書籍
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本文・松浦理英子による『前書き』 より †
本書のタイトルは『交友の一例』がいいのではあるまいか、と提案してみたのだが、堅くて地味との理由で不採用になった。もっともな理由なので文句はない。
しかし私は、この笙野頼子さんとの対談集は交友の模様のドキュメンタ リーとして読んでもらえたらいい、と考えている。小説家同士の対話だから文学の話題も出て来るのだけれども、文学観や作品論や自作解題ならば特に対談の場でなくてもどこでも同じことを話したり書いたりできる。そうした不動の要素よりも、対談の現場で実際に生まれ育つもの、発言の意味内容ではなくことばの動きや温度や緊張を通して表れるものの方が、読んでスリリングなのではないか。
感想 †
- 買った日:4/27
- 読んだ日:2002/6/30〜7/6
これを読んでみると、作品のイメージそのままなのが松浦、かなり違うのが笙野、という風に読めるかな。 最初の対談は、松浦がリードしなければと緊張してたらしいけれど実は笙野がかなり細やかに気を遣う人と分かってそちらに下駄を預けた形。これが非常にうまくいっていて、段々と会話が滑らかになっていくのがわかる。松浦のまえがき、二人の対談、松浦による笙野の作品についてのインタビュー(「レストレス・ドリーム」を中心に)、笙野による松浦の作品についてのインタビュー(「親指Pの冒険?」を中心に)、二人の長電話、笙野のあとがき、という五部構成。
二人の執筆についても差があって面白い。予め決まった構想を元に、レポート用紙に丁寧な文字を綴っていく松浦に対し、「ワープロで書くのだけれど、そのときは勝手に言葉が出てくる。指 とキーボード は納豆のようなものでねばねばとくっ付いている」という笙野。そんな笙野の小説は全てが本人のルサンチマンの発散のように取られがちだけれど、それは芸としてどう見せられるかの実験であるという点も、今まで分かっていながらやっぱり意識的に見落としていたところのような気がする。そう考えると、『ドンキホーテ の「論争」?』や『愛別外猫雑記』についてもそういう観点から読み解くべきだよな。『居場所もなかった』の時にはかなり意識していた事柄なのに、いつの間にかすっぽり抜け落ちてるよ。
二人とも一部からは高い評価を受けながらもなかなか表舞台に立つような機会に恵まれなかったが、この本を作ってる辺りから次々と状況が変わっていく様が結構面白い。それは、二人の関係の変化とは全く関係無いところで起こっているのだけれど、華々しい受賞歴が殆ど無い二人が、松浦は『親指Pの冒 険?』での、松浦作品としても純文学作品としてもかなり幅の広いヒット、そして笙野に至っては、この本が出る直前に『二百回忌』で芥川賞を受賞している。対談中も「芥川賞でも取れば親戚も何をやってても納得するだろうに」と愚痴る場面が出てくるが、瓢箪から駒でございますね。いや、手が届く感触が あるからこそ、そういう台詞が出てくるのだろうとは思うのだけれど。
どちらも世の理不尽についてかなり明確で鋭敏な感覚を持っている。その違和感を作品に盛り込むこと で昇華していることになるのだろうけれど、まあ、なかなか理解してはもらえないテーマでもあるのだろうね。 それらを噛み砕いてすごーく分かり易く書いたのが『親指P』なのであって、あれを読んだだけで松浦を分かった気になっちゃいかんよ!って、そりゃ自分もそうだったんだけどさ。私と松浦作品との出会いは、書店に平積みされた河出文庫の『親指Pの冒険?』でした…。
ジャンル分けにも言及していて、松浦は「女流小説家」と呼ばれてもいいと言う。確かに、彼女の作品 は女性であることの困難を描いたものが共通するテーマだからなあ。笙野は場合によっては幻想とかSFにも足を突っ込んだ作品を書くのだけれど、それについて以下のように語っている。
★SFと純文学というジャンル分けが一応あるようなんだけれども、そういうジャンル分けには全くこだわっていなかったということですか?
◆だって。それは出来た結果でしょう。身体でやっていることだから。アイデアだけが回っていれば純文学じゃなくてSFだろうし、そのアイデアが美しければSFとして傑作だろうし、人間的な内容というかリアリズムというか、生きている人間から何か注入されたものみたいなものがその中にあれば、それはSFで書いても純文学になってしまうだろうし。純文学作品といって出てきても、いい悪いじゃなくて、人間的な内容なんかまるっきり含んでないものがあるから。
デビューした時に、自分が書きたいと思っていたものが、「SFとは違う何か」という名前じゃなくて、「観念小説」とか、「幻想小説」とか呼ばれているらしいことを習得しました。そして、その直後に藤枝静男を読んで、「なるほど」と思ったんです。(p.118「もの言う太鼓のように」)★…松浦、◆…笙野
私は残念ながら藤枝静男は読んだことがないのでどんな感じか知らないんですけど、似てるんでしょうか (笑)。
それぞれの執筆観やお互いの作品についても伺うことができて、非常に客観的に双方の人と作品を知ることができるお得な一冊でした。ファンは勿論読んで正解だし、彼女らの作品をどれか一冊くらい読んだことがあるという人たちにも勧められる一冊だと思う。この本を読むと、今までの長く不遇な時代があってこその現在なのだとは思うけれど、やっぱり松浦はまだまだ世に受け入れられていないようには思うなあ。 でも、女性の立ち位置については10年前と今とでは全く(良い方に)違っているというのには同感で、だからこそ少しは受け入れられるようになったのだと思うけれど。
この二人の熱烈なファンがこんなにいるんだ、と知ったのは、インターネットのお蔭です。そして、もっとディープに読むことができて、私は幸せだよー。
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