにある。それに口を付けるには服をめくらねばならず、下半身が丸見えになってしまう。それ以前に、空気人形であることが露呈してしまう。それを恐れるのぞみが拒むのは、無理もない。しかし、その危機感がその後の「好きな人の息で全身を満たされていく」ことの幸福にも繋がっていくのである。つまりは、何を持ってきてもそのあとは「終わり」に向かわないシークエンスに関しては「無駄」に思えてしまうのだ。
この、業田が描く「ゴーダ哲学堂」は不思議な作品群で、中には人間じゃないものが当たり前のように人間世界で生活を営む様が描かれている。そこにいる「人間以外のもの」は、明らかに異質だ。中身は空気以外は空っぽのダッチワイフだったり、ごつごつとして計器やボタンが表面に沢山付いたロボットだったりする。が、同時にロボットが当たり前のように仕事をして、結婚をして、子どもまで作っていたりする。しかし、その描かれ方は紛れもなくロボットなのだ。そこでは、表面上は「人間ならざるもの」が人間たちとシームレスな存在として在りながらも、しかし異質な存在であるところのアドバンテージや屈折などが、ドラマを作っている。この原作となった同名の作品もまたそうで、映画ではほぼ人間の姿になっているが、漫画では明らかに、もっと原始的な形での、みんながパッと思い浮かべるようなダッチワイフなのだ。その姿のままレンタルビデオ屋でバイトしても、誰も「おまえは空気人形ではないか」とか、そういう突っ込みは誰もしない。気付かない「ふり」なのかとも思うのだが、おそらく、本当にシームレスなのだ。しかし、それが「穴が開いて空気が漏れる」という共有する幻想の破綻により、崩れてしまう。だとしたら、あとは何にも発展しようがない。
しかし、是枝作品では、これが物語の盛り上がりではあるが、前半と後半の区切りとして扱われる。後半のキーワードは、何人かの人が言う「自分だって(空気しか入ってない彼女と)似たような存在だよ」と言う台詞だろう。違いは、燃えないゴミになるか、燃えるゴミになるか、だけ。
後半は、共同幻想が破綻したあとの世界だ。彼女は人間のふりをしているダッチワイフなのである。少なくとも純一とのぞみとの間では、そうなってしまう。その上、本来の持ち主である男にもカミングアウトしてしまうのだ。既にそこには彼女の代わりとなる最新式のダッチワイフがおり、居場所を失った彼女は街を放浪する。それは、自分が自分であることを再確認する過程、とも言えるだろう。
ただ、そのルーツとして登場した工房の人形師でオダギリジョーが出てきたのは、恐ろしいほどの違和感があった。これもわたしだけなのかも知れないが、ここだけトーンが全く違っていた。「何故ここにオダギリジョーが?」ストーリーを離れ、そこだけが独立した空間に見えてしまったのだ。監督としてはこのシーンは「必要だ」と感じたのかも知れないが、わたしから見ると単なる思い込みにしか見えなかった。狙いは分からなくはないのだが(まあ、それでさえオダギリジョーに言わせてしまってるのだが)。この映画、正味2時間弱なのだが、こんなに長くする必然性がいまひとつ感じられなかった。
この辺りから疑問が頭の中を渦巻いて、どうにも落ち着かなくなるのだが、純一の部屋でお互いの思いを打ち明けあい、純一の願いを聞き届けようとした辺りで、「あっ」と仕込みに気付いた。驚きもあるけど、感動もあったとは思う。そして次の展開に、とどめを刺された。届かぬ思い。すれ違う思い。是枝監督は、ここでも徹底的な孤独を描きたかったのだろうと感じた。ここの部分は、ちょっと惹かれるものはあった。
遍歴の末、ゴミ捨て場にに燃えないゴミとして横たわった人形は、静かに自らの死を待つ。最後の吐息でタンポポの綿毛を飛ばし、いろんな人の元へ届ける。これは、個体としては失われていく彼女が、空気として分散し、行き渡り、思いは受け継がれていく、というメタファーなのだろう。受け取った一人は、久しぶりに部屋の窓を大きく開け、外の空気を吸って世界の美しさを再発見している。たぶん、この世の中は辛いことだらけだけれど、それでもこの美しさが見られるのであれば、そんなに悪くない、という、メッセージなのだと思う。まあ、わたしには監督の狙いがいまひとつ納得がいかず、ここだけ切り取ればそれなりにいいシーンではあるものの、全体としてはいまひとつ調和していないように思えてしまったのだけれど。
うーん、原作に強烈な印象を持っているわたしには、是枝監督の「演出」が、うるさく見えてしまったってことかなあ。いや、うるさいというか、原作に忠実であろうとする部分と、オリジナルの部分とが中途半端にしか融合しているように見えなかった。半完成品を見せられてしまった気分なのだ。
自分が観ていない状態では人の感想は読まないようにしているのでよくは分からないが、概ね高評価を得ているように見受けられる作品なので、単にわたしの見方がおかしいのかも知れない。まあ、世界の片隅にはこんな人間もいますよ、ということで、書き記しておきます。
ところで、空気人形ということで、そして舞台が水辺の街ということで、すごく気になってしまうことがあった。彼女は詰まるところは何らかの、ビニール的なものでできており、中は空気なので影が半透明になる。その様子は何度も出てくるし、彼女自身が自分は人間では無いんだ、と再認識する場でもあるので、オリジナルのいい場面だとは思う。だけどね、海と陸とを隔てるコンクリートの上なんかで寝てると、海上バスの上で風に煽られてたりすると、つい「危ない」って思ってしまうんだ。だって、中身は空気だもの。ふわっと浮き上がってそのまま風に連れ去られたりはしないのかなあ、って。何度も何度も思ったんだけれど、とうとうそういう場面は無かった。まあ、ファンタジーなので半透明であっても、風に煽られてしまう設定は無視することもできるんだろうけれどね。
読んでから観るか、観てから読むか。原作がある映画には付きものの命題だけれど、いやもう、実に難しい話でございます。答えは「ものによる」としか言えないんだよなあ。
長らく翻訳ミステリ小説の衰退が嘆かれているが、嘆いてばかりではいかん、と、そうそうたるメンバーを発起人に、大きな動きが起きているようだ。翻訳ミステリ大賞が、創設されるらしい。発起人は、小鷹信光、深町眞理子、白石朗、越前敏弥、田口俊樹の五名が名を連ねているが、いずれも現役かつ凄腕の、ミステリを主戦場とする翻訳家たちだ。なんか、本気で来てるな、という気迫がひしひしと伝わってくる。そしてこの「翻訳ミステリ大賞シンジゲート」は、この大賞を支援していく存在として立ち上げられたそうだ。本格的な更新は10月からということらしいが、賛同者もどんどん集まりつつある模様。
わたし自身はミステリはあまり読まないが、その昔は児童向けのホームズシリーズに夢中になり、その後離れてからも社会人となってあまり重いものが読めなくなってきた時期に手に取ったのがP・D・ジェイムズら女性ミステリ作家の作品だったりするので、いくらかは血にミステリ成分が含まれているように思う。数年前にもドートマンダーシリーズに夢中になったこともある(ただ、ミステリとしての楽しみ方では無いと思うが)。「ミステリチャンネル」で毎年年末に行われる「闘うベストテン」の海外部門を見ても、毎度へんてこりんな作品がピックアップされており、境界文学ファンとも親和性が高いと感じられる。そうである以上は、面白い小説を読める機会の分母を減らさぬためにも、是非ともいろんな人に翻訳ミステリ小説を手にとっていただきたいものである。
そんな訳でわたしは、具体的な活動としては何もできないと思うけれど、どんどん応援はしていこうと思います。
角川書店のPR誌「本の旅人」で連載中の榎本俊二作品「思ってたよりフツーですね」(『思ってたよりフツーですね』第1巻好評発売中!)の最新作品は、先月末に立川のオリオン書房ノルテ店で行われた「読んでいいとも!ガイブンの輪」のレポート。なるほど、わたしが見てきた空間が榎本さんの手に掛かると、こんな風に見えるのかー、と、実に面白い作品に仕上がってます。何より、ホステスである豊崎由美さんが、超かっこよく描かれてるよ! でも、確かに似てる……。このイベントで、実際にこの作品に出てくる方たちも拝見したのだけれど、似て無くもあるけど、そっくりでもあるんだよねー。それは、榎本さんの自画像もまたそうなのだけれど。
_ マツムら [空気人形、是枝監督ファンとして敢えて原作を読まずに観に行ってみたいです。]
_ にじむ [マツムらさん、 是非お願いします。わたしは是枝監督の作品を、たぶんひとつもまともに観てないこともあって、アンフェアな..]